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問いの途中

“こうあるべき”をほどきながら、
自分の声に耳をすませて生きています。
正解じゃなく、問いの途中を楽しむ人。

いろんな価値観が変わってきたけれど、
なぜか変わらなかったものもある。

 

私にとって、それは“誠実さ”。

 

誰も見ていなくても、
たとえ評価されなくても、
「自分が恥ずかしくない選択をする」ことが、
私にとっての誠実さだった。

 

それが正解かどうかは分からない。


でも、自分の中で「これだけは守りたい」と思える何かがあると、
迷ったときにも立ち戻れる場所ができる。

 

たとえその誠実さが、
ときに損するように見えたとしても、
私はそれを手放したくない。

 

「ちゃんと向き合ってる自分でいたい」
その想いが、私の土台を支えてくれている。

私は甘えるのが苦手だった。
迷惑をかける気がして、どうしても人に頼ることができなかった。

 

「ひとりでなんとかしなきゃ」
「頼ったら負け」


そんな思い込みが、無意識のうちに刷り込まれていた。

でも、あるとき気づいた。


頼られる側になったとき、私はそんなふうに思わなかった。


むしろ、「頼ってくれて嬉しい」と感じた。

信頼しているからこそ、お願いできる。
任せてくれたからこそ、自分も力になりたいと思える。

 

そう思ったとき、
「あれ?頼ることって、信頼のかたちでもあるんだ」
と腑に落ちた。

 

もちろん、何でも丸投げするのとは違う。
でも、“自分ひとりで抱え込まない”という選択肢があるだけで、
心がものすごく軽くなった。

 

強さって、“全部できること”じゃない。
“支え合えること”だと思う。


甘えるって、ちゃんと人を信じている証拠。

これからはもう少し、素直に「お願い」が言えるようになりたい。

「自分が我慢すれば、すべて丸く収まる」


そんなふうに思ってきた。
実際、そうしてきた場面はたくさんあった。

 

ちょっとした言い返しを飲み込んだり、
自分の予定を後回しにして、相手を優先したり。
その方が空気が乱れないし、誰かが嫌な思いをしないで済むから。

 

でも、その“我慢”を続けた結果、
しんどくなるのはいつも自分だった。

 

怒りも不満も飲み込んで、
気づいたら「自分の感情を感じること」すら難しくなってた。


それを“いい人”って呼ぶなら、私はもうその役を降りたい。

我慢して、偉いふりをするのはやめる。


“自分を大事にする”ことは、わがままなんかじゃない。


むしろ、自分を犠牲にしてまで成立する人間関係なんて、
続ける意味があるのかさえ疑問になってきた。

 

我慢することで守っていたものは、
本当に大事なものだったんだろうか?

 

今は、嫌なことは「嫌だ」と言えるようになりたいと思ってる。
そのほうが、相手ともちゃんと向き合える関係がつくれる気がするから。

 

もう、自分を最後に回すのはやめよう。
ちゃんと、自分の感情も、大切にしていこう。