例えばこう言えば判るんだろうか | 銀のスズメバチ

銀のスズメバチ

失敗作 欠陥品 不良品 劣化レプリカ
ってなじられてきましたが
ひとりみつけられたらもうそれでいいのです

To be alone is to be different.
To be different is to be alone.

Suzanne Gordon

2011年11月05日開始

あなたがキッチンに行くと、料理をしている人が「卵をとっておくれ」
あなたは素直にうなずいて冷蔵庫から卵を1つとりだして持っていきました

「どうぞ」卵を差し出すとその人が振り向いてありがとうと言って受け取ります
しかし受け取った卵を見てその人は首をかしげます

「卵とってって言ったのにどうしてこれなの?卵って言ったでしょ」

どうやらその人がとってほしかった卵と違っているようです
あなたは鶏の卵ではなかったのかと、冷蔵庫からウズラの卵を探してきて渡しました

「違う違う!卵だって言っただろ!」
イライラしたその人は話にならないといったように冷蔵庫のドアを開けて
「卵って言ったらこれだろ!」
取り出して見せられたのは最初に自分が持って行ったのとそっくりな鶏の卵でした

どこをどう見ても同じパックに入っていたほかの卵というくらいで
どう違うのか具体的に判りません
「卵って言ったらこれ」のこれって何のことでしょうか
なにがいけなかったのか判らないあなたはその人に質問します
「何が違うのかわかりません。この卵とどこが違うんですか」
「どこがって、見ればすぐわかるだろ。どうしてわからないんだ?」
どれだけ聞いてもこんな問答が続きます

そこに誰か1人帰ってきました「どうしたの?何騒いでるの?」
哀しくなったあなたはその人に言いました
「卵を持ってこいというので持って行ったら叱られてしまいました」
ことの次第を説明するとその人はよしよしと頭をなでて
「それは叱られても仕方ないわよ」
それから冷蔵庫を開けて卵を取り出し
「卵って言ったらこれでしょう。わざとだって思われても仕方ないわよ」
運が悪かったねと頭をなでてくれているのですが
慰めてくれたのかもしれませんが慰めてもらえたと思えませんでした。
その人が見せてくれた卵と自分が持って行った卵の違いがちっとも判らないのです

納得がいかないあなたは
受け取り拒否をくらった卵をもって出かけました
どうしてダメなのか教えてくれる人と
何が違うのか判らない人を探すためです
道行く人に質問しても返ってくる言葉は同じでした
「そりゃあ、これじゃダメだよ」一目見ただけで誰も彼も
当たり前であるかのようにそう言うのでした

誰かが教えてくれるかもしれないとあなたは必死に違いを聞き出そうとしますが
そうするとどの人もなにやら論点のずれた答えを返してくるのです
そういうこともあるよ、それならこうやって言えばいい、ああやればいい
具体的な違いを聞いたのに具体的な対処を返してくる人もいました
どれだけ探しても具体的に違いを説明できる人はいませんでした
ストレートに違いを教えろと言うと怒られてしまいます

知りたいのは具体的な違いであり、それを知ったうえで対処を考えたい
それはそんなにいけないことなのでしょうか?

そこに仲のいい友達が1人通りかかりました
泣きながらあなたは声をかけました
その友達が言います
「僕もこの卵でいいと思うんだけどな。なにがだめなんだろうね」
やっと判ってくれそうな人を見つけました
うれしくなったあなたは友達と一緒に
他にも話の通じる人がいないかどうか探すことにしました

根気強く探していましたが他に誰も
何がダメなのかわかる人や何が違うのか判らない人は見つかりません
「君たちはふざけているのか?こんな当たり前のことなのに」
そんな冷たい言葉が繰り返されます
そのうち友達の様子が少し変わってきました
なんだか落ち着かないようです
「やっぱりこの卵は違うんじゃないかな」そんなことを言い始めました

「でも、どこが違うか判らないよ」
「判らないけど、みんながあれだけ違うっていうんだよ?きっと違うんだよ」
「でもどう見ても卵は卵だよ、この卵はお料理に使えないのはなんでさ?」
「そんなこと言われても…そういうもんなんだろ」
「違いがあるはずだもん、見たら判るんでしょみんな
 でも見たってどこも大して…」

「…うるさいなあ!
 判らなくても素直に判ったようなフリしてればいいんだよ!
 そうしてればおかしいなんて言われなくていいんだよ!
 どうしてそんなにしつこいんだよ、お前と一緒にいたら僕までバカだと思われるよ!」

ついに怒り出した友達は、そんな言葉をたたきつけて
どこかへ行ってしまいました

たった1人いた、同じことを言う友達がいなくなってしまいました



卵の違いを判らない、どっちだってたいして変わらない…という
自分のことをおかしくないと思っているのは
あなたの世界にあなた1人だけです

あなたがもし

「もしかしたら、本当は一目瞭然の違いがあって
 それをすぐに判るのが普通で
 判らない私がどうしようもない人間なんだ」

そうやって自分を疑った瞬間
この世界にあなたを正気だと思っている人間はただの1人もいなくなるのです
ただ自分で「おかしくない」というのをやめなければ
1人だけは確実に自分をおかしくないと思っている人間がいることになります

さて

あなたはどのあたりで
「ちゃんと判らない私がおかしいのだ」と納得しますか
自分は狂っていて周りは正しいと

それともなんとなくわかったふりを始めますか
絶対に認めないなら
あなたはどこまでたったひとりで「私はおかしくない」と言い続けられますか

どれだけの人におかしいといわれて
どれだけの人に手のひら返されても
死ぬまで私は間違ってないと、説明できないあんたたちが悪いと言い続けられますか




…私が日常的に感じる「判らない」に関する感覚はこんな感じです。
普通じゃないと言われるのはこういう感じのことなのです。
少しは伝わりますか?

怖いでしょ。

普通なんてつまらないって?
そんなこと言う前によく考えてみることだね