4月1日は、馬喰町から東京まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)総武快速線のE217系のY-18編成(クハE217-18F)+Y-113編成による、東京行き🚃に乗りました。

今回乗った列車は、土休日1646F運用(全区間15両編成)で、JR総武快速線の津田沼駅(千葉県習志野市)を16時29分に発車し、途中、船橋、市川、新小岩、錦糸町、馬喰町、新日本橋の駅の各駅に停車してから東京駅の横須賀・総武地下ホームへと向かうことになります。

折り返しは、東京駅を17時16分に発車する、千葉行きであります。

その前に錦糸町から馬喰町まで乗ったE217系は、千葉 16時12分発の横須賀線直通の久里浜行き(1636F→1637S)であり、後ろの11両は、Y-22編成に当たっていました。

E217系🚃は、近郊型車両初の4ドア車(当時導入が進められていた通勤型車両の209系がベース)で、209系にサロ124(113系の一部に連結されていた2階建てグリーン車)を入れたような感じの車両であり、1994(平成6)年から1999(平成11)年までの5年間に、スカ色の電車として親しまれていた113系の置き換え用として、11両基本編成51本561両、4両付属編成46本184両の計745両が、川崎重工業兵庫工場(Kawasaki)、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所)、大船工場(のちの鎌倉総合車両センターで、現在は工場地区が廃止されて鎌倉車両センターとなっている)で製造されていました。

E217系がデビューしたのは、1994年12月3日(プレイステーション(PlayStation、PS1(元祖プレステ))📺🎮の発売日でもあった)のことであり、当初は逗子~東京~成田空港✈️間での15両編成の固定運用となっていました。

E217系が209系(通勤型車両)ベースの4ドア車であることにより、2000(平成12)年にデビューしたE231系から通勤型と近郊型の共通設計となったきっかけとなり、それがE233系やE235系に受け継がれています

これによって、E217系の後継の近郊型車両が、E219系ではなく、E231系の近郊バージョンとなったのであります。

中央快速線のE233系がトイレ🚻付きとなり、今後グリーン車が組み込まれた12両編成へと進化し、通勤型車両から近郊型車両に格上げされることになるのは、通勤型と近郊型の共通設計だからこそであります。

E217系は、近郊型初の4ドア車(普通車のみ)であるので、導入線区に比較的混雑が激しい横須賀・総武快速線が選ばれていたけど、その置き換え用として導入されているE235系の近郊バージョンにも4ドア車が受け継がれています。

国鉄時代までは、近郊型車両は3ドアが当たり前だったけど、国鉄末期の1986(昭和61)年から民営化(JR化)後の1991(平成3)年までの間に導入された211系も普通車が3ドアとなっていました。

もしも横須賀・総武快速線の113系が211系によって置き換えられていたら、混雑に対応出来ないどころか、総武快速線の錦糸町~千葉間や横須賀線での120Km/h運転に対応出来なかったところでありました。

東海道線(東京~熱海間)で活躍していた211系では、国鉄時代に導入された初期型が10両の基本編成がセミクロスシート、5両の付属編成がロングシートとなっていたけど、混雑が激しくなった為に基本編成の普通車をロングシートに変えたことで凌いでいました。

やはり3ドアということで、乗り降りに時間が掛かっていたのも言うまでもないです。

総武快速線は、最高130Km/hである成田エクスプレス(NE'X)との競合区間であるので、遅延回復対策により、100Km/hまでしか出せなかった113系が、120km/hまで出せる4ドア車のE217系に置き換えられたのもそのはずであります。

E217系とE235系1000番台(近郊バージョン)の運転区間は、横須賀線(東京~逗子~久里浜間)、総武快速線(東京~千葉間)、総武本線(千葉~佐倉~成東間)、成田線(佐倉~成田~香取間、成田~成田空港✈️間)、外房線(千葉~蘇我~上総一ノ宮間)、内房線(蘇我~君津間)、鹿島線(香取~鹿島神宮間)であり、E235系1000番台(近郊バージョン)の初日の2020(令和2)年12月21日は、大船~東京~君津間と千葉~佐倉間で運転されていました。

E235系1000番台(近郊バージョン)は、現在までに基本編成26本、付属編成が23本が営業運転入りしていたけど、一時期、JR相模線、JR宇都宮・日光線へのE131系(同じ総合車両製作所新津事業所製)の導入が優先された為に導入が中断されていたことがありました。

一昨日(6月22日)は、F27編成(11両基本編成)が新津から大船まで、EF64型電気機関車の1032号機の牽引による配給輸送が行われていました。

J24編成(4両付属編成)は、6月8日に配給輸送済みであります。

E235系1000番台の導入により、廃車となったE217系は、11両基本のY-1,3,4,5,6,7,9,10,11,12,13,16,17,25,43,44,45,47,48,49,50,51編成の22本

4両付属のY-105,107,111,114,115,118,121,123,124,125,126,127,135,137,143,144編成の16本となっています。

今後廃車となるE217系は、インドネシア🇮🇩に輸出される計画があったけど、残念なことに、新型車両の導入により中止となってしまいました。

1999年12月に113系からE217系への置き換えが完了した時点では、E217系が大船電車区→鎌倉総合車両所と幕張電車区(現、幕張車両センター、千マリ)に分散配置されていたけど、鎌倉所属編成は、F編成、幕張所属編成は、R編成となっていました。

2006年3月18日には、鎌倉車両センターに集中配置されるようになり、Y編成(11両基本編成は0番台、4両付属編成は100番台)に変更されていました。

F編成は、E235系1000番台の11両基本編成、R編成は、E131系0番台(内房線、外房線の木更津~安房鴨川~上総一ノ宮間のUの字運用と、成田・鹿島線の成田、佐原~鹿島神宮間用)に受け継がれています。

E217系🚃は、2001(平成13)年12月1日から2004(平成16)年10月15日までの間、215系(一昨年(2021(令和3)年)3月12日まで湘南ライナー(特急湘南号の前身)に使われていたオール2階建て車両、DDL)と共に、湘南新宿ラインの新宿折り返しの列車(新宿~横須賀、久里浜間)にも使われていました。

E217系の座席は、1~3,6~8号車(基本編成)と増1~4号車(付属編成)がロングシート、9~11号車がセミクロスシート、4号車と5号車(グリーン車💺🍀)が回転リクライニングシート💺であるけど、E235系では、9~11号車もロングシートとなっているので、普通車全車ロングシートとなってしまいました。

セミクロスシートが廃止されてしまったことによる不満の声があるけど、混雑率や付属編成がオールロングシートであることを思うと納得いく状態であります。

中央快速線のE233系も、普通車がオールロングシートとなっているので、グリーン車組み込み後には、横須賀・総武快速線のE235系みたいな編成となります。

E217系のトイレ🚻は、1号車が車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽、11号車と増1号車が和式トイレ、5号車(グリーン車)が通常幅の洋式トイレ(化粧室付き)🚻🚽となっているけど、E235系では、普通車(1,6号車と増1号車)のトイレが全て車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽となり、付属編成側(増1号車)のトイレが初の洋式🚽となっています。

113系のトイレのほうは、グリーン車を含めて全て和式であった為に、かつて183系によって上野~成田空港間(常磐線、成田線経由)で運転されていたエアポート常磐号(こちらも和式トイレしかなかった)と同様に、成田空港アクセス列車には適していない状態でありました。

それだけでなく、バリアフリー非対応ともなっていました。

1994年12月3日にデビューした当時は、バリアフリー法が施行される前だったことにより、普通車が和式トイレ、グリーン車が洋式トイレ🚽となったけど、1997(平成9)年に導入された編成からは1号車のトイレ🚻が車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽となり、Y-21編成以前の編成では、1号車が車椅子対応トイレ(だれでもトイレ)🚻♿付きの新造車に差し替えられ、捻出された先頭車が、増1号車に回されていました。

E235系近郊バージョンのトイレ🚻のほうは、E231系の後期型やE233系と同様にグリーン車を含めて全て洋式🚽となっているけど、E217系とは異なり、11号車にはないので、注意が必要⚠️であります。

E217系が導入された当初は、東京トンネル区間(品川~東京~錦糸町間)を通る時に、地下鉄と同様に貫通ドアを取り付けることが義務付けられていたけど、法改正により、1999年1月に導入された編成から貫通ドアが廃止され、貫通ドア付きと同じ外観の非貫通車となっています。

東京トンネル区間がATCからATS-P化されたのは、2004年2月29日のことであり、地上信号機🚦が取り付けられるようになったので、その後にATC化された井の頭線を含めた京王電鉄の路線全線や東武東上線の池袋~小川町間とは逆の現象となっていました。

これにより、ATCなしの車両(非ATC車)を横浜方面から千葉方面(或いはその逆)に直通させる時に新宿駅を経由させる必要が無くなっています。



E217系の1,11号車と増1号車にATC装置が取り付けられていたのはその為であり、E235系近郊バージョンではATC装置が省略されています。

横須賀・総武快速線の付属編成が12~15号車ではなく、増1号車~増4号車となっている理由は、東京駅発着列車で有楽町(品川)寄りに来る車両を1号車とする決まりがあり、逗子駅での留置線の配線の関係により、東京・千葉寄りに付属編成を連結することが出来ない為に反対側の1号車の隣に連結されているからであります。

11両基本+4両付属のスタイルは、2006(平成18)年3月17日まで存在していた東海道線の113系でも見られていました。

2006年3月18日から2015年3月13日までの間、E217系の初期型編成(3編成)が東海道線の東京~熱海間(湘南帯)で活躍していたこともあったけど、E231系やE233系と揃える為に10+5編成に組み替えられ、15両固定で扱われていたので、比較的狙いやすかったです。

総武快速線で120km/hが行われる区間は、線形の良い市川~船橋間(特に下総中山駅付近)であり、E259系による成田エクスプレスなどの特急🚃💺✈️も、130Km/hで快走することになっています。

東京駅と新橋駅は、横須賀・総武快速線の地下ホーム発着となります。

横須賀・総武快速線の東京駅地下ホームは、丸の内側の地下にあり、地下1階が改札口、コンコース、地下5階がプラットホーム(2面4線)であり、成田空港行き✈️の成田エクスプレスは、総武地下ホーム4番線(Track No.4)、成東、銚子方面の特急しおさい号は2番線、成田空港✈️からの横浜、新宿方面の成田エクスプレスは1番線または2番線からの発着となっています。

こちらのトイレ🚻は、地下1階と地下4階にあります。

南側にある京葉線の東京駅地下ホームも、2面4線で似たような構造となっているけど、京葉線地下ホームのほうが深いです。

田浦駅はトンネルとトンネルの間に挟まれた駅で、10両分しか入れないことにより11両編成で運転される時に前の1両分がはみ出してしまう為に、先頭車両(横須賀、久里浜方面は1号車、大船、東京、千葉方面は11号車)と先頭から2両目の前寄りのドアが開かないので、当該のドアに注意を促す為のステッカーが貼られています。

このことで、田浦駅で降り損ねたうらとないように注意が必要⚠️であります。

横須賀線の11両編成で田浦駅でドアが開かない車両は前と覚えておくのも良いと思います。

1999年12月3日まで横須賀線で活躍していたスカ色の113系(3ドア車)では、先頭車のみドアカットが行われていました。

スカ色の113系と聞いて懐かしいという声が聞こえているけど、こちらは古都鎌倉の風景にもマッチしていました。

房総ローカルでは、2011(平成23)年までスカ色113系が活躍していたのであります。



E217系のY-113編成は、113系が活躍していた頃を思い出すような番号であります。

日中の逗子~久里浜間では、E217系またはE235系近郊バージョンの4両編成(グリーン車なし)による区間運転(H運用)が運転されているけど、田浦駅では、全てのドアが開くことになります。

逗子~横須賀~久里浜間の各駅は、11両編成までしか入れないので、15両編成による横須賀、久里浜行きの場合には必ず、逗子駅で前の4両(増1~4号車)が切り離されることになっているけど、基本編成と付属編成の間を通り抜けることが出来ないので、逗子駅で後ろの車両に乗り換える必要があります。

横須賀・総武快速線の列車番号は、総武快速線がF、横須賀線がSであり、総武快速線⇔横須賀線の直通列車の列車番号は、東京駅を境に変わることになっているので、列車番号が+1(例、1900F→1901S)となると共に、FからS(或いはその逆)となります。

総武快速線が開業したのは、1972(昭和47)年7月15日の東京~津田沼間のことであり、錦糸町~津田沼間が複々線化され、総武本線の始発駅が両国駅から東京駅に変更されていました。

快速の運転区間は千葉駅までだったけど、当時は稲毛駅を通過していたのであります。

東京~錦糸町間は、国鉄初の都市内トンネル(地下トンネル区間)であり、途中に新日本橋、馬喰町の両駅(地下駅)が設けられているので、京葉線の地下トンネル区間(東京~潮見間)と同様に、地下鉄風味の区間となっています。

この地下トンネル区間はATCが使われていたので、長大トンネル通過のA-A基準にも適合していた113系の1000番台や183系0番台が導入されていました。

1976(昭和51)年10月1日には、東京駅地下通路の混雑緩和により、総武快速線の東京~品川間が先行開業し、新橋駅の地下ホームが設けられていました。

1980(昭和55)年10月1日には、横須賀線の東京~大船間が東海道線と分離されて品鶴(ひんかく)線経由となり、東京~品川間の地下トンネル区間が横須賀線に編入された上での総武快速線との直通運転が開始されたことにより、横須賀線と総武快速線が1本で結ばれるようになっていました。

1980年9月30日以前の横須賀線は、東京駅地上ホーム発着で、東京~大船間が東海道線と共用となっていたので、混雑が激しくても増発することが不可能となっていました。

東京~大船間で、東海道線と横須賀線が分離されたSM分離となったことにより、増発させることが可能となったのであります。

この時に開業した駅は、新川崎、東戸塚の両駅であり、保土ヶ谷駅が横須賀線のみの停車となっていました。

1979(昭和54)年10月1日に東海道貨物線(横浜羽沢貨物駅経由)が出来たのは、貨物線だった品鶴線を旅客線化させ、横須賀線に転用させる為でありました。

1981(昭和56)年10月1日には、総武快速線の複々線区間が千葉駅まで延長され、稲毛駅にも快速が停車するようになっていました。

この日は、中央・総武緩行線の東船橋駅と幕張本郷駅が開業した日でもありました。

1986年4月2日に西大井駅、2010(平成22)年3月13日に武蔵小杉駅(横須賀線、湘南新宿ライン)が開業したことで、現在の形となっています。

1991(平成3)年3月19日に、成田線の空港支線(成田~成田空港✈️間)が、京成電鉄の京成成田~成田空港間の新線と共に開業し、JR東日本が成田空港アクセスに参入した当時、成田発着の快速列車が成田空港✈️まで延長されていました。

2001(平成13)年12月1日に湘南新宿ラインが出来てからは、横須賀線の列車を新宿経由で宇都宮線と直通させることが出来るようになったので、横須賀線の新宿乗り入れが実現したと共に、東京駅や品川駅の混雑が緩和されていました。

成田空港✈️行きの快速は、2018(平成30)年3月16日までエアポート成田号と呼ばれていたけど、成田エクスプレスと紛らわしいということにより、無名の快速(側面表示は成田空港 NARITA-AIRPORT)となっていました。

1991(平成3)年3月19日の成田線空港支線(成田~成田空港間)が開業した当時、113系による無名の成田空港行きが運転されていたので、当時に逆戻りしたような感じとなっていました。

エアポート成田の愛称名は、1991年5月1日から2018年3月16日までの間に、成田空港行き✈️の快速だけに使われていたけど、成田空港✈️発は当初から無名の快速となっています。

E235系近郊バージョンによる成田空港✈️行きの場合は、Narita-Airport Terminal 1と表示されています。

1991年4月26日から1992(平成4)年11月29日までの間、113系による特別快速エアポート成田号(東京~成田空港✈️間で、途中、錦糸町、船橋、津田沼、千葉の各駅に停車していた)が運転されていたこともありました。



物井駅と佐倉駅の間の撮影には、モノサクと呼ばれている有名撮影ポイントがあり、撮影する人たちで賑わっています。

こちらは、Googleマップに登録されているほど有名であり、物井駅(快速停車駅)から20分程度歩いて行くことになります。

JR宇都宮線の東大宮~蓮田間の撮影ポイントは、ヒガハスと呼ばれるほど有名であり、モノサクとの共通点があります。

このような有名撮影ポイントで撮影する時には、ゴミを捨てない、植物を荒らさないなどのマナーを守ってもらいたいです。

品川駅の横須賀線ホームは、13番線(始発列車は14番線)が上り(新橋、東京、千葉方面)、14番線と15番線が下り(横浜、逗子、久里浜方面)から成っているけど、15番線に関しては、14番線の折り返し対応化によって、2008(平成20)年3月15日に新設されたホームとなっています。

15番線の発車メロディーは、東海道・山陽新幹線(JR東海)の品川駅と隣り合っていることにより、かつて東海道新幹線の車両に使われていた旧ひかりチャイム(起終点用)がアレンジされたML-24が使われているので、東海道・山陽新幹線の東京駅の発車メロディーに、旧のぞみチャイム(起終点用)が使われていることと同様であるなと思いました。

ひかりチャイムの原曲は、「Do They know it's Christmas」というクリスマスソングであります。

横浜駅の横須賀・総武快速線と湘南新宿ラインのホームである9,10番線は、2004年1月30日まで使われていた東急東横線の地上ホーム跡が転用された上で拡幅されていたので、日暮里駅の常磐線ホーム(3,4番線)が、京成本線の下りホームの高架化によって捻出された跡地を利用して拡幅させていたことに似ているところがあります。

2020年6月1日に渋谷駅の3,4番線(埼京線、湘南新宿ライン、相鉄・JR直通線のホーム)が山手線寄りに移設されていたのは、東急東横線の渋谷駅の地下化(地下鉄副都心線との直通化)により捻出されたスペースが生かされていたからであり、渋谷駅の再開発の一環でもありました。

JR総武快速線の馬喰町駅、都営新宿線の馬喰横山駅、都営浅草線の東日本橋駅は、トライアングル状に配置されており、そのうちの馬喰町駅に繋がる地下通路では、その北側にある中央・総武緩行線の浅草橋駅に出ることが出来るので、輸送障害があった時に活用されています。

これらの3駅のうち、最も深い場所にホームがあるのは、西側の馬喰町駅であり、国鉄時代には、最も深い駅となっていました。

1990年3月10日に開業した京葉線の東京駅は、それよりも深い場所にあるので、馬喰町駅が最も深い場所にある駅でなくなっています。

京葉線の地下トンネル区間の中間にある八丁堀、越中島の両駅も、新日本橋、馬喰町の両駅と同様の地下鉄風味の地下駅だけど、越中島駅は単独の地下駅であります。

東日本橋駅(東側)は地下1階、馬喰横山駅は地下3階、馬喰町駅(こちらは島式ホームとなっている)は地下5階にプラットホームがあります。

馬喰町駅の改札口は、西口(新日本橋、東京寄り)と東口(錦糸町、千葉寄り)に分かれており、西口の地下4階部分に都営新宿線の馬喰横山駅との連絡改札があり、馬喰横山駅のプラットホーム(地下3階部分にある2面2線の相対式ホーム)の新宿(岩本町)寄りと繋がっています。

こちらでの乗り換えの時には、平日の朝ラッシュ時に都営新宿線の西行(新宿、京王線方面)の先頭車が女性専用車🚃🚺️となっているので、注意が必要⚠️となります。

馬喰町駅のトイレ🚻は、西口側の地下1階と地下4階、東口側の地下1階にあり、西口側の地下1階には、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が併設されています。

馬喰横山、馬喰町駅付近には、繊維系製品が扱われている問屋街があり、そのアクセスにも使われています。

新日本橋駅は、東京メトロ銀座線、半蔵門線の三越前駅との乗換駅であり、日本橋三越とも地下で繋がっているので、雨の日☔の買い物にも便利であります。

日本橋三越の本館は、レトロな雰囲気であり、1階のエントランス部分に三越のライオン像があります。

このライオン像は、イギリス🇬🇧ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔の獅子像がモデルとなっています。

本店の内装の大理石の中には、アンモナイトなどの恐竜の化石があるので、買い物を楽しみながら歴史を感じることが出来ます。

1930(昭和5)年12月1日に日本橋三越で発売されたお子様洋食(当初は30銭(カレーライスとカツレツの中間の価格帯)となっていた)は、お子様ランチのルーツであり、コロッケやスパゲッティなどの子供たちの好きなものを並べたものとなっています。

当時は世界恐慌の暗い時代でもあったので、子供には楽しい気持ちになってもらおうという思いで、お子様洋食が開発されていたのであります。

翌年の1931(昭和6)年3月には、上野広小路駅前にある上野松坂屋の大食堂で、動物園やお花見帰りの子供連れ客の為にお子様ランチが提供開始されたけど、こちらも当初は30銭となっていました。

のちに、お馴染みの旗のついたスタイルとなり、ウルトラマンなどのおまけが付いたことで人気を博していました。

日本橋三越の本館7階にある「特別食堂日本橋」、同新館5階にある「カフェ&レストラン ランドマーク」、上野松坂屋の本館7階にある「お好みダイニング カトレヤ」では、大人でも昔ながらの味わいのお子様ランチを味わうことも出来ます。

因みに、特別食堂日本橋は、東京會舘による高級食堂であり、値段が高いです。

日本橋三越と上野松坂屋は、老舗百貨店だけでなく、お子様ランチとの繋がりがあったことが分かります。

三越(MITSUKOSHI)は、江戸時代の1673(延宝元)年に、現在の東京日本橋で創業した、越後屋呉服店(ゑちごや)がルーツであり、350周年を迎えることになります。 

百貨店への転換と共に三越となったけど、三井家によって創業されたことにより、三井+越後屋によって三越となっています。

三越の越って何だろう?ということで、越は越後屋の越であります。

2011年4月1日には、三越と伊勢丹の合併により、三越伊勢丹となっています。

伊勢丹(ISETAN)のほうは、1886(明治19)年に東京神田で創業した伊勢屋丹治呉服店がルーツであり、伊勢屋の伊勢+丹治の丹で伊勢丹であることが分かります。

東京で江戸時代から同じ場所で営業されているデパートは、日本橋三越と上野松坂屋の2店舗であります。

4月1日から三越350周年記念イベントが行われています。

詳細は、「三越」、「日本橋三越」、「お子様ランチ」、「お好みダイニングカトレヤ」、「特別食堂日本橋」、「カフェ&レストラン ランドマーク」で検索。

日本橋三越本店の新館6階と7階には、一昨年2月7日にオープンしたビックカメラ(BIC CAMERA)の日本橋三越店(日本橋KADEN)があり、コラボ店舗らしく、三越と同様のスーツ姿での接客が行われています。

家電コンシェルジュと三越のスタイリストの連携が行われていることや、高級家電の取り扱いが盛んに行われていることも、三越とのコラボ店舗らしさを感じます。

詳細は、「ビックカメラ」、「ビックカメラ 日本橋三越」で検索。

日本銀行(日銀)の本店や紙幣博物館は、半蔵門線側から近く、東京駅の八重洲北口や日本橋口からも近いです。

詳細は、「日本銀行」、「紙幣博物館」で検索。

新日本橋、三越前駅付近には、1699(元禄12)年の創業の、鰹節(かつおぶし)やだしなどを扱う水産加工品メーカーの老舗である「にんべん」の本社や日本橋本店があり、コレド室町の1階にある日本橋だし場の本店では、気軽におだしを味わうことも出来ます。

にんべんの商標の「イ」の字は、「伊勢屋伊兵衛」が由来であり、江戸時代からにんべんと呼ばれています。

詳細は、「にんべん」、「日本橋だし場」で検索。

日本橋駅と三越前駅の間にある日本橋は、日本橋川に掛かる橋であり、「日本橋魚市場発祥の地」や国道1号線や4号線の起点を表す「日本国道路元標」の記念碑があります。

現在の東京の魚市場は、豊洲市場であり、前身は築地市場となっていたけど、その前は日本橋に魚市場があったことが分かります。

詳細は、「日本橋」、「日本橋魚市場発祥の地」、「日本国道路元標」で検索。

錦糸町駅は、JR中央・総武緩行線、東京メトロ半蔵門線への乗換駅であり、駅前及び周辺にテルミナ(ヨドバシカメラも入っている)、アルカタワーズ、アルカキット錦糸町、オリナス錦糸町、丸井錦糸町店、東京楽天地(錦糸町パルコ(PARCO))、錦糸公園などがあります。

錦糸町テルミナ(TERMINA)は、1961(昭和36)年11月28日に、駅ビルきんし町として開業したものであります。

アルカキット錦糸町は、かつて錦糸町そごうだった場所となっています。

南口には、歌人伊藤左千夫氏の歌碑があるけど、こちらには、昔住居や牧場🐄があったので、説明書きがあります。

錦糸町に牧場🐄があったのは、本当のことであり、明治時代に遡っています。

詳細は、「錦糸町テルミナ」、「ヨドバシカメラ錦糸町」、「アルカキット錦糸町」、「オリナス錦糸町」、「東京楽天地」、「錦糸町パルコ」、「丸井錦糸町店」、「錦糸公園」で検索。

4月1日には、タワレコ(TOWER RECORDS)の錦糸町パルコ店で行われた、きみにYORISOERU(きみより)の「ひとひらのキセキ」の発売記念のリリースイベント(リリイベ)に行ったので、当時のことを思い出しました。

タワレコ(TOWER RECORDS)の錦糸町パルコ店は、錦糸町駅の東側(道路を渡った場所)にある錦糸町パルコ(PARCO)の5階にあり、駅から近いので便利であります。

錦糸町のタワレコは、2018(平成30)年2月12日まで、錦糸町オリナスにあったけど、翌年の2019(平成31)年3月16日に錦糸町パルコに移転された上で復活していました。

横須賀・総武快速線⇔半蔵門線間の乗り換えは、新日本橋⇔三越前駅間よりも錦糸町駅のほうが便利であります。

新日本橋駅の4番出入口から山手線、京浜東北線、中央快速線の神田駅まで歩いて行くことも出来ます。

新橋駅の横須賀・総武快速線ホームは、東口(汐留側)の地下にあり、平日朝に小田原→東京(総武地下ホーム)間運転されている特急湘南8号と10号(E257系2000番台(9両編成、踊り子号の車両)による運転)も到着することになっています。

これらの列車は、湘南ライナーの時代には、215系で運転されていたので、215系にATC装置が取り付けられていたことがありました。

新橋駅に定期の特急列車が停車するのは、湘南8号と10号の2本だけであります。

湘南8号は、東京駅の総武地下ホームに到着した後、錦糸町駅の留置線まで回送されます。

錦糸町駅留置線は、北側にあり、最大6本入ることが出来ます。

横須賀線の横須賀駅は、2番線と3番線があり、2番線は横須賀折り返しの上り列車(逗子、大船、東京、千葉方面)専用、3番線は下り列車(久里浜方面)行きと、久里浜方面からの上り列車で使われています。

JR横須賀駅の駅舎は、2番線のエンド側、トイレ🚻♿はホームの入口側にあることにより、階段がない構造であることから、関東の駅の百選に選ばれていました。

1番線は、側線として使われているので、欠番となっています。

こちらは、バリアフリー♿対応の駅であることも評価されています。

横須賀線の横須賀~久里浜間は単線であり、その中間にある衣笠駅が交換駅となっています。

横須賀駅と京浜急行電鉄京急本線の汐入駅の間には、ヴェルニー公園(バラ🌹の名所でもあるフランス風の公園)があり、その周辺には、横須賀港や在日アメリカ軍による横須賀海軍施設、海上自衛隊の横須賀基地があることにより、艦船を眺めることも出来ます。

ヴェルニー公園のバラ園🌹は、横浜の山下公園と同様に、港の見えるバラ園となっています。

汐入駅前にある横須賀芸術劇場、ヨコスカ・ベイサイド・ポケットやCoaska Bayside Stores(コースカベイサイドストアーズ)も、JR横須賀駅から歩いて行くことも出来ます。

詳細は、「ヴェルニー公園」、「横須賀芸術劇場」、「Coaska Bayside Stores」で検索。

JR横須賀線と京急本線は、品川から横浜経由で三浦半島へと至る路線であるけど、京急では横浜から横浜市南部を経由してすぐに三浦半島に入るのに対し、JR横須賀線では、大船、鎌倉、逗子方面を迂回することになっています。

横須賀線の大船~横須賀間が開業したのは、今から134年前の1889(明治22)年6月16日のことであるので、本日(6月16日)は、横須賀線の開業記念日でもあります。

横須賀線が久里浜まで延長されたのは、1944(昭和19)年4月1日のことであります。

横須賀中央駅やJR横須賀駅のある神奈川県横須賀市は、1907(明治40)年に横須賀町の市制施行により出来た市であり、1933(昭和8)年に衣笠村と田浦町が、1943(昭和18)年に浦賀町、北下浦村、長井町、武山村、大楠町、逗子町がそれぞれ横須賀市に編入されていました。

1950(昭和25)年には、旧逗子町地域が分離されて再び逗子町となり、1954(昭和29)年4月15日に市制施行により逗子市となっています。

横須賀のどぶ板通りは、アメリカと日本の文化が融合した和洋折衷(日米折衷)の商店街であり、スカジャンの発祥地としても有名であります。

詳細は、「どぶ板通り」、「スカジャン」で検索。

横須賀芸術劇場は、よこすか芸術劇場(大劇場)、ヨコスカ・ベイサイド・ポケット(小劇場)からなるコンサートホールであり、よこすか芸術劇場(大ホール)は、蹄鉄型のオペラハウス仕様の2000人収容のホールであり、1階席から5階席まであることが特徴となっています。

自分(しゃもじ)🐰は、以前モーニング娘。やそのOGであるなっちこと安倍なつみ氏のコンサートで行ったことがあるけど、5階席まであることで、さいたま新都心にあるさいたまスーパーアリーナの500レベルみたいだな❗と思っていました。

横須賀市は、元モーニング娘。の石川梨華氏の出身地でもあるので、凱旋ライブも行われていました。

横須賀芸術劇場が開設されたのは、1994年2月のことであり、EMクラブ(米海軍兵員クラブ)の跡地が転用されていました。



この日(6月24日)は、横須賀芸術劇場で、長渕剛氏の公演が行われていました。

横須賀芸術劇場の公演情報等の詳細は、「横須賀芸術劇場」、「横須賀交響楽団」で検索。

汐入駅は、特急は止まるけど快特やウィング号は通過となるけど、日中の快特の一部の特急への格下げにより、停車する列車が増えています。

横須賀市街から最も近い駅は、快特やウィング号の停車駅でもある横須賀中央駅であり、横須賀市にある駅で最も栄えています。

駅前及び周辺には、横須賀モアーズシティ(横浜岡田屋の系列)、横須賀プライム、リドレ横須賀(元西友横須賀店)、さいか屋横須賀店などがあり、横須賀市役所へは横須賀中央駅が近いということになります。

横須賀中央駅付近にある、さいか屋横須賀店は、一昨年2月21日をもって一旦閉店となり、同年3月6日には現在の位置のまま、SAIKAYA YOKOSUKA SHOPPING PLAZAというショッピングプラザに転換されてリニューアルオープンしていました。

こちらは、長年親しまれていたさいか屋の名前を残す為に、SAIKAYAから始まっています。

さいか屋は、1872(明治5)年に横須賀に出来た雑賀屋呉服店がルーツであり、昨年創業150周年を迎えていました。

こちらも、前述の三越(MITSUKOSHI)や伊勢丹(ISETAN)と同様に呉服店から始まった老舗デパートでもあります。

さいか屋は、川崎店(川崎日航ホテル内)、藤沢店もあり、藤沢店の屋上からは、江ノ島・湘南の海を一望出来ると言われています。

藤沢駅前には北口にさいか屋、南口にODAKYU湘南GATE(小田急百貨店藤沢店)があるけど、かつて南口に藤沢西武店(西友による運営で現在のLIVINに当たっていた)もあったことを思い出しました。

詳細は、「さいか屋」で検索。

横須賀中央駅付近にあった料亭小松では、旧海軍ゆかりの料亭で、長官部屋で頂くことが出来たことに加え、日本海軍に関する資料が残されていたけど、残念なことに、2016年5月16日の夕方に発生した火災によりその資料と共に全焼、焼失してしまいました。

当時は月曜日の定休日で中に人がいなかった為に不幸中の幸いとなっていたのであります。

横須賀中央駅の接近メロディーには、いい日旅立ちでお馴染みの山口百恵氏(横須賀市出身でもある)による「横須賀ストーリー」が使われているので、横須賀らしさを感じます。

横須賀中央駅の接近メロディーには、いい日旅立ちでお馴染みの山口百恵氏(横須賀市出身でもある)による「横須賀ストーリー」が使われているので、横須賀らしさを感じます。

横須賀ストーリーは、1976(昭和51)年6月21日にリリースされた曲であり、前年の1975(昭和50)年4月20日にリリースされ、大ヒットしていたダウン・タウン・ブキウギ・バンドによる「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」ど同様に、阿木耀子氏による作詞、宇崎竜童氏による作曲となっています。

周辺にある三笠公園は、日本の都市公園100選や日本の歴史公園100選に選ばれており、そこには、戦艦三笠が記念艦として展示されています。

そこにある三笠桟橋からは、船⛴️で猿島という無人島🏝️に行くことも出来ます。

猿島では、バーベキューを楽しむことが出来、夏場には、海水浴場🏖️も開設されます。

猿島航路の乗船料(往復)は、1400円(小学生は700円)であり、別途猿島の入園料(200円(小中学生は100円))が掛かることになっています。

詳細は、「三笠公園」、「戦艦三笠」、「猿島」、「猿島航路」で検索。

横須賀海軍カレー🍛は、大日本帝国海軍の糧食に由来するものであり、海上自衛隊では毎週金曜日にカレーを食べることが習慣となっています。

1908(明治41)年に発行された、海軍割烹術参考書に書かれたレシピには、「ルーは、カレー粉と小麦粉を炒って作る」、「牛肉か鶏肉、人参、玉葱、馬鈴薯(じゃがいも)を入れる」、「チャツネを付け、牛乳とサラダを添えて提供する」と書かれています。

横須賀海軍カレー🍛は、そのレシピが生かされたものであります。

横須賀市では、1999年5月20日に、カレーの街🍛となり、横須賀のグルメの一つとして注目されています。

横須賀海軍カレーの店のうちの横須賀海軍カレー本舗は、横須賀中央駅から徒歩2分の場所にあり、横須賀海軍カレー、牛乳、サラダ、チャツネ、コーヒーのセットにより、明治時代の味わいそのものとなっています。

ヨコスカネイビーバーガー(YOKOSUKA NAVY BURGER)🍔は、米海軍内で食べられていたネイビーバーガー(NAVY BURGER)のレシピが生かされた横須賀独自のハンバーガー🍔であり、長崎県佐世保市の佐世保バーガー🍔などと並ぶご当地ハンバーガーの一つとなっています。

こちらのビーフパティは、つなぎが使われていないのが特徴であり、肉本来の味を楽しむことが出来ます。

発売開始されたのは、2009(平成21)年1月30日のことであり、よこすか海軍カレー🍛10周年を期に、ネイビーバーガー🍔をアレンジして売り出して活性化させようという狙いがあったことが分かります。

ヨコスカチェリーチーズケーキは、米海軍横須賀基地によってプロデュースされたニューヨークスタイルチーズケーキ(アメリカンスイーツ)であり、日本とアメリカ🇺🇸(日米の友好)である日本の象徴である「桜=Cherry」がトッピングされているのが特徴であります。

もう一つの特徴は、チーズがふんだんに使われていることであります。

詳細は、「横須賀海軍カレー」、「ヨコスカネイビーバーガー」、「ヨコスカチェリーチーズケーキ」で検索。

横須賀市の観光情報は、横須賀の観光情報サイトであるここはヨコスカで調べることが出来ます。

横須賀市には、横浜DeNAベイスターズの選手寮である、青星寮があり、青星寮カレー🍛が名物となっています。

このことは、埼玉西武ライオンズの選手寮である若獅子寮で、若獅子カレー🍛が名物となっていることと同様であり、どちらも学校給食のカレー🍛として提供されています。

横浜DeNAベイスターズの本拠地である、横浜スタジアムで、青星寮カレーを味わうことが出来るので、ベルーナドームでの若獅子カレー🍛との共通点があります。

横須賀市の追浜公園にある横須賀スタジアムは、二軍の球場であり、追浜駅が最寄り駅となっています。

詳細は、「横浜DeNAベイスターズ」、「青星寮カレー」、「埼玉西武ライオンズ」、「若獅子カレー」で検索。

1998年は、プロ野球で横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)が日本一(総合優勝)、高校野球では、横浜高等学校(横浜市金沢区、能見台駅付近にある私立高校)が優勝していたので、横浜の野球が熱い年でありました。

カレーの本場は、インド🇮🇳であるけど、ヒンドゥー教の国で、牛肉を食べてはいけないことになっているので、インドにはビーフカレーがないです。

このことは、イスラム教の国で豚肉を食べてはいけないことと同様であります。

ビーフカレーは、インドからイギリス🇬🇧にカレー文化が伝わった時に出来たものであり、日本の京都府と同様に牛肉を好むイギリス🇬🇧らしさが表れています。

ローストビーフは、代表的なイギリス料理であり、日本でも有名であります。

JR久里浜駅は、1面2線の島式ホームの駅であり、ホームと駅舎を結ぶ跨線橋にエレベーターやエスカレーターがあります。

京急久里浜線の京急久里浜駅がすぐ近くにあるので、区別する為にJR横須賀線の久里浜駅のことをJR久里浜駅と呼んでいます。

このことは、JR成田線の成田駅(JR成田駅)の近くに京成線の京成成田駅があることに似ているところがあります。

逗子駅は、逗子市の中心にある2面3線の駅(湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線系統の折り返し駅))であり、前述の通り、逗子~横須賀~久里浜間が11両編成が最大となる為に、分割・併合作業が行われています。

1番線が駅舎(東口改札)と直結した単式ホーム、2,3番線が島式ホームとなっているので、静岡県伊東市にあるJR伊東線と伊豆急行線の伊東駅に似ているところがあります。

逗子駅は、跨線橋での連絡となっており、東口改札とも結ばれています。

総合車両製作所横浜事業所からの出場(への入場)の拠点駅となっており、京急逗子線の神武寺駅から出ている非電化の連絡線を通っていくことになるので、ディーゼル機関車による牽引が行われています。

逗子駅(Zushi)の駅名は、JR線で唯一「ず」から始まる駅名と共に、JRの駅でアルファベット順で一番最後に来る駅となっています。

日本の鉄道駅全般で、アルファベット順で一番最後に来る駅は、周辺にある京急逗子線の逗子・葉山駅(旧、新逗子駅)であり、逗子駅から徒歩5分程度で行くことが出来ます。

因みに、日本の鉄道駅全般で、アルファベット順で一番最初に来る駅は、北海道網走市にある、JR北海道の石北本線と釧網本線の網走駅(Abashiri)であります。

大船駅は、神奈川県鎌倉市と横浜市栄区に跨がる、東海道線、横須賀線、根岸線(京浜東北線の延長部分)、湘南モノレール江の島線(みちのりホールディングス系)が乗り入れているジャンクション駅であり、1,2番線が東海道線上り(上野東京ライン、湘南新宿ライン、横浜、品川、東京、新宿、大宮、高崎、宇都宮方面)、3,4番線が東海道線下り(平塚、小田原、熱海、伊東、沼津方面)、5,6番線が横須賀線上り(湘南新宿ライン、横浜、品川、東京、千葉、成田空港✈️、新宿、大宮、宇都宮方面)、7,8番線が横須賀線下り(鎌倉、逗子、横須賀、久里浜方面)、9,10番線が根岸線(関内、桜木町、上野、大宮、八王子方面)から成っています。

大船駅の駅ビルであるルミネウィングは、1992(平成4)年9月18日に開業した駅ビルであり、JR東日本グループのルミネ(LUMINE)と京浜急行電鉄(京急)の共同事業であることが、ルミネウィングの由来となっています。

詳細は、「ルミネウィング」で検索。

湘南モノレールの駅は、東口側にある2面1線の駅であり、乗車ホームと降車ホームに分かれています。

湘南モノレールでは、2018年4月1日からPASMOやSuicaなどのICカードが使えるようになっています。

湘南モノレールの時刻、運賃、運行情報等の詳細は、「湘南モノレール」で検索。

東口側には、2000(平成12)年6月30日まで、松竹大船撮影所があったことで有名でありました。

1995(平成7)年10月10日から1998(平成10)年12月15日まで、その敷地内に鎌倉シネマワールドがあったけど、たった3年間で閉鎖されてしまったのが惜しまれます。

ここにあった男はつらいよシリーズ(寅さん映画)のオープンセットの一部は、葛飾柴又にある「葛飾柴又寅さん記念館」に移設された上で展示されています。

その跡地は、鎌倉女子大学と鎌倉女子大学短期大学部の鎌倉キャンパス🏫となっています。

大船軒(駅弁メーカーの老舗)による鯵の押し寿司は、1913(大正2)年4月に発売された大船駅の名物駅弁であり、漁港料理の鯵の押し寿司を駅弁に仕立てたものであります。

1899(明治32)年には、日本で初めて駅弁にサンドイッチが取り入れられたサンドイッチ弁当(大船軒サンドウヰッチ)が発売されていたことで話題になっているけど、こちらも大船駅の名物駅弁となっています。

当初は輸入もののハムが使われていたけど、のちに鎌倉ハム富岡商会が設立され、国産品が用いられるようになっています。

詳細は、「大船軒」、「鯵の押し寿司」、「サンドイッチ弁当 大船駅」、「鎌倉ハム」で検索。

大船観音寺は、大船駅の西側にある大船のシンボルであり、白衣観音像は、全長約25mあります。

詳細は、「大船観音」で検索。

北鎌倉駅は、古都鎌倉の雰囲気が漂っている2面2線の相対式ホームの駅であり、鎌倉寄りの構内踏切で結ばれています。

改札口は、駅舎、上りホーム側の西口、下りホーム側の東口(円覚寺側)があり、下りホームの中程には臨時改札口(6時30分~21時30分)から成っているので、下りホーム側から構内踏切を渡らずに駅の東側に出られるようになっています。

周辺に鎌倉学園中学校・高等学校(男子校)🏫、北鎌倉女子学園中学校・高等学校🏫、神奈川県立大船高等学校🏫があることにより、通学時間帯に賑わうことになるので、臨時改札口が設けられているのもそのはずであります。

鎌倉学園の近くにある建長寺は、けんちん汁発祥の寺と言われています。

鎌倉駅は、JR横須賀線と江ノ島電鉄線(江ノ電)が乗り入れている鎌倉市の中心となる駅で、JRの駅が東側にある盛り土式の簡易高架駅(1面2線の島式ホーム)、江ノ電の駅が西側にある地上駅(2面2線で、3番線が乗車専用ホーム、4番線が降車専用ホーム、5番線が臨時ホーム)となっています。

鎌倉駅の駅舎は、1984(昭和59)年10月に改築されたものであり、古都鎌倉に相応しいデザインとなっています。

西口の駅前広場にある時計塔🕰️は、東口旧駅舎(先代の駅舎)にあったものが移設されたものであります。

鶴岡八幡宮⛩️は、鎌倉源氏の氏社であり、有名な神社⛩️であり、本宮に至る階段横に銀杏の木が植えられています。

こちらには、大銀杏が植えられていたけど、2010(平成22)年3月10日の強風により倒状してしまい、その後に植え替えられていました。

ここにある池は、平家池、源氏池であり、その間には、太鼓橋があります。

境内の平家池の前にある鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムは、2016(平成28)年3月に惜しまれて閉館した神奈川県立近代美術館鎌倉館の建物がリニューアルされたものであり、2019(令和元)年6月8日に再開館されていました。

こちらのミュージアムカフェ棟には、倒状した大銀杏の幹の下部が移植されています。

鎌倉国宝館には、鎌倉市の国宝、重要文化財が展示されています。

詳細は、「鶴岡八幡宮」、「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」、「鎌倉国宝館」で検索。

鎌倉の銘菓である豊島屋の鳩サブレーは、鶴岡八幡宮の鳩がイメージされた看板商品(ロングセラーでもある)であり、鎌倉土産に最適だと言われています。

詳細は、「鳩サブレー」、「鎌倉豊島屋」で検索。

鎌倉駅から行ける海水浴場🏖️は、由比ヶ浜海水浴場🏖️と材木座海水浴場🏖️であり、2015(平成27)年8月23日には、友人と一緒に由比ヶ浜海水浴場🏖️に海水浴に行ったことがあります。

詳細は、「由比ヶ浜海水浴場」、「材木座海水浴場」で検索。

江ノ電の稲村ヶ崎駅付近にある稲村ヶ崎温泉♨️は、鎌倉唯一の天然温泉で、海を見ながら入ることが出来るけど、大人の同伴であっても、13歳未満は入館することが出来ないので注意が必要⚠️であります。

詳細は、「稲村ヶ崎温泉」で検索。

江ノ電の長谷駅付近は、鎌倉大仏でお馴染みの高徳院や長谷寺(長谷観音)があり、どちらも長谷駅付近の名所となっています。

詳細は、「鎌倉大仏」、「長谷観音」で検索。

長谷駅にある「定食屋しゃもじ」は、しゃもじのイラストもある評判の定食屋であり、海鮮丼やしらす丼も味わうことが出来ます。

このことで、自分(しゃもじ)のしゃもじスタイル🐰を思い出します。

詳細は、「定食屋しゃもじ」、「定食屋しゃもじ鎌倉」で検索。

横須賀線の衣笠駅付近にある、佐野天然温泉のぼり雲♨️は、衣笠駅から徒歩15分で行ける美人の湯を楽しめる日帰り温泉施設であります。

こちらには、佐野ゴルフガーデン⛳も併設されているので、ゴルフ⛳の後に温泉♨️に入ることも出来ます。

こちらへは、京急本線の横須賀中央駅から徒歩18分で行くことも出来ます。

詳細は、「佐野天然温泉のぼり雲」、「佐野ゴルフガーデン」で検索。

江ノ電のほうは、コロナ大騒動が落ち着いたらまた乗りに行きたい路線でもあります。

江ノ電の路線、時刻、運賃、運転状況等の詳細は、「江ノ電」で検索。

江の島、鎌倉の観光地等の情報については、江の島・鎌倉ナビや鎌倉市観光協会のホームページを見れば分かります。

錦糸町の楽天地ビルの9階にある、天然温泉 男性専用 楽天地スパ(スパ&サウナ)♨️🚹️は、錦糸町駅近くにある温泉施設で便利であるけど、男性専用♨️🚹️である為に、女性🚺️並びに小学生以下(男女を問わず)が入ることが出来ないので、注意が必要⚠️であります。

ホームページには、女性のお客様、お子様は姉妹店 楽天地天然温泉法典の湯をぜひご利用ください。と書いてあります。

4月30日のブログで紹介した、楽天地天然温泉法典の湯♨️は、JR武蔵野線の船橋法典駅付近(千葉県市川市)にあり、美肌効果があると言われています。

船橋法典駅から楽天地天然温泉法典の湯までは、徒歩5分と便利であります。

4月29日に行ってみて良かったな❗と思いました。

詳細は、「楽天地天然温泉法典の湯」、「楽天地スパ 錦糸町」で検索。

自分(しゃもじ)のブログで温泉♨️をよく話題にする理由は、温泉が好きだからだけでなく、美肌効果があることを紹介したいからであります。

JR東海では、7月21日(金)から、東海道・山陽新幹線のN700系列のJR東海所属車の車内チャイムが、「会いにいこう」に切り替わる予定となっています。

これにより、「AMBITIOUS JAPAN!」の車内チャイムが聴き納めとなります。

JR西日本所属車の車内チャイムに関しては、「いい日旅立ち・西へ」のままであります。

西武鉄道では、6000系の6157Fによる幻日のヨハネのヘッドマーク付き電車が、7月17日までの予定で池袋線系統で運転されているけど、本日撮影することが出来ました。

このことは、後日書く予定でいます。


JAL(日本航空)✈️🇯🇵では、東京ディズニーランド開園40周年記念の特別塗装機であるJAL Colorful Dreams Express(ボーイング767-300ER型、JA614J号機)が6月9日の羽田発着の周遊フライトでデビューしていました。

ディズニー100周年記念の特別塗装機であるJAL DREAM EXPRESS Disney100は、ボーイング767-300ER型のJA615J号機に施されており、昨年12月6日から国内線で運航中であります。

これにより、JALドリームエクスプレスが2機体勢となっています。

ANA(全日本空輸)では、6月4日、そらとぶピカチュウプロジェクトにより、ボーイング787-9型機(JA894Aわ号機)によるピカチュウジェットNHが、羽田~バンコク(タイ)🇹🇭線のNH847便を皮切りに就航していました。

その後、羽田空港発着のジャカルタ(インドネシア)線🇮🇩、マニラ(フィリピン)線🇵🇭、シンガポール線🇸🇬、ホノルル(ハワイ)線🇺🇸🏝️、デリー線🇮🇳、シドニー線🇦🇺、バンクーバー線🇨🇦に使われていました。

詳細は、ANAのホームページを見るか、「ピカチュウジェットNH」で検索。

相模鉄道(相鉄)では、8000系の8713Fが最後の原型車ということで、前面のみ赤帯が復活した姿となっています。

6月21日は、それを撮影してきたので、後日書く予定でいます。

6月18日は、横浜COAST GARAGE+(横浜駅東口のアソビルの地下にあるライブハウス)で行われた、【ようこそ!竜宮城へ】vol.1 powered by lopilopi & iDOL PARTYに行き、たまプリを見ることに成功しました。

この時に1推しのあゆゆこと中谷亜優氏🤍や、桜衣みゆな氏💖と久しぶりにチェキ撮影することが出来たほか、岬あやめ氏🐶💛と初めてチェキ撮影しました。

桜衣みゆな氏💖は、6月20日をもってたまプリを卒業していたので、会えて良かったと思っています。

詳細は、「たまプリ」、「横浜COAST GARAGE+」、「アソビル」で検索。

5月4日は、神田明神ホールで行われた、対バンライブである、GIRLS☆DELIGHT#184に行き、きみにYORISOERU(きみより)やHIGHSPIRITS(ハイスピ)を見ることに大成功しました。

このように、きみにYORISOERU(きみより)やHIGHSPIRITS(ハイスピ)を一同に見られたことは、うしでんしゃ+ひつじでんしゃの4両編成と同様に、滅多にない良い機会でありました。

5月7日は、横浜みなとみらいのランドマークホールで行われたフレオ祭でも、きみにYORISOERU(きみより)を見ることが出来て良かったと思っています。

4月15日は、FleshAkibaササゲで行われた、あーにゃこと伊藤蒼姫氏😸が出てきたFlesh撮影会に参加し、あーにゃ😸と久しぶりに会話することが出来ました。

あーにゃ😸は、しゃもじさん🐰に出会えて良かったと言っていたので、ご満悦の様子でありました。

6月29日から7月2日までは、あーにゃが出てくる舞台が行われる予定となっています。

あーにゃからは、舞台に来てね❗と言われています。

6月2日は、白金高輪セレネ(SELENE STUDIO SELENE b2)で、きみにYORISOERU(きみより)のワンマンライブが行われていたけど、仕事により行かれなかったのが残念であります。

自分(しゃもじ)から見たきみよりをJALこと日本航空(日航機、JAPAN AIRLINES)✈️🇯🇵の飛行機✈️🇯🇵に例えているので、きみよりのワンマンライブで、自分(しゃもじ)が参戦していたら、JALこと日本航空(日航機)✈️🇯🇵のエアバスA350-900型機に例えていたところでした。

このことは、ハイスピのワンマンライブに行かれなかった時にも言っていたけど、自分(しゃもじ)から見たハイスピもJALこと日本航空(日航機、JAPAN AIRLINES)✈️🇯🇵の飛行機に例えているのでそのはずであります。

きみよりのツアーTシャツのシンプルなKIMIYORIの文字が、JALの飛行機✈️の機体に描かれているJAPAN AIRLINESの文字のように見えてしまいます。

JAL✈️は、スーツ氏👔がよく乗る航空会社であり、その影響によりお気に入りとなっています。

自分(しゃもじ)🐰は、きみよりと再会してみたいと思っています。

7月15日デビュー予定の東武N100系スペーシアXに乗ってみたいけど、当分乗りに行けそうもない状態であります。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

5月1日の東急トランセ、2日の東急5050系4000番台、4日のこどもの国線、8日のJRバステック、11日の東急3020系のSDGsトレイン、17日の西武20000系のスタジオツアー東京のラッピング電車、19日の京王ライナー、21日のE5系新幹線、26日の高尾山トレイン、29日の関越交通、6月5日の日本中央バス、6月12日のしずてつジャストライン、6月21日のE657系K1編成の記事も大好評であります。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

横須賀線や総武快速線の時刻、運賃、運行情報等の詳細は、JR東日本のホームページを見るか、「横須賀線」、「総武快速線」で検索願います。

E217系の撮影には、マナーを守ってもらいたいと思っています。

今宵はここまでに致しとうござりまする。