7月21日は、渋谷から要町まで、東武鉄道9000系の9107F(東上線開業110周年記念ヘッドマーク付き電車)による、渋谷始発の森林公園行きに乗りました。

今回乗った列車は、土休日17T運用で、東急電鉄の元住吉検車区(元住吉車庫)から出庫した後、渋谷駅まで回送され、17時07分発の森林公園行き(3117T、全区間各駅停車(普通列車))で、森林公園検修区に入庫することになっています。

こちらは、元住吉検車区に停泊していた東武車(9000系列または50070系)を森林公園検修区まで送り返す為の運用で、3117Tだけと、単純であります。

土休日19T運用も、元住吉検車区から森林公園検修区まで送り返す為の運用であり、武蔵小杉駅を22時36分に発車する森林公園行き(3119T、東横線では急行運転)となっています。

渋谷駅では、元町・中華街駅から来た東急5050系4000番台による急行渋谷行き(土休日62K折り返しは入れ替わりに元住吉検車区まで回送となる)から接続することになっているけど、この日は4113F(Qシート付き)が使われていました。

前日の7月20日には、9107Fが元住吉検車区で停泊する土休日05T運用の後半に使われていたので、この日は17T運用で森林公園検修区に帰ることを予想していたので、その予想が見頃に的中していたのであります。

元住吉検車区から渋谷駅までの回送は、当然のことながら、東急電鉄の乗務員さんによって行われています。

こちらは、和光市駅で、湘南台駅から来た相鉄20000系による和光市行き(土休日94G運用、東急線では急行運転、この日は20105Fが使われていた)から接続することになるけど、渋谷駅で乗り換えたほうが確実に座ることが出来ます。

6月30日には、土休日17T運用に、50070系の51072Fが使われていたので、こちらも撮影しておきました。

50070系の行先表示は、9000系列や50090系(TJライナーの車両)と同様のフルカラー表示であり、51075Fだけがゴシック体に変更され、他は明朝体のままとなっています。

51075F以外の編成も、ゴシック体に変更される可能性があるので、明朝体表示の51072Fを撮影したのもそのはずであります。

この列車は、渋谷から森林公園まで、他の列車に抜かれずに先着することになっており、終点の森林公園駅では、東武線の池袋駅から来た急行小川町行きに接続しています。

東武東上線は、前身の東上鉄道の時代の1914(大正3)年5月1日に池袋〜田面沢(たのもざわ、川越市〜霞ヶ関間にあった廃駅)間で開業したのが最初であり、5月1日には、開業110周年を迎えていました。

開業当初からある駅は、池袋、下板橋、成増、朝霞(旧、膝折)、志木、鶴瀬、上福岡、川越市(旧、川越町)の各駅であります。



同年6月17日には、上板橋駅と新河岸(しんがし、旧、高階(たかしな))駅が開業していたので、こちらも開業110周年を迎えていました。

1916(大正5)年10月27日には、坂戸町(現、坂戸)駅まで、1923(大正12)年10月1日には、武州松山(現、東松山)駅まで、同年11月5日には、小川町駅まで、それぞれ延長されていました。

寄居駅までの全線が開業したのは、1925(大正14)年7月10日のことであり、来年100周年を迎えます。

東上線は、全線非電化だったけど、1929(昭和4)年10月1日に池袋〜川越市間が、同年12月29日に川越市〜寄居間が電化されていました。

今からちょうど104年前の1920(大正9)年7月27日に、東上鉄道が東武鉄道に吸収合併されたことにより、現在のような東武鉄道の路線の一部となっています。

越生線(坂戸〜越生(おごせ)間)のほうは、前身の越生鉄道によって開業した路線であり、1943(昭和18)年7月1日に東武鉄道に吸収合併され、東上線の支線として扱われています。

東武東上線から地下鉄有楽町線への直通運転が開始されたのは、1987(昭和62)年8月25日の和光市〜営団成増(現、地下鉄成増)間の開業の時からであり、当時は新富町駅までの乗り入れとなっていました。

翌年の1988(昭和63)年6月8日には、新木場駅まで延長され、新富町行きが廃止されていたので、東武9000系による新富町行きが10ヶ月の期間限定となっていたのであります。


9107Fによる東上線開業110周年記念ヘッドマーク付き電車は、7月13日から運転されているけど、初日のこの日は、森林公園→池袋(東武線)間でのツアー列車に使われていました。



こちらは、地下鉄乗り入れ運用がメインとなっているけど、池袋〜小川町間の地上運用に使われることもあります。

このヘッドマークは、10月10日まで取り付けられる予定となっています。

4月30日に発表された、東武鉄道の今年度(来年3月までの間)の事業計画によると、東武アーバンパークライン(野田線)用の新型車両である80000系(来年春営業運転開始予定)が、5編成25両導入される予定
であります。

こちらは5両編成であり、25本導入される予定となっているけど、うち18本は、4両が完全新製で、60000系の5両編成化により捻出される中間車が組み込まれることになっています。

東上線では、9000系の置き換え用の新型車両が導入されることになり、設計の段階に入ることになります。

9000系の0番台は、未だ電機子チョッパ制御(非VVVF)車のまま東京メトロ有楽町線、副都心線、東急東横線、みなとみらい線に乗り入れているので、乗り入れ先からの置き換えの要請があるのもそのはずであります。

これにより、8000系や10000系も危ないと言われています。

自分(しゃもじ)が東武の9000系、8000系、10000系を見掛けた時に撮影しておくようにしています。

地下鉄直通列車の森林公園行きは、1987(昭和62)年8月25日の直通運転開始当時、東武鉄道の車両(9000系)の出入庫運用が当たり前となっていたけど、現在は、副都心線直通運用を含めて、メトロ車の10両編成(10000系または17000系の17101~17106F)や東急車(5050系4000番台)も加わっています。

東武9000系は、1981(昭和56)年11月に9101Fが、有楽町線乗り入れに備えた試作車として導入され、同年12月28日に東上線内の列車(池袋~小川町間)で営業運転入りしていました。

9000系で初採用された点は、ステンレス車体、10両固定編成、電機子チョッパ制御装置などであり、30000系まで続いたマルーン帯の第一号でもあります。

9101Fは、池袋寄りの4両(9101,9201,9301,9401号車)が東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、中間の2両(9501,9601号車)が富士重工業(現、SUBARU(スバル))の宇都宮製作所、小川町寄りの4両(9701,9801,9901,9001号車)がアルナ工機(現、アルナ車両)で製造されていたので、分担製造編成でもありました。

1983(昭和58)年12月22日に東上線でデビューし、翌年の1984(昭和59)年3月20日に本線系統にも進出した10000系は、9000系ベースの地上線専用車(同じマルーン帯)であり、こちらは界磁チョッパ制御となっています。

1987年には、量産車である9102~9107Fが導入されたと共に、9101Fが地下鉄乗り入れ対応改造され、営団地下鉄(当時)の有楽町線にも乗り入れるようになっています。

1991(平成3)年に輸送力増強用として導入された9108Fは、アルナ工機製で、同時期に導入が進められていた10030系に準じた軽量ステンレス車体に変更されています。

軽量ステンレス車体に電機子チョッパ制御装置の組み合わせは、9108Fだけであります。

この時には、かつて日比谷線直通で活躍していた20000系と同様に、ミの音を奏でることになっているので、チョッパ制御だった頃の営団地下鉄→東京メトロ6000系、7000系、8000系を思い出します。

6000系は、2018(平成30)年まで千代田線で活躍していた車両(末期は全てVVVF改造車となっていた)で、8000系は、現在でも半蔵門線で活躍しています。

1994(平成6)年12月の有楽町新線(小竹向原~新線池袋(現在の副都心線池袋駅)間)の開業の時に9000系のマイナーチェンジバージョンである9050型(9151Fと9152Fで、東上線初のVVVF車でもある)が2本導入され、9000系列の車両が10本100両出揃っていました。

内装やインバータ装置のほうは、日比谷線直通で活躍していた20050型や20070型(現在は栃木ローカル用の20040型に改造されている)に準じていたので、9108Fと20050型を足して2で割ったような感じでありました。

行先表示は当初からLED式であるけど、前面がローマ字なしのゴシック体となっていました。

2008(平成20)年6月14日の副都心線の渋谷延長の時に、9101Fを除いた9000系列の車両の副都心線乗り入れ対応改造が行われ、9102~9108Fの行先表示のLED化(50070系と同様の明朝体表示のフルカラー表示)、内装の一新等が行われていたけど、VVVF化改造が行われなかったので、現在も電機子チョッパ制御のままとなっています。

これにより、東京メトロ有楽町線、副都心線、東急東横線、みなとみらい線直通列車に電機子チョッパ制御車(非VVVF車)の乗り入れが残される結果となってしまいました。

9050型も同様に改造されたので、外観が9108Fと同じとなっています。

9101Fは、ドア幅が量産車と異なっていることによりホームドアに対応しない為に、副都心線乗り入れ対応改造から外され、デビュー時と同じ地上線(池袋~小川町間)専用車両に戻されていたけど、2021(令和3)年6月から休車状態となり、昨年10月16日から17日に掛けて、秩父鉄道、伊勢崎線、佐野線経由で北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで廃車回送されていました。

その中間車は解体されたけど、先頭車が別の場所で保管されているので、どうなるのか気になります。

9000系の量産車と9050型の車両メーカーは、9102,9104,9106,9108,9152Fがアルナ工機、9103,9105,9151Fが東急車輛製造、9107Fが富士重工業製であります。

今回の話題である9107Fは、10両全てが1987年の富士重工業製であり、銘板は、スバルマークではなく、〇フマークとなっています。

SUBARU(スバル、旧、富士重工業)は、レヴォーグ(レイバックを含む)やインプレッサなどのスバル(SUBARU)ブランドの乗用車で有名だけど、2003(平成15)年までは、鉄道車両(気動車中心だった)やバス車体の製造も行われていました。

富士重工業製のバス車体は、西日本車体工業(西工)と同様に日産ディーゼル工業→UDトラックスの車両(UD車、西武バス、関東バス、東急バスなどに導入されていた)がメインとなっていたけど、東武鉄道のバス事業(現在の東武バスグループ)でも、群馬エリア(現在系列の関越交通に譲渡されている)を含めて、富士重工業製車体のいすゞ(ISUZU)車や日野(HINO)車も導入されていました。

富士重工業製車体の日野車や三菱ふそう(FUSO)車は、撤退前の1998(平成10)年まで製造されていました。

東武バスセントラル(旧東武バスイーストの東葛エリアを含む)がいすゞ(ISUZU)車、東武バスウエストが日野(HINO)車メインであるので、東武東上線沿線を走る東武バスは、東武バスウエスト(川越、新座の両営業事務所、坂戸営業所所属)であることから、日野(HINO)車がメインとなっています。

そのうちの新座営業事務所(所沢ナンバー)には、日野自動車(HINO)の親会社であるトヨタ自動車(TOYOTA)のSORA(ソラ)という燃料電池バスが1台導入され、鶴瀬駅東口とららぽーと富士見を結ぶ鶴02系統メインで使われています。

千葉県我孫子市(柏ナンバーの地域)に本社、営業所のある阪東自動車は、かつて富士重工業製車体の日野(HINO)車がメインとなっていたけど、現在はいすゞ(ISUZU)車に加え、東武グループ(朝日バスグループ)としては珍しい三菱ふそう(FUSO)車も導入されています。

こちらは、かつてUD車も導入されていたので、東武グループのバス会社で唯一4社揃い踏みとなっています。

UDトラックスは、ボルボ(VOLVO)の系列だったけど、現在はいすゞ自動車(ISUZU)の系列であります。

関東バス🚌😸では、富士重工業製の車体がメインとなっていたので、UD車に加え、富士重工業製車体の三菱ふそう車、日野車、いすゞ車も導入されていました。

東武池袋駅は、西口(東武百貨店の池袋本店)側にあり、1番線が、準急と川越特急、2番線が、急行、快速、快速急行、3番線が2番線側の降車専用またはTJライナー発車前後の普通列車乗り場、4番線が普通列車、5番線がTJライナー乗り場、4番線側の降車専用となっているけど、列車によって異なる場合があります。

TJライナーが池袋駅の5番線(専用ホーム)から発車することは、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の浅草駅で、N100系スペーシアXが同じ5番線(専用ホーム、線路は4番線と共通)から発着することと同様であります。

発車メロディーは、TJライナー7周年を迎えていた2015(平成27)年6月14日からアレンジされていない純粋なクラシック音楽🎵が使われているのが特徴であり、1,2番線(準急、急行、快速、快速急行、川越特急)がモーツァルトのディヴェルティメントK.136より第1楽章アレグロ、3,4番線(普通列車)がモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークより第3楽章メヌエット、5番線(TJライナー)がベートーヴェンの交響曲第6番「田園」より第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポが使われています。

クラシック音楽の発車メロディが使われているきっかけは、池袋駅周辺に東京芸術劇場などの文化芸術施設があることであります。

東京芸術劇場は、1990(平成2)年10月30日に東京学芸大学附属豊島小学校(現在は小金井市に移転され、小金井小学校となっている)の跡地(西口側)に開設された劇場であり、1999席の大ホール(コンサートホール)と2つの小ホール(シアターウエストとシアターイースト)から成っています。

大ホール(コンサートホール)にあるパイプオルガンは、世界最大級であります。

その前にある池袋西口公園は、1970(昭和45)年に開園した、グローバルリングという野外劇場のある公園であり、1990年の東京芸術劇場の開業の時に拡張され、2019(令和元)年11月16日にリニューアルされていました。

リニューアルされた池袋西口公園のトイレ🚻は、全て洋式🚽となっています。

詳細は、「東京芸術劇場」、「池袋西口公園」で検索。

池袋の地名の由来は、袋型の池などの池や雑木林が多かったことであり、東京メトロ銀座線、南北線の溜池山王駅付近にその名の通りの溜め池があったことに準じています。

東向島にある東武博物館にある古い地図を見た時に、溜池山王駅付近に溜め池があったことを確認することが出来ます。

池袋なのにどこが池なんだという疑問はこのことでありました。

現在の池袋は、大塚辺りから移ってきた繁華街となっています。

東武池袋駅の改札口は、地下の北改札口、中央1改札口、中央2改札口、1階の南改札口から成っており、エレベーターがあるのは、中央1改札口側のみとなっています。

下りのTJライナーの改札口は、中央改札2、北改札側と南改札側の2ヵ所であり、中央改札1側からは行かれないので注意が必要⚠️であります。

東武池袋駅のトイレ🚻は、北改札口側と南改札口側の2ヵ所あり、南改札口側には、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されています。

南改札口側のトイレ🚻の個室は、リニューアルにより全て洋式🚽となっており、そのうちの1室(男性用🚹️の3室のうちの1室)は、幅広タイプ(簡易多目的トイレ)となっています。

東武池袋駅の定期券売り場は、南改札口外の2階にあります。

東武百貨店池袋店は、1962(昭和37)年5月29日に開店したターミナルデパートであり、開店当時の売り場面積は、11998㎡となっていました。

1964(昭和39)年6月1日には、東横百貨店(現在の東急百貨店)の池袋店が東武百貨店に買収され、同年12月1日に別館化されていました。

1971(昭和46)年11月11日には、本館部分の増改築によって17階建ての建物となり、ぶらんで~と東武となっていたけど、ブランデーみたいな名前だな❗と思っていました。

1992(平成4)年6月10日には、中央館、プラザ館の新設により、売り場面積が46564㎡から83000㎡と大幅に拡大され、日本国内の百貨店で最大となったことで話題になっていました。

各階で接続しているメトロポリタンプラザ(現、ルミネ(LUMINE)池袋、JR東日本グループ)も同時にオープンしていたので、東武百貨店と繋がる巨大ショッピングセンターが誕生した瞬間でもありました。

当時は、東武百貨店が開店30周年を迎えていたので、30周年記念事業であったことが分かります。

JR線のメトロポリタン口(目白寄りの改札口)が出来たのも、メトロポリタンプラザの開業に合わせたものとなっています。

因みに、メトロポリタンプラザのショッピングセンター部分が、同じJR東日本グループであるルミネ(LUMINE)池袋に鞍替えされたのは、2010年4月1日のことであり、メトロポリタンプラザの名は、ビル名に残されています。

メトロポリタンプラザビルのある場所は、かつて芝浦工業大学高等学校(現在は江東区豊洲にある)があった場所となっています。

2003年には、松坂屋(Matsuzakaya)の名古屋店(栄駅前)が増床されて86758㎡になってからは、日本一の座が奪われたけど、東武百貨店池袋店は、東京並びに関東一の売り場面積を誇るデパートであることには変わりはないです。

2014年に開店した、大阪市阿倍野区にある近鉄百貨店(Kintetsu)のあべのハルカス本店(売り場面積は100000㎡)が日本一のデパートとなっています。

東武百貨店のロゴマークは、TOBUの文字となっているけど、かつて東武バス(東武鉄道のバス事業だった)の観光バスタイプの車両に使われていたものと同様のTO-Bマークとなっていました。

東向島にある東武博物館には、観光バスの座席💺が保存されているけど、TO-Bマーク入りの座席カバーも残されています。

1988(昭和63)年11月11日の高速バスいわき号(東京駅~平(現、いわき)駅間)の開業の時に使われていた東武バスの車両(こちらも富士重工業(現、SUBARU(スバル))製車体のいすゞ(ISUZU)車であった)にもTO-Bマークが入っていました。

池袋の東武百貨店は、メトロポリタンビル部分を除いて、将来的に超高層ビルに改築される予定となっているので、新宿の小田急百貨店みたいな感じとなります。

詳細は、「東武百貨店」、「東武百貨店池袋店」、「ルミネ池袋」、「東武博物館」で検索。

その周辺にある、ホテルメトロポリタンは、1985(昭和60)年6月2日に開業した、JR東日本グループの日本ホテル運営の25階建てのホテルであり、当初は日本国有鉄道(国鉄、JNR)による出資が行われていたことにより、首都圏初の国鉄系ホテルとなっていました。

1987(昭和62)年4月1日には、国鉄から東日本旅客鉄道(JR東日本)となったことにより、JR東日本グループのホテルとなり、メトロポリタンホテルズのブランドが展開されるようになっています。

メトロポリタンホテルズは、池袋のホテルメトロポリタンのほか、ホテルメトロポリタンエドモント(飯田橋)、丸の内、さいたま新都心、高崎、長野、仙台、仙台イースト、山形、盛岡、盛岡ニューウィング、秋田、鎌倉にもあるけど、池袋はホテルメトロポリタンのままとなっているので、これらのホテルと区別する為に、ホテルメトロポリタン(池袋)と呼ぶようにしています。

詳細は、「ホテルメトロポリタン」、「メトロポリタンホテルズ」で検索。

上越新幹線で最も長いトンネルである大清水トンネル(上毛高原~越後湯沢間)の掘削中には、湧水に悩まされていたけど、その水がとても美味しい😋🍴💕と評判だったことにより、国鉄時代の1984(昭和59)年11月に「谷川連峰の源水 大清水」シリーズのミネラルウォーターや清涼飲料水として売り出されていました。

大清水シリーズは、大清水トンネルの「だいしみず」ではなく、「おおしみず」と呼ばれていたけど、ミネラルウォーターだけでなく、それが生かされていたコーヒーや緑茶などが販売されていました。

大清水シリーズの原水は、現在コンビニ等で盛んに販売されているペットボトル入りミネラルウォーターの先駆けとなった商品であり、現在でも、JR東日本クロスステーションのウォータービジネスカンパニーによって、From AQUAブランド(From AQUA 谷川連峰の天然水)として販売されています。

詳細は、「From AQUA」で検索。

こちらも、国鉄によって発売され、JR東日本グループに継承されているので、ホテルメトロポリタンと同様だな❗と思いました。

現在の東武東上線の池袋駅南改札口は、1992年6月10日のプラザ館(メトロポリタンプラザビル)のオープンと共に開設されていたけど、以前は目白寄りに6両編成対応の留置線が2本ありました。

西武池袋線の池袋駅には留置線があるけど、昔は東武東上線の池袋駅にも留置線があったのであります。

下板橋駅付近(金井窪駅跡)にある留置線は、その代わりとなっています。

戦後には、池袋駅の東口と西口にブラックマーケット(ヤミ市)と呼ばれる露店街が形成されていたことがありました。

東武線の池袋駅は、改良される予定であり、3面3線から2面4線となります。

9000系列や50070系は、東上線の地上運用(東武線池袋~小川町間)、有楽町線直通、副都心線直通に使われていることにより、池袋駅の3つのホームで見られています。

このことは、西武鉄道の6000系の6108〜6117Fや40000系(地上運用は東口にある西武線の池袋駅に発着)にも言えることであり、平日朝に所沢→豊洲間、夕夜間に豊洲→小手指間で、40000系のライナー仕様車によって運転されている平日のS-TRAINは、有楽町線の池袋駅を通過する前代未聞の列車となっています。

東武東上線では、以前矢印表示(例、池袋⇔森林公園)となっていたことがあったけど、誤乗が多発していたことにより、現在の単体表示となったのであります。

要町駅と千川駅は、要町通りの真下にある上下二層式の地下駅であり、上部(地下2階)に有楽町線乗り場、下部(地下3階)に副都心線乗り場があります。

どちらも、上部が緩行線、下部が急行線となっている小田急線の下北沢駅(千代田線から16000系が乗り入れている)に似ているところがあります。

もちろん、改札口と上下のホームを結ぶエレベーターも設置されています。

要町駅のほうは、山手通りと交差する駅で、西側(要町方面)と東側(西池袋方面)の連絡通路で階段を下ることになっています。

こうなっているのは、首都高速道路中央環状線の山手トンネルとの干渉を防ぐ為であり、北側に出入口がある関係によって浅くなっています。

要町駅の北側には、山手トンネルの出入口があるので、副都心線と東急東横線の直通列車は、要町駅と中目黒駅の2ヶ所で山手トンネルと交差することになります。

要町通りは、池袋駅西口~要町駅間で、緑色の車体の国際興業バス🚌のいすゞ(ISUZU)車(池袋営業所または志村営業所所属)が頻繁に行き交う区間であるけど、池袋駅西口~中野駅(サンプラザ前)間の池11系統(要町駅から目白五丁目までの間は山手通り経由)では、国際興業バスと関東バス(丸山営業所所属)🚌😸の共同運行便であるので、関東バス便🚌😸の場合には、赤い車体が目立っています。

池11系統の関東バス便の車両🚌😸は、日野自動車(HINO)、日産ディーゼル工業(UD車)、三菱ふそう(FUSO)車となっているので、いすゞ(ISUZU)車が当たり前となっている国際興業便を合わせれば、国内の4メーカー全ての車両が使われている路線となっています。

関東バスの丸山営業所は、富士重工業製の車体の時から、日野(HINO)車の比率が高い状態となっています。

国際興業バス🚌の池袋営業所は、西武池袋線🚃の椎名町駅と、東京メトロ有楽町線・副都心線の要町駅の中間(豊島区千早、立教通りの末端部分)にある営業所で、1950(昭和25)年12月1日に国際興業バスが発足した時からある営業所でもあります。

山手通りは、山手トンネルの建設工事と共に拡幅されたけど、国際興業バスの池袋営業所では、西側にずらす工事が行われていました。

立教大学の南側(裏側)を通る西池袋通りは、2011年3月20日に開通したバイパス道路であり、これが出来たことによって、山手通りと明治通りの間が近くなっていました。

千川駅は、要町通りと鮫洲大山線が交わる場所にある駅で、豊島区千川地区の最寄り駅となっています。

東京都調布市にある京王線の仙川駅は、「せんがわ」と濁るけど、千川駅は、「せんかわ」と濁らないことになっています。

平日朝ラッシュ時には、千川駅始発の副都心線の列車が2本あるけど、8時29分発の武蔵小杉行きと、8時49分発の相鉄線直通の湘南台行き(どちらも東急の車両による運用、前者は8両編成、後者は10両編成)から成っています。

逆に千川行きの列車は通常設定されていないです。

副都心線の池袋行きは、池袋駅に到着した後、千川~小竹向原間の引き込み線まで回送された上で折り返し、千川始発となる上記の2本を除いて池袋駅まで回送で戻り、池袋駅から客扱いとなります。

日本大学医学部附属板橋病院(日大板橋病院)🏥へは、池袋駅西口、要町駅、千川駅から国際興業バス🚌の池05系統の日大病院行き(池袋営業所所属、池袋車庫~要町駅~日大病院間の池85系統もあり)で行くことになります。

和光市駅が東武東上線の駅として開業したのは、1934(昭和9)年2月1日のことであり、当初新座郡新倉村にあったことから、ひらがなの「にいくら」駅と呼ばれていました。

同年7月12日には、にいくら駅から新倉駅となり、1951(昭和26)年10月1日には、大和町(やまとまち)駅に変わっていました。

北足立郡大和町は、1943(昭和18)年4月1日に、白子村との合併により出来た和光市の前身であり、1970(昭和45)年10月31日には、市制施行により、現在の和光市となっています。

大和町駅から和光市駅となったのは、1970年12月20日のことであります。

和光市の由来は、大いなる和を表す大和の和に、栄光の光が組み合わされたものであり、大和町からの門出に相応しいと思っています。

地下鉄乗り入れ前の和光市駅は、1面2線の島式ホームで、現在の上りホーム部分に上下線のプラットホーム、下りホームの部分に駅舎がありました。

当時の東武東上線の急行列車は、和光市駅通過だったけど、有楽町線乗り入れ開始と共に停車するようになっています。

現在の和光市駅は、2面4線であり、外側に池袋発着の東武東上線の列車、内側に地下鉄有楽町線、副都心線の列車が発着しています。

昨年3月18日からは、相模鉄道(相鉄)の20000系も乗り入れるようになったことで賑やかになっています。

中目黒駅では、外側に東急東横線、地下鉄副都心線直通列車、内側に日比谷線が入っているので、副都心線直通列車は、和光市駅で内側、中目黒駅で外側に入ることになっています。

東京メトロの和光検車区は、和光市延長と共に出来た車両基地であり、米軍新倉倉庫の跡地に掛かっています。

開設当初は、210両収容の車両基地となっていたけど、副都心線が延長されたと共に拡張されて、350両収容となっています。

和光市駅南口の駅ビルである、EQUiA PREMIE(エキア プレミエ)和光は、2020(令和2)年3月26日に開業した駅ビルであり、和光市東武ホテル🏨も併設されています。

詳細は、「エキアプレミエ和光」、「和光市東武ホテル」で検索。

和光市~志木間の複々線区間は、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の北千住~北越谷間と同様に、外側が急行線、内側が緩行線となっているけど、こちらは、東京メトロや東急電鉄の車両を含めた通勤型車両しか走らない区間となっています。

地下鉄副都心線、東急東横線、みなとみらい線直通の急行(Fライナーを含む)、快速急行は、内側の緩行線を通るので、小田急線の代々木上原~登戸間で、千代田線直通の準急、通勤特急、急行が緩行線を通ることに似ているところがあります。

70090型による地下鉄日比谷線直通のTHライナーの場合は、北千住~西新井間で緩行線を通り、梅島~西新井間で転線することになっています。

朝霞台駅は、1974(昭和49)年8月6日に開業した、JR武蔵野線の北朝霞駅との乗換駅であり、同年7月23日に開業した東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の新越谷駅(南越谷駅との乗換駅)と同様に、1973(昭和48)年4月1日の武蔵野線(府中本町~新松戸間)よりも遅れて開業したことになっています。

朝霞市駅の開業当初は、3月17日までの朝霞駅と同様に、普通列車(各駅停車)と準急しか停車しない駅となっていたけど、1998(平成10)年3月26日には、急行も停車するようになり、2019年3月16日に新設された川越特急も停車しています。

昨年3月18日には、快速急行も停車するようになり、利便性が向上されていました。

新越谷駅は、1997(平成9)年3月25日に、高架化並びに草加~越谷間の複々線化により、日比谷線直通を含めた普通列車のみ停車の駅から準急(現、区間急行)などの優等列車が停車する駅に格上げされていました。

朝霞台駅は、エスカレーターがあってもエレベーターがない駅となっているけど、北朝霞駅にはエレベーターがあります。

今年度中に朝霞台駅のエレベーター新設工事が着手されるという朗報がありました。

車椅子♿での利用客の場合は、対応型のエスカレーターよりもエレベーターのほうが便利だと言われているので、エレベーター設置を求める声が高まっています。

エレベーターが便利になるのは、車椅子♿だけでなく、ベビーカー🚼️や大きな荷物🧳を持った人たちにも言えることであります。

朝霞台駅のトイレ🚻は、男女共に全て洋式🚽となっているのはいいけど、その出入口に段差があるので、段差を避ける為には車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽の利用が推奨されています。

朝霞台駅⇔北朝霞駅間の乗り換え通路には、新越谷駅⇔南越谷駅間と同様に、屋根があるので、雨の日☔の乗り換えも楽な状態であります。

北朝霞駅のトイレ🚻も、JR東日本の首都圏の主要駅らしく、全て洋式化🚽されています。

朝霞台駅付近にある朝霞浄水場は、三郷浄水場(埼玉県三郷市)、長沢浄水場(神奈川県川崎市多摩区)と同様に東京都外にある東京都水道局の植民地浄水場となっています。

川越特急は、快速急行とは異なり、池袋~朝霞台間ノンストップで、和光市駅には停車しないので、上りの川越特急から地下鉄直通列車に乗り換える場合は、朝霞台駅での乗り換えとなります。

7月23日には、新越谷駅が開業50周年を迎えていたけど、8月6日には、朝霞台駅も50周年を迎えることになります。

6月9日には、埼玉県鶴ヶ島市にある、カトー(KATO)ブランドの鉄道模型でお馴染みの関水金属の鶴ヶ丘新工場に隣接する場所にガーデンパーク(KATO Railway Park)がオープンしたことで話題になっています。

こちらでは、軽便鉄道が展示されており、イベントの時に走行シーンを見ることが出来ます。

ガーデンパーク(KATO Railway Park)へは、鶴ヶ島駅西口から徒歩15分で行くことになるけど、つるワゴン(ワンボックスカータイプの小型バス)の松ヶ丘・関越病院線(ピンク色)で、eコラボつるがしままで行くことも出来ます。

詳細は、「ガーデンパーク 鶴ヶ島」、「カトー鉄道模型」で検索。

東武東上線の森林公園駅は、埼玉県比企郡滑川町にある2面4線の駅であり、橋上駅舎方式で、2階に改札口や車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽があります。

ホームは、1,2番線が下り(小川町、寄居方面、寄居方面は森林公園始発を除いて全て小川町駅で乗り換え)、3,4番線が上り(川越、池袋、新木場、元町・中華街方面)であり、どちらもホーム上に男女別のトイレ(ホームトイレ)🚻があります。

森林公園駅のホームトイレ🚻は、場所が狭く、和式トイレしかなかったけど、改良されてから広くなり、洋式トイレ🚻🚽に変更されていました。

ホームと改札口を結ぶエスカレーターとエレベーター、北口、南口の改札外エレベーターがあるので、バリアフリーステーション♿となっています。

東武東上線の森林公園検修区は、1971(昭和46)年3月1日に、輸送力増強によって手狭となった川越電車区(川越市駅構内にあった車両基地で、JR東日本の川越車両センターの前身とは別であった)からの移転により、森林公園駅と共に開設された車両基地であります。

川越市駅構内には、川越電車区から転用された川越工場があったけど、2020年9月に閉鎖されていました。

現在東上線の車両の検査は、森林公園検修区と南栗橋工場で行われているので、川越工場が廃止されてからは、東上線系統一筋である9000系列の車両が南栗橋での検査の時に本線系統を走るシーンを見られるようになっています。

かつて東京メトロ半蔵門線、東急田園都市線直通列車で活躍していた30000系は、15本全てが東上線に回されているけど、南栗橋での定期検査の時に本線系統に戻ってくることになります。

駅名の由来である国営武蔵丘陵森林公園(森林公園)は、1974(昭和49)年7月22日に全国初の国営公園として開園していたので、駅よりも後に出来たことが分かります。

森林公園と呼ばれる場所は、全国至るところにあるけど、これらの森林公園と区別する為に、埼玉県比企郡滑川町にある森林公園のことを、正式名称である武蔵丘陵森林公園または国営武蔵丘陵森林公園と呼んでいます。

JR北海道の函館本線にある森林公園駅(北海道札幌市厚別区)は、道立自然公園野幌森林公園の最寄り駅であり、徒歩20分掛かります。

森林公園駅や武蔵丘陵森林公園のある滑川町は、なめがわまちと濁るので、なめりかわしと読む富山県滑川市(ホタルイカ(蛍烏賊)で有名な場所)と異なる点があります。

富山県の滑川市は、なめりかわと、濁らないです。

武蔵丘陵森林公園(森林公園)は、紅葉🍁の名所であり、紅葉シーズンには。紅葉(もみじ)見ナイトというイルミネーションタイプのライトアップイベントが行われることになっています。

森林公園駅からは、北口から熊谷駅行き(RU01系統)または立正大学行き(RU02系統)のバス(国際十王バスによる運行)🚌で、森林公園南口入口または森林公園西口で下車することになるけど、土休日には、森林公園南口行きの直通バス(川越観光自動車による運行)🚌も出ています。

JR高崎線、上越新幹線、秩父鉄道秩父本線の熊谷駅からは、南口からRU01系統の森林公園駅行きのバス🚌で、森林公園西口または森林公園南口入口まで行くことになります。

入場口は、中央口、南口、西口、北口から成っており、入口で入園料金(大人(高校生以上)は450円、シルバー(65歳以上)は210円)を払うことになります。

中学生以下は入園無料であります。

詳細は、「森林公園」、「武蔵丘陵森林公園」、「国際十王交通」、「川越観光自動車」で検索。

小川町駅の東武線の乗り場は、1番線と3番線が下り(寄居方面)、2番線と4番線が上り(川越、池袋方面)から成っており、池袋、川越方面と寄居方面の列車の乗り継ぎにも便利な構造となっています。

JR八高線乗り場は、7番線が下り(高崎方面)、8番線が上り(高麗川方面、八王子方面へは全て高麗川駅で乗り換え)で、5,6番線が側線となっている為に欠番であります。

2019年3月16日からは、土休日の朝に東横線から小川町駅への直通の快速急行が3本運転されるようになったけど、そのうちの1本(海老名 5時14分発の小川町行き、菊名から和光市までは急行)は、東急電鉄の5050系4000番台(4110F、渋谷ヒカリエ号が使われる日もあり)が使われているので、嵐山信号場~小川町間で、単線区間を走る東急の電車を見ることが出来ます。

世田谷線を除いた東急電鉄の車両が単線区間を走るシーンは、長津田車両工場への入場(からの出場)シーン(こどもの国線の長津田~恩田間)で見られているけど、乗客を乗せたまま通るのは嵐山信号場~小川町間だけであります。

東急東横線、東京メトロ副都心線から小川町駅に直通する列車は、菊名 5時49分発(和光市まで急行)、元町・中華街 7時34分発(みなとみらい線、東横線は東横特急、副都心線は急行)もあるけど、どちらも東京メトロの車両(10000系または17000系の10両編成)が使われています。

池袋~小川町(日中は森林公園)間の列車の一部は、森林公園駅または小川町駅で、寄居方面の列車に(から)接続しているので、西武鉄道池袋線の飯能駅やJR青梅線の青梅駅と似ているところがあります。

埼玉県比企郡小川町は、和紙のふるさと(小川和紙)として有名であり、厳しい寒さと清らかな水が和紙の製造に適しています。

小川和紙の一つである細川紙は、原料に楮(こうぞ)だけが使われている和紙であり、国の重要無形文化財に指定されています。

隣の秩父郡東秩父村も和紙の里であります。

埼玉県の秩父郡は、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町、東秩父村から成っており、そのうちの小鹿野町は、秩父名物のわらじかつの発祥の地となっています。

埼玉県比企郡は、滑川(なめがわ)町、嵐山(らんざん)町、小川町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町から成っており、森林公園、つきのわの両駅は滑川町、武蔵嵐山駅は嵐山町、小川町、東武竹沢の両駅は小川町に位置しています。

JR八高線の明覚駅のある比企郡ときがわ町は、2006(平成18)年に玉川村と都幾川村の合併によって出来た町であり、その名の通り、越辺(おっぺ)川の支流である都幾川(ときがわ)に因んで名付けられていました。

北坂戸~高坂間では、越辺川を、高坂~東松山間で都幾川を渡ることになります。

1967(昭和42)年3月までは、小川町駅から、東武根小屋線という貨物線(小川町~根小屋荷扱所)が出ていたけど、こちらは、石灰石の輸送に使われていた路線となっていました。

小川町駅(埼玉県比企郡小川町)付近にある藤屋精肉店は、小川町コロッケが名物であり、カレー風味で、埼玉県産の豚肉が使われているのが特徴であります。

越生(おごせ)駅のある埼玉県入間郡越生町の名物は、肉のひろさわの梅コロッケであり、小川町コロッケと並ぶ東上線沿線のご当地コロッケとなっています。

詳細は、「小川町コロッケ」、「越生町 梅コロッケ」で検索。

小川町駅付近には、おがわ温泉花和楽(かわら)の湯♨️があり、日帰り温泉を楽しむことはもちろんのこと、隣接するカワラホテルに宿泊することも出来ます。

こちらは、東武東上線とJR八高線の小川町駅から徒歩10分で行けるので便利であります。

埼玉県比企郡ときがわ町にある、昭和レトロな温泉銭湯 玉川温泉♨️は、昭和レトロな雰囲気が漂う日帰り温泉施設であり、こちらの温泉浴場は、アルカリ性の美肌の湯であり、昭(あきら)の湯(里山風の岩風呂)と、和(なごみ)の湯(赤富士🗻と昭和レトロ)に分かれています。

日曜日に男女の浴槽が入れ替わることになっており、7月21日から本日(27日)までは、男湯♨️🚹️が昭の湯、女湯♨️🚺️が和の湯であり、次の週の明日(7月25日から8月3日までは、その逆(男湯♨️🚹️が和の湯、女湯♨️🚺️が昭の湯)となります。

こちらには、ダイハツ工業(DAIHATSU)のミゼット(Midget)という軽三輪車(オート三輪、軽トラック)が2台展示されています。

玉川温泉は、秋田県仙北市や、山梨県甲斐市にもあるので、区別する為に、昭和レトロな温泉銭湯 玉川温泉、玉川温泉(埼玉県)と呼んでいます。

昭和レトロな温泉銭湯 玉川温泉(埼玉県の玉川温泉)へは、東武東上線の武蔵嵐山駅から、ときがわ町路線バスの十王堂前経由せせらぎセンター行き🚌に乗り、十王堂前バス停で下車することになっているけど、JR八高線の明覚駅や小川町駅からタクシー🚕で行くことも出来ます。

詳細は、「昭和レトロな温泉銭湯 玉川温泉」、「玉川温泉 埼玉県」で検索。

山梨県甲斐市にある玉川温泉は、湯量が豊富で、滝のようにお湯が流れています。

川越駅付近にある、天然小さな旅川越温泉♨️という日帰り温泉施設は、木の湯と石の湯があり、男女入れ替え制で、本日(7月27日)のような奇数日の場合は、男湯♨️🚹️が木の湯、女湯♨️🚺️が石の湯、奇数日はその逆で、男湯♨️🚹️が石の湯、女湯♨️🚺️が木の湯となります。

アクセスは、本川越駅またな川越駅西口から、かすみ野行きの西武バス🚌に乗り、野田町バス停🚏🚌で下車することになります。

本川越駅付近にある、川越湯遊ランド(ホテル三光も入っている)は、光明石天然鉱石温泉であり、駅から近くて便利であります。

詳細は、「小さな旅川越温泉」、「川越湯遊ランド」で検索。

東武東上線のふじみ野駅から徒歩15分の場所(埼玉県ふじみ野市)に真名井の湯の大井店♨️があります。

大井と言っても、品川区ではなく、ふじみ野市大井(旧、大井町)のことであるので注意が必要⚠️であります。

昨年5月21日に初めて行ったけど、とても良かったです。

バスの場合は、ふじみ野駅西口から東武バスウエスト(川越営業事務所所属)によるふじ01系統(大井循環)に乗り、3つ目の上苗間で下車することになります。

詳細は、「真名井の湯」、「真名井の湯 大井店」、で検索。

一昨年6月18日に東京ミズマチ(浅草~とうきょうスカイツリー間の高架下)にオープンした、沿線食堂には、春日部駅で人気の東武らーめん(立ち食いラーメン店)🍜の支店もあります。

沿線食堂は、その名の通り、東武沿線のソウルフードの店(人気店)が集められた場所であり、春日部の東武らーめん(ラーメン)、モホーク(白いポークハンバーグ)、前述の新桐生のふる川(幅広ひもかわ)、新鹿沼のかぬまシウマイ、日光安国屋(肉のエアーズロックと言えるジャンボポークステーキ)から成っています。

日光安国屋のジャンボポークステーキは、沿線食堂を含めて、前日までに予約する必要となります。

日光安国屋は、とんかつも有名であり、豚肉へのこだわりもあります。

豚肉には、ビタミンB1も豊富に含まれています。

東京ミズマチの沿線食堂は、月曜日が定休日となっています。

鹿沼シウマイは、新鹿沼駅のある栃木県鹿沼市の名物であり、JR鹿沼駅前にある笑福(えふ)シウマイが有名であります。

詳細は、「東京ミズマチ」、「沿線食堂」、「春日部 東武ラーメン」、「日光安国屋」、「鹿沼シウマイ」、「笑福シウマイ」で検索。

東武鉄道の公式ファンクラブの会費は、毎月1100円で、入会時には、DMMオンラインサロンのアカウントを取得する必要があります。

詳細は、東武鉄道のホームページを見るか、「東武鉄道公式ファンクラブ」で検索。

YouTubeの東武鉄道の公式チャンネルでは、スペーシアXの車内チャイムのフルバージョンでのPR動画がアップされています。

京阪電気鉄道では、2200系の2216Fがリバイバルカラーとなり、本日のミステリーツアーでお披露目されていました。

友人のひっぐ〜氏は、その乗車、撮影で興奮していたので、何よりだと思いました。

JR西日本では、N700S(グリーン個室付き)の増備により、捻出されたN700系が8両化され、玉突きにより、500系新幹線が、2027年を目処に引退する予定という情報が入ってきました。

700系レールスター編成も順次引退予定となっているので、こちらも乗車、撮影が推奨されています。

JR東日本では、7月21日から、JR渋谷駅の新南口が、渋谷サクラステージ、渋谷ストリーム側に移設され、山手線からの利用も出来るようになっています。 

これまでの新南口改札は、7月20日をもって閉鎖されていたけど、その前にあるJR東日本ホテルメッツ渋谷からは少し遠くなってしまいました。

255系(房総ビューエクスプレス)のBe-01編成は、17日に、疎開先の京葉車両センターから郡山総合車両センターまで、EF81型電気機関車の141号機による牽引での配給輸送(廃車回送)が行われていました。

6月4日には、Be-05編成が、秋田総合車両センターまで配給輸送されていたので、255系の廃車は2本目となったのであります。

Be-01編成は、3月5日に自分(しゃもじ)が、東京かは千葉まで乗った編成でもありました。

阪急電鉄では、21日から、京都本線の新2300系がデビューし、座席指定サービスであるPRiVACE(プライベース)のサービスが開始されていました。

新京成電鉄では、一昨日(7月24日)から旧塗装に復元された、N800形のN838Fが営業運転入りしていました。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。

こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。

8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。

ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。

6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。

機種はボーイング777-200ER型機が使われています。

ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。

JALのボーイング767-300ER型も、ボーイング787型機やエアバスA321型機に置き換えられる予定であります。

このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。

6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。

6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。

自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

21日は再び五反田まで行き、おさんぽ娘を見てきました。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。

休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。

7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。

7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。

たまプリでは、RESNECT(リスネクト)と両方で活躍している、千ちゃん氏(第1期から活躍してきたメンバー)が、9月1日をもってたまプリを卒業するという情報が入ってきました。

千ちゃんが卒業する前にたまプリを見てみたいと思っています。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

東武東上線の時刻、運賃、運行状況等の詳細は、東武鉄道のホームページを見るか、「東武東上線」、「TJライナー」で検索願います。

各種ヘッドマーク付き車両、9000系、8000系などを撮影する時には、マナーを守ってもらいたいです。

今宵はここまでに致しとうござりまする。