ナイトメア【3】 | 銀のスズメバチ

銀のスズメバチ

失敗作 欠陥品 不良品 劣化レプリカ
ってなじられてきましたが
ひとりみつけられたらもうそれでいいのです

To be alone is to be different.
To be different is to be alone.

Suzanne Gordon

2011年11月05日開始


楽器の音。人がたくさん。
夕闇の中、ともされた明かりの見える店の並びに、
どこか陰のある喧噪が寄り添うようにうごめいている。

「着いたわ」
「わぁ…」
目の前に広がる、静かな人の騒ぎの波に圧倒され、
私は思わず目を丸くして息を漏らした。
「すごい」

おねえさんが足を止めたので、私も足を止めた。
私のほうを振り返り、お姉さんがにっこりと笑う。
「さあ、好きに遊んでいらっしゃいな」
「…え?」
私はおねえさんの顔を見た。
「あ、でも……私、お金…」

喜び過ぎて何も考えてなかったから、財布持ってきてなかった。
「ここで遊ぶのに、お金は要らないのよ」
おねえさんが笑った。
「どういうこと?」
「知らないほうがいいんじゃない?」
「…?」
「何も考えないで遊ぶことだけ考えたほうが良いわ。
 少なくとも……ココでは、ね」
何か変な言い方をする。
なんだろう?
「いいからいいから。
 ここでは、みんなお金が無くても楽しめるのよ。
 さあ、いってらしゃい!」
おねえさんが心底楽しそうに私の背を軽く押した。
「わ、わかった。行ってくるね」
「フフッ…ああ、そうそう。大切なことを言い忘れるところだった」

おねえさんが、ポンと手を打ち合わせて大げさな仕草でこう言った。

「……南側の外れにある、紅いテントの中の出し物。それだけは見ちゃダメよ」
「どうして?」
「…見ても良いけど………責任持たないわよ?」
「え?」
「あははっ、どうでもいいじゃない、そこだけ行かなきゃいいだけなんだから。
 ここは、楽しくてしょうがないものばかりよ。
 さあ、行った行った!」

おねえさんの声に押されるように、私は少し遠慮がちに歩き出した。

独り、昏い喧噪の中に。



とりあえず、あたりをキョロキョロしながら私は歩いた。
並んでいる店がたくさんある。
何かの食べ物を売っているのだろうか、いいにおいがする。
ところどころに大小さまざまなテントがあり、中から楽しそうな声が聞こえる。

とりあえず、何か食べたいなあ。
本当にお金出さなくていいのかしら…

「いらっしゃい! お、見ない顔だね…」
私がそっと店に近づくと、後ろを向いてごそごそしていた店の人が
素早く気づいてこっちを振り返り、にっこりと笑う。
「あ、あの……」
本当に、お金要らないのかなあ…?
「名前は?」
言葉を続ける前に、お店のおじさんが顔を覗き込んで聞いてくる。
「え?…と……ミュゼ…」
「ミュゼ、か。どこの出し物だって?」
「出し物?」
何のことだか判らないでいる私の顔を見て、おじさんが頭を抱えて苦笑した。
「あー、まったく…あのねーちゃん、いつも説明不足だな…まあ関係ないけどな」
「……あのう…?」
あのねーちゃんって、あの金髪のおねえさん?
「ああ。いいんだよ、ミュゼ。余計なことは……
 その、ここへ来るときに、ねーちゃんから何か言われてないか? 出し物のこと」
おじさんが、手元の鉄板の上で何かを焼きながら言った。
「出し物…あ」
思い出した。
「えと…南側の外れの、……紅いテント…のこと?」
「ああー!」
鉄板を見ていた顔を上げて、忙しそうに手を動かしながらおじさんは言った。
「あれかあ。判った判った」
焼けた、美味しそうなクレープをくるっと紙に巻いて
おじさんはそれを私に向けて差し出した。
「ほれ。おかげさんで良い仕事ができますよ、お客さん」
くくくっ、と心底楽しそうにおじさんが笑った。

「ありがとう」
クレープを受け取ると、少し安心した。
「本当に、お金はいらないの?」
「そんなもん、ここじゃあねえ」
ひゃっひゃっひゃっ、とおじさんが言った。
「金なんかいいんだよ。おじょうちゃん。
 ここに居るだけで良いんだよ。ここはそういうところなのさ」
「……は、はぁ…」

なぜだろう。
こんなに楽しそうに話しているのに、このおじさんには
どうしようもない陰が見える気がして。