日中は
春のような陽気が続いている
高野山です
すべてが凍った高野山は
危険でしたが、
気温が上がり
すべてが溶け始めたときも
危険です
町中を歩いていると
屋根から落ちてきます
さて
行人方が創建した
もうひとつの
東照宮のお話です
行人方の東照宮は
聖方より早く
寛永8年(1631年)に
興山寺裏伝法院山に
建てられました
興山寺は
行人方の総本山、
現在の
金剛峯寺別殿付近に
建っていました
本殿と拝殿の他、
中殿、唐門、御供所、
経蔵、宝庫、鐘楼、
表御門、裏御門、鎮守社
こちらも
豪華絢爛な東照宮でした
寛永20年(1643年)に
聖方が東照宮を建立後は
明治維新まで
200年以上にわたり
高野山には
二社の東照宮が祀られ
それぞれ
徳川幕府と皇族の庇護を
受けますが
明治維新の
神仏分離令により
開創以来の
皇室との密接な関係は
断絶してしまいます
また
版籍奉還により
寺領や山林を失うことにより
高野山の経済基盤自体を
失くしてしまいます
そのうえ
明治21年3月23日の大火は
多くの寺院を廃寺にして
しまいました
この混乱の中、
行人方の東照宮は
解体され
山内寺院復興のため
払い下げられます
本殿と四脚門は普賢院へ
拝殿は普門院へ
残念ながら拝殿には
到達できず
校倉造の経蔵は常喜院へ
常喜院の庭師の方に
この校倉について
お伺いすると
「寺内には
入れないけれど
蛇腹路から見えるよ」と…
毎日のように
歩いているこの蛇腹路に
もうひとつの東照宮の
名残りが隠されていたとは
高野山に移住し
そろそろ2年になりますが
1200年の歴史は
まだまだ学ぶことが多く
興味のそそられる
ことばかりです
合掌