10月28日は、京成高砂から京成金町駅まで、芝山鉄道の3500形の3540F(京成電鉄からのリース車、芝山鉄道線開業20周年記念ヘッドマーク付き電車)による、京成金町行き🚃に乗りました。

この日の京成金町線は、5月5日に行った時と同様に、71運用に、京成電鉄所有の3500形3516Fが、73運用に、芝山鉄道にリースされ、芝山カラーに復元された3540Fが使われていたけど、今回のお目当ては、もちろん芝山鉄道線開業20周年記念ヘッドマーク付きの3540Fでありました。

芝山鉄道線🚃は、2002(平成14)年10月27日に開業した、千葉県成田市の東成田駅(初代成田空港駅)✈️と、山武郡芝山町の芝山千代田駅の間を結ぶ2.2Kmの路線であり、日本一短い鉄道と言われています。

10月27日には開業20周年を迎えていたので、12月中旬までの予定で、芝山鉄道へのリース車である3540Fに、記念ヘッドマークが取り付けられています。

芝山千代田行きの行先表示が、方向幕、LED共に芝山千代田ではなく(東成田)芝山 Higashi-Narita・Shibayamaとなっている理由は、東成田~芝山千代田間が芝山鉄道線であるからであります。

ちはら台行きの方向幕で、上のほうに(千葉)の表示があるのは、1998(平成10)年9月30日まで、千原線が千葉急行線だった頃の名残であります。

芝山鉄道線が開業した当初は、3600形の3618F(1984(昭和59)年製の8両編成だった)が、赤と緑の帯に変更された上で京成電鉄からリースされていたけど、芝山鉄道線への乗り入れが朝夕に限られていました。

3540Fは、2013(平成25)年に京成帯のままで芝山鉄道にリースされ、側面のKeiseiの表示が芝山鉄道に変更されただけで京成車と変わらない状態となっていたけど、2019(令和元)年7月25日からは、SRマークが付くようになり、3618Fのリースが解除されて以来6年ぶりにSRマーク付きの芝山鉄道の車両を見られるようになったことで話題になっていました。

本年4月15日には、3618Fが纏っていた赤と緑の帯が再現された帯となったことで話題になっています。

芝山鉄道のコーポレートカラーは、赤色と緑色であり、太陽🌞と芝山の緑🌲がイメージされているので、3500形に似合っていることに加え、芝山鉄道と言えばやはりこれだな❗と思っています。



3540Fの運行予定は、芝山鉄道のホームページに出ているけど、11月15日までの運行予定表によると、11月6日までと8,9,11,12日が京成金町線での運用(71運用または73運用)、15日が朝の京成成田~芝山千代田間の運用(81運用)となっているけど、7,10,13,14日が運行予定なしとなっています。

昨日(11月3日)は、京成金町線で、3540Fと3600形3668Fとの共演が見られていたことを聞いたので、寅さん(男はつらいよシリーズ)でお馴染みの柴又駅で並びを撮影することが出来ていました。

本日(11月4日)もこの組み合わせでの運転となっています。

芝山千代田駅は、成田国際空港(成田空港)✈️の整備地区に隣接された1面1線の高架駅であり、駅のホームから飛行機✈️を眺めることも出来ます。

芝山千代田駅には、エレベーターや車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽もあるので、バリアフリー駅となっています。

芝山鉄道線🚃では、PASMOやSuicaなどのICカード💳が使えないので、ICカード💳で芝山鉄道線へ乗り越した場合には、芝山千代田駅の窓口で芝山鉄道線の運賃を現金で精算し、この時に渡される「PASMO・Suica処理連絡票」をICカード取り扱い駅でICカードと共に呈示した上で処理してもらうことになります。

芝山町は、埴輪(はにわ)で有名であり、芝山千代田駅には、埴輪の銅像があります。

芝山千代田駅では、芝山鉄道線の乗車記念証明書(会計年度毎(4月から翌年の3月までの間)に3回発行される)を貰うことが出来るけど、回数毎に700枚限定であり、芝山鉄道線の駅係員に申し出る必要があります。

開業20周年版の乗車記念証明書の2回目は、在庫切れとなっているので、ご希望なら、12月1日に発行予定の3回目までお待ち下さいということになります。

航空科学博物館と隣接する成田空港 空と大地の歴史館へは、芝山千代田駅から徒歩30分またはバス🚌で行くことが出来ます。

周辺には、ひこうきの丘があり、ここで離着陸する飛行機✈️を眺めたり撮影したりすることも出来ます。

詳細は、「航空科学博物館」、「成田空港 空と大地の歴史館」、「ひこうきの丘」で検索。

成田空港✈️や成田山新勝寺のある千葉県成田市は、1954(昭和29)年3月31日に、印旛郡の成田町、公津村、八生村、中郷村、久住村、豊住村、遠山村の合併により出来た市であり、2006(平成18)年3月27日に下総町、大栄町が成田市に編入されて現在の形となっています。

同じ1954年3月31日には、印旛郡臼井(うすい)町、佐倉町、志津村、寝郷村、弥富村、和田村の合併により千葉県佐倉市が誕生した時でもありました。

芝山千代田駅のある山武郡芝山町は、1955(昭和30)年7月1日に、千代田村と二川村の合併により出来た町であり、芝山千代田駅に千代田村だった頃の名残があります。

成田は、成田山新勝寺で有名だけど、1978(昭和53)年5月20日に、成田空港✈️が新東京国際空港として開港してからは、成田(Narita)の知名度が上がっていました。

自動車の成田ナンバーは、2006(平成18)年10月10日に出来た千葉ナンバーベースのご当地ナンバーであり、成田市と、周辺の富里市、山武市、神崎(こうざき)町、多古町、芝山町、横芝光町が対象地域となっています。

京成東成田線の東成田駅は、1978(昭和53)年5月21日から1991(平成3)年3月18日まで、初代の成田空港駅(2面4線)で一般列車用のホームと、スカイライナー専用ホームに分かれていました。

当時は、成田空港の旅客ターミナルビルとは、成田空港交通による有料のシャトルバス🚌に乗り換える必要があったので、大きな荷物を持っていた時に苦戦を強いられていました。

当時の成田空港駅(現在の東成田駅)がターミナルビルから離れた場所に設けられていた理由は、東京駅と成田空港✈️の間で、成田新幹線が計画され、ターミナルビルの直下に乗り入れる予定があったからであり、一部分のみ工事が着工されただけで計画が中止されていました。

当時の国鉄は財政難であったことから、建設中止もやむ無しの状態でありました。

もしも成田新幹線が予定通りに開業していたら、大幅な赤字や騒音問題に苦しんでいたことはもちろんのこと、京葉線の東京駅乗り入れや、京成線及びJR成田線(在来線)の成田空港の直下乗り入れが実現しなかったところでありました。

JR東日本の京葉線の東京~越中島間も、成田新幹線計画の一部となっていたけど、成田新幹線のトンネルから転用されたものではなく、京葉線用として新規に建設された地下トンネル区間であります。

1991年3月19日に成田空港への新線が開業し、成田空港アクセスに参入していたJR東日本と共に空港ターミナルビルの直下に乗り入れるようになってからは、渋滞知らずの列車で成田空港まですぐに行けるようになっています。

国鉄→JR東日本の成田空港アクセスが、成田新幹線から在来線(成田エクスプレス等)にシフトされたことにより、新線建設をJR成田駅~成田空港間の空港新線(成田線空港支線、成田新幹線建設用地からの転用)だけで済ますことが出来たほか、東京駅のみならず、新宿駅や横浜駅などから直通列車を走らせることも出来るようになったというメリットがあります。

自分(しゃもじ)としては、東京~成田空港✈️間は新幹線よりも在来線で充分だと思っています。

2010年7月17日の成田スカイアクセス線(京成成田空港線)の開業により、新AE形3代目スカイライナーにより、日暮里~空港第2ビル間ノンストップで最速36分と、スピーディーなアクセスが実現していました。

京成スカイライナーは、印旛日本医大~空港第2ビル間での160Km/h運転により、日暮里~空港第2ビル間36分という大幅なスピードアップとなっているので、遠かった成田空港が近くなったのであります。

京成上野~空港第2ビル間も約40分なので速いな❗と思いました。

幻となった成田新幹線は、東京~成田空港✈️間で30~35分で結ぶ計画となっていたので、京成スカイライナー(日暮里~空港第2ビル間最速36分)がその代わりの速達列車となったことが分かります。

1991年3月19日には、これまでの成田空港駅が東成田駅となり、京成成田~東成田間が京成東成田線という支線に格下げされていました。

この時に、スカイライナー専用ホームが閉鎖され、留置線として扱われるようになったけど、ホームは、撤去されずに残されています。

スカイライナー専用ホーム跡は、旧成田空港駅の表示のままとなっているので、時が止まったかのような状態であると言われています。

1992(平成4)年12月6日の成田空港の第2旅客ターミナルビルの新設により、空港第2ビル駅が開業してからは、東成田駅と地下通路で結ばれるようになっています。

自分(しゃもじ)は、東成田駅から空港第2ビル駅まで連絡通路を歩いたことがあるけど、閑散とした東成田駅から、賑やかな空港第2ビル駅に移動したことになりました。

東成田駅は、成田空港の敷地内にあるとは思えないほど閑散とした状態であり、2002年10月27日の芝山鉄道線の開業により、途中駅となってからは、更に寂しさを増してしまいました。

このことは、外来の休診日である休日の病院🏥が閑散としていることと似ている状態であります。

空港第2ビル駅まで、スカイライナー🚃💺✈️等の成田空港アクセス列車で行き、連絡通路を通って東成田駅から芝山鉄道線に乗ることも出来ます。

成田空港のターミナルビル間の連絡バス(成田空港交通による運用)🚌✈️は、東成田駅も経由することになっています。

東成田駅の改札外には、旧成田空港駅からのシンボルである陶板壁画「曲水の宴」があるのが特徴であります。

旧成田空港駅→東成田駅が廃止されずに残された理由は、芝山鉄道線と結ぶ計画があるからだけでなく、空港内に勤務する通勤客たちへの配慮があるからでもあります。

1911(明治44)年から1946(昭和21)年10月9日までは、成田鉄道(千葉交通の前身)による多古線(成田~八日市場間)が出ていたけど、こちらは、1944(昭和19)年1月11日に不要不急線として休止され、そのまま正式に廃止されていました。


末期の路線は、成田~西成田~東成田~法華塚(ほっけづか)~三里塚~千代田~五辻(いつじ)~飯笹~染井~多古~下総吉田~豊栄~西八日市場~八日市場で、東成田駅は、成田空港の敷地内にある京成電鉄東成田線と芝山鉄道線の東成田駅(初代成田空港駅)とは全く異なる位置にあったので、別物でありました。


千代田駅は、大阪府河内長野市にある南海高野線の駅とは別であり、現在の芝山千代田駅の南側(500mの位置)にありました。


三里塚駅からは、成田鉄道八街線(三里塚~八街間)が出ていたけど、1940(昭和15)年5月をもって廃止されていました。


1944年12月10日までは、不動尊~宗吾間で成宗電気軌道由来の路面電車も運転されていたけど、こちらも成田鉄道による運用となっていました。


成田鉄道は、鉄道事業廃止後に、成田バスとなり、1956(昭和31)年11月に、現在の千葉交通となっています。


JR成田駅と八日市場駅を結ぶJRバス関東のバス路線(香取郡多古町にある東関東支店所属で成田ナンバーとなっている)は、三里塚、航空科学博物館前、芝山千代田駅、多古台バスターミナルを経由することになっているので、成田鉄道多古線の代替路線として扱われています。


成田駅に乗り入れる鉄道路線は、JR東日本と京成電鉄だけど、昔は成田鉄道もあったのであります。


1991年3月19日に成田空港駅が空港ターミナルビルの地下駅にある駅にシフトされたことにより、東成田駅が別の形で復活していたのであります。


成田市土屋には、多古線の橋台跡が残されています。



詳細は、「成田鉄道多古線 廃線跡」で検索。

芝山鉄道線(東成田~芝山千代田間)で半径160mの急カーブがあるのは、空港建設反対派の用地である「木の根ペンション」がある為であり、その真下に地下トンネルを建設せずにそれを避けて迂回する形である為にこうなったのであります。

詳細は、「木の根ペンション」で検索。

芝山鉄道線は、九十九里海岸(蓮沼海浜公園)方面まで延長される計画があるけど、残念ながら未だ工事が着工されていない状態であります。

その代替措置として、2001(平成13)年4月1日から、成田空港空港第2ターミナルビル✈️~芝山千代田駅、JR松尾駅南、道の駅オライはすぬま経由~横芝屋形海岸(九十九里海岸、山武郡横芝光町)間で空港シャトルバス🚌✈️が千葉交通(京成グループのバス会社)によって運転されています。

京成成田駅は、3面3線で、5番線側に駅舎(西口(参道口))があります。

1番線と2番線は、京成本線上り(京成船橋、京成上野、押上(スカイツリー前)、都営浅草線方面)、東成田線・芝山鉄道線(東成田、芝山千代田方面)、3番線は、モーニングライナー(日暮里、京成上野方面)、4番線は降車専用、5番線は、京成本線下り(空港第2ビル(成田第2・第3ターミナル)✈️、成田空港(成田第1ターミナル)✈️方面)から成っており、ホームの間は地下通路で結ばれています。

東口(富里市、日吉台ニュータウン方面)へは、西口(参道口)にある改札を出て、東西連絡地下道を通って行くことになります。

千葉県富里市は、夏が旬であるスイカ🍉の産地としても有名であります。

成田山新勝寺は、千葉県成田市にある、有名な寺院であり、大本堂、平和の大塔、三重塔、釈迦堂、光明堂、額堂、一切経堂、出世稲荷、聖徳太子堂、醫王殿(いおうでん)、仁王門、総門、旧本堂薬師堂などから成っています。

ここには、成田山公園や成田山書道美術館などもあるので、広大な敷地が生かされています。

成田山書道美術館の脇に、水琴窟と呼ばれる場所があり、名琴のような澄んだ音を楽しむことが出来ます。

成田山新勝寺は、成田空港✈️から近いので、羽田空港✈️の近くにある羽田神社と同様に、空の安全祈願が行われています。

自分(しゃもじ)も成田山新勝寺に行ったことがあるけど、いいところだな❗と思いました。

成田山新勝寺へは、JR成田駅または京成成田駅から徒歩10分で行くことが出来ます。

詳細は、「成田山新勝寺」、「成田山公園」、「成田山書道美術館」で検索。

JR成田駅、京成成田駅から成田山新勝寺へと向かうところにある成田山表参道には、羊羹やうなぎなどの店が軒を連ねており、洋風スイーツの店もあることから、和洋折衷の街並みとなっています。

そのうちの、なごみの米屋(よねや)總本店は、特に有名であり、芋羊羹、いちご大福、どら焼き、ぴーなっつ最中などの和菓子が充実しています。

なごみの米屋の由来は、江戸時代に米穀店や雑貨店が営まれていたことであり、米屋さんから始まっていたことが分かります。

こちらには、成田羊羹資料館や成田生涯学習市民ギャラリーも併設されているので、色々なことを学ぶことが出来ます。

京成上野駅のコンコースから地下ホームに下りるところにも、なごみの米屋の広告があるので、それを見た時に有名なんだな❗と思いました。

なごみの米屋は、千葉県内の至るところにも支店があります。

詳細は、「なごみの米屋」、「なごみの米屋總本店」で検索。

京成3500形は、1972(昭和47)年から1982(昭和57)年に掛けて96両導入された京成電鉄初のステンレス車(セミステンレス車)であり、1993(平成5)年まで活躍していた旧AE形(初代スカイライナー)と共に70年代の京成を代表とする車両となっていました。

1996(平成8)年から2001(平成13)年までの間には、1972年から1974(昭和49)年に掛けて製造された初期型(3504~3556F)が更新されていたけど、1976(昭和51)年から1982年に掛けて製造された後期型の3560F~3596Fが更新されることもなく廃車となっていました。

1972年から1974年に掛けて製造された車両は、2006(平成18)年まで活躍していた小田急電鉄の9000形(初代地下鉄千代田線乗り入れ用車)と同期でありました。

当初は京成3500形の96両全てが更新される予定となったけど、途中から更新させるよりも新車に置き換えたほうが効率が良いと判断されたので、後期型の10編成40両の更新工事が見送られて未更新のまま残され、2017(平成29)年2月の3588Fの廃車をもって全廃となっていました。

このことは、小田急電鉄の1000形で、ワイドドア編成(1700番台)を除いた全編成がリニューアルされる予定が変更され、リニューアルの対象から外された1000形の通常ドア車も順次廃車の運命を辿っていたことに準じています。

小田急1000形の非リニューアル車は、1058F(赤色の箱根登山鉄道カラーだった)の廃車により小田急の方向幕車と共に全滅していました。

京成3588Fは、金町線のほか、京成本線でも乗った編成でもありました。

京成3500形の製造メーカーは、日本車輌製造、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、川崎重工業(川崎車両、Kawasaki)であり、汽車会社から受け継がれた川崎重工業製の京成の電車は、3500形が最後となっています。

川崎重工業(Kawasaki)製の編成は、3516,3536Fであり、廃車となった3532,3568,3572,3576Fもこうなっていました。

3500形更新車も、2018(平成30)年10月の3532Fを皮切りに廃車が進められるようになっているので、3500形を見掛けた時に撮影するようにしています。

一部は4+2の6両(分割された片割れの編成を含む)で使われているので、本線でも見ることが出来ます。

こちらは幕式なので、京成臼井行きに入った場合には、「うすい」の表示が見られることになります。

4両編成での単独運転(11月25日まで)は、平日の午前中の京成成田~芝山千代田間の往復運用(81運用)と、金町線の71運用と73運用であり、3540Fは、前者の81運用の時に芝山鉄道線に入ることになっています。

11月26日からは、金町線(京成高砂~京成金町間)、千原線(千葉中央~ちはら台間)、東成田線・芝山鉄道線(京成成田~東成田~芝山千代田間)の一部でワンマン運転が行われるようになるので、3500形の4両編成や3600形の3661Fがワンマン改造されています。

これにより、関東の大手私鉄でワンマン運転が行われていない会社は、小田急電鉄、京浜急行電鉄(京急)、相模鉄道(相鉄)の3社となります。

3500形の3540Fは、1973(昭和48)年に日本車輌製造豊川製作所で製造された編成で、2000(平成12)年に車体更新され、2013(平成25)年4月に芝山鉄道にリースされています。

これまで芝山鉄道にリースされていた車両は、前述の3600形の3618Fで、2013年に京成電鉄に返却された後、芝山カラーのまま活躍し、同年12月に京成カラーに戻され、2017年2月に廃車となっていました。

3600形で最初に編成単位で廃車となった編成は、3618Fでありました。

京成金町線は、京成高砂駅と京成金町駅(東京都葛飾区内)を結ぶ全区間2.5Kmの路線であり、途中に、寅さん(男はつらいよシリーズの映画)でお馴染みの柴又駅(交換可能駅)があります。

柴又駅では、色違いの3500形の交換シーンが見られていました。

京成高砂駅の金町線ホーム(5番線)が高架化され、金町線が全線単線の路線として独立したのは、2010(平成22)年7月5日のことであり、同年7月17日の成田スカイアクセス線の開業に備えていました。

独立前(2010年7月4日以前)の金町線は、京成高砂駅の4番線から発車し、柴又まで複線区間を通っていました。

独立後は、京成高砂~柴又間が単線並列区間(旧下り線は高架ホームに接続、旧上り線は出入庫対応により地平ホームに接続)となり、早朝・深夜以外は2本運用で、柴又駅での交換シーンを見られるようになっています。

京成高砂駅で、金町線が独立した理由は、成田スカイアクセス線の開業による踏切の遮断時間の増加を防ぐ為でありました。

このことは、阪急電鉄の西宮北口駅(兵庫県西宮市、阪急西宮ガーデン前)で、今津線(今津南線、西宮北口~今津間)の5号線だけが独立した高架ホームで、阪急神戸本線や今津北線(宝塚~西宮北口間)が地平ホームであることに似ている状態であります。

西宮北口駅の今津南線乗り場が高架化されたのは、奇しくも同じ2010年のことでありました。

西宮北口駅は、1984(昭和59)年まで、阪急神戸線と今津線の平面交差(ダイヤモンドクロス)があったことで有名でありました。

それが廃止されてからは、今津線が西宮北口駅で系統分割されていました。

阪急今津南線は、西宮北口駅を出た後、阪神国道、今津(同じ阪急阪神ホールディングス系の阪神電気鉄道阪神本線への乗換駅)の順に停車するので、京成金町線との共通点があります。

阪急今津南線での運用車両は、6000系のワンマン運転対応車の3両編成で、甲陽線(夙川~甲陽園間)と共通であります。

京成金町線は、単線で車掌乗務(ツーマン運転)

阪急今津南線は、西宮北口駅付近を除いて複線でワンマン運転であります。

阪急電鉄では、5月9日の記事で話題にしたように、○番線ではなく、○号線と呼ばれているのが特徴であります。

国民的映画だった男はつらいよシリーズ(寅さん)でお馴染みの柴又帝釈天の最寄り駅である柴又駅は、2面2線の相対式ホーム(6両編成対応)で、構内踏切で結ばれており、駅舎が東側(帝釈天側)にあります。

柴又駅前には、寅さんと諏訪さくらの銅像があるので、JR常磐緩行線の亀有駅前に、こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)の主人公である両津勘吉(両さん)の銅像があることと同様であり、どちらも葛飾区の聖地と呼ばれています。

このことで、かつて京成金町線で活躍していた3300形によるこち亀(両さん)と男はつらいよ(寅さん)のラッピング電車が運転されていたことを思い出しました。

柴又~京成金町間は、当初からの単線区間であり、京成金町線のルーツである帝釈人車鉄道→帝釈人車軌道だった頃の名残があります。

帝釈人車鉄道は、1899(明治32)年12月17日に、柴又~金町間で開業した、6人乗りの小さな客車を人の力で押していくという、その名の通りの帝釈天へのアクセスによる人車鉄道(人力車)でありました。

1897(明治30)年12月27日に日本鉄道(現在のJR常磐線の前身)の金町駅が開業していたので、金町駅から帝釈天への参拝客を送り込む為に帝釈人車鉄道が作られたのであります。

1912(大正元)年11月3日には、京成電気軌道(京成電鉄の前身)の曲金(現、京成高砂)~柴又間が開業したけど、当時は柴又~金町間での人車軌道(同年4月27日に京成電気軌道に吸収合併されていた)の運行が継続されていました。

翌年の1913(大正2)年8月には、人車軌道としての運行が終了し、同年10月21日には、単線の普通鉄道に転用された上で、現在の金町線の路線となったのであります。

1931(昭和6)年11月18日には、曲金駅が京成高砂駅、金町駅が京成金町駅に改称されて現在に至っています。

柴又~京成金町間で並走する柴又街道は、江戸川区江戸川(旧江戸川、都営新宿線の瑞江駅の南東部)から、JR小岩駅、京成小岩駅、新柴又駅、柴又帝釈天前を経由して、金町へと至る道路であり、小岩駅と金町駅の間を新柴又駅、京成小岩駅経由結ぶ京成バスの小55系統(金町営業所所属、足立→葛飾ナンバー)🚌もここを通っています。

京成バスの小55系統は、駅と駅の間を結ぶ縦バスであるので、同じ京成バスの松11系統(松戸営業所、松戸駅~矢切駅、国府台駅経由~市川駅間、松戸営業所所属)に似ているところがあります。

京成金町駅は、JR金町駅の南口側にある1面1線の駅であり、京成高砂駅の5番線と同様に、4両編成までしか停車出来ないので、3540Fを含めた3500形や3600形の3668F(4両編成)に限定されています。

京浜急行電鉄(京急)の大師線は、4両編成までしか入れないことに加え、沿線に仏閣のある発祥路線であるので、京成金町線との共通点があります。

普通鋼製の京急1500形の初期型車は、一部が新1000形の1890番台(ル・シエル、トイレ付き🚻の4両編成の多目的車両)に置き換えられていました。

このことで、かつて4両編成の京急の電車(旧1000形、1500形、600形650番台)が終夜運転で京成金町駅に乗り入れていたことを思い出しました。

京成金町駅のホームの南側には踏切とは別の東西自由通路もあります。

駅舎には、ファミリーマート(コンビニ)🏪があるけど、こちらはかつてam/pmとなっていました。

その2階には、有名な英会話スクールである、駅前留学NOVAの金町校が入っています。

駅前留学NOVAは、駅前にあることに加え、講師が全員外国人であることが特徴であります。

京成金町駅のトイレ🚻は、ホームの端にあり、車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が手前側のスロープの横にあります。

男性用トイレ🚹️の入口は、女性用トイレ🚺️の入口の奥にあるので、注意が必要⚠️であります。

その男性用トイレの個室は、隣の柴又駅や京成高砂駅と同様に、全て洋式化🚽されています。

柴又駅のトイレ🚻は、かつてだれでもトイレ以外和式トイレしかなかったけど、改良により洋式化🚽されていました。

京成高砂駅のトイレ🚻は、京成本線側と金町線(5番線)側の改札内にあり、こちらもやはり全て洋式🚽となっています。

京成高砂駅の京成本線側のトイレも、かつてだれでもトイレ以外和式トイレしかなかったけど、5番線側は当初から全て洋式🚽となっています。

金町駅の北にある水元公園は、東京23区で最大規模を誇る、水郷が生かされた都立公園であり、金町駅の北口からバス🚌に乗って行くことになります。

水郷が生かされた公園だから水元公園なのであり、こちらも葛飾柴又などと並ぶ葛飾区の名所となっています。

詳細は、「水元公園」で検索。

柴又帝釈天の近くにある寅さん記念館には、帝釈人車軌道のミニチュアがあり、当時の運転方法を見ることが出来ます。

これを見た時には、現在も運転されていたら、人力車と同様に電気や燃料を使わないエコカーとなっていたところだったなと思いました。

葛飾柴又は、柴又帝釈天、葛飾寅さん記念館、山田洋次ミュージアム、山本亭などの見所があります。

葛飾柴又の名物は、草だんごであり、そのうちの「とらや」は、映画の撮影で使われたことで有名であります。

とらやと言えば、東京都港区赤坂に本社、本店のある「とらや」ブランドで有名な和菓子店である虎屋を思い出すけど、広島県福山市に本社のある虎屋本舗と同様に、葛飾柴又のとらやとは無関係(別物)であります。

区別する為に、葛飾柴又のとらやのことを、柴又のとらやと呼ぶことにします。

高木屋老舗は、寅さんゆかりの品や写真が飾られており、ホームページでもチェックすることが出来ます。

葛飾柴又で草だんごを味わうならやはり、寅さん気分も味わいたいものであります。

詳細は、「葛飾柴又」、「柴又帝釈天」、「葛飾寅さん記念館」、「柴又 草だんご」、「柴又 高木屋」、「柴又 とらや」で検索。

京成金町線が通っている東京都葛飾区は、1932(昭和7)年10月1日に、南葛飾郡新宿(にいじゅく)町、金町、奥戸町、南綾瀬町、本田(ほんでん)町、水元村、亀青村の東京府東京市(東京都の23区の前身)への編入合併で出来た区であり、葛飾郡→南葛飾郡だった頃の名残があります。

青砥駅は、1928(昭和3)年11月1日に開業した当時は、本田町の時代でありました。

京成八幡駅付近にある葛飾八幡宮⛩️は、葛飾区ではなく、千葉県市川市にあるのは、所在地が東葛飾郡八幡町だったことによるものであり、一昨年8月末に閉園となった豊島園(としまえん)が、豊島区ではなく、練馬区(旧、北豊島郡)にあったことと同様であります。

金町駅は、その名の通り、金町だった頃の名残があります。

こち亀で有名な葛飾区亀有は、ここは亀有ご当地アイドルプロジェクト(coco亀、亀有のの3人組のご当地アイドル)🐢の地元でもあり、一昨年11月8日に亀有香取神社⛩️でデビューライブが行われていました。

亀有香取神社⛩️は、亀有駅の南側にある神社⛩️であり、2018年末に、御鎮座七百四十年奉祝記念事業「平成の大整備事業」が完成し、綺麗な神社となっています。

それがグッドデザイン賞に選ばれていました。

coco亀🐢のほうは、さゆ、まゆ、そらの3人組であり、いたちごっこのコロナ大騒動の最中の亀有を元気にすることや、亀有の魅力を伝える為に結成されていました。

詳細は、「亀有香取神社」、「coco亀」で検索。

葛飾区亀有(JR常磐緩行線の亀有駅もある)の由来は、戦国・室町時代に古隅田川と葛西川が合流して亀の背に似た島状の土地となっていたことであり、亀無、亀梨と呼ばれていたことで縁起が良くなかったことにより、亀有となったのであります。

葛飾区亀有は、昔亀青村だった場所でもあり、亀有と青戸に因んだ村名でありました。

江東区にある亀戸(かめいど)の由来は、昔江戸湾に浮かんでいた亀島であり、亀🐢のような形であったから名付けられていました。

それが陸続きになったことによって亀村となり、そこに亀ノ井という井戸があったことから、亀井戸がもじって亀戸と名付けられていたのであります。

このように、亀有と亀戸は、昔亀🐢のような形の地形となっていたことが由来となっていたという共通点があることが分かります。

このことをcoco亀🐢のメンバーにも勉強してもらいたいということで、このことを書きました。

亀戸と言えば、4月28日にサンストリート亀戸の跡地にカメイドクロックがオープンしたことで話題になっています。

詳細は、「カメイドクロック」で検索。

芝山鉄道線の芝山千代田駅付近(成田空港近く)には、成田空港温泉 空の湯という日帰り温泉施設♨️があり、飛行機✈️が見える屋上露天風呂♨️が売りと言われています。

空の湯へは、芝山千代田駅(京成成田駅から2駅、東成田駅から1駅)から徒歩3分で行けるのが嬉しいと思います。

詳細は、「成田空港温泉 空の湯」で検索。

北海道の新千歳空港✈️にも温泉♨️があることを聞いたので、このブログのネタにしたくなります。

こちらは、飛行機✈️で帰る前に入れるのが嬉しいと思います。

飛行機✈️は、すんなり乗れる鉄道やバスとは違って、搭乗前に搭乗手続き(チェックイン)や手荷物検査を行う必要があることにより、搭乗手続き(チェックイン)締め切り時刻までにカウンターに戻らなければならないので、注意が必要⚠️であります。

新千歳空港温泉にはもちろん、北の味覚を味わうことの出来るお食事処も設けられています。

詳細は、「新千歳空港温泉」で検索。

北海道は、冬は銀世界であり、雄大な緑の風景が広がる場所であります。


都営交通(東京都交通局)では、12月3日に、馬込車両検修場で、開局111周年記念の都営フェスタ2022での5300形と5500形の撮影会並びに工場見学会(リアルイベント、10時から16時までの間、車両撮影会、工場見学、展示・グッズコーナー各20分、合計60分、30名毎に10回、参加は無料で、指定時間は30分毎のランダムである)が行われるけど、大田区民枠(最初の10時からと10時30分からの2回)と一般枠を合わせた300名様による抽選制となります。

申し込み期限は、11月14日の17時までとなっています。

申し込み等の詳細は、都営交通のホームページを見るか、「都営フェスタ2022」で検索。


10月30日は、京急1893F(すみっコぐらし号)が、すみっコぐらし10周年記念の団臨に使われていたけど、京急本線から京急大師線に入るシーンも見られていたことを聞きました。

本日(11月4日)のすみっコぐらし号は、
朝の快特の増結運用である金沢文庫 7時53分発→品川 8時42分着、8時54分発→金沢文庫 9時42分着の快特の1往復の運用(平日254行路)となっていました。

606F(すみっコなかま号)は、土休日014行路でありました。

9月10日,23日と、10月1日と29日は、京急蒲田駅の2番線(3階の臨時ホーム、隅っこでもある)で、すみっコぐらし10周年記念列車の展示が10時30分~16時(入場は15時30分まで)の間に行われていたけど、最大3時間待ちということを聞きました。

これにより、京急蒲田駅でのドレミファ記念券の二の舞となってしまいました。

1893Fのラッピングは、明後日(11月6日)までとなっているけど、自分(しゃもじ)は、9月15日に撮影することが出来て良かったと思っています。

東京スカイツリータウンでは、そらのおばけ👻のナイトパークinTOKYO SKYTREEが行われています。

東京スカイツリータウンのある場所は、墨田区(すみ田区)であります。

東急電鉄では、5166F改め4112Fが、赤いQシート車2両(4号車と5号車)入りの10両編成となった上で、10月24日から暫定的なロングシートモードで営業運転入りするということを聞きました。

来年春には、東横線でもQシートのサービスが開始される予定となっています。

昨日(11月3日)は、土休日57K運用(西武線直通)に入っていました。

10月10日の記事で紹介した、E2系新幹線のJ66編成(200系(緑の疾風)カラー)は、昨日(11月3日)は、やまびこ128→135号、本日(11月4日)は、やまびこ148→157号の流れとなっていました。

あーにゃこと伊藤蒼姫氏😸は、1学期の前髪というアイドルグループ(まえがみちゃん)で活躍するようになるけど、10月15日の土曜日に初お披露目が行われていました。

この日は、土曜出勤(休日EXE、アウェイ、銅曜日)により行かれなかったのが残念であります。

これにより、あーにゃ😸に会える機会が増えるので楽しみにしています。

22日から23日までは、1学期の前髪(まえがみちゃん)の仙台遠征が行われ、22日はライブ、23日はオフ会となっていました。

あーにゃたちが行きに乗った新幹線は、E2系によるやまびこ号だったけど、J66編成ではなく、ノーマル編成となっていました。

往復やまびこ号だったので、あーにゃ😸は、はやぶさ号に乗れなくて残念だと言ってました。

10月29日は、あーにゃ😸が出てきたまえがみちゃんカフェが行われていたけど、土曜出勤(休日EXE、アウェイ、銅曜日)により行かれなかったのが残念でした。

11月12日のあーにゃの生誕祭も、土曜出勤(休日EXE、アウェイ、銅曜日)により行かれないので、土曜出勤により行かれないことは平日出勤よりも気まずい思いになってしまいます。

詳細は、「1学期の前髪」、「伊藤蒼姫」で検索。

自分(しゃもじ)は、4月17日以来YORISOERUのメンバーと会えていない状態であり、半年経ってしまいました。

こちらも再会してみたいと強く思っています。

先週もまた再会することが出来ませんでした。

おまけに1学期の前髪(まえがみちゃん)にも会えなかったです。

本当に土曜出勤の多発の影響により、再会の目処が立っていない状態であります。

土曜出勤の後、日曜日の公休日(単休)を挟んで週明け(シウアケ)の月曜日にまた仕事という絶望の週末となってしまった場合には、自分(しゃもじ)がドルヲタ($ヲタ)活動が出来ないことが多い状態であります。

東急5166Fが4112Fとして復活しても、YORISOERUのメンバーと再会ならずとなってしまいました。

しゃもじ派の地下アイドルたちにとって、しゃもじさん🐰は土曜日に来ない❗ということで、そんなのしゃもじさんじゃない❗ということになっています。

自分(しゃもじ)の土曜出勤日には、アイドルのライブやイベントが多発しているけど、スケジュールはそれぞれの事務所によって決められるので、自分(しゃもじ)の都合には致しかねます。の状態であります。

31日の月曜日の当ブログでは、先週に続いてバスネタ🚌となったので、長電バスを話題にしました。

11月1日は、東急バス、相鉄バス、上田バス(長野県上田市のバス会社)による、横浜駅西口、新横浜駅、たまプラーザ駅~軽井沢、草津温泉♨️間の直通高速バス🚌💺が運転開始されていました。

1日3往復(東急バス、相鉄バス、上田バスの各社1往復ずつ)であり、新横浜駅経由は上田バスの1往復、たまプラーザ駅経由は相鉄バスの往路(軽井沢、草津温泉方面)、東急バスの復路(横浜方面)となります。

たまプラーザ駅~軽井沢、草津温泉♨️方面は、上田バスによる渋谷マークシティ経由となっているけど、11月1日からは横浜発着の1往復にシフトされていました。

車両は4列シート(ロマンスシート)で、もちろんトイレ🚻🚽付きであります。

途中休憩場所は、関越自動車道の上里サービスエリアとなっています。

草津温泉♨️は、岐阜県の下呂温泉、兵庫県の有馬温泉と並ぶ日本三名泉の一つであり、人気の温泉地でもあります。

横浜方面から軽井沢や草津温泉♨️まで乗り換えなしで行ける高速バス🚌が出来るのは、嬉しいことであります。

横浜~草津温泉間の東急バスは、新羽営業所所属であります。

渋谷、二子玉川~軽井沢、草津温泉間の高速バスは、西武バスの二子玉川、渋谷~軽井沢間、上田バスの二子玉川、渋谷~軽井沢、草津温泉間、東急バスと京王バスの渋谷~軽井沢、草津温泉間であり、10月31日までは東急バスの往路と京王バスの復路が二子玉川発着となっていました。

詳細は、「東急バス」、「相鉄バス」、「上田バス」、「草津温泉高速バス」で検索。

東急バスでは、渋谷駅西口と高輪ゲートウェイ駅の間を結ぶ渋43系統が新設されていたので、こちらに乗りに行きたいと思っています。

11月1日は、川越市が市制施行100周年を迎えたので、東武東上線の50090型(TJライナーの車両)の50090型51094F、西武新宿線の10000系10108F、JR埼京線、川越線、相鉄・JR直通線のE233系7000番台のハエ106編成にヘッドマークが来年1月までの予定で取り付けられています。

西武10000系10108FとDORAEMON-GO!の位置情報は、西武線アプリ📱で調べることが出来ます。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

6月27日に書いた小田急50000形VSEに関する記事は週間で最大174アクセスとなったので、大好評でありました。

10月1日の北総鉄道、3日の庄内交通、16日の西武トレインフェスティバル2022、17日の三重交通、20日の西武L-train、24日の京王バスの新型エアロエースの記事も大好評であります。

当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。

過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。

芝山鉄道線、京成線の時刻、運賃、運行状況、ライナー券の予約等の詳細は、芝山鉄道や京成電鉄のホームページを見るか、「芝山鉄道線」、「京成線」、「京成金町線」で検索願います。


本当に一足早い感染者数の減少、ワクチンの更なる普及、コロナの収束、自分(しゃもじ)のアイドルとの再会を願っています。

このように、芝山鉄道開業20周年記念ヘッドマーク付きの3500形3540Fを撮影し、話題にすることが出来て良かったです。