








4月5日は、東村山から国分寺まで、西武鉄道国分寺線の新2000系(2000N系)2049F(川越鉄道130周年記念ヘッドマーク(国分寺市デザイン)付き電車)による、国分寺行き🚋に乗りました。今回乗った列車は、東村山駅の2番線(国分寺線のホーム)を16時17分に発車する、国分寺行き(土休日6728レ)で、国分寺駅からの折り返しは、16時33分発の東村山行きとなっています。
拝島線の乗換駅である小川駅では、後続の2047F(川越鉄道130周年記念ヘッドマーク(小平市デザイン)付き電車)による東村山行きとの交換待ちが行われていたので、国分寺駅からは、その折り返しの東村山行き(国分寺 16時43分)で、東村山駅に戻りました。
東村山駅では、2番線の奥にある3番線から発車する2545Fによる西武園行きを撮影することが出来ました。
西武園線(東村山〜西武園間)は、日中は20分間隔で、通常新2000系の4両編成が使われているけど、多摩湖線用の9000系がツーマン運転(車掌乗務)で使われることもあります。
西武国分寺線の日中の列車は、10分間隔であり、3本使われることになっているけど、この日は、2047F(小平市デザインヘッドマーク付き)、2049F(国分寺市デザインヘッドマーク付き)、2081F(ヘッドマークなしのリニューアル車両)が使われていました。
西武国分寺線は、国分寺駅と東村山駅を結ぶ西武鉄道で最も歴史の古い路線(川越鉄道由来)であり、1894(明治27)年12月21日に、国分寺〜久米川(仮、現在の東村山駅)間が、川越鉄道川越線(国鉄→JR川越線とは別)として開業していました。
翌年の1895(明治28)年3月21日には、東村山〜川越(現、本川越)間が開業し、3月21日で開業130周年を迎えていたのであります。
開業当時からある駅は、国分寺、小川、東村山、所沢、入曽、狭山市、本川越の各駅であり、狭山市駅が入間川駅、本川越駅が川越駅(現在のJR川越線と東武東上線の駅とは別)と呼ばれていました。
川越エリアで最初に出来た普通鉄道は、川越鉄道川越線(現在の西武新宿線)であります。
開業当初は非電化で、蒸気機関車(SL)🚂による牽引の客車が使われていました。
1895年3月21日の開業当初の路線
国分寺〜小川〜久米川(仮、現在の東村山駅)〜所沢〜入曽〜入間川(現、狭山市)〜川越(現、本川越)
現在の路線
国分寺〜恋ヶ窪〜鷹の台〜小川〜東村山
(至る小平、高田馬場、西武新宿方面)←東村山〜所沢〜航空公園〜新所沢〜入曽〜狭山市〜新狭山〜南大塚〜本川越
1927(昭和2)年4月16日には、高田馬場〜東村山間が西武村山線として開業し、東村山〜川越(現、本川越)が電化され、高田馬場〜川越間の直通運転が開始されていました。
1940(昭和15)年7月22日には、鉄道省(のちの日本国有鉄道(国鉄)→JR東日本)川越線の川越駅の開業により、川越鉄道川越線(現在の西武新宿線)の川越駅が本川越駅に変更されていました。
東武東上線の川越駅は、1915(大正4)年4月1日に開業した当時は、川越西町駅と呼ばれていたけど、1940年7月22日には、川越線に合わせる形により、川越駅となったのであります。
1948(昭和23)年11月5日に国分寺〜東村山間が電化され、1952(昭和27)年3月25日には、西武新宿駅までの延長により西武新宿線となったと共に、東村山〜本川越間が新宿線に編入され、国分寺〜東村山間が国分寺線という支線となったことで現在に至っています。
中間駅である鷹の台駅は、1948年10月21日に、恋ヶ窪駅は、1955(昭和30)年2月10日にそれぞれ開業していました。
3月21日から8月31日までの予定で、新2000系(2000N系)の6編成に、6種類の130周年ヘッドマークが取り付けられる予定となっています。
①川越市デザイン 2055F
②狭山市デザイン 2065F
③所沢市デザイン 2079F
④東村山市デザイン 2085F
⑤小平市デザイン 2047F(6両編成)
⑥国分寺市デザイン 2049F(6両編成)
特記がない編成は全て8両編成
小平市と国分寺市は、国分寺線沿線の自治体なので、国分寺線メインで使われている6両編成に取り付けられているのもそのはずであります。
これらの編成が、他の編成と連結された時に、片方がヘッドマークなしになってしまいます。
そのうちの、2055,2079,2047Fは、リニューアル車であります。
これらのヘッドマーク付き電車の位置情報は、西武線アプリで調べることが出来ます。
詳細は、西武鉄道のホームページに出ています。
今回は、6両編成の2047Fと2049Fを撮影したので、6種類ある川越鉄道130周年記念ヘッドマークの撮影を制覇(コンプリート)することが出来ました。
今回の話題である、国分寺市デザインヘッドマークは、ゴールドの130周年の文字で、新2000系、武蔵国分寺のシンボルである七重塔、国分寺市の鳥であるカワセミが描かれていることにより、国分寺市の歴史と文化が表現されています。
一方の小平市デザインヘッドマークは、小平市のマスコットキャラクターである、「ぶるべー」、「こげらん」、小平市の花であるつつじに、電車と線路が組み合わされたデザインであり、どちらも良い感じだな❗と思いました。
ぶるべーは、小平市の特産であるブルーベリー🫐に因んで名付けられたキャラクターであり、一方のこげらんは、小平市の鳥である、こげらがモチーフとされたキャラクターてなっています。
もちろん、既に撮影した8両編成のヘッドマークのデザインも良い感じであります。
西武新2000系の6両固定編成は、2047,2049,2051,2053,2077,2081,2091Fの7本であり、そのうちの2047Fは、新2000系で唯一6両編成のままリニューアルされた編成で、2077,2081,2091Fは、池袋線系統で活躍していた8両編成(いずれもリニューアル車)が、転属と共に6両化された編成となっています。
これらの編成は、小平〜玉川上水間の列車にも使われています。
2049Fは、1990(平成2)年10月に東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)で製造された編成であり、当初から6両編成であります。
元小田急電鉄8000形から改造されたサステナ車両である8000系は、5月末から国分寺線で営業運転入りする予定であり、最初に改造された編成は、8103F(種車は8261F)であります。
小田急8000形の6両編成のうち、西武鉄道に譲渡される予定の編成は、フルカラーLEDの後期更新車であり、7本導入される見込みとなっています。
8101Fは、元8252F、8102Fは、元8260Fから改造される予定なので、元8261Fが8103Fとなっているのもそのはずであります。
西武国分寺線が元小田急車で埋め尽くされる時がやって来るので、西武国分寺線の黄色い2000系を撮影することが出来て良かったと思っています。
2008(平成20)年から2016(平成28)年までに導入された30000系では、初期の頃に国分寺線用に6両編成バージョンが3本18両導入される計画があったけど、2010(平成22)年に、池袋線系統で活躍していた3000系(3ドアの界磁チョッパ制御車だった車両)の3005Fと3007Fを6両編成に短縮させて転用させる方針に変更されたことにより幻となっていました。
その代わりに、当初の計画にはなかった30000系の10両固定編成が導入されるようになっています。
2014(平成26)年には、3000系が引退したことにより、2000系(新2000系を含む)に統一されていたけど、5月末からは、8000系(元小田急車)も加わることになります。
8000系(元小田急車)は、国分寺線初のVVVFインバータ制御車であり、車端部の座席が4人掛けから3人掛けに変更されています。
もしも、30000系の6両編成が予定通り導入されていたら、2両付属編成と連結された8両編成としても使えていたところでありました。
30000系の10両固定編成のうち、30103Fは、2月23日から来年2月10日までの予定で、ぼくのわたしのみらい絵トレイン(ぬり絵・絵画コンクールの応募作品がラッピングされている)となっており、池袋線系統と新宿線系統を行ったり来たりしています。
本日(4月16日)は、新宿線系統で活躍中であります。
国分寺駅は、国分寺市の中心にある駅で、JR線の駅が2面4線となっており、北側には、西武国分寺線の乗り場(5 番線、JR線に面している)と西武多摩湖線の乗り場(7番線)があります。
JR線の乗り場が2面4線化されたのは、1988(昭和63)年12月1日のことであり、待避が可能となったことで、特別快速が中央特快として増発され、青梅特快も新設されていました。
西武国分寺線の乗り場がJR線と面した場所にあるのは、甲武鉄道線(現在の中央線)の飯田町駅(飯田橋駅付近にあった駅)まで直通運転されていたことの名残であり、1976(昭和51)年に新秋津〜所沢間の武蔵野連絡線が開業するまでの間、国分寺駅で貨物列車の受け渡しが行われていました。
西武国分寺駅の改札口は、西側と東側にあり、西側で、多摩湖線の7番線と繋がっています。
東側の改札口側には、エレベーター🛗が設けられています。
多摩湖線の国分寺駅ホームの脇にある国分寺駅北入口バスターミナル発着の西武バス🚌は、全て小平営業所所属の路線(寺61,62,63,64系統)であり、そこを出ると線路沿いのバス専用道路(複線化用地だった場所)を通ることになります。
西武国分寺線の国分寺駅は、北側にあり、1990(平成2)年6月に現在の場所に移設される前は、その東側にありました。
移設前の旧ホームは、6番線であり、17m車の3両編成までしか入れなかったので、西武最後の赤電だった351系が、平成初期まで残されていたのであります。
国分寺線のホームは、以前国鉄→JR中央線と改札が共通で、多摩湖線のみ連絡改札があったけど、国分寺駅の改良や多摩湖線のホーム移設により、JRと西武の改札が分離され、国分寺線と多摩湖線の間が改札を出ずに行き来出来るようになっています。
1973(昭和48)年4月1日に、武蔵野線(府中本町〜新松戸間)の開業と入れ替わりに廃線となった下河原線(国分寺〜東京競馬場前間)は、国分寺駅で南側にあった1面2線の専用ホームから発着していました。
国分寺、恋ヶ窪の両駅のある国分寺市は、1964(昭和39)年11月3日に国分寺町の市制施行により出来た市であり、武蔵国分寺が由来となっています。
日本の宇宙開発発祥の地でもあり、1955(昭和30)年に日本初のロケット発射実験🚀が行われていました。
その記念碑が、早稲田実業高校の国分寺キャンパス🏫の前にあります。
早稲田実業高校🏫は、早稲田大学の系属校であり、2001(平成13)年4月に、新宿区早稲田鶴巻町から国分寺市に移転されていました。
現在早稲田実業高校の早稲田鶴巻町キャンパスの跡地は、早稲田大学の120号館(研究開発センター)となっています。
武蔵国分寺は、国分寺駅または西国分寺駅の南側(徒歩で約14〜17分の場所)にあり、万葉庭園も設けられています。
国分寺とは、天平13(741)年に、聖武天皇の国分寺建立の詔により全国に建立された国分寺が由来であり、武蔵国分寺や信濃国分寺など、至る場所にあります。
このように、国分寺は、国分寺市以外の場所にもあることが分かります。
詳細は、「武蔵国分寺」で検索。
長野県上田市にある、しなの鉄道線の信濃国分寺駅は、信濃国分寺の最寄り駅であり、徒歩5分で行くことが出来ます。
国分寺駅の南側にある「お鷹の道・真姿の池湧水郡」は、東京都名勝、名水百選に選ばれた場所であり、御岳渓谷と並ぶ都内の水の名所となっています。
国分寺駅付近には、電車開通記念碑や中央鉄道学園記念碑と言った鉄道関連の記念碑があります。
そのうちの電車開通記念碑は、1922(大正11)年に国分寺駅まで電化されたことを記念して建てられたものであります。
国分寺市光町には、鉄道総合技術研究所国立研究所や鉄道情報システムの国立事業所があるので、国分寺市が鉄道との縁のある街となっています。
そこにあるひかりプラザには、国分寺市新幹線資料館があり、新幹線の試験車両の951形が展示されています。
光町の地名は、新幹線のひかり号に因んで名付けられたものであります。
国分寺駅付近には、日立製作所(HITACHI)の中央研究所があり、年に2回(春と秋に)そこにある庭園が公開されています。
このことで、日立グループのCMソングである、日立の樹(この木なんの木)🌳を思い出します。
国分寺市役所は、昨年12月まで、恋ヶ窪駅付近にあったけど、本年1月6日に泉町(JR中央快速線、武蔵野線の西国分寺駅付近)に移転されていました。
こちらへは、西国分寺駅から、徒歩またはぶんバス(国分寺市のコミュニティバス)で行くことになるけど、国分寺駅の南口から京王バスの総合医療センター行き(寺83系統、府中営業所所属)🚌で、いずみプラザ前まで行くことも出来ます。
国分寺駅南口の駅ビルであるセレオ国分寺は、1989(平成元)年3月1日に国分寺エルとして開業したものであり、丸井国分寺店(国分寺マルイ)が主なテナントとなっています。
詳細は、「セレオ国分寺」、「国分寺マルイ」で検索。
小川駅は、2面4線で、外側が拝島線、内側が国分寺線であり、後者のほうは、列車の交換(行き違い)が行われています。
乗り場は、1番線が拝島線上り(小平、西武新宿方面)、2番線が国分寺線下り(東村山、西武園方面)、3番線が国分寺線上り(国分寺方面)、4番線が拝島線下り(玉川上水、拝島方面)から成っているので、乗り換えに便利な駅となっています。
小川駅のトイレ🚻は、改札外にあるけど、車椅子対応のだれでもトイレ🚻♿🚽は、西口1階のエレベーター前🛗に設けられています。
こちらはだれでもトイレ以外全て和式となっているので、注意が必要⚠️であります。
小川駅の橋上駅舎は、改築される予定となっているので、トイレ問題が解決されます。
花小金井、小平、一橋学園、青梅街道、鷹の台、小川の各駅のある小平市は、1962(昭和37)年10月1日に小平町の市制施行により出来た市であり、当時の中心であった小川村の小と、その周辺地域が武蔵野台地上にある平らな土地であったことの平から、小平と名付けられたと言われています。
小川〜東村山間は、西武多摩湖線と交差する区間であり、下側を走る国分寺線には、多摩湖自転車歩行者道(武蔵野市の関町五丁目交差点(井ノ頭通りの終点)と多摩湖を結ぶ、その名の通りの自転車🚲と歩行者🚶の専用道路)に跨がる踏切があります。
こちらを自転車🚲で通る時には、歩行者に注意しなければならないです。
東村山駅は、東村山市の中心にある3面6線の駅であり、高架化工事が行われています。
これにより、2019(令和元)年11月30日にこれまでの橋上駅舎が廃止され、地下の仮駅舎に移設されていました。
橋上駅舎には、立ち食いそば屋があったけど、地下の仮駅舎にはそれがないので、隣の所沢駅などを使うことになります。
東村山駅のホームは、1番線が国分寺線(小川、国分寺方面)と西武園線(西武園行き)、2番線が国分寺線、3番線が西武園線、4番線が新宿線下り(特急以外の列車、所沢、本川越方面)、5番線が新宿線下り特急小江戸号と、新宿線上り(高田馬場、西武新宿方面)、6番線が新宿線上り(特急小江戸号を含む)となっているけど、2番線と3番線は4番線の向かい側の旧3番線が分割されたものであり、国分寺線の2番線は小川(国分寺、西武新宿)寄り、西武園線の3番線は西武園(所沢)寄りに分かれています。
こうなったのは、2017(平成29)年3月25日のことであり、西側の旧1番線が廃止されて旧2番線が1番線となっていました。
こちらは、福島県西白河郡西郷村にあるJR東日本の新白河駅在来線ホームの6番線(黒磯方面)と7番線(郡山方面)に似ているところがあります。
東村山駅の1番線は、列車の発着本数が少ないけど、そこにトイレ🚻♿がある関係により、常時開放されています。
東村山駅のトイレ🚻♿は、橋上駅舎の時代には、その東側にあったけど、地下の仮駅舎への移転により、1番線側に移設されていました。
移転されてからは、男女共に全ての個室がウォシュレット付きの洋式トイレ🚽となったけど、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽もこうなっています。
地下の通路は、所沢寄りの地下改札口、東西自由通路と、西武新宿、国分寺寄りの乗り換え専用通路に分かれているけど、地下改札口側には、エレベーター🛗が、西口、東口側には、エレベーター🛗とエスカレーターの両方が完備されています。
車椅子♿での上下移動には、エレベーター🛗のほうが便利であり、リフトの役割を兼ねています。
6月29日(日)からは、新宿線の下り線から高架化され、国分寺線・西武園線、新宿線の上り線の順に高架化される予定となっています。
東村山駅の高架化工事が完成したら、工事前の3面6線から2面4線となり、国分寺線や西武園線は中央に入ることになります。
高架化された後にはもちろんエレベーター🛗やエスカレーターも整備されます。
2014(平成26)年12月1日から2016(平成28)年3月31日まで、東村山駅の新宿線ホームで、故・志村けん氏縁の曲である「東村山音頭」の発車メロディーが使われていたけど、2020年7月14日に国分寺線の1,2番線で復活していました。
東口にあるけやき並木🌳は、1976(昭和51)年に故・志村けん氏が東村山の名を全国に広めていた功績により、感謝状の贈呈と共に植えられたものであり、志村けんの木🌳と名付けられています。
秋津、久米川、東村山、萩山、八坂、武蔵大和、多摩湖、西武園の各駅のある東京都東村山市は、1964年4月1日に北多摩郡東村山町が市制施行された市で、2020年3月29日にご逝去された、故・志村けん氏の出身地としても有名であり、名誉市民に認定されていました。
東村山の由来は、村山の東にあることであり、山形県にも東村山郡(山辺町と中山町)があるので、紛らわしい状態であります。
2021年6月26日には、東村山駅東口の志村けんの木の横に、志村けんの銅像が開設されたので、2022年4月3日に初めて見ることが出来て良かったと思っています。
この銅像には、多くの笑いと感動をありがとうと書かれているので、その通りだと思いました。
拝島線と国分寺線の小川駅付近にはテルメ小川という日帰り温泉施設♨️があるけど、小川駅から徒歩約20分またはバス🚌で行くことになります。
こちらは、男湯♨️🚹️が和風、女湯♨️🚺️が洋風となっているけど、残念ながら入れ替え制ではなく、固定されています。
詳細は、「テルメ小川」で検索。
拝島駅付近にある昭島温泉湯楽(ゆら)の里♨️は、アルカリ性単純温泉により、美肌の湯と言われています。
こちらの内湯には、高濃度炭酸泉の浴場もあります。
拝島駅とJR青梅線の昭島駅から徒歩15分で行くことになります。
詳細は、「昭島温泉湯楽の里」で検索。
このように、日帰り温泉施設♨️を探してみるのも面白いと思います。
西武沿線にある西武グループの日帰り温泉施設♨️は、西武秩父線の西武秩父駅前にある「西武秩父駅前温泉 祭の湯」と、豊島園駅付近にある「豊島園 庭の湯」であり、どちらも西武園ゆうえんちによる運営で駅から近いです。
西武秩父駅がリニューアルされて温泉入浴施設である祭の湯(西武グループの日帰り温泉施設)♨️が新設されたのは、S-TRAINがデビューした1ヶ月後の2017(平成29)年4月24日のことであり、温泉入浴♨️はもちろんのこと、入場無料エリアのフードコート(呑喰亭 祭の宴)や温泉内レストラン秩父湯台所で食事🍴を楽しむことも出来ます。
こちらは、京王電鉄の高尾山口駅(京王高尾線の終着駅で、その名の通りの高尾山への玄関口)が改築されて京王高尾山温泉/極楽湯(京王グループと極楽湯のコラボによる日帰り入浴施設)♨️が出来たことと同様であり、帰る前に入浴することで疲れを癒すことや、食事🍴を楽しむことも出来るという祭の湯との共通点があります。
祭の湯には、2階の男女別の浴槽♨️のほか、温泉内レストラン秩父湯台所🍴、寝ころび処、くつろぎ処、岩盤浴、ほぐし処、プレミアムラウンジ(有料、座席指定制)💺もあり、プレミアムラウンジは、共用💺13ブース、女性専用💺🚺8ブースあります。
祭の湯の男湯♨️🚹は広場側(左側)、女湯♨️🚺は駅側(右側)にあるけど、男湯♨️🚹のほうは、男女共に線路側に浴槽がある(もちろん男女別になっている)高尾山温泉とは違って、電車の音は聴こえてこなかったです。
祭の湯と高尾山温泉には、高濃度人工炭酸泉もあるけど、祭の湯では内湯側にあります。
もう一つの内湯は、シルク湯であり、美肌効果もあります。
祭の湯の露天風呂には、桜が植えられているので、4月上旬にお花見🌸しながら入浴することが出来ます。
京王井の頭線の高井戸駅付近にある高井戸温泉美しの湯♨️の露天風呂でも桜🌸を見ながら入ることが出来ます。
自分(しゃもじ)は、2020年11月8日に、秩父祭の湯のフードコートで、秩父わらじかつ亭によるわらじかつ丼を初めて食べたけど、美味しかった😋🍴💕ので、秩父は美味しい食べ物の宝庫なんだな❗と思いました。😋🍴💕
秩父は蕎麦(そば)も美味しいので、秩父鉄道の御花畑駅の立ち食いそば店で蕎麦を食べてみて美味しかった😋🍴💕ことを思い出しました。
もちろん、祭の湯のフードコートでも、秩父の蕎麦を味わうことも出来ます。
秩父の豚肉料理は、わらじかつ丼のほか、豚肉の味噌漬けも有名であり、祭の湯のフードコートにある丼屋 炙り(あぶり)で、炙り豚味噌丼を味わうことも出来ます。
豚肉にはビタミンB1が豊富に含まれているので、秩父のある埼玉県のホームページでは、埼玉県産豚肉でパワーチャージ❗ということがアピールされています。
西武秩父の祭の湯♨️の無料エリアは、これまでの西武秩父仲見世通りが受け継がれており、お土産屋が充実しています。
秩父湯台所では、秩父ジビエである鹿肉のロース丼やカツを味わうことも出来ます。
鹿肉は、柔らかくて臭みが少なく、低カロリー高たんぱくで、鉄分が豊富に含まれているので、女性におすすめの食材と言われています。
気になったら食べてみるしかないです。
露天風呂の花見湯は、有名温泉地の湯を楽しめる場所であり、現在は、芝桜の丘がイメージされた、芝桜の湯♨️となっています。
2022年10月1日には、酒匠屋台がリニューアルされ、角打ちエリアが拡張されていました。
3月3日には、ポテくまくんのお店がオープンしていました。
自分(しゃもじ)にとって、西武秩父の祭の湯は、高尾山温泉と共にいつ行っても(来ても)最高だな❗と思っています。
詳細は、「西武秩父駅前温泉祭の湯」で検索。
4月13日から10月13日までの半年間、大阪市の夢洲(ゆめしま)地区で、大阪・関西万博2025(EXPO2025)が行われていることで話題になっています。
こちらは、Osaka Metro(大阪メトロ)中央線の夢洲(ゆめしま)駅が最寄り駅であり、大阪(伊丹)空港や関西空港などから、シャトルバス🚌が出ています。
大阪・関西万博の詳細は、「大阪・関西万博」で検索。
JR西日本では、4月12日から、山陽新幹線(新大阪〜博多間)で、700系レールスターのE13編成によるワンピース新幹線が運転開始されていました。る予定であり、第一弾は、水色のセトウチブルー編成であり、詳細は、JR西日本のホームページに出ています。
JR四国では、初代のアンパンマン列車が復活し、営業運転入りしていました。
東急電鉄では、大井町線の9000系9001Fが4月12日に赤帯に復刻され、翌日の4月13日から朝のみの土休日112運用で営業運転入りしていました。
東京メトロでは、一昨日(4月14日)、半蔵門線の18000系仕様変更車である18112Fが営業運転入りしていたけど、朝のみの東武線に乗り入れない運用から入っていました。
韓国の大手航空会社(スカイチーム系)である、大韓航空(コリアンエアー、KOREANAIR、대한항공)✈️🇰🇷では、水色にKOREANのロゴ入りの新塗装がお披露目され、3月12日のソウルの仁川(インチョン)国際空港発成田空港行きのKL703便から就航し、成田空港発ソウル・仁川国際空港行きのKL704便で折り返していました。
新塗装第一号は、ボーイング787-10型機のHL8515号機であります。
詳細は、「大韓航空」、「コリアンエアー」で検索。
JAL(日本航空)✈️🇯🇵のエアバスA350-1000型機✈️🇯🇵は、羽田〜ニューヨーク(JFK)🇺🇲、ダラス線🇺🇲、ロンドン線🇬🇧のJL43,44便で好評運航中となっています。
一方のJL41,42便は、ボーイング787-8型機✈️で運航されています。
5月1日からは、JALのエアバスA350-1000型機✈️🇯🇵が、羽田〜パリ線🇨🇵にも就航する予定であり、その後羽田〜ロサンゼルス線🇺🇲に就航することになります。
ANA(全日本空輸)✈️💙では、国内線用のボーイング787-10型機のJA985A号機が1月31日に羽田空港に到着していたので、5機目となっていました。
2月8日の初便は、羽田〜沖縄(那覇)線と広島線に入っていたのであります。
昨年3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。
あれから1年経ってしまいました。
9月15日は、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきた浴衣撮影会、4日に玉川せせらぎホール(等々力)で行われた舞台に行かれなかったのが残念でした。
1月11日は、渋谷近未来会館で行われていたMI・RA・Iスーパーライブ2025で、ぽけっとファントムを見たことにより、本年(2025(令和7)年)の自分(しゃもじ)初のヲタ活(ドルヲタ($ヲタ)活動)となりました。
2月8日と3月22日は、町田ターミナルプラザ で、ポジモンこと ポジティブモンスターの無銭ライブが行われていたけど、土曜出勤 により行かれなかったのが残念でした。
2月16日は、新宿アルタ(ALTA)のキースタジオで行われた、「アイコレ〜 さようなら ALTA KeyStudioSP!!!〜」で、1学期の前髪(まえがみちゃん)を見ることに大成功しました。
この時に、桜木真子氏と1年ぶりに再会し、昨年6月に追加された、葵りあら、双葉美瑠、柊優奈、胡桃りり各氏と初対面することも出来ました。
新宿アルタ(ALTA)は、残念なことに2月28日をもって閉館となってしまいました。
3月1日には、恵比寿CreAto(クレアート)で行われていた、ポジモンことポジティブモンスターと、ひまわりが咲く頃が出てきたICOLONY IDOL LIVEに行ってきました。
この時に、星乃愛璃咲🐰🍓、和田茜🐻❄️🥟両氏と再会することや、他のメンバーと初めて出会うことに大成功しました。
3月30日は、横浜みなとみらいブロンテで、ポジモン👾のワンマンライブ、4月6日は、千葉市にある千葉STARNITEで、ツアー初日のライブが行われていたけど、諸事情により行かれなかったのが残念でありました。
ポジモン👾の佐伯夏海氏💉💗は、唯一自分(しゃもじ、しゃもぽん)🐰🍓と会ったことのないメンバー(サークルS)となっています。
早く佐伯夏海氏💉💗と初対面したいです。
詳細は、「ポジティブモンスター」、「ひまわりが咲く頃に」で検索。
日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。
このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワードなどは一切書かないようにしています。
当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。
過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。
こちらは飛ばしても構いません。
西武池袋線、西武新宿線、西武秩父線、特急ちちぶ、むさし、小江戸号、拝島ライナー、S-TRAINの時刻、運賃、運行状況などの詳細は、西武鉄道のホームページを見るか、「西武池袋線」、「西武新宿線」、「西武秩父線」、「西武特急ラビュー」、「特急小江戸号」、「拝島ライナー」、「S-TRAIN」で検索願います。
西武線の各種ラッピング電車や2000系、4000系、10000系などの撮影には、マナーを守ってもらいたいと思っています。
今宵はここまでに致しとうござりまする。




















