先日お天気が良かったので
奥の院から五の室院谷の
徳川家霊台まで
足をのばしました
金剛峯寺の北
女人堂から警察署あたりまでを
五の室院谷といいます
徳川家霊台の受付で
金剛峯寺職員のMさんと
4年ぶりの再会
「380年の歴史だよ。
じっくり見てね。」
「日光の東照宮は
ここを参考にしたんだよ。」
「石垣の石は
縄で縛って二艘の船の間に
浮かせて四国から運んだんだよ。
10年もかかるはずだよね。」
10分ほどお話しして
まず急な石段を上がります
Mさんが力説した
見事な石垣
このひとつひとつを
四国から船で運び
標高900mの高野山まで運んだ
労力と時間に
畏敬の念しかありません
徳川家霊台は
三代将軍家光により
寛永20年(1643年)に
大徳院境内に
建立されました
右に家康霊屋
左に秀忠霊屋
左右同じ二棟が
並んでいます
手前の鳥居があるのが家康霊屋
左奥が秀忠霊屋
家康霊屋
家康霊屋
家康霊屋、秀忠霊屋
ともに一重宝形造り
重要文化財に
指定されています
秀忠霊屋
当時の徳川家の
富と権力を
象徴するかのように
豪華絢爛です
細部にいたるまでの
彫刻や飾金具などの
装飾が圧巻です
高野三方(こうやさんかた)
という派閥のひとつです
学僧集団の
学侶方(がくりょがた)
寺院の経営面や警備を担当した
行人方(ぎょうにんがた)
大師信仰を全国に広めた布教師集団の
聖方(ひじりかた)
この派閥は
明治元年(1868年)に
廃止されましたが
高野山の長い歴史の中で
論争、対抗し合いました
行人方の東照宮については
次回お話しします
合掌
まっすぐに高くのびたスギが
徳川家霊台を守っているかのようです