7月7日は、五反田から御嶽山まで、東急電鉄池上線の1000系1021Fによる、蒲田行きに乗りました。
今回乗った列車は、土休日02運用であり、五反田駅の1番線を16時06分に発車する蒲田行きでありました。
平日には、東急多摩川線の運用に入った後に池上線に入る(或いはその逆)の運用があるけど、土休日の場合は、01〜10運用が池上線、21〜25運用が東急多摩川線の運用に固定されています。
この日の1522F(いけたまハッピートレイン)は、非番により雪が谷検車区(雪が谷大塚車庫)で休んでいました。
御嶽山から雪が谷大塚までは、歩いて行ったけど、この時に雪が谷車両基地を敷地外から眺めることが出来ました。
雪が谷大塚では、折り返しの五反田行きを撮影し、ここから後続の新7000系の7102Fで、五反田駅まで戻りました。
7月9日は、いけたまハッピートレインの1522Fが、平日03運用(池上線の運用で夕方から東急多摩川線に入る)に使われていたので、再び東急多摩川線で、いけたまハッピートレインを撮影することが出来ました。
次回は、池上線で撮影してみたいと思っています。
東急池上線の路線
五反田~大崎広小路~戸越銀座~荏原中延~旗の台~長原~洗足池~石川台~雪が谷大塚~御嶽山~久が原~千鳥町~池上~蓮沼~蒲田
東急多摩川線の路線
多摩川~沼部~鵜の木~下丸子~武蔵新田~矢口渡~蒲田
乗換駅🚃🔃🚃
五反田 JR山手線、都営浅草線
戸越銀座 都営浅草線(戸越駅)
旗の台 大井町線
蒲田 東急多摩川線⇔池上線、JR京浜東北線
多摩川 東横線、目黒線
地下にある駅、荏原中延、長原、多摩川(東急多摩川線)の各駅であります。
車両基地は、雪が谷大塚駅付近にある雪が谷検車区であり、東急多摩川線の車両は、池上線の雪が谷大塚~蒲田間の列車での出入庫となっています。
平日朝ラッシュ時には、五反田~雪が谷大塚間の出入庫を伴わない折り返し運用が設定されています。
このことは、京王電鉄井の頭線で、平日朝ラッシュ時に、渋谷~富士見ヶ丘間で折り返し運用が設定されていることと同様であり、どちらも始発電車待ちの列が見られています。
池上線と京王井の頭線では、平日朝ラッシュ時限定の運用が数本あることや、ユザワヤのある場所へと向かう電車という共通点があります。
京王井の頭線は、急行列車も運転されているけど、東急池上線は全て各駅停車となっています。
東急多摩川線、池上線の車両の定期検査は、長津田車両工場(東急線の総合車両工場)で行われるので、ATC装置のある新7000系は、自力での出入場回送となるけど、ATC装置のない1000系は、デヤ7500形事業用電車(TOQ i)によるプッシュプル牽引での出入場回送が行われることになっています。
東急池上線が開業したのは、池上電気鉄道の時代の1922(大正11)年10月6日の蒲田~池上間のことであり、当時は、池上本門寺の参拝客輸送の目的がありました。
翌年の1923(大正12)年5月4日に池上~雪ヶ谷(現、雪が谷大塚)間、1927(昭和2)年8月28日に雪ヶ谷~桐ヶ谷(現在は廃止間)が、同年10月9日に桐ヶ谷~大崎広小路間が、1928(昭和3)年6月17日に大崎広小路~五反田間が開業したことにより、全通していました。
1927年8月28日は、雪ヶ谷~桐ヶ谷間のほか、東横線の渋谷~丸子多摩川(現、多摩川)間が開業した日でもあります。
2017(平成29)年10月9日(奇しくも東急の日でもあった)には、90周年記念により池上線で運賃無料キャンペーンが行われていました。
このような運賃無料キャンペーンは、栃木県民の日の6月15日に、東武鉄道の宇都宮線で行われています。
東武宇都宮線では、かつて日比谷線直通列車で活躍していた20000系列の車両から改造された20400型が使われているので、池上線の1000系1500番台の一部との共通点があります。
池上線の旗の台駅🚉は、池上電気鉄道の時代の1927年8月28日の雪ヶ谷(現、雪が谷大塚)~桐ヶ谷(現在は廃止されている)間と共に開業した当時は、旗ヶ岡駅として、現在地よりも210m五反田寄りにありました。
当時は大井町線(目黒蒲田電鉄の時代だった)の東洗足駅とは別で乗換駅ではなかったけど、1951(昭和26)年3月1日に大井町線の東洗足駅が旗の台駅として現在地に移設され、同年5月1日には、池上線の旗ヶ岡駅との合併によって池上線のホームが現在地に移転されたことによって乗換駅となっています。
池上電気鉄道は、1934(昭和9)年10月1日に目黒蒲田電鉄に吸収合併され、1939(昭和14)年に(旧)東京横浜電鉄に吸収合併されて(新)東京横浜電鉄となったことを経て、1942(昭和17)年5月1日には東京急行電鉄(現在の東急)に商号変更されたことで東急線の一部(東急池上線)となっています。
東急線の路線のうち、東横線は(旧)東京横浜電鉄、目黒線の一部と東急多摩川線(旧、目蒲線)、大井町線は目黒蒲田電鉄、池上線は池上電気鉄道、世田谷線は玉川電気鉄道(玉電)によって開業していたけど、田園都市線と、こどもの国線に関しては、東京急行電鉄→東急によって開業していました。
池上線の運用会社は、池上電気鉄道→目黒蒲田電鉄→(新)東京横浜電鉄→東京急行電鉄(東急)→東急電鉄と変化していたのであります。
東急1000系🚃は、9000系ベースの3ドア18m車であり、1988(昭和63)年から1993(平成5)年までの間に、日比谷線直通用の8両編成10本80両と、東急多摩川線、池上線用の3両編成11本33両の計113両が東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)で製造されていました。
日比谷線直通で活躍していた1000系は、1988年から1990(平成2)年に掛けて導入された専用の8両固定編成、1990年に導入された1010+1011Fと、1012+1013F(どちらも4+4の編成、1000N系)に分かれていたけど、4+4編成(1000N系)に関しては、当時4両編成だった目蒲線での予備車としても使えるように、中間に貫通型の先頭車が連結されていました。
当初から目蒲線→東急多摩川線と池上線用の編成として使われている1000N'系は、1991(平成3)年に、目蒲線で活躍していた旧7000系の置き換え用としてデビューしたものであり、1014~1018Fの5編成が4両の暫定編成で活躍していました。
4両の暫定編成となった理由は、当時池上線の車両限界拡大工事が完了していなかった為であり、1019~1023Fに組み込み予定の中間車(デハ1219~1223号車)も目蒲線の1014~1018Fに組み込まれていました。
池上線で、緑色の旧3000系列が全廃された後に7200系や7600系が当たり前となっていたのは、車両限界の絡みであり、1986(昭和61)年6月まで目蒲線で活躍していた旧5000系青ガエルが池上線に入れなかったのは、その為でありました。
1993年には、池上線の車両限界拡大工事の完了により、1014~1018Fが池上線に転用され、捻出されたデハ1219~1223号車が、新製された先頭車とのドッキングにより、1019~1023Fとなり、1024Fが唯一の3両完全新造車として導入されていました。
これにより、池上線で活躍していた7200系の一部が目蒲線に移り、余剰となった車両が系列の上田交通(現、上田電鉄)別所線(長野県)に譲渡されていたのであります。
池上線がワンマン化されたのは、1996(平成8)年3月16日のことであり、7200系が目蒲線で活躍していた7700系とのトレードにより置き換えられていました。
2000年8月6日には、東急目蒲線の目黒線と東急多摩川線への系統分割により、池上線と東急多摩川線の車両が共通運用化され、7700系の一部が3両化されて雪が谷検車区の本所に移り、1012Fと1013Fがそれぞれ3両化されて転用されていたけど、東急多摩川線が池上線と同じ方式のワンマン運転となった為に、ワンマン運転非対応だった7200系がお役御免となっていました。
7200系は、世田谷線を除いた東急電鉄の車両で最後の従来型マスコン車だったのであります。
2008(平成20)年には、新7000系の7101~7104Fの導入により、1014,1015,1016,1018Fの先頭車が上田電鉄に譲渡され、7200系が置き換えられていました。
東急東横線と地下鉄日比谷線との直通運転は、2013(平成25)年3月15日に副都心線直通列車と入れ替わる形で廃止されていたけど、その前に減便された為に、1006Fと、1010+1011Fがフライングで運用離脱され、その一部が伊賀鉄道伊賀線(三重県)に、200系として譲渡されていました。
その中には、1010Fと1011Fの貫通型先頭車も含まれています。
最後まで日比谷線直通運用で活躍していた1000系の1001,1002,1003,1004,1005,1007,1008Fは、先頭車を含めた3両が1500番台化された上で東急多摩川線、池上線に転用され、中間車の一部は、上田電鉄(6000系に改番)のほか、福島交通飯坂線(飯坂電車、福島県)、一畑電車(島根県)に譲渡されていました。
1017Fは、2016(平成28)年3月28日にきになる電車、1013Fは、2019(令和元)年11月25日に緑色の電車🚃となっているけど、どちらも旧3000系がイメージされたものであります。
1524Fは、生え抜きの1024Fから1500番台化された編成であり、1023Fも同様の改造工事が行われて1523F化されていました。
今回は、1022Fが1522F化されたと共に、いけたまハッピートレインとなったのであります。
従来の赤帯1000系は、1012,1019,1020,1021Fと残り4本となっています。
1500番台化されていない1000系は、ラッピング電車の1013,1017Fを入れれば6本であります。
1500番台のうち、日比谷線直通用車から改造された編成は、Mc車(デハ(クモハに相当))が新7000系と同様に、五反田、多摩川寄りに来ているけど、当初から東急多摩川線、池上線で活躍している編成から改造された編成は、Mc車が蒲田寄り(1700番台)と逆になっています。
2018年まで活躍していた7700系も、Mc車が蒲田寄りとなっていました。
1013Fは、3両編成化された当時、蒲田寄りがデハ1313号車(従来型)、五反田、多摩川寄りがクハ1013号車(貫通型)と、先頭車の形状が異なっていたけど、1012Fはその逆となっていました。
のちに、先頭車の前後不揃いの問題を解決させる為に、蒲田寄りの先頭車(Mc車)の差し替えが行われていたので、1012Fにデハ1313号車、1013Fにデハ1312号車が連結される結果となったのであります。
今回の話題である1021Fは、先頭車(クハ1021号車とデハ1321号車)が1993年製、中間車のデハ1221号車が1991年製(1016F(現在は上田電鉄に譲渡されている)に連結されていた)であります。
東急1000系の禁煙マーク🚭は、1991年まで導入された車両が、旧タイプの禁煙 NO SMOKING の表示(ピクトグラムなし)、1993年に導入された車両が、書体が変更されたピクトグラム🚭入りの禁煙 NO SMOKING の表示となっており、1019,1020,1021Fは、中間車のみ禁煙マークが異なっています。
1500番台に改造された後、禁煙マークがピクトグラム🚭のみとなっているけど、きになる電車の1017Fもこうなっています。
1522Fの中間車であるデハ1622(旧、デハ1222)号車は、目蒲線の時代に、1017Fの中間車として使われていました。
赤帯1000系は、東横線で活躍していた頃の9000系を思い出す車両であるけど、残りの編成も1500番台化される可能性があるので、見掛けた時に撮影するようにしています。
東急池上線の五反田駅は、大崎駅寄りの地上4階部分にある1面2線の島式ホームの高架駅であり、ショッピングセンターである五反田東急スクエア(旧、レミィ五反田、東急ストア🛒も入っている)の4階と直結しているので、雨の日☔の買い物にも便利であります。
JR山手線🚃♻️の大崎駅寄りには、連絡口とJRの改札口(東急電鉄による管理)があり、2012(平成24)年にエスカレーターやエレベーターが完備されるようになってからはバリアフリー化♿されていました。
こちらは、江ノ島電鉄(江ノ電)🚃の藤沢駅で、ODAKYU湘南 GATE(小田急百貨店の藤沢店🏬)と隣接する2階部分に改札口やプラットホームがあることに似ています。
池上線の五反田駅が山手線よりも高い場所にあるのは、山手線を越えて延伸させる計画があったことの名残であります。
東急五反田駅のトイレ🚻は、改札口寄りにあり、男女別の通常トイレ🚻と車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽から成っているけど、10時~21時の間には、五反田東急スクエア(改札外)のトイレ🚻も使うことが出来ます。
こちらもトイレ🚻も、東急線の駅トイレ(東急電鉄による管理)の全面洋式化の一環により、当初から全て洋式🚽となっています。
2013(平成25)年3月16日に東急東横線の渋谷駅が、東京メトロ副都心線🚇との直通運転により地下駅🚇に移転されてからは、山手線🚃♻️から眺めることの出来る東急線の駅が、池上線の五反田駅だけとなっています。
五反田駅から池上線に乗る時には、乗ればアガる↑前に、乗るためにアガる↑ことになるのです。
大崎広小路駅は、山手通りに面した1面2線の島式ホームの高架駅であり、五反田駅との間が約340mと、歩いて行けるほど近いです。
こちらからは、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン、相鉄・JR直通線)、東京臨海高速鉄道りんかい線の大崎駅まで徒歩で行くことも出来ます。
立正大学の品川キャンパス🏫へは、大崎広小路駅から近いけど、JR線の場合は五反田駅または大崎駅、都営浅草線の場合は五反田駅から徒歩で行くことになります。
大崎広小路駅前には、ゆうぽうと(ホテルやゆうぽうとホールなどが入っていた)があったけど、2015(平成27)年9月30日をもって閉館されていました。
その跡地は、4月26日にオープンした、五反田JPビルディングであり、五反田食堂なども入っています。
池上線では、五反田駅を出てからすぐに目黒川を渡ることになっています。
大崎広小路駅のトイレ🚻は、五反田駅と同様に、男女別の通常トイレ🚻と車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽から成っているけど、かつて男性用小トイレ🚹️と男女共用のだれでもトイレ🚻♿🚽の組み合わせ(とある公園のトイレと同じ方式)となっていました。
桐ヶ谷駅は、大崎広小路駅と戸越銀座駅の間にあった駅で、1945(昭和20)年に空襲の被害に遭った影響により休止され、1953(昭和28)年11月に正式に廃止されていました。
池上線の駅のうち、木になるリニューアル計画により木目調となった駅は、戸越銀座、旗の台(池上線)、長原の各駅であり、多摩産の木材が使われていることにより、木のぬくもりのある駅🚉🌳となっているけど、耐熱性、耐震性、耐火性などの基準が満たされています。
戸越銀座駅と旗の台駅で、編成全体の撮影をしたけど、良い感じだな❗と思いました。
1017Fは木目調ベースで、木製の吊革が使われていることにより、きになる電車と呼ばれているけど、木になるリニューアルに気になるを掛けた言葉であることが分かります。
今後は、千鳥町駅も木目調にリニューアルされる予定となっています。
荏原中延駅は、長原駅と同様の2面2線の地下駅(地上1階に改札口、コンコース、地下1階にプラットホームがある)であり、旧3000系が引退し、ステンレス車両に統一された1989(平成元)年3月19日に地下化されていました。
なかのぶスキップロード(中延商店街)は、荏原中延駅と中延駅(大井町線、都営浅草線)の間を結ぶ商店街であります。
詳細は、「なかのぶスキップロード」、「中延商店街」で検索。
洗足池のある洗足池公園🏞️(お花見🌸の名所でもある)は、洗足池駅のすぐ近くにあり、大井町線と目黒線の大岡山駅から歩いて行くことも出来るけど、目黒線の洗足駅と紛らわしい点があります。
目黒線の洗足駅は、洗足池から大幅に離れているので、花見の時期には改札に注意書きが掲示されます。
スマホ📱での経路検索アプリの時には間違えないように注意しなければならない点があり、洗足池まで行きたい場合には、洗足ではなく、洗足池と入力する必要があります。
品川の由来は、目黒川の河口付近で品が行き交っていたことであり、品川の起こりと言えます。
品川は、品川区の区名やJR、京急の駅名のほか、自動車の品川ナンバー(品川区や大田区も対象である)にも使われています。
東京都品川区は、1932(昭和7)年10月1日に、品川町、大井町、大崎町の合併により出来た区であり、同時に荏原町が荏原区となっていました。
1947(昭和22)年3月15日の東京特別区制の実施により、品川区と荏原区が合併され、現在の品川区となっています。
池上線の駅のうち、戸越銀座、荏原中延、旗の台(旧、旗ヶ岡)駅は、荏原町→荏原区にあった駅であります。
大井町線の荏原町駅は、1927(昭和2)年7月6日に開業した当時、荏原町の中心となっていたけど、その前の7月1日に平塚町(神奈川県平塚市とは無関係)から改称されたばかりでありました。
戸越銀座駅のある、品川区平塚は、平塚村→平塚町だった頃の名残のある地名であります。
横浜市のみなとみらい地区に本社のある、エバラブランドの焼肉のたれでお馴染みのエバラ食品工業は、品川区(旧、荏原区)に工場があったことが由来であり、1958(昭和33)年の創業当初は、荏原食品となっていました。
洗足池駅付近にある荏原病院🏥は、東京都保健医療公社による運営の病院であり、東京都立荏原看護専門学校🏫や、東京都立北療育医療センター城南分園も併設されています。
これらの施設へは、洗足池、石川台の両駅から徒歩で行けるほか、東急バスの森05系統(大森操車場~大森駅~池上駅前経由~洗足池間、東急バス大森線、池上営業所所属)🚌の荏原病院前バス停🚏🚌、洗足池、大岡山の両駅からの無料シャトルバス🚐でも行くことも出来ます。
大森駅と池上駅の間にある大田文化の森バス停🚏🚌付近には、大森赤十字病院(日本赤十字社東京都支部運営による病院)🏥があるので、森05系統は2つの病院輸送の役割を担っていることが分かります。
日本赤十字社東京都支部による病院は、大森赤十字病院🏥、武蔵野赤十字病院(武蔵野市、武蔵境駅付近)🏥、葛飾赤十字産院(葛飾区、京成立石、お花茶屋、青砥駅付近)🏥👶、日本赤十字社医療センター(渋谷区、広尾駅付近)🏥の4ヶ所から成っています。
そのうちの日本赤十字社医療センター🏥へは、渋谷駅東口から学03系統、恵比寿駅から学06系統の都営バス(どちらも日赤医療センター行き、渋谷自動車営業所所属)🚌で行くことも出来ます。
日本赤十字社による東京都赤十字血液センターは、新宿区若松町(都営大江戸線の若松河田駅付近)にある、都内での献血によって集められた輸血用の血液を医療施設へと送る為の施設であります。
雪が谷大塚駅は、1923年5月4日の開業当時は雪ヶ谷駅で、現在の駅よりも五反田寄りにありました。
1927年8月には、現在の車両基地付近に調布大塚駅が開業し、1933(昭和8)年6月1日に雪ヶ谷駅と調布大塚駅が統合されて雪ヶ谷大塚駅となり、1966(昭和41)年1月20日には、現在の雪が谷大塚駅となっています。
日本の駅で、雪が付く駅は、雪が谷大塚駅だけであります。
1928年10月5日から1935(昭和10)年10月31日までは、雪ヶ谷(現、雪が谷大塚)~諏訪分~新奥沢間に新奥沢線という支線(全区間単線だった)があったけど、東京急行電鉄→東急電鉄に継承されずに廃止されていました。
新奥沢駅の跡は、奥沢駅の南側の環八通り付近にあったけど、ここには、新奥沢駅跡の石碑があります。
開業当時は、御嶽山駅が御嶽山前駅、久が原駅が末広駅(のちの東調布→久ヶ原駅)、千鳥町駅が慶大グラウンド駅と呼ばれていたけど、慶大グラウンド駅に関しては、慶應義塾大学新田運動場があったことが由来でありました。
現在は、慶應義塾大学日吉キャンパスの近くに、日吉グラウンドがあるけど、新田運動場の代わりとなっています。
池上線の戸越銀座、石川台、御嶽山、久が原、千鳥町、蓮沼の各駅が上下別改札の相対式ホームの駅となっているけど、トイレ🚻は、戸越銀座、石川台の両駅が蒲田方面、御嶽山、久が原、千鳥町、蓮沼の各駅が五反田方面のホームにあります。
池上線の旗の台駅では、上下別改札となっている東口で、間違えて入った場合は、大井町線のホーム経由で反対側のホームに行くことが出来ます。
沼部駅と御嶽山駅は、東海道・山陽新幹線、品鶴(ひんかく)線(横須賀線、湘南新宿ライン)と交差する駅であり、沼部駅では上を、御嶽山駅では下を通ることになっています。
久が原駅付近にある昭和の暮らし博物館は、1951(昭和26)年に建築された、庶民住宅である、小泉家の住宅が、中の家財道具ごと、まるごと公開されている博物館であり、昭和の暮らしを知ることが出来ます。
こちらは、金、土、日祝日に公開されており、東急多摩川線の下丸子駅からも行くことが出来ます。
詳細は、「昭和の暮らし博物館」で検索。
池上駅は、2面2線の相対式ホームの駅で、2020年7月19日に橋上駅舎に改築されていました。
改築前の池上駅は、北側の1番線(蒲田方面乗り場)側に駅舎があり、2番線(五反田方面乗り場)と東急池上線で最後まで残されていた構内踏切で結ばれていたけど、2番線から南側に行く時(或いはその逆の時)には、構内踏切を含めた踏切を2回渡る必要がありました。
橋上駅舎化により、南口が新設され、駅の南側に行く時にも便利になったと共に、踏切を渡らずに行けるようになっています。
構内踏切から3両編成の電車🚃を入れて撮影することが出来ていたけど、それが廃止されてからは編成全体を撮影することが出来なくなってしまったということで残念に思っています。
ホームのほうも、戸越銀座駅や旗の台駅の池上線ホームと同様に木目調にリニューアルされ、木製のベンチも復元されています。
池上駅の橋上駅舎には、エスカレーターやエレベーターもあり、改札内に男女別のトイレ🚻(個室は全てウォシュレット付きの洋式🚽)で、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も設けられています。
そのトイレの入口にも、木目調のデザインが生かされているので、それを見ただけで感動しました。
池上駅の切り替え前のトイレ🚻は、1番線の駅舎側にあったけど、男性用トイレ🚹の個室が1ヶ所しかなかったので、仮駅舎に移行される前から和式トイレが洋式化されていました。
駅のトイレの洋式化🚻🚽は急速に進められているけど、東急電鉄の場合は、主要駅である渋谷駅や横浜駅のトイレ🚻を含めてウォシュレット付きとなっています。
コンコースのほうも、プラットホームの木目調の壁と同様に仲見世がイメージされた癒しの空間となっているので、行けて良かったなと思っています。
池上駅の構内踏切の廃止やエレベーターの取り付けによって、車椅子♿での利用も容易となっています。
池上本門寺と池上梅園へは、都営浅草線の西馬込駅から歩いて行くことも出来ます。
東京都立の大森高等学校🏫は東急池上線の池上駅が最寄り駅となっているけど、京浜東北線の大森駅から離れているので、受験の時などに注意が必要⚠️であります。
2021年3月30日に開業した、駅ビルであるetomo池上には、東急ストア、しぶそば、大田区立池上図書館、保育園、学童保育所、池上総合病院付属クリニックも入っています。
日本(東急池上線)の池上駅は、「いけがみ」と読むけど、台湾🇹🇼の池上駅は、「チーシャン」と読みます。
東急の蒲田駅は、5面4線の高架駅で、北側の1,2番線が池上線(雪が谷大塚、旗の台、五反田方面)、南側の3,4番線が東急多摩川線(下丸子、多摩川方面)乗り場であり、全て降車専用ホームも設けられています。
このホームは、阪急電鉄の大阪側のターミナル駅である、大阪梅田駅(神戸本線、宝塚本線、京都本線が乗り入れている)に似ているところがあります。
池上線と東急多摩川線の線路が繋がっているのは、2番線だけであり、朝夕の多摩川行きの一部(出庫列車)と、多摩川線運用の後の雪が谷大塚行きが2番線発着となっています。
開業当時の東急蒲田駅は、目蒲線ホームが京浜東北線寄りで、池上線ホームが直角となっていたので、現在の国分寺駅の西武鉄道国分寺線と多摩湖線のホームみたいな感じとなっていました。
現在の形の駅になったのは、1968(昭和43)年10月のことであり、蒲田駅の手前が高架複々線化されていたのであります。
JR京浜東北線から東急多摩川線、池上線に乗り換える場合には、川崎(横浜、大船)寄りにある南改札口が便利だけど、階段だけとなっているので、バリアフリー希望の場合には、中央改札口の利用が推奨されています。
蒲田駅の改札内にある「しぶそば」蒲田店は、東急グループの東急グルメフロントによる運営による立ち食いそば店であり、渋谷が発祥であることがその由来であります。
しぶそばは、二子玉川、溝の口、あざみ野、市が尾、青葉台、長津田、中央林間、武蔵小杉、綱島、菊名、蒲田、大井町、池上、池袋の各店となっているけど、池袋店は、唯一東急沿線外(渋谷、東横線沿線から東京メトロ副都心線直通列車で行ける場所)で、副都心線ホームに近い池袋西口の東武ホープセンター内にあります。
しぶそばの池上店は、3月30日のエトモ池上のオープンと共に出来た店であり、その2階に位置しています。
自分(しゃもじ)は、以前長津田駅で東急の新造車の送り込み回送を撮影した時に、しぶそばの長津田店に立ち寄っていたけど、しぶそばの美味しさに感動していました。😋🍴💕
2020年9月までは、東急百貨店東横店🏬の西館2階に、本家しぶそばがあったけど、再開発工事により閉店されてしまったのが残念であります。渋谷は東急グループの本拠地なので、別の形で復活してくれることを願っています。
しぶそばでは、カレーうどん、カレーそば、カレー丼に使われているそば屋のカレーがレトルトで発売されているので、おうちでしぶそばのカレー🍛を味わうことも出来ます。
しぶそばの詳細、メニューなどについては、「しぶそば」で検索。
蒲田東急プラザの屋上にある「かまたえん」には、都内で唯一の屋上観覧車である幸せの観覧車🎡があることで有名であります。
こちらは、2014(平成26)年3月のリニューアル工事により一旦閉鎖されていたけど、蒲田のシンボルとして残して欲しいという声が高まっていたので、同年の10月に幸せの観覧車🎡としてリニューアルされた上で存続されたのであります。
埼玉県川越市の丸広百貨店の屋上に、わんぱくランドという屋上観覧車(わんぱくホイール)を持った屋上遊園地もあったけど、2019(令和元)年9月1日をもって閉鎖されていました。
これにより、屋上に観覧車🎡のある屋上遊園地が、かまたえんだけとなっています。
幸せの観覧車🎡は、1周300円であり、小さなお子様連れ👪でも楽しめるような程よい高さとなっています。
このことを、お子様向けのカレー🍛で、辛さが抑えられていることに例えたくなります。
詳細は、「蒲田東急プラザ」、「かまたえん」、「幸せの観覧車」で検索。
長原、洗足池、石川台、雪が谷大塚、御嶽山、久が原、千鳥町、池上、蓮沼、蒲田の各駅と雪が谷検車区のある東京都大田区は、1947年3月15日に大森区と蒲田区の合併により出来た区であり、大森の大と、蒲田の田を合わせたことから大田区と名付けられたのであります。
1932年10月1日には、大森町、入新井町、池上町、馬込町、東調布町が大森区、羽田町、蒲田町、矢口町、六郷町が蒲田区となっていたけど、そのうちの大森町は、現在の京急の駅名となっているので、大森町駅が大森町だった場所にあることが分かります。
島根県にある大田市は、おおたではなく、おおだと濁ることになります。
群馬県にある太田市や、茨城県にある常陸太田市は、字は違うけど、大田区と同様におおたと濁らないです。
大田区の由来となった大森と蒲田は、JR京浜東北線で1駅であります。
蒲田は羽根つき餃子で有名であり、你好(ニーハオ) 本店が元祖と言えます。
你好(ニーハオ)とは、中国語でこんにちは、お元気ですかという挨拶言葉であります。
詳細は、「蒲田羽根つき餃子 蒲田」、「ニーハオ 蒲田」で検索。
京急蒲田駅付近にあるあすと商店街は、蒲田駅と京急蒲田駅を繋ぐ商店街であり、京急蒲田駅寄りに入口があります。
そこを抜けた場所には、メガネドラッグの蒲田本店👓があります。
メガネドラッグ👓は、♪メンメンメガネの良いメガネ〜と歌われているCMでお馴染みの、大田区蒲田に本社のあるメガネ店👓であり、1972(昭和47)年に蒲田にあるドラッグストア形式の薬局からメガネ店に転換された上で創業していたのが由来であります。
メガネドラッグのドラッグって何だろう?ということはこのことであり、「メガネでできる健康生活」の理念の通り、メガネも、薬と共に健康にとって大変重要なツールだからと言われています。
大田区の蒲田は、メガネドラッグ発祥の地でもあり、蒲田本店のほか、蒲田西店、蒲田東店もあります。
詳細は、「メガネドラッグ」、「メガネドラッグ蒲田本店」で検索。
蒲田駅周辺は、蒲田黒湯温泉♨️で有名であり、温泉銭湯♨️などがあります。
東急蒲田駅近くにあったホテル末広は、レトロな雰囲気で日帰り温泉♨️を楽しむことが出来ていたけど、残念なことに2018(平成30)年12月30日をもって閉館されていました。
自分(しゃもじ)は、2013(平成25)年10月5日にホテル末広で日帰り入浴を楽しんだのが最初で最後となってしまったのであります。
大田区の蒲田駅付近には、ゆ~シティー蒲田、スパ&ホテル和(なごみ)、蒲田温泉などの黒湯による温泉銭湯♨️があるので、気軽に蒲田の黒湯温泉に入ることが出来ます。
詳細は、「蒲田黒湯温泉」、「ゆ~シティ蒲田」、「スパ&ホテル和」で検索。
京急本線の雑色駅付近にある、照の湯も、黒湯が使われた温泉銭湯♨️であり、2016年1月31日に友人と一緒に行ったことがあります。
当時は一緒に行けて良かったな❗と思っています。
照の湯は、大田区以外にもあるので、「照の湯 大田区」で検索する必要があります。
蓮沼駅付近には、はすぬま温泉という温泉銭湯があり、愛媛県松山市にある道後温泉がイメージされたレトロな感じがあります。
詳細は、「はすぬま温泉」で検索。
池上線の戸越銀座駅と、都営浅草線の戸越駅付近にある温泉銭湯である戸越銀座温泉♨️は、月の湯と陽の湯に分かれており、男女別の日替わりとなっています。
詳細は、「戸越銀座温泉」で検索。
JR西日本では、N700S(グリーン個室付き)の増備により、捻出されたN700系が8両化され、玉突きにより、500系新幹線が、2027年を目処に引退する予定という情報が入ってきました。
700系レールスター編成も順次引退予定となっているので、こちらも乗車、撮影が推奨されています。
JR東日本では、7月21日から、JR渋谷駅の新南口が、渋谷サクラステージ、渋谷ストリーム側に移設され、山手線からの利用も出来るようになっています。
これまでの新南口改札は、7月20日をもって閉鎖されていたけど、その前にあるJR東日本ホテルメッツ渋谷からは少し遠くなってしまいました。
255系(房総ビューエクスプレス)のBe-01編成は、17日に、疎開先の京葉車両センターから郡山総合車両センターまで、EF81型電気機関車の141号機による牽引での配給輸送(廃車回送)が行われていました。
6月4日には、Be-05編成が、秋田総合車両センターまで配給輸送されていたので、255系の廃車は2本目となったのであります。
Be-01編成は、3月5日に自分(しゃもじ)が、東京かは千葉まで乗った編成でもありました。
阪急電鉄では、21日から、京都本線の新2300系がデビューし、座席指定サービスであるPRiVACE(プライベース)のサービスが開始されていました。
新京成電鉄では、昨日(7月24日)から旧塗装に復元された、N800形のN838Fが営業運転入りしていました。
JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。
こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日まで全てボーイング777-300ER型機に戻されています。
8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。
ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空✈️🇺🇲との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。
6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。
機種はボーイング777-200ER型機が使われています。
ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。
JALのボーイング767-300ER型も、ボーイング787型機やエアバスA321型機に置き換えられる予定であります。
このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。
ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。
6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。
詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。
たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。
5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。
この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。
6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。
このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。
6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。
自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。
自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。
15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。
6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。
自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。
7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。
暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。
ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。
21日は再び五反田まで行き、おさんぽ娘を見てきました。
詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。
5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。
この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。
詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。
14日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。
3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。
たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。
休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。
7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。
7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。
たまプリでは、RESNECT(リスネクト)と両方で活躍している、千ちゃん氏(第1期から活躍してきたメンバー)が、9月1日をもってたまプリを卒業するという情報が入ってきました。
千ちゃんが卒業する前にたまプリを見てみたいと思っています。
日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。
このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。
当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。
過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。
こちらは飛ばしても構いません。
当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。
東急多摩川線、池上線の時刻、運賃・料金、運行情報などの詳細は、東急電鉄のホームページを見るか、「東急多摩川線」、「東急池上線」で検索願います。
東急線の各種リバイバルラッピングを撮影する時には、マナーを守ってもらいたいです。
今宵はここまでに致しとうござりまする。