どうも、サトケンです。



前回は「教えてもらおうとする人」と「学ぼうとする人」の違いについて書きました。

前回の記事⇒成功する人としない人を分かつもの


この学ぶ姿勢の差が大きな差になっていくわけです。




同じ情報を手に入れても、学べる量や質が全然違います。


「教えてもらおうとする人」は1と聞いたら1しか学べません。


「学ぼうとする人」は1と聞いたら10まで展開していく事ができるんです。



なぜかというと、理解しようとするからです。


1と聞いたら、それはなぜなのか?どうして1になったのか?

なぜ?なぜ?なぜ・・・と追求していく内に、理解度が深まっていくんです。



1の背景がわかる事で、1をよく知り理解できるようになり、1を理解した事によって、2も理解しやすくなる。



理解するという事は当然、記憶にも定着していく事になります。




「教えてもらおうとする人」は、自分で考える事はせずに、他者に依存しています。

だから、理解しようとするのではなく、覚えようとする。

1と聞いたら1しか見ない。



1+1=2のような、


何か絶対的な答えを求めようとしているんです。





でも、1+1=2という型、答えそのものしか見ていないから、

2+2になると、わからないんですね。



なぜ1+1=2になるのか?を考えていないから、その理屈がわからない訳です。

で、また2+2=4というものを覚える。



その時その時の『答え』だけを求めて、教えてもらおうとするんです。




でも、これって、なぜ1+1=2になるのか?って理屈がわかってしまえば、どんな問題でも解けますよね?


『足し算という概念』を理解してしまえば、答えは自分で導き出せるという事になります。



こういうのを抽象度を上げるというのですが、抽象度が高ければ高い程、全体像が見える訳です。



答えだけを追い求めるのではなく、理屈や背景を理解する事によって抽象度の高い思考ができるようになるんです。



その為には、「なぜ?なぜ?なぜ?」とある種哲学的な思考が必要になってきます。




今の世の中、専門化が加速しています。



専門化が進めば進む程、全体像が見えなくなります。




これは、工場なんかがいい例だと思うんですが、工場というのは、それぞれの工程が決まっていて、完全にシステマチックに分かれています。


ぶっちゃけ言ってしまえば、自分の作ったものが、どう仕上がるのか?というのがわからない訳です。


自分の工程だけの事しかわからない。


その中で作業を延々とこなしていく訳です。


例えば、不良品が出ても、これはダメで、これはオッケー、という基準しかないんです。

なぜダメなのかが理解できていないから、基準と違うものが出てきた時には、わからないんですね。




でも、全体像が見えていれば、この不良品はこういう危険性があるからダメなんだ、と理解できるようになります。


当然、自分が作っている全体像や、不良品の危険性が理解できていれば、個々の意識も高まりますから、製品のクオリティも上がります。




これって、今の世の中にも当てはまるかな?と思います。


専門化が進んで全体像が見えなくなってきている。

そして、そこに「なぜ?」という疑問を持たなくなってきている。


『目の前の答え』だけを求めるように教育されてきたとも言えます。



でも、自分の現実に「なぜ?」という疑問を持って、それを追求してく事で、どんどん抽象度が高くなっていきます。


そうすると、今まで見えなかったものが見えるようになります。



視界が変われば意識も変わります。


個々の意識が変われば世界が変わります。



最後まで読んで頂きありがとうございました。