昨日(1月2日)は、札幌(新千歳)発羽田行きのJAL(日本航空)の飛行機(日航機)の516便✈️🇯🇵が、C滑走路に着陸した時に、羽田航空基地から新潟航空基地まで、前日の一昨日(1月1日)に発生した、令和6年能登半島地震の被災地への救援物資を運ぶ途中で、離陸しようとしていた海上保安庁の飛行機(DHC-8-Q300型機、JA722A(MA722)号機、みずなぎ1号)✈️と衝突、炎上した事故が発生していました。

JAL✈️🇯🇵の当該機種は、ヨーロッパ・エアバス社(Airbus)製のエアバスA350-941型機のうちのJA13XJ号機であり、乗客(367名)と乗員(12名)が燃え広がる前に約18分掛けて全員避難していたことで難を逃れていました。

全員が避難した後に炎🔥が広がっていたので、間一髪でもありました。

一歩間違えれば大惨事(1985(昭和60)年8月12日に発生した羽田発大阪行きの123便のジャンボジェット機(JA8119号機)の墜落事故、御巣鷹山の悲劇の再来)となるところでありました。

JAL516便は、札幌(新千歳)空港(北海道千歳市)を15時50分に出発し、17時35分に東京国際空港(羽田空港)✈️に到着する予定となっていたけど、この日は16時15分(定刻よりも25分遅れ)に出発し、17時47分に着陸していました。



その前の運航は、羽田空港を13時38分に出発する札幌(新千歳)行きのJAL517便であり、その日最初の運航として、羽田空港から沖縄(那覇)空港までJAL901→902便で1往復していました。

当時は機内のインターホンが使用不能となった為に機長さんとの連絡が取れなかったことにより、JALの客室乗務員(キャビンアテンダント、CA)さんの判断によって、8ヶ所のうちの3ヶ所(前方2ヶ所と後方の左側)のドアを開けて避難誘導していたので、客室乗務員さんが乗客たちに指示してくれたことと共に助けてくれたのであります。

火元となっていた翼の周辺(特に翼やエンジンから出火されていたことが確認されていた右側)のドアは危険と判断されていたので、開かなかったのも当然でありました。

こちらも、津波警報の時と同様に迅速な避難誘導が行われていたことのお陰であります。

機長さんは、安全な場所に駐機させていたので、避難を容易に行うことが出来たのであります。

開けて下さい❗早く出して下さい❗と叫んでいた乗客もいたので、このことが客室乗務員さんたちに伝わったと思っています。

海上保安庁の事故機の乗員6人のうち、機長さんを除いた5人が逃げ遅れたことにより犠牲者となってしまったことで心が痛む状態となってしまいました。

本当に再発防止に取り組んでもらいたいです。

今回の事故で犠牲になられた海上保安庁の5人の乗員たちのご冥福をお祈り致します。(合掌)

海上保安庁の飛行機(ボンバルディアDHC-8-Q300型機、JA722A(MA722)号機、みずなぎ1号)は、海上保安庁に導入された9機のうちの1機だった機体で、2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災で、仙台空港での津波による浸水で被災し、翌年の2012(平成24)年3月に修復された上で復活していました。

飛行機のDHCとは、前身のデ・ハビランド・カナダ社が由来であり、日本の化粧品メーカーであるDHC(こちらは大学翻訳センターが由来である)とは無関係であります。

DHC-8-Q300型機は、かつてANAウイングス(ANAグループ)や琉球エアコミューター(JALグループ)でも活躍していました。

どちらも、後継機種であるDHC-8-Q400型機に置き換えられています。

当該機種であったJAL(日本航空)のJA13XJ機✈️🇯🇵は、2021(令和3)年11月13日に羽田空港に到着し、18日に就航していた機種で、JALの国内幹線(羽田~札幌(新千歳)、大阪(伊丹)、福岡、沖縄(那覇)間、大阪(伊丹)~沖縄(那覇)間)で活躍していました。

この事故での燃え方が酷く、主翼やエンジンを残して焼失した無惨な姿となってしまったので、2008(平成20)年5月28日と翌年の2009(平成21)年3月16日に発生した、JRバスのメガライナー(ドイツ製の最大の2階建てバス(全長15m)だった)による、大阪発東京行きの青春メガドリーム2号の火災事故を思い出しました。

前者は、西日本JRバスによる運行(749-2994、なにわ200か・871号車、元をただせば、関東鉄道にリースされていた1873YT(土浦200か・546)号車)で、名神高速道路の大津サービスエリア付近(滋賀県大津市)、後者は、JRバス関東による運行(D750-03501、足立230あ15-02号車、東京支店所属)で、東名高速道路の牧之原サービスエリア(静岡県牧之原市)でそれぞれ火災事故が発生していたけど、あの時も燃え広がる前に乗客乗員全員が避難していました。

どちらも高速道路走行中だったけど、後方のエンジンルームから煙が出ていることを乗務員(運転士)さんが発見し、安全な場所に停車させ、その後に即避難となったことにより、難を逃れたのであります。

2回目の時は、1回目の時の教訓が生かされていました。



メガライナーは、つくばエクスプレス線が開業する前に高速バスつくば号(東京駅~つくばセンター間)の一部に使われていたけど、西日本JRバスで使われていた2台が関東鉄道にリースされていました。

関東鉄道にリースされていたメガライナーは、つくば中央営業所所属で、自動車のつくばナンバー(つくば市やその周辺のご当地ナンバー)が出来る前だったので、土浦ナンバーとなっていたけど、JRバス関東東京支店(東京都江東区塩浜にある)の車両が、江東ナンバーが出来る前に足立ナンバーで登録されていたことにも言えることであります。

2階建てバスの場合は、従来の1階建てバスよりも避難しづらい面があるので、乗務員(運転士)さんの素晴らしい誘導により、よくやったな❗と思いました。

2回目のメガライナーの火災の時に乗務員(運転士)さんが、室内灯を点灯させ、マイク放送で「車両火災なので直ぐに降りてください!」と放送していたので、寝ていた乗客を起こしていた状態でありました。

今回のJAL516便も、機内で寝ていた乗客を起こした結果となったのであります。

1993(平成5)年4月18日には、花巻空港(現、いわて花巻空港)で、JAS(日本エアシステム、現在はJALに吸収合併されている)のダグラスDC-9-41型機(JA8448号機種)がウインドシア(風の影響)によるハードランディングの影響により着陸に失敗し、炎上したという事故があったけど、当時はJAL516便の時と同様に、燃え広がる前に、乗客、乗員全員(77人だった)が避難していたので、大惨事を免れていました。



当時は機長さんではなく、経験の浅い副操縦士さんが着陸作業を行っていたからこうなったのであります。

同型のDC-9-41号機は、JALに継承されることもなく、1997(平成9)年1月31日をもって、退役していました。

このことも、忘れないでもらいたいです。

エアバスA350型機の機体は、軽量化の為にCFRP(炭素繊維強化プラスチック)が多用されていたことが災いとなっていました。

全長66.8mの大きな機種の残骸が小さくなったことで、本当に無惨であります。

その残骸(無惨な姿)は、羽田空港の第2ターミナルビル(ライバルであるANA(全日本空輸)等で使われている)の展望デッキから見える状態でありました。

この事故を期に素材の見直しが行われることになり、エアバス社の専門チームが日本🇯🇵に派遣されることになります。

エンジンは、イギリス🇬🇧のロールス・ロイス(Rolls-Royce)社製のトレント XWB型であり、製造メーカーのエアバス社と共に、国の運輸安全委員会の調査の対象企業となっています。

本年1月24日には、JALのエアバスA350-1000型機(JA01WJ号機)が、羽田~ニューヨーク(JFK)線に就航する予定であるのに残念であります。

JALのほうは、抹消された事故機(JA13XJ号機)の代替として、オプション契約となっているJA17XJ号機が前倒しで導入されることが予想されています。

その繋ぎとして、ボーイング767-300ER型機やボーイング787-8または-9型機の有効活用、エアバスA350-1000型機への置き換えの対象となっているボーイング777-300ER型機の継続使用も考えられています。

自分(しゃもじ)は、昨年11月28日に羽田空港でJALのエアバスA350の当該機種であるJA13XJ号機(羽田発大阪(伊丹)行き)を、同型機JA16XJ号機(こちらは沖縄(那覇)行き)を撮影していました。

当時は第2ターミナルビルでANA(全日本空輸)の飛行機✈️💙を撮影した後、第1ターミナルビルをスルーし、東京モノレール🚝✈️で第3ターミナルビルまで移動する予定となっていたけど、羽田空港✈️の第1ターミナルビルでの夕景🌇を見たいということで、第2ターミナルビルから第1ターミナルビルまで、連絡通路経由で徒歩移動し、第1ターミナルビルの展望デッキに上がった時にたまたまエアバスA350型機のJA13XJ号機を撮影していたのであります。

夕景をバックに上手く撮影したJA16XJA号機は、JA13XJ号機と追いかけっこをしていた状態でありました。

このように、新年早々の大地震や航空機事故により、不吉なことが続いているので、新年のはずが辛年、正月ならぬ障月となってしまいました。

能登半島地震の被災地の皆さんには、心よりお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

津波警報、大津波警報が解除されるまで、避難を続けてもらいたいと強く願っています。

被災地の一足早い復興を願っています。

久しぶりの航空関連の話題で、このような暗い話となってしまったことで恐縮であるけど、今度はまともな話題をしてみたいと思っています。