こちらは、5月18日に、小田急電鉄(小田急線)の新宿駅2番線(ロマンスカーのホーム)で撮影した、小田急電鉄60000形MSEの60255Fによる、特急ロマンスカーのホームウェイ21号🚃💺🌃です。

土休日ダイヤのホームウェイ21号(N74運用)は、新宿駅を22時ちょうどに発車し、途中、町田、海老名の両駅に停車してから本厚木駅(神奈川県厚木市)へと向かう列車であります。

その前の運用は、新宿 19時20分発片瀬江ノ島行きのホームウェイ85号(平日は藤沢行き、折り返しは新宿駅まで回送)であり、御殿場 17時23分発の特急ふじさん6号(Mt.Fuji No.6)🚃💺🗻の折り返しである為に、ホームウェイ21号を含めて、60000形MSEの6両編成に限定されています。

平日の新宿22時ちょうど発のホームウェイ21号は、60000形MSEによる運用であり、秦野行きの最終ロマンスカーとなります。

土休日の場合は、新宿 21時40分発のホームウェイ19号(60000形MSEまたは30000形EXE(EXEα)の6両編成による運転)が秦野行きの最終ロマンスカーとなっています。

ふじさん号の3往復の運用の前の送り込み運用は、相模大野駅を5時56分(土休日は5時59分)発のモーニングウェイ90号(途中、町田、新百合ヶ丘の両駅に停車)であり、折り返しの新宿 6時40分発のふじさん1号(Mt.Fuji No.1)と共に始発のロマンスカーとなっています。

新宿発箱根湯本行きのロマンスカーの始発は、平日が7時37分発のはこね1号(途中、新百合ヶ丘、相模大野、本厚木、秦野、小田原の各駅に停車、70000形GSEまたは60000形MSEで運転)、土休日が7時ちょうど発のはこね51号(途中、町田、海老名、伊勢原、小田原の各駅に停車、30000形EXE(EXEα)の10両編成(後ろの4両は小田原駅まで)運転)であり、平日の7時ちょうど発のロマンスカーは、小田原行きのさがみ61号(途中、新百合ヶ丘、町田、本厚木、伊勢原、秦野の各駅に停車)となっています。

平日の上りには、海老名始発のロマンスカーが2本設定されています。

さがみ72号 海老名 15時07分発→町田 15時17分発→新宿 15時45分着

さがみ74号 海老名 17時11分発→町田 17時21分発→新宿 17時48分着

どちらも30000形EXE(EXEα)の10両編成による運転であるので、通勤帰りの輸送に適したEXEらしい運用となっています。

小田急電鉄では、本厚木駅の下りホームを皮切りに、主要駅に特急対応のホームドアが順次導入されることにより、一昨年11月15日から、30000形EXE(EXEα)と60000形MSEの4号車と7号車のドアが通常時に締め切り扱いとなっています。

これにより、近隣の5号車と8号車のドアをご利用願います。ということになっているけど、小田急線内だけでなく、箱根登山線の箱根湯本駅、JR東海御殿場線も対象となっているので、5号車のドアからの乗降となっています。

東京メトロ千代田線の北千住、大手町、霞ケ関、表参道の各駅では、60000形MSEによるメトロ特急のドアの開く位置が、1,4,5,7,8,9号車(6両編成の場合は1,4,5号車)のままとなっているので、ややこしい点があります。

60000形MSEの4号車と7号車のドアは、通常時に東京メトロ千代田線でしか開かなくなってしまったけど、このことに対して、30000形EXE(EXEα)の4号車と7号車のドアは、非常時しか開かなくなってしまいました。

70000形GSE(みんな大好き展望席付きロマンスカー)では、1~7号車の車端部にある全てのドアが開くことになっているけど、ホームドアに合う位置となっているので、問題はないです。

30000形EXE(EXEα)と60000形MSEの4号車と7号車のドアには、小田急線、箱根登山線、JR御殿場線でドアが開かないことを表すステッカーが貼り付けられています。

JR御殿場線に乗り入れるのは、60000形MSEのみであります。

町田駅では、2月17日から上りホーム(新宿方面)の、3月2日からは、下りホーム(本厚木、小田原、藤沢方面)のホームドアがそれぞれ稼働するようになっています。

今年度中にホームドアが導入される予定の小田急線の駅は、相模大野、海老名、中央林間、大和の各駅であり、中央林間以外の3駅は、ロマンスカー対応となります。

小田急60000形MSEが東京メトロ千代田線直通のロマンスカーとしてデビューしたのは、2008(平成20)年3月15日のことであり、当時は日本の地下鉄で初の有料特急の乗り入れとして話題になっていました。

これにより、小田急線沿線と東京メトロ千代田線の表参道、霞ケ関、大手町、北千住の各駅の間を確実に座って移動出来るようになったのであります。

霞ケ関駅や大手町駅付近は、有名なオフィス街であるので、千代田線直通のロマンスカーの要望が高まっていたのもそのはずであります。

デビュー当時は、「青い、ロマンスカー」と宣伝されていました。

このことは、翌年の2009(平成21)年にブルーリボン賞が受賞されたきっかけともなっています。

MSEとは、多彩な運行が可能な特急列車という意味である、Multi Super Expressの略称であり、地下鉄やJR東海御殿場線への乗り入れや、通勤輸送と行楽輸送の両方に対応した、Multiの名に相応しい
多目的車両であることから名付けられたものであることが分かります。

MSEのMは、メトロ(Metro)に直通するMの意味も込められていると思っています。

2018(平成30)年3月17日のロマンスカーGSEのデビュー当時に放送されていたロマンスカーのCMでは、新しい、ロマンスカー。だれと一緒に、乗りたいですか?と言われていたことを思い出しました。

2008年3月15日のデビュー当時のMSEの定期運用は、平日が朝のメトロさがみ(現、メトロモーニングウェイ)号、本厚木→北千住間1本、夜のメトロホームウェイ号、北千住→唐木田間1本、大手町→本厚木間2本、土休日が朝のメトロさがみ号、本厚木→北千住間1本、日中のメトロはこね号、北千住~箱根湯本間2往復、夜のメトロホームウェイ号、北千住→本厚木間1本となっていました。

現在は、東京メトロ千代田線直通ロマンスカー(メトロモーニングウェイ、メトロホームウェイ、メトロはこね、メトロえのしま)に加え、小田急線内のロマンスカー(はこね、さがみ、えのしま、ホームウェイ、モーニングウェイ号)、JR東海御殿場線直通のふじさん号(Mt.Fuji)にも使われるようになり、Multi Super Expressらしい運用となっています。

60000形MSEは、2007(平成19)年から2015(平成27)年までの間に、6両基本編成が5本30両、4両付属編成が3本12両、計42両が日本車輌製造豊川製作所(愛知県豊川市)で製造されていました。

このスタイルは、50000形VSEがベースであり、50000形VSEから展望席を外したような感じのデザインでありました。

2007年に6両基本編成2本(60251Fと60252F)、4両付属編成1本(60051F)が導入され、翌年の2008年3月15日にメトロ特急でデビューしていたけど、平日に2本フル稼働で予備車がない状態となっていました。

この本数となっていたのは、平日は湯島→町田、相模大野間の通勤ロマンスカー、土休日は新宿~箱根湯本、片瀬江ノ島方面のロマンスカーに使われる計画があった頃の名残でありました。

落成後の2007年10月19日に当初のメトロ特急の概要が発表されたので、予備車なしという結果となったのであります。

2008年5月から2011(平成23)年まで、特定日に限り、60000形MSEの10両編成によるベイリゾート号が本厚木~新木場間で運転されていたけど、新木場駅でJR京葉線に乗り換えて東京ディズニーリゾート(ディズニーランド、ディズニーシー)に行く乗客がターゲットとなっていました。

ゆりかもめの乗換駅である豊洲駅にも停車していたので、お台場に行く乗客もターゲットとなっていたのであります。

霞ケ関~桜田門間は、単線の連絡線を通っていたので、方向転換の絡みにより、霞ケ関駅で運転停車していました。

2011年には、有楽町線へのホームドアの導入により運転が休止(事実上の廃止)されていたけど、有楽町線のホームドアがMSEに対応していなかったことによりやむ無しとなってしまいました。

ブルーリボン賞が受賞された後の2009年12月には、60253Fが導入され、予備車が確保されるようになっていました。

こちらは、MSEの予備車の確保だけでなく、7000形LSE車で最初に廃車となった7002F(国鉄東海道線で走行試験が行われていた編成)の置き換え用の目的もありました。

2010(平成22)年1月に、7002Fが北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)で解体されていた時(解体作業中)に亀裂が発見されていたので、それに伴う一斉点検により7000形LSE車や10000形HiSE車が一時的に運転出来なくなり、他の形式での代走が見られていました。

当時30000形EXEを6両編成と4両編成に分割させていたこともあったけど、30000形EXEの4両での新宿乗り入れは、EXEα化された後の30052F以外でも見られていたのであります。

70000形GSEで、連接台車でなく、ボギー車となった理由は、ホームドアの絡みだけでなく、このこともあったと思っています。

連接台車の場合は、メンテナンスに手間が掛かるという問題もあるので、廃止されたのもそのはずであります。

2012年3月17日には、6両基本編成の60254Fと4両付属編成の60052Fが導入され、あさぎり(現、ふじさん)号が、新宿~御殿場間に短縮された上で、60000形MSE(6両編成)に置き換えられ、小田急線内の特急にも本格的に使われるようになっていました。

当時はバリアフリーに対応出来なかった20000形RSE車や10000形HiSE車が引退した時でもありました。

2008年3月15日から2012年3月16日までの間は、千代田線直通がメインで、60000形MSEの新宿乗り入れがたまにしか見られなかったけど、2012年3月17日からは毎日小田急線の新宿駅で見られるようになっています。

2015年には、翌年2016年3月26日のメトロ特急の増発用として、最終増備車である60255Fと60053Fが導入され、6両基本編成5本30両、4両付属編成3本12両、計42両が出揃っていました。

小田原、箱根湯本、御殿場、藤沢、唐木田寄りの車両(1号車)は、60555号車で、5が並んだ数字であります。

MSEの青色塗装は、フェルメールブルーであり、地下でも明るい雰囲気を醸し出す為に採用されたけど、青い空、青い海、富士山の麓🗻にも映えています。

MSEの6両基本編成の定期での運転範囲は、小田急線🚃の新宿~小田原間(小田原線)と相模大野~藤沢~片瀬江ノ島間(江ノ島線)、箱根登山鉄道🚃⛰️の小田原~箱根湯本間、東京メトロ千代田線🚇の代々木上原~北千住~北綾瀬間(北千住~綾瀬または北綾瀬間は回送)、JR御殿場線🚃の松田~御殿場間であり、4両付属編成は、小田急小田原線、江ノ島線、東京メトロ千代田線の代々木上原~北千住~北綾瀬間に限られています。

60000形MSEの4両付属編成は、土休日に北千住~片瀬江ノ島間のメトロえのしま号(下り2本、上り1本、北千住~相模大野間で箱根湯本発着のメトロはこね号と併結)で片瀬江ノ島に乗り入れています。

メトロはこね号(北千住~箱根湯本間)は、平日が1往復(新宿~小田原間10両、小田原~箱根湯本間6両)、土休日が3往復(全て6両編成)であります。

このことで、ロマンスカーのCMの、きょう、ロマンスカーで。新宿から箱根へ。にあやかって、きょう、ロマンスカーで。北千住から箱根へ。と言いたくなります。

60000形MSEは、ブルーリボン賞やグッドデザイン賞のほか、ワトフォード会議(Watford Group)の第10回ブルネル賞車両部門奨励賞が受賞されていました。

50000形VSEは、ブルーリボン賞、グッドデザイン賞、Design for Asia Award 2006 Grand Awards、iF product design award 2007 デザイン賞がそれぞれ受賞されていた優秀な車両だったのに、18年で引退してしまったのが残念です。

小田急電鉄では、50000形VSEのような特殊な車両が先に引退してしまう傾向となっているけど、2006(平成18)年5月まで活躍していた9000形(初代千代田線乗り入れ車両だった)もこうなっていました。


60000形MSEのトイレ🚻は、2,5,8号車にあり、全て男女共用洋式トイレ🚻🚽、女性専用洋式トイレ🚺🚽、男性用小トイレ🚹、洗面所から成っているけど、車椅子スペース💺♿のある5号車と8号車の男女共用洋式トイレ🚻🚽は、車椅子対応の幅広洋式トイレ(ゆったりトイレ、だれでもトイレ)🚻♿🚽となっています。



3号車と9号車のカウンターブースには、清涼飲料水の自動販売機があり、小田急ロマンスカー並びに日本の鉄道車両の車内での初搭載となったAED(自動体外式除細動器)もあります。

現在は、全てのロマンスカーにAEDもしもの時でもが付いているので、もしもの時でも安心であります。

小田急60000形MSEのようなトイレ🚻付きの有料特急の場合は、車内での飲酒に適していると思っています。

夜に有料特急に乗った時に缶ビールを開ける音が響いてくるので、嬉しさを感じています。

車内での飲酒は、迷惑にならない程度に行うことにし、ボリボリ音の出る(咀嚼音の激しい)つまみは避けるべきであります。

小田急ロマンスカーでは、一昨年3月12日をもって車内販売が終了していたので、乗車前に特急券と共に、お弁当🍱などの飲食物を買っておく必要があります。

小田急線新宿駅の地下1階(改札内)にあるオアシスステーションは、駅弁やコーヒー、生ビール、おつまみなどが売られているので、駅弁はこちらでということになります。

小田急新宿駅のコンビニ(セブン-イレブン)は、地下の改札外にあるけど、かつて改札内にもありました。

小田急百貨店新宿本店の本館跡の取り壊し工事が進められていたことにより、2番線のエンド側でロマンスカーを撮影出来るスペースが縮小されてしまいました。

2,3番線のベンチのUSBポートの使用が中止となっているので、こちらも改良工事の影響であります。

1階正面改札口前が狭くなり、切符売り場やロマンスカーの特急券売り場が改札口の横に移設されていたので、切符を買うなら西口地下改札または南口改札まで回って下さいということになっています。



6月22日(土)には、小田急線新宿駅の改札外通路が変更されるので、京王線などへの乗り換えの時に迂回しなければならなくなってしまいます。

地上1階の小田急線乗り場への仮設通路では、冷房が効いています。



小田急百貨店の新宿店は、新宿駅西口地区の再開発(48階建ての複合ビルへの改築)により、一昨年10月2日をもって本館部分(2代目本館)が営業終了となり、同年10月4日から本館の機能が、新宿西口ハルクの部分に移転されていました。

ハルク館に入っているビックカメラ(BIC CAMERA)の新宿西口店は、営業が継続されています。

小田急百貨店の新宿店が開店したのは、1962(昭和37)年11月3日のことであり、
現在のハルク館となっている場所が本館(初代)となっていました。

1966(昭和41)年9月9日には、新宿駅と直結した場所に新館(のちの2代目本館となる部分)が開店し、同年11月25日には、新宿駅西口立体広場や地下駐車場🅿️が開設されていました。

翌年の1967(昭和42)年11月23日には、本館が全面開業(グランドオープン)し、その4日後の11月27日に、これまでの本館が小田急ハルク(現、新宿西口ハルク)に転換されていました。 

1967年11月の小田急百貨店の2代目の本館が完成していた時には、当時活躍していた2600形(NHE車)の2661,2662F(5連)と、旧4000形の4001F(3連)が赤と金色の帯の入った特別塗装となっていたので、お買い物電車の歴史のワンシーンとなっていました。

2代目本館の開業後に別館化されていた小田急ハルク→新宿西口ハルク(HALC)の由来は、HAppy Living Centerの略であり、当時リビング用品専門館となっていました。

改装により2階から7階までビックカメラとなったことやリビング用品の本館への集約によりその面影がなくなり、別館ハルクの名称と共に、ハルクフード(デパ地下)、ハルクスポーツ(スポーツ用品売り場)、ハルクレストラン、食堂酒場ハル★チカにその名が残されています。

ハルクと言ってもかつてアメリカで放送されていたテレビドラマである超人ハルクとは無関係であります。

新宿西口ハルクの屋上には、有賀園ゴルフスクール⛳🏌️があるので、駅と直結した便利な場所で、ゴルフレッスンを受けることも出来ます。

新宿西口ハルクは、都営大江戸線の新宿西口駅からも近いです。

一昨年12月には、小田急エース(地下街)の北西館にも、食品売場が拡大され、デパ地下の強化が図られていました。

旧本館10階のエレベーターホールの壁には、アンモナイトなどの化石が残されていたけど、それが見納めとなってしまいました。

旧本館は、取り壊されていたので、思い出の風景となってしまいました。

詳細は、「小田急百貨店」、「小田急百貨店新宿店」、「新宿西口ハルク」、「ビックカメラ新宿西口店」、「有賀園ゴルフスクール」で検索。

小田急グループの小田急スポーツサービスによる運営のゴルフ場⛳は、神奈川県綾瀬市にある小田急藤沢ゴルフクラブ⛳、静岡県駿東郡小山町にある富士小山ゴルフクラブ⛳🗻であり、小田急藤沢ゴルフクラブには、小田急藤沢ゴルフ練習場、小田急藤沢テニスクラブ🎾も併設されています。

小田急藤沢ゴルフクラブ、ゴルフ練習場、テニスクラブへは、小田急江ノ島線の長後駅からクラブバス🚐またはタクシー🚕で行くことになるけど、マイカー🚗🚙で行く場合には、東名高速道路の綾瀬スマートインターチェンジ(ETC車専用)が便利であります。

富士小山ゴルフクラブ⛳🗻へは、JR東海御殿場線の駿河小山駅(ふじさん号の2往復が停車している)からクラブバス🚐が出ています。

西富士ゴルフ倶楽部⛳🗻は、小田急スポーツサービスによる運営となっていたけど、昨年アコーディア・ゴルフに譲渡されていました。

詳細は、「小田急スポーツサービス」、「小田急藤沢ゴルフクラブ」、「小田急藤沢ゴルフ練習場」、「小田急藤沢テニスクラブ」、「富士小山ゴルフクラブ」で検索。

伊豆市にある中伊豆グリーンクラブ(伊東駅からクラブバスあり)は、神奈中バスでお馴染みの神奈川中央交通の系列である神奈中スポーツデザインによる運営となっています。

詳細は、「神奈中スポーツデザイン」、「中伊豆グリーンクラブ」で検索。

小田急エースは、北館と南館があり、南館は、京王モールと直結しています。

詳細は、「小田急エース」で検索。

新宿西口ハルクの裏側にあるらあめん満来は、おすすめのラーメン店🍜であり、つけ麺を選ぶことも出来ます。

詳細は、「らあめん満来」、「新宿西口満来」で検索。

小田急電鉄によって販売されている(小田急ブランドの)ナチュラルミネラルウォーターである「箱根の森から」は、箱根町にある小田急グループのホテルで採水された天然水と、その水で加工された緑茶(足柄茶)から成っており、売上金(1本につき1円)が箱根の環境の美化、湿原の保護など自然保護の活動支援の為に箱根町に寄付されています。

パッケージには、箱根の森から、箱根の森へ。自然の恵みが循環します。「ごちそうさま」を、箱根の森への「ありがとう」に。と書いてあるけど、その通りだと思っています。

これらの天然水や緑茶を飲めば、箱根町に寄付されるので、自分(しゃもじ)も買うようにしています。

ロマンスカー車内の自動販売機でも、「箱根の森から」の緑茶が売られています。

詳細は、「箱根の森から」で検索。

地下鉄直通ロマンスカーは、乗務員交代により、代々木上原駅で運転停車しています。

FC町田ゼルビアは、町田市にある町田GIONスタジアム(町田市立陸上競技場)が本拠地となっているチーム(サイバーエージェントの系列、J1)であり、小田急電鉄がオフィシャルスポンサーとなっているので、ユニフォームの背中の部分にodakyuのロゴマークが入っています。

町田GIONスタジアム(町田市立陸上競技場)へは、小田急線の鶴川駅、小田急線、JR横浜線の町田駅から神奈川中央交通(神奈中バス)🚌で行くことになります。

4月13日には、国立競技場で行われていた、FC町田ゼルビア対ヴィッセル神戸戦に合わせて、貸切ロマンスカーである「FC町田ゼルビア応援“剛”」号が、町田→新宿間で運転されていたけど、この時に30000形EXEαの30256+30056Fが使われていたことを聞きました。

2月9日には、60000形MSEの4両編成(60052F)による、FC町田ゼルビア号(団臨)が、鶴川→新宿間で運転されていたけど、4両単独で新宿駅に乗り入れるという滅多に見られないシーンが見られていました。

FC町田ゼルビアによる、ロマンスカーの貸切イベントが行われていることで流石だな!と思いました。

FC町田ゼルビアの試合情報などの詳細は、「FC町田ゼルビア」で検索。

海老名駅は、小田急線、相模鉄道相鉄本線、JR相模線が乗り入れている海老名市を代表する駅であり、小田急線の駅は、中央部にある2面4線の駅となっています。

小田急線の海老名駅が開業したのは、1943(昭和18)年4月1日のことであり、座間寄りにあった海老名国分駅が前身であります。

1973(昭和48)年12月21日に小田急線の海老名駅が現在地に移転されていたけど、奇しくも南新宿駅が現在地に移転された時と同じ日でありました。

小田急線の海老名駅の接近メロディーは、いきものがかりのメジャーデビュー曲である「SAKURA」であり、歌詞に小田急線が出てきています。 

一方の本厚木駅の接近メロディーは、いきものがかりの「YELL」で、NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)の中学校の部課題曲(合唱曲)として制作された曲であり、卒業ソングの定番となっています。

相鉄線の駅は南側、JR相模線の駅は北側にあり、どちらも1面2線の島式ホームとなっています。

海老名駅では、小田急線、相鉄線のホームにもJR東日本の車両が入っています。

海老名にあるロマンスカーミュージアムでは、昨年12月18日に入館者が50万人を達成したという朗報がありました。

ロマンスカーミュージアムは、2021(令和3)年4月19日にオープンした小田急電鉄の鉄道博物館(企業ミュージアム)であり、1927(昭和2)年4月1日の小田急線(当時は小田原急行鉄道の時代だった)の開業当時に使われていたモハ1形電車と、現役を引退したロマンスカーシリーズの車両が展示されています。

1階は、ヒストリーシアター、ロマンスカーギャラリー(ロマンスカーの展示スペース)

2階は、エントランス、ジオラマパーク、ジオラマビューテラス、キッズロマンスカーパーク、7000形LSEの運転シミュレーター、ミュージアムショップ(TRAINS)、レストラン(ビナキッチン)🍴🍝

3階(屋上)は、ステーションビューテラスと喫煙コーナー🚬から成っています。

トイレ🚻♿は2階にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が、みんなのトイレと呼ばれています。

授乳室(ベビールーム)🚼️やベビーカー置き場🚼️もあるので、お子様連れにも安心であり、1階と2階を結ぶエスカレーターや、全フロアを結ぶエレベーターも完備されていることにより、バリアフリー対応♿となっています。

ロマンスカーミュージアムの展示車両は、以下の通りです。

① モハ1形10号車 こちらは、1927年の開業当時から1960(昭和34)年まで、小田急線の近郊区間(新宿~稲田登戸(現、向ヶ丘遊園)間)で使われていた車両で、小田急線での活躍を終えたあとに熊本電気鉄道(熊本県)に渡り、1981(昭和56)年に引退後に小田急に里帰りし、デビュー当時の姿に復元されていました。

番号は、小田原急行モハ10→東急デハ1160→小田急デハ1105→熊本電鉄モハ301と変化していました。

稲田登戸駅は、向ヶ丘遊園駅の旧称であり、登戸駅と紛らわしい状態であります。

因みに、小田急線の登戸駅の開業当時は、稲田多摩川駅(のちの登戸多摩川駅)でありました。

こちらには、残念ながら入れない状態であります。

大切な古い電車となっているので、入れないのもそのはずであります。

② 初代3000形SE(3021F)のうちの3両(デハ3021,3022,3025号車、1957(昭和32)年の日本車輌製造製)

新宿、片瀬江ノ島寄りのデハ3021号車と3022号車は、1957年7月6日にデビューした当時に復元された前面スタイルと塗装で、乙女号の表示、小田原、箱根湯本、藤沢、御殿場寄りのデハ3025号車は、1992年3月8日に引退した当時の前面スタイルと塗装で、ホームベース型のあさぎり号の表示となっています。

こちらは、東海道線での高速試験で狭軌最速の145㎞/hの最速記録を達成したことにより列車の高速化の礎となった車両であり、小田急ロマンスカー並びに小田急電鉄の歴史を語る上で欠かせない車両であるので、1992年の引退後に海老名車両基地の収納庫で大切に保存されていました。

③ 3100形NSE(3221F)のうちの3両(デハ3221,3223,3231号車、1967(昭和42)年の川崎車輛製)

新宿、片瀬江ノ島寄りのデハ3221号車は、電動化前のホームベース型のさがみ号の表示、小田原箱根湯本、藤沢寄りのデハ3231号車は、1999(平成11)年7月の引退当時のさようなら3100形(NSE)の表示のままとなっています。

SE車とNSE車は、デッキ部分のみ立ち入り可能であり、範囲内で懐かしの赤い座席を撮影することが出来ます。

さがみ号は、相模国が由来であり、ロマンスカーミュージアムのある海老名市は、旧相模国で、自動車の相模ナンバーの地域でもあります。

3100形NSE車が活躍していた頃のさがみ号は、1966(昭和41)年から1999年7月16日まで運転されていた初代のさがみ号であり、新宿~小田原(一部、箱根湯本)間の運転で、途中、向ヶ丘遊園、本厚木、新松田の各駅に停車していました。

④ 7000形LSE車1両(7003号車、1982(昭和57)年の日本車輌製造製)

こちらは、新宿、片瀬江ノ島寄りの先頭車であり、こちらの中に入れないのが残念であります。

表示は、2月1日に行った時にホームウェイとなっていたけど、現在は、はこねとなっています。

⑤ 10000形HiSE車1両(10001号車、1987(昭和62)年の日本車輌製造製)

こちらも、新宿、片瀬江ノ島寄りの先頭車であり、中に入ることが出来ます。

⑥ 20000形RSE車2両(20001Fの新宿寄りの先頭車の20001号車と、ダブルデッカー車20151号車、1990(平成2)年の日本車輌製造製)

20001号車の客席部分に立ち入ることは出来るけど、スーパーシート(グリーン車)とセミコンパートメントの座席は残念ながら座ることが出来ないです。

今後は、昨年12月10日に完全引退(ファイナルラン)を迎えていた50000形VSEも加わる予定なので楽しみにしています。

ビナキッチン🍴🍝は、昨年7月8日にこれまでカフェ(ROMANCECAR MUSEUM CLUBHOUSE)に変わってオープンした、洋食レストラン🍴🍝であり、ペデストリアンデッキに面していることにより、来館者以外でも入店することが出来ます。

こちらでは、スパゲッティ🍝、オムライス、ハヤシライス、グラタン、カレー、ハンバーグプレート、とろ~りチーズのぴざぱん、プリンアラモード等、お子様も大好きなメニューが揃っています。

とろ~りチーズのぴざぱんとあんばたぱんで使われている厚切りパンは、海老名市の業務用パンメーカーである栄屋製パンのものが使われています。

栄屋製パンでは、海老名市中心の学校給食のパンも製造されています。

唐揚げ&ポテトフライに酒類(生ビール、ハイボール、レモンサワー)を組み合わせたちょい呑みセット(1000円)もあります。

こちらの入館料は、大人 900円、小学生 400円 幼児(3歳以上) 100円であり、PASMOやSuica等の交通系ICカードを使うことも出来ます。

ロマンスカーミュージアムの営業時間は、10時~17時(入場時間は16時30分)となっています。

ビナキッチンの営業時間は、10時~21時(日曜、祝日は20時まで)であり、オーダーストップは、閉店の45分前(飲みものは閉店の30分前)であります。

ロマンスカーミュージアムは、小さなお子様から大人まで楽しめる場所であり、自分(しゃもじ)は、昨年2月1日に初めて行くことが出来た喜びを感じました。

ロマンスカーミュージアムのキャッチコピーは、「電車だけじゃない、ワクワクを。」となっているので、その通りだと思っています。

詳細は、「ロマンスカーミュージアム」、「ビナキッチン」で検索。

50000形VSEが完全引退した後、ロマンスカーが3形式(30000形EXE(EXEα)、60000形MSE、70000形GSE)の3形式となってしまったけど、70000形GSEは、みんな大好き展望席付きロマンスカーとなっています。

50000形VSEは、みんな大好き展望席付きロマンスカーで、絶大な人気を誇っていたので、VSEに対する存在が大きいことが分かりました。



海老名駅付近には、ビナウォーク、ららぽーと海老名などの見どころもあるけど、そのうちのららぽーと海老名は、JR相模線の駅からとても近いです。

「ビナウォーク」の「ビナ」 (ViNA)は自然礼賛を意味する"ViVA NATURE"の略語であるけど、えびなの、びなの意味もあると思っています。

ビナウォークにあるポポンデッタwith小田急トレインギャラリーは、レイアウトのある鉄道模型店であり、小田急線に関する史料も展示されています。

ビナウォークのら~めん処には、富山ブラックラーメンの店である「麺家いろは」の海老名ビナウォーク店もあります。

横濱家系ラーメン海老名家は、サンマーメンと並ぶ神奈川県のご当地ラーメンである横濱家系ラーメンの店であり、豚骨ベースのスープが特徴となっています。

呑み処ビナ横丁は、ビナウォーク2番館にある人気の居酒屋🏮🍻が並ぶ場所であり、そのうちの居酒屋 おーるすたぁず🏮🍻では、系列店と同様に、サザンオールスターズ(Southern All Stars)の曲がBGM🎵として使われていることに加え、内装もサザンづくしとなっています。

サザンオールスターズ(桑田佳祐氏)の地元である茅ヶ崎市へは、海老名駅からJR相模線で乗り換えなしで行けるんです。

詳細は、「ビナウォーク」、「ポポンデッタwith小田急トレインギャラリー」、「麺家いろは 海老名」、「横濱家系ラーメン海老名家」、「ららぽーと海老名」、「居酒屋 おーるすたぁず」、「サザンオールスターズ」で検索。

昨年2月20日には、ViNA GARDENS OFFICEに小田急電鉄の海老名本社が設けられ、一部の部署が新宿から移転されていました。

同年8月21日には、新宿本社が小田急明治安田生命ビルから小田急第一生命ビルに移転され、移転計画が完了していたのであります。

小田急第一生命ビルは、小田急不動産と第一生命保険の共同管理によるビルで、2010年4月に改称される前は、新宿第一生命ビルディングとなっていました。

隣接するハイアットリージェンシー東京は、ホテル小田急による運営による、アメリカ🇺🇸のハイアットホテルアンドリゾーツ(HYATT)の国内進出第一号の高級ホテルであり、1980(昭和55)年に新宿第一生命ビルディングと共に開業した当時は、ホテルセンチュリーハイアットと呼ばれていました。

詳細は、「ハイアットリージェンシー東京」で検索。

在京大手私鉄の本社の郊外移転が相次いでいるけど、小田急の場合は、海老名への完全移転ではなく、新宿と海老名に本社の機能が分散されていました。

東武鉄道の場合は、東武橋のたもとに旧本社があったけど、東京スカイツリータウンの建設工事により、とうきょうスカイツリー、押上(スカイツリー前)駅の北東部分に移転されたことにより、墨田区押上に本社のある鉄道会社であることが受け継がれています。

厚木駅は、小田急電鉄による管理で、1階に改札口とJR相模線のホーム(1面1線)、2階に小田急線のホーム(2面2線)が設けれており、相模線ホームへは、中間改札(自動改札機)を通る必要があります。

2007(平成19)年3月10日までは、線路の反対側にホームがあった絡みにより、構内踏切を渡る必要があったけど、バリアフリー対応によりホームが小田急線側に移されてからは、構内踏切が解消されていました。

構内踏切は、手動式だったので、手間が掛かることや危険性を伴っていたことにより廃止されたのもそのはずであり、2005(平成17)年3月15日に東武鉄道の竹ノ塚駅にあった手動式踏切で発生した踏切事故の悲劇の影響もありました。

竹ノ塚駅付近の踏切は、複々線区間に跨がる踏切(現在は急行線の上下が高架化済)で、より危険性を伴っていました。

現在のJR厚木駅のホームの反対側に旧ホーム跡が残されているのは、その名残であり、西武多摩川線の競艇場前駅(東京都府中市)に旧ホーム跡が残されていることと似たような風景となっています。

西武多摩湖線の八坂駅(東京都東村山市)も、改良工事により反対側にホームが移されていたけど、こちらは旧ホーム跡が撤去されていました。

厚木駅には、相模鉄道(相鉄)管理の留置線(厚木操車場で、かつて貨物輸送が行われていた)があり、車両の搬入及び搬出が行われています。

ここと相模国分信号所(かしわ台~海老名間)を結ぶ相鉄厚木線は、旅客列車が走らない単線の路線であり、小田急電鉄の海老名車両基地の北側を通ることになっています。

厚木~海老名間では、相鉄厚木線と並走しています。

厚木駅周辺には、雪印メグミルクの海老名工場(旧、雪印乳業厚木工場)があるので、周辺に圏央道の海老名インターチェンジが出来てからは、海老名工場で製造された牛乳などの乳製品を輸送するのに良い環境となっています。

詳細は、「雪印メグミルク」、「雪印メグミルク海老名工場」で検索。

このことは、第三京浜道路の港北インター付近に、崎陽軒の横浜工場(シウマイ製造工場)があることと同様であり、出来立てのシウマイを輸送するのに適しています。

本厚木駅は、1927(昭和2)年4月1日に開業した当時は、相模厚木駅と呼ばれていたけど、大東急の時代の1944(昭和19)年6月1日に、現在の本厚木駅に改称されていました。

同時期には、河原口駅が国有化された相模鉄道相模線(現、JR相模線)と同じ厚木駅に変更されていたけど、河原口駅は、相模川の河原が由来となっていました。

厚木駅は、相模川を挟んだ対岸の海老名市にあるのに厚木という不思議な感じであるけど、偽厚木ではありません。

こちらは、東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の堀切駅が、京成本線の堀切菖蒲園駅のある葛飾区ではなく、荒川放水路と綾瀬川の対岸の足立区千住曙町にあることと同様であります。

本厚木駅が高架化されたのは、1976(昭和51)年6月のことであり、翌年の1977(昭和52)年3月29日に駅周辺連続立体交差化工事が完成していました。

日中の新宿口の各駅停車は、全て新宿~本厚木間の運転となっているので、引き上げ線への入線シーンが頻繁に見られています。

本厚木駅の駅ビルである本厚木ミロード(MYLOAD)は、1982(昭和57)年3月20日に開業した小田急グループのミロードの第一号であり、1993(平成5)年11月4日には、別館であるミロード2も開設されていました。

小田急新宿駅の南口にある新宿ミロード(MYLOAD)は、1984(昭和59)年10月4日に開業していたので、本厚木のミロードが新宿のミロードよりも先に出来たことが分かります。

新宿ミロードも、一昨年10月2日をもって閉館となった小田急百貨店の新宿本店の本館と同様に、新宿駅西口地区開発計画に伴う改築の対象となっているので、昨年3月25日をもってモザイク通りとモール2階が閉鎖され、来年4月以降に取り壊されることになります。

詳細は、「本厚木ミロード」、「新宿ミロード」で検索。

本厚木駅周辺は、厚木市の中心にある駅らしく、とても賑やかとなっています。

本厚木駅は、2面4線で、1階が改札口、コンコース(中央口、東口)、2階がプラットホーム、4階がミロード改札口であり、中央口側とミロード口側にエスカレーター、東口側にエレベーターがあります。

本厚木駅のトイレ🚻は、中央口、東口側の両方にあり、どちらも全て洋式🚽で、だれでもトイレ🚻♿🚽も併設されています。

本厚木駅からは、神奈川中央交通(神奈中)バス🚌で七沢温泉♨️まで行けるけど、愛甲石田、伊勢原の両駅からもバス🚌が出ています。

飯山温泉(厚木市飯山)♨️も七沢温泉と同様に、本厚木駅からバス🚌で行ける丹沢山麓の奥座敷温泉♨️であり、どちらも日帰り温泉♨️を楽しむことが出来ます。

長野県飯山市(信州飯山)と区別することで、飯山温泉♨️のことを厚木飯山温泉または相模飯山温泉と呼びたくなります。

詳細は、「七沢温泉」、「厚木飯山温泉」で検索。

実際に長野県飯山市にある温泉♨️は、斑尾高原温泉♨️と戸狩温泉♨️であり、飯山温泉♨️は厚木市にあって飯山市にはないです。

戸狩温泉♨️(冬はスキー場⛷️となっている)は、JR飯山線の戸狩野沢温泉駅が最寄り駅だけど、一方の野沢温泉♨️は、下高井郡野沢温泉村に位置しています。

厚木~本厚木間の相模川橋梁は、大手私鉄で唯一の相模川に掛かる橋梁となっています。

相模川は、山梨県にある山中湖(富士五湖の一つ)が水源で、平塚市と茅ヶ崎市の境目で相模湾に注ぐ川となっているけど、上流の山梨県側では、桂川と呼ばれています。

その途中にある相模湖(相模ダム)と津久井湖(城山ダム)は共に相模原市緑区に位置するダム湖であり、相模湖へは、JR中央本線(中央東線)の相模湖駅から徒歩🚶で行くことが出来ます。

津久井湖へは、JR横浜線・相模線、京王相模原線の橋本駅から三ヶ木行きの神奈川中央交通(神奈中)バス(城山高校前または津久井湖観光センター前で下車)🚌で行くことになります。

富士五湖で最大の面積を誇るのは、東側にある富士山🗻に一番近い湖と言われる山中湖であり、冬には諏訪湖(長野県諏訪市、岡谷市、諏訪郡下諏訪町に位置している自分(しゃもじ)の好きな湖)などと同様にわかさぎ釣り🎣が行われ、釣ったばかりのわかさぎを天ぷらにして食べることも出来ます。

JR東日本のE257系2000番台(特急踊り子と湘南号で使われている車両)は、茅ケ崎~平塚間で相模川(下流部分)を渡っているけど、種車の0番台(中央線特急で活躍していた)時代に、鳥沢~猿橋間の新桂川橋梁でその上流である桂川を渡っていました。

有名な撮影ポイントのある渋沢~新松田間は、6.2Kmと小田急線で最も長い駅間距離であり、山や川の流れを楽しむことの出来る風光明媚な区間であります。

こちらには、2ヶ所のトンネル(第一菖蒲トンネル、第二菖蒲トンネル)と9ヶ所の橋梁があり、小田原方面の列車は、2つのトンネルを抜けた後、四十八瀬川を6回、川音川を3回渡ることになっています。

第一菖蒲トンネルは、488mと、小田急線の地下トンネル以外のトンネルで最も長いです。

四十八瀬川とは、酒匂川水系の川(川音川の支流)であり、そこに掛かる橋梁が小田急ロマンスカーのポスター撮影地として使われています。

四十八瀬川が中津川(岐阜県中津川市とは別)と合流して川音川となり、酒匂川に注がれることになっています。

岐阜県の中津川市は、中津川宿が由来であり、その名の通りの中津川(木曽川水系)が流れています。

渋沢~新松田間の有名撮影ポイントへは、渋沢駅から徒歩30分掛かります。

このような有名撮影ポイントなどでは、ゴミを捨てずに持ち帰ること、線路内に立ち入るなどの危険な場所での撮影はしないなどのマナーを守ってもらいたいです。



新松田~開成間では酒匂川、螢田~足柄間で狩川を渡ることになっています。

小田急線の酒匂川橋梁は、単線並列となっているのが特徴であり、1927年の開業当時から95年間使われています。

こちらは、開業当時に単線となっていた頃の名残となっています。

こちらでは、富士山🗻をバックに酒匂川を渡る列車を撮影することが出来ます。

このことで、ロマンスカーに富士山🗻が似合っているな❗と思いました。

小田急線で最も長い河川橋梁は、和泉多摩川~登戸間の多摩川橋梁(428m)で、2番目が前述の厚木~本厚木間の相模川橋梁(410m)であります。

酒匂川は、静岡県と神奈川県を流れる全長46Kmの河川であり、静岡県側では、鮎沢川と呼ばれています。

一方の狩川は、足柄山の金太郎でお馴染みの金時山が水源となっています。

金時山⛰️は、箱根山の北西部にあり、箱根山や大山(神奈川県)と同様に、日本三百名山の一つでもあります。

箱根登山電車の塔ノ沢駅近くにある箱根湯寮♨️(箱根湯本駅から無料送迎バス🚐も出ている)には、そのうちの塔之沢温泉の湯が使われています。

箱根湯寮♨️は、2013(平成25)年に、箱根ベゴニア園の跡地に出来た、小田急リゾーツ(小田急グループ)による日帰り温泉施設♨️であり、箱根ベゴニア園にあったひめしゃらの湯がグレードアップされたものとなっています。

箱根湯寮♨️に行ってみて、緑や川のせせらぎの魅力を感じていました。

小田急グループ(小田急リゾーツ)のホテルはつはなは、一昨年9月11日にリニューアルオープンされ、全客室に露天風呂が設けられるようになっています。

詳細は、「箱根湯寮」、「ホテルはつはな」で検索。

箱根の伊東園ホテルズの温泉ホテルは、箱根湯本温泉の伊東園ホテル箱根湯本であり、箱根湯本からタクシーやオレンジバスを使って行くことになります。

伊東園ホテルズは、東京都豊島区南池袋に本社のあるクリアックスグループ(カラオケの歌広場、まんが広場の系列)である格安温泉ホテルチェーンであります。

伊東園ホテルズによる温泉ホテルは、ご当地の地酒を含めた夕食時のアルコールドリンクの飲み放題サービスが宿泊料金に含まれているのが特徴であるけど、当然のことながら、飲酒運転防止により、朝食の時には行われていないです。

だからと言って飲みすぎや泥酔状態の入浴には注意してもらいたいです。

泥酔状態で入浴するのは危険なのでそのはずであります。

他の系列のホテルの場合は、アルコールドリンクが別料金となっています。

伊東園ホテルズの温泉ホテルは、宿泊料金が安く、その上アルコールドリンクが飲み放題であることで人気があるのもそのはずであります。

詳細は、「伊東園ホテルズ」、「伊東園ホテル箱根湯本」で検索。

箱根は、温泉♨️や自然が豊富で美味しい食べ物も充実しているので、池袋駅や所沢駅から、西武鉄道の001系ラビュー(Laview)🚃💺ですぐ行ける埼玉県の秩父との共通点があります。

箱根には、箱根登山電車🚃⛰️、箱根登山ケーブルカー🚃⛰️、箱根ロープウェイ🚠、箱根海賊船⛴️🏴‍☠️、箱根登山バス🚌を使って周遊する箱根ゴールデンコースがあるので、乗り物好きにとってもたまらない場所でもあります。

箱根(HAKONE)に多くの外国人が訪れるようになったことは最近になってからというイメージが強いけど、1858(安政5)年(江戸時代)に横浜港⚓が開港したことを期に、箱根が横浜港からほどよい距離にあり、温泉場♨️のある避暑地であることから、明治時代の初め頃から外国人たちに人気の避暑地として多くの外国人たちが箱根を訪れるようになったのであります。

箱根の宮ノ下地区にある富士屋ホテル🏨が、1893(明治26)年から1912(大正元)年まで外国人専用ホテルとなっていたのは、その為でありました。

江戸時代まで宿場町として賑わっていた箱根が、明治時代になってから外国人たちにも人気の国際観光地として生まれ変わったことは素晴らしいことだと思っています。

箱根(HAKONE)はお寺あり、温泉♨️や湖あり、杉並木あり、山や川の景色ありなどで日光・鬼怒川(NIKKO&KINUGAWA-ONSEN(SPA)、栃木県日光市)と同様に、今も昔も外国人観光客たちで賑わう場所(国際観光地)となっています。

自分(しゃもじ)が箱根と日光・鬼怒川をよく比較したくなるのは、どちらも昔から外国人観光客たちで賑わっている国際観光地だからであり、温泉保養地♨️の役割もあります。

3月6日には、よみうりランドにある「HANA・BIYORI」に、よみうりランド眺望温泉 花景の湯」がオープンしていました。

こちらへは、読売ランド前駅または新百合ヶ丘駅からよみうりランドまで小田急バス🚌で行き、ここから歩いて行くことになります。

詳細は、「よみうりランド温泉」、「よみうりランド眺望温泉 花景の湯」で検索。

一昨日(7月12日)から昨日(7月13日)に掛けて、新宿→白馬間で運転されていた、臨時夜行特急アルプス号には、E257系2000番台(下田踊り子、湘南号の車両)のNA-13(旧、M-116)編成が使われていたことを聞きました。

こちらは、新宿 23時58分発→白馬 翌朝の6時22分着(途中、立川、八王子、松本、信濃大町の各駅に停車)で、8月9日、9月13,20日にも運転される予定となっています。

本日(7月14日)は、京成電鉄新3200形の初回導入分の6両(3206F)が日本車輌製造豊川製作所から出場したということを聞きました。

こちらは、越谷貨物ターミナル駅まで甲種輸送され、ここから宗吾工場までトレーラーで陸送されることになります。

JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、4月17日から、羽田〜ダラス・フォートワース線にエアバスA350-1000型機が就航していました。

こちらは、7月1日から羽田〜ニューヨーク(JFK)線が2往復共にエアバスA350-1000型機となったことにより、8月2日から全てボーイング777-300ER型に戻されています。

8月3日からは、再び隔日運航(偶数日の羽田発はボーイング777-300ER型機による運航)となり、8月29日から、全てエアバスA350-1000型機での運航となります。

ダラス・フォートワース国際空港は、アメリカン航空との乗り継ぎにより、ネットワークが強化されています。

6月28日(日本(羽田)発6月29日)は、アメリカン航空が、羽田〜ニューヨーク線に参入(10年ぶりに再開)していました。

機種はボーイング777-200ER型機が使われています。

ボーイング777-200型機は、JALでER型を含めて全廃となったけど、ANAでは、非ER型を含めてボーイング787-10型機に順次置き換えられる予定となっています。

このことは、JR東海でN700系からN700Sへの置き換えが、JR西日本よりも早いペースで行われていることと似ているところがあります。

ANA(全日本空輸)✈️💙では、3月27日、ボーイング787-10型機のJA981A号機が、羽田〜札幌(新千歳)間を皮切りに、国内線にも就航していました。

6月23日は、蒲田駅から京浜急行バスによる急行便で羽田空港まで行き、そのうちのJA984A号機を撮影することが出来ました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ANA ボーイング787-10」で検索。

たまプリは、初期で活躍していた千ちゃんと、新メンバーである佐倉美桜、双六さつき、神田藍里、神楽ひまわり各氏を加えた新体制となり、5月18日にお披露目されていました。

5月19日は、池袋SOUNDPEACE(サウンドピース)で行われた、「 無銭大好きマン」で、 新生たまプリを見てきました。

この時にお気に入りの釣りの歌やおすしの歌を聴くことが出来て良かったです。

6月1日は、土曜出勤により、たまプリのオフ会に行かれなかったのが残念でありました。

このことで、メンバーに寂しがられていたけど、双六さつき氏🧡は、しゃもじサンいなかったからすんごく寂しかったと言っていました。

6月29日のたまプリのカフェイベントにも行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ、しゃもぽん)から見た たまプリを ANAこと全日本空輸の飛行機✈️💙に例えているので、たまプリのオフ会やカフェイベントにしゃもじ(しゃもぽん)が行っていたら、ANAのエアバスA380 型機のフライングホヌによる成田~ホノルル(ハワイ)線✈️🐢🏝️に例えていたところでした。

自分(しゃもじ)から見たたまプリを、ANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙に例えているのは、1推しである、あいりんこと神田藍里氏💙のメンバーカラーだからでもあります。

15日は、大塚ドリームシアターで行われた、あーにゃと伊藤蒼姫氏😸が出てきたライブで、ステーション♪の歌が歌われていたけど、土曜出勤により行かれなかったのが残念でした。

6月30日は、渋谷のシダックスカルチャーホールでさゆまゆ姉妹の公演に行くことが出来ました。

自分(しゃもじ)がさゆまゆ姉妹を見たのは、3月24日の上野以来でありました。

7月7日は、五反田にあるGOTANDA G7で、暁みゆ、兎丹らむね両氏による2人組アイドルグループである、おさんぽ娘と、ゆめとあいりをを見ることに成功しました。

暁みゆ氏は、かつてNゼロで活躍していたメンバーであります。

ゆめとあいりは、元きみよりのゆめちゃんと、あいりちゃんによる2人組であり、あいりちゃんを初めて生で見たことになりました。

詳細は、「おさんぽ娘」、「ゆめとあいり」で検索。

5月12日は、内幸町ホールに行き、元ぶどう党の天野ひかり氏と再会しました。

この時に、むぎさり(ビーバイユーの永久つむぎ、満月咲莉華両氏によるユニット)と初対面することも出来ました。

詳細は、「天野ひかり」、「ビーバイユー」、「むぎさり」で検索。

本日は、高田馬場BSホールで、天野ひかり氏と、むぎさりを見てきたけど、一緒に照の湯などの銭湯に行った友人と再会することが出来ました。

3月20日は、東京駅でのあーにゃと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、幸せを味わうことが出来て良かったです。

たまプリの、あいりんこと神田藍里氏💙は、7月8日から31日まで、学業専念により活動休止となってしまうので、頑張ってもらいたいと思っています。

休止期間中は、双六さつき氏🧡が1推し代理となります。

7月7日は、たまプリのメンバーに会えなかったのが残念でした。

7月6日の記事を、あいりんこと神田藍里氏💙の大好きなもころん号にしたのは、その為でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

小田急線や小田急ロマンスカーの時刻、運賃、運行状況、特急券の予約等の詳細は、小田急電鉄のホームページを見るか、「小田急線」、「小田急ロマンスカー」で検索願います。

もころん号、8000形、30000形EXE(ノーマルEXE)を撮影する時には、マナーを守ってもらいたいと思っています。

小田急まなたびは、小田急マナー旅でもあるので、参加者はもちろんのこと、そのツアー列車を撮影する時にはマナーを守ることが必要であります。

今宵はここまでに致しとうござりまする。