御朱印巡り 第114印・115印 『柴又帝釈天・毘沙門天』 (その1) | 隊長のブログ

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中国上海に2003年12月から2008年1月まで、商社マンとして駐在していました。趣味はヒップホップダンス、旅行、映画、スポーツ観戦です。野球は阪神タイガースのファンです。

寺社を参拝し御朱印を授与して頂く、「御朱印巡り」の第114印・115印は、『柴又帝釈天毘沙門天』を、お送りします。

 

 

 


3月8日(水)に、東京都葛飾区柴又にある『柴又帝釈天』と、『毘沙門天』の御朱印を、拝受しました。


『柴又帝釈天』の最寄り駅は、「京成金町線柴又駅」です。同線は、京成高砂駅と京成金町駅を結んでいますが、駅数は起終点を含めてわずか3駅で、路線距離 2.5kmの路線です。


京成高砂駅から乗車し、唯一の中間駅である柴又駅で下車したのが、10時55分頃。

 

 


2番線の改札口が閉鎖中のため、線路を渡り、1番線の改札口へ。

 

 


同線のホームから、京成高砂駅方向を眺めると、映画『男はつらいよ』で、「フーテンの寅」こと車寅次郎を演じた、渥美清さんが、ひっよこり顔を出しそうな気さえします。

 

 


2021年6月に改修工事が完了した駅前広場の中心には、「寅さん像」が立っています。

 

 


半身で振り向く寅さんの視線の先には、

 

 


見送る妹の「さくら」の姿が。

 

 


駅前から帝釈天までの約200メートル続く、参道を歩きます。

 

 


葛飾区観光協会が運営する「柴又観光案内所」では、観光マップや観光施設のパンフレットを頂けます。

 

 


参道を横切る「柴又街道」の横断歩道を渡ります。

 

 


映画では、寅さんの実家として登場する、“草だんご” が名物の「門前とらや」。

 

 


この日は快晴で、最高気温が22℃と4月中~下頃の陽気です。参道を散策していると、上着を脱ぎたくなりました。

 

 


参道の先に、明治29年(1896)に建立された「二天門」が見えてきました。

 


当山の正式名は、経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)。宗派は、日蓮宗。


寛永6年(1629)に、禅那院日忠(ぜんないん にっちゅう)と、その弟子の題経院日栄(だいきょういん にちえい)により開基されました。


二天門の前に着いたのが、11時15分頃。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)です。

 

 


門の左側には、「大鐘楼」。

 

 


門の前だけでなく、境内の至るところに、貴重な木造建築物を守るための、年代物の巨大な防火水槽が設置されています。

 

 


門を潜り、参道を振り返ります。

 

 


昭和30年(1955)に完成した大鐘楼堂。映画では、佐藤蛾次郎さん演じる寺男の「源公」が鐘を突いていましたが、実際に最近まで、朝6時、昼12時、夜12時の三回、お寺の方が突いていました。

 

 


まるで、佐藤蛾次郎さんが亡くなられたからかの様に、今では、機械で人工的に定時に突いています。ご近所の方によると、機械式になって鐘の音が変わったそうです。


境内左手にある「瑞龍の松」と、「御神水」。

 

 


開基者の日栄上人が、「瑞龍の松」と呼ばれる松の根元からわきだしている水を発見したのが、「御神水」の謂れです。徐病延寿の霊泉として、江戸の昔より人々に親しまれてきました。

 

 


境内の正面に鎮座する「帝釈堂」。内殿は大正4年(1915)、拝殿は昭和4年(1929)の完成です。内殿には、帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)が安置されています。

 

 


御朱印を頂くことができるのは、拝殿の中、左手です。


持参した御朱印帳の右側に「帝釈天」、左に「毘沙門天」の御朱印を、見開きで墨書きして頂けました。納経料は、各300円。


「帝釈天」の墨書きは、右側に「参拝させていただきました」を意味する「奉拝」と、その下に「柴又」の文字。中央に、「帝釈天王」。左側に、参拝日と「題経寺」。

 


押印は、中央に「帝釈天王 東京 柴又 題経寺」の朱印。左下に、「題経寺」の寺印。右上の印は、残念ながら分かりません。

 


「毘沙門天」の方は、右側に「柴又七福神」、左側に参拝日と、「題経寺」の墨書き。押印は、右上に「毘沙門天のお姿」の朱印と、左下に「題経寺」の寺印。です。

 


御朱印を頂く時に、墨や朱印が転写して汚れないように、御朱印帳の間に挟み込んで頂ける「御朱印挟み紙 (はさみがみ)」は、二種類ありました。


一枚は、当山の由来、沿革、教説が書かれた「柴又帝釈天縁起」。

 


もう一枚は、本年の「庚申(こうじん)」(縁日)の日程が書かれています。帝釈天の板本尊が発見されたのが、安永8年(1779)の庚申の日であったことから、60日に一度の庚申の日が縁日となったそうです。

 

 


隊長が集めた、ユニークな御朱印挟み紙・台紙の一覧は、ごちらをご参照下さい 

 

 

★ 続きは、御朱印巡り 第114印・115印 『柴又帝釈天・毘沙門天』 (その2)で ★

 


 

==「御朱印巡り」バックナンバー==
https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/c/653dd257872b0b0df2afd2252108f758

第1印~100印  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e23a591aa7b880a9e451c519dc5e14a5

名称:所在地:参拝日

第101印  回向院・馬頭観世音 (東京都墨田区) 令和四年5月29日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/25511e199f5755eca137a676befd02bd

第102印  世尊院 (長野県長野市) 令和四年6月8日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/d41160a22bf98c76dff2a5d4243d715b

第103印  象山神社 (長野県長野市) 令和四年6月9日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/99a31f9a1bc996d388ef87f30115df47

第104印  四柱神社 (長野県松本市) 令和四年6月9日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/5ceab2e69c7b0588e47e10cacd0c1559

第105印  諏訪大社春宮 (長野県諏訪郡) 令和四年6月10日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/92347f717d0b344c86ac241873fb5b9d

第106印  諏訪大社秋宮 (長野県諏訪郡) 令和四年6月10日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/2b353523b18569c6c465fc486828b000

第107印  諏訪大社本宮 (長野県諏訪郡) 令和四年6月10日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e8a43119da04228526ebba6c744f5781

第108印  諏訪大社前宮 (長野県諏訪郡) 令和四年6月10日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e8a43119da04228526ebba6c744f5781

第109印  出雲大社 (島根県出雲市) 令和四年7月28日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/85de9169c50135d6aa5d3c8601c260d4

第110印  大船観音寺 (神奈川県鎌倉市) 令和四年9月12日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/454accd7ce52940c51c19c561b71067d

第111印  阿蘇神社 (熊本県阿蘇市) 令和四年11月26日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/d2072accd7952835654e36f618ad6a66

第112印  羽田神社  (東京都大田区)  令和五年1月14日 https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/8375f34d82856343089d2147340657d1

第113印  羽田富士(富士塚)(東京都大田区) 令和五年1月14日  https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/8375f34d82856343089d2147340657d1