9月3日TT感想
内容:呼吸、感謝の瞑想、太陽礼拝、バランス、クールダウン、ティーチング
・感謝の瞑想で、先生が「手放しは今日のメンバーは必要ないから、今日は感謝の瞑想にしますね」と言われた時、
なんかすごいなって思ったんですよね。皆さん、感謝できるんだなって思って。感動しました。
今日はzoomで参加したけど、クラスに行くと元気がもらえるんです。
それがそういうことなのかなって感じました。
コメント:感謝できる皆さんの波動の高い状態がここにあるから、
この場にいることで元気になる。あると思います。
・ティーチング、前回の反省点を踏まえてやったら時間が足りなくなった。
説明をちゃんと伝えつつ、短くするかってことがテーマになるって思った。
ディープリラクゼーションテクニックの時にセリフを噛んだ。
噛むと自分の中でうわっとなっちゃう。
雰囲気づくりが大事なところなんで。
口に慣らしておかないとダメなんだなって反省しました。
コメント:噛んでもいいですよ精神でいきましょう(笑)
YOGAの先生、完璧主義者じゃないです、みたいな(笑)
許してくれる生徒さんが来てくれると思います。
クラスで大体これくらいって決めてやっても、自分が乗って説明が長くなると、クラスによって時間の長い短いが変わる。
生徒さんの雰囲気とかによっても、クラスがだだだって走っちゃうときもあるし、
時間が足りないってことは、それだけゆっくり説明もできているし生徒さんも入り込んでるってことなので、
良いクラスほどあんまり詰めていない。
詰まってるっていうことはクラスが走ってるんですよね。
マシンガンのようにどんどん打ち続けてる。
YOGAで言うと、よりゆったりとそのものに集中できるほうが、
走っていないで、没頭できている、
良いクラスになっていることが多いかなって思います。
なのでどんどん削っていく。人生のように(笑)
抱え込んでいたものをだんだん手放して。
厳選されたポーズっていうふうになっていくのかなと思います。
・感謝の瞑想のところで、皆さんが自分の言葉で感謝したいことをあげていたのが、
すごく詩的だし、純粋な感じがして、すごく感動したんです。
今のわたしが素直に何か、あの短い時間では美しい言葉が出てこないなっていう風に思って。
もうちょっと昔は恐れずに言葉の中で、美しいものを出そうとしていたんです。
それを見てくれた人が、「あなたの言葉に感動しました」っていろんな方に言ってもらえた。
それで褒められるたびに、現実のわたしはそんなんじゃないのになって。
人とか世界への恨みとか、そういうマイナスなことがいっぱいあるし。
できないことがいっぱいあるしって思って。
その褒め言葉を素直に受け取れていないっていうか。
自分の紡ぐ言葉と自分の人間性に乖離がありすぎるように思えて、
そこがすごく苦しかったんだよなって思いだしたんですよね。
わたしはYOGAで自分を磨いて、素直に出した自分の言葉に見合う自分になりたいってすごく思いました。
そのお手本っていうか、ここにいる皆さんみたいに綺麗な言葉で感謝が言える人になりたいなって思いました。
コメント:両方自分なんですよ。
ネガティブなわたしも、ネガティブなことが浮かんでくることも、それもプレゼントなんですよね。
両方言語化できたら、いいと思うんです。
ポジティブばっかりに脚光を集めて、そっちにならねばならないっていうのではなく、
両方が素晴らしい。
両方体験できるってことが。
でも言葉として誰かにプレゼントするときに、その人が受け取りたいという言葉、
自分だったらこの言葉を受け取りたいって思う言葉が紡げて、
それで言葉のプレゼントをその人に差し出せて、
その人が喜んでくれるっていうのって、やりたいことだと思うので。
そこを思いながら、いればいいのかなと思います。
まずは自分がこうありたいというわたしを装って、
そういう言葉をフォーカスし続けると、だんだんそれが自分になっていくので。それも、瞑想です。
・昨日体調が落ちている時に、ティーチングパートナーがその日のわたしの体調に合わせてクラスをやってくれて、嬉しくって。労わってもらえるって嬉しいことだなって思いました。
今日はお返しができると思ってクラスをしました。
日常で自分を慈しむとか優先するとか、誰も優先してできていないだろうから、
せめてヨガをやるぞって時間は、
インストラクターの先生がそうやって目を向けてくれて言葉をかけてくれていう癒しの時間が必要だし、
それが出来るYOGAってすごいなって、また改めて実感しました。
コメント:その人のために、
あ、わたしのために、こうしてくれたんだなっていうのが伝わるだけで、嬉しい。
少人数のクラスだったら、伝えやすいし、クラスの中での、一方通行ではない、
生み出されるものが、あー、またこの先生に会いたいなって思ってもらえることに繋がっていくと思います。
・今日、感謝の瞑想の時、今回集まっている皆さんは波動が高いからっていうお話があって。
波動が高いのかなって思います。
体調が、後半は波動が強すぎて(笑)
昨日は疲れていたのが癒された感じで。
今日は波動にあたった感じで(笑)
それはおいといて。
ディープリラクゼーションテクニックに、いろんな声を聴きながら、すごくいい感じで寝ていました。
いいくつろぎの時間を頂けました。
ティーチングパートナーはセリフを丁寧に書いていて、まずはこれをきちんとやること。
それから言葉を削っていく。見習いたいと思いました。
コメント:寝ていらっしゃるとき、どうしたらってこっち向いたので、
そういう時は、足とか肩をちょっと触れて、起こします。
今日の感謝の瞑想は昨日のやり方と違う形式の瞑想でした。
今日のは記憶シャッフル法を使った形式でした。
・呼吸の話で、「良い呼吸は良い姿勢」を作ること。
仕事で、レジに入るときと、フィッティングルームに入るときと、
レジ前のアテンドの時は、姿勢が作れるんです。
職場の人からは姿勢がいつもいいねって言って頂ける。
そこでの時間は自分の中でYOGAの時間って決めて、
足先をそろえて、「今わたしは仕事中だけどYOGAをする」って。
最近グリーンが置かれる店の配置換えがあったので、
癒される空間を勝手にいじって作っているんですけど。
それって心もすごく整えられてくる。
すごくいい環境で働けているんだなって、今日の感謝の瞑想でも感じられた。
だんだん自分の中で学んでいるYOGAのことがどんどん入ってきて、感謝しかないです。
コメント:感謝の気持ちで、この場がYOGAの場だって姿勢を整えられているそのあなたが、
たぶん光って見えると思うよ。
周りを照らす太陽のように。
たぶんお客様から見ても、すごく素敵に見えていると思います。
姿勢って、見た目から入る人もいるけど、見た目以上ですよね。
自分の中心が整えられて、背骨がまっすぐに整えられている時って、
呼吸も深くなり、心も整っている。
YOGAって自分の中心からどんなときでも始められる。
ターダアーサナ、まっすぐな姿勢を整えるだけで、YOGAが始まって。
呼吸にフォーカスしているだけでYOGAがずっと続いているんだから、
どこでも出来て、それを実践しているってとてもいい事です。
起こってくる現象が変わってきます。
話しかけてくる人が変わる、
話しかけてくる人の言葉も変わる、いろんな現象が変わってくる。
楽しまれてください。
・自分も綺麗なところばかりではなくて、車を運転しながら汚い言葉を吐いてしまう時もあります。
以前と違うのは、そんな風の思うぐらい嫌な気持ちになったんだねって、
感情ではなく、「本当のわたし」がいる、みたいなところが変わってきたところなのかなと思いました。
コメント:それを客観視して観ている、「あ、わたし、怒っているんだね」「わたし悲しかったんだね」っていう風に、
感情を爆発させている側のわたしと、
それを客観的に観ている側の意識であるわたしが「あぁ、そうだったんだね」って言えているのって、
もうすでに客観視が出来ている。
だから、車乗っている時に、わーって叫びながら、叫ぶ方が良いんですよ、そういう時って。
「いけない、この感情はわたしにとって良くない感情」って抑え込む方が体にも心にも悪い。
むしろ車でわーって叫びながら、
「お!出せ、出せ」って観ている側のわたしがケアしてあげられていたら、
そっちのほうがより客観的で健全ですよね。
両方の体験ができて、それでよしといえるといいなと思います。
・わたしもYOGAのクラスやこういう場では優雅な感じでやりますけど(笑)
家や車の中では汚い言葉で叫んだり、よくするし、家だったらものをぽーんと投げたりするし(笑)
泣くときは泣くし。安心して感情を爆発させて。
そしたらスッキリして引きずりにくいんって。
綺麗な感じだけが真実じゃないし。全部オッケーみたいな。
感謝の瞑想、今日は、一番心地の良い時間で、すごい集中できて、
どの言葉も、なんの抵抗もなく、受け入れられて、本当に全部有難いなって思えて。
普段の生活の中でも、そう思うことが自分の波動?を高く保てる、コツなのかなって思いました。
そんなに意識しなくてもいいと思いますけど。
感謝の瞑想が心地よかったです。
コメント:感情を爆発させるときの、感情を爆発させ方のコントロールだけ誤らないようにできたらいいと思うんですよね。
お皿投げるんじゃなくて、クッション投げたほうがいいよね。
コントロールできたらいいですよね。
タイミングとかもね。
当事者がいるところじゃないところで。
感情を押し殺すと、うっかり当事者のところでやっちゃうってことが起こるので、
それをしないためにも。
そうじゃないところでちゃんと感情を扱ってあげるっているのがとても大事。
感謝は、日々の中で、そう思える場をとれるといいなと思います。