8月27日は、錦糸町から津田沼まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)総武快速線のE217系のY-33編成(クハE217-33F)+Y-145編成(クハE217-2045F)による、千葉行き🚃に乗りました。

今回乗った列車は、平日19運用(1418S→1419F)で、JR横須賀線の久里浜駅(神奈川県横須賀市)を14時44分に発車し、途中、衣笠、横須賀、田浦、東逗子、逗子、鎌倉、北鎌倉、大船、戸塚、東戸塚、保土ケ谷、横浜、新川崎、武蔵小杉、西大井、品川、新橋の各駅に停車してから東京駅の横須賀・総武地下ホームへと向かい、ここから快速運転(途中、新日本橋、馬喰町、錦糸町、新小岩、市川、船橋、津田沼、稲毛の各駅に停車)で、千葉駅(千葉県千葉市中央区)へと向かうことになっています。

逗子〜横須賀〜久里浜間は、11両編成までしか入れないので、逗子駅で、増1〜4号車の4両(付属編成)が分割・併合されます。

今回乗った車両は、後方のY-145編成(付属編成)側だったので、逗子駅で増結された車両であることが分かります。

折り返しは、千葉駅を17時ちょうどに発車する品川行きであり、品川駅では、中線の14番線での折り返し(18時05分発の千葉行き)となっています。

こちらは、2008(平成20)年3月15日に品川駅の15番線(横須賀線の下りホーム、大船、逗子、久里浜方面)が新設されたことでより、14番線での折り返しを可能にしたことによって登場した列車であり、平日の朝と夕方に設定されています。

錦糸町駅では、留置線でのE235系を撮影することも出来ました。

こちらの留置線は、15両編成を6本収容することが出来ます。

この日は、御茶ノ水から錦糸町まで、中央・総武緩行線のE231系500番台A532編成(三鷹車両センター95周年ヘッドマーク付き)による津田沼行きで移動し、錦糸町駅で快速列車に乗り換えて津田沼駅まで先回りしようとした時に、E217系に当たったので、良かったな!と思いました。

こちらは、下総中山駅を通過中に、E231系500番台のA532編成を追い抜いていました。

E231系500番台とE217系の組み合わせは、山手線時代に品川駅または、品川〜大崎間で見られていました。

E217系は、2001(平成13)年12月1日から2004(平成16)年10月15日まで、215系と共に湘南新宿ラインとして新宿駅に乗り入れていたことがあったけど、当時山手線で、205系からE231系500番台への置き換えが進められていました。

215系は、2021(令和3)年3月12日まで、湘南ライナー(特急湘南号の前身)やホリデー快速ビューやまなし号(新宿〜小淵沢間で運転されていた)に使われていたオール2階建て車両でありました。

末期には、東京駅の総武地下ホームに到着した後に錦糸町駅の留置線まで回送されていた運用もあったけど、それがE257系2000番台による特急湘南8号にも受け継がれています。

来年春に中央快速線にグリーン車が導入されたら、新宿〜大月間で2階建て車両がホリデー快速ビューやまなし号以来の復活となります。

2018(平成30)年9月8日に、自分(しゃもじ)がホリデー快速ビューやまなし号に乗った時に、2階建てグリーン車💺🍀が導入される予定である中央快速線の新宿~大月間で、ビューやまなし号の2階席💺に乗った時は、2階建てグリーン車の2階席からの眺めを先取りしたような気分でしたと言っていました。

中央快速線のグリーン車導入は、2015(平成27)年4月に発表された当時は、2020(令和2)年度中にサービス開始予定となっていたけど、導入が大幅に遅延し、来年春に漸く導入されることになるので、10年遅れとなっています。

こうなったのは、12両対応に伴う改良工事を伴っていたことの影響もあります。

10両編成のままグリーン車をすると、普通車の定員が大幅に減ってしまうことに加え、捻出された普通車が余剰となってしまう問題があるので、このことを避ける為に12両編成にせざるを得なくなっています。

宇都宮線、高崎線、常磐線でグリーン車が導入された時に、10両基本編成の中間車2両の差し替えが行われていたけど、E231系とE531系の余剰中間車を新たな編成に回すことや、15両化の促進が行われていたので、問題は無かったです。

近郊型車両(普通、快速列車)のグリーン車は、国鉄時代に東海道線、横須賀・総武快速線に限られていたけど、1980(昭和55)年9月30日(横須賀線と総武快速線の直通運転化(SM分離)の前日でもあった)までは、京阪神地区の快速(113系によって運転されていた)にも設定されていたことがありました。



JR西日本(アーバンネットワーク)の新快速列車(223系または225系)の一部に設定されているAシート(指定席車両)は、普通車扱いでありながら、京阪神地区のグリーン車を彷彿とさせる車両となっています。

JR横須賀線は、東京駅と久里浜駅の間を武蔵小杉、大船、鎌倉、逗子経由で結ぶ路線であり、一部の列車が総武快速線と直通運転が行われています。

東京都心と三浦半島を結ぶ路線は、JR横須賀線と京浜急行電鉄の京急本線、久里浜線であり、京急で横浜駅から横浜市南部を通った後に三浦半島入りするのに対し、大船、鎌倉方面へと迂回しながら三浦半島に入ることになっています。

横須賀線が開業したのは、1889(明治22)年6月16日の大船~横須賀間のことであり、非電化で、途中駅が鎌倉、逗子の両駅のみとなっていました。

開業当初の横須賀線は、蒸気機関車🚂牽引による客車列車で、大船~横須賀間、1日4往復しかなかったので、電車が頻繁に行き交う現在と比べて想像出来ない状態でありました。

1925(大正14)年7月に電化され、1944(昭和19)年4月1日に久里浜駅まで延長されていました。

総武快速線が開業したのは、1972(昭和47)年7月15日の東京~津田沼間のことであり、錦糸町~津田沼間が複々線化され、総武本線の始発駅が両国駅から東京駅に変更されていました。

快速の運転区間は千葉駅までだったけど、当時は稲毛駅を通過していたのであります。

東京~錦糸町間は、国鉄初の都市内トンネル(地下トンネル区間)であり、途中に新日本橋、馬喰町の両駅(地下駅)が設けられているので、京葉線の地下トンネル区間(東京~潮見間)と同様に、地下鉄風味の区間となっています。

この地下トンネル区間はATCが使われていたので、長大トンネル通過のA-A基準にも適合していた113系の1000番台や183系0番台が導入されていました。

1976(昭和51)年10月1日には、東京駅地下通路の混雑緩和により、総武快速線の東京~品川間が先行開業し、新橋駅の地下ホームが設けられていました。

前述の総武快速線からの品川行き(折り返し)は、当時の総武快速線を彷彿とさせる列車であります。

1980年10月1日には、横須賀線の東京~大船間が東海道線と分離されて品鶴(ひんかく)線経由となり、東京~品川間の地下トンネル区間が横須賀線に編入された上での総武快速線との直通運転が開始されたことにより、横須賀線と総武快速線が1本で結ばれるようになっていました。

1980年9月30日以前の横須賀線は、東京駅地上ホーム発着で、東京~大船間が東海道線と共用となっていたので、混雑が激しくても増発することが不可能となっていました。

東京~大船間で、東海道線と横須賀線が分離されたSM分離となったことにより、増発させることが可能となったのであります。

この時に開業した駅は、新川崎、東戸塚の両駅であり、保土ケ谷駅が横須賀線のみの停車となっていました。

1979(昭和54)年10月1日に東海道貨物線(横浜羽沢貨物駅経由)が出来たのは、貨物線だった品鶴線を旅客線化させ、横須賀線に転用させる為でありました。

1981(昭和56)年10月1日には、総武快速線の複々線区間が千葉駅まで延長され、稲毛駅にも快速が停車するようになっていました。

この日は、中央・総武緩行線の東船橋駅と幕張本郷駅が開業した日でもありました。

1986(昭和61)年4月2日に西大井駅、2010(平成22)年3月13日に武蔵小杉駅(横須賀線、湘南新宿ライン)がそれぞれ開業したことで、現在の形となっています。

1991(平成3)年3月19日に、成田線の空港支線(成田~成田空港✈️間)が、京成電鉄の京成成田~成田空港✈️間の新線と共に開業し、JR東日本が成田空港アクセスに参入した当時、成田発着の快速列車(当時はスカ色の113系が使われていた)が成田空港✈️まで延長されていました。

2001(平成13)年12月1日に湘南新宿ラインが出来てからは、横須賀線の列車を新宿経由で宇都宮線と直通させることが出来るようになったので、横須賀線の新宿乗り入れが実現したと共に、東京駅や品川駅の混雑が緩和されていました。

成田空港✈️行きの快速は、2018(平成30)年3月16日までエアポート成田号と呼ばれていたけど、成田エクスプレスと紛らわしいということにより、無名の快速(側面表示は成田空港 NARITA-AIRPORT)となっていました。

1991年3月19日の成田線空港支線(成田~成田空港✈️間)が開業した当時、113系による無名の成田空港行きが運転されていたので、当時に逆戻りしたような感じとなっていました。

エアポート成田の愛称名は、1991年5月1日から2018年3月16日までの間に、成田空港行き✈️の快速だけに使われていたので、成田空港✈️発は当初から無名の快速となっています。

E235系近郊バージョンによる成田空港✈️行きの場合は、Narita-Airport Terminal 1と表示されています。


横須賀・総武快速線の路線(久里浜、逗子~東京間は横須賀線、東京~千葉間は総武快速線)

久里浜~衣笠~横須賀~田浦~東逗子~逗子~鎌倉~北鎌倉~大船~戸塚~東戸塚~保土ヶ谷~横浜~新川崎~武蔵小杉~西大井~品川~新橋~東京~新日本橋~馬喰町~新小岩~市川~船橋~津田沼~稲毛~千葉→(一部の列車のみ、成田空港✈️、君津、上総一ノ宮、成東、鹿島神宮まで直通運転)

ナンバリングはJO01~28で、久里浜駅から千葉駅まで繋がっています。

総武本線、成田線の快速停車駅

千葉~都賀~四街道~物井~佐倉~酒々井(しすい)~成田~空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️~成田空港(成田第1ターミナル)✈️

夜間の成東発着、鹿島神宮発着は、佐倉駅より先は普通列車扱い(各駅に停車)となります。

成東駅を朝7時05分に発車する上りの快速列車(平日は東京行き、土休日は大船行き、3756F)は、グリーン車付きの11両編成(E235系1000番台)が使われ、成東→佐倉間で、八街駅のみ停車することになっています。

内房線の快速停車駅



千葉~本千葉~蘇我~浜野~八幡宿~五井~姉ヶ崎~長浦~袖ヶ浦~木更津~君津

外房線の快速停車駅

千葉~本千葉~蘇我~鎌取~誉田~土気~大網~茂原~上総一ノ宮

横須賀・総武快速線直通の快速列車は、総武線の東千葉駅、内房線の巌根駅、外房線の永田、本納、新茂原、八積の各駅を通過することになるので、途中駅での乗り換えが必要となります。

外房線の快速は、2004(平成16)年10月15日まで、大原駅発着も設定されていました。

一昨年(2022(令和4)年)3月11日まで、平日の朝の上りと夜の下りに2本ずつ運転されていた総武快速線の通勤快速は、新小岩、市川、津田沼、稲毛、物井の各駅を通過していたことに加え、下り列車の場合は、市川駅で通勤快速が快速を追い抜くシーンが見られていました。

乗換駅🚃🔃🚃

久里浜 京急久里浜線(京急久里浜駅)

逗子 京急逗子線(逗子・葉山駅、徒歩連絡)

鎌倉 江ノ島電鉄線(江ノ電)

大船 東海道線(平塚、小田原、熱海方面)、根岸線(京浜東北線に直通)、湘南モノレール江の島線

戸塚 東海道線⇔横須賀・総武快速線、横浜市営地下鉄ブルーライン

横浜 東海道線⇔横須賀・総武快速線、京浜東北線(一部横浜線に直通)、根岸線、東急東横線、横浜高速鉄道みなとみらい線、京急本線、相鉄本線、横浜市営地下鉄ブルーライン

武蔵小杉 横須賀・総武快速線⇔湘南新宿ライン(東海道線⇔高崎線直通)、南武線、相鉄・JR直通線、東急(東横線、目黒線)

西大井 横須賀・総武快速線⇔湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線直通)

品川 山手線、京浜東北線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、東海道・山陽新幹線、京急本線

新橋 山手線、京浜東北線(日中は快速運転の為に通過)、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、東京メトロ銀座線、都営浅草線、新交通ゆりかもめ

東京 山手線、京浜東北線、中央快速線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、京葉線、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線、東海道・山陽新幹線、東京メトロ(丸ノ内線(東京駅)、東西線(大手町駅))

新日本橋 東京メトロ(銀座線、半蔵門線(三越前駅))

馬喰町 都営新宿線(馬喰横山駅)、都営浅草線(東日本橋駅)

錦糸町 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線、東京メトロ半蔵門線

新小岩、市川、稲毛 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線

船橋 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線、東武アーバンパークライン(野田線)、京成本線(京成船橋駅)

津田沼 横須賀・総武快速線⇔中央・総武緩行線、新京成電鉄新京成線(新津田沼駅)

千葉 総武本線(佐倉、成東、八日市場、銚子方面)、成田線(成田、成田空港✈️、佐原、銚子、鹿島神宮方面)、内房線(木更津、君津、館山方面)、外房線(茂原、上総一ノ宮、安房鴨川、東金方面)、千葉都市モノレール(1号線、2号線)、京成千葉線(京成千葉駅)

東京駅と新橋駅は、横須賀・総武快速線の地下ホーム発着となります。

横須賀・総武快速線から半蔵門線への乗り換え(或いはその逆)は、新日本橋(三越前)駅よりも錦糸町駅のほうが便利であります。

横須賀線の田浦駅では、ホームが短いことにより、11両編成の場合、先頭車(下りの横須賀、久里浜方面は1号車、上りの逗子、東京、千葉方面は11号車)が、トンネル内に掛かってしまうので、先頭車と先頭から2両目の前のドアが開かないことになっているので、注意が必要⚠であります。

横須賀・総武快速線のE235系1000番台(近郊バージョン、スカレンジ)のドアカットの表示には、英文も併記されるようになっています。

E217系🚃は、近郊型車両初の4ドア車(当時導入が進められていた通勤型車両の209系がベース)で、209系にサロ124(113系の一部に連結されていた2階建てグリーン車)を入れたような感じの車両であり、1994(平成6)年から1999(平成11)年までの5年間に、スカ色の電車として親しまれていた113系の置き換え用として、11両基本編成51本561両、4両付属編成46本184両の計745両が、川崎重工業兵庫工場(川崎車両、Kawasaki)、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所)、大船工場(のちの鎌倉総合車両センターで、現在は工場地区が廃止されて鎌倉車両センターとなっている)で製造されていました。

E217系がデビューしたのは、1994年12月3日(プレイステーション(PlayStation、PS1(元祖プレステ))📺🎮の発売日でもあった)のことであり、当初は逗子~東京~成田空港✈️間での15両編成の固定運用となっていました。

12月には、30周年を迎えることになります。

E217系が209系(通勤型車両)ベースの4ドア車であることにより、2000(平成12)年にデビューしたE231系から通勤型と近郊型の共通設計となったきっかけとなり、それがE233系やE235系に受け継がれています

これによって、E217系の後継の近郊型車両が、E219系ではなく、E231系の近郊バージョンとなったのであります。

中央快速線のE233系がトイレ🚻付きとなり、今後グリーン車が組み込まれた12両編成へと進化し、通勤型車両から近郊型車両に格上げされることになるのは、通勤型と近郊型の共通設計だからこそであります。

E217系は、近郊型初の4ドア車(普通車のみ)であるので、導入線区に比較的混雑が激しい横須賀・総武快速線が選ばれていたけど、その置き換え用として導入されているE235系の近郊バージョンにも4ドア車が受け継がれています。

国鉄時代までは、近郊型車両は3ドアが当たり前だったけど、国鉄末期の1986(昭和61)年から民営化(JR化)後の1991(平成3)年までの間に導入された211系も普通車が3ドアとなっていました。

もしも横須賀・総武快速線の113系が211系によって置き換えられていたら、混雑に対応出来ないどころか、総武快速線の錦糸町~千葉間や横須賀線での120Km/h運転に対応出来なかったところでありました。

東海道線(東京~熱海間)で活躍していた211系では、国鉄時代に導入された初期型が10両の基本編成がセミクロスシート、5両の付属編成がロングシートとなっていたけど、混雑が激しくなった為に基本編成の普通車をロングシートに変えたことで凌いでいました。

やはり3ドアということで、乗り降りに時間が掛かっていたのも言うまでもないです。

総武快速線は、最高130Km/hである成田エクスプレス(NE'X)との競合区間であるので、遅延回復対策により、100Km/hまでしか出せなかった113系が、120km/hまで出せる4ドア車のE217系に置き換えられたのもそのはずであります。

E217系とE235系1000番台(近郊バージョン)の運転区間は、横須賀線(東京~逗子~久里浜間)、総武快速線(東京~千葉間)、総武本線(千葉~佐倉~成東間)、成田線(佐倉~成田~香取間、成田~成田空港✈️間)、外房線(千葉~蘇我~上総一ノ宮間)、内房線(蘇我~君津間)、鹿島線(香取~鹿島神宮間)であり、E235系1000番台(近郊バージョン)の初日の2020(令和2)年12月21日は、大船~東京~君津間と千葉~佐倉間で運転されていました。

E235系1000番台(近郊バージョン)は、現在までに基本編成42本、付属編成が39本が配給輸送されていたけど、一時期、JR相模線、JR宇都宮・日光線、鶴見線へのE131系(同じ総合車両製作所新津事業所製)の導入が優先された為に導入が中断されていたことがありました。

E235系1000番台の導入により、E217系の廃車が進められるようになり、一昨日(8月29日)には、Y-116編成とY-117編成が、長野総合車両センターまで、配給輸送(廃車回送)されていました。

1999年12月に113系からE217系への置き換えが完了した時点では、E217系が大船電車区→鎌倉総合車両所と幕張電車区(現、幕張車両センター、千マリ)に分散配置されていたけど、鎌倉所属編成は、F編成、幕張所属編成は、R編成となっていました。

2006年3月18日には、鎌倉車両センターに集中配置されるようになり、Y編成(11両基本編成は0番台、4両付属編成は100番台)に変更されていました。

F編成は、E235系1000番台の11両基本編成、R編成は、E131系0番台(内房線、外房線の木更津~安房鴨川~上総一ノ宮間のUの字運用と、成田・鹿島線の成田、佐原~鹿島神宮間用)に受け継がれています。

現在運用中のE217系は、11両基本編成が9本(Y-29,32,33,34,35,37,40,41,42編成)、Y-30編成は横須賀駅に疎開留置中、4両付属編成が9本(Y-101,102,120,128,129,130,131,140,145編成)と少なくなっており、乗車、撮影はお早めにとなっています。

E217系の座席は、1~3,6~8号車(基本編成)と増1~4号車(付属編成)がロングシート、9~11号車がセミクロスシート、4号車と5号車(グリーン車💺🍀)が回転リクライニングシート💺であるけど、E235系では、9~11号車もロングシートとなっているので、普通車全車ロングシートとなってしまいました。

セミクロスシートが廃止されてしまったことによる不満の声があるけど、混雑率や付属編成がオールロングシートであることを思うと納得いく状態であります。

中央快速線のE233系も、普通車がオールロングシートとなっているので、グリーン車組み込み後には、横須賀・総武快速線のE235系みたいな編成となります。

E217系のトイレ🚻は、1号車が車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽、11号車と増1号車が和式トイレ、5号車(グリーン車)が通常幅の洋式トイレ(化粧室付き)🚻🚽となっているけど、E235系では、普通車(1,6号車と増1号車)のトイレが全て車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽となり、付属編成側(増1号車)のトイレが初の洋式🚽となっています。

113系のトイレのほうは、グリーン車を含めて全て和式であった為に、かつて183系によって上野~成田空港間(常磐線、成田線経由)で運転されていたエアポート常磐号(こちらも和式トイレしかなかった)と同様に、成田空港アクセス列車には適していない状態でありました。

それだけでなく、バリアフリー非対応ともなっていました。

1994年12月3日にデビューした当時は、バリアフリー法が施行される前だったことにより、普通車が和式トイレ、グリーン車が洋式トイレ🚽となったけど、1997(平成9)年に導入された編成からは1号車のトイレ🚻が車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽となり、Y-21編成以前の編成では、1号車が車椅子対応トイレ(だれでもトイレ)🚻♿付きの新造車に差し替えられ、捻出された先頭車が、増1号車に回されていました。

E235系近郊バージョンのトイレ🚻のほうは、E231系の後期型やE233系と同様にグリーン車を含めて全て洋式🚽となっているけど、E217系とは異なり、11号車にはないので、注意が必要⚠️であります。

その代わりに、E235系の6号車に、通常幅の洋式トイレ🚻🚽が設けられています。

E217系が導入された当初は、東京トンネル区間(品川~東京~錦糸町間)を通る時に、地下鉄と同様に貫通ドアを取り付けることが義務付けられていたけど、法改正により、1999年1月に導入された編成から貫通ドアが廃止され、貫通ドア付きと同じ外観の非貫通車(貫通型もどき)となっています。

東京トンネル区間がATCからATS-P化されたのは、2004年2月29日のことであり、地上信号機🚦が取り付けられるようになったので、その後にATC化された井の頭線を含めた京王電鉄の路線全線や東武東上線の池袋~小川町間とは逆の現象となっていました。

これにより、ATCなしの車両(非ATC車)を横浜方面から千葉方面(或いはその逆)に直通させる時に新宿駅を経由させる必要が無くなっています。

E217系の1,11号車と増1号車にATC装置が取り付けられていたのはその為であり、E235系近郊バージョンではATC装置が省略されています。

横須賀・総武快速線の付属編成が12~15号車ではなく、増1号車~増4号車となっている理由は、東京駅発着列車で有楽町(品川)寄りに来る車両を1号車とする決まりがあり、逗子駅での留置線の配線の関係により、東京・千葉寄りに付属編成を連結することが出来ない為に反対側の1号車の隣に連結されているからであります。

11両基本+4両付属のスタイルは、2006(平成18)年3月17日まで存在していた東海道線の113系でも見られていました。

2006年3月18日から2015年3月13日までの間、E217系の初期型編成(3編成)が東海道線の東京~熱海間(湘南帯)で活躍していたこともあったけど、E231系やE233系と揃える為に10+5編成に組み替えられ、15両固定で扱われていたので、比較的狙いやすかったです。

総武快速線で120km/hが行われる区間は、線形の良い市川~船橋間(特に下総中山駅付近)が中心であり、E259系による成田エクスプレスなどの特急🚃💺✈️も、130Km/hで快走することになっています。

今回の話題であるE217系のY-33編成は、1998(平成10)年6月の新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所、グリーン車は東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身))製、Y-145編成は、1999年7月の新津車両製作所製で、前者は旧F-30編成、後者はR41編成(元幕張車)となっています。

横須賀・総武快速線の東京駅地下ホームは、丸の内側の地下にあり、地下1階が改札口、コンコース、地下5階がプラットホーム(2面4線)であり、成田空港行き✈️の成田エクスプレスは、総武地下ホーム4番線(Track No.4)、成東、銚子方面の特急しおさい号は2番線、成田空港✈️からの横浜、新宿方面の成田エクスプレスは1番線または2番線からの発着となっています。

こちらのトイレ🚻は、地下1階と地下4階にあります。

南側にある京葉線の東京駅地下ホームも、2面4線で似たような構造となっているけど、京葉線地下ホームのほうが深いです。

しおさい号は、東京駅2番線からの発車なので、成田空港行きの成田エクスプレス(Bound for Narita-Airport)と間違えることはないけど、油断は禁物であります。

錦糸町駅は、北側に快速線、南側に緩行線ホームがあり、ホームから北側に聳える東京スカイツリーを眺めることが出来ます。

錦糸町駅前及び周辺にテルミナ(ヨドバシカメラも入っている)、アルカタワーズ、アルカキット錦糸町、オリナス錦糸町、丸井錦糸町店、東京楽天地(錦糸町パルコ(PARCO))、錦糸公園などがあります。

錦糸町テルミナ(TERMINA)は、1961(昭和36)年11月28日に、駅ビルきんし町として開業したものであります。

アルカキット錦糸町は、かつて錦糸町そごうだった場所となっています。

南口には、歌人伊藤左千夫氏の歌碑があるけど、こちらには、昔住居や牧場🐄があったので、説明書きがあります。

錦糸町に牧場🐄があったのは、本当のことであり、明治時代に遡っています。

詳細は、「錦糸町テルミナ」、「ヨドバシカメラ錦糸町」、「アルカキット錦糸町」、「オリナス錦糸町」、「東京楽天地」、「錦糸町パルコ」、「丸井錦糸町店」、「錦糸公園」で検索。

錦糸町駅が開業したのは、1894(明治27)年12月9日のことであり、当初は本所駅(都営浅草線の本所吾妻橋駅とは別)となっていました。

現在の錦糸町駅となったのは、1915(大正4)年のことであります。

市川駅は、横須賀・総武快速線、中央・総武緩行線が乗り入れている駅で、成田エクスプレスなどの特急の通過待ちが行われていることにより、総武快速線側に外側の通過線が設けられています。

市川駅の南側にある「I-linkタウンいちかわ」は、商業施設や住宅などが入った市川駅前のランドマークであり、ここに無料展望台があります。

こちらの夜景🌃🌉✨は、日本の夜景百選や日本夜景遺産に認定されています。

千葉県で日本の夜景100選に認定された場所は、木更津市の太田山公園にある「きみさらずタワー」、旭市の刑部岬(こちらも日本夜景遺産である)も挙げられています。

詳細は、「I-linkタウンいちかわ」で検索。

津田沼駅は、中央・総武緩行線、横須賀・総武快速線が乗り入れている3面6線(3線ずつ使われている)の駅であり、常磐快速線、常磐緩行線(東京メトロ千代田線直通)が乗り入れている松戸駅に似ているところがあります。

1番線は、総武快速線下り(稲毛、千葉方面)、2,3番線は、総武快速線上り(錦糸町、東京方面)、4番線は、総武緩行線東行き(幕張本郷、稲毛、千葉方面)、5,6番線は総武緩行線西行き(西船橋、錦糸町、新宿、三鷹方面)であり、津田沼始発の西行きは、平日朝、夜の東京メトロ東西線直通列車を含めて5番線からの発車となっています。

両駅の共通点は、新京成電鉄新京成線(来年4月1日から京成電鉄に吸収合併され、京成松戸線となる)との乗換駅であります。

津田沼駅の駅ビルは、ペリエ津田沼であり、以前は、Dila津田沼と呼ばれていました。

新京成線の新津田沼駅は、JR津田沼駅の北東部にある2面2線の相対式ホームの駅(イトーヨーカドーも入っている)であり、新津田沼〜京成津田沼間が単線区間となっていることにより、待ち合わせが行われています。

帰りは、新津田沼から京成津田沼まで、新京成線の8800形8802Fで移動し、京成津田沼駅から京成線で帰りました。

JR千葉駅は、総武本線、成田線、外房線、内房線、中央・総武緩行線が乗り入れている、5面10線の駅であり、乗り場は以下の通りであります。

1,2番線 中央・総武緩行線(西船橋、秋葉原、新宿、三鷹方面)

3,4番線 内房線(木更津、君津、館山方面)

5,6番線 外房線(茂原、上総一ノ宮、安房鴨川、東金方面)

7,8番線 総武本線(佐倉、成東、八日市場、銚子方面)

9,10番線 成田線(成田、成田空港✈️、佐原、銚子、鹿島神宮方面)

横須賀・総武快速線の上り列車(津田沼、錦糸町、東京、横浜、逗子、久里浜方面)は、3~10番線のうちのいずれかからの発車で、列車によって発車番線が異なっています。

成田エクスプレスの発着ホームは、 9,10番線であります。

千葉駅の9,10番線は、1984(昭和59)年2月1日に成田線用として増設されたものであり、これまでは、総武本線と兼用となっていました。

千葉駅は、総武鉄道の時代の1894(明治27)年7月20日の市川~佐倉間と共に開業した駅であり、開業当初は、800m先の千葉市民会館のある場所にありました。

1963(昭和38)年4月28日に現在地に移転され、両国方面から外房線や内房線に直通する時のスイッチバックが解消されていました。

このことは、1982(昭和57)年5月17日に移転される前の塩尻駅(現在は操車場となっている)で、名古屋~長野間の特急しなの号がスイッチバック(方向転換)していたことと同様であります。

旧、千葉駅跡は、千葉市民会館となり、ここには、「ここに千葉駅ありき」の石碑が設けられています。

東千葉駅は、1965(昭和40)年12月20日に、移転前の千葉駅に替わる駅として開業した駅であります。

千葉駅が現在のようなホームの上(3階部分)に改札口、コンコースのある駅となったのは、2016(平成28)年11月20日のことであり、1階部分から3階部分まで上がり、改札に入った後に2階部分のホームに下りるという元住吉方式の高架駅となっています。

これまでの千葉駅は、中央口が地上1階であったけど、西改札口のほうは、地形の関係により、当初から3階部分にあります。

ペリエ千葉は、千葉駅の駅ビルであり、改札内の3階部分と4階部分には、駅ナカ店舗があります。

4階には、ペリエ千葉の駅ビル部分と直結した改札口があるけど、こちらはICカード専用口となっています。

詳細は、「ペリエ千葉」で検索。

JR千葉駅の改札内のトイレ🚻は、3階部分に3ヶ所、4階部分に1ヶ所あり、個室が全て洋式🚽となっていることに加え、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されています。

千葉駅には、もちろんエスカレーターやエレベーターもあり、駅ナカもエレベーターで結ばれています。

千葉駅は、1988(昭和63)年から騒音対策により発車ベルの鳴らない駅となってしまったけど、このような経緯により発車メロディーが鳴らない駅となっているので、注意が必要⚠️であります。

千葉都市モノレールの千葉駅は、3階に改札口、4階にプラットホームがあるので、乗り換えに便利であります。

この日は久しぶりに千葉都市モノレールに乗ったけど、0形アーバンフライヤーは初乗車でありました。

京成千葉線の京成千葉駅は、1階にメインの改札口、2階にプラットホームがあるけど、3階部分に千葉都市モノレールの南改札口やJR線の改札口に通じた自由通路に至るモノレール口があるので、乗り換えが楽な状態であります。

千葉駅のマンヨーケン(万葉軒)の駅弁は、トンかつ弁当🍱などが有名であり、魚介類を含めて千葉県産の食材がふんだんに使われています。

ロングセラーであるとんカツ弁当に使われている豚肉は、関東一の豚肉の産地である千葉県産となっていることが分かります。

菜の花弁当🍱は、鶏肉のそぼろ、煎り卵で彩られ、あさり串も入っているので、千葉県らしい駅弁に仕上がっています。

リニューアルされた漁り(あさり)弁当🍱は、千葉県産のあさり、菜の花の辛子和え、ひじき、さんが焼き、銚子産真サバ(鯖)の塩麹焼きも入っていることにより、地産地消ならぬ千産千消へのこだわりが生かされています。

自分(しゃもじ)は、銚子電鉄の旅に行く時に、千葉駅でマンヨーケン(万葉軒)の駅弁を買って食べるこだわりがあり、2021年4月4日に行った時に、ちば元気弁当~豚つくし丼~🍱を選んでいました。

こちらは、千葉県産の食材がふんだんに使われているものであり、とんかつや甘辛炒めに使われている豚肉も千葉県産であります。

詳細は、「マンヨーケン」、「万葉軒」、「千葉駅 駅弁」で検索。

物井駅と佐倉駅の間の撮影には、モノサクと呼ばれている有名撮影ポイントがあり、撮影する人たちで賑わっています。

こちらは、Googleマップに登録されているほど有名であり、物井駅(快速停車駅)から20分程度歩いて行くことになります。

JR宇都宮線の東大宮~蓮田間の撮影ポイントは、ヒガハスと呼ばれるほど有名であり、モノサクとの共通点があります。

このような有名撮影ポイントで撮影する時には、ゴミを捨てない、植物を荒らさないなどのマナーを守ってもらいたいです。

大船駅は、神奈川県鎌倉市と横浜市栄区に跨がる、東海道線、横須賀線、根岸線(京浜東北線の延長部分)、湘南モノレール江の島線(みちのりホールディングス系)が乗り入れているジャンクション駅であり、1,2番線が東海道線上り(上野東京ライン、湘南新宿ライン、横浜、品川、東京、新宿、大宮、高崎、宇都宮方面)、3,4番線が東海道線下り(平塚、小田原、熱海、伊東、沼津方面)、5,6番線が横須賀線上り(湘南新宿ライン、横浜、品川、東京、千葉、成田空港✈️、新宿、大宮、宇都宮方面)、7,8番線が横須賀線下り(鎌倉、逗子、横須賀、久里浜方面)、9,10番線が根岸線(関内、桜木町、上野、大宮、八王子方面)から成っており、E257系2000番台(一部2500番台と併結)による特急踊り子号と通勤特急湘南号の一部の停車駅となっています。


大船駅と湘南江の島駅を結ぶ湘南モノレールの駅は、東口側にある2面1線の駅であり、乗車ホームと降車ホームに分かれています。

湘南モノレールでは、2018年4月1日からPASMOやSuicaなどのICカードが使えるようになっています。

湘南モノレールの時刻、運賃、運行情報などの詳細は、「湘南モノレール」で検索。

大船駅の駅ビルであるルミネウィングは、1992(平成4)年9月18日に開業した駅ビルであり、JR東日本グループのルミネ(LUMINE)と京浜急行電鉄(京急)の共同事業であることが、ルミネウィングの由来となっています。

詳細は、「ルミネウィング」で検索。

東口側には、2000(平成12)年6月30日まで、松竹大船撮影所(前述の蒲田撮影所の後継施設)があったことで有名でありました。

1995(平成7)年10月10日から1998(平成10)年12月15日まで、その敷地内に鎌倉シネマワールドがあったけど、たった3年間で閉鎖されてしまったのが惜しまれます。

ここにあった男はつらいよシリーズ(寅さん映画)のオープンセットの一部は、葛飾柴又にある「葛飾柴又寅さん記念館」に移設された上で展示されています。

その跡地は、鎌倉女子大学と鎌倉女子大学短期大学部の鎌倉キャンパス🏫となっています。

男はつらいよシリーズ(寅さん映画)は、たまプリの新メンバーである神田藍里氏💙の世界であります。

現在松竹映画の撮影所は、京都にあります。

大船軒(駅弁メーカーの老舗)による鯵(あじ)の押し寿司は、1913(大正2)年4月に発売された大船駅の名物駅弁であり、漁港料理の鯵の押し寿司を駅弁に仕立てたものであります。

1899(明治32)年には、日本で初めて駅弁にサンドイッチが取り入れられたサンドイッチ弁当(大船軒サンドウヰッチ)が発売されていたことで話題になっているけど、こちらも大船駅の名物駅弁となっています。

当初は輸入もののハムが使われていたけど、のちに鎌倉ハム富岡商会が設立され、国産品のボンレスハムが用いられるようになっています。

ボンレスハムとは、骨(Bone)のないハム(ボーンレスハム)のことであり、豚ロース肉が使われているロースハムに対して、骨なしの豚もも肉が使われています。

詳細は、「大船軒」、「鯵の押し寿司」、「サンドイッチ弁当 大船駅」、「鎌倉ハム」で検索。

大船観音寺は、大船駅の西側にある大船のシンボルであり、白衣観音像は、全長約25mあります。

詳細は、「大船観音」で検索。

横須賀線の衣笠駅付近にある、佐野天然温泉のぼり雲♨️は、衣笠駅から徒歩15分で行ける美人の湯を楽しめる日帰り温泉施設であります。

こちらには、佐野ゴルフガーデン⛳も併設されているので、ゴルフ⛳の後に温泉♨️に入ることも出来ます。

こちらへは、京急本線の横須賀中央駅から徒歩18分で行くことも出来ます。

詳細は、「佐野天然温泉のぼり雲」、「佐野ゴルフガーデン」で検索。

錦糸町の楽天地ビルの9階にある、天然温泉 男性専用 楽天地スパ(スパ&サウナ)♨️🚹️は、錦糸町駅近くにある温泉施設で便利であるけど、男性専用♨️🚹️である為に、女性🚺️並びに小学生以下(男女を問わず)が入ることが出来ないので、注意が必要⚠️であります。

ホームページには、女性のお客様、お子様は姉妹店 楽天地天然温泉法典の湯をぜひご利用ください。と書いてあります。

楽天地天然温泉法典の湯♨️は、JR武蔵野線の船橋法典駅付近(千葉県市川市)にあり、美肌効果があると言われています。

船橋法典駅から楽天地天然温泉法典の湯までは、徒歩5分と便利であります。

昨年4月29日に行ってみて良かったな❗と思いました。

詳細は、「楽天地天然温泉法典の湯」、「楽天地スパ 錦糸町」で検索。

自分(しゃもじ)のブログで温泉♨️をよく話題にする理由は、温泉が好きだからだけでなく、美肌効果があることを紹介したいからであります。

東急電鉄では、昨年1月25日に定期運用から離脱された、8500系の8637Fが、4両化された上でイベント、臨時列車用として復活するという情報が入ってきました。

田園都市線の新5000系5104Fは、リニューアルにより製造元の総合車両製作所横浜事業所まで甲種輸送されていました。

京阪電気鉄道では、2200系の2216Fがリバイバルカラーとなり、7月27日のミステリーツアーでお披露目されていました。

友人のひっぐ〜氏は、その乗車、撮影で興奮していたので、何よりだと思いました。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、ボーイング777-300ER型機(長距離国際線用)のJA734J号機が、20日の羽田〜シドニー線✈️🇦🇺でラストフライトを迎え、昨日は羽田空港に到着していました。

これにより、ボーイング777-300ER型機は、残り12機となってしまいます。

置き換え用であるエアバスA350-1000型機は、5機導入されています。

JALでは、ボーイング777型機の置き換えが、ANA(全日本空輸)✈️💙よりも早いペースで行われているので、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANAのボーイング777型機✈️💙は、-200型、-300型共に現役であるけど、ボーイング777Xの導入が遅れていることにより、-200型は、ボーイング787-10型に置き換えられる予定となっています。

23日からは、羽田〜ダラス・フォートワース線のJAL便が全てエアバスA350-1000型機による運航となっています。

JALのエアバスA350-1000型機✈️🇯🇵は、羽田〜ニューヨーク(JFK)、ダラス線で好評運航中であり、今年度中に羽田〜ロンドン線にも使われる予定となっています。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

21日は再び五反田まで行き、おさんぽ娘を見てきました。

自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動は、こちらで止まっています。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリでは、RESNECT(リスネクト)と両方で活躍している、千ちゃん氏(第1期から活躍してきたメンバー)が、明日(9月1日)をもってたまプリを卒業するという情報が入ってきました。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

8月24日は、土曜出勤により、たまプリのBBQ(バーベキュー)オフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

8月25日は、渋谷のGARRET udagawaで行われていた 「Killer Tune SHIBUYA 2024 Vol.54 」 に行き、たまプリのメンバーと再会することに成功しました。

爆盛りラーメン伝説が出てきたことで、あいりんこと神田藍里氏💙は、塩ラーメン🍜が好きだと言っていました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

横須賀線や総武快速線の時刻、運賃、運行情報などの詳細は、JR東日本のホームページを見るか、「横須賀線」、「総武快速線」で検索願います。

E217系の撮影には、マナーを守ってもらいたいと思っています。

今宵はここまでに致しとうござりまする。