東京急行電鉄→東急が、目黒蒲田電鉄として創業されてから、本日(9月2日)で100周年を迎えていました。

東急の母体となった目黒蒲田電鉄は、今からちょうど100年前の1922(大正11)年9月2日に、田園都市株式会社(渋沢家によって設立された、洗足地区や田園調布地区の開発が行われていた住宅地開発会社)の子会社として、五島家によって設立され、翌年の1923(大正12)年3月11日に、初の鉄道路線として、目黒線(初代)の目黒~丸子(現、沼部)間が開業していました。

開業当時は、不動前駅が目黒不動前駅、田園調布駅が調布駅(京王線の駅とは別であった)、沼部駅が丸子駅となっていました。

西小山駅は、1928(昭和3)年8月1日と、後から開業した駅であります。

同年11月1日には、蒲田駅まで延長され、目蒲線(現在の目黒線の一部と東急多摩川線)となっていました。

1924(大正13)年10月25日には、姉妹会社(同じ五島家由来)であった武蔵電気鉄道から(旧)東京横浜電鉄に社名変更され、1926(大正15)年2月14日に、現在の東急東横線の一部(神奈川線)である丸子多摩川(現、多摩川)~神奈川間が開業し、目黒蒲田電鉄との相互直通運転が目黒~神奈川間で行われていました。

東横線の神奈川駅は、反町~横浜間にあった駅で、1945(昭和20)年5月29日の横浜大空襲で全焼し、1950(昭和25)年4月8日に正式に廃止されていました。

新太田町駅も、1945年の空襲により被害を受けた駅であり、同様の理由で休止→廃止されていたけど、1949(昭和24)年3月15日から6月15日まで、周辺で開催されていた日本貿易博覧会の時に、博覧会場前臨時駅(神奈川会場の最寄り駅)として復活していました。

東横フラワー緑道の東白楽~反町間(マンションの角)には、新太田町駅跡のモニュメントがあり、こちらの近くには、ミニストップ🏪があるので、目印となっています。

その遺構は、渋谷~代官山間にあった並木橋駅跡と同様に、地下化によって失われていたけど、記念碑が残されていることは嬉しいことだと思っています。

鈴川絢子氏による東横フラワー緑道のYouTube動画では、新太田町駅跡にあるモニュメントも紹介されていたので、流石だな❗と思いました。

こちらは見落としやすいポイントなので、注意が必要⚠️であります。

1927(昭和2)年8月28日には、渋谷~丸子多摩川間が開業し、渋谷~神奈川間での直通運転が行われていたことにより、東横線と呼ばれるようになっていました。

その前の1927年7月6日には、大井町線の大井町~大岡山間が、目黒蒲田電鉄によって開業し、翌年の1928年5月5日には、田園都市株式会社が目黒蒲田電鉄に吸収合併され、開発部門も受け持つようになっていました。

このことは、昨日の記事で紹介した、小田原急行鉄道(小田急電鉄の前身)が、親会社だった鬼怒川水力電気と合併されたことで、(旧)小田急電鉄となったことと似たような状態でありました。

小田急のほうは、鬼怒川水力電気と共に、利光家によって設立されていたのであります。

大井町線は、1929(昭和4)年12月25日に大岡山~自由ヶ丘(現、自由が丘)間が開業したことにより全通していたけど、自由ヶ丘~二子玉川間に関しては、同年11月1日に二子玉川線として先行開業していました。

1934(昭和9)年10月1日に、池上電気鉄道が目黒蒲田電鉄に吸収合併され、池上線も加わっていました。

1928年10月5日から1935(昭和10)年10月31日までは、雪ヶ谷(現、雪が谷大塚)~諏訪分~新奥沢間に新奥沢線という支線(全区間単線だった)があったけど、東京急行電鉄→東急電鉄に継承されずに廃止されていました。

新奥沢駅の跡は、奥沢駅の南側の環八通り付近にあったけど、ここには、新奥沢駅跡の石碑があります。

1939(昭和14)年10月1日には、(旧)東京横浜電鉄が目黒蒲田電鉄に吸収合併され、10月16日の臨時株主総会の時に(新)東京横浜電鉄に社名変更されていたので、東京横浜電鉄の名がすぐに復活していたのであります。

前年の1938(昭和13)年4月1日には、玉川電気鉄道が(初代)東京横浜電鉄に吸収合併されていました。

1942(昭和17)年5月1日には、(旧)小田急電鉄(京王井の頭線の前身である帝都線を含む)と京浜電気鉄道(京浜急行電鉄(京急)の前身)との合併により東京急行電鉄(大東急)となり、1944(昭和19)年5月31日には、京王電気軌道も東京急行電鉄と合併され、大東急となっていました。

相模鉄道(相鉄)に関しては、1945(昭和20)年から1947(昭和22)年まで経営が東急に委託されていたので、大東急の一部となっていたのであります。

1948(昭和23)年6月1日には、東京急行電鉄からの独立(大東急の崩壊)により、小田急線は、(新)小田急電鉄、京王線は京王帝都電鉄(現、京王電鉄)、京急線は京浜急行電鉄となっていました。

井の頭線に関しては、小田急に返還されずに京王のものとなったので、代償として、箱根登山鉄道と神奈川中央乗合自動車(現、神奈川中央交通(神奈中バス))が傘下となっていました。

2019(令和元)年9月2日には、東京急行電鉄の鉄軌部門の分社化準備により、東京急行電鉄が東急となり、同年10月1日には、鉄軌道部門が東急電鉄として分社化されて現在に至っています。

東急電鉄は、2019年4月25日の設立当時から同年9月1日まで、東急電鉄分割準備株式会社となっていました。

東京急行電鉄の分社化の時に長年親しまれている東急の名が消えることが懸念されていたけど、東急の名を残してもらいたいということで、東急に商号変更され、2006(平成18)年1月1日から使われている東急電鉄の愛称名が分割会社の社名となったのであります。

東急株式会社は、持株会社であり、不動産事業も行われています。

来年3月には、東急新横浜線(日吉~新横浜間)が開業し、相鉄線との直通運転も行われるようになるので、更に進化することになります。

東急電鉄の路線のうち、目黒線、東急多摩川線、大井町線は、目黒蒲田電鉄、東横線は、(旧)東京横浜電鉄、池上線は、池上電気鉄道、世田谷線は、玉川電気鉄道、田園都市線、こどもの国は、東京急行電鉄によって開拓されていたけど、東急新横浜線に関しては、東急電鉄によって開拓される路線となります。

このことは、武蔵野鉄道、多摩湖鉄道、川越鉄道→(旧)西武鉄道、多摩鉄道、西武軌道との合併により、西武鉄道(乗り入れ先でもある)が出来たことと似たような出来事でありました。

因みに、西武鉄道の母体となった会社は、武蔵野鉄道であり、池袋線が発祥路線であります。

東急目黒線は、1923年11月1日から2000(平成12)年8月5日までは、目蒲線として、目黒駅~蒲田駅間での直通運転が行われていました。

目蒲線は、旧5000系青ガエルや旧3000系列が最後まで活躍していたことで有名であり、1989(平成元)年3月19日から2000年8月4日まで、4両編成で運転されていました。

2000年8月6日には、目黒~多摩川(旧、多摩川園)間が目黒線、多摩川~蒲田間が東急多摩川線として分離され、東横線の多摩川~武蔵小杉間が複々線化されたことにより、東急新3000系による目黒~武蔵小杉間の直通運転が開始されていました。

当時の東急目黒線は、新3000系だけによる運転となっていたのであります。

同年9月26日には、営団地下鉄(現、東京メトロ)南北線🚇の目黒~溜池山王間と、都営三田線🚇の目黒~白金高輪~三田間の開業により、直通運転が開始され、乗り換えなしで都心部に行けるようになりました。

翌年の2001(平成13)年3月28日には、埼玉高速鉄道線(赤羽岩淵~浦和美園間)🚇⚽が開業し、直通運転範囲が浦和美園まで拡大されていました。

東急電鉄の車両が営業運転で埼玉県に入ったのは、2001年3月28日の埼玉高速鉄道線への乗り入れ(当時は全て新3000系だった)が最初であり、2003(平成15)年3月19日には、田園都市線の車両が東武伊勢崎線・日光線に、2013年3月16日には、東横線の車両が和光市、東武東上線、西武池袋線に乗り入れるようになったことで、これらの路線も加わっています。

2008(平成20)年6月22日には、武蔵小杉~日吉間の複々線化により、目黒線が日吉駅まで延長されて現在の路線となっています。

来年3月には、東急新横浜線(日吉~新横浜間)が、相模鉄道(相鉄)新横浜線の羽沢横浜国大~新横浜間と共に開業し、都営三田線または東京メトロ南北線~東急線経由~相鉄線間(一部は新横浜駅での折り返し)の直通運転が行われる予定となっています。

このことは、東急100周年記念事業の一環であることが分かります。

2013(平成25)年3月16日の東横線の渋谷~代官山間の地下化(地下新線への移設)と共に東京メトロ副都心線経由で東武東上線並びに西武池袋線との直通運転が行われるようになったことは、2012(平成24)年4月26日に開業した渋谷ヒカリエと共に、東急90周年記念事業でありました。

東急3020系🚃は、それに伴う増備車として3編成導入された、田園都市線の2020系の3姉妹車であり、2019(令和元)年11月22日にデビューしていました。

3020系が前倒しで導入された理由は、新3000系や5080系の8両化及び相鉄乗り入れに伴う改修が行われる為であり、8月まで暫定的な6両編成として使われていました。

東京メトロ南北線の白金台~赤羽岩淵間の各駅では、フルスクリーンタイプのホームドアとなっている為にガラス越しになるので、撮影には適していないです。

都営三田線🚇は、1972(昭和47)年6月30日の巣鴨~日比谷間開業、営団地下鉄→東京メトロ南北線🚇は、1996(平成8)年3月26日の駒込~四ツ谷間開業の時から6両編成での運転が続けられているけど、これらの路線の8両化計画がようやく動き出すことになり、4月1日には、東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道線直通列車の8両化が解禁されていたのであります。

都営三田線では、5月14日の都営6500形の営業運転入りにより8両編成での運転が開始され、現在は東急車の一部も8両化されています。

都営三田線に関しては特に混雑が激しい状態なので、8両化されるのが遅いくらいでありました。

東急新3000系は、1999(平成11)年3月に、3001F(現、3101F)が暫定的な8両編成(3001Fと3002Fの中間車の一部)で落成し、同年4月16日から翌年の2000年1月までの間、東横線(渋谷~桜木町間、当時は各駅停車と急行の両方)で使われていました。

3001Fが東横線でプレデビューしていたことで、1993(平成5)年に2000系の2003F(現在は9020系9023Fとなっている)が8両の暫定編成により、東横線で活躍していたことを思い出しました。

2003F改め9023Fや3001Fも、大井町線の生え抜き編成の9007Fを除いた9000系と同様に、2004(平成16)年1月30日をもって廃止された東急桜木町駅に乗り入れていた頃の面影のある編成となっています。

2000年8月6日の目黒線の目黒~武蔵小杉間の暫定開業までの間に6両編成12本が導入されたけど、3001Fは、暫定的な8両編成から6両編成に組み換えられていました。

2001年3月には、予備車の確保により最終増備車である3013Fが導入されていたけど、こちらは埼玉高速鉄道線との直通関連もあると思っています。

新3000系の車体は、ステンレス製で、都営三田線の6300形に似ているところがあるけど、当時増備が進められていたJR東日本の209系(一部が東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)で製造されていた)の要素も取り入れられています。

新3000系は、3001Fを皮切りに、8両化が順次行われることになり、編成番号が3001Fから3101Fに改められています。

これにより、3001F改め3101Fが8両化された訳であるけど、東横線に暫定配置されていた頃とは異なる編成となっています。

5080系は、東急新5000系ファミリー(当時導入が進められていたJR東日本のE231系がベースで製造された電車)の目黒線バージョンであり、2003年3月19日のダイヤ改正で、5181Fがデビューしていました。

2004年には、新3000系の検査入場に伴う予備車の確保の為に5182Fが導入されたけど、これまで導入された編成は、田園都市線の新5000系の初期型編成や横浜高速鉄道のY500系と同様に、行先表示が3色LEDであり、当時種別表示が幕式となっていました。

2006(平成18)年9月25日の目黒線の急行運転開始の時に導入された5183Fと5184Fは、当初から種別がフルカラー式、行先が白色LEDの表示となっています。

急行運転開始前には、新3000系、5080系共に、誤乗防止により、目黒線の目黒方向(武蔵小杉→目黒間)に限り、三田線または南北線埼玉線(南北線)の表示がありました。

2008(平成20)年6月22日の日吉延長の時には、5185~5190Fの6編成が導入され、10本出揃っていました。

5080系の帯の色は、新3000系と同様の赤色と紺色であるけど、3020系では、水色の帯に変わっています。

新3000系や5080系の相鉄線乗り入れ改造後は、改造により運転台後部の右側の窓が埋められているので、かぶり付きがしづらい状態となってしまったのが残念であるけど、相鉄線乗り入れ改造後の東横線の5050系4000番台にも言えることであります。

3020系のほうは当初から相鉄線乗り入れ対応となっているので右側からの展望も楽しむことが出来ます。

東急目黒線の路線

(東京メトロ南北線経由埼玉高速鉄道埼玉スタジアム線、浦和美園駅まで、または都営三田線、西高島平駅まで直通運転)←目黒~不動前~武蔵小山~西小山~洗足~大岡山~奥沢~田園調布~多摩川~新丸子~武蔵小杉~元住吉~日吉

急行の停車駅

目黒~武蔵小山~大岡山~田園調布~多摩川~日吉

目黒線の急行は、東京メトロ南北線、埼玉高速鉄道線、都営三田線で各駅に停車することになっています。

目黒線は全線ワンマン運転であり、東急電鉄で唯一ワンマン急行が運転されています。

地下にある駅、目黒、武蔵小山、西小山、洗足、大岡山、田園調布、日吉

車両基地は、東横線と兼用の元住吉検車区(東横線系統の車両基地)であり、武蔵小杉駅または日吉駅での出入庫となっています。

東急目黒線の下り列車(武蔵小杉、日吉方面)で、東京メトロ9000系と埼玉高速鉄道2000系が来たら東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道線からの列車、都営地下鉄6300形が来たら都営三田線からの列車に決まっているけど、東急電鉄の車両(新3000系、5080系、3020系)は、南北線・埼玉高速鉄道線直通、都営三田線直通の両方に使われている為に運用を調べないとどちらから来たのか分からない状態となっています。

東急新横浜線(日吉~新横浜間)は、途中に新綱島駅(地下駅)が出来る予定であり、同一駅扱いとなります。

相鉄新横浜線は、羽沢横浜国大~西谷間が、2019年11月30日に相鉄・JR直通線として開通済であります。

東急線が、新横浜駅に乗り入れることにより、東海道・山陽新幹線🚅との乗り換えはもちろんのこと、横浜アリーナや日産スタジアムなどの駅周辺の施設に行く時にも便利になります。

現在は、東横線で菊名駅まで行き、ここでJR横浜線に乗り換えて1駅で行くことになっている状態となっています。

乗換駅🚃🔃🚃

目黒 JR山手線、東京メトロ南北線(赤羽岩淵経由、埼玉高速鉄道線、浦和美園駅まで直通運転)、都営三田線(白金高輪駅から分岐、西高島平駅まで直通運転)

大岡山 大井町線(大井町、二子玉川、溝の口方面)

田園調布 東横線(渋谷方面、東京メトロ副都心線経由、東武東上線または西武池袋線へ直通運転)

多摩川 東急多摩川線(蒲田方面)

武蔵小杉 JR(南武線、横須賀・総武快速線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線)、相鉄・JR直通線)

日吉 東横線(横浜方面、横浜高速鉄道みなとみらい線、元町・中華街駅まで直通運転)、横浜市営地下鉄グリーンライン

奥沢駅から東横線と大井町線の自由が丘駅まで歩いて行けるので、輸送障害があった時の代替ルートとしても使うことが出来ます。

東急の目黒駅🚉は、目蒲線の時代の1997(平成9)年7月27日に地下化された1面2線の島式ホームの駅であり、地上時代には、行き止まり式の2面2線の相対式ホームの駅となっていました。

目黒駅は、JR山手線の駅を含めて目黒区ではなく、品川区上大崎に位置しています。

目黒駅のJR山手線と東急線の連絡口は、地上駅時代と同様に五反田寄りにあり、五反田駅(池上線)とは異なり、改札口をJR側と東急側の2回通る必要があります。

このように、地下鉄に繋ぐ為に地下化された駅は、目黒線の目黒駅のほか、東横線の渋谷駅、京成押上線の押上(スカイツリー前)駅、名鉄小牧線の上飯田駅、京阪京津(けいしん)線の御陵駅(京津三条~御陵間は京都市営地下鉄東西線にシフトされた為に廃線となった)、阪急千里線の天神橋筋六丁目(旧、天神橋)駅も挙げられています。

京都市営地下鉄東西線にシフトされた為に廃線となった、京阪京津線の京津三条~御陵間は、一部併用軌道区間となっていました。

東急東横線の反町、横浜の両駅も、地下鉄規格の路線である、横浜高速鉄道みなとみらい線と繋ぐ為に地下化された駅となっています。

京王新線(新線新宿~笹塚間)は、都営新宿線と結ぶ為に出来た地下新線であるけど、京王線(本線)と同様の地下トンネル区間として作られた、新宿~笹塚間の複々線部分なので、地下鉄のようで地下鉄ではない路線(地下鉄もどき)となっています。

目黒線では、3月12日のダイヤ改正から、平日朝ラッシュ時の日吉 7時ちょうど発(改正前は6時58分発だった)の目黒方面への急行西高島平行き(都営三田線直通)で、奥沢駅に新設された通過線によって先行の各駅停車を追い抜くことによって、21分から18分にスピードアップされていました。

日中の上り急行も、武蔵小杉→目黒間で、14分から13分にスピードアップされているので、より早く、より便利になっています。ることが分かります。

こちらは、相鉄線との直通運転を見据えたものであり、今回が相鉄線との直通運転開始前の最後の大規模なダイヤ改正となっていました。

目黒駅付近にあるホテル雅叙園東京(目黒雅叙園)は、緑豊かな結婚式場💒、ホテル🏨、レストラン🍴を備えた複合施設(日本美のミュージアムホテル)であり、東京都の指定有形文化財である百段階段が名物となっています。

昭和の竜宮城と呼ばれているミュージアムホテルである目黒雅叙園の中はとても豪華であり、トイレ🚻のほうも、川が流れている豪華仕様となっています。

ここのトイレの個室は、豪華なトイレらしく、ウォシュレット付きの洋式🚽であり、ドアや内装も朱塗りとなっています。

ホテルの客室は、全室サウナ・ジェットバス完備の80㎡(平方メートル)以上のスイートルームが中心なので、めちゃくちゃ豪華なホテルとなっています。

友人と一緒に1階のロビーや豪華なトイレ🚻を見学した時に、すげーな❗と言われました。

ホテル雅叙園東京(目黒雅叙園)は、目黒駅から徒歩のほか、目黒、品川の両駅から無料送迎バス🚐で行くことも出来ます。

詳細は、「ホテル雅叙園東京」、「目黒雅叙園」で検索。

周辺には、目黒川が流れています。

目黒川は、大橋から天王洲アイルまでは開渠区間で、春には桜🌸が咲き誇るお花見の名所となっています。

花見シーズンの中目黒駅は混雑が激しくなるので、北側の大橋付近にある東急田園都市線の池尻大橋駅まで歩いて行くことが推奨されています。

不動前駅は、その名の通りの目黒不動尊の最寄り駅であり、1999(平成11)年11月10日に高架化された2面2線の相対式ホームの駅であります。

高架化工事が行われていた1998(平成10)年1月から1999年11月9日までの間は、不動前駅が山手通りの南側(目黒寄り、東京日産自動車販売(現、日産東京販売)の本社前)に仮移転されていました。

目黒不動尊へは、不動前駅から徒歩で約8分掛かるけど、目黒駅から徒歩13分で行くことが出来ます。

首都高速道路(首都高)中央環状線の山手トンネル(全長18.2Kmの日本一長い道路トンネル)の途中にある五反田ランプ(出入口)は、大橋、西池袋方面のハーフインターチェンジであるけど、不動前駅から近く、五反田駅からは少し遠いです。

山手トンネル内にある出入口は、西池袋、中野長者橋、初台南、富ヶ谷、五反田の各出入口であり、西新宿、大橋の両ジャンクションも、山手トンネルに繋がっています。

高松入口は、1977(昭和52)年8月19日の首都高速道路5号池袋線の北池袋出入口~高島平出入口間の開通と共に出来た高島平、美女木方向のみのハーフインターチェンジであるけど、2007(平成19)年12月22日の中央環状新宿線(西新宿ジャンクション~熊野町ジャンクション間)の開通により、高松出口が廃止されて入口専用となっています。

西池袋出入口は、西新宿、大橋、大井方面の出入口のほか、美女木方向からの出口(高松出口の代替である)もあり、こちらは山手トンネルに入ってすぐの場所にあります。

東急トランセ、京王バス、上田バス、西武バスによるたまプラーザ駅、二子玉川、渋谷マークシティ~軽井沢駅、草津温泉♨️間の高速バス🚌💺は、渋谷マークシティを出た後、富ヶ谷出入口から首都高速道路に入り、美女木ジャンクション、外環道経由の迂回ルートで関越自動車道に入ることになっています。

たまプラーザに行くのは、上田バスの1往復だけであり、西武バスは、二子玉川、渋谷~軽井沢間と、草津温泉に行かずに軽井沢までとなっています。

軽井沢エリアには、軽井沢プリンスホテルや千ヶ滝温泉などの西武グループの施設があるので、こちらを重視する為に、西武バスが軽井沢までしか行かないのもそのはずであります。

上田バスは、その名の通りの長野県上田市拠点のバス会社であり、2009(平成21)年までは、東急グループの上電バス(元をただせば上田交通のバス部門)となっていたので、かつて東急グループだったことが分かります。

軽井沢、北軽井沢、草津エリアのバス会社である草軽交通も、かつて東急グループでありました。

別所線の上田電鉄のほうは、東急グループであることが守られています。

現在東急グループのバス会社は、東急バス、東急トランセ、じょうてつ(北海道札幌市のバス会社)の3社となっています。

東急グループの鉄道会社も3社であり、東急電鉄、伊豆急行、上田電鉄から成っています。

上田電鉄別所線は、アルピコ交通(松本電鉄)上高地線、長野電鉄長野線と共に信州三大ローカル私鉄の一つであり、ひっぐ~氏が8月に長野県に行った時に制覇していました。

武蔵小山駅と西小山駅は、2006年7月2日に地下化された駅であり、武蔵小山駅が2面4線化されたことにより、同年9月25日に目黒線で急行運転が開始されていました。

武蔵小山駅付近にある武蔵小山温泉 清水湯は、黄金の湯と黒湯から成る温泉銭湯♨️であり、美人の湯と言われている温泉を銭湯価格で楽しめるという魅力があります。

自分(しゃもじ)は、清水湯に行ったことがあるけど、武蔵小山の駅近くにリーズナブルな料金で入れる温泉銭湯があることの素晴らしさを感じていました。

詳細は、「武蔵小山温泉 清水湯」で検索。

武蔵小山商店街パルムは、全長800mと、東京で一番長い商店街となっています。

因みに、日本一長い商店街は、讃岐うどんでお馴染みの四国の香川県高松市にある高松中央商店街であり、2.7Kmあります。

詳細は、「武蔵小山商店街パルム」、「高松中央商店街」で検索。

洗足駅は、目黒線で唯一目黒区にある2面2線の相対式ホームの地下駅であり、目蒲線時代の1967(昭和42)年8月に、環七通りとの立体交差化工事により、目蒲線初の地下駅として地下化されていました。

池上線の長原駅は、翌年の1968(昭和43)年6月に同様の理由(環七通りとの立体交差化)により地下化された駅であり、洗足駅と似ているところがあります。

洗足駅の駅舎の裏には、東急ストアの洗足店があり、その前のバス乗り場からは、東急バスの渋71系統(渋谷駅東口(渋谷ヒカリエ前)~洗足駅間、洗足線)が出ています。

渋71系統🚌は、目黒営業所所属であり、狭い道路を通る為に、渋72系統(渋谷駅東口(渋谷ヒカリエ前)~目黒不動尊経由~五反田駅西口間(東急バス不動線)、こちらも狭い道を走っている)と共通の中型車🚌が使われています。

目黒営業所の車両の渋谷駅乗り入れは、中型車の渋71,72系統(東口に乗り入れ)でしか見ることが出来なかったけど、2002(平成14)年7月16日に渋41系統が大橋営業所(同年9月に廃止されていた営業所)から移管されてからは、西口で目黒営業所所属の大型車も見られるようになっています。

渋41系統は、大橋時代の1994(平成6)年6月30日まで、旧玉電渋谷駅跡のバス乗り場(マークシティの高速バスターミナルの前身)から発車していたけど、当時はターンテーブルによる転回作業が行われていました。

東急バスの渋72系統(不動線)は、目黒不動尊の境内を通る路線で有名だけど、毎月28日(次回は9月28日(水))の縁日の時には、平日、土休日共に、林試の森入口~不動尊門前間が運休、徒歩連絡(希望者は乗継券を発行してもらう)となり、渋谷駅東口~林試の森入口間、不動尊門前~五反田駅間での折り返し運転が行われます。

洗足駅のトイレ🚻は、改札内の1階にあるけど、渋71系統のバス乗り場側(改札外)に目黒区管理の公衆トイレ🚻もあります。

洗足池(お花見の名所でもある)は、池上線の洗足池駅が最寄り駅であり、洗足駅から離れているので、注意が必要⚠️であります。

池上線の長原駅は、戸越銀座、旗の台、池上の各駅と同様に、木になるリニューアルの一環として、木目調にリニューアルされています。長原駅のトイレは、2番線(五反田方面のホーム)の蒲田寄りにあり、こちらも全て洋式🚽となっています。

大岡山駅は、目黒区と大田区に跨がる、外側に目黒線、内側に大井町線が入った地下駅であり、駅舎が大田区側にある為に、大田区の駅となっています。

駅舎の真上にある東急病院🏥は、東急による企業立病院であり、以前は駅の北東部にありました。

2007年11月3日に、東急病院が大岡山駅の真上に移転されたことにより、日本初の駅上病院となったことで便利になったのであります。

駅上ということで、コイルばねによって振動防止がなされているので、このような駅上病院が実現していました。

東武スカイツリーライン(伊勢崎線)と亀戸線の曳舟駅(東京都墨田区)の横にある東京曳舟病院(医療法人伯鳳会による運営の病院)🏥は、2017(平成29)年4月1日に旧、白鬚橋病院からの移転により開設された駅直結型病院であるので、東急病院と同様に改札口を出たらすぐに病院の入口に出られます。

大岡山駅の改札内にあるトイレ🚻は、全て洋式🚽で、東急病院の最寄り駅らしく、健康チェックの表示があります。

東急病院🏥でのコロナワクチン接種は、大田区にある為に、大田区のワクチン接種会場となっています。

奥沢駅で、高架化や地下化されずに現状維持されている理由は、北側に留置線がある絡みであります。

その留置線は、目蒲線時代に車庫として使われていたものであり、目黒線への転用により、元住吉検車区管理の留置線(奥沢車庫)となっています。

こちらは8両対応工事により、7線から5線に減らされています。

改良前の奥沢駅は、目蒲線時代の面影があった2面3線の駅で、北口側の3番線が奥沢止まりの列車及び車両留置に使われていました。

改良工事に合わせて、上りホーム(2番線、目黒、地下鉄線方面)が旧3番線側に移設され、その中間に上り通過線が設けられることになっています。

奥沢駅の駅舎は、北口と南口に分かれていて、改札口も上下別となっています。

奥沢駅のトイレ🚻♿は、上りホーム(2番線)側の改札内にしかない状態であるけど、改良工事前は、下りホーム(1番線)側にありました。

2月26日には、北口の新駅舎の使用開始に合わせて、エレベーター付きの横断デッキが新設されていたので、踏切を渡らずに南北での移動が出来るようになっています。

奥沢駅に乗り入れる東急バス🚌は、多摩01系統(東京医療センター🏥~多摩川駅間、瀬田営業所所属)であるけど、踏切を通る為にラッシュ時を中心に定時運行が困難となる問題があります。

かつて渋谷駅と多摩川駅を結んでいた渋33系統も運転されていたことがありました。

北口側に、バーミヤン(すかいらーくグループの中華レストラン)の世田谷奥沢店があったけど、改良工事の支障となっていた為に、2018年9月24日をもって閉店されていました。

現在は、自由が丘駅の北東部(奥沢駅から徒歩10分程度)にあるバーミヤンの自由が丘駅前店を使うことになっています。

バーミヤンは、アフガニスタン🇦🇫の古都であるバーミヤーン州が由来であり、シルクロードの東洋と西洋の架け橋のように、中華料理を通じて人と人の結びつきを大切にしたいという願いにより命名されていたのであります。

中華レストランなのにアフガニスタンの名前が使われている理由は、このことだったのであります。

バーミヤンの桃マーク🍑は、中国(中華人民共和国、China)🇨🇳での不老長寿の象徴で縁起が良いことにより採用されていると言われています。

すかいらーくグループのレストランチェーンは、バーミヤン、ガスト、ジョナサン、藍屋、から好しなどが有名であるけど、かつてすかいらーくブランドのファミレスもありました。

から好しは、すかいらーくグループの唐揚げ専門店で、一部のガストでから好しの唐揚げを味わうことも出来ます。

詳細は、「すかいらーくグループ」、「バーミヤン」、「ガスト」、「ジョナサン」、「藍屋」、「から好し」で検索。

田園調布駅は、外側に東横線、内側に目黒線が入っている地下駅であり、同じ高級住宅街にある地下駅となっている小田急線の成城学園前駅に似ているところがあります。

西口には、旧駅舎が復元されているのでムードが高まってきます。自分(しゃもじ)はこれを見て、田園調布駅と言えばやはりこれだな❗と思いました。

このような復元駅舎は、JR中央快速線の国立駅などにもあるけど、JR山手線の原宿駅の旧駅舎も、復元される予定となっています。

田園調布駅のトイレ🚻は、かつて和式トイレだったけど、現在は全て洋式🚽となっています。

1923年3月11日の開業当時は、荏原郡調布村(のちの東調布町)にあったことにより、調布駅と呼ばれていたので、京王線側(北多摩郡調布町)と目蒲線の両方に調布駅があったことにより、調布駅が重複していました。

田園都市による開発に伴って、現在の田園調布駅となったのは、1926年1月1日のことであり、調布駅の重複問題が解決していたのであります。

このことは、京王線のつつじヶ丘駅が金子駅と呼ばれていた頃に、八高線の金子駅と重複していたことと同様でありました。

京王線の調布駅は、2012年8月19日に地下化されたので、調布駅、田園調布駅共に地下駅となっています。

田園都市線の路線名は、東急によって開発された多摩田園都市を結ぶ路線であることが由来であり、田園都市の名が、路線名にも刻まれていたのであります。

多摩川駅は、東横線と目黒線が地上ホーム(東横線は1,4番線、目黒線は2,3番線)で、東急多摩川線が地下ホーム(5,6番線)となっているけど、地下ホームは、目蒲線(多摩川園駅)の時代の1994(平成6)年11月27日から使われています。

東急多摩川線の多摩川駅と蒲田駅はどちらも駅構内に立ち食いそば店のある駅であり、多摩川駅は梅もと、蒲田駅はしぶそば(東急グループの東急グルメフロントによる運営)となっています。

梅もとは、1876(明治9)年に創業した立ち食いそば店の老舗であり、そのうち東急線の駅構内にある店舗は、多摩川駅だけとなっているけど、かつて中目黒駅や溝の口駅の構内にもありました。中目黒駅構内にあった梅もとが閉店された後、駅前にある立ち食いそば屋である吉そばが受け皿となっています。

梅もとの溝の口店は、しぶそばに鞍替えされ、しぶそば溝の口店となっています。

その他の梅もと直営の立ち食いそば店は、新宿西口店(小田急エース)、中野店(サンモール商店街)、八重洲店(東京、八重洲大地下街)、船橋店から成っています。

しぶそばは、二子玉川、あざみ野、市が尾、青葉台、長津田、中央林間、武蔵小杉、綱島、菊名、蒲田、大井町、池上、溝の口、池袋の各店となっているけど、池袋店は、唯一東急沿線外(渋谷駅並びに、東横線沿線から東京メトロ副都心線直通列車で行ける場所)で、副都心線乗り場に近い池袋西口の東武ホープセンター内にあります。

自分(しゃもじ)は、長津田で初めてしぶそばのそばを食べたけど、美味しかったな❗😋🍴💕と思いました。

一昨年(2020年)9月までは、東急百貨店東横店🏬の西館2階に、本家しぶそばがあったけど、再開発工事により閉店されてしまったのが残念であります。渋谷は東急グループの本拠地なので、別の形で復活してくれることを願っています。

しぶそばでは、カレーうどん、カレーそば、カレー丼に使われているそば屋のカレーがレトルトで発売されているので、おうちでしぶそばのカレー🍛を味わうことも出来ます。

9月9日から値上げラッシュの波により、値上げされる予定となっているけど、かけそば、かけうどんでは、350円から360円に値上げされることの見返りにより、薬味ネギに加え、他の商品と同様のワカメもトッピングされることになります。



詳細は、「しぶそば」で検索。

西武鉄道系の立ち食いそば屋である狭山そばの所沢店は、改良工事により一時閉店し、改装された上で復活していたので、渋谷のしぶそばもこうなればいいなと思っています。

9月15日には京急グループの立ち食いそば屋であるえきめんやの品川店(京急品川駅下りホーム)が、駅改良工事により閉店されるという残念な出来事があるけど、改良工事が完成した頃に復活してくれることを願っています。

武蔵小杉駅は、東急東横線、目黒線、JR南武線、横須賀線、湘南新宿ライン、相鉄・JR直通線が乗り入れている、カタカナの「コ」の字状の構造の川崎市中原区で最大の駅であり、2010(平成22)年3月13日に、横須賀線、湘南新宿ラインの乗換駅となっています。

横須賀線、湘南新宿ライン側は、横浜、大船発着の成田エクスプレス🚃💺✈️、土休日を中心に運転されている新宿、池袋発着の臨時踊り子号🚃💺、土休日に運転されている新宿発のサフィール踊り子5号🚃💺💎も停車することになっています。

現在武蔵小杉駅の横須賀線、湘南新宿ラインのホームは、1面2線の島式ホームとなっているけど、来年3月の完成を目処に下り列車(横浜、大船、海老名方面)専用ホームが新設される予定であり、工事が行われています。

これにより、既設のホームが上り列車(東京、新宿、千葉方面)専用となり、混雑が緩和されるので、京浜急行電鉄(京急)の横浜駅と同じ流れとなります。武蔵小杉駅や武蔵中原駅は、新丸子駅と同様に、川崎フロンターレ関連の発車メロディーが使われています。

武蔵小杉東急スクエアは、2013年4月2日に開業した駅ビルであり、4階部分(レストラン街とユニクロ(UNIQLO)、ハンズビー(hands be)のあるフロア)に東急線の東急スクエア連絡口があります。

4階にある展望デッキには、東急9000系の大井町線への転用により余剰廃車となった中間車(9715号車)の廃車発生品である外板が流用されています。こちらから眺めることの出来る車両は、東急3000系、3020系、5080系(目黒線)、5050系(東横線)、横浜高速鉄道Y500系、東京メトロ10000系または17000系(副都心線)、9000系(南北線)、都営6300形または6500形(三田線)、埼玉高速鉄道2000系、西武鉄道6000系、40000系、東武鉄道9000系列、50070系であるけど、来年3月からは相模鉄道(相鉄)の20000系列も加わることになります。

こちらは、お子様連れにぴったりなビュースポットであります。詳細は、「武蔵小杉東急スクエア」、「武蔵小杉東急スクエア 展望デッキ」で検索。

隣接するららテラス武蔵小杉は、三井不動産の系列のショッピングプラザであり、4階で東急スクエアと結ばれています。グランツリー武蔵小杉は、セブン&アイ・ホールディングス系であり、イトーヨーカドーのグランツリー武蔵小杉店や西武の武蔵小杉ショップも入っています。

詳細は、「ららテラス武蔵小杉」、「グランツリー武蔵小杉」、「イトーヨーカドー グランツリー武蔵小杉店」で検索。

日吉駅は、1991(平成3)年11月に地下化された、東横線初の地下駅であり、2007年8月23日の改正まで、優等列車の待避や通過待ちが行われていました。

2013(平成25)年3月15日に副都心線直通列車と入れ替わる形で廃止された東急東横線と日比谷線の直通列車は、日吉駅での折り返しが行われていたけど、末期には、地下化工事期間と同様に全て菊名行きとなっていました。

現在東急東横線で、渋谷~菊名間の各停が運転されているけど、それは日比谷線直通列車の名残であります。

日吉駅の改札口は、地上1階にあるけど、横浜市営地下鉄グリーンラインの開業により、地下3階部分に連絡改札口が設けられるようになっています。

こちらは、改札口が別であり、東急の改札口から一旦出て、グリーンラインの改札口に入り、地下4階にあるグリーンラインのプラットホームへと向かうことになります。

日吉駅にある日吉東急avenueは、東急百貨店による地上3階、地下1階建ての店舗であり、1995(平成7)年11月1日に開店していました。

詳細は、「日吉東急avenue」または「日吉東急アベニュー」で検索。

日吉駅の東側にある慶應義塾大学の日吉キャンパス🏫へは、東急線の正面改札を出て、東口の目の前にある綱島街道(横断歩道)を渡って行くことになるけど、横浜市営地下鉄グリーンライン🚇の1番出口が敷地内にあるので、東急のグリーンライン連絡改札口から出て4番出口を使うことも出来るので、雨の日☔の通学にはこちらのほうが便利であります。

慶應義塾大学日吉キャンパスの名物は、銀杏並木であり、秋には和みのスペースとなります。

慶應義塾大学の本部及び三田キャンパス🏫は、東京都港区三田にあり、都営浅草線と都営三田線の三田駅、JR山手線と京浜東北線の田町駅、都営大江戸線の赤羽橋駅が最寄り駅となっているので、東急目黒線が日吉まで延長されてからは、三田キャンパスのある都営三田線の三田駅から、日吉キャンパスのある東急目黒線の日吉駅まで乗り換えなしで結ばれるようになっています。

横浜市営地下鉄グリーンラインは、JR横浜線の中山駅と東急線の日吉駅を結ぶリニアモーター式の地下鉄であり、10000形の4両編成が活躍しているけど、9月下旬からは、一部が6両編成化される予定となっています。

横浜市営地下鉄ブルーラインの新型車両である4000形は、5月2日に4621Fがデビューしていたけど、5月15日に都営三田線の6500形と共に乗りに行くことが出来て良かったと思っています。

来年3月に、東急新横浜線が開業したら、相鉄沿線から慶應義塾大学に通うのが日吉キャンパス、三田キャンパス共に便利になります。

日吉駅から東急新横浜線へは、目黒線だけでなく、東横線からも入れることになるので、渋谷、和光市、東武東上線方面からの直通列車も予定されているけど、西武線直通列車が設定されないのは残念であります。

東急直通対応の相鉄20000系🚃で、10両編成の20000系に加え、8両編成バージョンの21000系も導入されるのはその為であります。

相鉄新横浜線の羽沢横浜国大~新横浜間は、車両限界が西谷~羽沢横浜国大間と同じで、相鉄のATS-Pの区間となるので、緊急時にE233系や相鉄12000系が新横浜まで行き、そこで折り返すことが可能となります。

東急新横浜線が開業すれば、東海道・山陽新幹線との乗り換えはもちろんのこと、横浜アリーナ、日産スタジアム、新横浜ラーメン博物館などの新横浜駅周辺の施設に行く時にも便利になります。

綱島駅付近には、かつての綱島温泉郷の名残であった東京館という日帰り温泉施設があったけど、2015(平成27)年に東急新横浜線(新綱島駅)の建設工事の影響により休館となっています。

周辺にある綱島源泉 湯けむりの庄は、12種類の天然温泉の日帰り温泉施設であり、東京館の休止後の代替施設ともなっています。

こちらは綱島駅から徒歩または無料送迎バス🚐で行くことになります。

宮前平駅付近にある宮前平源泉 湯けむりの庄♨️は、宮前平駅から徒歩4分と駅近で便利であり、行き方がホームページに出ています。

湯けむりの庄は、宮前平(川崎市宮前区)と綱島(横浜市港北区)、湯けむりの里は、すすき野(横浜市青葉区)、仙川(東京都調布市)にもあります。

天然温泉湯けむりの里すすき野へは、あざみ野駅から無料シャトルバス🚐が出ています。

詳細は、「湯けむりの庄」、「湯けむりの里」、「宮前平源泉 湯けむりの庄」、「湯けむりの里すすき野」、「綱島源泉 湯けむりの庄」で検索。

SDGsラッピング電車(田園都市線の2130F、東横線の5121F、世田谷線の307F)は、来年3月まで運転期間が延長されています。

本日(9月2日)の東急100周年記念日当日のの100周年ラッピング電車🚃は、目黒線の3020系3121F(8両編成)、田園都市線の2020系2122F、東横線の5050系5151F(8両編成)、大井町線の9000系9007Fとなっているけど、本日(9月2日)は、3121F(目黒線)が03K運用(都営三田線直通)、2122F(田園都市線)が25K運用、5151F(東横線)が19K運用、9007F(大井町線)が102運用に入っていました。

スマホアプリ📱であるデジプラコレクション まるごと鉄道!は、鉄道のプラモデル(デジタルプラモ)作成アプリであり、作ったものを走らせることが出来ます。

こちらは、江ノ島電鉄(江ノ電)の120周年コラボが行われているので、自分(しゃもじ)もこれを期にダウンロードしてみました。

もちろんiPhoneとAndroidの両方に対応しているけど、残念ながらタキチヨ氏が使っているiPod touchには未対応であります。

タキチヨ氏は、デジプラコレクションに興味がある状態なので、いずれiPhone SEあたりに更新する時は入れる予定です。と言っていました。

詳細は、「デジプラコレクション」、「デジプラコレクション まるごと鉄道」で検索。

Bトレインショーティー(Bトレ)は、プラモデルのように自分で作って走らせることが出来たのに、一般向けで出回らなくなってしまったのが残念です。

coco亀🐢のさゆ氏🧡に、江ノ電のことを話したら、私江ノ電まだ乗ったことないんです!!写真とか見ていていつか絶対乗りたい!!って思っている電車の一つです🚃💕と言われました。

こちらは、乗れるといいですね❗と思っています。


まゆ氏💜も江ノ電に乗りたいと言っていました。



そんな自分(しゃもじ)も久しぶりに江ノ電に乗ってみたいし、撮影してみたいです。

江ノ電は、小田急グループ(小田急電鉄の子会社)だけど、1938(昭和13)年10月から1947(昭和22)年3月まで、東急グループとなっていました。

4月30日に、あーにゃこと伊藤蒼姫氏😸による鎌倉オフ会(猫もっふ会)が行われ、江ノ電をバックにした撮影会が行われていたけど、土曜出勤(休日EXE、アウェイ、銅曜日)により行かれなかったのが残念であります。


本当は、あーにゃ😸と江ノ電のことを語りたかったです。


E2系新幹線のJ66編成(200系(緑の疾風)カラー)は、昨日(9月1日)は、やまびこ142→145→156号、本日(9月2日)は、やまびこ123→132→137→144→149号の流れでありました。


一昨日(8月31日)は、お台場の大観覧車🎡が最終日を迎えていました。


8月が終わりを迎えていたけど、自分(しゃもじ)のドルヲタ($ヲタ)活動は、残念ながら7月に続いて8月もゼロとなってしまいました。


9月はどうなるのか分からないので、昨年と同様に10月までお預けになってしまうことが懸念されます。


自分(しゃもじ)が、1回目のコロナワクチンを受けてから昨日(9月1日)で1年経ちました。


早くイチコロナ対応ワクチンが出回って4回目を受けられたらいいなと思っています。


こちらは、10月に出回る予定が9月中に前倒しされると言われています。


日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。


このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。


当ブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。


6月27日に書いた小田急50000形VSEに関する記事は週間で最大174アクセスとなったので、大好評でありました。


8月3日の銚子電鉄、8月12日の箱根登山カラーの小田急1000形、21日の東武特急スペーシアの雅編成、22日の弘南バス(ニューノクターン号)、29日の関越交通の尾瀬号の記事も大好評であります。


当ブログでは、お見苦しい点があるけど、見てくれたことで感謝しています。


過去の記事と同じような内容だけど、文章の一部を変えて投稿するようにしています。


昨日(9月1日)は、YORISOERUのほののんこと永井穂花氏💚のお母さん(ほのママ)の誕生日でもあったので、おめでとうございます。


自分(しゃもじ)が鉄道趣味を始めたきっかけは、江ノ電であり、江ノ電にも感謝しています。


小田急ロマンスカーも、鉄道趣味の原点であります。


本当に一足早い感染者数の減少、ワクチンの更なる普及、コロナの収束、自分(しゃもじ)のアイドルとの再会を願っています。


東急100周年では、ありがとうを、ずっと、ずっと。と言われているけど、その通りだと思っています。


このように、100周年を迎えた東急線のラッピング電車を当日の話題にすることが出来て良かったです。