こちらは、7月26日に、東日本旅客鉄道(JR東日本)の新宿駅で撮影した、中央快速線の209系1000番台のトタ81編成(クハ209-1001F、豊田車両センター所属)による、快速高尾行き🚃です。

この時に撮影した列車は、平日97T運用の後半の快速高尾行きで、東京駅を16時48分に発車し、途中、神田、御茶ノ水、四ツ谷、新宿、中野、高円寺、阿佐ケ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺、三鷹、武蔵境、東小金井、武蔵小金井、国分寺、西国分寺、国立、立川、日野、豊田、八王子、西八王子の各駅に停車してから高尾駅(東京都八王子市)へと向かう列車で、折り返しは、18時13分発の快速東京行きとなります。

その前の運用は、豊田駅を15時39分に発車する快速東京行きであります。

平日は、97T運用と99T運用限定で、2019(平成31)年3月16日のダイヤ改正時点では、どちらも朝に限定されていたけど、現在は、日中や夕夜間にも拡大されています。

土休日の運用は、97T運用の東京~豊田間の1往復(快速、高円寺、阿佐ケ谷、西荻窪の各駅は通過)のみのままとなっています。

今回は、平日97T運用の後半に209系1000番台のトタ81編成が使われていたので、今回それに撮影することが出来ました。

近いうちに、中央快速線に、TASC(Train Automatic Stop-position Controller、定位置停止支援装置)が導入される予定となっているので、グリーン車の組み込みの対象から外され、トイレなしのままとなっているE233系のH49編成(4+6編成)と共に運用から離脱されることになっています。

明後日(9月8日(日))からは、中野〜武蔵小金井間の各駅で、停止位置が変更される予定となっているので、このことに関連していると思っています。

グリーン車組み込み非対応(トイレなし)のままとなっているE233系のT71編成は、TASC並びにホームドア対応済で、10両編成を表すステッカーが取り付けられていることを確認したので、グリーン車の組み込みが完了するまで、予備車として使われることが予想されています。

昨日(9月5日)は、新宿駅で、動向が注目されているE233系のH49編成による快速大月行きを撮影することが出来て良かったと思っています。

E233系のH編成は、昨年(2023(令和5)年)3月18日のダイヤ改正で、青梅線の青梅駅での系統分割(東京アドベンチャーラインと言われている青梅〜奥多摩間のワンマン化)や五日市線と中央快速線の直通列車がホリデー快速あきがわ号を含めて廃止されたことにより、分割・併合運用が削減されているので、H49編成がグリーン車の組み込み対象から外されたのもそのはずであります。

一昨年(2022(令和4)年)3月11日までは、東京〜箱根ケ崎、高麗川間の八高南線直通列車も運転されていました。

八高線の電化区間(八高南線、八王子〜高麗川間)と川越線(川越西線、川越〜高麗川間)の列車は、一昨年3月12日から、209系3500番台またはE231系3000番台によるワンマン運転となっています。

H49編成は、青梅・五日市線専用の青編成となるのか、4+6編成による分割・併合運用(東京〜成東、上総一ノ宮間)がある京葉線に回されるのか気になります。

1月28日には、209系1000番台のトタ82編成(クハ209-1002F)による、「209系1000代録音専用列車で録る常磐線快速電車イベント」に伴う団体専用列車(録音を楽しむ為の団臨)🚃が運転され、常磐緩行線に里帰りしていたことで話題になっていたけど、自分(しゃもじ)は、上野駅で撮影することが出来て良かったと思っています。

209系1000番台🚃は、1999(平成11)年に、常磐緩行線(地下鉄千代田線直通)の増発用として、マト81,82編成の2本20両が東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)で製造され、同年12月4日から2018(平成30)年10月4日まで、エメラルドグリーン帯で、常磐緩行線(綾瀬~我孫子、取手間)及び営団地下鉄→東京メトロ千代田線(代々木上原~綾瀬間)🚇で活躍していました。

2016(平成28)年3月26日から開始されたJR車の小田急線乗り入れ(E233系2000番台で行われている)には対応していなかったことにより、サークルEマークが取り付けられていたけど、2018年11月11日に引退した東京メトロ6000系と同様に千代田線のホームドアに対応していないことや、小田急線乗り入れが可能なE233系2000番台🚃🚇に統一させることの理由により、2018年10月4日の朝に運用離脱され、同年10月13日の松戸~取手間のさよなら運転(団臨)をもって常磐緩行線を離れていました。

常磐緩行線で最後まで残された編成は、マト82編成🚃で、ヘッドマークが取り付けられていたけど、自分(しゃもじ)は、2018年10月13日に松戸駅でそれを撮影することが出来ました。

中央快速線では、E233系のグリーン車🍀の組み込み準備や、トイレ🚻の取り付けにより入場する編成も出てくることで予備編成が2本必要となったけど、常磐緩行線を追われた209系1000番台に白羽の矢が立てられ、オレンジ帯化、中央快速線対応化の改造が行われた後に、2019(平成31)年3月16日の改正から営業運転入りしていたのであります。

転用の時にVVVFインバータ装置の更新が行われなかった為に209系オリジナルの三菱電機(MITSUBISHI ELECTRIC)製のGTO方式のVVVFインバータ音がするので、車掌さんによる肉声放送と共に、209系1000番台の醍醐味でもあります。

このことで、かつて三菱自動車工業(MITSUBISHI MOTORS)にGTOという高級スポーツカーがあったことを思い出しました。

三菱自動車工業(MITSUBISHI MOTORS)は現在フランスのルノー社(RENAULT)、日産自動車(NISSAN)と共に、ルノー・日産・三菱アライアンスとなっています。

三菱自動車工業が日産自動車の傘下となってからは、日産車との競合を避ける為にカーラインナップが大幅に整理され、人気のSUV車や軽自動車中心となっています。

209系1000番台は、常磐緩行線(地下鉄千代田線直通)の時代に、地下鉄千代田線の新御茶ノ水駅(地下ホーム)に乗り入れていたけど、中央快速線に転用されてからは、地上の御茶ノ水駅発着となったので、ビフォーアフター感があります。

このことは、常磐緩行線時代に、東京駅近く(ちょうど丸の内側)にある地下鉄千代田線の二重橋前駅に発着していたことでも言えることであり、こちらも地下から地上に活躍の場が移されていたからこそ見られる風景となっています。

丸の内界隈では、地下の二重橋前駅発着だったのが、東京駅の中央快速線の高いホーム発着に変わっていたのであります。

1号車(東京寄り)のクハ209-1001(1002)号車は、我孫子、取手寄り、10号車(高尾、青梅寄り)のクハ208-1001(1002)号車は、代々木上原寄りとなっていました。

もう1つ変化した点は、常磐緩行線、地下鉄千代田線直通時代に新CS-ATC(ATC-10型、車内信号)に従って走っていたのに対し、中央快速線で地上の信号機🚦に従って走るようになったことであります。

このことは、E235系の導入により山手線(ATC区間)を追われたE231系500番台が、中央・総武緩行線(地上信号機のATS-P区間)🚦に転用されたことなどにも言えることであります。

中央快速線の209系1000番台が、限定運用されている理由は、従来の車両(E233系)よりも幅が狭く、ドアに押しボタンが付いていないからであります。

行先表示は、3色LEDのままとなっているので、京葉線の209系500番台(ケヨ34編成)と同様の状態となっています。 

今秋には、209系1000番台が運用離脱される予定となっているので、209系オリジナルのインバータ音が聴き納めとなってしまいます。

9月14,15日には、拝島駅の電留線で、209系1000番台を2本並べた事前予約制の有料撮影会が行われる予定となっているけど、すぐに完売御礼となっています。

新宿駅の7,8番線(中央快速線の上りホーム)は、以前中央線特急ホームとして使われていた場所であるけど、現在の中央線特急ホームが中央快速線の上りホームとなっていたことにより、入れ替わっていたのであります。

中央快速線の下りの11,12番線は、新宿駅の改良工事により、一時的に9,10番線(現在の特急ホーム)の位置に入っていたことがありました。

中央快速線の女性専用車🚃🚺️は、平日の朝の7時30分から9時30分までの間に新宿駅に発着する大月、高尾、青梅方面発東京行き(上り)の快速、通勤特快の全列車(先頭車両の1号車)に設定されています。

中央快速線のE233系🚃は、オレンジ色の電車として親しまれていた201系の置き換え用として、2006(平成18)年から2008(平成20)年に掛けて、10両固定編成のT編成が42本420両、6+4編成のH編成が15本150両導入されていました。

H編成のうち、H58編成とH59編成は、青梅・五日市線の青編成から転用された編成であり、これらのH編成化により17本となっています。

営業運転入りしたのは、2006年12月26日のことであり、当初はT2編成が使われていました。

中央快速線では、来年(2025年)春を目処にグリーン車2両組み込みの12両編成(H編成は4+8編成)とする予定となっており、4号車へのトイレ🚻♿🚽の取り付けが順次行われているけど、10両固定のT編成の場合は、トイレの取り付けと共に、4号車と6号車の入れ替えが行われています。

そのトイレ🚻は、E233系の近郊バージョン(上野東京ライン、湘南新宿ラインの車両)の普通車のトイレに準じた車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽であり、2020年3月14日から取り付けが完了した編成で使うことが出来るようになっています。

後付けのトイレであることにより、窓を埋めた跡があります。

現時点で4号車のみトイレ🚻が付いていることで、西武鉄道の40000系ライナー仕様車(S-TRAIN、拝島ライナー対応)みたいだな❗と思いました。

H編成で、6号車(6両編成)と7号車(4両編成)の間の通り抜けが出来ないので、高尾寄りの4両編成側では、全てトイレなしの車両となってしまうので、注意が必要⚠️であります。

これによって、中央快速線のE233系が近郊型車両に格上げされることになるので、通勤型と近郊型の共通設計であるE233系ならではだな❗と思いました。

グリーン車が組み込まれる予定の編成は、T1〜42編成と、H43〜48,50〜59編成の58本(4+8となるH編成は16本)であり、そのうちのT24編成とH57編成は、グリーン車が組み込まれた上での試運転が行われています。 

4号車のトイレ取り付け工事による予備車として、常磐緩行線(東京メトロ千代田線直通)で活躍していた209系1000番台🚃がトタ81編成と82編成として転用された上で使われています。

これらの編成は、従来の車両(E233系)よりも幅が狭く、高尾~大月間の狭小トンネルに対応していない為に東京~高尾間(平日の97Tと99T、土休日の97T運用)で限定運用されています。

E233系のT71編成🚃は、2020(令和2)年7月に、予備車がもう1本必要と判断された為に導入された10両固定編成であり、中央快速線用としては2008年以来12年ぶりの新造車となっています。

この編成は、大月乗り入れに対応しているので、従来のE233系のT編成との共通運用が可能であります。

T71編成の4号車が、トイレのないM車となっていることから、予備車に使われた後に他の路線(京葉線?)に転用されることが考えられています。

T71編成🚃が、総合車両製作所横浜事業所から出場したのは、2020年6月11日のことであり、7月6日の平日96T運用で営業運転入りしていました。

中央快速線の大月乗り入れが開始されたのは、日本国有鉄道(国鉄、JNR)最後のダイヤ改正だった1986(昭和61)年11月1日のことであり、当時は狭小トンネルに対応した201系のH編成(6+4編成)に限定されていました。

2008年まで存在していた201系のT編成(10両固定編成)は、東京~高尾、青梅間に限定されていたけど、シングルアームパンタグラフ化されてからは大月駅にも乗り入れるようになっていました。

東京アドベンチャーラインのラッピング電車は、春編成、夏編成、秋編成、冬編成の4編成が追加され、P521編成と合わせた5編成となっています。

このことで、2009(平成21)年まで運転されていた201系改の四季彩号を思い出しました。

これらのラッピング電車は、四季彩号を彷彿とさせる状態であるけど、四季彩号とは異なり、オールロングシートとなっています。

中央快速線のE233系は、2020年3月13日まで、早朝、深夜に東京駅発着の各駅停車として運転されていたけど、各駅停車の表示は、黄色となっていました。

201系で運転されていた頃は、各駅停車の表示の入った幕となっていたのであります。

2020年3月14日には、東京駅発着の各駅停車が廃止されたと共に、中央・総武緩行線の三鷹以西(武蔵小金井、立川)への乗り入れ、東側の御茶ノ水折り返しが廃止され、中央快速線が終日運転、中央・総武緩行線が三鷹〜千葉間での運用となっていました。

三鷹車両センターには、車輪転削設備が設けられていないので、車両転削作業が豊田車両センター武蔵小金井派出所で行われています。

E233系は、0番台が中央快速線、青梅・五日市線(豊田車両センター所属)、1000番台が京浜東北線・根岸線(さいたま車両センター所属)、2000番台が常磐緩行線(東京メトロ千代田線、小田急線直通、松戸車両センター所属)、3000番台(近郊バージョン)が宇都宮・高崎・東海道線(上野東京ライン、湘南新宿ライン、小山車両センターまたは国府津車両センター所属)、5000番台が京葉線(京葉車両センター所属)、6000番台が横浜線(鎌倉車両センター所属)、7000番台が埼京・川越線(りんかい線、相鉄線直通、川越車両センター所属)、8000番台が南武線(鎌倉車両センター中原支所所属)から成っており、線区毎に番台が分けられていることが分かります。

中央快速線に導入される予定のグリーン車(2階建て車両)は、4号車と5号車に設定されることになっており、グリーン車としては珍しく両開きドアとなっています。

グリーン車のトイレ🚻は、4号車(5号車寄り)であり、現在の4号車に設定されている普通車のトイレ🚻が、グリーン車の組み込みと共に6号車(7号車寄り)に移されることになります。

中央線の御茶ノ水~飯田町(飯田橋駅の前身)間の複々線化により、御茶ノ水~中野間で快速運転が行われるようになったのは、1933(昭和8)年9月15日のことであり、当時は急行列車(料金は不要だった)と呼ばれていました。

中央快速線の複々線区間は、1966(昭和41)年4月28日に中野~荻窪間、1969(昭和44)年4月8日に荻窪~三鷹間にも拡大され、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪、吉祥寺の各駅が高架化されていました。

東京駅に中央線が乗り入れるようになったのは、1919(大正8)年3月1日のことであり、1925(大正14)年11月1日の神田~上野間が開業並びに山手線の環状運転の開始の時までの間は、中野~新宿~東京~品川~新宿~池袋~上野間の「の」の字運転が行われ、新宿駅を2回通っていました。

山手線🚃♻️の環状運転が開始される前に、中野~新宿~東京~品川~新宿~池袋~上野間の「の」の字運転が行われていたことで、現在と比べて想像出来ない状態となっていました。

東京駅の中央快速線ホームは、1,2番線であり、201系が当たり前だった1995(平成7)年7月2日に現在の高い場所に移設されていました。

こうなった理由は、1997(平成9)年10月1日の長野新幹線(現在の北陸新幹線の東京〜長野間)の開業に伴う新幹線ホームの増設の影響であり、玉突きで山手線、京浜東北線、東海道線のホームをずらす措置が取られていました。

これまでの中央快速線ホームは、3番線(京浜東北線北行)と4番線(山手線内回り)に転用されています。

移設された東京駅の中央快速線ホームは、E351系によって運転されていたスーパーあずさ号(当時)の東京乗り入れ(現在はE353系に受け継がれている)を見据えていたことにより、当初から12両編成対応となっているので、今回のグリーン車対策では、ホームを延長せずに済んだのであります。

三鷹駅は、三鷹市と武蔵野市に跨っている中央・総武緩行線(東京メトロ東西線直通列車を含む)の折り返し駅であり、駅長事務室が三鷹市側にあるので、三鷹市にある駅となっています。

乗り場は、南側の1,2番線が中央・総武緩行線(東京メトロ東西線直通を含む、中野、新宿、西船橋、千葉方面)、3,4番線が中央快速線下り(立川、八王子、高尾、青梅方面)、5,6番線が中央快速線上り(中野、新宿、東京方面)から成っており、発車メロディーは、三鷹市に縁のある童謡である「めだかの学校」で、ホーム毎にバージョンが異なっています。



三鷹駅のある東京都三鷹市は、1950(昭和25)年11月3日に多摩郡三鷹村の市制施行により出来た市であり、昨年市制施行70周年を迎えていました。


三鷹駅が開業したのは、1930(昭和5)年6月25日のことであり、当時は三鷹村の時代でありました。

三鷹の由来は、徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行っていた鷹場の村々が集まっていたことであり、世田谷領・府中領・野方領に跨がっていた三領の鷹場の意味もあります。

隣の武蔵野市のほうは、1947(昭和22)年11月3日に、武蔵野町の市制施行により出来た市であり、吉祥寺駅付近が中心地となっています。

国分寺駅は、国分寺市の中心にある2面4線の駅であり、北側には、西武国分寺線の乗り場(5 番線、JR線に面している)と西武多摩湖線の乗り場(7番線)があります。

JR線の乗り場が2面4線化されたのは、1988(昭和63)年12月1日のことであり、待避が可能となったことで、特別快速が中央特快として増発され、青梅特快も新設されていました。

西武国分寺線には、元小田急電鉄の8000形から改造されたサステナ車両が入ってくる予定となっています。

国分寺市は、日本の宇宙開発発祥の地でもあり、1955(昭和30)年に日本初のロケット発射実験🚀が行われていました。

その記念碑が、早稲田実業高校の国分寺キャンパス🏫の前にあります。

早稲田実業高校🏫は、早稲田大学の系属校であり、2001(平成13)年4月に、新宿区早稲田鶴巻町から国分寺市に移転されていました。

現在早稲田実業高校の早稲田鶴巻町キャンパスの跡地は、早稲田大学の120号館(研究開発センター)となっています。

国分寺駅の南側にある「お鷹の道・真姿の池湧水郡」は、東京都名勝、名水百選に選ばれた場所であり、御岳渓谷と並ぶ都内の水の名所となっています。

国分寺駅付近には、電車開通記念碑や中央鉄道学園記念碑と言った鉄道関連の記念碑があります。

そのうちの電車開通記念碑は、1922(大正11)年に国分寺駅まで電化されたことを記念して建てられたものであります。

国分寺市光町には、鉄道総合技術研究所国立研究所や鉄道情報システムの国立事業所があるので、国分寺市が鉄道との縁のある街となっています。

そこにあるひかりプラザには、国分寺市新幹線資料館があり、新幹線の試験車両の951形が展示されています。

光町の地名は、新幹線のひかり号に因んで名付けられたものであります。

国分寺駅付近には、日立製作所(HITACHI)の中央研究所があり、年に2回(春と秋に)そこにある庭園が公開されています。

このことで、日立グループのCMソングである、日立の樹(この木なんの木)🌳を思い出します。

国立駅の南口の駅舎は、三角屋根が特徴であり、高架化工事により取り壊されていたけど、2020年に再築された上で復元されていました。

自分(しゃもじ)はそれを見た時に、国立駅と言えばやはりこれだな❗と思いました。

このことは、JR大和路線、奈良線の奈良駅(JR奈良駅)や東急東横線、目黒線の田園調布駅の西口駅舎にも言えることであり、奈良駅は高架化、田園調布駅は地下化工事により撤去された旧駅舎が復元されたものであります。

山手線🚃♻️の原宿駅の旧駅舎も、復元される予定となっています。

立川駅は、中央線、青梅線、南武線が乗り入れている立川市の中心にある駅で、青梅線乗り場は、北側の1,2番線、新宿方面からの場合は5,6番線、南武線乗り場は、南側の7,8番線であり、南武線乗り場は、1999(平成11)年10月23日までは現在の9番線部分のみの単式ホームとなっていました。

横浜線の八王子駅もかつて単式ホームとなっていたので、南武線の立川駅との共通点があります。

立川駅は、E353系による中央線特急の全列車が停車することになっています。

多摩モノレールの立川北駅前(立川駅北口)には、伊勢丹(ISETAN)立川店やファーレ立川(高島屋立川店)も入っている)があり、国営昭和記念公園へも近いです。

国営昭和記念公園は、1983年10月26日に開園した公園であり、昨年開園40周年を迎えていました。

詳細は、「伊勢丹立川店」、「高島屋立川店」、「昭和記念公園」、「国営昭和記念公園」で検索。

立川南駅付近(立川駅南口)には、グランデュオ立川、アレアレアがあり、アレアレアには、ラーメンスクエア🍜もあります。 

多摩モノレールでは、立川北駅と立川南駅に分かれているので、玉川上水、上北台方面は立川北駅、高幡不動、多摩センター方面は立川南駅を使うことになります。

立川駅構内のエキュート立川エキナカEASTには、有名な駅ナカの焼きそば店である、長田本庄軒エキュート立川エキナカEAST店(兵庫県が発祥である)があり、駅ナカで、本格的な焼きそば(ぼっかけ焼きそば)を味わうことが出来ます。

ぼっかけとは、牛すじ肉とこんにゃくを甘辛く煮込んだもの(すじこん、神戸市長田区のソウルフードでもある)であり、それが入ったぼっかけ焼きそばは、神戸のB級グルメとなっています。

運営会社である、トリドールホールディングスは、丸亀製麺でもお馴染みであります。

詳細は、「グランデュオ立川」、「アレアレア」、「立川ラーメンスクエア」「エキュート立川」、「長田本庄軒」、「ぼっかけ焼きそば」で検索。

青梅線の新宿方面からの直通列車は、5,6番線を発車した後、単線の連絡線を通ることになっています。

八王子駅は、北側の1番線が八高・川越線(八高南線、拝島、高麗川、川越方面、高崎方面(八高北線)へは全て高麗川駅で乗り換え)

2番線が中央快速線上り(立川、新宿、東京方面)

3番線が中央線上りの折り返し列車

4番線が中央快速線下り(高尾、大月、甲府、松本方面)

5,6番線が横浜線(橋本、町田、東神奈川、桜木町方面、相模線は全て橋本駅で乗り換え)から成っており、発車メロディーは、ワンマン運転の八高線を除き、夕焼け小焼けとなっています。

高尾駅は、中央快速線の殆どの列車が折り返す2面4線の駅(南側に通過線1線あり)で、北口側の1番線だけが相模湖、大月方面と繋がっていないので、中央快速線の折り返し列車専用となっています。

3,4番ホームの西八王子(新宿、東京)寄りには、高尾山由来の天狗の石像があるので、高尾らしさを感じています。

南側にある京王高尾線の高尾駅は、1面2線(島式ホーム)の高架駅で、南口が京王電鉄による管理となっています。

1901(明治34)年8月1日に高尾駅が八王子~上野原間と共に開業した当時は、浅川村だったことにより、浅川駅となっていました。

八王子、西八王子、高尾、北八王子、小宮、片倉、八王子みなみ野の各駅のある東京都八王子市は、1889(明治22)年4月1日に、横山町、新町、子安町、馬乗町、八日町、本町、寺町、大横町、上野町、八幡町、本郷町、小門町、八木町、久島町、千人町、元横山町、新横山町、元本郷町、元子安町、本郷村の合併によって出来た南多摩郡八王子町が前身であり、当時は神奈川県の一部となっていました。

1893(明治26)年4月1日には、八王子町を含めた多摩地域が東京府(現在の東京都)に移管されていたけど、それには、現在の世田谷区の一部となっている千歳村や砧村も含まれていました。

1917(大正6)年9月1日には、八王子町の市制施行により八王子市となり、1955(昭和30)年4月1日に横山村、元八王子村、恩方村、川口村、加住村、由井村が、1959(昭和34)年4月1日に浅川町が、1964(昭和39)年8月1日に由木村がそれぞれ編入されたことにより、現在に至っています。

1961(昭和36)年3月20日には、浅川駅から現在の高尾駅に改称されていました。

浅川駅が高尾駅となり、1967(昭和42)年10月1日に京王高尾線が開業し、登山口から近い高尾山口駅が出来てからは、高尾山の知名度が上がっていました。

高尾駅北口の駅舎は、関東の駅百選に選ばれたきっかけである社寺風となっています。

京王線から北口に出るには、連絡改札を通り抜ける必要があるので、かつての新宿駅みたいだな❗と思いました。

新宿駅の東西連絡通路が出来るまでの間、京王線から東口に出るにはJR線の構内を通り抜ける必要があったので、小田急線にも言えることでありました。

青梅線沿線の河辺駅の北口にある、河辺温泉梅の湯♨️は、青梅を散策した後にも便利な日帰り温泉施設♨️であり、自分(しゃもじ)も行ったことがあります。

拝島駅付近にある昭島温泉湯楽(ゆら)の里♨️は、アルカリ性単純温泉により、美肌の湯と言われています。

こちらの内湯には、高濃度炭酸泉の浴場もあります。

拝島駅とJR青梅線の昭島駅から徒歩15分で行くことになります。

詳細は、「河辺温泉 梅の湯」、「昭島温泉湯楽の里」で検索。

このように、日帰り温泉施設♨️を探してみるのも面白いと思います。

東急電鉄では、昨年1月25日に定期運用から離脱された、8500系の8637Fが、4両化された上でイベント、臨時列車用として復活するという情報が入ってきました。

田園都市線の新5000系5104Fは、リニューアルにより製造元の総合車両製作所横浜事業所まで甲種輸送されていました。

京阪電気鉄道では、2200系の2216Fがリバイバルカラーとなり、7月27日のミステリーツアーでお披露目されていました。

友人のひっぐ〜氏は、その乗車、撮影で興奮していたので、何よりだと思いました。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、ボーイング777-300ER型機(長距離国際線用)のJA734J号機が、20日の羽田〜シドニー線✈️🇦🇺でラストフライトを迎え、昨日は羽田空港に到着していました。

これにより、ボーイング777-300ER型機は、残り12機となってしまいます。

置き換え用であるエアバスA350-1000型機は、5機導入されています。

JALでは、ボーイング777型機の置き換えが、ANA(全日本空輸)✈️💙よりも早いペースで行われているので、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANAのボーイング777型機✈️💙は、-200型、-300型共に現役であるけど、ボーイング777Xの導入が遅れていることにより、-200型は、ボーイング787-10型に置き換えられる予定となっています。

23日からは、羽田〜ダラス・フォートワース線のJAL便が全てエアバスA350-1000型機による運航となっています。

JALのエアバスA350-1000型機✈️🇯🇵は、羽田〜ニューヨーク(JFK)、ダラス線で好評運航中であり、今年度中に羽田〜ロンドン線にも使われる予定となっています。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

21日は再び五反田まで行き、おさんぽ娘を見てきました。

自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動は、こちらで止まっています。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリでは、RESNECT(リスネクト)と両方で活躍している、千ちゃん氏(第1期から活躍してきたメンバー)が、9月1日をもってたまプリを卒業していました。

8月24日は、土曜出勤により、たまプリのBBQ(バーベキュー)オフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

8月25日は、渋谷のGARRET udagawaで行われていた 「Killer Tune SHIBUYA 2024 Vol.54 」 に行き、たまプリのメンバーと再会することに成功しました。

爆盛りラーメン伝説が出てきたことで、あいりんこと神田藍里氏💙は、塩ラーメン🍜が好きだと言っていました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

JR中央快速線、青梅線、五日市線の時刻、運賃・料金、運行状況などの詳細は、JR東日本のホームページを見るか、「中央快速線」、「青梅線」、「五日市線」、「東京アドベンチャーライン」で検索願います。

209系1000番台や中央線開業135周年ヘッドマーク付き電車などを撮影する時には、マナーを守ってもらいたいです。

今宵はここまでに致しとうござりまする。