先週の土曜日、愛知県と岐阜県の境を流れる木曽川に残る渡し舟に乗りました。
その2回目です。
 第一回目の記事は こちら です:
 https://ameblo.jp/shanehashi/entry-12831994529.html







今回紹介する凡その行程はこちらです:

 



岡崎駅を8:00の快速に乗り、西中野渡船場には10:30少し前に着きました。
堤防に登ると、丁度対岸から渡し舟がこちらに戻るところでした。



渡し舟が到着すると、すぐに乗船する事になりました。
救命胴衣を身に着けると、出航しました。

木曽川は滔々と流れ、日本有数の河川であることを実感します。



係の人からは、
この渡し舟が県道であること、2年後に上流1km程のところに建設中の橋が完成すると、そちらが県道となる事。
しかし、この渡し舟が廃止になるかどうかは、まだ決まっていない事などを教えて頂きました。
普段の利用者は多いのでしょうか?と聞いてみましたが、普段はあまり多くないそうです。


のんびりと進む渡し舟ですが、4分程で渡り終えました。
救命胴衣を脱ぎ、下船すると、渡し舟はあっけなく愛知県側へと戻って行きました。



乗客がいない場合は、愛知県側で待機し、乗客が来た時に船を出す仕組みの様です。
岐阜県側から乗船するときは、電話するか、乗船場の旗を揚げて知らせる仕組みになっていました。
愛知県側の堤防の上の待合所には、天候等で運休する場合には赤い旗を掲揚するようです。

僅か4分の乗船でしたが、とても満足した渡し舟の旅となり、その先へと向かいました。
河川敷を横切り、堤防に上がると、養老山地とその手前の濃尾平野の景色が広がりました。



グーグルマップで検索すると、歩いて15分程のところに石田というバス停があり、そこから名鉄竹鼻線の羽島市役所前駅行のバスがありました。
のどかな農村地帯をのんびり歩き、石田のバス停に着きました。
しばらく待つと、11:22発のバスがやってきました。



バスを待つ間に検索すると、市役所北というバス停で下車すると、あるいてすぐのところに竹ヶ鼻城跡があり、そこに向かう事にしました。
バスは、農村地帯を走り、途中で若い人が何人か乗車してきました。
途中、上中というところを通りましたが、そこが円空仏で知られる円空上人の出生の地だそうです。

市街地に入り、市役所北でコミュニティバスを下車しました。



竹ヶ鼻城跡に向かう途中、「竹鼻まつり山車会館」がありました。



山車を観たくなりましたが、ここはパスして竹ヶ鼻城跡に向かう事にしました。



この辺りは、羽島市の市街地で、かつては商店街として賑わっていたようですが、今はシャッターが下りたお店が多く、人通りも少なく静かな街並みでした。
5分程歩いたところに映画資料館兼羽島市歴史民俗資料館があり、そこが竹ヶ鼻城跡と言われています。



小牧長久手の戦いの際には、秀吉に攻められ、関ヶ原の戦いでは福島正則に攻められて落城しているそうです。
関ヶ原の戦い以降は廃城となり、どこにあったのかはっきりとは分っていないそうですが、地名や隣にあるお城地蔵のいきさつなどから、歴史民俗資料館説が有力という事だそうです。

真宗大谷派 竹鼻別院の門前に建つお城地蔵です。



歴史民俗資料館から、町家の建物が並ぶ通りを歩き、羽島市役所前に向かいました。

 


お昼も過ぎ、お腹も空いたので、どこか食事でも、と思いましたが、見当たらずに、一旦、岐阜羽島駅に出ることにしました。
羽島市役所前に到着した竹鼻線の電車です。



次の江吉良から羽島線となり、岐阜羽島に着きました。




竹鼻線はかつて江吉良から大須まで6.7kmの路線が続き、羽島線が分岐する形になっていましたが、先端部分は2001年に廃止され、今は竹鼻線と羽島線は一体に運営されています。
岐阜羽島でも食事をするお店がなく、駅のコンビニで買ったお昼を、駅前広場のベンチで食べました。

お昼を終えて、新羽島駅に戻りました。
笠松からの電車が到着するとき、丁度上りの新幹線が岐阜羽島駅を発車するところでした。



ここから羽島線、竹鼻線の乗車を楽しみ、この日の行程を終えました。

 


急に思い立って出かけた小旅行でしたが、木曽川の渡し舟は、期待以上の素晴らしい体験となりました。
久しぶりに乗車した、羽島線と竹鼻線の乗り鉄の楽しかったです。


~  完 ~

 

 

 

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