昨年の晩秋に書いて以来、なんやかんやとそのままにしているうちに桜の散る頃になってしまいました。
十一月ごろから水やりを復活させたフリージアの球根たちは、今年はそれはもう見事に花をつけてくれました。
これだけの月日、私はいったい何をしていたのでしょうね。仕事が忙しかったのか…何だったのか、記憶にないところが恐ろしい。
久々すぎてすっかり勘が鈍っておりますが、このまま続けましょう。
本日のおすすめは昔話。
昔話を子供たちに多く広めたことで有名な松谷みよ子さんの書かれたこの一冊の中に、とてもとても・・・。
怖い話が潜んでいました。
仕事の先輩が教えて下さったのですが、これほど怖い物語は久々に読みました。
子供たちは学校の怪談系の怖い話をよくせがむけれど、昔話は現代のミステリーゾーンより怖いよと言いたい。
まあ、時代が変わっても中身は同じと言われれば、確かにそうですが(笑)。
さて、本題にまいりましょう。
『舌切りすずめ』 松谷みよ子作 ささめやゆき絵 講談社青い鳥文庫。
きりの良い110頁に配せられた恐怖の昔話、それは『じいよ、じいよ』。たった八ページ、その中にささめやさんの挿絵がまるっと一ページはいって実質七ページ弱。この短い字数の中に夜も眠れなくなるほどの恐怖が詰まっております。
その怖さを味わっていただくため、ざっくりあらすじ紹介とネタバレをいたします。
もしお嫌な方は、図書館で取り寄せるなり、書店で購入するなりされてくださいね。
では、始めましょう。
『じいよ、じいよ』。
みなさん・・・。
心の準備は良いですか?
昔、人里からとおに離れた山の奥深くに、年老いた夫婦が二人きりで暮らしていました。
じいとばあの仲はとても良かったが親族も子供もおらず、死ぬときは一緒だと言ったものの、実際にそれは難しく、病を得たばあが先に亡くなることになりました。
死に際に彼女はじいに頼みごとをします。
『死んだら墓に埋めてくれるな。ひとりで墓にいるのは寂しいから、たてまつりにしてくれ』と。
『たてまつり』?
それはなんぞや?と、読む方としては困惑しましたが、愛情深いじいは『よし、わかった』と即答しました。
そして、話が怖くなっていくのはここから。
息を引き取ったばあのかたわらで、じいがしょんぼり途方に暮れていると、死んだはずのばあが『じいよ・・・』と、たてまつりを催促するのです。
ばあは決して生き返ったわけではなく、死体が口を開いて、たてまつりの催促。
普通なら腰を抜かすか逃げ出すところを、まだ妻への愛情でいっぱいのじいはよしよしと素直にうなずき、床の間にばあをたてかけた・・・そうです。
そして数年、じいは床の間にたてかけたばあを拝み愛でる日々を過ごしました。
ばあは年月が経つうちに骨ばかりになったけれど、なんといまだに口をきくのです。
毎晩、夜中の決まった時間に三度。
まず、寝入りばなにそろりと。
『じいよ、おまえのそばにいきたいが、いってもかまわんか』
『こんでもいい、くるな』
答えて、改めてうとうとしていると次の問いかけ。
『じいよ、いってもかまわんか』
『こんでいい、くるな』
切り返した後、じいはばあがかわいそうな気になってきて、こうなると眼がさえて眠れない。
そして、明け方を迎える前にもう一声。
『じいよ、そばへいってかまわんか』
『いかん、くるな』
そして、朝を迎える日々。
これが毎晩で、およそ三年。
さすがのじいの体力も根気も愛情も尽きて来て、機会があれば逃げ出したいと思うようになります。
そこへなんとじゃこ売りの男が迷い込んできて、一晩泊めてくれと言いました。
じいにとって渡りに船なのは間違いなく。しかし一応、旅人に釘を刺しておきます。
『とめるのは楽じゃが、夜中になるときまった時刻に、じいのそばへいくという声がする。それでもかまわんか』
なんのことやらわからないじゃこ売りは安請け合いしました。
そこでじいは荷物をまとめ、これから用があって出かけるが留守番がてらにどうぞ泊まってくれと告げます。
『そうじゃ、夜更けに、じい、そばへいってもかまわんかと声がしたら、くるな、というておれ』
そう言い残すなり、じいはじゃこ売りを残して家から去りました。二度と戻らぬと決意を胸にして。
じいが去った後、じゃこ売りは囲炉裏に火をくべて横になりました。すると、どこからか声が聞こえます。
『じいよ、いってもかまわんか』
ああ、このことかと思い、教えられた通り『来るな』と答えると神と静かになりました。
しかし、しばらくしたらまた『じいよ・・・』と声が聞こえる。『来るな』と答えた後で、好奇心が抑えられなくなり、じゃこ売りは家探しをしてしまいました。
奥の部屋を覗いて、ああ、なんもないなと思ったところで、声が。
『じいよ、そこにいるのはたしかにじいかえ』
よくよく見たら、床の間のあたりから何かが動き出したのが目に映りました。たてかけてあった老婆のミイラがごそりごそりと動き出したと知った瞬間、じゃこ売りは商売道具を抱えて家を飛び出しました。
山を下る途中、おそるおそる振り返ると骨のばあが、がちゃんがちゃん跳ねながら追いかけてくる。
『じいよ、じいよ、そこにいくのはじいか』
半狂乱になりながらも全速力で逃げたじゃこ売りは運よく寺にたどり着き、坊主にすがって事の次第を説明し、助けてくれと懇願します。
ちょうど庭の手入れをしていた坊主は「ようし、わかった」と答えると、勢いよく寺へ飛び込んできたばあを、経を唱えながら箒でざらんと払いました。
すると、たちまちばあはばらばらになり、ひとかたまりの骨の山となりました。
そして、しばらくは骨が『じいよ、じいよ・・・』と言っていたものの、やがて静かになりました…とさ。
どっとはらい。
・・・どうですか。
怖くないですか?
死んでもなお尽きない、ばあの愛と妄執の日々。
さすがのじいの愛情銀行の貯金も底をつき、旅人を人柱に逃げ出すというこの展開。
そもそも遺体を生活空間に安置したじいの行動にも驚くのですが、それは彼の風習として不思議ではないことだったのかな・・・とも思います。日本の火葬も、国や宗教が違う人からは大変驚かれるくらいですから・・・。
今の私たちには理解できないこの葬り方も、彼らの中ではスタンダード・・・、いや、でも一緒に寝ようは怖すぎる。
こうなると、死ってなに?という、科学と哲学の世界に突入してしまいます。しかし科学と哲学の力をもってしてもばあの妄執は払えない気もしますが。
この、死に際の女の頼みを男が半信半疑ながらも聞き入れるという話でもう一つ思い出しました。
それは、夏目漱石の『夢十夜』の第一夜です。
文鳥・夢十夜 (新潮文庫)
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百年、待ってくれという死に際の美しい女に、そうか、とうなずく男。
朝と晩を何回も繰り返しているうちに、女に騙されたのではないかと疑い始める男の心情描写は、短い文章ながら真に迫ります。
そこで迎えた結末に、私はいつもすごい話だな・・・と感服するのです。
夢は夢だけど、綺麗で、危うくて、どこかリアルで。
そしてすとんと迎える結末。
こういう文章が書けるようになったらいいなと、いつも思います。
『じいよ、じいよ』は古くから伝承される昔話。
そして、『夢十夜』は夏目漱石の代表作の一つ。
短い言葉の隅々に、綺麗なものと恐ろしいものが詰まっていて、 読み直すたびにかなわないなあと思うのです。
昔の人の創作には、遠く及ばない。
だけど、こういう文章に囲まれ育まれてきたことに、ちょっと誇らしさも感じるのです。
日本に生まれてよかったなと。
四月の風景を彩る桜の花を見る度に思うように。