こちらは、昨年8月16日に、東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線の池袋駅で撮影した、2000系の2121Fによる荻窪行き🚇️です。

東京メトロ2000系は、02系の置き換え用として導入されている新型車両(銀座線の1000系と同様の日本車輌製造豊川製作所製で、東京メトロオリジナルの10000系シリーズでもある)であり、1996(平成8)年7月まで活躍していた赤い旧型車両がイメージされています。

側面の波模様の帯も守られおり、車内に地下鉄車両初のコンセント🔌が取り付けられていることが特徴となっています。

営業運転入りしたのは、一昨年(2019(平成31)年)2月23日のことであり、自分(しゃもじ)が初めて乗ったのは、その翌日の2月24日の新宿→荻窪間で、2102Fが使われていました。

これまでに、2132Fまでが甲種輸送されているので、30本を超えるようになっています。

02系は、2018(平成30)年10月の02-148Fを皮切りに、未更新車の後期型から廃車が進められており、最近になってからは、02-138Fが廃車となったので、未更新の0番台の残りが4本(02-140,141,150,153F)と少なくなっています。

これらの4本は、運用離脱されるのも時間の問題となっているので、有楽町線と副都心線の7000系の10連の残り(7101,7102,7104,7105,7118F)と同様に、撮影、乗車はお早めにということになります。

これまで廃車となった02系のうち、02-151Fの02-151号車と251号車が、フィリピン🇵🇭のFEATI大学🏫に教材用として無償譲渡されていました。

その他の車両の解体作業は、富山県高岡市伏木にある日本総合リサイクルまで陸送された上で行われています。

02系が2000系に順次置き換えられている理由は、02系が導入予定のCBTC(無線式列車制御システム)に対応していないことに加え、750Vへの昇圧対策もあります。

2121Fは、昨年4月に日本車輌製造豊川製作所で製造された編成であり、池袋寄りの先頭車が2021号車となっているので、東急電鉄2020系の2121Fの2021号車(中央林間寄りの先頭車)と同様に、本年(2021(令和3)年)最初の話題にしていました。

こちらは、東急の2021号車と共に、本年の年賀状に使った人も多かったと思います。

東京メトロ丸ノ内線の路線

池袋~新大塚~茗荷谷~後楽園~本郷三丁目~御茶ノ水~淡路町~大手町~東京~銀座~霞ケ関~国会議事堂前~赤坂見附~四ツ谷~四谷三丁目~新宿御苑前~新宿三丁目~新宿~西新宿~中野坂上~新中野~東高円寺~新高円寺~南阿佐ヶ谷~荻窪

方南町支線 中野坂上~中野新橋~中野富士見町~方南町

乗換駅

池袋 有楽町線、副都心線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線))、東武東上線、西武池袋線

後楽園 南北線、都営三田線・都営大江戸線(春日駅)

本郷三丁目 都営大江戸線(地上連絡)

御茶ノ水 JR(中央快速線、中央・総武緩行線)

淡路町 千代田線(新御茶ノ水駅)、都営新宿線(小川町駅)

大手町 東西線、千代田線、半蔵門線、都営三田線

東京 JR(山手線、京浜東北線、中央快速線、上野東京ライン(東海道線、宇都宮線、高崎線、常磐線)、横須賀・総武快速線、京葉線、東海道・山陽新幹線、東北・北海道・山形・秋田・上越・北陸新幹線)

銀座 銀座線、日比谷線、有楽町線(銀座一丁目駅)

霞ケ関 日比谷線、千代田線

国会議事堂前 千代田線、南北線(溜池山王駅)

赤坂見附 銀座線、有楽町線・半蔵門線・南北線(永田町駅)

四ツ谷 南北線、JR(中央快速線、中央・総武緩行線)

新宿三丁目 副都心線、都営新宿線

新宿 JR(山手線、埼京線、中央快速線、中央・総武緩行線、湘南新宿ライン、相鉄・JR直通線)、小田急線、京王線、都営新宿線、都営大江戸線(新宿西口駅)、西武新宿線(西武新宿駅)

中野坂上 丸ノ内線相互(本線⇔方南町支線)、都営大江戸線

荻窪 JR(中央快速線、中央・総武緩行線)

地上にある駅 茗荷谷、後楽園、四ツ谷駅で、後楽園・四ツ谷両駅は、丸ノ内線は地上、南北線は地下となります。

御茶ノ水駅を出た後に一旦地上に出て、神田川を渡ってから再び地下に入るシーンはお馴染みであり、四ツ谷駅と並ぶ丸ノ内線の有名な撮影ポイントでもあります。

丸ノ内線の御茶ノ水~淡路町間で一旦地上に出てから神田川を渡るようになった理由は、地形の関係であり、1956(昭和31)年3月20日の淡路町までの開業当時、トンネルを深く掘る技術がなかった為にこうなったのであります。

丸ノ内線の車両基地は、中野検車区(中野富士見町駅付近で工場も併設)と、中野検車区小石川分室(茗荷谷駅付近、現在車両配置なし)の2ヶ所あり、小石川分室(旧、小石川検車区)は、開業当時から使われています。

1954(昭和29)年1月20日に、丸ノ内線の最初の区間である池袋~御茶ノ水間が開業した時は、戦後並びに営団地下鉄初の新線開業として話題になっていました。

当時使われていた車両は、赤い300形で、そのうちの301号車は、東西線の葛西駅前(東京都江戸川区)にある地下鉄博物館で、銀座線の開業当時に活躍していた1000形の1001号車と共に展示されています。

1956年3月20日に淡路町駅まで、同年7月20日に東京駅まで延長されたことにより、丸ノ内線らしくなっていました。

翌年の1957(昭和32)年12月15日には、西銀座(現、銀座)まで開業していたけど、当時は銀座線の駅と繋がっていなかった為に、西銀座駅と呼ばれていました。

1958(昭和33)年10月15日に霞ケ関駅まで、1959(昭和34)年3月15日に新宿駅まで延長され、当時の丸ノ内線(山手線🚃♻️の内側部分)が全通していました。

1961(昭和36)年2月8日には、荻窪線(当時)の新宿~新中野間が、支線である中野坂上~中野富士見町間と共に開業し、同年11月1日に南阿佐ヶ谷駅まで延長されていました。

1962(昭和37)年1月23日には南阿佐ヶ谷~荻窪間が、同年3月23日に中野富士見町~方南町間がそれぞれ開業した時に荻窪線が全通していました。

当時は、新宿~荻窪間で、都電の14系統(杉並線、新宿駅前~荻窪駅前間)と重複していたけど、地下鉄の全通後にすぐに廃止されずに、翌年の1963(昭和38)年11月30日まで残されていました。

都電杉並線は、西武鉄道の軌道線が買収されていたことにより、都電で唯一の狭軌(1067mm)となっていたけど、最後まで活躍していた車両は、2000形と2500形でありました。

新宿~荻窪間は、かつて都電2000形が走っていた道路(青梅街道)の真下を東京メトロ丸ノ内線の2000系が走っていることになっています。

長崎電気軌道(長崎県)に700形として譲渡された2000形は、都電色の701号車が最後まで残されていたけど、150形(元箱根登山鉄道小田原市内線のモハ20形)や、1050形(元仙台市電のモハ100形)とは異なり、アスベストが含まれている為に残念ながら解体される運命となってしまいました。

元箱根登山車は小田原市で里帰り保存、元仙台市電車はリニューアルされる西武園ゆうえんちで展示されることになります。

1964(昭和39)年8月29日には、地下鉄日比谷線の霞ケ関~東銀座間の開業により、銀座線の駅と繋がったことで銀座総合駅となり、西銀座駅から西が外れて銀座駅に変わっていました。

同年9月18日には、利便性向上や、都電杉並線廃止後の穴埋めとして、新中野~新高円寺間に東高円寺駅が開業していました。

丸ノ内線の新宿~荻窪間と中野坂上~方南町間は、前述の通り、開業当時「荻窪線」と呼ばれ、新宿駅を境に路線名が変わっていたけど、1972(昭和47)年4月1日に丸ノ内線に統一されて一つの路線となっています。

このことは、東急電鉄田園都市線の渋谷~二子玉川園(現、二子玉川)間が新玉川線と呼ばれていたことと同様でありました。

丸ノ内線の新宿~荻窪間と方南町支線が作られた理由は、利便性向上や中央線の混雑緩和だけでなく、中野車両基地を建設させること、当時存在していた都電杉並線(14系統、新宿駅前~荻窪駅前間)を代替させていたこともあります。

横浜市営地下鉄ブルーライン(湘南台~あざみ野間)の正式な路線名は、湘南台~関内間が1号線、関内~あざみ野間が3号線と、関内駅を境に変わっているけど、分かりやすくする為に、2008(平成20)年3月30日の横浜市営地下鉄グリーンライン(中山~日吉間、4号線)の開業を期に、ブルーラインという愛称名が導入されていたので、東京の丸ノ内線と荻窪線、東急新玉川線と田園都市線のような流れとなっています。

1996年5月28日には、新宿~中野坂上間に西新宿駅が出来たことによって、現在の形となっています。

西新宿駅は、東京医科大学病院🏥の前にあり、2番出入口と直結しているので、雨の日のお見舞いや通院(リハビリ)にも便利であります。

新宿アイランドタワーとも地下で直結されており、ヒルトン東京🏨、東京都庁、都営大江戸線の都庁前駅を結ぶ地下通路も出ています。

一昨年7月5日には、方南町駅のホームの6両化により、池袋~方南町間の直通列車が新設されていたので、同年3月16日に千代田線の北綾瀬駅から千代田本線への直通列車(10両編成)が新設されたことと同じような流れとなっていました。

淡路町駅から秋葉原までは徒歩10分程度で行けるけど、隣接する都営新宿線の小川町駅と同様に、2006(平成18)年5月14日をもって閉館となった交通博物館(さいたま市にある鉄道博物館の前身)への最寄り駅となっていました。

地下鉄博物館にある1001号車(銀座線で活躍していた日本初の地下鉄車両)は、1968(昭和43)年に引退してから1985(昭和60)年まで、開業当時の姿に復元された上で交通博物館で展示されていたけど、翌年の1986(昭和61)年7月12日には、地下鉄博物館入りしていたのであります。

赤坂見附駅は、銀座線と丸ノ内線で唯一の上下二層式の駅であり、上(地下1階)が銀座線の渋谷方面、丸ノ内線の新宿、荻窪、方南町方面で、下(地下2階)が銀座線の浅草方面、丸ノ内線の池袋 方面乗り場から成っており、永田町駅への連絡通路は、下のホーム側にあります。

丸ノ内線の御茶ノ水駅は、東京医科歯科大学及び附属病院🏥の前にあり、1番出入口(1番線(新宿、荻窪、方南町方面乗り場))側のエレベーターでら、東京医科歯科大学と直接結ばれています。

順天堂大学や順天堂医院(附属病院)🏥へは、丸ノ内線の駅からのほうが近いです。

丸ノ内線の池袋駅は、1面2線の島式ホームとなっており、エンド側で副都心線の池袋駅と繋がっているので、改札を出なくても乗り換えることが出来ます。

丸ノ内線と有楽町線の乗り換えの場合は、これまで通り一旦改札口から出る必要があるので、丸ノ内線から池袋乗り換えで要町~和光市間の各駅に向かう場合には、副都心線からの列車のほうが便利であります。

今日は、東京ステーション♪の高橋みう氏🌹、昨日は、あーにゃこと水湊あおひ氏😸のSHOWROOMに参加出来たことでも幸せを感じています。

自分(しゃもじ)🐰は、あーにゃ😸のアバターを使っているので、あーにゃ😸のアバター着てくれてありがとうと言われたことで幸せを感じています。

このことで、あーにゃ😸に那珂湊駅のキーホルダーをプレゼントした時のことを思い出しました。

本当に緊急事態絶望嫌がらせ宣言が解除され、しゃもじ復活🐰の時が来ることを願っています。

自分(しゃもじ)🐰が参戦したアイドルの現場も、富士山🗻が見えることに例えたくなります。

自分(しゃもじ)🐰も倍返しによりリベンジしたいです❗

大阪、京都、兵庫、福岡、愛知、岐阜では、一昨日で第二次緊急事態宣言(緊急事態絶望嫌がらせ宣言)が解除されたけど、首都圏のほうは、3月7日まで続く見込みとなってしまい、連続ドラマで言えば、「つづく」の状態となってしまいました。

これにより、自分(しゃもじ)🐰のいないアイドルの現場が目白押しの週末も、第二次緊急事態宣言が解除されるまでの辛抱となります。

このことで、℃-uteの「君は自転車 私は電車で帰宅」という曲を「みんなヲタ活 しゃもじは宣言で自粛」と替え歌したくなります。

本当に日本経済がヤバいので解除を願う気持ちとなっています。

緊急事態宣言により、自分(しゃもじ)のヲタ活と共に日本経済を止められているのでそのはずであります。

三好鉄生氏のすごい男の唄の、♪ビールを回せ~底まで飲もうというところを♪経済回せ~宣言はやめろ~と替え歌したくなります。

昨年8月16日は、東京ステーション♪の小麦ぱんこ氏🐼の誕生日であり、直接祝うことが出来たという喜びがありました。

その後に御茶ノ水から池袋まで02系の02-102Fに乗ったのであります。

あーにゃこと水湊あおひ氏😸がステーション♪(東京ステーション♪の前身)を卒業してから今日で2年経ちました。

一昨年は、卒業公演の後にオフ会に参加していました。

西武鉄道では、新101系の251F(近江鉄道の湖風号塗装)が狭山線で営業運転入りしたことを聞きました。

今回は、245F(ツートンカラー)との入れ替わりで西武多摩川線を離れたことになったけど、多摩湖線の国分寺駅にホームドアが設置されたことにより、このような措置が取られていたのであります。

今日の東京メトロ17000系は、昨日に続いて有楽町線の平日29S運用(東武東上線直通の副都心線の運用)に入り、森林公園~元町・中華街間を往復していました。

これにより、Fライナーの運用にも入るようになっています。

東京メトロ17000系の西武線乗り入れ禁止のステッカーが剥がされていたので、西武線直通解禁が近づいてきています。

このことは、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)再会を願うことと同じであります。

自分(しゃもじ)は、17000系に乗りたい❗あー乗りたい❗あーにゃ乗りたい❗と思っているけど、緊急事態絶望嫌がらせ宣言のせいで乗りに行けない状態となっています。

丸ノ内線の2000系が、赤い旧型電車がイメージされた列車となったことは、予想通りでありました。

このように、丸ノ内線の2121Fを撮影し、話題にすることが出来て良かったです。