週末。
クリスマスまで、あと2週間ほど。彼女の手配で、彼女が住んでいる街への電車のチケットを入手。僕も以前その街に住んでいたので、クリスマスはその街に住む共通の知人の家で開かれるクリスマスパーティーに参加する。イブとクリスマスと別々の家で計二つ。それまではお互いしなければならないこともあるので、クリスマスまでお互いにがんばろうと言っていた。
のだけれど・・・。
それまで待てないと彼女が言い出して、今週末に往復1万円ほどのチケットを購入して会いにきてくれた。もちろんとても嬉しいのだけれど、なんとなく、どうせあと2週間で会えたのに、とちょっと驚きと困惑の混じった疑問も浮かんだ。それだけ好きでいてもらえてるのかな。
ということで、週末はデートをして過ごした。彼女がこっちへ来た木曜の夜に、イタリア料理のお店へ行った。僕はエビとローストトマトのスパゲティーを頼み、彼女はマッシュルームを使ったパスタの一種を頼んだ。あまりパスタに詳しくないので、それがなんて名前の料理かよく覚えていない。前菜にオリーブオイルと高級な酢につけて食べるフランスパンを頼み、マッシュルームのサラダも頼んだ。飲み物は僕がロゼのワインで、彼女がアップルジュースだった。
別段高級な店ではなく、どちらかというと安価なチェーン店のようなお店だったので、特別美味しいというわけではなかったけれど、それほど悪くもなかった。
それから映画を見に行った。夜も上映している映画館に行って、アンジェリーナ・ジョリー主演の最新作「チェンジリング」を観た。以前別の映画を観たときに、上映前の宣伝で「チェンジリング」の予告が流れたときには、正直全く興味が沸かなかった。アンジェリーナ・ジョリーが出る映画といえばセクシーで過激なアクションという先入観があって、「チェンジリング」の予告に出ていたアンジェリーナ・ジョリーが老けて地味に見えたこともあって、彼女からセクシーさが消えたら何が残るのだろう?というちょっと失礼で否定的な印象で除外した映画だった。
けれども彼女の方はどうやら興味があるらしく、彼女の友達も推薦しているということもあって、結局その映画を観ることにした。僕はあまり物事に対して執着的な意志というものがなく、余程好みに問題がない限りはわりとこうしたことはどうでもいいので、彼女の選択に従うことにした。正直物事を選択するという行為がけっこう苦手なのだ。
結果から言えばチェンジリングは思ったよりずっとずっとずっと良い映画だった。どういう風に良かったかと訊かれると、僕の乏しい感性では説明に困るのだけれど、まず全然退屈しなかったことは確か。退屈しなかった、という表現だとあんまり良い響きはしないかな。でも映画の構成がよく出来ていて、常に「この先はどうなるんだろ?」とか、「真実はどうなんだろう?」とかいう好奇心を抱きながら観ることが出来て、ミステリアスなストーリーをミステリーとしてよく楽しめたと思う。
簡単に映画のセッティングだけを説明すると、この映画は昔(たぶん4、50年前)アメリカで実際に起きた事件を基にしていて(再現しているのかな?)、その事件というのは、アンジェリーナ演じるChristine Collinsの9歳の息子が失踪することから始まる。二人は母子家庭で、Christineの息子に対する愛情が全編を通してよく見て取れると思う。その息子がLAPD (ロサンジェルス警察) によって5ヶ月後に発見され、Christineの元に戻ってくるのだけれど、感動の再会のシーンでChristineは息を飲み、そして呟く。この子は Walter (Christine の子ども) じゃない、と。
自分はChristine の子どもの Walter だと主張する幼い子どもと、それを認めない Christine、そして Christine の訴えに耳を貸さないロス警察。三者の主張と意志が衝突して、問題は大きく発展していく。一体真実はどこにあって、ChristineとWalterの運命はどうなるのだろう。
そんな感じの映画です。実際にあった話なので、google で検索すれば、少なくとも英語ではこの件に関した記事と、映画の結末を知ることが出来る情報を得られると思うけど、それはちょっともったいないと思うかな。とりあえず何も知らずに映画館に行って、ミステリアスなストーリーを楽しんでみてほしいかも。
そんな感じで映画を観たあとは、深夜の散歩を楽しみつつ、途中でタクシーを拾って帰宅。
夜はもちろん僕のシングルベッドに二人で寝たけど、セックスはなし。結婚まではね・・・。
翌日金曜日の朝は、というか目覚めたらもう昼だったんだけど、冷蔵庫に何も入っていなかったので、喫茶店に行って軽い昼食を摂った。そこで共通の知人に偶然会い、ちょっと会話をした。彼は先週家族でイタリアに行ってきたらしい。翌日に行われるクリスマスパーティーのことを話したところ、彼とその家族もまた参加するということで少し驚いた。
それから僕の部屋に戻り、夜までお互いそれぞれの作業をして過ごした。夜に僕と彼女、そして僕と一緒に暮らしている友人の三人で食料を買いにでかけた。
帰ってきてから友人がピザを焼き、僕はいろいろと野菜の入ったオムレツを作って三人で食べた。いつもは彼女が料理をすると言い出すのだけれど、今回はなにも言わなかったので、僕も何も言わずに料理を担当した。
三人で食事を終えると、突然家が停電になった。ブレーカなどはONのままだったので、家の電気系統に何か以上が起きたのだろうということで、家主さんに電話した。夜中にもかかわらず来てくれた家主さんも異常を見つけられず、電力会社の人に電話をしてくれた。電力会社の人もすぐ来てくれるとのことで待っていたのだけれど、結局誰も来ずに深夜を迎えた。もしかしたら外で作業をしてくれていたのか、あるいは実は周囲一体が停電だったのかはわからないけれど、しばらくすると電気が戻った。
僕と友人はやれやれという感じだったけれど、彼女だけは停電に興奮していて、ロウソクを買いに行こうとはしゃいでいた・・・。
翌朝土曜日もなかなか起きることができなかった。彼女は基本早寝早起きで、その朝も僕を早くに起こそうとしていたのだけれど、僕がしっかりと目を覚ました時には隣で一緒に寝ていた。
今日は午後からチャペルで行われるクリスマスパーティーに参加することにしていたので、すぐに準備をしなければならなかったのだけれど、さすがに朝昼となにも食べていないのはまずいと思ったので、彼女に手伝ってもらってカルボナーラを作って食べた。あまりカルボナーラは好きな方ではないのだけれど、まあまあ悪くないのが出来た。
二人でバスに乗ってけっこう遠くまで移動した。始めて行く場所だったので、同じ街の中とはいえちょっと戸惑った。バスの運転手さんが親切に降りる停留所を教えてくれので、なんとか迷わずにチャペルまでたどり着けた。僕も彼女もそのチャペルに行くの初めてだったので、知人に会うまでなんとなく落ち着かなかった。キリスト教徒というと勝手に良い人の像を浮かべてしまっているのだけれど、最初にチャペルで会った人の印象がちょっと冷たくて暗い気持ちになっていたのだけれど、主催者に会って挨拶をしたところ、とても優しく親切な人で少し居心地が良くなった。
クリスマス礼拝を追え、食事会に参加した。バイキング方式で、いろいろな人と話をすることができるような機会だったのだけれど、席の数が少なく、最初の方に僕等は食事を終えてしまっていたので、すぐに帰ってきてしまった。
この日は雨で、傘を差している僕の右腕に彼女が腕を組んでバス停まで歩いた。普段は手を繋いでいるので、ときどき雨の日に腕を組むと新鮮で少しあったかい気持ちになる。
日曜の朝に教会に行った。この街で教会に行くのは初めてだった。正直どの教会に行けばいいのかもよくわからなかった。彼女にとっては教会選びも大切らしく、うっかり彼女の思想に反する教会に通っては、僕にとっては意味のないものとなってしまう。もともと僕は宗教的な思想は持っていないわけだし。
そこで彼女の知人に人を紹介してもらい、その人と同じ教会に行くことにした。
途中道を間違え、寒い日曜の朝の散歩をした。僕は凍えそうだったけれど、彼女はそれを楽しんでいたみたいだった。
教会では僕が思うよりフランクな賛美歌が続いた。バンドマンのような人達が前に居て、中でもフォークギターを弾きながら皆をリードして歌っているボーカルの人が、まるで売れないストリートシンガーのようだった。実際どうなのかはわからないけれど、時折彼の表情が自分のポジションに寄っているようにも見えて、なんとなく教会らしからぬ感じに不快感が沸いたりもした。少しおかしな話だけれど。でも彼の歌声は確かによかった、ような気がする。
牧師さんの説教の中、僕は睡眠欲と寒さで話に集中することができなかった。途中牧師さんの紹介した人が、彼女の知人が僕に紹介してくれた人(メールでしか連絡を取り合っていなかった)だと気づき、それからはその人どうやって挨拶しようかという考えで説教が頭に入って来なかった。
日曜礼拝が終わると、僕はその人に挨拶をしに行った。仮にBさんとしよう。Bさんはとても友好的で親切な人だった。いろいろと話題を振ってくれて、それなりにはずんだ会話が出来た。昼食にも誘ってもらったのだけれど、彼女と外食する計画を立てていたので断らせてもらった。
教会を出て彼女と中華料理のバイキングに行った。前々から行こうと僕が誘っていたのに対し、僕の少食さでは元をとれないと彼女が反対していたお店だった。彼女はコーラ、僕はビールを飲みながら一通りの料理を楽しんだ。なかなか悪くない味の店で、なかでもとくに餃子が美味しかったので、彼女とたくさん食べた。
教会でもバイキングでもひどく足が冷え、冷え性の僕は早く彼女を駅まで送って帰ってしまいたかったのだけれど、彼女はいろいろと理由をつけて帰りたくなさそうだった。いろいろと店を回ってからようやく駅に辿り着き、彼女はそこで僕にあんまり寂しがっちゃダメだと言った。また10日後に会えるわけだし、僕としては寒さが辛くてそれどころではなかったので、どうせすぐ会えるよと言うと、10日は長いと彼女が言った。
あまりに僕が寒がるので、彼女は改札を越えてプラットフォームのキオスクで熱いお茶の入ったカップを買ってきてくれた。ただ混んでいたらしく、乗車時間ギリギリに持ってきてくれたので、ろくな挨拶も出来ずに彼女に電車に乗るように促した。それからバスで帰ろうとしたのだけれど、ホットドリンクのカップを持ってバスには乗れないらしく、またお茶が熱すぎたこともあって、ほとんど口を付けずにそれを捨ててしまった。
バスの中で、それは彼女の好意を踏みにじることになってしまったのかなとぼんやり考えたけれど、彼女は僕の冷え性を心配してくれたわけで、お茶のためにバスを乗り過ごして、また1時間寒空の下に立つことになっては本末転倒かなとも思って自分を納得させた。
この週末彼女は、僕がどこに行っても着いていけるように、すぐに結婚したいと言っていた。
それはちょっといい考えのように思えた。
のだけれど・・・。
それまで待てないと彼女が言い出して、今週末に往復1万円ほどのチケットを購入して会いにきてくれた。もちろんとても嬉しいのだけれど、なんとなく、どうせあと2週間で会えたのに、とちょっと驚きと困惑の混じった疑問も浮かんだ。それだけ好きでいてもらえてるのかな。
ということで、週末はデートをして過ごした。彼女がこっちへ来た木曜の夜に、イタリア料理のお店へ行った。僕はエビとローストトマトのスパゲティーを頼み、彼女はマッシュルームを使ったパスタの一種を頼んだ。あまりパスタに詳しくないので、それがなんて名前の料理かよく覚えていない。前菜にオリーブオイルと高級な酢につけて食べるフランスパンを頼み、マッシュルームのサラダも頼んだ。飲み物は僕がロゼのワインで、彼女がアップルジュースだった。
別段高級な店ではなく、どちらかというと安価なチェーン店のようなお店だったので、特別美味しいというわけではなかったけれど、それほど悪くもなかった。
それから映画を見に行った。夜も上映している映画館に行って、アンジェリーナ・ジョリー主演の最新作「チェンジリング」を観た。以前別の映画を観たときに、上映前の宣伝で「チェンジリング」の予告が流れたときには、正直全く興味が沸かなかった。アンジェリーナ・ジョリーが出る映画といえばセクシーで過激なアクションという先入観があって、「チェンジリング」の予告に出ていたアンジェリーナ・ジョリーが老けて地味に見えたこともあって、彼女からセクシーさが消えたら何が残るのだろう?というちょっと失礼で否定的な印象で除外した映画だった。
けれども彼女の方はどうやら興味があるらしく、彼女の友達も推薦しているということもあって、結局その映画を観ることにした。僕はあまり物事に対して執着的な意志というものがなく、余程好みに問題がない限りはわりとこうしたことはどうでもいいので、彼女の選択に従うことにした。正直物事を選択するという行為がけっこう苦手なのだ。
結果から言えばチェンジリングは思ったよりずっとずっとずっと良い映画だった。どういう風に良かったかと訊かれると、僕の乏しい感性では説明に困るのだけれど、まず全然退屈しなかったことは確か。退屈しなかった、という表現だとあんまり良い響きはしないかな。でも映画の構成がよく出来ていて、常に「この先はどうなるんだろ?」とか、「真実はどうなんだろう?」とかいう好奇心を抱きながら観ることが出来て、ミステリアスなストーリーをミステリーとしてよく楽しめたと思う。
簡単に映画のセッティングだけを説明すると、この映画は昔(たぶん4、50年前)アメリカで実際に起きた事件を基にしていて(再現しているのかな?)、その事件というのは、アンジェリーナ演じるChristine Collinsの9歳の息子が失踪することから始まる。二人は母子家庭で、Christineの息子に対する愛情が全編を通してよく見て取れると思う。その息子がLAPD (ロサンジェルス警察) によって5ヶ月後に発見され、Christineの元に戻ってくるのだけれど、感動の再会のシーンでChristineは息を飲み、そして呟く。この子は Walter (Christine の子ども) じゃない、と。
自分はChristine の子どもの Walter だと主張する幼い子どもと、それを認めない Christine、そして Christine の訴えに耳を貸さないロス警察。三者の主張と意志が衝突して、問題は大きく発展していく。一体真実はどこにあって、ChristineとWalterの運命はどうなるのだろう。
そんな感じの映画です。実際にあった話なので、google で検索すれば、少なくとも英語ではこの件に関した記事と、映画の結末を知ることが出来る情報を得られると思うけど、それはちょっともったいないと思うかな。とりあえず何も知らずに映画館に行って、ミステリアスなストーリーを楽しんでみてほしいかも。
そんな感じで映画を観たあとは、深夜の散歩を楽しみつつ、途中でタクシーを拾って帰宅。
夜はもちろん僕のシングルベッドに二人で寝たけど、セックスはなし。結婚まではね・・・。
翌日金曜日の朝は、というか目覚めたらもう昼だったんだけど、冷蔵庫に何も入っていなかったので、喫茶店に行って軽い昼食を摂った。そこで共通の知人に偶然会い、ちょっと会話をした。彼は先週家族でイタリアに行ってきたらしい。翌日に行われるクリスマスパーティーのことを話したところ、彼とその家族もまた参加するということで少し驚いた。
それから僕の部屋に戻り、夜までお互いそれぞれの作業をして過ごした。夜に僕と彼女、そして僕と一緒に暮らしている友人の三人で食料を買いにでかけた。
帰ってきてから友人がピザを焼き、僕はいろいろと野菜の入ったオムレツを作って三人で食べた。いつもは彼女が料理をすると言い出すのだけれど、今回はなにも言わなかったので、僕も何も言わずに料理を担当した。
三人で食事を終えると、突然家が停電になった。ブレーカなどはONのままだったので、家の電気系統に何か以上が起きたのだろうということで、家主さんに電話した。夜中にもかかわらず来てくれた家主さんも異常を見つけられず、電力会社の人に電話をしてくれた。電力会社の人もすぐ来てくれるとのことで待っていたのだけれど、結局誰も来ずに深夜を迎えた。もしかしたら外で作業をしてくれていたのか、あるいは実は周囲一体が停電だったのかはわからないけれど、しばらくすると電気が戻った。
僕と友人はやれやれという感じだったけれど、彼女だけは停電に興奮していて、ロウソクを買いに行こうとはしゃいでいた・・・。
翌朝土曜日もなかなか起きることができなかった。彼女は基本早寝早起きで、その朝も僕を早くに起こそうとしていたのだけれど、僕がしっかりと目を覚ました時には隣で一緒に寝ていた。
今日は午後からチャペルで行われるクリスマスパーティーに参加することにしていたので、すぐに準備をしなければならなかったのだけれど、さすがに朝昼となにも食べていないのはまずいと思ったので、彼女に手伝ってもらってカルボナーラを作って食べた。あまりカルボナーラは好きな方ではないのだけれど、まあまあ悪くないのが出来た。
二人でバスに乗ってけっこう遠くまで移動した。始めて行く場所だったので、同じ街の中とはいえちょっと戸惑った。バスの運転手さんが親切に降りる停留所を教えてくれので、なんとか迷わずにチャペルまでたどり着けた。僕も彼女もそのチャペルに行くの初めてだったので、知人に会うまでなんとなく落ち着かなかった。キリスト教徒というと勝手に良い人の像を浮かべてしまっているのだけれど、最初にチャペルで会った人の印象がちょっと冷たくて暗い気持ちになっていたのだけれど、主催者に会って挨拶をしたところ、とても優しく親切な人で少し居心地が良くなった。
クリスマス礼拝を追え、食事会に参加した。バイキング方式で、いろいろな人と話をすることができるような機会だったのだけれど、席の数が少なく、最初の方に僕等は食事を終えてしまっていたので、すぐに帰ってきてしまった。
この日は雨で、傘を差している僕の右腕に彼女が腕を組んでバス停まで歩いた。普段は手を繋いでいるので、ときどき雨の日に腕を組むと新鮮で少しあったかい気持ちになる。
日曜の朝に教会に行った。この街で教会に行くのは初めてだった。正直どの教会に行けばいいのかもよくわからなかった。彼女にとっては教会選びも大切らしく、うっかり彼女の思想に反する教会に通っては、僕にとっては意味のないものとなってしまう。もともと僕は宗教的な思想は持っていないわけだし。
そこで彼女の知人に人を紹介してもらい、その人と同じ教会に行くことにした。
途中道を間違え、寒い日曜の朝の散歩をした。僕は凍えそうだったけれど、彼女はそれを楽しんでいたみたいだった。
教会では僕が思うよりフランクな賛美歌が続いた。バンドマンのような人達が前に居て、中でもフォークギターを弾きながら皆をリードして歌っているボーカルの人が、まるで売れないストリートシンガーのようだった。実際どうなのかはわからないけれど、時折彼の表情が自分のポジションに寄っているようにも見えて、なんとなく教会らしからぬ感じに不快感が沸いたりもした。少しおかしな話だけれど。でも彼の歌声は確かによかった、ような気がする。
牧師さんの説教の中、僕は睡眠欲と寒さで話に集中することができなかった。途中牧師さんの紹介した人が、彼女の知人が僕に紹介してくれた人(メールでしか連絡を取り合っていなかった)だと気づき、それからはその人どうやって挨拶しようかという考えで説教が頭に入って来なかった。
日曜礼拝が終わると、僕はその人に挨拶をしに行った。仮にBさんとしよう。Bさんはとても友好的で親切な人だった。いろいろと話題を振ってくれて、それなりにはずんだ会話が出来た。昼食にも誘ってもらったのだけれど、彼女と外食する計画を立てていたので断らせてもらった。
教会を出て彼女と中華料理のバイキングに行った。前々から行こうと僕が誘っていたのに対し、僕の少食さでは元をとれないと彼女が反対していたお店だった。彼女はコーラ、僕はビールを飲みながら一通りの料理を楽しんだ。なかなか悪くない味の店で、なかでもとくに餃子が美味しかったので、彼女とたくさん食べた。
教会でもバイキングでもひどく足が冷え、冷え性の僕は早く彼女を駅まで送って帰ってしまいたかったのだけれど、彼女はいろいろと理由をつけて帰りたくなさそうだった。いろいろと店を回ってからようやく駅に辿り着き、彼女はそこで僕にあんまり寂しがっちゃダメだと言った。また10日後に会えるわけだし、僕としては寒さが辛くてそれどころではなかったので、どうせすぐ会えるよと言うと、10日は長いと彼女が言った。
あまりに僕が寒がるので、彼女は改札を越えてプラットフォームのキオスクで熱いお茶の入ったカップを買ってきてくれた。ただ混んでいたらしく、乗車時間ギリギリに持ってきてくれたので、ろくな挨拶も出来ずに彼女に電車に乗るように促した。それからバスで帰ろうとしたのだけれど、ホットドリンクのカップを持ってバスには乗れないらしく、またお茶が熱すぎたこともあって、ほとんど口を付けずにそれを捨ててしまった。
バスの中で、それは彼女の好意を踏みにじることになってしまったのかなとぼんやり考えたけれど、彼女は僕の冷え性を心配してくれたわけで、お茶のためにバスを乗り過ごして、また1時間寒空の下に立つことになっては本末転倒かなとも思って自分を納得させた。
この週末彼女は、僕がどこに行っても着いていけるように、すぐに結婚したいと言っていた。
それはちょっといい考えのように思えた。
矛盾。
彼女がまた同じ男友達と食事をするらしい。この前の記事と矛盾するけれど、なんとなくモヤモヤする。たぶんその男友達が何人かセフレを持ってるって聞いたことや、あまり感覚を開けずにまた彼女を食事に誘ってくるようなところだと思う。
彼女にキスされたら別れるからって言ってみたら、自分からじゃなくても?って訊かれた。もちろん僕が意味したのは、二人でいい雰囲気になって、お互いのクチビルが近づいていったりしたときに、それを拒めなかったら別れるという意味だったんだけど、たぶん彼女は相手に不意にキスをされた場合のことを訊いたのだと思う。
ということは、不意にキスされるかもしれないんでしょうかねぇ。それを感じていながら行くんでしょうか。こういうことで愛情って冷めるのかなーって思った。
まあ、僕も彼女以外の女生と食事にいくこともあるので、あまり彼女のことを批判できる立場にはないんだけどね。
彼女にキスされたら別れるからって言ってみたら、自分からじゃなくても?って訊かれた。もちろん僕が意味したのは、二人でいい雰囲気になって、お互いのクチビルが近づいていったりしたときに、それを拒めなかったら別れるという意味だったんだけど、たぶん彼女は相手に不意にキスをされた場合のことを訊いたのだと思う。
ということは、不意にキスされるかもしれないんでしょうかねぇ。それを感じていながら行くんでしょうか。こういうことで愛情って冷めるのかなーって思った。
まあ、僕も彼女以外の女生と食事にいくこともあるので、あまり彼女のことを批判できる立場にはないんだけどね。
電話
彼女は毎日電話をかけてくる。電話といっても、最近はskypeに変わってきたけど。
遠距離でなにかとネガティブなことを言っていたので、最初はブログ(別の)を毎日更新してその日にあったことを報告していた。ブログといってもSNS系のやつで、「友達」にしか公開しておらず、「友達」は彼女だけだったから、プライベートスペースのようなものだったのだけれど。
それでも彼女にとってはやっぱり電話で直接話すということが大事らしく、毎日のようにかけてくる。さすがに毎日話していると話題などなく、ほとんど彼女が言うことに対して相槌を打つような会話になってくるし、お互いに沈黙して別のことをしていることもある。
『話を聞かない男、地図が読めない女』という本を昔読んだことがあって、その中で男は同時に二つのことができないということが書かれていた。割と既知の事実なのか、その本に限らずこうした記述はその後たびたび目にしたことがあるけれど、確かに電話をしていると目隠しをされているような感覚になる。もちろんそうでない男性も少なからずいるのかもしれないけれど。
そして電話で会話というのがひどく疲れる。加えて会話に中身があまりないとイライラさえしてしまう。友達の女性に訊いてみると、その女性の場合は彼氏の方から頻繁に電話(skypeの場合が多いらしい、タダだしね)が来て、何時間も話しているらしい。だから一概に男性は、女性は、なんてことは言えないのだろうけど、僕は電話で話すのが苦手だ。高校のときに初めて女の子と付き合ったときには、それこそいつも話していないと不安で、何度も電話をかけ、何時間もケイタイを耳にあてているという、向こうにとってはしごく迷惑な行為をしていたけれど、今となってはそんなことをする体力と図太さがなくなってしまった。もちろん彼女の彼女自身の生活を考慮してもよくないことだけれど、僕自身がそんなに長時間電話で話していたくない。彼女にとっては僕が初めて付き合った相手らしく、僕の初恋の例を考えれば彼女が毎日電話してきて、なかなか電話を切ろうとしないのも理解はできるので、なるべく話を聞くようにはしている。そうしないとすぐ別れを匂わせるような深刻なムードに陥ってしまうし。
それにしても電話での会話というのはどうしてあんなに疲れるのだろう。もちろん僕だってなにかおもしろいことがあれば彼女に伝えたくて電話することもあるし、それで盛り上がって長話をすることもある。久しぶりに家族や、長い間直接声を聞いていなかった友達と電話で会話をすると長引くこともあるけれど、さすがに毎日電話をしている彼女との電話での会話は、20分を越えると頭痛にも似た疲労感が脳を覆ってくる。電話の音声が気に入らないのかもしれないし、彼女の勢いのある話し方が耳に少し堪えるのかもしれない。直接会っているときにはよく話もするし、会話でそれほど疲れるということもないのだけれど。実際に一緒にいるときは、彼女は声も話し方も含めてすごく可愛いと思えるし、話を聞きたいとも思える。だけどやっぱり電話ではそう思えない。
僕はあまり想像力のたくましくない人間だと変に自負しているのだけれど、そんな僕の脳には別の空間にいる彼女のことを電話を通して想像するのが容量オーバーの仕事なのかもしれない。僕の属している生活にはいない別の場所の彼女の生活を、またその生活の中で生まれるある種架空とも言えそうな彼女のストーリーを僕の脳内で構築して再生していくことにものすごい労力がいるのかもしれない。
と、彼女の電話に対するちょっとした批難と、その批難に対する自己正当化を述べてみても、結局は彼女から何の連絡がないよりはずっといいと思っているのも確かであって、こまめに連絡をくれて、また僕のことを考えてくれていることに関しては、むしろ喜ぶべきことであって、確かに喜びというか安心のようなものを抱けることができている。
なんとなく最近考えるのは、電話とかビデオチャットとかそんな便利なものより、メッセンジャーのステータス見たいな感じで、自分が今どこで何をしているとか、どういう状態なのかとか、そういうのを常に簡単に一言で相手に教えておくことができる機能が、iPodとかケイタイにつかないかなーっていうこと。GPS機能で、前もって大まかにエリアを指定しといて、仕事場の近くにいれば「仕事」、移動していれば「移動中」、家にいれば「在宅」、買い物していれば「外出」とかそんな感じの表示が出て、あとはボタン操作ひとつでそこに状態を追加できるようなやつ。「在宅」「睡眠」とかね。それくらいでずっと相手のことを身近に感じられそうだし、電話で長時間話さなくても、なんとなく一つ屋根の下にいるくらい相手の行動を把握できそう。
まあ、そこまですると、束縛とか監視みたいで嫌だって人もいるかもしれないけど。
遠距離でなにかとネガティブなことを言っていたので、最初はブログ(別の)を毎日更新してその日にあったことを報告していた。ブログといってもSNS系のやつで、「友達」にしか公開しておらず、「友達」は彼女だけだったから、プライベートスペースのようなものだったのだけれど。
それでも彼女にとってはやっぱり電話で直接話すということが大事らしく、毎日のようにかけてくる。さすがに毎日話していると話題などなく、ほとんど彼女が言うことに対して相槌を打つような会話になってくるし、お互いに沈黙して別のことをしていることもある。
『話を聞かない男、地図が読めない女』という本を昔読んだことがあって、その中で男は同時に二つのことができないということが書かれていた。割と既知の事実なのか、その本に限らずこうした記述はその後たびたび目にしたことがあるけれど、確かに電話をしていると目隠しをされているような感覚になる。もちろんそうでない男性も少なからずいるのかもしれないけれど。
そして電話で会話というのがひどく疲れる。加えて会話に中身があまりないとイライラさえしてしまう。友達の女性に訊いてみると、その女性の場合は彼氏の方から頻繁に電話(skypeの場合が多いらしい、タダだしね)が来て、何時間も話しているらしい。だから一概に男性は、女性は、なんてことは言えないのだろうけど、僕は電話で話すのが苦手だ。高校のときに初めて女の子と付き合ったときには、それこそいつも話していないと不安で、何度も電話をかけ、何時間もケイタイを耳にあてているという、向こうにとってはしごく迷惑な行為をしていたけれど、今となってはそんなことをする体力と図太さがなくなってしまった。もちろん彼女の彼女自身の生活を考慮してもよくないことだけれど、僕自身がそんなに長時間電話で話していたくない。彼女にとっては僕が初めて付き合った相手らしく、僕の初恋の例を考えれば彼女が毎日電話してきて、なかなか電話を切ろうとしないのも理解はできるので、なるべく話を聞くようにはしている。そうしないとすぐ別れを匂わせるような深刻なムードに陥ってしまうし。
それにしても電話での会話というのはどうしてあんなに疲れるのだろう。もちろん僕だってなにかおもしろいことがあれば彼女に伝えたくて電話することもあるし、それで盛り上がって長話をすることもある。久しぶりに家族や、長い間直接声を聞いていなかった友達と電話で会話をすると長引くこともあるけれど、さすがに毎日電話をしている彼女との電話での会話は、20分を越えると頭痛にも似た疲労感が脳を覆ってくる。電話の音声が気に入らないのかもしれないし、彼女の勢いのある話し方が耳に少し堪えるのかもしれない。直接会っているときにはよく話もするし、会話でそれほど疲れるということもないのだけれど。実際に一緒にいるときは、彼女は声も話し方も含めてすごく可愛いと思えるし、話を聞きたいとも思える。だけどやっぱり電話ではそう思えない。
僕はあまり想像力のたくましくない人間だと変に自負しているのだけれど、そんな僕の脳には別の空間にいる彼女のことを電話を通して想像するのが容量オーバーの仕事なのかもしれない。僕の属している生活にはいない別の場所の彼女の生活を、またその生活の中で生まれるある種架空とも言えそうな彼女のストーリーを僕の脳内で構築して再生していくことにものすごい労力がいるのかもしれない。
と、彼女の電話に対するちょっとした批難と、その批難に対する自己正当化を述べてみても、結局は彼女から何の連絡がないよりはずっといいと思っているのも確かであって、こまめに連絡をくれて、また僕のことを考えてくれていることに関しては、むしろ喜ぶべきことであって、確かに喜びというか安心のようなものを抱けることができている。
なんとなく最近考えるのは、電話とかビデオチャットとかそんな便利なものより、メッセンジャーのステータス見たいな感じで、自分が今どこで何をしているとか、どういう状態なのかとか、そういうのを常に簡単に一言で相手に教えておくことができる機能が、iPodとかケイタイにつかないかなーっていうこと。GPS機能で、前もって大まかにエリアを指定しといて、仕事場の近くにいれば「仕事」、移動していれば「移動中」、家にいれば「在宅」、買い物していれば「外出」とかそんな感じの表示が出て、あとはボタン操作ひとつでそこに状態を追加できるようなやつ。「在宅」「睡眠」とかね。それくらいでずっと相手のことを身近に感じられそうだし、電話で長時間話さなくても、なんとなく一つ屋根の下にいるくらい相手の行動を把握できそう。
まあ、そこまですると、束縛とか監視みたいで嫌だって人もいるかもしれないけど。
