11月27日は、新宿から中野まで、東日本旅客鉄道(JR東日本)の新宿駅で撮影した、中央・総武緩行線のE231系500番台のA511編成(三鷹車両センター(八ミツ)所属)による、中野行き🚃に乗りました。

中央・総武緩行線のE231系のB11編成とA511編成(元山手線の500番台)の2編成に、中野電車区100周年記念ヘッドマーク(前後で異なりデザインとなっている)が取り付けられているので、2回に分けて撮影することが出来ました。

中野電車区は、1921(大正10)年7月10日に、新宿駅構内にあった新宿電車庫からの移転により中野電車庫として開設された車両基地(現在は運転士部門と留置線が残されている)であり、7月に100周年を迎えていました。

国鉄時代末期の1986(昭和61)年3月3日のダイヤ改正までの間は、車両配置があったので、所属編成に東カノ→西カノの表示がありました。

2001(平成13)年11月まで中央・総武緩行線で活躍していたカナリア色201系が分割・併合運用がないのに6+4編成となっていた理由は、中野電車区の検査線が10両編成対応でなかったことにより、検査時に分割させる必要であった為であり、1986年3月3日に三鷹電車区(現、三鷹車両センター)に転属した後もその名残となっていました。

津田沼電車区(千ツヌ)→習志野電車区(千ラシ)のほうは、103系メインに配置されていたけど、1988(昭和63)年11月30日までは101系も配置されていました。

習志野電車区は、2003(平成15)年12月15日に廃止され、習志野運輸区に移管されていたので、209系500番台を含めた所属車両が三鷹車両センターに移されていました。

中央・総武緩行線でB運用とC運用に分かれているのは、B運用が三鷹区、C運用が習志野区に分かれていたことの名残であり、中央快速線(豊田車両センター(八トタ)による運用)で、T運用とH運用(武蔵小金井電車区(現、豊田車両センター武蔵小金井派出所)の名残である)に分かれていることと同様であります。

習志野電車区から習志野運輸区に移管された時に電車区跡が留置線として使われています。

E231系500番台は、2002(平成14)年4月21日に山手線でデビューし、2005(平成17)年4月までの間に、205系の置き換え用として、52本572両が新津車両製作所(現、総合車両製作所新津事業所)で製造されていました。

当初は、7号車と10号車に、6ドア車が連結されていたけど、2010(平成22)年から2011(平成23)年までの間には、ホームドアの導入準備により、新4ドア車に差し替えられていました。

新4ドア車は、7号車が従来のE231系仕様の600番台、10号車がE233系もどきの4600番台となっているので、後者の4600番台は、他の形式への編入を見据えた車両であることが分かります。

2015(平成27)年から昨年(2020(令和2)年)に掛けて、山手線🚃♻️にE235系が50本導入されたことにより、E231系500番台の10号車を除いた車両が中央・総武緩行線に転用されていました。

600番台のサハは52両全てが中央・総武緩行線の4号車に転用されたけど、4600番台のサハは52両のうちの48両がE235系に編入された上でこれまで通りの10号車に連結され、余剰となった4両がE235系化されることもなく廃車となっていました。

山手線のE235系の50本のうち、トウ04編成と05編成の2本が完全新造車であり、10号車は従来のE235系と同じ仕様の500番台であります。

中央・総武緩行線🚃の車両は、元山手線のE231系500番台が入ってきたことにより、209系500番台(6ドア車なしだった)の全編成とE231系の一部が置き換えられていたけど、209系500番台は武蔵野線(8両編成、京葉車両センター(千ケヨ)所属)と八高・川越線(4両編成、川越車両センター(宮ハエ)所属)に、E231系は6編成を残して武蔵野線、八高・川越線、常磐快速線・成田線(オール4ドアの10両編成、松戸車両センター(東マト)所属)にそれぞれ転用されていました。

動向が注目されていたE231系の試作車である900番台(旧、209系950番台)のB901編成(2000(平成12)年度のローレル賞プレート付き)は、そのうちの8両が武蔵野線(京葉車両センター)にMU1編成として転用されていたのであります。

昨年3月13日までE231系の5号車に6ドア車が連結されていたけど、こちらは、日本の6ドア車の最後の砦となっていました。

最後まで6ドア車入りの編成で残されていたのは、B80編成とB82編成(2006(平成18)年に京浜東北線にあった209系900番台(旧、901系)の置き換え用として導入されていた編成)であり、現在は8両化されて武蔵野線で活躍中であります。

一昨年3月15日までは、平日の朝ラッシュ時に座席が収納され、全員起立の状態となっていたことも6ドア車の特徴でありました。

このように、6ドア車が他の路線に転用されることもなく全廃された理由は、ホームドアに対応出来ないことに加え、座席定員が少ないこと、現在6ドア車がなくても混雑が緩和されたことも挙げられており、東急電鉄田園都市線の新5000系の6ドア車(私鉄で唯一だった)が新4ドア車に差し替えられたのも同様の理由であることが分かります。

JR東日本では、中央・総武線のほか、山手線、京浜東北線、埼京・川越線、横浜線にも6ドア車が設定されていたけど、山手線は、205系(10号車のみ)からE231系500番台(7,10号車に設定されていた)に受け継がれていました。

JR東日本で活躍していた205系の殆どがインドネシア🇮🇩に輸出されていたけど、それには日本で絶滅してしまった6ドア車も含まれています。

9月4日には、日本初並びに日本最後の5ドア車であった京阪電気鉄道(京阪)5000系が引退したことが記憶に新しい状態だけど、こちらは、5枚のドアのうちの2両をラッシュ時専用とし、ラッシュ時以外に跳ね上げ式の座席を設ける措置が取られていました。

関東の5ドア車は、京王線の6000系20番台、営団地下鉄→東京メトロ日比谷線で活躍していた03系の一部の1,2,7,8号車と、日比谷線に乗り入れていた東武鉄道20050系の1,2,7,8号車も挙げられていたけど、京阪5000系とは違って跳ね上げ式座席は設けられていなかったです。

東武20050系は、20040系として栃木ローカル運用に転用されているけど、3枚のうちの2枚のドアが埋められ、座席が設けられたた上で3ドア化されていました。

5ドア車も、6ドア車と同様にホームドアに対応しない為に、衰退の運命を辿ってしまったのであります。

元山手線のE231系500番台(A500番台)は、52本(520両)であり、これだけだと車両が不足してしまうので、オリジナルの0番台(B編成)のうちの6編成60両が、500番台と揃える為に、6ドア車抜きの6M4T編成への組み替えによって残留していました。

三鷹車両センターに残留したE231系0番台は、B10,11,12,14,26,27編成であり、2000(平成12)年から2001年に掛けて習志野電車区に配置されていました。

編成組み換えの時に、八高・川越線への転用により捻出されたM車の2両が流用されていたのであります。

そのうちのB27編成は、山手線の中間車の6ドア車→新4ドア車への組み換えの時に東京総合車両センター(東トウ)に配給輸送及び試運転用として貸し出されていた編成でありました。

6ドア車の廃車の時に一部の部品が新造車に再利用(リサイクル)されていたけど、東急新5000系の6ドア車の廃車発生品も、東急多摩川線、池上線用の新7000系の7108F以降の編成などに再利用されていました。

今回撮影したA511編成は、2002(平成14)年の新津車両製作所製で、当初は6ドア車2両が連結された11両編成として山手線で活躍していました。

511編成は、2017(平成29)年10月までや山手線で活躍し、その後にA511編成として中央・総武緩行線に転用されたのであります。

新宿駅の中央・総武緩行線乗り場は、東行(秋葉原、千葉方面)が13番線、西行(中野、三鷹方面)が16番線(西側の小田急線寄り)であり、山手線のホームと隣り合っているので、乗り換えに便利であります。

山手線のE231系500番台からE235系への置き換えの過度期には、E231系500番台のビフォーアフターでの乗り継ぎシーンが見られていました。

十の字状のオーバークロス駅である秋葉原駅では、山手線の時代に2階に発着していたけど、転用されてからはその上の3階に発着するようになっています。

中央・総武緩行線の路線

三鷹~吉祥寺~西荻窪~荻窪~阿佐ケ谷~高円寺~中野~東中野~大久保~新宿~代々木~千駄ケ谷~信濃町~四ツ谷~市ケ谷~飯田橋~水道橋~御茶ノ水~秋葉原~浅草橋~両国~錦糸町~亀戸~平井~新小岩~小岩~市川~本八幡~下総中山~西船橋~船橋~東船橋~津田沼~幕張本郷~幕張~新検見川~稲毛~西千葉~千葉

三鷹~中野間及び平日の朝と夕夜間の西船橋~津田沼間は、東京メトロ東西線直通列車(銀色に青帯の車両)も乗り入れています。

土休日には、中央快速線の全列車が、高円寺、阿佐ケ谷、西荻窪の各駅を通過することになるので、中野、荻窪、吉祥寺、三鷹の各駅で中央・総武緩行線(東西線直通列車を含む)に乗り換える必要があります。

中央・総武緩行線の女性専用車🚃🚺️は、平日の朝のに7時23分~9時20分までの間に錦糸町駅を発車する西行(秋葉原、中野、三鷹方面)の全列車の10号車(先頭車両)の千葉→御茶ノ水間であり、平日朝の東西線直通列車(津田沼→西船橋間、東京メトロ東西線では大手町駅まで)の10号車も対象となっています。

因みに、中央快速線の女性専用車🚃🚺️は、平日の朝の7時30分から9時30分までの間に新宿駅に発着する大月、高尾、青梅、武蔵五日市方面発東京行き(上り)の快速、通勤特快の全列車(先頭車両の1号車)が対象となっています。

乗換駅🚃🔃🚃

三鷹 中央快速線(立川、高尾、大月、青梅方面)

吉祥寺 京王井の頭線

荻窪 東京メトロ丸ノ内線

中野 中央・総武緩行線⇔中央快速線、東京メトロ東西線(一部は三鷹駅まで直通運転)

東中野 都営大江戸線

新宿 中央・総武緩行線⇔中央快速線、山手線(池袋、上野方面)、埼京線、湘南新宿ライン(東海道線⇔高崎線、横須賀線⇔宇都宮線)、相鉄・JR直通線、小田急線、京王線、東京メトロ丸ノ内線、都営新宿線、都営大江戸線(新宿駅または新宿西口駅)

代々木 山手線(渋谷、品川方面)、都営大江戸線

四ツ谷 中央・総武緩行線⇔中央快速線、東京メトロ(丸ノ内線、南北線)

市ケ谷 東京メトロ(有楽町線、南北線)、都営新宿線(市ヶ谷駅)

飯田橋 東京メトロ(東西線、有楽町線、南北線)、都営大江戸線

水道橋 都営三田線

御茶ノ水 中央・総武緩行線⇔中央快速線、東京メトロ(丸ノ内線(御茶ノ水駅)、千代田線(新御茶ノ水駅))

秋葉原 山手線、京浜東北線、東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレス線、都営新宿線(岩本町駅)

浅草橋 都営浅草線

両国 都営大江戸線

錦糸町 中央・総武緩行線⇔総武快速線(一部は横須賀線へ直通運転)、東京メトロ半蔵門線

亀戸 東武亀戸線

新小岩 中央・総武緩行線⇔総武快速線

市川 中央・総武緩行線⇔総武快速線

本八幡 都営新宿線、京成本線(京成八幡駅)

西船橋 武蔵野線、京葉線、東京メトロ東西線(平日朝と夕夜間のみ津田沼駅まで直通運転)、東葉高速鉄道東葉高速線

船橋 中央・総武緩行線⇔総武快速線、東武アーバンパークライン(野田線)、京成本線(京成船橋駅)

津田沼 中央・総武緩行線⇔総武快速線、新京成電鉄新京成線(新津田沼駅)

幕張本郷 京成千葉線(京成幕張本郷駅)

幕張 京成千葉線(京成幕張駅)

稲毛 中央・総武緩行線⇔総武快速線

千葉 総武本線(佐倉、八日市場、銚子方面)、成田線(成田、成田空港✈️、佐原、銚子方面)、内房線、外房線、千葉都市モノレール(1号線、2号線)、京成千葉線(京成千葉駅)

御茶ノ水~錦糸町間の線路は、緩行線と中央線⇔総武線間の直通列車と共通の複線区間であり、御茶ノ水駅の水道橋駅寄り、両国駅の錦糸町駅寄りで快速線から(へ)転線することになります。

中央・総武緩行線🚃の飯田橋駅🚉は、1面2線の島式ホームで、ホームの一部が急カーブに掛かっていた為に、電車とホームの間の隙間が33センチ(Cm)空いていたことで問題になっていました。

このような問題を解決させる為に、飯田橋駅のホームを市ケ谷駅寄りに200mずらす工事が行われ、昨年7月12日には、新ホームに移転されたことにより、隙間が最大15センチに縮められていたのであります。

改築工事の為に仮駅舎となっていた西口のほうは、2016(平成28)年8月6日まであった旧駅舎の跡(牛込橋の北側)に移設され、これまで東口側にしかなかったトイレ🚻♿も新設されています。

2016年8月7日から昨年7月11日まで使われていた西口仮駅舎の時代も、西口側にトイレが無かったです。

西口側のトイレ🚻は、もちろん個室が全て洋式🚽で、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽も併設されているので、バリアフリー感があります。

西口駅舎は、2階建てであり、エキュートエディション飯田橋(店舗や展望スペース)が設けられています。

旧ホームの一部(もちろん柵が取り付けられている)は、東口への連絡通路として残されているけど、東口からホームまでの距離が遠くなってしまった為に、東京メトロ東西線や都営大江戸線との乗り換えが不便になってしまったという問題が発生してしまいました。

このことは、昨年6月1日にJR渋谷駅の3,4番線(埼京線、湘南新宿ラインのホーム)が山手線寄りに移設された時に旧ホームの一部が新南口の連絡通路の一部に転用されたことと似ています。

昨年1月3日に東京メトロ銀座線の渋谷駅のホームが東側(表参道寄り)にずれたことにより、西口側から出ている京王井の頭線との乗り換えが不便となってしまったけど、逆にJR渋谷駅の3,4番線からは、他の路線から(へ)の乗り換えが便利となっています。

飯田橋駅の市ケ谷駅寄りに、留置線があった頃は、飯田橋駅発着の列車がありました。

その留置線の廃止により空いたスペースが活用されたことで、今回のホームの移設並びに隙間問題の解消が実現していたのであります。

飯田橋駅が開業したのは、1928(昭和3)年11月15日の新宿~飯田町間の複々線化の時であり、牛込駅と飯田町駅の統合により出来た駅でもあります。

飯田町駅は、1933(昭和8)年まで長距離列車用のターミナル駅(現在は新宿駅に機能が移されている)として使われた後に貨物専用駅に転用され、1972(昭和47)年に紙流通センターが新設されたけど、業務縮小により、1997(平成9)年3月に貨物列車の発着が廃止された後、1999(平成11)年3月に正式に廃駅となっていました。

飯田町貨物駅、紙流通センターの跡地は、アイガーデンエアという複合施設となったけど、1999年5月から2011年2月まで、日本貨物鉄道(JR貨物)の本社がありました。

2011年2月14日には、JR貨物の本社が飯田町から渋谷区千駄ヶ谷(新宿駅新南口付近)にあるサウスゲート新宿に移転されていました。

現在アイガーデンエアに隣接するガーデンエアタワーには、auブランドの携帯電話(スマートフォン(スマホ))📱などでお馴染みのKDDIの本社があります。

飯田町にあった紙流通センターは、1999年に隅田川貨物駅(東京都荒川区)や新座貨物ターミナル駅(埼玉県新座市)に機能が移されていました。

飯田橋駅のホームがカーブに掛かっていたのは、市ケ谷寄りにあった牛込駅と飯田町駅が統合された経緯があったからであります。

飯田橋駅の西口の駅舎が牛込橋に面していたのは、牛込駅の名残であり、プラットホームと旧西口駅舎の間はスロープで結ばれていました。

飯田橋駅の市ケ谷駅寄りへの移設により、牛込駅があった頃に戻ったのであります。

牛込の付く駅は、都営大江戸線🚇の牛込柳町駅と牛込神楽坂駅が挙げられているけど、もしも牛込駅のままだったら、これらの駅と混同していたところでした。

飯田橋駅の西側にある駅ビルである飯田橋セントラルプラザ(ラムラ)は、西口と東口の両方からアクセスすることが出来る複合施設となっているけど、事務棟には、消費生活総合センターや心身障害者福祉センター♿などの東京都関連の施設が入っています。

飯田橋セントラルプラザは、埋め立てられた飯田掘の跡地にあります。

詳細は、「飯田橋セントラルプラザ」、「飯田橋ラムラ」で検索。

飯田橋駅の東口側のトイレ🚻は、古いままとなっているけど、全て洋式化されており、だれでもトイレ🚻♿🚽も併設されています。

西口側には、法政大学の市ヶ谷キャンパスや東京理科大学の神楽坂校舎、日本歯科大学、東京観光専門学校があるので、これらの学校🏫へのアクセスが向上されていました。

飯田橋駅付近にある病院🏥は、日本歯科大学附属病院🏥、JCHO(地域医療機能推進機構)東京新宿メディカルセンター(旧、東京厚生年金病院)🏥、東京逓信病院(日本郵政グループの病院)🏣🏥が挙げられているけど、2008(平成20)年までは、東京警察病院🚓🏥もありました。

東京警察病院🚓🏥は、2008年に東京都中野区(中野駅の北西部、野方警察署付近、徒歩圏内)に移転され、旧病院跡は、飯田橋グラン・ブルームという教会⛪を備えた複合施設となっています。

JCHO東京新宿メディカルセンター🏥は、新宿区津久戸町(大久保通り沿い)にある地域医療機能推進機構(JCHO)の系列の病院🏥であり、都営大江戸線の飯田橋駅からのほうが近いです。

同じ新宿区の百人町(新大久保、大久保駅付近)には、JCHOによる東京山手メディカルセンター(名前が似ている病院)🏥があるので、注意が必要⚠️であります。

JCHO東京新宿メディカルセンター🏥の前には、都営バスの飯62系統(小滝橋車庫~大久保駅~牛込神楽坂駅経由~都営飯田橋駅間、小滝橋営業所所属)の東京新宿メディカルセンターバス停🚏🚌があるけど、こちらは本数が少ないので、飯田橋駅からの徒歩またはタクシー🚕利用が推奨されています。

タクシーで目的地を申告する場合は、東京新宿メディカルセンターと言う必要があります。

飯田橋駅には、西口、東口共にエスカレーターやエレベーターも完備されているので、バリアフリー化されています。

東京大神宮⛩️は、飯田橋駅付近にある神社であり、縁結びのスポットとして有名であります。

詳細は、「東京大神宮」で検索。

隣の市ケ谷駅は、新宿区と千代田区に跨がる駅であり、JR線と東京メトロ(有楽町線、南北線)で市ケ谷となっているけど、都営新宿線の駅に関しては、市ヶ谷と表記されています。

JR御茶ノ水駅は、東京医科歯科大学(医学部、歯学部)附属病院🏥、順天堂大学医学部附属順天堂医院🏥、日本大学病院🏥などの病院🏥の最寄り駅であるにも関わらず、トイレ🚻を含めてバリアフリーに対応していなかった駅であったけど、エスカレーターとエレベーターの新設や、聖橋口側のトイレ🚻♿の改良により、バリアフリー化されていました。

JR御茶ノ水駅の乗り場は、1番線が中央快速線下り(新宿、立川、高尾、大月、青梅方面)、2番線が中央・総武緩行線西行(水道橋、中野、三鷹方面)、3番線が中央・総武緩行線東行(秋葉原、錦糸町、千葉方面)、4番線が中央快速線上り(神田、東京方面)であり、新宿駅と同様に乗り換えに便利であります。

千駄ケ谷駅は、昨年3月22日に西行(新宿、中野、三鷹方面)のホームである1番線が、臨時ホーム跡に移設されていたので、前日の3月21日に同じ渋谷区にある山手線🚃♻️の原宿駅の外回り電車(新宿、池袋、上野方面)のホームの2番線が、臨時ホーム跡に移設されたことに続く出来事となっていました。

原宿駅では、外回りホームの移設と共に新駅舎に移設され、トイレ🚻♿も拡張されていました。

原宿駅のトイレは、とても狭く、和式トイレと洋式トイレ🚽が混在していました。

改良されてからは、広くなったと共に全て洋式トイレ🚽となり、車椅子対応の幅広洋式トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽が1ヶ所から2ヶ所に増設されたことにより、利用しやすくなっています。

千駄ヶ谷駅の改良は、7月から8月に掛けて開催されていた東京オリンピック、パラリンピック2020に合わせたものであり、1964(昭和39)年に行われていた東京オリンピック1964で使われていた臨時ホームが正式なホームとして生かされていました。

駅構内に将棋の王将の駒のモニュメントがあるのは、周辺な日本将棋連盟の本部である将棋会館があるという縁であり、以前はホーム上の水飲み場にありました。

東京体育館は、1990(平成2)年に東京都体育館の改築により出来た体育館であり、東京オリンピック、パラリンピックの卓球の会場として使われていたので、それに合わせた大規模改修が行われていました。

国立競技場は、東京オリンピック、パラリンピック2020のメイン会場として使われていた場所であり、それに合わせて改築されていました。

そのこけら落としとなった試合は、昨年1月1日に行われた天皇杯JFA第99回全日本サッカー選手権大会の決勝(ヴィッセル神戸対鹿島アントラーズ)⚽であり、ヴィッセル神戸が優勝🏆️していました。

ヴィッセル神戸は、兵庫県神戸市兵庫区にあるノエビアスタジアム神戸が本拠地のサッカーJリーグのチーム(J1)であり、プロ野球(パ・リーグ)の東北楽天ゴールデンイーグルス⚾と同様に楽天の系列(楽天スポーツ)であります。

詳細は、「東京体育館」、「国立競技場」で検索。

信濃町駅は、1面2線の島式ホームの駅であり、東京ヤクルトスワローズの本拠地である神宮球場🏟️の最寄り駅となっているけど、改良前に臨時ホームがありました。

信濃町駅前には、慶應義塾大学の信濃町キャンパス🏫(医学部のキャンパス)と、慶應義塾大学病院🏥があるけど、その構内(東校舎の東側)には、慶応稲荷社⛩️があり、受験シーズンには、受験者たちの参拝も見られています。

慶應義塾大学病院🏥も、駅から近い病院であります。

千駄ケ谷駅と信濃町駅の間にある明治神宮外苑アイススケート場⛸️は、通年滑れるアイススケート場⛸️であり、かつて室内プールとして使われていました。

詳細は、「明治神宮外苑アイススケート場」で検索。

神宮球場(明治神宮野球場)🏟️は、今シーズンに20年ぶりの日本一で話題になった、プロ野球(セ・リーグ)の東京ヤクルトスワローズの本拠地であり、全日本大学野球選手権大会や東京六大学野球連盟と東都大学野球連盟のリーグ戦としても使われています。

早稲田大学対慶應義塾大学の早慶戦(どちらもスポーツの名門でもある)は、特に有名であり、野球をはじめとする色々な競技で見られています。

詳細は、「神宮球場」、「明治神宮野球場」、「東京ヤクルトスワローズ」で検索。

水道橋駅付近にある東京ドームは、巨人軍として親しまれている読売ジャイアンツの本拠地であるので、JR水道橋駅の発着メロディーが、読売ジャイアンツの球団応援歌である「闘魂こめて」となっています。

JRの水道橋駅から東京ドームシティに行く時、西口を使ったほうが横断歩道を渡らずに済みます。

千葉県習志野市(鈴川絢子氏(YouTuberでもある)の地元でもある)にある習志野市谷津バラ園🌹の入口脇には、「読売巨人軍発祥の地」の碑があり、そこには、歴代の巨人軍の監督や選手たちの手形やサイン入りの石のプレートが並べられています。

読売ジャイアンツ(巨人軍)⚾は、1934(昭和9)年10月15日に、6大学からの選抜により、谷津球場(谷津遊園にあった球場)で結成され、同年12月26日に前身の大日本東京野球倶楽部として旗揚げされていたので、このことは、日本のプロ野球の歴史の始まりでもありました。

翌年の1935(昭和10)年には、阪神タイガースの前身である大阪タイガースが創設され、大日本東京野球倶楽部が東京巨人軍に改名されていました。

現在の東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)となったのは、1947(昭和22)年ことであり、これまでの東京巨人軍の時代には、京成が筆頭株主となっていました。

現在鉄道会社の系列のプロ野球チームは、埼玉西武ライオンズ⚾🦁(西武鉄道の系列(西武ホールディングス))と阪神タイガース⚾🐯(阪神電気鉄道の系列(阪急阪神ホールディングス))となっているけど、昔巨人軍が京成の系列となっていたことは、プロ野球や京成グループの歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。

このことは、北海道日本ハムファイターズ⚾の前身が、東急フライヤーズという東急系列の球団となっていたことと同じことが言えます。

千葉県に本拠地のある千葉ロッテマリーンズ⚾は、1949(昭和24)年9月に毎日オリオンズ(毎日新聞社の系列だった)として創設された球団であり、荒川区南千住にあった東京スタジアム(東京球場)が聖地となっていたこともありました。

日本野球発祥の地は、東京都千代田区(神保町駅付近)にある学士会館の中にあるけど、こちらは東京大学(東大)の発祥の地でもあります。

千葉ロッテマリーンズの本拠地であるZOZOマリンスタジアム(千葉マリンスタジアム)は、京葉線の海浜幕張駅が最寄り駅だけど、幕張本郷駅からバス🚌で行くことも出来ます。

詳細は、「東京ドーム」、「読売ジャイアンツ」、「読売巨人軍発祥の地」、「ZOZOマリンスタジアム」、「千葉ロッテマリーンズ」で検索。

亀戸駅は、JR中央・総武緩行線と、東武亀戸線が乗り入れる駅で、JR線は高架ホーム、東武線は北側(駅ビルのアトレ亀戸側)にある地平ホーム(どちらも島式ホーム)からの発着となっています。

東武亀戸線の乗り場は、1番線と2番線(JR線とは異なっている)であり、普段はJR線側の1番線からの発着で、朝の1本と留置列車のみ2番線が使われているので、西新井駅の東武大師線ホーム(1,2番線)と同じような扱いとなっています。

亀戸(かめいど)の由来は、昔江戸湾に浮かんでいた亀島であり、亀🐢のような形であったから名付けられていました。 

それが陸続きになったことによって亀村となり、そこに亀ノ井という井戸があったことから、亀井戸がもじって亀戸と名付けられていたのであります。

こち亀(こちら葛飾区亀有公園前派出所)でお馴染みの葛飾区亀有(JR常磐緩行線の亀有駅もある)の由来は、戦国・室町時代に古隅田川と葛西川が合流して亀の背に似た島状の土地となっていたことであり、亀無、亀梨と呼ばれていたことで縁起が良くなかったことにより、亀有となったのであります。

亀戸と亀有は、昔亀🐢のような形の地形となっていたことが由来となっていたという共通点があることが分かります。

亀戸駅の北口付近にある亀戸餃子🥟は、安くて美味しい😋🍴💕と言われています。

メニューは、小ぶりな餃子🥟が5個のみで、ビール🍺を頼むことも出来るけど、ビール🍺に合いそうだな❗と思いました。

こちらは、1人に付き2皿以上注文することが条件であり、1皿食べ終わると自動的にもう1皿追加されることになっています。

このことは、盛岡名物のわんこそばと同様の感覚となっているので、わんこ餃子と言われています。

詳細は、「亀戸餃子」で検索。

亀戸駅のある東京都江東区は、1947(昭和22)年3月15日に深川区と城東区(大阪市とは別)の合併により出来た区であり、そのうちの城東区(東京市→東京都)は、1932(昭和7)年10月1日に亀戸町、大島(おおじま)町、砂町の合併により出来た区でありました。

両国、錦糸町の両駅のある東京都墨田区は、1947年3月15日に本所区と向島区の合併により出来た区であり、墨田の名は、隅田川の墨堤の墨に、隅田川の田を組み合わせたことが由来であります。

向島区の前身は、寺島町、隅田町、吾嬬(あづま)町であり、東武亀戸線の東あずま駅の駅名に、吾嬬町だった頃の名残があります。

東あずま駅が東東(東々)ではないことは、このことでありました。

現在墨田区は、所在地の押上と共に、2012(平成24)年5月22日の東京スカイツリーの開業により知名度が上がっています。

このように、東京23区などの前身を探ってみるのが面白い状態であります。

葛飾区亀有は、ここは亀有ご当地アイドルプロジェクト(coco亀、亀有の女子小学生🎒の3人組のご当地アイドル)🐢の地元でもあり、昨年11月8日に亀有香取神社⛩️でデビューライブが行われていました。

亀有香取神社⛩️は、亀有駅の南側にある神社⛩️であり、2018年末に、御鎮座七百四十年奉祝記念事業「平成の大整備事業」が完成し、綺麗な神社となっています。

それが昨年度のグッドデザイン賞に選ばれていました。

coco亀🐢のほうは、さゆ、まゆ、その3人組であり、長引くコロナ禍(コロナ大騒動)の最中の亀有を元気にすることや、亀有の魅力を伝える為に結成されていました。

自分(しゃもじ)🐰の1推しのさゆ🧡は、ダンスコンテストのU12ソロ部門で優勝🏆🥇していました。おめでとうございます。🎊🎉

さゆの妹である、まゆ💜のほうは、U9ソロ部門で準優勝🥈していたのであります。

さゆ🧡は、自分(しゃもじ)🐰のつぶやきをチェックしている状態であるので、このブログのことを教えてあげました。

詳細は、「亀有香取神社」、「coco亀」で検索。

さゆ氏🧡が紹介してくれた亀有メンチの牛・豚・鶏の3種類のメンチカツで、鶏肉🐓のほうがさっぱりとしてて美味しかった😋🍴💕と言っていたけど、こちらは、鶏そぼろやつくねなどに使われているような鶏ひき肉が使われています。

詳細は、「亀有メンチ」で検索。

平井駅は、旧中川と荒川に挟まれた江戸川区の平井地区にある駅であり、周辺に目黄不動尊の最勝寺があります。

東京には、目黒不動、目白不動、目赤不動、目青不動、目黄不動があり、そのうち鉄道の駅名となっているのは、目黒駅と目白駅(どちらも山手線の駅である)であります。

目白不動尊は、豊島区高田にある金乗院で、都電荒川線(東京さくらトラム)の学習院下電停や東京メトロ副都心線の雑司が谷駅から近いです。

目黒不動尊は、目黒区下目黒にある瀧泉寺であり、最寄り駅は、目黒駅と東急目黒線の不動前駅であり、渋谷駅東口と五反田駅を結ぶ東急バス🚌の渋72系統(不動線、目黒営業所所属)でも行くことが出来ます。

こちらのバス路線は、目黒不動尊の境内を通ることで有名であり、毎月28日の縁日の時には、境内を通ることが出来ないので、林試の森入口と不動尊門前の間が徒歩連絡となります。

目赤不動は、文京区本駒込(東京メトロ南北線の本駒込駅付近)にある南谷寺、目青不動は、世田谷区太子堂(東急田園都市線、世田谷線の三軒茶屋駅付近)にある最勝寺教学院であります。

詳細は、「平井 目黄不動尊」で検索。

江戸川区は、江戸東京野菜の一つである、小松菜発祥の地であり、徳川将軍によって名付けられていました。

江戸川区の小松川地区で想像が付くと思うけど、このことは本当であります。

江戸川区中央にある香取神社(新小岩香取神社)には、小松菜のゆかり塚があります。

詳細は、「小松菜」、「江戸川区小松菜」、「小松菜発祥の地」、「新小岩香取神社」で検索。

東京都江戸川区は、1932(昭和7)年10月1日に、南葛飾郡小松川町、葛西村、松江町、瑞江村、鹿本村、篠崎村、小岩町の合併により出来た区であり、江戸川に因んで江戸川区と名付けられていました。

新小岩駅や亀有駅のある東京都葛飾区は、1932年10月1日に、南葛飾郡新宿(にいじゅく)町、金町、奥戸町、水元村、亀青村、南綾瀬町、本田(ほんでん)町(旧、立石村)の合併により出来た駅であり、亀有駅のある場所は、昔亀青村と呼ばれていたのであります。

亀青とは、亀有と青戸のことであり、1928(昭和3)年11月1日に京成線の青砥駅が開業した当時は、亀青村ではなく、本田町に位置していました。

昨年5月11日には、自動車の足立ナンバーの地域だった江東区が江東ナンバー、葛飾区が葛飾ナンバー(どちらも足立ナンバーベースのご当地ナンバー)となったけど、江戸川区や墨田区は、足立ナンバーのままとなっています。

因みに現在足立ナンバーでの新規及び転入登録の出来る自治体は、足立区、荒川区、江戸川区、墨田区、台東区となっています。 

下総中山駅は、中山法華経寺(ほけきょうじ)の最寄り駅であり、京成本線の京成中山駅からもほうが近いです。

ここにある五十塔は、国の重要文化財に指定されています。

詳細は、「中山法華経寺」で検索。

本八幡駅と下総中山駅の間にある、ニッケコルトンプラザは、1988(昭和63)年11月25日に、日本毛織(ニッケ)の中山工場の跡地に開設されたショッピングセンターであり、イオングループであるダイエー(daiei)のいちかわコルトンプラザ店(旧、いちかわプランタン)が中核店舗となっています。

ダイエーからイオン(AEON)に鞍替えされた店もあるけど、このように、イオングループ入りする前から親しまれているダイエー(daiei)のブランドが残されていることで素晴らしいなと思っています。

やはりダイエーを残してもらいたいという声もあることが分かります。

こちらの最寄り駅は、本八幡、下総中山の両駅と、京成本線の鬼越駅であり、本八幡駅北口からは、無料のシャトルバス🚐も出ています。

詳細は、「ニッケコルトンプラザ」、「ダイエーいちかわコルトンプラザ店」で検索。

西船橋駅は、中央・総武緩行線、武蔵野線、京葉線、東京メトロ東西線、東葉高速鉄道東葉高速線が乗り入れているターミナル駅であり、1958(昭和33)年11月10日に総武線側から開業していました。

1969(昭和44)年3月29日の営団地下鉄(現、東京メトロ)東西線の東陽町~西船橋間の開業により、乗り換え駅となり、1978(昭和53)年10月2日に武蔵野線、1986(昭和61)年3月3日に京葉線、1996(平成8)年4月27日に東葉高速鉄道東葉高速線も加わっています。

武蔵野線と他のJR各線との乗換駅で、1973(昭和48)年4月1日の府中本町~新松戸間の開業と共に出来た駅は、西国分寺、新松戸の両駅であり、府中本町、南浦和、西船橋駅は、既存の駅が乗換駅に化けた駅となっています。

東京メトロ東西線と東葉高速線から(へ)の乗り換えは、中野駅とは異なり、改札が独立している為に、中間改札を通る必要があります。

西船橋駅付近にある京成西船駅は、1987(昭和62)年3月31日まで、葛飾駅と呼ばれていました。

このことで、葛飾区にある駅と紛らわしいということで、国鉄からJRとなった日と同じ1987年4月1日に京成西船駅に変更されていました。

京成千葉線では、1987年4月1日に国鉄千葉駅前駅が京成千葉駅(2代目)に、京成千葉駅(初代)が千葉中央駅にそれぞれ変更されていたけど、国鉄千葉駅前駅は、路面電車みたいな駅名となっていました。

船橋駅と津田沼駅の中間にある東船橋駅は、幕張本郷駅と同じ1981(昭和56)年10月1日に開業した駅で、どちらも開業40周年を迎えていました。

総武線の複々線区間が津田沼駅から千葉駅まで延長されたのは、1981年10月1日のことであり、これらの2駅の新設との関連もあります。

京成千葉線に京成幕張本郷駅が開業したのは、1991(平成3)年8月7日のことであり、幕張新都心の整備により、京成側にも駅が設けられたことが分かります。

幕張本郷駅と幕張新都心を結ぶバス🚌は、京成電鉄のバス事業→京成バスなので、京成グループの交通機関で繋ぐ役割もあると思っています。

さいたま市浦和区(旧、浦和市)のほうは、北浦和、西浦和、東浦和、南浦和と、東西南北で揃い踏みであるけど、船橋市には、北船橋駅がない状態であります。

武蔵野線の船橋法典駅は、仮称の時点で北船橋駅となっていたけど、船橋法典駅となったことにより、北船橋が幻となっています。

船橋法典駅は、中山競馬場🏇の最寄り駅であり、競馬開催日には賑わっています。

中山競馬場の最寄り駅は、京成本線の東中山駅や前述の下総中山、西船橋の両駅も挙げられているので、船橋法典駅が混雑している場合には、これらの駅を使うことが推薦されています。

中山競馬場でのレース予定等の詳細は、「中山競馬場」で検索。

船橋法典駅付近に、楽天地天然温泉法典の湯♨️という日帰り温泉施設があり、友人のつか氏と一緒に行ったことがあります。

錦糸町の楽天地ビルの9階にある、天然温泉 男性専用 楽天地スパ(スパ&サウナ)♨️🚹️は、錦糸町駅近くにある温泉施設で便利であるけど、男性専用♨️🚹️である為に、女性🚺️並びに小学生以下(男女を問わず)が入ることが出来ないので、注意が必要⚠️であります。

ホームページには、女性のお客様、お子様は姉妹店 楽天地天然温泉法典の湯をぜひご利用ください。と書いてあります。

楽天地天然温泉法典の湯♨️も、美肌効果があると言われています。

船橋法典駅から楽天地天然温泉法典の湯までは、徒歩5分と便利であります。

自分(しゃもじ)のブログで温泉♨️をよく話題にする理由は、温泉が好きだからだけでなく、美肌効果があることを紹介したいからであります。

詳細は、「楽天地天然温泉法典の湯」、「楽天地スパ 錦糸町」で検索。

京葉線の海浜幕張駅付近にあるアパホテル&リゾート 東京ベイ幕張内の若紫の湯は、逆に女性専用♨️🚺️となっているけど、男性の場合は、その代わりに敷地内にある玄要の湯や飛翔の湯を使うことになるので問題はないと思っています。

詳細は、「アパホテル&リゾート 東京ベイ幕張」で検索。

JFA夢フィールド 幕張温泉湯楽の里は、JFA夢フィールド内にある日帰り温泉施設♨️であり、京葉線の海浜幕張駅から徒歩20分で、無料送迎バス🚐も出ています。

詳細は、「幕張温泉湯楽の里」または「JFA夢フィールド 幕張温泉湯楽の里」で検索。

このように、日帰り温泉などの名所を発見することは面白いと思います。

相鉄の記事では、相鉄本線の上星川駅前にある天然温泉満点の湯を発見することが出来て良かったと思っています。

あーにゃこと羽宮蒼姫(水湊あおひ)氏😸も温泉好きであると言っていました。

11月28日は、渋谷のCherish Studioeshで行われた、あーにゃこと羽宮蒼姫(水湊あおひ)氏😸の生誕祭に行き、あーにゃの生誕を祝うことが出来ました。

あーにゃ😸は、しゃもじさん🐰に出会えて良かったと言っていたので、ご満悦の様子でありました。

この時にあーにゃのお母さん(あーにゃママ)🐈️と再会することや、おほの氏とも出会うことも出来たことで、行けて良かったな❗と思いました。

11月21日は、FleshAkibaササゲで行われた、あーにゃこと羽宮蒼姫(水湊あおひ)氏😸が出てきたFlesh撮影会に参加し、あーにゃ😸と久しぶりに再会し、会話することが出来ました。

あーにゃこと羽宮蒼姫氏😸のSNS、ブログやスケジュール等の詳細は、「羽宮蒼姫」で検索。

あーにゃママ🐈️も、あーにゃ😸の誕生日の記事を見ていたので、このブログをアピールすることが出来て良かったと思っています。

2021(令和3)年の自分(しゃもじ)は、ドルヲタ($ヲタ)活動が激減し、全て対バンライブでアイドルの単独ライブの参戦もない状態となっています。

このようなドルヲタ活動の不振は、地下アイドルのファンに移行してから初めてであります。

2回目以降の緊急事態宣言(セ)によるドルヲタ活動の停止が大打撃でありました。

10月31日のハロウィン🎃には、品川グランドホールで行われたエキセントリックトーキョー~ハロウィンNIGHT~ PART2で、HIGHSPIRITS(ハイスピ)のメンバーを見たことに成功した喜びを取り戻したいです。

早くHIGHSPIRITS(ハイスピ)のメンバー(特にさやぽんこと葉月沙耶氏🐶)と再会したいです。

もちろん、ちゃむこと椎名栞氏💛との10月9日以来の再会をしてみたいです。

自分(しゃもじ)はアイドルの単独ライブに行ける機会がまたあると思っています。

ハイスピでは、来年1月1日をもって、あいきゃんこと小室あいか氏が卒業することが決まっているけど、その前に本田りあん氏がたったの3ヶ月で脱退(卒業)してしまったという残念な話題がありました。

その代わりに来年に新メンバーが2人入ってくることが予想されています。

いっちーこと一宮麻由加氏は、一昨日(12月6日)で30回目の誕生日を迎えていました。

あーにゃ😸は、アメブロ(あおひのブログ~黒猫日記~)をやっているので、こちらでも分かります。

あーにゃこと羽宮蒼姫氏😸のインスタグラム(インスタ)のリプで、舞台を観に来てくださりありがとうございました♥️ちゃんと見つけたよ♥️ありがとう❤️と言われたので、しゃもじスタイル🐰をしておいて良かったと思っています。

さやぽんこと葉月沙耶氏🐶は、しゃもじの大ファンである状態であり、あーにゃ😸も自分(しゃもじ)の大ファンと言えます。

ご無沙汰しているアイドルたちも、しゃもじ🐰との再会を望んでいるのもそのはずであります。

さやぽんのお母さん(さやぽんママ)🐕️は、あーにゃママ🐈️と同様に自分(しゃもじ)のことを良く知っている状態であります。

もちろん、coco亀🐢のさゆまゆ姉妹のお母さんもです。

緊急事態宣言(セ)の期間中の月曜日には、バスネタに限定しているけど、緊急事態宣言が解除された後、自分(しゃもじ)の土曜出勤(休日EXE、アウェイ、銅曜日)に当たった後の月曜日(絶望の週末、祝日に当たった時は例外)には、バスネタ限定を継続させます。

それ以外の日にもバスのことを書くこともあります。

10月11日は月曜日だったけど、何でバスじゃないんだ❗ということになるけど、それは、9日が自分(しゃもじ)の土曜休みだったからであります。

月曜日のバスネタ限定日は、9月27日が最後(315)ではありません。

自分(しゃもじ)の土曜休み(ホームグラウンド)の後の月曜日のブログは、当分の間都電荒川線や東急世田谷線などの路面電車限定とします。

来年1月と3月には、あーにゃ😸が出てくる舞台が予定されています。

自分(しゃもじ)🐰はやはり、あーにゃ😸に舞台来てね❗と言われました。

自分(しゃもじ)は、コロナワクチンの接種記録を登録しておくことの出来る「Health Amulet」のアプリ📱をダウンロードした上で使っています。

こちらでは、接種予定日だけでなく、健康状態を記録しておくことも出来ます。

詳細は、「Health Amulet」で検索。

ワクチンを打った後も、マスク😷をすることや、手の消毒を継続することをしなければならないことを肝に命じてもらいたいです。

そうしないとワクチンを打った意味がないと思います。

このことは、既に打った人はもちろんのこと、これから打つ人にも理解してもらいたいと思っています。

自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動は、銚子電気鉄道線と同様に危ない状態であり、電車を止めるな❗にあやかって、しゃもじを止めるな❗と言いたくなります。

今回も過去に撮影したベストショットを載せました。

東京メトロでは、10日、17000系の8連バージョンの17186Fが、平日11S運用で、営業運転入りしたことを聞きました。

7000系の7127Fが新木場まで廃車回送され、搬出されたので、もう、乗れない。状態となってしまいました。

運用離脱された7101Fのほうは、新木場、元町・中華街寄りの7101号車が黄帯に復元されていたことを聞きました。

28日はその17186Fに乗ることに成功しました。

7000系の7129Fは、18187Fの導入により、新木場まで廃車回送され、近いうちに解体の為に搬出されることになるので、こちらも、もう、乗れない。状態となってしまいました。

現在は、17188Fまで営業運転入りしていることを確認しました。

京浜急行電鉄(京急)では、1500形の1509Fが運用離脱され、1891Fと連結された上で久里浜工場まで廃車回送され、こちらももう、乗れない。状態となってしまいました。

1893F(トイレ付き🚻🚽の多目的車両)には、29日に営業運転が開始されていました。

最近になってからは、1890番台が夕方にも使われるようになっています。

東武鉄道では、12月5日から、100系スペーシアの101Fが、1720系デラックスロマンスカー(DRC)塗装に復元され、こけら落としとなるツアー列車が運転されていました。

それが1日に出場していたのであります。

詳細については、東武鉄道のホームページに出ています。

一昨日から一般の運用に入っているので、撮影に行きたいと思っています。

東武100系スペーシアの101Fが南栗橋工場に入場し、粋塗装が見納めになったのはその為でありました。

一昨日は、6050系の6159+6155+6169Fが北館林まで廃車回送され、もう、乗れない。状態となってしまいました。

自分(しゃもじ)の2021年のドルヲタ($ヲタ)活動も不振が続いているので、最下位に転落したような屈辱となっています。

やはりしゃもじ出禁宣言であった2回目以降の緊急事態宣言(セ)の影響が大きかったです。

冬に向けてコロナ大騒動の第6波が懸念されるようになっているので、日本政府によるコロナ対策が強化されるようになることが発表されていました。

12日は、新宿駅で100系スペーシアの108Fを撮影した後にハイスピの5周年ライブに行く予定でありました。

21日は、その代わりにそれを撮影した後にあーにゃ😸と出会ったのであります。

JR東海では、来年3月5日に新型の315系が中央西線の名古屋~中津川間でデビューする予定という情報が入ってきました。

これにより、国鉄時代末期に製造された211系0番台の2本が最初に置き換えられることになり、JR東海の旅客用車両が全てJRに移管された後に製造された車両に統一されることになります。

静岡エリアのトイレなし211系をどうにかしてほしいという声が聞こえているけど、やがて315系に置き換えられていくことになります。

3日は、N700系新幹線(スモールA)のX3系が浜松工場まで廃車回送され、もう、乗れない。状態となってしまいました。

相模線のE131系500番台は、18日の茅ヶ崎 16時34分発の橋本行きから営業運転入りしたということを聞きました。

205系500番台は、急速に置き換えられることになるので、撮影、乗車はお早めにということになります。

昨日は、橋本から海老名まで、E131系100番台に乗り、205系500番台も撮影、乗車してきました。

小田急電鉄では、休車となっていた1000形のワイドドア車だった1756Fが正式に廃車(もう、乗れない。状態)となり、近いうちに北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで陸送されてしまいます。

これにより、1000形のワイドドア車が1754Fだけとなってしまいました。

廃車となった1051F(4連の1000形で最後の未更新車だった編成)の新宿寄りの2両が北館林荷扱所(渡瀬北留置線、群馬県館林市)まで陸送されて解体されていたけど、小田原寄りの2両も北館林まで陸送されていました。

次は、1756Fが北館林まで送り込まれることになります。

11月27日は、小田急江ノ島線の中央林間駅東口改札が使用開始されたけど、それを祝う形により、最後のワイドドア編成である1754Fが江ノ島線での運用に入っていました。

都電荒川線(東京さくらトラム)では、28日からは、オリジナルヘッドマーク付きの8502号車が運転されることになります。

12月1日から26日までは、9001号車による都電クリスマス号が運転されるので、久しぶりに都電に乗りに行こうと思っています。

世界では、オミクロン株が出回っているので、外国人の入国停止の措置が取られています。

このことを早期に実行していたことで、岸田総理の下によるコロナ対策はしっかりしているな❗と思いました。

オミクロン株が日本国内でも発見されてしまったので、隔離が強化されています。

これが拡大し、ゴミクロン株にならないことを願っています。

12月1日は、スマホの機種📱を昨日は、スマホの機種をGalaxy S10+(SCV42、S09+の後継モデル)から、Galaxy S21+(SCG10、S20+の後継モデル)に機種変更(更新)しました。

Galaxyのスマホ📱は、サムスン(Samsung)社による大人気のAndroidスマホシリーズであり、Galaxy S21+もカメラ機能が良いと言われています。

この導入があーにゃ😸の生誕祭に間に合わなかったのが残念であります。

現在のスマホ📱の機種は3代目であり、iPhoneにせずにAndroidで通しています。

自分(しゃもじ)🐰は、このスマホ導入後初のドルヲタ($ヲタ)活動が出来ることを願っています。

日光東照宮の木彫像の一つである三猿🐵は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の意味があり、「幼少期に悪事を見ない、言わない、聞かないほうがいい」、「自分に不都合なことは見ない、言わない、聞かないほうがいい」と言われています。

このブログは、このことに基づいて、自分(しゃもじ)が嫌がるような(不都合である)NGワード等は一切書かないようにしています。

早いもんで師走こと12月に入り、前年に続いてコロナコロナで騒がれた2021(令和3)年も終わりの時が近づいてきました。

コロナ大騒動のせいで、旅行に行かれないことや、会いたい人に会えないという辛い思いとなっています。

小麦ぱんこ氏🐼は、自分(しゃもじ)によるこのブログを見た時に勉強になると言っていたので、そう言って貰えて嬉しく思いました。

本当に一足早い感染者数の減少、ワクチンの更なる普及、コロナの収束、自分(しゃもじ)の単独ライブ参戦、あーにゃ😸との再会を願っています。

このブログでは、鉄道やバスの車両や運用のことに関することだけでなく、沿線の名所や美味しいもの😋🍴💕などに触れていくことにしています。

今回は、中野電車区100周年記念ヘッドマークを制覇したことで、元山手線のA511編成を話題にしました。

これに乗った時は、同窓会気分でありました。

こちらは、友人のひっぐ~氏の好きな車両であるのでちょうどいい話題となっています。

ひっぐ~氏は、E231系が好きなことに加え、E231系との相性が良い状態であります。

ひっぐ~氏には、やはりE231系が似合っています。

中央・総武緩行線の時刻、運賃、運行情報等の詳細は、JR東日本のホームページを見るか、「中央・総武緩行線」、「中央総武線各駅停車」で検索願います。

中野電車区100周年記念ヘッドマークは、来年3月まで取り付けられる予定となっています。

このように、中野電車区100周年記念ヘッドマーク付きのE231系500番台を撮影し、話題にすることが出来て良かったです。