9月23日は、新宿から笹塚まで、京王電鉄7000系の7704+7804F(京王の電車・バス開業110周年ヘッドマーク付き)による、京王八王子行き🚃に乗りました。

今回乗った列車🚃は、京王線の新宿駅(1番線)を13時54分に発車する各駅停車の京王八王子行き(土休日5041レ)で、京王八王子駅に到着した後、15時17分発の各駅停車新宿行きで折り返すことになっています。



その前の運用は、高尾山口 12時18分発の各駅停車の新宿行きでありました。

各駅停車だったことにより、上部の種別灯が付いていなかったのが残念だったけど、ヘッドマーク付き電車を撮影出来たからよしとします。

京王の電車・バス開業110周年ヘッドマーク付き電車は、4月15日の開業記念日当日から9000系の9702F(8両編成)に取り付けられているけど、9月22日頃から、7000系の7704+7804F(6+4の10両編成)も追加され、2編成となっています。

この時に9702Fのヘッドマークが移し替えられたと思っていたけど、9702Fのヘッドマークがそのままとなっているので、追加されたことが分かったのであります。

このヘッドマークの取り付け予定は、4月15日から車両を変えながら1年間となっているけど、このような展開となっていました。

10年前の2013(平成25)年4月の100周年の時は、9000系の9731F(現在はサンリオトレインとなっている)にヘッドマークが取り付けられていたけど、こちらには、感謝の気持ちでつなぐ、未来へ。の表示がありました。

100周年のロゴマークは、左側に高尾山、右側に新宿の高層ビル群が描かれていたので、良いデザインだったな❗と思っているけど、そのヘッドマークを撮影出来なかったことで残念に思いました。

京王の電車・バス開業110周年のロゴマークは、新5000系、京王バスと線路が描かれたもので、感謝を乗せて、未来へつなぐ。のメッセージも書いてあります。

これは、感謝の意を表すと共に、安心、信頼、笑顔を未来につないでいく想いが線路の形状に込められていると言われています。

「感謝を乗せて、未来へつなぐ。」は、100周年の時に使われていた、「感謝の気持ちでつなぐ、未来へ。」という言葉が進化したものであります。

このように、京王線が110年間通勤、通学、お出掛けの足として愛されていることは素晴らしいことだと思っています。

8月1日に開業90周年を迎えた、井の頭線の90周年ロゴマークは、青色の1000系が描かれ、線路のデザインが井の頭線のシンボルであるレインボーカラーにアレンジされています。

当初は1779F(レインボー編成)に取り付けられていたけど、現在は1777F(オレンジベージュの編成)に取り付けられています。

京王線の新宿駅を発車する各駅停車は、快速、区間急行、急行、特急と同様に、笹塚駅までノンストップとなるけど、1978(昭和53)年10月31日に京王新線(都営新宿線との連絡線)が開業するまでの間は、初台、幡ヶ谷の両駅にも停車していました。

京王線で、各駅停車しか停車しない駅は、代田橋、上北沢、芦花公園、柴崎、国領、布田の各駅であるけど、これらの駅は全て10両編成に対応しています。

京王線が開業したのは、京王電気軌道の時代の1913(大正2)年4月15日の笹塚~調布間のことであり、その歴史は、甲州街道の路面を走る路面電車から始まっていました。

同じ日には、京王バスが、鉄道の延長までの繋ぎとして、新宿~笹塚間と、調布~府中~国分寺間で開業していたけど、こちらは東京初の路線バスとなっています。

当時の路線は、笹塚~代田橋~火薬庫前(現、明大前)~下高井戸~上北沢~上高井戸(現、芦花公園)~烏山(現、千歳烏山)~下仙川(現、仙川)~金子(現、つつじヶ丘)~柴崎~国領~調布であり、下仙川~調布間で現在よりも北側を通っていました。

1915(大正4)年5月30日には、新宿追分(現在の新宿三丁目交差点付近)~笹塚間が開業し、新宿に進出していました。

当時の新宿追分駅は、新宿伊勢丹前(現在の東京メトロ副都心線の新宿三丁目駅の真上)にあったけど、1927(昭和2)年10月28日に京王新宿ビルディング(現在は改築されて、京王新宿三丁目ビルとなっている)に移設され、1945(昭和20)年7月24日に新宿駅西口に移転されるまで使われていました。

翌年の1916(大正5)年6月1日に京王相模原線の原点である調布~多摩川原(現、京王多摩川)間の支線が開業し、同年9月1日に調布駅から飛田給駅まで、10月31日に府中駅までそれぞれ延長されたことにより、京王電気軌道によって建設(開拓)された路線が全通していました。

1925(大正14)年3月24日に府中~東八王子(現、京王八王子)間が玉南電気鉄道(翌年の1926年12月に京王電気軌道に吸収合併されていた)によって開業していたけど、当時は井の頭線と同じ1067mm軌間で、直通運転が不可能であったことにより、府中駅での乗り換えが必要となっていました。

このことは、京浜急行電鉄の京急本線で、品川~黄金町間が京浜電気鉄道、黄金町~浦賀間が湘南電気鉄道によって開業していたことと同様であります。

府中~東八王子間は、1927年6月1日に1372mmに改軌され、翌年の1928(昭和3)年5月22日には、新宿追分~東八王子間(当時)の直通運転が行われるようになっていました。

1945年7月24日に新宿駅が西口に移転された理由は、現在の新宿~初台間に相当する場所にあった天神橋変電所が、同年5月25日に発生した空襲により被災し、電圧が低下したことで、新宿駅南口の跨線橋を電車が上れなくなった為であり、西口の現在の場所にターミナルが作られたのであります。

こちらは、東急東横線の新宿乗り入れ計画により確保されていた土地であり、その計画の中止により、京王線の新宿駅西口移転の場所として白羽の矢が立てられていたのであります。

東急東横線の新宿への乗り入れは、東京メトロ副都心線との直通運転により、別の形で実現していました。

都営新宿線の新宿~新宿三丁目間は、京王線の新宿追分への乗り入れが都営によって復活したものでもあります。

京王線の新宿駅西口の地上駅は、1963(昭和38)年4月1日に地下化されるまでの18年間使われていたので、地下化までの繋ぎによる仮設の駅となっていました。

新宿~初台(文化服装学院前付近)間は、1963年4月1日に最初に地下化された区間であり、最後まで残されていた併用軌道区間であったことにより、地下化が優先されていました。

この併用軌道区間は、渋滞の原因だけでなく、スピードアップのネックともなっていたので、優先的に地下化されたのもそのはずでありました。

京王バスは1915年に京王線が新宿まで延長された時に一旦廃止されていたけど、1937(昭和12)年12月1日に甲州街道乗合自動車の買収により、京王がバス事業に再参入していたので、暫定輸送から始まり、のちに恒久化された都営バスとの共通点があります。

京王バスの寺91系統(京王バス国分寺線、府中駅~明星学苑経由~国分寺駅南口間、府中営業所所属)🚌は、調布~府中~国分寺間の初期の路線のうちの府中~国分寺間が受け継がれたものであります。

京王7000系は、6000系のステンレスバージョンであり、1984(昭和59)年から1996(平成8)年に掛けて、増結用中間車を含めた190両が、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)と、日本車輌製造豊川製作所で製造されていました。

前面は、6000系のウィンク顔とは異なり、左右対称の窓となっています。

デビューしたのは、1984年3月9日(ありがとうの日)のことであり、緑色の各駅停車専用車だった2000系列(京王グリーン車)の置き換え用や、優等列車のお下がりが中心となっていた各駅停車のサービス向上により、井の頭線と同じ5両編成(現在の10両編成の半分)で導入されていました。

京王線から緑色の2000系列(京王グリーン車)が引退したのは、1984年11月のことであり、同年3月には井の頭線からも京王グリーン車(初代1000系列の1000形(2000系と同様のカルダン車だった))が引退していました。

井の頭線では、1984年1月に、吊り掛けモーター車だった1900形(2700系の井の頭線バージョン)が、初代1000系の1000形よりも先に引退していたので、井の頭線の吊り掛けモーター車が1984年まで残されていたのであります。

京王線の2700系のほうは、1981(昭和56)年11月に引退していました。

銚子電気鉄道(銚子電鉄、千葉県銚子市)では、元京王2010系→伊予鉄道800系から改造された2000形が活躍しているけど、2001Fが京王グリーンから大正レトロ塗装に変更されていました。

赤電塗装となっている2002Fは、京王線のアイボリー塗装を彷彿とさせる塗装となっていたこともありました。

そのうちの2001Fは、元南海電気鉄道2200系に置き換えられる予定となっているので、良い時に撮影しておいて正解だったと思っています。

南海と銚子に因んで、なんかいい ちょうしに❗と言われていたので、座布団1枚ものであります。

現在緑色の2000系は、京王れーるランドにある2010系の2015号車で見ることが出来ます。

1984年のデビュー当初の京王7000系は、阪神電気鉄道(阪神)のジェットカーシリーズの車両(青胴車)や、2008(平成20)年1月まで活躍していた東急電鉄東横線の8000系と同様に、各駅停車専用として扱われていました。

京王7000系が優等列車の運用に進出したのは、2001(平成13)年3月27日のダイヤ改定(現在のダイヤ改正)のことであり、その翌日の3月28日(自分(しゃもじ)の誕生日であり、埼玉高速鉄道線が開業した日でもある)に、東急東横線で、8000系が各停専用車から急行や当時新設されていた東横特急にも進出していたので、似たような現象となっていました。

京王7000系の初期型は、1984年と1986(昭和61)年に導入されたコルゲート車体、後期型は、1987(昭和62)年から1994(平成6)年に導入されたビードプレス車体であり、前者のコルゲート車体は、増結用中間車として1992(平成4)年まで製造されていました。

1996年に製造された7000系は、8両編成だった7721~7725Fの10両化の為の中間車(5号車(7170番台)と7号車(7520番台))であり、これによって、京王初の10両固定編成が誕生し、特々法(特定都市鉄道整備促進特別措置法)による京王線の各駅停車の10両化が実現していたのであります。

7726Fは7712F、7727Fは7713F、7728Fは7714F(いずれも8両固定編成だった)を7711Fや7715Fから捻出された中間車を入れて10両固定編成化させた編成であり、コルゲート車体で表示が幕式となっているので、7000系らしさを感じています。

京王7000系のリニューアルが行われるようになったのは、2001年からであり、2003(平成15)年からVVVF化が追加され、2012(平成24)年の7803Fの入場をもって完了していました。

初期の段階では、界磁チョッパ制御車(非VVVF車)のままリニューアルされていたけど、のちにこれらの編成もVVVF化されていました。

小田急電鉄の8000形では、8251Fと8255F(どちらも6両基本編成だった)が、初期の段階として界磁チョッパ制御車(非VVVF車)のままリニューアルされ、どちらも追加でのVVVF化が行われなかったので、一昨年(2021(令和3)年)の新5000形の導入により廃車となっていました。

小田急8000形は、来年度以降一部がサステナ車両として西武鉄道に譲渡され、西武国分寺線(国分寺~東村山間)で活躍することで話題になっています。

京王7000系で最後まで界磁チョッパ制御車(非VVVF車)となっていた7803Fは、2012年8月19日に調布駅付近が地下化された後に入場していたので、界磁チョッパ制御車(非VVVF車)のまま調布駅付近の地下線を通った唯一の編成でありました。

関東の大手私鉄で最初にオールVVVF化されたのは、2012年の京王電鉄であり、前年の2011年には、井の頭線で3000系の引退、1000系への統一により、本線系統よりも先にオールVVVF化が実現していました。

2012年に京王電鉄の車両がVVVF化された後も、東京都交通局(都営交通、都営新宿線)の電機子チョッパ制御車(非VVVF車)だった10-000形や10-300R形の乗り入れが継続されていたけど、2018(平成30)年2月に10-000形が全廃されたことによって解消されていました。

都営地下鉄は、新宿線で活躍していた10-000形や10-300R形の引退によって、オールVVVF化が達成していたけど、同じ都営交通である都電荒川線(東京さくらトラム)も、2017(平成29)年6月の7000形の引退により、営業用車両が全てVVVF車となっています。

関東の大手私鉄で旅客用電車が100%VVVF化された会社は、京王電鉄、相模鉄道(相鉄)、東京地下鉄(東京メトロ)、小田急電鉄、東急電鉄であります。

新5000系(京王ライナーの車両)の導入により、編成単位で廃車となった7000系は、4両編成の7806F、6両編成の7705F、8両編成の7706,7707F、10両編成の7729Fであり、7000系で最初に編成単位で廃車となった7706Fのうちのクハ7706号車(新宿寄りに連結されていた車両)の前頭部は、8000系の8709Fのクハ8809号車(中間に押し込められていた先頭車)の中間車化(サハ8509号車への変更)によって捻出された前頭部と共に、多摩動物公園駅前にある京王れーるランドアネックスで展示されています。

こちらでは、丸ごと展示されている車両と同様に、方向幕の転換や、ヘッドマークの取り付けが随時行われているのが嬉しいと思っています。

昨年9月には、6両編成だった7000系の7708Fが、5737Fの導入を待たずに廃車となり、解体の為に若葉台工場から北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで陸送されていました。

7708Fは、かつて8両編成だった編成であり、6両編成に短縮されてからは出番が減っていました。


7月23日には、7000系の7705Fが、7804Fと併結された上で高幡不動から若葉台まで廃車回送されていました。

7705Fは、不具合があったことにより、新5000系の5738Fの導入を待たずに廃車となっていたけど、5月まで7805Fと共に陣馬ヘッドマークが取り付けられていたことで楽しませてくれた編成でありました。

それが若葉台から北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで順次陸送されていたけど、先頭車は回送の表示のままとなっていたことを聞きました。

7806F(初代7702F)は、9月23日に併結相手だった7701Fと併結された状態で若葉台まで廃車回送され、のちに北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで順次陸送されていました。

これにより、7705F、7806Fの10両分が5738Fの導入を待たずに廃車となったのであります。

7709Fは、7805Fとペアが組まれた10両編成、7701Fは、7000系の2両編成とペアが組まれた8両編成で使われています。

7806Fは、2012(平成24)年に、初代7702Fの中間車2両を抜いて4両化させた編成(1984年製)であり、動物園線の専用車両に転用された7801Fの代替編成となっていました。

7807Fは、7711Fのうちの3両とクハ7765号車(全て1986年製)から組成された編成で、こちらも初期型の4両編成であり、2代目7702F(こちらも7711Fから組成されている)とペアが組まれています。

1984年に製造された7000系は、7701~7710Fのうちの5両であり、6両編成の7701,7703,7704,7709Fの一部が現役となっています。

2020年に廃車となった7729Fのうちの5両は、7710F由来の1984年製の車両となっていました。

京王れーるランドにあるクハ7706号車の前頭部も、1984年製であり、幕式となっています。

7000系の6+4編成は、7703+7803F、7704+7804F、7709+7805F、7702+7807Fのペアが基本となっているけど、7702+7807Fの初期型幕車コンビのほうが10両固定編成の初期型である7726,7727,7728Fと同様に、7000系らしさを感じています。

京王7000系の6両編成は、単独による高幡不動~高尾山口間の各駅停車にも使われていたことがありました。

京王7000系がデビューした1984年は、ロサンゼルスオリンピック1984が行われた年でもありました。

元体操選手の森末慎二氏は、ロサンゼルスオリンピック1984で、金銀銅の3つのメダルを獲得していたことで話題になっていました。

ロサンゼルスオリンピック1984のテーマ曲は、歌ではなく、オリンピック・ファンファーレ(Olympic Fanfare and Theme)が使われていました。

8000系がデビューした1992年は、バルセロナオリンピックが、井の頭線の1000系がデビューした1996年は、アトランタオリンピックが行われていました。

バルセロナオリンピックでは、水泳選手として活躍していた、岩崎恭子氏が、200m平泳ぎで金メダル🥇を14歳の史上最年少記録で獲得していたので、当時の話題になっていました。

当時のインタビューでは、「今まで生きてた中で、一番幸せです。」と語っていたので、その通りだと思いました。

バルセロナオリンピックが行われていた当時の8000系は、8701~8706Fの6本で、新宿~京王八王子間の特急(当時は笹塚、千歳烏山、分倍河原、北野の各駅を通過していた)に使われていました。

アトランタのあるアメリカ🇺🇸のジョージア州は、コカ・コーラの発祥の地でもあり、日本でお馴染みのコカ・コーラ社による缶コーヒーブランドである、ジョージア(GEORGIA)の由来ともなっています。

このことは、ケンタッキーフライドチキン(KFC、こちらも日本でお馴染みである)が、その名の通りのアメリカ🇺🇸のケンタッキー州が発祥の地であることと同様であります。

1984年の京王の出来事は、12月14日に、中央高速バスの伊那飯田線🚌💺が開設されたことも挙げられており、遠いイメージがあった長野県南信地方の伊那・飯田エリアが近くなったという出来事がありました。

当時は伊那バス(伊那、駒ヶ根エリアのバス会社)、信南交通(飯田エリアのバス会社)がそれぞれ東京に進出していました。

伊那バスと信南交通に関しては、当ブログでも紹介しています。

諏訪バス(現、アルピコ交通諏訪支社)が高速バスに参入したのは、1984年12月14日の高速バス飯田線の開設の時であり、アルピコ交通の高速バスの原点となっていました。

当時の京王バスは、京王帝都電鉄→京王電鉄による直営であったけど、1997(平成9)年10月1日の府中営業所調布支所(現、調布営業所)の京王バス(初代)への移管を皮切りに、子会社への移管が進められ、2002(平成14)年8月1日の京王電鉄バスへの移管により、分離化が完了していました。

京王高速バスの車庫は、1989(平成元)年の永福町移転まで、京王新線の初台駅付近にあった新宿営業所(初台車庫)所属となっていたけど、末期は高速や貸切バス車両(観光バスタイプの車両)のみの配置となっていたので、上北沢駅付近にある永福町営業所世田谷車庫(旧、世田谷営業所)みたいな感じでありました。

現在初台車庫の跡地は、東京オペラシティとなっています。

1984年当時の日野自動車(HINO)の観光バスタイプの車両(P-RU638AA型、京王バスにもあった)は、スケルトン車体で、初代のレインボーRJ型と同様に、リアのナンバープレートの上部に丸い形の模様が2つありました。

伊那バスは、路線バスタイプ、観光バスタイプ(高速バス)共に日野車で統一されているけど、かつて信南交通にも日野の高速車がありました。

リアのナンバープレートの上部に丸い形の模様が2つあることは、現在のいすゞ自動車(ISUZU)と日野自動車(HINO)の大型または中型の路線バスタイプの車両にも言えることであります。

西日本車体工業(西工)製のUD車と三菱ふそう車(2010(平成22)年まで製造されていた)の末期モデルも、リアのナンバープレートの上部に丸い形の模様が2つあるタイプであり、タキチヨ氏のTwitterやFacebookのアイコン画像に使われている、京王バス高尾営業所所属の三菱ふそうエアロミディ-SのT30902(八王子200か20-05)号車🚌のリアの部分もこうなっています。

10月10日の記事で紹介した都営バスのS代車(UDスペースライナーRA)も、リアのナンバープレートの上部に丸い形の模様が2つあるタイプとなっています。

都営バスの早稲田自動車営業所では、T-K233(練馬200か37-29)号車の三菱ふそうエアロスターが入ってきたので、これによってT-S666号車のUDスペースライナーRAが置き換えられていたことを聞きました。

7702F+7807Fの組み合わせは、同一のコルゲート車体の初期型同士でありながら、正面の車両番号の書体が前後非対称(前者がオリジナル表示)となっています。

今年度から2026年度に掛けて、京王ライナーの新5000系が70両増備される予定であり、京王ライナーの日中時間帯の運行も検討されています。

京王線で、通り抜けの出来ない7000系の6+4編成を置き換える計画であるので、7705Fと7806Fの廃車もそれを受けたものとなっています。

通り抜けの出来ない編成をやめる方針となったのは、避難誘導を円滑にすることや、座席定員を確保する為であるけど、一昨年10月31日に布田→国領間で発生したハロウィンの悲劇の影響が大きいです。

7705+7805Fには、陣馬号のヘッドマークが取り付けられていたので、こちらも撮影することが出来て良かったと思います。

京王線の新宿駅は、京王百貨店新宿本店の真下の地下2階部分にプラットホームがあり、正面の改札口は、京王西口と京王百貨店口に分かれています。

3番線には、京王新線、都営新宿線、都営大江戸線への連絡口があります。

京王線新宿駅のトイレ🚻♿は、3番線側(改札内)にあるけど、以前は京王百貨店口の改札外(現在お花屋さん(フラワーショップ京王)がある場所)にありました。

新5000系による京王ライナーには、トイレが付いていないので、乗車前にトイレ🚻を済ませておく必要があるけど、新宿駅の場合は、改札内トイレ🚻が3番線側にあるので、その後に京王ライナーの乗車ホームである1番線(土休日は2番線)に回る必要があります。

京王線の新宿駅にはもちろん、京王線、新線共にエレベーターが設けられています。

JR線と京王線を繋ぐ連絡通路や、3番線と京王新線との連絡通路には、全て階段となっているので、注意が必要⚠️であります。

JR線と京王線を繋ぐ連絡通路で、一旦階段を下りてまた上がる方式となっているのは、小田急線と交差するからであります。

京王新宿駅の京王百貨店口のフラワーショップ京王及びJR線改札の横にある、おむすび権米衛(ごんべい)🍙は、移設される前のJR線の券売機の跡地となっています。

1963(昭和38)年4月1日の地下駅への移転(地下化)当時は、18m車の6両編成対応の5面4線となっていたので、現在と比べて想像出来ない状態となっていました。

地上時代は、3面2線→4面5線であったけど、当時は13,14,15,16番線(現在はJR東日本の山手線と中央・総武緩行線で使われている)となっていました。

地下化される前の新宿~初台間では、京王電気軌道由来の併用軌道が残されていたので、こちらも現在と比べて想像出来ない状態となっているのであります。

1975(昭和50)年10月20日には、4ドア20m車の8両編成(当時は6000系が使われていた)の乗り入れに対応させる為に、旧4番ホームと降車専用ホームが廃止されて4面3線となり、1982(昭和57)年11月8日から開始された4ドア20m車の10両編成の乗り入れに対応させる為に、1番線側の降車ホームの廃止、線路切り替えによって、現在のような、2番線と3番線の間に降車専用ホームのある3面3線の駅となっていました。

ホーム下に使われなくなった線路やポイント(分岐器)が残されていることにより、改良前の名残があります。

京王線新宿駅の北側には、地下駐車場がある為に、北側にホームを延長させることが困難であった為に、18m車の7両編成が限界となっていました。

20m10両化の対応により1番線を東側にずらすことや、ポイントを移設させる、ホームを拡張させるなどの手間の掛かる工事によって、現在のような京王線新宿駅への4ドア20m車の乗り入れが実現していたのであります。

小田急線の新宿駅の改良工事が完成したのは、同じ1982年のことであり、地上が優等列車、地下が各駅停車の発着となっています。

京王線新宿駅のエンド側にある広場口改札は、出口専用の改札口であり、初電から22時までで、階段しかないので、注意が必要⚠️であります。

平日朝の7時10分から9時までの間は、広場口とは別の臨時口が開設されるけど、こちらも階段のみの出口専用(自動改札機は2つ)となっています。

その出口のある場所は、お花屋さんの横であり、カレーショップC&Cの新宿本店の前に出てくることになります。

それ以外には、非常口としても活用されています。

ホームが削減された分、ホームが広くなっています。

京王新線の新宿駅(新線新宿駅)は、甲州街道の真下にある1面2線の島式ホームの駅(京王電鉄による管理)であり、4番線が京王新線下り(初台、幡ヶ谷、笹塚、橋本、京王八王子、高尾山口方面)、5番線が都営新宿線(本八幡方面)であり、一部列車は4番線発着となっています。

京王新線の新宿駅ホームが地下5階と深い場所にあるのは、上越新幹線の新宿乗り入れ計画があったことの名残であり、都営大江戸線の新宿駅もそれよりも深い場所(地下7階部分)にホームがあります。

京王新線と都営大江戸線の連絡口は、新宿三丁目(本八幡)寄りにあり、エレベーターもここを通ることになります。

バスタ新宿(新宿駅新南口にある総合高速バスターミナル)へは、新線新宿駅からのほうが近いです。

8月2日には、新宿駅西南地区開発計画及び京王線新宿駅改良工事が発表されていました。

それによると、地下2階にあるプラットホームが北側に移され、端の部分(エンド側)に改札口が設けられることになるので、乗り換え動線が改善され、東京メトロ丸ノ内線との乗り換えに便利になります。

これにより、丸ノ内線の新宿駅だけでなく、都営大江戸線の新宿西口駅や西武新宿線の西武新宿駅にも近づくことになります。

現在の京王線新宿駅の端の部分(エンド側)で撮影した画像は、やがて思い出のシーンとなってしまいます。

新宿駅構内に本店のあるカレーショップC&C🍛は、レストラン京王によるカレーショップ🍛であり、1968(昭和43)年の新宿本店の開店以来、玉ねぎ🧅の比率50%、28種類のスパイス(香辛料)へのこだわりがあると言われているので、美味しいカレー🍛😋🍴💕に仕上がっています。

京王沿線のC&Cの店舗は、新宿(本店)、新線新宿、西新宿オークシティ、笹塚、明大前(フレンテ明大前)、調布南口、多摩センター(京王多摩センター)、府中(ぷらりと京王府中)、桜ヶ丘(聖蹟桜ヶ丘)、吉祥寺(キラリナ京王吉祥寺)の各店であり、京王沿線外にある店舗は、秋葉原、有楽町、東京ビッグサイト、大手町メトロピア、新木場メトロピア、Echikafit永田町、小黒川(中央道の小黒川パーキングエリア下り、長野県伊那市)の各店であります。

新宿本店は、京王線の新宿駅の京王西口改札側にある、1968年の開店当時から親しまれている立ち食いスタイルのカレー店(立ち食いそばならぬ立ち食いカレー)であり、メニューは、ポークカレーが基本であり、唐揚、温玉、ゆで卵、チーズ、ハンバーグ、ほうれん草とポークスティック、温野菜、コロッケ等のトッピングカレー🍛と言ったシンプルなものとなっています。

立ち食いスタイルである為に、他の店舗と比べて分量が少なく、メニューがシンプルとなっていることに加え、価格も抑えられているので、立ち食いそば屋で、カレーライス🍛を味わっていることと同様の感覚となっています。

C&Cのカレー🍛を安くて早く味わいたいなら、こちらがおすすめであります。

立ち食いそば屋のカレー🍛と言えば、新潟万代バスセンター(新潟県新潟市中央区)にある万代そばのカレー🍛が有名であります。

本日(10月13日)は、金曜日であり、カレーの日でもあります。

京王グループの立ち食いそば店は、高幡そば、万葉そば、たまの里(夜は居酒屋となる)があり、高幡そばは、明大前、高幡不動の両駅、万葉そばは、つつじヶ丘駅、たまの里は、笹塚、府中、高幡不動、高尾、京王多摩センターの各駅にあります。

3月31日までは、新宿南口にもたまの里の店舗がありました。

夏季に京王百貨店新宿店の屋上で行われているビアガーデンも、レストラン京王による運営となっています。

明大前駅と高幡不動駅にある高幡そばは、鳥中華が名物となっています。

鳥中華は、山形県のB級グルメであり、その名の通り、そばつゆの中に中華麺(ラーメン)と鶏肉が入っているので、蕎麦店から生まれたラーメンとして親しまれています。

こちらは、和洋折衷ならぬ、和中折衷であります。


山形県は、長野県や北海道と並ぶ有名なそば(蕎麦)の産地でもあり、そば屋さんが軒を連ねています。



カレーうどんやカレー南蛮そばは、和洋折衷であり、高幡そばや万葉そばでは、C&Cのカレーが使われています。

詳細は、「フレンテ明大前」、「カレーショップC&C」、「レストラン京王」、「高幡そば」、「万葉そば」、「たまの里」で検索。

笹塚駅は、外側が京王線、内側が京王新線が入った2面4線の高架駅であり、1978(昭和53)年7月21日に高架化されていました。

同年10月31日の京王新線の開業により、現在の形となっています。

京王新線は、新宿~笹塚間の複々線化並びに京王線と都営地下鉄新宿線を繋ぐ路線として出来た路線であり、甲州街道の真下を通る地下トンネル規格の路線となっているので、都営新宿線の乗り入れ規格でない7000系や8000系も、早朝、深夜に乗り入れることもあります。

中間に初台、幡ヶ谷の両駅(地下駅)のある地下鉄風味の路線であり、早朝、深夜を除いて都営新宿線乗り入れ列車で占められていることから都営新宿線の延長部分のイメージが強いけど、地下鉄のようで地下鉄でない路線で、地下鉄10号線計画とは無関係であります。

JR東日本の横須賀・総武快速線の品川~東京~錦糸町間及び京葉線の東京~潮見間も、地下鉄風味のある地下トンネル区間となっています。

笹塚駅の乗り場は、1番線が京王線新宿駅からの京王線下り列車(調布、京王八王子、高尾山口、橋本方面) 2番線が京王新線、都営新宿線からの京王線下り列車、3番線が京王新線(幡ヶ谷、初台、新線新宿、都営新宿線方面)、4番線が京王線上り(京王線新宿行き)で、上り線側に渡り線があるので、3番線から発車する京王線新宿行き、4番線から発車する京王新線の列車も設定されています。

笹塚駅の代田橋寄りには、留置線が2本あり、夕暮れの富士山🗻🌆を眺めることも出来ます。

笹塚駅のトイレ🚻は、1階部分にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されています。

個室のほうは、全て洋式🚽となっています。

1階の改札口から中2階へと上がり、方向別の階段、エスカレーター、エレベーターで再び2階のプラットホームに上がることになるけど、1階と中2階を結ぶエレベーターもあるので安心であります。

笹塚の由来は、周辺にある一里塚が、笹藪(やぶ)に覆われていたことであります。

渋谷区のホームページには、それぞれの地名の由来が出てきています。

笹塚駅の南側にあるメルクマール京王笹塚は、京王重機整備の本社ビルであり、フレンテ笹塚、渋谷区立笹塚図書館なども入っています。

笹塚駅の高架化にある京王クラウン街は、京王の王の字繋がりによる王冠(CROWN)👑が由来となっています。

トヨタ自動車(TOYOTA)の高級乗用車であるクラウン(CROWN)も、王冠👑が由来であり、高級車専門のレクサス(LEXUS)ブランドが日本に進出した後も、トヨタ(TOYOTA)ブランドの最高峰であることが守られています。

4年ぶりにモデルチェンジされた、新型のクラウン(CROWN、16代目)は、昨年7月15日に発表され、9月1日にクロスオーバーが発売されていました。

今回からは、従来のセダンタイプのモデルに加え、ハッチバックのクラウンスポーツ、SUVタイプのクラウンクロスオーバー、クラウンエステートから成る4つのテイストを持った、トヨタ(TOYOTA)伝統の最高峰の高級乗用車となっているのが特徴であります。

前面やステアリングにあるクラウンマーク👑は、クラウン(CROWN)の伝統であります。

新型のクラウン(CROWN)は、現在のプリウス(PRIUS、ハイブリッド乗用車の元祖)に似ているところがあります。

10月6日には、クラウンスポーツが発表され、11月中に発売される予定となっています。

詳細は、「トヨタクラウン」、「クラウンクロスオーバー」、「クラウンスポーツ」で検索。

クラウン(CROWN)繋がりによりこのことを話題にしました。

京王クラウン街は、笹塚のほか、聖蹟桜ヶ丘、多摩センターにもあります。

京王百貨店や京王プラザホテルのマークも、王冠👑がモチーフとされています。

笹塚ショッピングモールTWENTY ONE
(21)は、東側にあるショッピングモールであり、QUEEN'S ISETAN(クイーンズ伊勢丹、丸の内キャピタル及び三越伊勢丹グループのスーパーマーケット)の笹塚店などが入っています。

詳細は、「フレンテ笹塚」、「京王クラウン街笹塚」、「笹塚ショッピングモールTWENTY ONE」、「笹塚ショッピングモール21」、「QUEEN'S ISETAN」、「クイーンズ伊勢丹笹塚店」で検索。

昨年3月12日のダイヤ改正で、特急が準特急との統合により、笹塚駅に停車するようになってからは、京王新線や都営新宿線との乗り継ぎにも便利になり、これまでの明大前、笹塚の両駅での2回での乗り換えから、笹塚駅での1回の乗り換えで済むようになったのであります。

京王線の笹塚→新宿間の上り線の地下トンネルに入る手前に上り列車しか通過しない単線踏切が残されているけど、こちらは、幡ヶ谷3号踏切となっているので、1983(昭和58)年7月17日の新宿~笹塚間の第三次地下化(地下区間の延長)が行われる前の名残があります。

京王線の笹塚→新宿間の上り線の地下トンネルの入口だけが幡ヶ谷駅寄りにずれている理由は、京王新線との交差の関係であり、踏切を除去することが困難であることによって、このような片方しか通過しない踏切が残されたのであります。



調布駅始発新宿行きの特急は、土休日の16時31分と16時51分発の2本設定されており、競馬シーズン🏇に府中競馬正門前始発の特急となります。

これらの列車は、西武鉄道新宿線で、土休日ダイヤに田無駅始発の急行西武新宿行き(18時54分発と19時24分発の2本、途中、上石神井、鷺ノ宮、高田馬場の各駅に停車)が設定され、シーズンに多摩湖駅始発となることに似ているところがあります。

次回の競馬開催日は、10月14日と15日の予定となっています。

昨日(10月12日)の記事で紹介した、JR南武線との乗換駅である分倍河原駅は、どちらも2面2線の相対式ホームで、東西方向に延びる立川崖線に沿った構造となっていることにより、JR線ホームが下に、京王線ホームが上に配置されています。

京王線ホームは、中河原(京王八王子、高尾山口)寄りが盛り土の高架式、府中(新宿)寄りが地上であり、改札口はその中間の2階にあります。

JR線との連絡改札口は、2階の改札口側と京王1番線(下りホーム)側(こちらは22時まで)にあるけど、コンコースが狭い為に、ラッシュ時に混雑が激しくなるという欠点があるので、改良工事が検討されています。

駅舎は、京王電鉄管理で、改札口が分かれているけど、かつて改札口が共通となっていました。

JR線の下りホーム(2番線、立川方面)の府中本町(川崎)寄りには、平日の朝ラッシュ時限定の臨時改札口があり、東芝デジタルソリューションズの分倍河原事業所への通勤客等に使われています。

このことは、向河原駅にNEC口があることと同様であります。

分倍河原駅のトイレ🚻は、京王線側が改札口のある2階(改札内)、JR線側が下りホーム側(2番線、ホームトイレ)にあり、どちらも車椅子対応多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が併設されているけど、JR線側の場合は、男女別の通常のトイレ🚻が跨線橋の下、だれでもトイレ🚻♿🚽が臨時改札口付近と離れています。

分倍河原駅には、京王線、JR線側共にエレベーターがあるけど、エスカレーターはないです。

開業当時の分倍河原駅は、京王線、南武線共に、府中宿の屋敷分村に因んで屋敷分駅と呼ばれていました。

1929(昭和4)年には、現在の分倍河原駅となっています。

分倍河原は、鎌倉時代に分倍河原の戦いが行われていた場所であり、府中市分梅町の新田川分梅公園に分倍河原古戦場碑が、分倍河原駅の駅前ロータリーに、新田義貞公の像があります。

分倍河原駅付近には、府中市郷土の森博物館があり、分倍河原駅から京王バスまたは徒歩で行くことが出来ます。

周辺にある交通遊園には、D51型蒸気機関車(デゴイチ)の296号機、EB10型電気機関車の1号機、都電6000形の6191号車、京王バスのA44902号車(UD車)が展示されています。

A44902号車は、練馬200か・・26号車として中野営業所所属の路線として活躍していました。

詳細は、「府中市郷土の森博物館」で検索。

日中の京王線新宿口の各駅停車は、京王八王子行きと高尾山口行きが交互に運転されており、北野駅で特急に(から)接続することになっています。

新宿駅から特急京王八王子行きに乗ったら北野駅で各駅停車の高尾山口行きに接続することになるけど、高尾山口行きの特急の場合はその逆となります。

新宿駅から特急の京王八王子行きに乗り、北野駅で接続する高尾山口行きに乗り換えたほうが、後続の特急高尾山口行きよりも早く着くことになります。

京王八王子行きの京王ライナーも、北野駅で高尾山口行きに接続しています。

京王八王子駅は、地下1階に中央口改札、地下2階にプラットホームと西口改札があり、どちらもエスカレーターやエレベーターが設けられているバリアフリー型の駅となっています。

プラットホームは、地上時代と同様の1面2線の島式ホームであり、接近メロディーに、FUNKY MONKEY BABYS(八王子市出身のロックバンド)の曲(1番線はヒーロー、2番線はあとひとつ)が使われています。

FUNKY MONKEY BABYSは、2013(平成25)年6月に一旦解散していたけど、昨年3月にファンキー加藤、モン吉両氏により再結成されていました。

詳細は、「FUNKY MONKEY BABYS」で検索。

京王八王子駅のトイレ🚻は、中央口の改札内と、西口の改札外の2ヶ所あり、どちらも車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽もあります。

京王八王子駅の駅ビル(中央口に直結)である京王八王子ショッピングセンター🏢は、1994(平成6)年9月15日に開業した当時は、KEIO21(ケイオウツーワン)と呼ばれていたけど、1999(平成11)年3月27日のリニューアルにより、K-8 KEIHACHIとなっています。

その1階には、バスターミナル🚌があり、京王電鉄バス、京王バス、西東京バスの各路線バス🚌や、羽田、成田の両空港✈️などへの(からの)高速バス🚌が発着しています。

京王八王子発着の高速バス🚌は、2007(平成19)年3月31日まで、西口にあった京王八王子高速バスターミナルから発着していました。

京王八王子高速バスターミナルの跡地は、日産レンタカー(その名の通りの日産車(NISSAN)専門のレンタカー)の八王子駅前店となっています。

詳細は、「日産レンタカー」で検索。

日産レンタカーは、大手のレンタカー会社である、ニッポンレンタカーと名前が似ていて紛らわしい点があるので注意が必要⚠️であります。

K-8 KEIHACHIの5階にあるポポンデッタwith京王トレインパークには、ジオラマがあり、ヘッドマークなども展示されています。

詳細は、「K-8」、「KEIHACHI」、「ポポンデッタ」、「ポポンデッタwith京王トレインパーク」で検索。

京王八王子駅付近にある東京都立南多摩中等教育学校🏫へは、西口からのほうが近いです。

京王八王子駅が地下化されたのは、1989(平成元)年4月2日のことであり、それ以前に使われていた地上駅は、現在と同じ1面2線の島式ホームで、8両編成までしか入ることが出来なかったです。

以前京王八王子行きの10両編成の列車で、高幡不動駅での分割・併合が生じていたのはその為でありました。

京王八王子駅、JR八王子駅から出ている昼行高速バス🚌💺は、高崎、伊香保温泉♨️、四万温泉♨️線(西東京バスと関越交通(東武グループ)による共同運行)だけとなっています。

八王子ラーメン🍜は、八王子市のご当地ラーメン🍜であり、醤油味のスープに刻んだ玉ねぎ🧅が入っているのが特徴であります。

そのうちのみんみんラーメン本店(楢原町にある)🍜は、特に有名であり、八王子、京王八王子駅から上川霊園、サマーランド行きの西東京バス🚌で行くことになります。

詳細は、「八王子ラーメン」、「八王子ラーメンみんみん」で検索。

西東京バス(京王グループの多摩西部のバス会社)では、3月29日に中国(中華人民共和国、China)🇨🇳のBYD社(比亜迪汽車工業有限公司)製のK8という大型路線バス)🚌🔋が予定よりも遅れて営業運転が開始されていました。

こちらは五日市営業所(あきる野市)に2台、同青梅支所に1台(どちらも八王子ナンバー)が導入されているけど、五日市所属車に関しては、京王八王子バスターミナル(K-8)に乗り入れているので、K-8に乗り入れるK8型電気バスであります。

電気バスのK8は、「ケーエイト」と読みます。

高尾山口駅は、高尾山の玄関口である1面2線の高架駅であり、高尾山⛰️に近いことにより、緑に囲まれた駅となっています。

2015(平成27)年4月には、高尾山口駅の駅舎が高尾杉が生かされたものに改築され、駅前広場が拡張されていました。

同年10月27日に京王高尾山温泉/極楽湯♨️が開設されてからは、高尾山での楽しみが増えたのであります。

高尾山口駅には、エスカレーターがない代わりにエレベーターがあるので、バリアフリーステーション♿となっています。

そのエレベーターは、行楽シーズンに行列が出来るので、階段での昇り下りが可能な人は、なるべく階段を使って下さいということになります。

駅前に靴洗い場があるので、登山の玄関口らしさを感じました。

高尾山口駅付近にあるTAKAO599 MUSEUMは、自然史博物館と市民ギャラリーから成るコミュニティー施設であり、高尾山に纏わるものが展示されています。

こちらの入館は無料なのが嬉しいと思います。

高尾山は標高599mなので、TAKAO599 MUSEUMの由来となっています。

このことで、2004年3月まであった、前身の東京都高尾自然科学博物館を思い出しました。

詳細は、「TAKAO599 MUSEUM」、「高尾599ミュージアム」で検索。

高尾山口駅前を流れる川は、南浅川の支流である案内川であり、来年度中に公園として整備されることになります。

高尾山口駅から高尾山ケーブルカーの清滝駅(高尾山麓)や登山口へと向かう途中に、京王線なら乗り換えなしで新宿まで!という看板があるけど、先頭部分を入れて撮影することも出来ます。

京王高尾山温泉/極楽湯♨️は、高尾山口駅前にある、緑の中の日帰り温泉施設であり、マイナスイオンを感じることが出来ます。

高尾山温泉のある場所は、京王電鉄所有の土地であり、温泉が堀り当てられたことで、高尾山の温泉が実現したのであります。

高尾山温泉が出来たことにより、登山🥾を楽しんだ後に温泉♨️で登山の疲れを癒すことも出来るようになったので、高尾山に行く楽しみが増えたのであります。

京王高尾山温泉/極楽湯の建物は、2階建てであり、高尾山口駅のプラットホームと同じレベルの1階は、フロントやお食事処🍴、うたたね処、ほぐし処(リラクゼーションサービス)等、2階は男女別の浴槽♨️があり、男湯♨️🚹️は西側(階段やエレベーターを上がって右側)、女湯♨️🚺️は東側(階段やエレベーターを上がって左側)に固定されています。

浴槽は、内湯が檜風呂(マイクロバブル)と替り風呂、露天風呂が炭酸石張り風呂、座り湯、天然温泉の露天岩風呂(ぬる湯とあつ湯)から成っており、岩風呂のあつ湯は、階段を5段上がった高い場所にあります。

替り風呂は、男女共に週替わりであり、10月9日から明後日(15日)までは、ジャスミンの湯、翌週の16日から22日までは、海洋深層水風呂の予定となっています。

8周年記念ウィークである10月23日から29日までは、薔薇の湯であり、8周年当日の10月27日には、生花入りとなります。

ここにあるお食事処(レストラン京王による運営)🍴では、とろろそばなどを味わうことも出来るけど、高尾山冬そばキャンペーンの対象外となるので注意が必要⚠️であります。

京王高尾山温泉極楽湯のお食事処🍴🍻の豆腐は、高尾の摺差(するさし)地区(小仏峠に向かう途中)にある峰尾豆腐店のものが使われており、冷奴などで味わうことが出来ます。

秋冬のおすすめメニュー(9月1日~)は、
サーモンといくらの親子重 ミニとろろそばセット(舞茸天付き、1680円)、秋の味覚 海老と舞茸の天ざるそば(1380円)、自家製とろとろチャーシューの魚介豚骨つけめん(1050円)、本格四川風麻婆豆腐定食(ザーサイ、スープ、ライス付き、1080円)であり、麻婆豆腐の単品は800円であります。

こちらの麻婆豆腐の豆腐も、峰尾豆腐店のものが使われています。

高尾山温泉のカレー🍛は、京王グループ(レストラン京王)らしくC&Cのポークカレー(カツカレーにすることも出来る)が使われており、ミニサラダ🥗がセットとなっています。

高尾山温泉のカレー🍛も美味しい😋🍴💕と言われているのは、28種類のスパイスが生かされているC&Cのカレーソースが使われているからであります。

こちらでも、八王子ラーメン🍜🧅を味わうことも出来ます。

京王高尾山温泉/極楽湯♨️は、西武秩父線の西武秩父線前(埼玉県秩父市)にある、西武秩父駅前温泉祭の湯♨️と同様に駅から近いことに加え、構内に高尾山口発の列車の時刻が表示されているので、とても便利であります。

入館料は、前払いであり、平日は大人(中学生以上) 1100円、小児(4歳~小学生) 550円、土休日及び繁忙期は、1300円(小児は650円)であり、ゴールデンウィーク期間中や11月の紅葉シーズン🍁には、繁忙期となるので、平日でも休日料金が掛かることになります。

食事だけでも入館料が掛かるので、ついでに入浴を楽しむことをおすすめします。

こちらは、温泉に入らないと勿体ないと思っています。

高尾山温泉は、美肌の湯なので、女性客にも人気があります。

7月4日に入ってみて、つるつるのお湯であることを感じたのであります。

アクセスや泉質の良さに加え、マイナスイオンを感じることが出来ることにより、女性客はもちろんのこと、男性客にも人気があるのもそのはずであります。

詳細は、「高尾山温泉」、「京王高尾山温泉極楽湯」で検索。

自分(しゃもじ)が京王と高尾山を話題にする度に高尾山温泉のことを書く理由は、京王グループだからであることはもちろんのこと、自分(しゃもじ)のおすすめの場所であるからであります。

10月1日からは、京王線・井の頭線の運賃が改定されたと共に、京王ポイントサービスが開始されていました。

こちらは、事前に京王アプリ内で会員登録をし、登録したPASMOを使って電車に乗るだけでポイントを貯めることが出来ます。

貯まったポイントは、PASMOにチャージすることや、京王ポイントとして使うことが出来ます。

乗れば乗るほど付与率がUPされることでお得であり、小児用PASMOの場合は、パパママサポートとして、50%還元されます。

このサービスは、モバイル系(モバイルPASMO(Android)またはApple PayのPASMO(iPhone))や京王パスポートクラブによるクレジット機能付きを含めたPASMOのみ有効であり、SuicaやICOCAなどの他の交通系ICカードでは適用されないので、注意が必要⚠️であります。

詳細は、「京王ポイントサービス」で検索。

西武鉄道では、10月8日から11月26日までの予定で、スタジオツアー東京エクスプレスの20152Fが新宿線系統で運転されています。

東急3020系の3121Fは、9月26日の平日02K運用の浦和美園 8時58分発の大和行きで、相鉄線直通運用にも進出していたことを聞きました。

相模大塚の留置線に入り、海老名駅まで回送され、平日01K運用のうちの海老名 15時04分発の都営三田線直通の西高島平行きに入っていました。

3122Fも、相鉄線の防護無線が取り付けられ、相鉄線に乗り入れる予定となっています。

本日(10月11日)は、3121Fが平日07K運用、3123Fが11→12K運用に入っていました。

JR東日本では、羽越線特急いなほ号に使われていたE653系のU002編成が勝田車両センター(水カツ)に出戻りとなり、かつての485系と同様の水色塗装に変更された上で、10月14日からK71編成として臨時列車用として使われることになります。

9月9日は、国鉄特急風塗装のK70編成との並びの撮影会が行われていました。

E657系のオレンジ塗装(K3編成)は、9月30日に勝田車両センターで行われた「勝田車両センター×水郡線統括センター コラボイベント 橙色E657系電車・キハE130系気動車 車両撮影会」で初お披露目されていました。

10月1日は、K3編成が体験王国いばらき号として上野→水戸間で運転され、10月2日は、ときわ62号→ひたち11号→ひたち22号→ときわ75号の流れで運転され、初の一般での営業運転に入っていました。

10月9日は、品川駅で撮影してきたので、こちらも後日書く予定であります。

10月28日(土)の朝には、勝田車両センターで、リバイバルカラー5色並びの撮影会が予定されています。

9月3日は、品川クラブeX(クラブエックス、品川プリンスホテル内にあるライブハウス)で行われた、kawaii girls fes atで、ぽけっとファントムのメンバーと久しぶりに再開することが出来たことに加え、新メンバーである、ありはらりな氏と初対面することが出来て良かったです。

詳細は、「ぽけっとファントム」で検索。

あの時以来自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動がないので、早くアイドルに会えない長いトンネルから脱出したいです。あれから1ヶ月経ってしまいました。

早くアイドルに会いたい❗빨리 보고 싶어요(パルリ ポゴ シポヨ)❗

8月20日は、代々木公園で行われた、あーにゃこと伊藤蒼姫氏😸のオフ会であるもっふ会に行き、あーにゃ😸とデート気分を味わうことが出来ました。

この時に会話することはもちろんのこと、一緒に歩くことが出来たので、良い運動となりました。

あーにゃ😸は、しゃもじさん🐰に出会えて良かったと言っていたので、ご満悦の様子でありました。

同行していたあにゃママ(あーにゃの母親)🐈️ともお話することも出来たけど、当ブログをたまに見てると言っていたので、感謝しています。

あーにゃ😸は、スペーシアXも話題にしていました。

代々木公園での散策は、風が気持ち良かったです。

5枠あったうちの3枠が埋まったけど、自分(しゃもじ)も埋めておいて正解でありました。

9月24日は、千葉県の稲毛海岸でおこなわれたあーにゃのもっふ会に行かれなかったのが残念でした。

7月23日は、横浜みなとみらいのランドマークホールで行われた、きみにYORISOERU(きみより)が出てきた対バンライブである、アイドルアラモードプチvol.53に行くことが出来ました。この時にYORISOERU時代の昨年夏に果たせなかった初恋サマーバケーションを初めて生で聴くことに大成功しました。

1推しの、ほののんこと永井穂花氏💚はもちろんのこと、きみよりのメンバーたちから、しゃもじ🐰に会えて良かったと言われました。

9日の単独定期公演では、新曲と新衣装が発表されていたけど、どちらも良い感じでありました。

7月15日は、渋谷にあるGARRET udagawaで行われた、ぶどう党の新体制公演に行き、新メンバーの佐野きずな氏と初めて出会うことが出来ました。

自分(しゃもじ)がぶどう党の現場に行ったのは、昨年6月26日以来1年ぶりでありました。

この時に、美咲華、天野ひかり両氏と再会することが出来たのであります。

8月9日は、たまプリの新メンバーの相沢瞳氏のお披露目ライブが行われていたけど、行かれなかったのが残念でした。

未だ会えていないので早く会いたいです。

9月11日は、Zepp Shinjuku(東急歌舞伎町タワー内にあるライブハウス)で、ハイスピ(HIGH SPIRITS)のワンマンライブが
行われたけど、仕事で行かれなかったのが残念でした。

自分(しゃもじ)から見たきみよりをJALこと日本航空(日航機、JAPAN AIRLINES)✈️🇯🇵の飛行機✈️🇯🇵に例えているので、6月2日のきみよりのワンマンライブに自分(しゃもじ)が参戦していたら、JALこと日本航空(日航機)✈️🇯🇵のエアバスA350-900型機やボーイング787型機(ドリームライナー)に例えていたところでした。

このことは、9月11日のハイスピのワンマンライブや10月6日の有栖なな氏の卒業公演に行かれなかった時にも言っていたけど、自分(しゃもじ)から見たハイスピもJALこと日本航空(日航機、JAPAN AIRLINES)✈️🇯🇵の飛行機に例えているのでそのはずであります。

JAL✈️🇯🇵は、スーツ氏👔がよく乗る航空会社であり、その影響によりお気に入りとなっています。

きみよりのワンマンライブのTシャツは、白色であり、胸元のシンプルなKIMIYORIの文字が、JALの飛行機✈️🇯🇵の機体に描かれているJAPAN AIRLINESの文字に似ているところがあります。

ハイスピ(HIGH SPIRITS)では、泉いろは氏が2年ぶりの新メンバーとして加入し、10月26日に初お披露目される予定となっています。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

こちらは飛ばしても構いません。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

京王線、井の頭線の路線、時刻、運賃、運行状況等の詳細は、京王電鉄のホームページを見るか、「京王線」、「京王井の頭線」、「京王ライナー」で検索願います。

京王線や井の頭線のヘッドマーク付き電車、7000系を撮影する時には、マナーを守ってもらいたいと思っています。

今宵はここまでに致しとうござりまする。