<思索にふける>: 目覚めとは流行の心理学では入れない領域 | THOUGHTS of a YOGI

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あなたの原点、自然な心、澄んだマインドを取り戻す旅へ。

外国人スピリチュアル大師が見た素顔の日本-thinker みなさん、こんにちは。月曜日のブログでお知らせしたように、トランスパーソナル心理学の限界について話したい。そして、それがなんでスピリチュアルでないのか説明しよう。 トランスパーソナル心理学を教える団体といえば、アバターコース (http://ja.wikipedia.org/wiki/アバターコース) なんかがよく知られている。たった9日間であなたを目覚めさせるなとど、もっともらしいことを言う。そんなことは、仏陀でもイエス・キリストにもできないよ! これは、とても誤解を招く説明だ。婉曲的とはいえ、目覚めると「気持ちが高揚する」あるいは「自分(エゴ)が大きくなる」かのように説明している。それは目覚めではないよ。本当の目覚めとは、自我のない状態。つまり、気持ちが高揚する意識もない。「自分」が大きく強調されるではなく、 自分が無になる状態のはず。目覚めとは、超意識であり、自我意識ではない。自我を凌駕した意識になると、良い感情も悪い感情も感じるけれど、それに一切意味を与えず、関心さえ抱かない。 なぜなら、超意識の領域は、自我どっぷりの日常空間を超越しているから。 起きた事、自分のことを好きとか嫌いとか、そういう領域ではないんだ。それは「ただ存在する」という領域。だから、気持ちが良い、嫌悪感があるなんて、関係ない。なんでかって?だって「私」が存在しないから。「私」が存在しなかったら、主体的に気分が良くも悪くもならないでしょう。そこにあるのは、終わりなき至福と一体感がもたらす穏やかさだけ。「私」は「私」のことを大好き、だって「私」はかっこ良く、権力があって、愛されていて、お金持ちだから..ではないのだ。超意識の世界は、「自己」として分離・隔離されていない。存在するのは「私たち」であり、「私たち」が物事を経験する。他人が「私たち」について、どう思ったって関係ないよね。だって、そもそも他人なんていないんだ。そこに居るのは「私たち」だけ。

「 あなたは今、いはゆる「目覚め」を経験しているのです!」といわれると、うぬぼれ屋さんは、鼻高々になってしまい、コロッと騙されてしまう。それは、自我をくすぐられて、ご満悦になっているからだ。そんなうぬぼれ屋さんを非難してごらん。「お前なんか犬の糞だ、社会の汚物と一緒に捨てちまえ」自我でご満悦の世界から、突然別人になって私に怒りをぶつけてくるだろう。なんでって?それは、その人がいはゆる「目覚め」の状態を経験したことがないからだ。じゃ、どこにいたの?それは、巨大な自我の世界だ。目覚めを得たら、ただ、それだけ。一度、目覚めたら、それが常態となり、誰も入らない、何も入らなくなる。

自我の世界ではジェットコースターのように、上がったり、下がったりスリル満載だ。でも、それが続くのは、自我をくすぐったり、刺激してくれる集団に属しているから。一度、その集団から外れたらそのスリルを味わえない。だから、戻ろうって思ってしまう。もう一度、自我をくすぐられて、いい気分になりたい、って思うんだ。でもね、そうなったら釣り針にひっかかって、釣られた魚も同然だよ。いったんハマると、とんでもなく自我がくすぐられる。そうなったら、どれだけ身をよじっても、自我中毒から逃れることはできないよ。逃れたければ、自我を手放すこと。「イヤな気持ちになりたくない」とか、「嬉しいと気持ちになりたい」と思っているうちは、釣り針から逃れられない。 本当の目覚めの扉を開くのは、人生のどん底も頂点も受け入れて、でも振り回されなくなったときだ。いつもいつも自分のことを良く思わなくてもよいし、いつもいつも自己嫌悪になる必要もないのだ。いい時もあれば、悪い時もある、それが人生というものなのだ。だから、受け入れる、でも、振り回されない。

自我をくすぐられるのが好きなら、どうぞ楽しんで。新しい恋愛が楽しいのはそのせいだ、ジェットコースターは、とても楽しい。アドレナリンが出まくる。でも、それは超意識ではないよ。ただのホルモン分泌だ。 残念なことに「スピリチュアル先生」と名乗りスピリチュアルなことを教えていると標榜しながらも、自我をくすぐ「にせ心理学」を売っている人たちが多い。 ダイアモンドを買ったと思ったら、それはジルコニウムだったと、後で気づくようなものだ。認知的不協和(http://ja.wikipedia.org/wiki/認知的不協和)により、こんなにお金をたくさん払って目覚めたのに、私は目覚めていないのか!と怒る人がいるかもしれない。でも、感情的になって怒るということは、目覚めていない証拠だよ。それを受け止めて欲しい。 たしかに、精神的に弱っている人たちや、社会の中に入れずに苦しんでいる人たち、精神的に不安定な人たちをつかまえて「あなたはスピリチュアルな目覚めを経験してるんですよ」などといえば、その人たちに接近できるかもしれない。もちろん、彼らが経験しているのは、目覚めではない。ただ人生の荒波にもまれてもがいているだけだ。受け手側も自分の人生で起きている現実から眼を伏せている限り、人を食い物にする悪者の標的になることを免れない。なぜなら、彼らにとって、あなたの心や精神の痛みは、まさに金のなる木。簡単に悩みを解決できますよ、と空約束をして金儲けを企てる。本当の簡単に解決する方法は、自己受容と自分の問題に直面する勇気、そして、それを克服するしかない。

始めから言っておく。スピリチュアルな求道は、厳しい生き方であり、楽な人生にはならないよ。 真実のスピリチュアル求道をした事がある人なら、みんな口を揃えてそういうはずだ。まがい物しか経験したことのない人は、その逆を言うだろう。なぜなら、スピリチュアルな求道では、自分の心の目の前に、すべてをさらけて、素っ裸で立たねばならない。そして、自我の鏡の前で、自分自身の姿をしっかり見つめなければならない。自分の想像していた素晴らしい自分の姿と、みすぼらしい本当の自分の姿を見ることは、多くの人にとって辛いことだ。だから、多くの人は、正直に自分を見つめるよりも、自我をくすぐってくれる安っぽいスリルを求めるのだろう。 でも、論理的に考えてみて。「私の言うことに耳をかしなさい。私の本を買いなさい。そして、高額な私のコースを学習しなさい。そうしたら、たった数日間で、あなたは目覚めるのです。そして、あなたの心の痛みもみんな数日間で消え去ります」それって現実離れした夢に聞こえないかい?彼らが売っているものは虚構だ。「自我をくすぐって欲しいですか?」といって売っている団体ならいいとしよう。でも、そんな物に高額のお金を払う人がどこにいる?だから、脚色して売らなければ売れないだろう。「目覚め」といえば、みんなが飛びつく商品になる。そもそも、周りに目覚めている人がそんなにいない。目覚めている人は、社会に参加せず、瞑想していることが多い。だから、私のように、批判する人が他にいない。情報がなくて無知の消費者だったらなんだって売れる。だって、何を買うべきなのかスタンダードが分からない。

だいたい、こんな混乱を引き起こしてるのは、トランスパーソナル心理学者たちが心理学とスピリチュアルの垣根をあいまいにしたからだ。健全な人間意識おいて、この二つは別途のものとして共存している。トランスパーソナル心理学の定義をみてよう。トランスパーソナルサイコロジー誌からの抜粋だ。
... (トランスパーソナル心理学) とは「人類の最も高い潜在性についての研究であり、 一体性、スピリチュアル、超意識を認識し、理解し、気づくこと。」)
さて、個人的には、トランスパーソナル心理学がスピリチュアルの領域に入ろうとすることは、行き過ぎだと思う。その反面、あえて記録を残すために書くが、私個人として、トランスパーソナル心理学に対する反感を抱いているのではない。ユングとユングの残した多くの研究には、敬意を抱いている(さらに、トランスパーソナル心理学と認知心理学およびNLP(http://ja.wikipedia.org/wiki/神経言語プログラミング) は、スピリチュアルな道を追求したい人にとって、非常に優れた基礎になるとも思っている。なぜなら、真剣に深い所までスピリチュアルワークをするためには、まず個人的な心や気持ちの問題を克服しなければならないからだ。そこで、これらの方法論をハッピーテクノロジーを呼ばせてもらう。だって、気持ちがハッピーになるからね。 でも、スピリチュアルな探求の方法論ではないし、やったところでスピリチュアルな成長はない。


スピリチュアルと心理学は、意識の中で同じ領域にある。例えていえば、どちらもマインド(意識)という家に住む住人であるけれども、同一人物ではない。私の意見をどうしても言わせてもらいたい。正直にいうと、どんな心理学のすぐれたテクニックを使うプログラムであったとしても、それを使ってスピリチュアルに人を目覚めさせるというのは、根本的に考え違いがある。スピリチュアルとは、心理学のパラダイムを超えた世界なのだ。 心理学で取り扱うのは、潜在意識と顕在意識との関係だ。目覚めというのは、通常の意識を超えて、超越した世界にいくこと。したがって、全く違うプロセス。だから、心理学にこれができるはずがないのだ。

ユングは、現代心理学のパイオニアだ。1937年にインドに旅をし、インドの文化やヒンズー哲学を学んだ。それにより、シンボリズムや、無意識の世界についての理解を深めることができた。また、当時の優れた思想家にはたくさん会ったようだ。でも、偉大なる聖人であるラマナ・マハリシには会わなかったようだ。ラマナ・マハリシこそ、最高位のサマディであるサハジ・サマディに到達した聖人だ。別の言い方をすると、超意識の最高層に到達した人といえる。

心理学者としてのユングが関心を持ったのは、潜在意識の世界であり、超意識における目覚めではない。ユングも高次の意識にも関心があったものの、主にユングが研究したのは、精神の健康であり、科学的な理解を超えた領域の意識についてではない。トランスパーソナル心理学と認知心理学、 NLP 等をやったところで、超意識の目覚めにあなたを導くことはできない。なぜなら、それらが向かうのは潜在意識であり、超意識とは逆方向に向かっている。でも、心理学を使ってマインドの世界を掃除し、何年にもわたって溜め込んで来た精神的なゴミを潜在意識から取り除くことは、健康的なことだ。

残念ながら、特定の団体が故意に問題を混同させている。サイエントロジー教会 (http://ja.wikipedia.org/wiki/サイエントロジー) がその一つ。各国で宗外国人スピリチュアル大師が見た素顔の日本-Avatar Yake
教法人として登記をしていない教会だ。なぜなら、宗教団体としての基準を満たしていないから登記ができない。そもそものルーツは、怪しげな科学であるダイアネティックから始まっている。 ( http://ja.wikipedia.org/wiki/ダイアネティックス)創始者は、 R. L.ハバード。同氏によれば、「西洋のテクノロジーと東洋の哲学のミックス」という。ダイアネティックは、「スピリチュアルなヒーリングテクノロジー」であり「体系的な科学的考え方」だと主張する。(確かに、心理学をベースにした研究とはいえ、検証されたものではない。)教会とは神学をベースとするもので、哲学やヒーリングをベースにするものではない。一般に、西洋では、サイエントロジーというとマインドコントロールのカルトとして見られている。さらに、団体の反社会的な行動がその印象を上塗りしている。さて、サイエントロジー出身のパルマー氏と彼のパートナー、アヴァラ・ハニー・スミス氏は1984年まで、10年以上をかけてエルミラ・チャーチ・オブ・サイエントロジーを運営していた。ところが、本家の方にお金を払わなくなったことから、商標侵害でサイエントロジー教会に訴えられた。このパルマー氏と彼のパートナーは、サイエントロジー的な手法で事業を展開している。アバター (http://ja.wikipedia.org/wiki/アヴァターラ) という言葉は、神の子孫であることを示唆する用語だ。でも、事実、彼らはサイエントロジーの分派として考えられている。

ダイアネティックもアバターコースも主宰者達が言うように素晴らしい内容なのかもしれない。でも、悪質なカルトの可能性もある。コースに参加して被害にあったという報告もある。(コチラを参照)いずれにしても、一つ確かなことは、彼らはスピリチュアルではない。私は、コースの質のことを決めつけているのではない。その団体はスピリチュアルではない、よってスピリチュアルと標榜することは虚偽の宣伝だ、ただそれだけのことだ。スピリチュアルは、神々とワークするといこと。神々に力を与えられるということ。この団体は、自分に力がつく、ということしか話していない。スピリチュアルとは、聖なる世界に届くということ。あなた自身が聖なる存在になるということ。そして、聖なる存在としてこの世界に姿を現すということ。スピリチュアルと目覚めとは同義語ではない。 目覚めは、スピリチュアルな生活をしていた結果、副次的に得ることができるもの。目覚めを得るために、それを目的としてスピリチュアルな生き方をするのではない。スピリチュアルな生き方をすることで、聖なるエネルギーでこの世に照らす。非暴力と愛、正直で謙虚なスピリチュアル生活をすること。

トランスパーソナル心理学や認知心理学は、心理的に幸せになり、よりよく生きるためのものである。それは、個人にとっても社会にとってもよいことだ。 しかし、トランスパーソナル心理学がやっていることは、スピリチュアルではない。これは、重要な違いだ。心理学は、スピリチュアルの目抜き通りにあなたを連れていってはくれない。いはゆる「目覚めの意識」を経験させてくれることもない。アバターコースは、目覚められるよ、しかも9日間で、と主張している。
もしそれができたら素晴らしい。宣伝に劣らない内容になるだろう。

世間を見渡せば、自己発見、気づき、目覚めを教えると標榜する怪しげな心理学関係団体がたくさんある。良い物もあれば、ろくでもない物もある。彼らがやっているのは、生徒を集めて、団体の資金を増やすこと。それは、間違ったことではない。どの業者だって、自分サービスを売る権利がある。 キリスト教の使節団、「ニューエイジのスピリチュアル・グループ」あるいはNLPのような発達心理学のグループでも同じことだ。でも、サイエントロジーやアバターコースのような団体は、正直に宣伝をしていない。「あなたがすばらしい人生を送れるように、精神を育てる素晴らしいコースがあります」「私たちの団体は、私たちの生き方や考え方が正しいと思っています。だからそれをあなたに売っているのです」そういってもらえれば正直だし、道徳的にも正しい。でも、9日間で目覚めさせる、というのに比べたら、キャッチコピーとしては弱いよね。それに、SF物語的なこの世の終わり説も必要だ。たとえば、彼らが使っている「銀河系意識の歴史」 (これは、サイエントロジーの銀河系連合をアバターコース版に焼き直したもの)人類が光合成を止める"破滅爆弾"をもって自身を破壊する危険がある!そう、どのカルト団体にもこの世の終わりがなければならないらしい。そうでないと、信徒にとって魅力が出ないからね。

読者の中には、すでに、この団体のメンバーから嫌がらせを受けている人がいるかもしれない。そして、先生まで嫌がらせを受けるのではないか、と私の身の危険を案じて下さる方もいるだろう。じゃ、こうなったら、彼らの本性を見てみようじゃないか。もし、メンバーが本当に目覚めているのならば、スピリチュアルな至福の中にいて、こういった批判さえも受け入れるだろう。そして、不当な批判だとは感じないことだろう。もし、彼らが怒りをあらわにして、嫌がらせをしたなら、それはいはゆる目覚めの状態に到達していないことがバレバレになる。

最後に、嫌がらせを受けた人へのメッセージだ。私は、決して嫌がらせの被害者にはならない。なぜなら、送られてきたメール、電話番号、会話を記録し、警察に訴え出るつもりだ。だから、あなたも被害者になってはいけないよ。毅然として欲しい。 勧誘の電話をかけまくるのは、スピリチュアルな行為ではない。それは違法だ。 嫌がらせを受けても何も言わなければ、あなたは被害者になってしまう。被害者にならないように。加害者に毅然として「ノー」ということ。あなたに嫌がらせをしたり、圧力をかけてくる人は、友達とはいえない。彼らは、あなたを迫害しているのだ。

叡智の果実は、真実の中に姿を現す
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