昨年(2023(令和5)年)12月26日は、赤羽から池袋まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)のE233系7000番台(埼京線・川越線、りんかい線、相鉄線直通用車両)のハエ121編成(クハE233-7021F、川越車両センター所属)による、新宿行き🚃に乗りました。

今回乗った列車は、平日33運用の後半(1732K)で、川越線(川越東線)の指扇駅(埼玉県さいたま市西区)を17時07分に発車する新宿行きであり、戸田公園駅で川越発新木場行きの通勤快速の通過待ちが行われています。

新宿駅からの折り返しは、18時13分発の武蔵浦和行きであります。

埼京線は、大崎駅と大宮駅の間を新宿、池袋、赤羽、武蔵浦和駅経由で結ぶ路線であり、東京臨海高速鉄道りんかい線、川越線(大宮~川越間、川越東線)、相鉄線との直通運転が行われています。

埼京線は、埼玉の埼に、東京の京を合わせた通称であり、その名の通り、埼玉県と東京都を結ぶ路線となっています。

正式な路線名は、大崎~新宿~池袋間が山手線(山手貨物線)、池袋~赤羽間が赤羽線、赤羽~武蔵浦和~大宮間が東北本線(支線)であり、赤羽~武蔵浦和~大宮間に関しては、東北・上越新幹線と並走する区間(バイパス路線)で、東北本線の混雑緩和並びに沿線住民の為に、新幹線と共に整備されていました。

川越線の大宮~川越間(川越東線)は、埼京線と運用が一体となっていることで、埼京線の延長部分のイメージが強いけど、埼京線とは別路線なので、埼京・川越線と案内されています。

京浜東北線も通称であり、正式な路線名は、大宮~東京間が東北本線、東京~横浜間が東海道本線となっています。

こちらは、京浜東北線の延長部分と言える根岸線(横浜~桜木町~磯子~大船間)と直通運転されているので、埼京線と似ているところがあります。

根岸線も、一昨日(1月24日)の記事で紹介した横浜市営地下鉄ブルーラインと同様に、東海道線や横須賀線の混雑緩和の為に作られたバイパス路線で、1973(昭和48)年4月9日に洋光台~大船間の開業により全通していました。

昨年7月2日は、E233系1000番台のサイ150編成による根岸線全線開通50周年ヘッドマーク付き電車を撮影することが出来て良かったと思っています。

埼京線、川越線の路線(2023(令和5)年3月18日現在)

(東京臨海高速鉄道りんかい線、新木場駅または相鉄・JR直通線、海老名駅まで直通運転)←大崎~恵比寿~渋谷~新宿~池袋~板橋~十条~赤羽~北赤羽~浮間舟渡~戸田公園~戸田~北戸田~武蔵浦和~中浦和~南与野~与野本町~北与野~大宮~日進~西大宮~指扇~南古谷~川越

快速の停車駅

大崎~恵比寿~渋谷~新宿~池袋~板橋~十条~赤羽~戸田公園~武蔵浦和~中浦和~南与野~与野本町~北与野~大宮~日進~西大宮~指扇~南古谷~川越

通勤快速の停車駅(平日の朝と夕夜間のみ運転)

大崎~恵比寿~渋谷~新宿~池袋~板橋~十条~赤羽~武蔵浦和~大宮~日進~西大宮~指扇~南古谷~川越

赤羽~大宮間は、東北・上越新幹線系統の新幹線と並走する区間なので、乗っていて楽しい区間であります。

埼京線の駅のうち、外側に通過線のある駅は、戸田公園、南与野の両駅であり、現在は平日の朝と夕夜間に運転される通勤快速しか通らないことになっています。

埼京線の車両基地は、八高・川越線の車両(209系3500番台またはE231系3000番台)と共用の川越車両センターであり、川越線の指扇駅と南古谷駅が出入庫駅となっています。

今回撮影した列車は、指扇駅始発だったので、川越車両センターから出庫してきた列車であることが分かります。

保安装置は、大崎~池袋間、大宮~川越間、りんかい線、相鉄・JR直通線がATS-P、池袋~赤羽~大宮間がATACSとなっています。

2017(平成29)年11月4日にATACSが導入される前は、旧式のATC-6型が使われていました。

ATC-6時代には、システム上により、戸田公園駅と南与野駅に入線する時に、ホーム進入前に25Km/hに減速し、再加速してから分岐器(ポイント)を通過していたけど、ATACSの導入により解消されていました。

新宿~池袋間は、1986(昭和61)年3月3日の埼京線の新宿乗り入れから2003(平成15)年5月25日の池袋駅の線路切り替え工事までの間は、バックアップATC区間(ATSとATCの併用)となっていました。

新宿~恵比寿~大崎間は、バックアップATC区間ではない為に、1996(平成8)年3月16日の恵比寿延長の時に新宿駅でATCからATS-Pに切り替える必要がありました。

ATACSは、Advanced Train Administration and Communications Systemの略であり、JR東日本によって開発された無線式の列車制御装置であり、従来の列車制御装置よりもコストが低減されています。

ATACSが導入されている路線は、埼京線の池袋~赤羽~大宮間と、仙石線のあおば通~東塩釜間であり、仙石線では、2011(平成23)年10月10日に導入されていました。

仙石線では、山手線、埼京線で活躍してう205系の中間車から改造された3100番台が活躍しているけど、こちらも置き換えられる可能性があると言われています。

埼京線の女性専用車🚃🚺️は、平日朝🌅の7時30分~9時40分に新宿駅に発着する新宿、新木場、相鉄線直通方面行きの全列車と、平日夜🌃の22時40分以降に新宿駅を発車する大宮、川越方面行きの全列車に設定されており、どちらも新宿、新木場寄りの10号車(朝の新宿、新木場方面は先頭、朝の相鉄・JR直通列車と、夜の大宮、川越方面は最後部)で、りんかい線(朝は大崎駅を7時45分~9時45分に発車する新木場方面の列車、夜は新木場駅を22時42分以降に発車する大崎方面の列車)でも行われています。

相鉄・JR直通列車の場合は、平日朝の7時20分から9時30分に大崎駅に到着する新宿方面の列車(海老名駅から大崎駅まで)と、7時30分~9時40分に新宿駅に発着する海老名方面の列車(こちらも大崎駅まで)であり、平日の夜に相鉄線から来る新宿方面行きの直通列車は、女性専用車の対象外となります。

埼京線に女性専用車🚃🚺️が導入されたのは、2001(平成13)年7月2日のことであり、当時は平日の新宿夜23時以降発の下り列車のみで、当時使われていた205系の10号車に白地のステッカーが貼り付けられていました。

2001年は3月27日に京王線に女性専用車🚃🚺️が本格導入されていたけど、こちらのステッカーはオリジナルのタカオスミレのデザインとなっています。

2005(平成17)年4月4日には、埼京線やりんかい線の女性専用車🚃🚺️が、平日の朝ラッシュ時にも拡大され、10号車の女性専用車のステッカーが、標準のピンク色に変更されたと共に、りんかい線の70-000形にも女性専用車のステッカーが取り付けられるようになったのであります。

JR東日本の通勤電車で女性専用車🚃🚺️が導入されている路線は、埼京線(大崎~新宿~大宮間)、川越線(大宮~川越間)、相鉄・JR直通線(海老名→羽沢横浜国大→大崎間)、中央快速線(大月→高尾→東京間)、青梅線(青梅→立川間)、常磐緩行線(取手→我孫子→綾瀬間、東京メトロ千代田線(綾瀬→代々木上原間)も対象)、中央・総武緩行線(千葉→御茶ノ水間)、京浜東北線(北行は大船→品川間、南行は大宮→東京間)であり、京浜東北線の場合は、先頭車ではなく、3号車(大船寄りから3両目)に設定されています。

JR東日本の通勤電車での女性専用車🚃🚺️は、埼京線、川越線が第一号であるけど、国鉄時代に中央線や京浜東北線にあった婦人子供専用車がルーツとなっていました。

こちらは、1973(昭和48)年9月15日のシルバーシート(現在の優先席)の導入により、中央快速線の上り列車を最後に廃止されていたけど、2005年9月5日に女性専用車🚃🚺️として復活していました。

乗換駅🚃🔃🚃

大崎 山手線、埼京線⇔東京臨海高速鉄道りんかい線(新木場駅まで直通運転)、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線)、相鉄・JR直通線(海老名駅まで直通運転)

恵比寿 山手線、東京メトロ日比谷線

渋谷 山手線、東急(東横線、田園都市線)、東京メトロ(銀座線、半蔵門線、副都心線)、京王井の頭線

新宿 山手線、中央・総武緩行線、中央快速線、小田急線、京王線、東京メトロ丸ノ内線、都営新宿線、都営大江戸線(新宿駅または新宿西口駅)

池袋 山手線、湘南新宿ライン、東武東上線、西武池袋線、東京メトロ(丸ノ内線、有楽町線、副都心線)

赤羽 京浜東北線、上野東京ライン(東海道線⇔宇都宮線または高崎線)、湘南新宿ライン

武蔵浦和 武蔵野線

大宮 京浜東北線、宇都宮線、高崎線、湘南新宿ライン、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線、東武アーバンパークライン(野田線)、埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)

川越 川越線(高麗川方面、一部八高線の八王子駅まで直通運転)、東武東上線

相鉄・JR直通線の路線(新宿~羽沢横浜国大間はJR線、羽沢横浜国大~海老名間は相鉄線)

(朝のみ埼京線、池袋、赤羽、大宮方面へ直通運転)←新宿~渋谷~恵比寿~大崎~武蔵小杉~羽沢横浜国大~西谷~(鶴ヶ峰)~二俣川~(希望ヶ丘)~(三ツ境)~(瀬谷)~大和~(相模大塚)~(さがみ野)~(かしわ台)~海老名

特急は相鉄線区間で、カッコ内の駅を通過することになります。

東京臨海高速鉄道りんかい線の路線

新木場~東雲(しののめ)~国際展示場(東京ビッグサイト前)~東京テレポート(ダイバーシティ東京プラザ前)~天王洲アイル(寺田倉庫本社前)~品川シーサイド(ビッグローブ本社前)~大井町~大崎→(JR埼京線・川越線経由、川越まで直通運転)

乗換駅🚃🔃🚃

新木場 JR京葉線、東京メトロ有楽町線

国際展示場 新交通ゆりかもめ(有明駅)

東京テレポート 新交通ゆりかもめ(お台場海浜公園駅または青海駅)

天王洲アイル 東京モノレール羽田空港線(モノレール浜松町、羽田空港方面)✈️

大井町 JR京浜東北線、東急大井町線

大崎 JR(山手線、埼京線(川越駅まで直通運転)、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線、相鉄・JR直通線))

地下にある駅、国際展示場、東京テレポート、天王洲アイル、品川シーサイド、大井町の各駅

新木場~品川埠頭分岐部信号場(東臨運輸区(八潮車両基地)への分岐点)間は、京葉貨物線として建設されていた区間であり、品川埠頭分岐部信号場~天王洲アイル~大崎間は、新たに作られた地下トンネル区間であります。

りんかい線の大井町駅は、上下二層式の地下駅となっており、上の1番線(地下3階)が、大崎、埼京線方面(緑色の表示)、下の2番線(地下5階)が、東京テレポート、新木場方面(青色の表示)となっています。

りんかい線の女性専用車🚃🚺️は、平日朝🌅の7時46分~9時41分に大崎駅を発車する新木場方面行きの全列車と、平日夜🌃の22時34分以降に新木場駅を発車する大崎方面行きの全列車に設定されており、どちらも新木場寄りの10号車(朝の新木場方面は前、夜の大崎方面は後ろ)で、直通運転先のJR埼京線でも行われています。

JR池袋駅の8番線は、山手線外回りの池袋始発専用ホームであり、1983(昭和58)年10月1日まで、赤羽線(現在の埼京線の池袋~赤羽間)のホーム(旧4番線だった)となっていました。

当時は、赤羽線の電車(101系や103系の8両編成だった)と東武東上線の電車が寄り添うシーンも見られていたのであります。

1983年10月2日には、池袋駅の赤羽線のホームが東口側の独立した場所(現在の埼京線、湘南新宿ラインの北行ホーム)に移設されていたけど、同年3月2日に赤羽駅の赤羽線ホームが高架駅(現在の7番線部分)に移設されていました。

これによって、赤羽線が8両編成から当時の山手線と同じ10両編成となり、埼京線へと進化する準備が行われていました。

赤羽線の池袋~赤羽間は、1885(明治18)年3月1日に、日本鉄道品川線(山手線の前身)として、品川~赤羽間で開業していたけど、当時は非電化であり、旅客列車は、新橋~品川~新宿~赤羽間1日3往復で、所要時間1時間15分となっていたので、電車が頻繁に行き来している現在と比べて想像出来ない状態でありました。

品川線の建設目的は、上毛地方で生産された生糸を横浜方面へと運ぶ貨物輸送の為でもあったので、1908(明治41)年9月23日に開業した横浜線と同じ目的であったことが分かります。

開業当初からある駅は、品川、渋谷、新宿、板橋、赤羽の各駅であり、同年3月16日には、目黒駅と目白駅(どちらも不動尊が由来である)が開業していました。

1903(明治36)年4月1日に池袋~田端間が開業し、1909(明治42)年12月16日に赤羽~池袋~品川間が電化された時に池袋~赤羽間が山手線の支線扱いとなり、1925(大正14)年11月1日に神田~上野間の開業と共に山手線の本線で、お馴染みの環状運転が行われるようになっていたのであります。

1972(昭和47)年7月15日には、山手線の支線だった池袋~赤羽間が赤羽線として独立していたけど、当時は山手線譲りのカナリア色(黄色)の101系が使われていました。

JR池袋駅の8番線は、山手線外回りの池袋始発専用ホームであり、1983(昭和58)年10月1日まで、赤羽線(現在の埼京線の池袋~赤羽間)のホーム(旧4番線だった)となっていました。

当時は、赤羽線の電車(101系や103系の8両編成だった)と東武東上線の電車が寄り添うシーンも見られていたのであります。

1983年10月2日には、池袋駅の赤羽線のホームが東口側の独立した場所(現在の埼京線、湘南新宿ラインの北行ホーム)に移設されていたけど、同年3月2日に赤羽駅の赤羽線ホームが高架駅(現在の7番線部分)に移設されていました。

これによって、赤羽線が8両編成から当時の山手線と同じ10両編成となり、埼京線へと進化する準備が行われていました。

埼京線が開業したのは、1985(昭和60)年9月30日の池袋~赤羽、武蔵浦和経由~大宮間のことであり、川越線(大宮~川越~高麗川間)が電化されたことにより、池袋~川越間の直通運転が行われるようになり、国鉄(当時)対東武の対決が行われるようになったのであります。

当時の埼京線の車両は、赤羽線から継承されたうぐいす色の103系で、山手線の205系の導入により捻出された編成も加えられていました。

埼京線から103系が引退したのは、1990(平成2)年12月のことであり、八高・川越線のうぐいす色の103系3000番台は、2005年10月まで活躍していました。

当時並走していた東北・上越新幹線の車両は、200系(緑の疾風)が当たり前となっていたけど、現在は、E2系、E3系、E5系(H5系を含む)、E6系、E7系(W7系を含む)が活躍するようになっています。

2013年4月に200系が引退した当時は、緑の疾風塗装にリバイバルされたK47編成が最後まで活躍していたので、流石だなと思いました。

E2系新幹線のJ66編成が、200系風塗装(緑の疾風塗装)となり、東北新幹線の東京~仙台間(東京~福島間で山形新幹線つばさ号と併結)で活躍しているけど、3月15日をもって定期運用から離脱されることになります。

J66編成が東京~福島間でE3系による山形新幹線つばさ号と連結されている時に、E3系(つばさ号)側もふるさとチャイムが流れることになっているけど、聴けるのも今のうちであります。

自分(しゃもじ)は、良い時にE2系新幹線のJ66編成を撮影しておいて良かったな❗と思っています。

3月16日には、山形新幹線のE8系も加わる予定であり、E3系が順次置き換えられことになります。

現在E3系2000番台のL65編成が銀つば塗装にリバイバルされています。


E8系は、3月16日から東京~新庄間2往復、東京~山形間1往復に使われる予定となっています。

埼京線、八高・川越線の車両基地である川越車両センターは、1985年9月30日の埼京線の開業、川越線の電化と共に、川越電車区として開設された車両基地であり、当時は北ハエとなっていました。

10月の川越まつりの時の土曜日には、イベントが行われています。

埼京線は、大宮から宮原駅まで複々線化させた上で延長させ、高崎線と直通運転させる計画があったけど、国鉄の財政難に加え、川越線との直通運転を優先させることや、規格が合わない為に建設中止となっていました。

その代わりに湘南新宿ラインとして、池袋、新宿方面への直通運転が行われるようになっています。

当時の高崎線は、3ドア車(115系または211系)の10両、11両、15両(トイレ付き車両)、現在は、グリーン車付きの4ドア車(E231系またはE233系の近郊バージョン)へと進化している)となっていたので、規格が合わないのもそのはずであります。

1986年3月3日に新宿駅まで、1996年3月16日に恵比寿駅まで、2002(平成14)年12月1日に大崎駅までそれぞれ延長され、同じ日に全線開業した東京臨海高速鉄道りんかい線との直通運転が行われるようになっています。

2002年12月1日は、東北新幹線が八戸まで延長され、速達やまびこ号がはやて号(現在ははやぶさ号に進化している)となったと共に全車指定席化され、秋田新幹線こまち号(当時はE3系が使われていた)も全車指定席化されたことにより、JR東日本の新幹線や在来線特急の全車指定席化が進められるようになっています。

3月16日のダイヤ改正では、房総特急も全車指定席化されてしまうので、JR東日本が指定席重視の会社であることが分かります。

埼京線のE233系7000番台は、2013(平成25)年6月30日にデビューし、翌年の2014(平成26)年までに205系の置き換え用として10両編成31本310両(ハエ101~131編成)導入されたけど、2019(令和元)年11月30日の相鉄・JR直通線の開業の時に備えて7本70両(ハエ132~138編成)が追加導入され、現在の38本380両となっています。

38編成のうち、ハエ101~121編成が新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所)製、ハエ122~138編成が総合車両製作所横浜事業所(J-TREC横浜)で製造されたけど、2013年7月から2014年1月までの間に新津製と横浜製(ハエ122~131編成)が交互に導入されていました。

新津車両製作所で製造されたE233系7000番台が、新津から東大宮操車場まで配給輸送されていた時、方転の絡みにより、大宮→東大宮間で、大宮から田端操車場、馬橋経由の迂回ルートとなっていたのであります。

東大宮操車場から川越車両センターまでは、公式試運転を兼ねた自力による回送で送り込まれていました。

総合車両製作所横浜事業所製の編成は、逗子駅から川越車両センターまで、公式試運転を兼ねた自力による回送で送り込まれていたのであります。

今回撮影した、ハエ121編成は、2014年1月に新津総合車両製作所で製造された編成であります。

相鉄・JR直通線の開業の時に備えて7本70両(ハエ131~138編成)が追加導入されたことは、都営新宿線の10-300形(10-300N形、こちらはE233系ベースとなっている)で、8両編成のまま残されていた初期型の10-300形(10-370~440F)の置き換え用として、再増備されていたことと同様であり、10-650~720Fが該当しています。

1989(平成元)年7月1日から2016(平成28)年10月27日まで埼京線で活躍していた205系は、2014年に営業運転が終了する予定だったけど、E233系へのATACSの取り付けにより予備車を確保する為に、ハエ28編成(クハ205-107F、オール4ドア車だった)が残されていました。

現在はそのうちの3両が富士急行→富士山麓電気鉄道富士急行線(山梨県)🚃🗻に6000系の6502Fとして譲渡され、2代目トーマスランド号🚃🚂🗻として活躍しています。

1月6日には、大月駅でそれを撮影することが出来ました。

富士急行線に6000系として譲渡された205系は、元ハエ28編成のほか、元京葉線のケヨ22,25,26,27編成、元八高・川越線のハエ81,85編成であり、そのうちのケヨ25,26,27編成が田の字型の2段窓の車両となっています。

これらの205系は、浦和電車区(現、さいたま車両センター、京浜東北線)所属時代に山手線に貸し出されたことのあった元ハエ28編成を含めて、山手線を走っていたことのある編成であるのが特徴であり、インドネシア🇮🇩に譲渡された元205系とは違って、東京駅や新宿駅から中央線に乗って大月駅まで行けば会うことが出来ます。

武蔵野線(京葉車両センター(千ケヨ)所属)で活躍していた205系は、全てインドネシア🇮🇩に輸出されていたけど、その殆どが、山手線で活躍していた編成であります。

埼京線のE233系は、幅広車体であるので、定員が205系の1424名に対して1564名と増加しています。

205系の2,3号車にあった6ドア車が、E233系に受け継がれなかった理由は、ホームドアに対応出来ないことだけでなく、座席定員が減ってしまうという問題があった為でもあり、京浜東北線の209系と横浜線の205系が、E233系にそれぞれ置き換えられていた時にも言えることであります。

6ドア車では、4ドア車よりも強度が落ちるという問題もありました。

これからの新造車は、省エネや乗り心地だけでなく、安全性も求められているので、そのはずだと思っています。

このことは、バスを含めた自動車などにも言えることであります。

ATACSの導入により、前面にID番号が表示されるようになっているけど、E233系7000番台は、ID-31~68番、りんかい線の70-000形は、ID-71~80番、相鉄の12000系は、ID-91~96番と、仙石線のID-01~19番に続くものとなっています。

ハエ121号車のID番号は、ID-51であり、スポーツ選手の背番号のような役割があります。

常磐緩行線(綾瀬~我孫子、取手間)では、自動列車運転装置であるATOが導入されているけど、以前はCBTC(海外方式の無線式列車制御装置)の導入が検討されていたこともありました。

その代替としてATACSの導入が検討されています。

今後は、東京メトロの丸ノ内線、日比谷線、半蔵門線、東急田園都市線、大井町線にCBTCが導入される予定であり、日本初導入となります。

丸ノ内線で02系から2000系(赤い電車)への置き換えが進められているのもその一環であります。



東京メトロ丸ノ内線については、昨年12月6日の記事に書いてあります。

E233系は、0番台が中央快速線、青梅・五日市線(豊田車両センター所属)、1000番台が京浜東北線・根岸線(さいたま車両センター所属)、2000番台が常磐緩行線(東京メトロ千代田線、小田急線直通、松戸車両センター所属)、3000番台(近郊バージョン)が宇都宮・高崎・東海道線(上野東京ライン、湘南新宿ライン、小山車両センターまたは国府津車両センター所属)、5000番台が京葉線(京葉車両センター所属)、6000番台が横浜線(鎌倉車両センター所属)、7000番台が埼京・川越線(りんかい線、相鉄線直通、川越車両センター所属)、8000番台が南武線(鎌倉車両センター中原支所所属)から成っており、線区毎に番台が分けられていることが分かります。

そのうちの6000番台(横浜線用)は、2014年2月16日に営業運転入りしていたけど、雪の影響が残る中でのスタートとなっていました。

あれから10年経とうとしています。

横浜線の205系は、同年8月23日にラストランを迎えていたので、半年間で28本全てが置き換えられたことになったのであります。

このことは、新津事業所と横浜事業所の分散導入だったからこそ実現したものであることが分かります。

埼京線のE233系7000番台も、新津事業所と横浜事業所の分散導入だったことにより導入ペースが早かったです。

JR線の池袋駅は、東側が埼京線、湘南新宿ライン、西側が山手線であり、改札口は、地下にある北改札、中央2改札、中央1改札、南改札、地上2階にあるメトロポリタン改札(7時~23時)から成っており、メトロポリタン口は、1992(平成4)年6月10日に、メトロポリタンプラザ(現、ルミネ(LUMINE)池袋)の開業と共に開設されていました。

中央1改札と南改札の間は、繋がっています。

1番線(始発列車の一部は2番線)は、埼京線南行(新宿、大崎、りんかい線直通新木場、相鉄線直通海老名方面)

2番線は、湘南新宿ライン南行き(新宿、横浜、小田原、逗子方面)

3番線は、湘南新宿ライン北行(大宮、宇都宮、高崎方面)、東武線直通特急(スペーシア日光号、きぬがわ号)

4番線(始発列車の一部は3番線)は、埼京線北行、川越線(赤羽、武蔵浦和、大宮、川越方面)

6番線(始発列車は5番線)は、山手線内回り(新宿、渋谷、品川方面)

7番線(始発列車は8番線)は、山手線外回り(田端、上野、東京方面)

JR池袋駅のトイレ🚻は、北改札、中央2改札(男性用🚹️1ヵ所、女性用🚺️2ヵ所)、中央1改札(南改札)側の3ヵ所(女性用は4ヵ所)あり、改札内の車椅子対応多目的トイレ(だれでもトイレ)トイレ🚻♿🚽は、中央1改札(南改札)側の女性用トイレ2🚺️の横にしかないです。

中央1改札(南改札)側は、女性用トイレ🚺️が2ヵ所あるのが特徴であるけど、男性用トイレ🚹️は1ヵ所しかないです。

JR池袋駅のトイレ🚻は、全て洋式🚽となっています。

エレベーターがあるのは、中央1改札(南改札)側であります。

池袋駅の8番線側から東武東上線の1番線に発着する電車を撮影することが出来ます。

JR池袋駅1番線側からは、西武線の特急ラビューを見ることが出来るけど、撮影は推奨されないです。

JR池袋駅1番線側には、ターキッシュエアラインズ(Turkish Airlines、トルコ航空)✈️🇹🇷の広告があり、再会はそらの上でアンタルヤと書いてあります。

ターキッシュエアラインズ(トルコ航空)✈️🇹🇷は、トルコの航空会社であり、ANA✈️💙などと同様のスターアライアンス系となっています。

羽田、成田の両空港からは、ターキッシュエアラインズによるイスタンブールへの直行便✈️🇹🇷が出ており、羽田発着は、ボーイング777-300ER型機、成田発着は、ボーイング787-9型機が使われています。

成田空港では、第1旅客ターミナルの南ウィング発着であるので、鉄道の場合は、終点の成田空港(成田第1ターミナル)駅下車となっています。

トルコに行く時、ターキッシュエアラインズのチケットをトルコ❗という言葉が思い付きました。

ターキッシュエアラインズの路線、時刻、運賃、運航スケジュール、運航状況等の詳細は、「ターキッシュエアラインズ」、「トルコ航空」で検索。

池袋の地名の由来は、袋型の池などの池や雑木林が多かったことであり、東京メトロ銀座線、南北線の溜池山王駅付近にその名の通りの溜め池があったことに準じています。

墨田区東向島(東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の東向島駅前)にある東武博物館で展示されている古い地図を見た時に、溜池山王駅付近に溜め池があったことを確認することが出来ます。

池袋なのにどこが池なんだという疑問はこのことでありました。

現在の池袋は、大塚辺りから移ってきた繁華街となっています。

板橋駅は、東京都北区、板橋区、豊島区に跨がる1面2線の島式ホームの駅(かつての山手線赤羽支線→赤羽線の面影の残る駅)で、北区側に駅長事務室がある関係により、北区にある駅となっています。

改札口は、大宮(十条)寄りの地下にあり、東西自由通路が設けられているけど、2019年2月24日に改札口が統合されるまでの間は、西口改札(板橋口)と東口改札(滝野川口)に分かれていました。

板橋駅のトイレ🚻♿は、改札内にあるけど、改良前は、西口改札側にありました。

西口には、板橋区の観光キャラクターである「りんりんちゃん」の石像があります。

りんりんちゃんは、板橋区の花であるニリンソウの「リン」と、板橋区の「板」と「橋」の「きへん」を合わせた「林」(リン)より名付けられたことが由来であり、板橋区の緑もイメージされています。

板橋駅の西口からは、国際興業バスの王22系統(帝京大学病院🏥経由、王子駅行き、池袋営業所所属)🚌が出ているけど、こちらは板橋駅に乗り入れる唯一のバス路線であります。

2002年から2004(平成16)年6月に掛けて3回行われた、池袋駅の線路切り替え工事の時、国際興業バスによる板橋駅~十条駅~赤羽駅間の代行バス🚌が運転されていたけど、王22系統と赤50系統(王子駅~十条駅~赤羽駅間、赤羽営業所所属)を繋げたような感じの路線となっていました。

2019年は、板橋駅構内に留置線が3線設けられ、埼京線の列車が留置されるようになり、2021年3月15日からは相鉄12000系も入るようになっています。

こちらに留置線が設けられた理由は、品川駅構内にあった山手線の留置線が、京急の駅の改良工事の準備の為に廃止されたことによって、埼京線と共用の池袋電留線に変更されたことによるものであり、それによる玉突きで設けられたのであります。

板橋駅の北側には、都営三田線の新板橋駅、南西側には、東武東上線の下板橋駅があるので、振替乗車の時に活用されています。

相鉄12000系は、平日の朝ラッシュ時に池袋駅や板橋駅の留置線に入ってくるけど、通常時には、埼京線の板橋~赤羽~大宮間や川越線に入ることはないです。

台湾🇹🇼の台北(タイペイ)に板橋という地名や駅があるけど、こちらは「バンチャオ」と読むことになっています。

スーツ氏👔は、板橋区高島平生まれなので、このことも話題にしていたのもそのはずであります。

台湾の板橋(バンチャオ、Banqiao)駅には、台湾新幹線も乗り入れています。

台湾新幹線の板橋(バンチャオ)駅は、日本の新幹線にはない上下二層式の地下駅(待避可能な駅)であり、地下2階が下り(1A,1B、台中(タイジョン)、佐営(高雄(カオシュン))方面)、地下3階が上り(2A,2B、台北(タイペイ)、南港方面)から成っているので、日本の東京メトロ副都心線の東新宿駅と同様の構造となっています。

台湾🇹🇼は、1895(明治28)年4月17日から1945(昭和20)年10月25日までの50年間、日本統治の時代であり、日本の一部となっていました。

こちらは、琉球国→沖縄が1945年4月5日から1972(昭和47)年5月14日までの間にアメリカ合衆国(アメリカ)🇺🇸に占領されていたことと似たような出来事でありました。

1972年5月15日に、沖縄県として日本に返還され、再び日本の一部となっていました。

我々日本人が、パスポートなしで沖縄旅行に行けるのも、このことのお陰であります。

海外旅行に行く時には、パスポートが必要だけど、一部の国には、ビザも必要となります。

台湾🇹🇼が戦時中に日本の一部となっていたことは、台湾の歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。

東の鉄道系動画王(YouTuber)のスーツ氏👔も、台湾の歴史に触れていた時に、このことを話題にしていました。

台北101は、その名の通りの101階建ての超高層ビル(台北のランドマーク)であり、高さは509.2mとアジアで一番高いビルとなっています。

こちらには、展望台もあります。

因みに、世界一高いビルは、アラブ首長国連邦🇦🇪のドバイにある、ブルジュ・ハリファであり、高さは828mあります。

台湾の台北(タイペイ)への飛行機✈️は、羽田から(へ)の便が台北松山(ソンシャン)空港と桃園空港の両方の発着、成田から(へ)の便が桃園空港発着となっており、JAL(日本航空)✈️🇯🇵、ANA(全日本空輸)✈️💙、エバー航空(台湾の航空会社)✈️🇹🇼の場合は、羽田が台北松山空港、成田が桃園空港発着となっています。

チャイナエアライン✈️🇹🇼は、成田~桃園線のみであります。

松山空港✈️は、日本の愛媛県と、台湾の台北松山(ソンシャン)空港の両方があるので、区別する為に、台北松山空港と呼ばれています。

ANAの羽田~台北(松山)線は、2便共に羽田空港の第2ターミナル発となっているので、注意が必要⚠️となっています。

詳細は、「JAL台湾」、「ANA台湾」、「エバー航空」、「チャイナエアライン」で検索。

この時に、台湾に行きたいわん(台湾)❗という言葉を思い付きました。

このことは、板橋(バンチャオ)繋がりで話題にしました。

板橋~十条間には、石神井川を渡る区間があるけど、王子駅付近から川沿いの遊歩道を通って行くことが出来ます。

十条駅は、は2面2線の相対式ホームの地平駅で、下りホーム側の北改札、上りホーム側の南改札からなっ、エスカレーターも併設されている跨線橋で結ばれています。

南側の踏切は、国際興業バスの赤50系統🚌も通るので、ラッシュ時を中心に定時運行が困難な状態となっています。

十条駅付近は、将来高架化される予定であり、ようやく着工されていたけど、それ以前は地下化されることが検討されていました。

十条駅と東十条駅の間は、徒歩約8分であり、こちらも振替乗車の時に活用されています。

周辺にある篠原演芸場は、篠原演劇企画による大衆演劇の劇場であり、十条駅、東十条駅の中間で、どちらも徒歩5分であります。

篠原演芸場の公演情報等の詳細は、「篠原演芸場」で検索。

帝京大学板橋キャンパス🏫、帝京大学医学部附属病院🏥、帝京中学校・高等学校は、十条駅が最寄り駅であります。

赤羽駅は、京浜東北線、宇都宮線・高崎線(上野東京ライン、湘南新宿ライン)、埼京線(赤羽線)が乗り入れている高架駅で、東側の1,2番線が京浜東北線、3,4番線が宇都宮線・高崎線(上野東京ライン)、5,6番線が湘南新宿ライン、7,8番線が埼京線(いずれも奇数が南行、偶数が北行)であり、全面高架化される前は、京浜東北線が盛り土式の簡易高架駅、宇都宮線・高崎線が地平駅となっていて、駅構内が迷いやすい状態となっていました。

全面高架化により、周辺の開かずの踏切が廃止されたことに加え、東西自由通路の整備により、迷いやすさが解消されていました。

全面高架化された浦和駅でも同じようなことが言えます。

浮間舟渡駅は、その名の通り、東京都北区浮間と、板橋区の舟渡に跨がる駅(東京都区内のJR線の最北端の駅)で、駅長事務室が北区の浮間側にあるので、北区にある駅となっています。

浮間舟渡駅の北側にある浮間公園は、浮間ヶ池のある公園で、風車も設けられています。

詳細は、「浮間公園」で検索。

戸田公園駅は、その名の通りの戸田公園(戸田競艇場も併設)の最寄り駅であり、徒歩で約20分掛かります。

詳細は、「戸田公園」、「戸田競艇場」で検索。

北戸田駅は、ホームが地上高20.46mの場所にあるので、日本で一番高い場所にある高架駅として有名であります。

こうなっている理由は、周辺に東京外環自動車道(外環道)とオーバークロスするからであります。

2018(平成30)年3月31日に廃線となった三江線の宇都井駅(島根県邑智郡邑南町にあった)は、地上20mで日本一高い高架駅となっていたけど、北戸田駅とは違ってエレベーターやエスカレーターが無かったことにより、116段の階段を昇り下りする必要がありました。

北戸田駅では、並行する東北・上越系統の新幹線は、勾配を緩くする為に埼京線よりも低い場所を通っています。

因みに、JR線並びに日本の普通鉄道の駅で最も標高の高い場所にある駅は、小海線(八ヶ岳高原線)の野辺山駅(長野県南佐久郡南牧村、標高1345.67m)であり、清里(小淵沢)寄りには、JRグループ(日本の普通鉄道)の最高標高地点があり、こちらは野辺山駅よりも高い標高1375mあります。

武蔵浦和駅は、武蔵野線との乗り換え駅であり、武蔵野線が2階部分にある2面2線のホーム(相対式ホーム)、埼京線が3階部分にある2面4線のホームであり、1番線が武蔵野線下り(東行、南浦和、新松戸、西船橋方面)、2番線が武蔵野線上り(西行、西国分寺、府中本町方面、しもうさ号の大宮行き)、3,4番線が、埼京線上り(南行、池袋、新宿、大崎方面)、5,6番線が、埼京線下り(北行、大宮、川越方面)から成っています。

埼京線の4番線と5番線は、平日の朝と夕夜間に通勤快速の待ち合わせが行われている待避線であるけど、武蔵浦和駅発着の埼京線の上り電車は、5番線(下りホームと同じホーム)からの発着となっています。

2019年11月30日のダイヤ改正で、埼京線の快速列車が、武蔵浦和~大宮間で各駅に停車するようになってからは、日中に武蔵浦和行きの列車が運転され、武蔵浦和駅で快速列車に接続するようになっています。

2019年11月29日までの快速は、赤羽~大宮間の途中停車駅が戸田公園、武蔵浦和、与野本町の各駅となっていました。

武蔵浦和駅の武蔵野線のホームは、改札口や埼京線のホームから離れた場所にあることにより、乗り換えの時の利便性があまり良くないと言われているので、南浦和駅での乗り換えが推奨されています。

南側にある大手菓子メーカーのロッテ(LOTTE)の浦和工場🏭️は、ロッテ(LOTTE)のチョコレート🍫やアイスクリーム🍨が主に製造されている工場であり、構内には、ロッテ中央研究所や、系列である千葉ロッテマリーンズ⚾の二軍の本拠地であるロッテ浦和球場があります。

このことで、かつて新大久保駅付近にロッテの新宿工場(チューインガム等が製造されていた)があったことを思い出しました。

武蔵浦和駅から千葉ロッテマリーンズの本拠地であるZOZOマリンスタジアムのある海浜幕張駅へは、海浜幕張行きの電車で行くことが出来ます。

詳細は、「ロッテ」、「ロッテ浦和工場」、「ロッテ浦和球場」、「千葉ロッテマリーンズ」で検索。

前述の北戸田駅付近には、東京ヤクルトスワローズの二軍の本拠地である、ヤクルト戸田球場があります。

埼京線、川越線の大宮駅地下ホームは、19番線と22番線が大宮始発の埼京線の列車、21番線が川越線(川越方面)、20番線が川越線からの埼京線の列車で使われているけど、一部の川越線は22番線からの発車となっています。

1985年9月30日に電化される前の川越線は、八高線と共通だったキハ30形やキハ35形が使われ、大宮駅では、11番線と12番線(現在は11番線が湘南新宿ラインの北行ホームとなっている)から発着していました。

1985年9月30日に埼京線(池袋~赤羽~大宮間)の開業と共に川越線が電化されたと共に、埼京線との直通運転が行われるようになり、大宮駅の川越線ホームが地下ホーム(19~22番線)に移設されていました。

大宮駅の埼京・川越線の地下ホームは、さいたま市で唯一の地下駅だけど、2001年3月28日に埼玉高速鉄道線が出来る前は、埼玉県で唯一の地下駅となっていました。

埼玉高速鉄道線の地下駅は、川口市(旧鳩ヶ谷市を含む)にある川口元郷、南鳩ヶ谷、鳩ヶ谷、新井宿、戸塚安行、東川口の各駅であり、埼玉高速鉄道線が岩槻駅(地下駅となる予定)まで延長されれば、岩槻駅(さいたま市岩槻区)も加わることになります。

埼玉県和光市にある東京メトロ有楽町線、副都心線の和光市駅は、東武東上線と共用の地上駅(東武鉄道による管理)となっています。

大宮~日進間は、電化と共に複線化された区間であり、高崎線と同様に、さいたま市にある鉄道博物館を眺めることが出来ます。

川越線の駅は、大宮~指扇間がさいたま市(大宮駅は大宮区、日進駅は北区、西大宮、指扇の両駅は西区)、南古谷、川越、西川越、的場、笠幡の各駅が川越市、武蔵高萩、高麗川の両駅が日高市に位置しています。

西大宮駅は、2009(平成21)年3月14日に開業した唯一の途中新設駅であり、埼玉栄中学校、高等学校🏫の最寄り駅となっています。

この日は、南武線の西府駅の開業と重なっていました。

JR川越線の川越駅は、2面3線で、東武東上線の駅と続番の3~6番線となっています。

川越東線(大宮~川越間、埼京線、りんかい線、相鉄線と直通運転)が外側の3,6番線、川越西線(川越~高麗川間、八高線と直通運転)が内側の4,5番線発着が基本となっているので、西武池袋線の所沢、池袋方面と西武秩父方面の乗換駅である、飯能駅の1~4番線(外側の1,4線と内側の2,3番線から成っている)に似ているところがあります。

昨年3月18日からは、青梅線の青梅駅が、JR川越駅と2面3線となり、川越駅みたいな雰囲気となっています。

川越駅付近にある、天然小さな旅川越温泉♨️という日帰り温泉施設は、木の湯と石の湯があり、男女入れ替え制で、奇数日の場合は、男湯♨️🚹️が石の湯、女湯♨️🚺️が木の湯、偶数日はその逆で、男湯♨️🚹️が木の湯、女湯♨️🚺️が石の湯となります。

本日(1月26日)は、男湯♨️🚹️が木の湯、女湯♨️🚺️が石の湯であり、明日(1月27日)は、その逆であります。

アクセスは、本川越駅またな川越駅西口から、かすみ野行きの西武バス🚌に乗り、野田町バス停🚏🚌で下車することになります。

本川越駅付近にある、川越湯遊ランド(ホテル三光も入っている)は、光明石天然鉱石温泉であり、駅から近くて便利であります。

詳細は、「小さな旅川越温泉」、「川越湯遊ランド」で検索。

西大宮駅から徒歩18分の場所にある、さいたま清河寺温泉は、竹林に囲まれた日帰り温泉施設であります。

詳細は、「さいたま清河寺温泉」で検索。

4月1日から、箱根登山鉄道が、グループの組織再編により、小田急箱根ホールディングス、箱根観光船、箱根施設開発と合併され、小田急箱根に社名(商号)変更されるという情報が入ってきました。

これに伴い、富士山麓電気鉄道となった富士急行線みたく、長年親しまれている箱根登山線、箱根登山電車、箱根海賊船の愛称が残されることになります。

箱根登山バス🚌⛰️に関しては、箱根登山トータルサービスと箱根プレザントの合併により設立される箱根プレザントサービスと共に、小田急箱根ホールディングス改め、小田急箱根の子会社となります。

一昨日(1月24日)は、JAL(日本航空)エアバスA350-1000型機(900型のストレッチバージョン、JA01WJ号機)✈️🇯🇵が、羽田~ニューヨーク(ジョン・F・ケネディ国際空港、JFK)線🇺🇸🗽を皮切りに就航していました。

JALの国際線就航70周年を迎える2月2日(金)には羽田~ニューヨーク線(JL006,005便)がエアバスA350-1000型機での固定運航となり、3号機の就航で羽田~ダラス・フォートワース線にも使われるようになります。

こちらの座席💺は、ファーストクラス6席、ビジネスクラス54席、プレミアムエコノミークラス24席、エコノミークラス155席の計239席となっています。

記念すべき初便には、西の航空系YouTuberであるおのだ氏や、北の元VリーガーであるD.Y氏などの航空旅行系YouTuberが勢揃いでありました。

昨日(1月25日)は、JA01WJ号機がニューヨークから羽田に戻ってきていました。

JL004,003便は、27,29,31日出発のJL006,005便と同様に、従来のボーイング777-300ER型機で運航されています。

本日(1月26日)は、2号機であるJA02WJ号機がニューヨーク🇺🇸🗽に向けてテイクオフしていました。

詳細は、「JAL エアバスA350-1000」、「JALニューヨーク」で検索。

つくばエクスプレスでは、3月16日のダイヤ改正で快速列車が八潮駅(埼玉県八潮市)にも停車するという情報が入ってきました。

詳細は、つくばエクスプレスのホームページに出ています。

1月21日は、上野水上音楽堂で行われた、超アイドルの日に行き、HIGHSPIRITS(ハイスピ)を見ることに成功しました。

この時に新メンバーの泉いろは氏と初めて会うことが出来て良かったです。

この日に渋谷ONE5で行われたぶどう党 の解散ライブに諸事情により行かれなかったことにより、#しゃもじ欠席 となってしまったのが残念でありました。

本当は掛け持ちで行きたかったです。

東北新幹線のE2系のJ69編成にディズニーのラッピングが施されたMagical Dream Shinkansenとして、昨年12月22日から東北新幹線(東京~仙台間)で運転されるようになっています。

12月22日は、やまびこ132→137→144→149号の順て使われていたけど、トップバッターとして銀つばと連結されていました。

こちらの運転予定は、JR東日本のホームページで調べることが出来ます。

200系(緑の疾風)塗装のE2系J66編成は、3月15日をもって定期運用から離脱される予定であり、3月2日(土)にそれによる団臨が盛岡→上野→新潟間で運転される予定となっています。

E2系の撮影には、マナーを守ってもらいたいです。

本年3月16日には、255系(房総ビューエクスプレス)が定期運用から離脱されるなどの残念な話題があるけど、北陸新幹線が福井経由で敦賀まで延長されることや、山形新幹線にE8系が導入されるなどの明るい話題があります。

昨年12月24日は、渋谷DAIAで行われた、『きみにYORISOERU×未完成のキャラメル~クリスマスイブの2マンライブSP~』に行き、きみよりと未完成のキャラメル(みかめる)を見てきました。

25日はきみよりの現体制最後の公演でありました。

きみよりの現体制の終了は、50000形VSEの完全引退と同様の寂しさを感じています。

東武鉄道では、昨年12月24日のクリスマスイブに、100系スペーシアの109Fによるいちごスペーシア🚃💺🍓がデビューしていました。

こちらは、栃木県特産のいちご🍓がイメージされた赤とピンクのカラーリングとなり、1号車(個室、6室ある)と2,5号車の15(いちご)列目の座席がいちご色(赤色、緑色)にラッピングされることになります。

こちらの運転予定は、東武鉄道のホームページに出ています。

昨年8月20日は、代々木公園で行われた、あーにゃこと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、あーにゃ😸とデート気分を味わうことが出来ました。

この時に会話することはもちろんのこと、一緒に歩くことが出来たので、良い運動となりました。

あーにゃ😸は、しゃもじさん🐰に出会えて良かったと言っていたので、ご満悦の様子でありました。

同行していたあにゃママ(あーにゃの母親)🐈️ともお話することも出来たけど、当ブログをたまに見てると言っていたので、感謝しています。

あーにゃ😸は、スペーシアXも話題にしていました。

代々木公園での散策は、風が気持ち良かったです。

5枠あったうちの3枠が埋まったけど、自分(しゃもじ)も埋めておいて正解でありました。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

埼京線、川越線、東京臨海高速鉄道りんかい線、相鉄・JR直通線の時刻、運賃、運行状況等の詳細は、JR東日本、りんかい線、相鉄のホームページを見るか、「埼京線」、「川越線」、「りんかい線」、「相鉄・JR直通線」で検索願います。

今宵はここまでに致しとうござりまする。