昔は、“自分がどう見られるか”に意識が向いていた。
でも最近は、“誰を立てたら一番場が活きるか”を自然と考えるようになった。
その人が輝けば、場全体があたたかくなる。
そしてその光は、いつの間にか自分にも差し込んでいる。
支えることと、下に回ることは違う。
自分の役割を理解し、状況を見て動く。
それは“目立たない”かもしれないけど、
実はすごく強くて、誇らしいことだと思っている。
人を立てられる人って、カッコいい。
私もそんなふうでありたい。
昔は、“自分がどう見られるか”に意識が向いていた。
でも最近は、“誰を立てたら一番場が活きるか”を自然と考えるようになった。
その人が輝けば、場全体があたたかくなる。
そしてその光は、いつの間にか自分にも差し込んでいる。
支えることと、下に回ることは違う。
自分の役割を理解し、状況を見て動く。
それは“目立たない”かもしれないけど、
実はすごく強くて、誇らしいことだと思っている。
人を立てられる人って、カッコいい。
私もそんなふうでありたい。
この1年、いろんな変化があった。
考え方も、関係性も、生き方も。
でも、“変わった”というより、
「思い出した」ことのほうが多かった気がする。
忘れていた感覚。
置き去りにしてきた本音。
ずっと心の奥にあったのに、
見ないふりをしてきた“私のままの私”。
何かを手に入れたわけじゃない。
もともと持っていたものに、もう一度手を伸ばしただけ。
「ちゃんと感じていい」
「自分を大事にしていい」
そう思えたことで、世界の見え方が変わった。
これはきっと、私にとっての“前に進む”ってことなんだと思う。
昔は、親や子どもとの時間を「後でいいや」と思っていた。
やることが山積みで、つい後回しにしていた。
でも、ある日ふと気づいた。
「その“あとで”って、いつくるんだろう」って。
気づけば子どもは成長していて、
親も少しずつ年を重ねている。
当たり前にあった時間が、少しずつ減っているのを感じた。
仕事も大事。やりたいこともたくさんある。
でも、それと同じくらい大事なものを、
私はずっと見過ごしていたのかもしれない。
今は、できるだけ「後回しにしない」ことを意識している。
大げさなことでなくていい。
一緒にご飯を食べる、目を見て話す、手を握る。
そんな小さな時間を大切にすることで、
自分の心も、すごく穏やかになる。
「ちゃんと今ここにいる」って、
こんなにも安心することなんだと思えた。