最近、仕事のペースも幾分改善して、納期の余裕も出来てきたので、秋晴れの昨日(11月18日)は有休をとって、中山道の宿場町を訪ねました。
昨年10月に出かけた馬篭、妻籠を皮切りに、今年の4月には奈良井宿、木曽平沢、宮ノ越宿を訪れ、先月には木曽福島宿、野尻宿を訪ねています。

今回訪れたのは、木曽路の北にある洗馬(せば)宿と木曽路の最北端の宿場、贄川(にえかわ)宿です。
洗馬宿は、木曽路からは外れてしまうので、タイトルも『中山道を訪ねて』としました。


今回も、名古屋を7:00発の「しなの」で出かけました。



乗車率は60%程でしょうか。
窓側の席は全部埋まり、ところどころ通路席も埋まっているという感じです。

この日は、とてもよく晴れ、御嶽山や木曽駒が綺麗に見えていました。
下の写真は、須原辺りからの眺めです。




この日は、寝覚めの床を通過する際に、観光の案内があり、「しなの」は徐行してくれました。
以前は、頻繁にあったサービスですが、久しぶりでした。
おかげで、寝覚めの床をしっかりカメラに収めることが出来ました。




木曽福島で「しなの」を下車し、30分程待ち合わせて、松本行の普通列車に乗り換えました。
木曽福島で見送った「しなの」です。



この日、「しなの1号」を木曽福島で下車したのは、僕一人でした。


松本行の普通電車を洗馬で下車しました。
塩尻の一駅手前の駅です。



江戸時代は松本藩の藩領だったところです。
洗馬宿は日本橋から31番目の宿場でした。


駅からほど近い旧中山道に出てみました。
道は拡幅されています。




住宅も道から控えて建てられ、それらの建物も昭和後半に建てられたもののようです。
中山道と北国街道との追分が宿場の東にあり、西側には本陣跡や芭蕉の句碑とかもあるようです。

まずは追分に向かおうと、通りを歩いていると、「どちらから来られました?」と声を掛けられました。
首にカメラをぶら下げているので、観光客と分かったのでしょう。
声をかけて頂いたのは、戦国時代に奈良井宿を治めていた奈良井氏の末裔の方でした。
洗馬の宿場跡の見どころをいくつか教えて頂きました。

まずは、すぐ近くの「あふたの清水」を訪れた方が良さそうです。
通りを左に折れ、狭い道を50m程歩くと、河岸段丘の端に出て、少し下ったところに「あふたの清水」がありました。



"あふた"は邂逅の事で、この清水で木曽義仲が家来の今井兼平と落ち合った事でこの名が付いたそうです。
その際、木曽義仲の馬は疲れ切っていたそうですが、この清水で脚を洗ったところ、生気を取り戻したそうです。
この故事から洗馬という地名が付いたとも伝わります。

この「あふたの清水」からの奈良井川の眺めはとてものどかで美しい景色でした。



遠くには雪を抱いた北アルプスの山々も見えていました。
この景色は、歌川広重が洗馬宿の浮世絵・洗馬の夕月を描いた場所とも伝わるそうです。


洗馬の宿場跡の東の外れから西の外れにある言成地蔵尊までのんびり散策し、洗馬を11:07に発車する中津川行の普通電車に乗車しました。




次の目的地は、二駅先の贄川(にえかわ)駅です。
11分程で贄川に着きました。



贄川は旧中山道33番目の宿場です。
贄川駅の南には復元された関所跡があります。


~ つづく ~

 

 

 

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