昨年(2023(令和5)年)12月30日は、高田馬場から中井まで、西武鉄道2000系(初期型2000系)の2417F+新2000系(N2000系)の2051Fによる各駅停車の田無行き🚃に乗りました。

今回乗った列車は、西武新宿駅の1番線を21時54分、高田馬場駅を21時57分に発車する各駅停車の田無行き(土休日5161レ)で、前(本川越、拝島寄り)に2051F(6両編成)、後ろ(西武新宿寄り)に2417F(2両編成)が連結されていました。

昨年の12月28日までは、2409Fとペアが組まれていたけど、翌日の12月29日からは、2417Fに変更されていたのであります。

こちらは、自分(しゃもじ)が昨年(2023(令和5)年)に最後に乗った列車となりました。

2051Fは、新2000系の6両編成で唯一の貫通扉が小窓の車両であることに加え、貴重となった方向幕車でもあるので、ネタ編成同士の組み合わせとなっていることが分かります。

初期型の2000系は、2両編成3本(2409,2417,2419F)のみと絶滅危惧車となっているので、こちらを撮影したくなるけど、2051Fのほうも撮影しておいたほうが良いと思っています。

そんな自分(しゃもじ)は、2051Fを撮影出来なかったので、昨年1月27日に撮影した2507F(正面スタイルが共通である)の画像を代用させていただきます。

西武鉄道の初期型2000系で、6両編成と8両編成が全滅し、2両付属編成が最後まで残されたことは、2011(平成23)年3月まで活躍していた京王電鉄の6000系で、8両編成から廃車となり、2両付属編成と4両編成(動物園線専用の5ドア車だった6722F)が残されたことに似ているな❗と思いました。

京王6000系のうち、2両付属編成だったデハ6438号車が、多摩動物公園駅前にある京王れーるランドで静態保存されています。

初期型2000系が西武新宿口の各駅停車に使われるのは、昨年4月に8両固定編成だった2007Fが廃車となってからは、6+2編成が組まれた時に限られるようになっています。

西武の6両固定編成は、新2000系(N2000系)が2045,2047,2049,2051,2053,2077Fの6本であり、新宿線で使われる場合には、6+2の8両編成または6+4の10両編成となります。

そのうちの2049,2051,2053Fが方向幕車となっています。

2045Fは、1989(平成元)年に導入された当時、初代2055Fを名乗っていました。

西武国分寺線は、6両固定編成による運用が原則となっているけど、4+2の編成が使われることもあります。

今後は、小田急電鉄8000形が、サステナ車両として譲り受けられることになっています。

西武2000系は、国鉄63形がルーツだった初代401系以来となった4ドアの通勤型車両であり、1977(昭和52)年から1988(昭和63)年まで製造された初期型2000系(2000系)と、1988年から1993(平成5)年まで製造された新2000系(N2000系)に分けられています。

101系も、101系(701系顔の初期型)とN101系に分けられていたので、その流れとなっていました。

2000系は全て西武所沢工場(所沢駅付近にあった、武蔵丘車両検修場の前身である車両工場)製であるけど、新2000系(N2000系)は、新101系(N101)系や3000系と同様に、西武所沢工場と東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)の両方で製造されていました。

初代の2031Fと2033Fは、1979(昭和54)年に6両編成として導入されたものであり、1983(昭和58)年の西武新宿口の各駅停車の8両編成化により編成解体され、中間車は8両固定編成化された2001,2003,2005,2007Fに組み込まれ、先頭車は、完全新造のMc車とペアが組まれた上で転用され、2409,2411,2413,2415Fとなっていました。

2401,2403,2405,2407Fは、1983年に編成単位で導入された2両付属編成で、既に全廃されています。

1987(昭和62)年と1988年には、田無事故で廃車となった2017Fと2023Fの一部と2415Fの代替車として、2代目2031Fと2033F(6両編成)、2417Fと2419F(2両編成)が導入されていたけど、こちらは新2000系の要素が取り入れられていました。

変更されたことは、ベンチレーターの形が丸形から角形となっていることであり、現在はフルカラーLED表示となっています。

田無事故とは、大雪の最中であった1986年3月23日に、西武新宿行きの上り急行列車(2415+2017F)の車輪と制輪子(ブレーキシュー)の間に雪が挟まった影響でブレーキが効かなくなったことにより、田無駅のホームに停車していた、先行の上り準急列車(2407+2023F)に衝突していた事故であり、これによって、急行の前6両と準急の後2両の8両が廃車となっていました。

田無事故で廃車となった車両は、2017Fのクハ2017,モハ2117,2118,2217号車、2023Fのモハ2224,クハ2024号車と2415Fのクモハ2415号車とクハ2416(初代2034)号車であり、1989(平成元)年には、被害の小さかった2023Fの4両と2017Fの2両によって2023Fが再結成されていたけど、この編成は2015(平成27)年に2000系の編成単位での経年廃車第一号となってしまいました。

田無事故が発生した当時は、池袋線、西武秩父線を走っていた101系(N101系)や5000系レッドアロー(初代レッドアロー)に耐雪ブレーキ(圧着ブレーキ)が取り付けられていて、新宿線専用の2000系にそれが取り付けられていなかったので、この事故の再発防止により、西武線の全ての電車にに耐雪ブレーキ(圧着ブレーキ)が取り付けられるようになったのであります。

2021(令和3)年10月5日に2001Fと一緒に横瀬まで廃車回送された2407Fも、田無事故での被災編成であったけど、2023Fと同様に、田無事故での残存車から廃車となる傾向となってしまいました。

このような、大雪の影響による列車の衝突事故は、2014(平成26)年2月15日に東急電鉄東横線の元住吉駅構内でも発生していたけど、こちらは、5050系の5155Fによる渋谷発元町・中華街行きの各駅停車が、元住吉駅に停車していた横浜高速鉄道所有のY500系のY516Fに衝突していました。

東急5155Fのほうも、車輪とブレーキシューの間に雪が挟まっていた現象となっていたけど、油分が付着していたという問題がありました。

被害に遭った5155FとY516Fは、編成ごと廃車となり、代替車として、スカートがスノープロウ一体型となった東急5050系の5177Fと5178Fが導入されていました。

Y516Fの代替として、東急5156Fが横浜高速鉄道に譲渡、Y500系に編入され、Y517Fとなったという措置が取られていたけど、その穴埋めとして5178F(5050系と2020系のハイブリッド編成)が導入されたのであります。

5178Fの導入までの間は、5050系4000番台の8両編成への組み換えが行われていました。

東急東横線に乗り入れている西武鉄道の6000系や40000系にも、耐雪ブレーキが取り付けられています。

新2000系(N2000系)にも廃車が発生しており、8両編成の2057,2059,2061,2063,2097F、4両編成の2501,2503,2505,2509,2511,2513,2515,2519,2521Fが廃車となっていました。

小田急電鉄の8000形6両編成のうちの状態の良い編成が、サステナ車両として譲り受けられる予定となっているけど、こちらは国分寺線専用で、新宿線では営業運転に入らないと言われています。

10月18日に営業運転から離脱された小田急8261F(6両基本編成、1985(昭和60)年の東急車輛製造製)が、改造された上で西武線入りすることになるけど、ペアが組まれていた8061F(4両付属編成)は、12月4日付けで廃車となり、北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで陸送された上で解体されていたので、明暗が分かれる結果となってしまいました。

小田急8261Fは、現時点で喜多見電車基地に疎開留置されています。

東急9000系(9020番台を含む)も、サステナ車両として西武鉄道に譲渡され、西武秩父線、狭山線、多摩湖線、西武多摩川線で使われる予定となっているけど、どうなるのか気になります。

2051Fは、1988年の東急車輛製造製なので、今回の2051+2417Fは、1988年製同士の組み合わせとなっています。

新2000系(N2000系)のうち、貫通扉の窓が小窓となっている編成は、4両編成の2507,2517F、6両編成の2051F、2両編成の2451Fの4本と残り少なくなっています。

昨年7月11日に廃車回送された2513F(4両編成)も、小窓車となっていました。

2409Fは、クモハ2409号車が1983年製、クハ2410号車が1979年製(初代クハ2031号車が由来)であり、初期型2000系で最後のグローブベンチレーター(丸型のベンチレーター)車で、側面の車両番号表示がオリジナル(旧社紋入り)となっています。

横瀬車両基地で静態保存されている2001Fのクハ2001号車(西武新宿、飯能寄りの先頭車)は、廃車となった編成から移植された方向幕が復元されているけど、晩年は3色LED表示となっていました。

こちらも、グローブベンチレーターとなっています。

西武新宿駅は、1952(昭和27)年3月25日に、高田馬場駅からの延長により開業した駅であり、当時新宿駅東口への乗り入れ構想があった為に仮のターミナル駅となっていました。

西武新宿までの延長により、西武村山線から現在の西武新宿線となっています。 

西武村山線は、1927(昭和2)年4月16日に高田馬場~東村山間で開業した現在の西武新宿線の一部であり、西武園線も、村山線となっていました。

1964(昭和39)年に開設された新宿駅東口の駅ビルであるマイシティ(現、ルミネエスト)の2階部分は、西武新宿線の乗り入れを見据えた構造となっているけど、6両編成までしか入ることが出来ないことがネックとなった為に新宿乗り入れが中止となり、1977(昭和52)年3月3日に、西武新宿駅が、ショッピングモールぺぺ(PePe)と新宿プリンスホテル🏨の入った駅ビルの開業によって恒久的なターミナル駅となっています。

西武新宿駅の乗り場は、1番線が各駅停車中心、2番線と3番線が準急、急行等の優等列車中心であり、特急小江戸号、拝島ライナー、土休日に運転される快速急行が2番線から発車することになっているので、同じ新宿エリアにある京王電鉄京王線の新宿駅(こちらは西口の京王百貨店新宿店の真下にある地下ホーム(同じ1~3番線)となっている)で、新5000系による京王ライナーが土休日に限り2番線から発車することに似ているところがあります。

昨年3月20日からは、平日の下り京王ライナーの新宿駅発車番線が1番線に変更されています。

西武新宿駅では、京王線の新宿駅とは異なり、1番線(各駅停車中心)側が独立したホームとなっているので、相模鉄道相鉄本線の横浜駅で、1番線(こちらも各駅停車中心)がJR線側に独立した配置となっていることに準じています。

相鉄横浜駅は、西口の相鉄ジョイナスの中にあるターミナル駅で、1番線が各駅停車、2,3番線が快速、急行、特急の発着が中心となっていることで、西武新宿駅との共通点があるけど、相鉄横浜駅には、西武新宿駅にない降車専用ホームがあります。

JR山手線🚃♻️との乗り換えは、高田馬場駅のほうが圧倒的に便利なので、京成電鉄京成本線から山手線🚃♻️に乗り換える時に、京成上野駅よりも日暮里駅のほうが便利であることと同様であります。

西武新宿駅の北口が新設されたのは、1980(昭和55)年10月11日のことでありました。

新宿乗り入れ計画と共に幻となった西武新宿~上石神井間の地下急行線(複々線化)計画では、西武新宿駅の急行線乗り場がサブナードとメトロプロムナードの中間の、地下鉄丸ノ内線などへの乗換に便利な場所に出来るはずでした。

もしも西武新宿~上石神井間の地下急行線が実現していたら、緩行線(各停)のホームと離れてしまうという問題が発生していたほか、急行や準急が鷺ノ宮駅通過(地下線でスルー)となることにより、鷺ノ宮駅の利用客が嘆いていたところでありました。

現在中井~野方間(この区間にある新井薬師前、沼袋の両駅を含む)で行われている地下化工事は、その代わりとなる工事となっています。

新井薬師前~沼袋間の中野通りに跨がる踏切では、春には満開の桜🌸をバックに撮影することが出来る撮影ポイントとなっているけど、地下化されれば見納めとなってしまうのが残念であります。

この区間の地下化が行われる理由は、交通量の多い中野通りに跨がるボトルネック踏切の解消だけでなく、中野駅発着の路線バス(関東バス、京王バス、国際興業バス)🚌も通る為にラッシュ時を中心に定時運行が出来ないということがネックとなっていることもあります。

今後は西武新宿駅付近の地下(新宿サブナード(SUBNADE)の福家書店跡)からメトロプロムナード(東京メトロ丸ノ内線の新宿駅)までのショートカットとなる地下道の整備が行われることになるので、完成すれば雨の日のアクセスが楽になります。

新宿サブナード(SUBNADE)は、靖国通りとモア四番街の地下にある、新宿駅及び新宿三丁目駅(メトロプロムナード)と西武新宿駅を結ぶ地下街(1丁目、2丁目、3丁目、4丁目から成っている)であり、1973(昭和48)年9月15日に開業していました。

1973年9月15日は、国鉄(現在のJR東日本)の中央線に、優先席の前身である、シルバーシートが導入された日でもありました。

西武線の優先席も、かつてシルバーシートとなっていました。

1977年3月3日には、西武新宿駅と繋がるようになり、西武新宿駅から丸ノ内線の新宿駅等(メトロプロムナード)まで地下道で結ばれるようになったので、雨の日☔のアクセスも楽になっています。

その真下には、新宿サブナード駐車場🅿️🚗があります。

サブナードは、新宿区役所とも直結しているので、雨の日☔のアクセスにも便利であります。

新宿サブナードのサンデッキ広場側にあった男性用トイレ🚹️は、とても狭いスペースで、個室が和式しかなかったけど、こちらがリニューアルと共にジャングルスカイ広場側(女性用トイレ🚺️とだれでもトイレ🚻♿🚽と併設)に移設され、旧男性用トイレ跡がだれでもトイレ🚻♿🚽に転用されていました。

移設された男性用トイレ🚹️は、個室が全て洋式🚽となっているので、新宿サブナードの男性用トイレ🚹️が全て洋式🚽となっていることを確認しました。

その周辺のトイレ🚻は、殆どが洋式🚽となっているので、時代は変わったな❗と思いました。

新宿サブナードの店舗等の詳細は、「新宿サブナード」で検索。

西武新宿駅から新宿駅西口へと向かう地上ルートとなっている新宿大ガード西交差点では、長い横断歩道を渡って行くことになります。

西武新宿のペペ(PePe)は、地下2階と1階から8階までのエリアから成っており、1階にブリックストリート(Brick St.)、5階にジーユー(GU)、8階に100円ショップのキャンドゥがあります。

ブリックストリート(Brick St.)は、2016(平成28)年に開設された飲食ゾーンであり、これまでは、アメリカン・ブルバード(AMERICAN BLVD.)というアメリカ風のファッションゾーンとなっていました。

ブリックストリートの北口寄りには、コンビニエンスストアのローソン(LAWSON)🏪があります。

PePe(ペペ)の由来は、Prince Promenade(プリンスプロムナード)の略称であり、1977年3月3日に西武新宿ペペが、新宿プリンスホテルと共にオープンした当時は、プリンスプロムナードペペと呼ばれていました。

どちらもPで始まり、eで終わるので、想像がつくと思っています。

PePe(ペペ)は、ペペロンチーノみたいな名前だけど、プリンスプロムナードが由来であることを知りました。

PePe(ペペ)のある場所は、西武新宿、本川越、入間(入間市)、飯能、新横浜(プリンスペペ)であり、西武新宿線の特急小江戸号(10000系ニューレッドアローによる運転)は、PePe(ペペ)のある駅同士(西武新宿駅と本川越駅)を結ぶ列車であります。

新横浜のプリンスペペは、新横浜プリンスホテルの中にあり、グループ施設である横浜アリーナから近いです。

新宿プリンスホテルは、西武新宿駅と直結している新宿歌舞伎町(西武新宿)のランドマークである西武グループのホテル(レストランやバーも完備されている)🏨であり、地下1階にフロントがあります。

詳細は、「西武新宿ペペ」、「ブリックストリート」、「新宿プリンスホテル」で検索。

正面口の1階と2階の間と、券売機と改札の間には、階段があるので、バリアフリールート♿として、1階と2階の間でペペ(PePe)のエレベーターを代わりに使うことになります。

券売機と改札口の間には、車椅子対応のスロープ♿があります。

西武新宿駅の駅構内のトイレ🚻は、正面口側と北口側(どちらも改札内)にあるけど、かつて正面口側のトイレが階段下にあったことに加え、個室が全て和式だったので、バリアフリーに適合していなかったです。

2006(平成18)年に正面口のトイレ🚻が現在の場所になってからは、個室が男女共に全て洋式🚽となったことに加え、段差が解消され、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されるようになったことにより、バリアフリートイレ🚻♿に変身していました。

北口のトイレ🚻も洋式化🚽されています。

北口には、エレベーターやエスカレーターがない為に全て階段での移動となるので、バリアフリールートは正面口へということになります。

最近になってからは、何処に行っても洋式トイレを目にするようになったことにより、若者たちを中心に、影が薄くなった和式トイレに慣れていない人たちが増えた為に、洋式🚽の個室が満室で、和式の個室が空いていることが目立っている状態であり、それにも関わらず洋式の個室が空くのを待つことが見受けられているので、前述の新宿サブナードのトイレを含めて和式トイレの洋式化が進められているのもそのはずであります。

こうなった理由は、訪日外国人やバリアフリー対策だけでなく、水道使用量が和式トイレよりも少ないことも挙げられています。

現在は、和式トイレの出荷率がたったの0.3%以下(TOTOによる調査)となったことを聞いたので、時代遅れであることが分かります。

ひっぐ~氏も、トイレは洋式派🚽でアンチ和式トイレなので、共感していると思います。

新宿歌舞伎町にあった新宿コマ劇場は、2008(平成20)年12月31日まであった、阪急阪神東宝グループによる劇場で、シアターアプルも併設されていました。

その跡地は、30階建ての新宿東宝ビル(こちらも新宿歌舞伎町のランドマークである)となっており、TOHOシネマズ新宿(映画館)やホテルグレイスリー新宿が入っているけど、コマ劇場が復活することはなかったです。

詳細は、「TOHOシネマズ新宿」、「ホテルグレイスリー新宿」で検索。

東急歌舞伎町タワーは、昨年4月14日に新宿TOKYU MILANO(新宿ミラノ座、映画館)の跡地に開設された、新宿歌舞伎町の新名所であり、高さ225m(48階建て)と、新宿東宝ビルよりも高い歌舞伎町のランドマークとなり、ここには、映画館のほか、ホテル、劇場、店舗、ライブハウスも設けられています。

新宿TOKYU MILANOは、新宿東急文化会館と呼ばれていたので、新宿歌舞伎町にも東急文化会館があったことが分かります。

渋谷の東急文化会館の跡地は、ご存じの通り渋谷ヒカリエとなっています。

2階にある歌舞伎横丁は、北海道、東北、関東、横浜中華、中部、近畿、中四国、九州・沖縄、韓国🇰🇷の各食祭、歌舞伎カフェから成っており、良さそうだな❗と思いました。

1階と2階にはスターバックスコーヒー(STARBUCKS)もあります。

3階には、namco TOKYOというバンダイナムコホールディングス系のゲームセンターがあり、ゲームを楽しみながらお酒を飲むことも出来ます。

西武新宿駅から前の横断歩道を渡ればすぐということでアクセスが良いです。

東急歌舞伎町タワーの2階にあるトイレ🚻は、左側の男性用の小トイレ🚹️と右側の洋式の個室🚻🚽が分かれており、洋式の個室🚽は、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)1室🚻♿🚽と、ジェンダーレストイレ(男女共用のスペース)🚻🚽となっていたけど、7月からは、男女別となっています。

ジェンダーレストイレは評判が悪かったので、男女別化されたのもそのはずであります。

男性用トイレ🚹️で、小トイレと洋式の個室🚽が離れているのは、その名残であります。

詳細は、「東急歌舞伎町タワー」、「namco TOKYO」、「歌舞伎横丁」で検索。

新宿歌舞伎町には、新宿BLAZEや新宿MARZなどのライブハウス(地下アイドルの各種ライブが行われている)が軒を連ねているけど、そのうちの新宿BLAZEは最大規模と言われており、西武新宿駅からも近いです。

昨年4月17日には、東急歌舞伎町タワーの地下にZepp Shinjuku(TOKYO)が出来たことにより、ラインナップも加わっています。

初日の4月17日は、こけら落とし公演として、SUPER BEAVERによる「都会のラクダ 柿落としSP 〜 新宿生まれの、ラクダ 〜」が行われていました。

昨年12月3日は、Zepp Shinjuku(東急歌舞伎町タワーの地下にあるライブハウス)で行われたフレオ祭で、きみにYORISOERU(きみより)を見てきました。

新宿BLAZEに関しては、本年7月31日をもって閉館となってしまいます。

詳細は、「Zepp新宿」、「Zepp Shinjuku」で検索。

東急歌舞伎町タワーからは、東急トランセと東京空港交通(Airport Limousine)による羽田空港✈️、成田空港✈️行きのリムジンバスが毎日運転されています。

東急歌舞伎町タワーから羽田空港✈️へは、最短35分(1300円(小児は650円)、成田空港✈️へは最短1時間30分(3200円(小児は1600円))で行くことが出来ます。

東急トランセは、東急バスの子会社であるけど、本年(2024(令和6)年)4月1日に東急バスに吸収合併されることになります。

詳細は、「東急トランセ」、「リムジンバス」で検索。

西武新宿~高田馬場間は、JR線(山手線、埼京線、湘南新宿ライン)と並走する区間であり、新大久保駅は、山手線のみ停車することになっています。

西武新宿線の高田馬場駅は、3番線が下り(所沢、本川越、拝島方面)、5番線が上り(西武新宿行き)であり、平日の朝ラッシュ時には、線路が共用となっている4番線(3番線側)も使われるので、5番線側と合わせた両方のドアが開くことになります。

4番線側には、転落防止の為に、ホームドア導入以前から4ドア車専用の可動式ホーム柵が設置されていたので、3ドア車があった頃には、3ドア車に限り5番線側(進行方向左側)しか開かなかったです。

現在は、西武新宿、高田馬場の両駅にホームドアが設置されているけど、高田馬場駅の4番線側も可動式ホーム柵からホームドアに改良されています。

西武高田馬場駅の改札口は、早稲田口(メインの改札口)、西武戸山口、ビッグボックス口があり、7時から13時までの間は、東京メトロ東西線の高田馬場駅入口に通じている出口専用の臨時口も開設されています。

トイレ🚻のほうは、早稲田口側(1階)とJR線との乗り換え口(3階、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)も併設🚻♿🚽)にあり、どちらも全て洋式化されています。

JR山手線🚃♻️の高田馬場駅のトイレ🚻も、改良前に和式と洋式🚽が混在していたけど、改良により全て洋式トイレ🚽となったので、東京メトロ東西線の駅と合わせて高田馬場駅のトイレ🚻の個室が洋式🚽に統一されていました。

西武鉄道の駅トイレ🚻でも、車内トイレと同様に洋式化🚽が進められていることが分かります。

高田馬場駅3階の乗り換え改札口横には、コンビニ(トモニー、ファミリーマート)などの店舗があります。

JR山手線の高田馬場駅は、1面2線の島式ホーム(1番線が外回り(池袋、上野方面)、2番線が内回り(新宿、渋谷方面)で、鉄腕アトムのテーマの発車メロディー🎵が使われています。

改札口は、早稲田口と戸山口の2つがあるけど、後者のほうは新大久保寄りのガード下にあります。

鉄腕アトムの発車メロディーは、JR武蔵野線の新座駅(埼玉県新座市)でも使われているけど、こちらはバージョンが異なっています。

西武新宿線の高田馬場駅の発車メロディー🎵に、マルコメ(長野県長野市大字安茂里に本社、工場のある、味噌(みそ)や糀を扱う食品メーカー)のCMソングが使われているのは、高田馬場駅の西武戸山口前に、マルコメの東京本部があることの縁であり、駅構内にもその広告があります。

このCMソングは、マルコメ君という坊主頭の男の子たち👨‍🦲が出てきたCMでお馴染みであり、この発車メロディーを聴く度にそのCMを思い出します。

マルコメの「料亭の味」のCMは、家族の絆がテーマとなっています。

詳細は、「マルコメ」で検索。

BIG BOX(ビッグボックス)高田馬場は、1974(昭和49)年5月5日に開設された、店舗(Emio高田馬場スタイル)やスポーツ施設などが入った駅ビルであり、高田馬場駅のランドマークとして親しまれています。

8階にある高田馬場グランドボウル🎳は、名古屋市緑区に本社のあるグランドボウルの系列のボウリング場であり、一昨年1月31日に周辺にあったシチズンプラザのボウリング場が閉館となった後の受け皿(代替施設)となっています。

詳細は、「ビッグボックス高田馬場」、「高田馬場グランドボウル」で検索。

シチズンプラザには、ボウリング場のほか、スケートリンクやテニスコートもありました。

ビッグボックス口のほうは以前5番ホーム側しかアクセス出来なかったけど、現在は、3,4番ホーム側からでもアクセス出来るようになっています。

東大和市駅前にあるBIG BOX(ビッグボックス)東大和は、東大和市駅前にもあり、アイススケートリンク⛸️、屋内型キッズランド あそびっぐがあり、どちらも昨年10月22日にリニューアルオープンしていました。

こちらには、インドアテニスコート🎾もあります。

あそびっぐは、遊び(あそび)とBIG BOX(ビッグボックス)のビッグ(びっぐ)を組み合わせた名称であり、ビッグな気持ちで遊ぼうという意味も込められています。

詳細は、「BIG BOX東大和」、「ビッグボックス東大和」で検索。

高田馬場駅が山手線の駅として開業したのは、1910(明治43)年9月15日のことであり、1927(昭和2)年4月16日に西武村山線(現、西武新宿線)、1964(昭和39)年12月23日に営団地下鉄(現、東京メトロ)東西線が乗り入れるようになっています。

1927年4月16日に開業した当時の高田馬場駅は、山手線と立体交差する手前の仮駅となっていました。

翌年の1928(昭和3)年4月15日には、西武線の高田馬場駅が現在の位置の本駅に移設され、1963(昭和38)年に上り専用ホームが新設されたことにより、現在の形となっています。

高田馬場の由来は、1694年にあった高田馬場の決闘であり、たかたのばばと、高田の部分がたかたと濁らなかったです。

横浜市営地下鉄グリーンラインの高田駅も、たかたと濁らないです。

高田馬場~下落合間には、西武線で唯一の神田川橋梁があり、その周辺で豊島区の一部(豊島区高田)を通っています。

西武新宿、高田馬場、下落合、中井の各駅のある新宿区は、1947(昭和22)年3月15日に四谷区、牛込区、淀橋区の合併によって出来た区で、そのうちの淀橋区の前身は、淀橋町、大久保町、戸塚町、落合町であります。

新宿区にある内藤町(新宿御苑のある場所)は、内藤新宿町だった場所であり、内藤とうがらし🌶️発祥の地でもあります。

内藤とうがらし🌶️は、都市化によって衰退していたけど、2009年から新宿区にある学校🏫での栽培によって復活していました。

詳細は、「内藤とうがらし」で検索。

ヨドバシカメラの由来は、創業地が新宿区淀橋(現在の西新宿の一部)だったことであり、これによって、ヨドバシ(淀橋)の名が世間に広く浸透していました。

淀橋区の名は、青梅街道上に神田川に掛かる淀橋に因んだものであり、東京都卸売市場淀橋市場(青果専門の市場)にもその名が残されています。

詳細は、「ヨドバシカメラ」、「淀橋市場」で検索。

下落合駅は、2面2線の相対式ホームの駅であり、北口側に駅舎があるけど、2番線(下りホーム)とは、跨線橋で結ばれています。

この跨線橋には、エレベーターも完備されているので、バリアフリーステーション♿となっています。

下りホームの中井寄りにある南口改札口は、7時30分から22時までの開設であるけど、券売機がないので、切符の購入やICカードのチャージの場合は、踏切を渡って北口に回る必要があります。

下落合駅のトイレ🚻は、1番線(上りホーム)側にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されています。

下落合駅、東京メトロ東西線の落合駅、都営大江戸線の落合南長崎駅のある、新宿区の落合地区の由来は、下落合駅付近の神田川とその支流である妙正寺川の合流点であり、その名の通り、2つの川が落ち合うという意味があります。

下落合駅近くは、大正時代末期から昭和時代に掛けて、西武グループの創業者だった故・堤康次郎氏によって開発された目白文化村という高級住宅地(西武グループ発祥の地とも言える)として栄えていた場所であり、当時は洋風建築が目立っていました。

1927年4月16日に開業した下落合駅は、目白文化村へのアクセスの為に出来た駅でもあります。

下落合駅付近にある聖母病院🏥は、1931(昭和6)年12月21日に、マリアの宣教者フランシスコ修道会によって、第三文化村の東端に、国際聖母病院として開院した、社会福祉法人 聖母会による運営のカトリック系の病院であり、開院当時から洋風建築となっているので、目白文化村の面影があります。

聖母坂通りを渡ったところにある上智大学(四ツ谷駅付近の千代田区紀尾井町(ホテルニューオータニでお馴染みの町)に四谷キャンパスと本部のあるカトリック系大学である)の目白聖母キャンパス(総合人間科学部看護学科のキャンパス)🏫があるけど、こちらは、2014年まで聖母大学となっていました。

聖母大学は、聖母会による運営だったけど、上智大学に吸収合併され、上智大学の一部となっています。

聖母病院🏥は、手術や出産の時に定評があると言われています。

関東バス宿02系統(新宿駅西口~丸山営業所間、丸山営業所所属)🚌😸の聖母病院🏥バス停は、聖母病院🏥の前にあるので便利であります。

下落合駅から聖母病院🏥までは、聖母坂という坂道を上がって行くことになるけど、こちらの傾斜は緩い状態であります。

聖母病院の周辺にある佐伯祐三アトリエ記念館では、洋風のアトリエが復元されているので、こちらも目白文化村の面影があります。

詳細は、「佐伯祐三アトリエ記念館」で検索。

こちらは、西武池袋線の椎名町駅からも歩いて行くことが出来ます。

下落合駅の南側にある落合水再生センターで再生された高度処理再生水が、城南三河川清流復活事業により、渋谷川(古川)、目黒川、呑川に送水されたことにより、水が綺麗になっています。

渋谷駅付近にある渋谷ストリームで確認した時に、綺麗であり、汚い川とはさようならだなと思っていました。

副都心線の渋谷駅へは、西武池袋線の練馬~飯能間から副都心線、東急東横線、みなとみらい線直通列車で乗り換えなしで行くことも出来ます。

落合水再生センターの上部は、落合中央公園となっており、駅寄りには、せせらぎの里公苑があります。

目黒川の暗渠部分(東急田園都市線の池尻大橋駅付近から北沢川と烏山川の分岐点までの間、東邦大学医療センター大橋病院🏥付近)にあるせせらぎも、落合水再生センターで再生された高度処理再生水が使われています。

詳細は、「落合水再生センター」、「せせらぎの里公苑」で検索。

下落合駅前からは、高速バス(西武バス等による新潟線、富山・高岡・氷見線、軽井沢・佐久・小諸・上田線、長電バスによる池袋~長野線)が出ています。

下落合駅の南側(関東バスの下落合駅バス停(丸山営業所行き)前)にあるBUONO×BUONO(ボノボノ)は、イタリアンバルであり、炭火焼きのお肉を味わうことが出来ます。

BUONOとは、イタリア語で美味しい😋🍴💕という意味であり、その名の通りの美味しいイタリア料理店であるBUONO×BUONOにも込められています。

詳細は、「BUONO×BUONO」、「BUONO×BUONO下落合」で検索。

下落合駅付近にある福の湯は、大正ロマンがイメージされた銭湯であり、レンガ造りの壁がお気に入りであります。

こちらのお湯は、井戸水を沸かしたものとなっています。

こちらは細い路地を通って行くことになっており、椎名町駅や聖母病院入口バス停(山手線の目白駅からのバス)で行くことが出来ます。

福の湯の定休日は、月曜日であります。

銭湯の料金は、昨年7月1日に値上げされており、大人の入浴料が500円から520円となっています。

銭湯の場合は、サウナが別料金(プラス300円)となっているので注意が必要⚠️であります。

詳細は、「福の湯 下落合」で検索。

中井駅は、西武新宿線と都営大江戸線が乗り入れている、山手通りに跨がる駅であり、西武新宿線の駅は地上、都営大江戸線の駅は地下にあります。

中井駅のホームも、下落合駅と同様の相対式ホームとなっているけど、内側に通過線があるので、通過待ちが行われることもあります。

都営大江戸線の中井駅は、南口を出て、妙正寺川を渡った場所(商店街の途中)にA2出入口があるけど、妙正寺川を挟む関係により、西武線の地下駅舎と繋がっていないので、乗り換えには、一旦地上に出て橋を渡り、反対側の出入口から入り直さなければならないです。

このことは、京都の先斗(ぽんと)町付近にある阪急電鉄京都本線の京都河原町駅と、京阪電気鉄道京阪本線の祇園四条駅にも言えることであり、こちらも一旦地上に出て、鴨川に掛かる四条大橋を渡る必要があります。

都営大江戸線の中井駅のホームは、首都高速道路中央環状線の山手トンネルの真下にある関係により、約35mと深い場所にあるので、西武線との乗り換えに時間が掛かることになります。

① 西武新宿線で各駅停車しか停車しないこと

② 都営大江戸線のホームが約35mと深い場所にあること

③ 西武線の地下駅舎が都営大江戸線の改札口、コンコースと繋がっていないので、一旦地上に出なければならないこと

以上のことにより、都営浅草線と都営大江戸線の蔵前駅と同様に、乗り換えでの利便性はあまり良くないと言われています。

都営大江戸線の練馬駅のほうは、西武線の駅と繋がっているので、乗り換えに便利であります。

西武中井駅の駅舎は、2016年6月に地下駅舎に改築される前は、南口の地上駅舎で、跨線橋による連絡となっていました。

中井駅が地下駅舎となったのは、山手通りとの干渉を防ぐからであります。

北側にある西武池袋線の椎名町駅は、山手通りと干渉しないスペースにあるので、橋上駅舎となっています。

西武線中井駅のトイレ🚻は、1番線(下りホーム側)にあり、だれでもトイレ🚻♿🚽が併設されているけど、通常の男女別トイレの個室は、全て洋式🚽となっています。

改良される前は、西武新宿駅のトイレ🚻と同様に、個室が全て和式トイレとなっていたことにより、バリアフリー非対応となっていたので、一気に洋式化されてバリアフリートイレと化したことにより、和式トイレとさよならとなっていました。

大江戸線の駅のトイレ🚻は、中井駅を含めた全駅で和式トイレの洋式化🚽が行われていたけど、一定期間トイレを閉鎖させた上で行われていました。

西武中井駅のホームや出入口と地下改札口、コンコースを結ぶ通路には、エレベーターやエスカレーターもあるので、バリアフリーステーションらしさを感じています。

駅舎が地下化され、北口が新設されてからは、周辺にある目白大学の新宿キャンパス🏫や目白研心中学校・高等学校🏫へのアクセスが向上されています。

これまでは、中井駅の南口から出た時に踏切を渡る必要があったので、朝の通学時間帯には、山手通りの陸橋へ迂回することが推奨されていました。

目白研心中学校・高等学校🏫は、男女共学となっているけど、前身の目白学園中学校・高等学校の時代には、女子校となっていました。

目白大学や目白研心中学校・高等学校は、目白が付くけど、JR山手線の目白駅から大幅に離れているので、注意が必要⚠️であります。

このことは、お茶の水女子大学(付属の学校を含む)🏫が、御茶ノ水駅ではなく、東京メトロ丸ノ内線の茗荷谷駅付近(文京区大塚、御茶ノ水駅から3駅)にあることと同様であります。

林芙美子記念館は、中井駅の北側(目白大学に行く途中)にあるので、こちらも北口が出来てからアクセスが向上されています。

詳細は、「林芙美子記念館」で検索。

西武バスの中井線(宿20系統、西武百貨店前(池袋駅東口)~中井駅経由~新宿駅西口間、練馬営業所所属)は、平日は池袋発2本、新宿発3本、土休日は池袋~新宿間3往復と少なくなっており、平日には、午前中で終了してしまいます。

都営バスのみんくるガイドには、本数の少ない路線で、点線で本数少の表示があるけど、西武バスの宿20系統も、それに匹敵するほど本数が少ないです。

池袋発の最終は、宿20-1系統の目白五丁目行きであり、目白五丁目バス停に到着した後、すぐに南田中車庫まで回送されます。

平日の始発は、中落合発新宿駅西口行きの宿20-2系統であり、中落合までは回送での送り込みとなります。

こちらは中型車(三菱ふそう(FUSO)エアロミディ)がメインだけど、大型車も使われることもあります。

中井駅付近は、染物で有名であり、周辺にある染の里おちあい 二葉苑では、染物体験をすることが出来ます。

2月下旬には、妙正寺川に染物をかける染の小道が行われています。

詳細は、「染の里おちあい 二葉苑」で検索。

中井駅の北側にあるゆーザ・中井は、3種類のジェットバスのある銭湯であり、1995(平成7)年にこれまでの新高湯がマンションとの複合型銭湯に改築されたものであります。

浴槽は、男女入れ替え制であり、右側の露天風呂(薬湯)のある浴槽は、奇数日は、女湯🚺️♨️、偶数日は、男湯🚹️♨️となります。

奇数日の男湯と偶数日の女湯は、露天風呂がないので、注意が必要⚠️であるので、ゆーザ・中井に行く時の参考になってくれれば幸いであります。

こちらは、毎週木曜日が定休日であります。

料金は、銭湯料金(大人は520円)であり、サウナが別料金(プラス300円)となっています。

詳細は、「ゆーザ・中井」で検索。

田無駅は、西東京市田無町(旧、田無市)の中心にある2面3線の駅(上石神井駅と同様の構造)であり、特急小江戸号や拝島ライナーを除いた全ての列車(料金不要列車)が停車しています。

駅舎は橋上駅舎であり、北口、南口共にエレベーター完備によりバリアフリー化されています。

田無駅のトイレ🚻は、改札内の北側にあり、だれでもトイレ🚻♿🚽が併設されています。

30000系の38101FによるDORAEMON-GO!(ドラえもん号)🚃💙が新宿線系統中心の運用となっている理由は、東京都西東京市田無町(旧、田無市、西武新宿線の田無駅付近)にドラえもんのアニメーションの製作会社であるシンエイ動画の本社(オフィス)があるからであります。

一昨年(2022(令和4)年)10月から12月までの間は、38101Fの池袋線巡業を見れて良かったと思っています。

シンエイ動画は、ドラえもんやクレヨンしんちゃんなどのアニメの製作が行われているテレビ朝日グループのアニメ製作会社であり、その前身は、Aプロダクションでありました。

シンエイ動画の本社は、ドラえもんに因んだ青色の建物であり、ドラえもんビルとも呼ばれています。

池袋線の保谷、ひばりヶ丘の両駅、新宿線の東伏見、西武柳沢、田無の各駅のある東京都西東京市は、2001(平成13)年1月21日に、田無市と保谷市の合併により出来た市であり、田無駅が旧、田無市、保谷、ひばりヶ丘、東伏見、西武柳沢の各駅が旧、保谷市に位置しています。

西東京市の郵便番号🏣は、旧、田無市が〒188、旧、保谷市が〒202であります。

池袋線のひばりヶ丘駅は、1924(大正13)年6月11日に、椎名町、中村橋、清瀬の各駅と共に開業した当時は、田無町(当時)の玄関口ということから、田無町駅と呼ばれていました。

現在のひばりヶ丘駅に改称されたのは、ひばりが丘団地が造成された1959(昭和34)年5月1日のことであり、1927(昭和2)年4月16日に田無駅が開業してからひばりヶ丘駅に改称されるまで、田無を名乗る駅が2つあって紛らわしい状態となっていました。

田無にあるスカイタワー西東京(田無タワー)は、高さ195mの電波塔であり、その隣には、多摩六都科学館もあります。

多摩六都とは、小平市、東村山市、清瀬市、東久留米市、田無市、保谷市のことであり、田無市と保谷市が合併して西東京市となった後も、多摩五都に変更されずに、多摩六都のままとなっています。

詳細は、「スカイタワー西東京」、「多摩六都科学館」で検索。

西東京市(旧、田無市)は、きゃりーぱみゅぱみゅ氏の出身地としても有名であり、2016年に9000系の9101FによるKPPトレインが運転されていたこともありました。

9101Fは、KPPトレインとしての運転終了後も、ピンク色のままとなっていたけど、多摩湖線に転用されることもなく編成単位で廃車となってしまったのが残念であります。

タレントの乙葉氏は、長野県出身だけど、東京都西東京市(旧、田無市)が出生地であることを知りました。

乙葉の芸名は、乙女の葉っぱを意味する言葉であります。

2009(平成21)年のNHK朝の連続テレビ小説「つばさ」で大ブレイクしていた女優の多部未華子氏(マクドナルド(McDonald's、マック、マクド)のグラコロのCMでもお馴染みである)も、西東京市出身であり、保谷高校が母校と言われています。

周辺には、シチズン時計(CITIZEN)⌚🕐の本社があるので、田無駅にある時計🕐もシチズン(CITIZEN)のものが使われています。

田無はシンエイ動画のある駅であり、シチズン時計(CITIZEN)の本拠地でもあります。

西武新宿線の日中の各駅停車は、田無(シンエイ動画のある街)行きと本川越(朝の連続テレビ小説つばさの舞台となった街)行きが交互に運転されています。

田無駅を通過する定期の旅客列車は、5000系レッドアロー(初代レッドアロー)の時代から、特急列車しか無かったけど、2018(平成30)年3月10日から拝島ライナーも加わっています。

新所沢駅は現在でも旅客列車の通過は特急列車のみとなっています。

北口側にあるアスタビルには、リヴィン(LIVIN)田無店、エクセル田無(会員制の場外勝馬投票券発売所)などが入っています。

詳細は、「シンエイ動画」、「シチズン時計」、「リヴィン田無店」、「エクセル田無」で検索。

川越駅付近にある、天然小さな旅川越温泉♨️という日帰り温泉施設は、木の湯と石の湯があり、男女入れ替え制で、奇数日の場合は、男湯♨️🚹️が石の湯、女湯♨️🚺️が木の湯、本日(1月2日)のような偶数日はその逆で、男湯♨️🚹️が木の湯、女湯♨️🚺️が石の湯となります。

アクセスは、本川越駅または川越駅西口から、かすみ野行きの西武バス🚌に乗り、野田町バス停🚏🚌で下車することになります。

本川越駅付近にある、川越湯遊ランド(ホテル三光も入っている)は、光明石天然鉱石温泉であり、駅から近くて便利であります。

詳細は、「小さな旅川越温泉」、「川越湯遊ランド」で検索。

西武沿線にある西武グループの日帰り温泉施設♨️は、西武秩父線の西武秩父駅前にある「西武秩父駅前温泉 祭の湯」と、豊島園駅付近にある「豊島園 庭の湯」であり、どちらも西武園ゆうえんちによる運営で駅から近いです。

西武秩父駅がリニューアルされて温泉入浴施設である祭の湯(西武グループの日帰り温泉施設)♨️が新設されたのは、S-TRAINがデビューした1ヶ月後の2017(平成29)年4月24日のことであり、温泉入浴♨️はもちろんのこと、入場無料エリアのフードコート(呑喰亭 祭の宴)や温泉内レストラン秩父湯台所で食事🍴を楽しむことも出来ます。

こちらは、京王電鉄の高尾山口駅(京王高尾線の終着駅で、その名の通りの高尾山への玄関口)が改築されて京王高尾山温泉/極楽湯(京王グループと極楽湯のコラボによる日帰り入浴施設)♨️が出来たことと同様であり、帰る前に入浴することで疲れを癒すことや、食事🍴を楽しむことも出来るという祭の湯との共通点があります。

祭の湯には、2階の男女別の浴槽♨️のほか、温泉内レストラン秩父湯台所🍴、寝ころび処、くつろぎ処、岩盤浴、ほぐし処、プレミアムラウンジ(有料、座席指定制)💺もあり、プレミアムラウンジは、共用💺13ブース、女性専用💺🚺8ブースあります。

祭の湯の男湯♨️🚹は広場側(左側)、女湯♨️🚺は駅側(右側)にあるけど、男湯♨️🚹のほうは、男女共に線路側に浴槽がある(もちろん男女別になっている)高尾山温泉とは違って、電車の音は聴こえてこなかったです。

祭の湯と高尾山温泉には、高濃度人工炭酸泉もあるけど、祭の湯では内湯側にあります。

もう一つの内湯は、シルク湯であり、美肌効果もあります。

祭の湯の露天風呂には、桜が植えられているので、4月上旬にお花見🌸しながら入浴することが出来ます。

京王井の頭線の高井戸駅付近にある高井戸温泉美しの湯♨️の露天風呂でも桜🌸を見ながら入ることが出来ます。

自分(しゃもじ)は、2020年11月8日に、秩父祭の湯のフードコートで、秩父わらじかつ亭によるわらじかつ丼を初めて食べたけど、美味しかった😋🍴💕ので、秩父は美味しい食べ物の宝庫なんだな❗と思いました。😋🍴💕

秩父は蕎麦(そば)も美味しいので、秩父鉄道の御花畑駅の立ち食いそば店で蕎麦を食べてみて美味しかった😋🍴💕ことを思い出しました。

もちろん、祭の湯のフードコートでも、秩父の蕎麦を味わうことも出来ます。

秩父の豚肉料理は、わらじかつ丼のほか、豚肉の味噌漬けも有名であり、祭の湯のフードコートにある丼屋 炙り(あぶり)で、炙り豚味噌丼を味わうことも出来ます。

豚肉にはビタミンB1が豊富に含まれているので、秩父のある埼玉県のホームページでは、埼玉県産豚肉でパワーチャージ❗ということがアピールされています。

西武秩父の祭の湯♨️の無料エリアは、これまでの西武秩父仲見世通りが受け継がれており、お土産屋が充実しています。

秩父湯台所では、秩父ジビエである鹿肉のロース丼やカツを味わうことも出来ます。

鹿肉は、柔らかくて臭みが少なく、低カロリー高たんぱくで、鉄分が豊富に含まれているので、女性におすすめの食材と言われています。

露天風呂の花見湯は、有名温泉地の湯を楽しめる場所であり、現在は、芝桜の丘がイメージされた、芝桜の湯♨️となっています。

一昨年10月1日には、酒匠屋台がリニューアルされ、角打ちエリアが拡張されていました。

自分(しゃもじ)にとって、西武秩父の祭の湯は、高尾山温泉と共にいつ行っても(来ても)最高だな❗と思っています。

昨年4月18日の芝桜見物の後に行ってみて、このことを感じました。

詳細は、「西武秩父駅前温泉 祭の湯」、「西武秩父駅 祭の湯」で検索。

京浜急行電鉄(京急)では、昨年12月29日に、新1000形の1701Fが京急線内の列車で営業運転入りしていました。

こちらは、当面京急線内の運用に固定されるので、予想通りであります。

これにより、1500形の界磁チョッパ制御車(非VVVF車)だった1521Fと1525Fが12月28日)をもって運用離脱され、京急の旅客用車両がVVVF車に統一されていました。

東北新幹線のE2系のJ69編成にディズニーのラッピングが施されたMagical Dream Shinkansenとして、昨年12月22日から東北新幹線(東京~仙台間)で運転されるようになっています。

12月22日は、やまびこ132→137→144→149号の順て使われていたけど、トップバッターとして銀つばと連結されていました。

こちらの運転予定は、JR東日本のホームページで調べることが出来ます。

本年3月16日には、255系(房総ビューエクスプレス)が定期運用から離脱されるなどの残念な話題があるけど、北陸新幹線が福井経由で敦賀まで延長されることや、山形新幹線にE8系が導入されるなどの明るい話題があります。

昨年12月24日は、渋谷DAIAで行われた、『きみにYORISOERU×未完成のキャラメル~クリスマスイブの2マンライブSP~』に行き、きみよりと未完成のキャラメル(みかめる)を見てきました。

25日はきみよりの現体制最後の公演でありました。

きみよりの現体制の終了は、50000形VSEの完全引退と同様の寂しさを感じています。

きみよりで活躍していた永井穂花、永長利那両氏は、フレオマネジメント(フレオ)に残ることになっているけど、他の4人は、フレオを退社していました。

東武鉄道では、昨年12月24日のクリスマスイブに、100系スペーシアの109Fによるいちごスペーシア🚃💺🍓がデビューしていました。

こちらは、栃木県特産のいちご🍓がイメージされた赤とピンクのカラーリングとなり、1号車(個室、6室ある)と2,5号車の15(いちご)列目の座席がいちご色(赤色、緑色)にラッピングされることになります。

こちらの運転予定は、東武鉄道のホームページに出ています。

東武アーバンパークライン(野田線)で活躍中の8111Fのほうは、是非撮影してみたいと思っています。

昨年8月20日は、代々木公園で行われた、あーにゃこと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、あーにゃ😸とデート気分を味わうことが出来ました。

この時に会話することはもちろんのこと、一緒に歩くことが出来たので、良い運動となりました。

あーにゃ😸は、しゃもじさん🐰に出会えて良かったと言っていたので、ご満悦の様子でありました。

同行していたあにゃママ(あーにゃの母親)🐈️ともお話することも出来たけど、当ブログをたまに見てると言っていたので、感謝しています。

あーにゃ😸は、スペーシアXも話題にしていました。

代々木公園での散策は、風が気持ち良かったです。

5枠あったうちの3枠が埋まったけど、自分(しゃもじ)も埋めておいて正解でありました。

昨年9月24日に、千葉県の稲毛海岸でおこなわれたあーにゃのもっふ会や一昨日のあーにゃの撮影会に行かれなかったのが残念でした。

その代わりに、11月12日にあーにゃ主演の舞台を見ることが出来て良かったです。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

西武池袋線、西武新宿線、特急ちちぶ、むさし、小江戸号、拝島ライナー、S-TRAINの時刻、運賃、運行状況等の詳細は、西武鉄道のホームページを見るか、「西武池袋線」、「西武新宿線」、「西武特急ラビュー」、「特急小江戸号」、「拝島ライナー」、「S-TRAIN」で検索願います。

初期型2000系、6117F、川越ボーイズ・シングのラッピング電車、スタジオツアー東京エクスプレス、ラジャートレイン、6117F、2069F等の撮影には、マナーを守ってもらいたいと思っています。

今宵はここまでに致しとうござりまする。