有給休暇に理由は必要? | マジックと奇術と手品と・・ほか少し★

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手品は6歳から始めた。人生の最初の6年間が惜しい。なんてね。

「ペットが死んだら会社休む」に批判も 「仕事への責任感ない」「ゆとりここに極まれり」
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記事には詳しく書いてないけど、有給ではなく忌引などの制度を使ったのであれば、それは本来人間の死亡を対象としたものだから、不適切とは言える。
しかし、普通に有給休暇を使ったのであれば、別に文句を言われる筋合いはない。

嘘をついたのが問題という意見もあるが、有給には本来理由は問われない。
会社側が、有給取得について理由を問いただしたのならば、それは会社が不適切。
聞かれもしないのに、本人が理由を述べてしまったのだとすれば、本人の認識不足ではないかな。

繁忙期で、どうしても有給をずらすことが困難な場合に、話し合うという流れはあるけど。
それでも、個人の価値観はさまざま。
そんな理由は会社を休む理由にならない!と他人が断罪するのはおかしいと思う。


あと、休むのはいいけど、休んだ間にフォローしてくれた同僚や上司への感謝を忘れてはいけない、という意見もある。
私としては、これもどちらかといえば要らないように思う。
もちろん、人間同士の潤滑油のようなもので、挨拶程度にお互いに感謝しあうという関係は望ましいものだけど。
休暇を取った相手に対して、周囲は一方的にフォローしてやったのだから、相手は感謝を示すべきだし、場合によってはおみやげなどの物品も差し出してしかるべき、などと言い出すと、むしろ弊害になる。

有給休暇はそれぞれの立場に応じて公平な権利として与えられているもの。
みんながその権利を消化するようになれば、休んだときのフォローなんてものは、お互い様ということのはずだ。
感謝が必要とか、あいつばっかり休みやがってみたいな感情が芽生えるのは、このバランスが崩れている結果生まれているだけのものだ。

相互感謝は悪いものではないが、あまりそれによって縛るような環境というのは、有給取得率を下げてしまう要因となりうる。
ワークライフバランスの崩壊にもつながる。


そもそも日本人的感覚では、休日を「返上」する、と表現するように、休みは上から与えられるものという意識が強い。
つまり、労使関係が成立した時点で、労働者の身柄や時間はすべて仮に会社の管理下に入る。
その中から適宜、必要に応じて上からの意思で、休日や休息時間を与えてもらうと。
この感覚ならば、休暇の間であっても、その人は暗黙的には会社に拘束されており、労働義務を恩赦されているだけの状態ということになる。
この感覚ならば、休みを頂いたことに感謝しろと言いそうになるのも無理はない。

しかしどうなんだろう。
労働契約というものは本来、別に全人生を売り渡すものではなく、業務を遂行するための限られた時間だけを切り分けて、会社に販売するものであるはず。
つまり、休暇というのは元々本人が持っている時間の中から、会社に販売した時間以外の残りの時間。
本人が元々保留している、会社に属する要素の無い時間なのだ。

ためしに休暇中の人間は、全く会社とは無関係な第三者と同じだと見なしてみればどうだろう。

例えば道路工事をしている職人が、道行く無関係な通行人に対して、こんなことを考えるとか。
「俺はこいつらのやらない仕事を引き受けてやっているのだ、こいつらは俺に感謝すべきだ」
こんなことを思う人は居るかもしれないが、少なくとも客観的な正当性はないだろう。

業務中はもちろん、お互いに精一杯業務に集中する。
しかし休暇を取っている最中の同僚については、上の例の通行人のように、業務に関しては無関係な存在と見なす。
このぐらいのドライな意識のほうがよいのではないか。