11月22日は、小竹向原から要町まで、西武鉄道40000系の40152F(固定式ロングシート車、カナヘイの小動物のラッピング電車)による東京メトロ有楽町線の新木場行きに乗りました。

この日の40152Fは、土休日02M運用(有楽町線直通)の後半で、和光市駅を20時42分に発車する有楽町線の新木場行きに使われていたので、横浜から小竹向原まで、映画ドラえもんのラッピング電車で移動した後、それが来るのを待っていました。

小竹向原駅は、その名の通り、練馬区小竹と、板橋区向原に跨がるジャンクション駅であり、駅長事務室が練馬区側にあるので、練馬区にある駅と扱われています。

乗り場は2面4線であり、1番線が和光市、東武東上線方面からの有楽町線(有楽町、新木場方面)または副都心線、東急東横線・みなとみらい線直通列車(新宿三丁目、渋谷、横浜、元町・中華街方面)、2番線が西武線からの有楽町線または副都心線、東急東横線・みなとみらい線直通列車、3番線が西武線(練馬、所沢、飯能方面)の列車、4番線が有楽町線、副都心線の和光市、東武東上線直通(川越市、森林公園方面)からなっているけど、3番線発着の和光市方面の列車もあるので注意が必要であります。

西武線直通列車は、配線の関係により内側の2,3番線に限定されているので、相模鉄道(相鉄)の二俣川駅で、相鉄本線が外側の1,4番線、相鉄いずみ野線直通列車が内側の2,3番線での発着となっていることにます。

小竹向原駅は、要町通り、練馬区立小竹小学校🏫の直下にある駅であるので、建設工事の時に校庭の一部が使われていました。

2,3番線の駅名標の下に小竹小学校前の表示があるのは、このことの見返りであります。

小竹向原駅の改札と出入口は、和光市、練馬寄り(小竹町、羽沢、小茂根方面)と池袋、新木場、渋谷寄り(小竹町、向原方面)に分かれているので、環七通り、武蔵野音楽大学の江古田キャンパス🏫、東京武蔵野病院🏥に行く時には、和光市寄りの改札を、筑波大学附属桐が丘特別支援学校(肢体不自由者特別支援学校)🏫♿、心身障害児総合医療療育センター♿🏥に行く時には池袋寄りの改札口を使うことになります。

小竹向原駅を含めたエスカレーターとエレベーターのある駅は、バリアフリー駅の証であるけど、車椅子♿の場合は、エレベーターのほうが適していると言われています。

車椅子♿で利用しやすい駅の条件は、段差がない(スロープとなっている)こと、エレベーター、車椅子用リフト♿、車椅子対応の幅広トイレ(だれでもトイレ)🚻♿🚽があることが挙げられています。

武蔵野音楽大学のある東京都練馬区羽沢は、神奈川県横浜市神奈川区にある相模鉄道(相鉄)の相鉄・JR直通線の羽沢横浜国大駅や隣接する横浜羽沢貨物駅と同様に、はざわと読みます。

40152Fには、小竹向原から要町まで乗ったので、地下鉄では初乗車でありました。

東横線の横浜駅は、地下駅となっているので、40151Fには、地下駅から地下駅まで乗ったことになったのであります。

西武の乗り入れ運用には、走行キロ数の調整により、和光市駅に乗り入れる運用もあるので、40000系のオールロングシート編成の地下鉄乗り入れ進出により、和光市乗り入れも見られるようになっています。

板橋区は、1932(昭和7)年10月1日に、東京府(東京都の前身)の北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の東京市への編入合併により出来た区であり、1947(昭和22)年8月1日に、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村だった部分が練馬区として分区され、小竹町と江古田町(現、旭丘)が練馬区に編入されていました。

練馬区の小竹と旭丘を除いた地域が板橋区の一部だったことは、板橋、練馬の両区の歴史に詳しい人でないと分からない状態であります。

要町駅や池袋駅のある豊島区のほうは、1932年10月1日に北豊島郡巣鴨町、西巣鴨町、高田町、長崎町の合併によって出来た区であり、北豊島郡や豊島氏が由来となっています。

8月31日に惜しまれながら閉園した豊島園(としまえん)で、練馬区なのに豊島園となっていた理由は、豊島氏の居城だった練馬城の跡地が転用されていたからであり、葛飾八幡宮が東京都葛飾区ではなく、千葉県市川市にあることと同様であります。

豊島区の駒込から巣鴨に掛けての場所(旧、染井村)は、有名な桜🌸の品種である「ソメイヨシノ」の発祥の地であり、巣鴨駅付近にある東京スイミングセンター🏊に隣接する場所にある、東京染井温泉SAKURA♨️🌸も、ソメイヨシノが由来となっています。

小竹向原駅付近にあるバス停は、武蔵野病院前バス停🚏🚌🏥であり、都営バスの王78系統(新宿駅西口~高円寺駅入口、大和町(板橋区)経由~王子駅間、小滝橋自動車営業所杉並支所所属)、国際興業バス(赤羽営業所(練馬ナンバー)所属)🚌と関東バス(阿佐谷営業所(A、練馬または杉並ナンバー)所属)🚌😸の赤31系統(高円寺駅~環七経由~赤羽駅東口間)であり、羽沢バス停は、西武有楽町線の新桜台駅前にあります。

次の小茂根バス停は、1997(平成9)年9月15日まで、中野駅からの関東バス茂呂線(中40系統、中野駅~小茂根間、丸山営業所所属だった)が折り返していた場所であり、ガードマンの誘導により環七通りの交通を停止させていたことによる折り返しとなっていました。

茂呂とは、板橋区小茂根の旧町名であります。

関東バスの小茂根行きが廃止されて江古田駅で打ち切りとなった理由は、折り返し作業の時に危険を伴っていたことに加え、利用客が少なかったからであることが分かります。

関東バス丸山営業所の茂呂線🚌😸は、中野駅~江古田駅間の中12系統と中41系統(それぞれ経由地が異なっている)と中野駅~丸山営業所間の中10系統となっているけど、路線名に小茂根まで行っていた頃の名残があります。

関東バスは、昨日紹介した江ノ電バス🚌、西武バス🚌、東急バス🚌と同様に、日産ディーゼル工業(現、UDトラックス、UD車)がメインとなっていたけど、以前から青梅街道営業所に三菱ふそう(FUSO)車、丸山営業所に日野(HINO)車、阿佐谷営業所にいすゞ(ISUZU)車が導入されています。

江ノ電バスの鎌倉営業所は、今も昔も三菱ふそう(FUSO)車メインで、1994(平成6)年まで富士重工業(SUBARU(スバル)の前身)の車体の三菱ふそう車が導入されていたので、関東バスの青梅街道営業所(C)との共通点があります。

かつて丸山営業所には、富士重工業製の車体の日野車もあったので、青森県の南部縦貫鉄道で活躍していた2両のレールバス(キハ101号車とキハ102号車、こちらも富士重工業製の車体に日野のエンジンの組み合わせで、旧、七戸駅跡で動態保存されている)と同じような関係だったんだな❗と思いました。

練馬駅北口に乗り入れる一般路線バスは、関東バス🚌😸の五日市街道営業所(E)の車両(高円寺駅発着の高60系統または高10系統)の一部と阿佐谷営業所の車両(荻窪駅発着の荻07系統)の一部が杉並ナンバーで、他は全て練馬ナンバーであります。

西武有楽町線は、西武鉄道で唯一の全線複線の路線(ATC路線でもある)であるのが特徴であるけど、1994年12月7日から1998(平成10)年3月25日まで、新桜台~練馬間が下り線のみ使用の単線区間となっていました。

西武池袋線は、西武秩父線と運用が一体となっている飯能~吾野間が、西武新宿線は、本川越駅の手前(脇田信号場~本川越間)が単線であるので、どちらも全区間複線の路線ではないです。

西武有楽町線の新桜台駅は、西武鉄道管理の駅で唯一の地下駅だけど、将来的に、新井薬師前、沼袋の両駅が地下化されれば、これらの駅も加わることになります。

小竹向原駅が開業したのは、1983(昭和58)年6月24日の営団地下鉄有楽町線(当時)の営団成増(現、地下鉄成増)~池袋間の時であり、同年10月1日に西武有楽町線の小竹向原~新桜台間の開業により、分岐駅となっていました。

1983年10月1日の小竹向原~新桜台間の開業から1994年12月7日に練馬駅まで延長されるまでの間、営団地下鉄の車両(7000系または07系)が借り入れられていたので、西武線よりも営団地下鉄有楽町線の新桜台支線のイメージが強かったです。

1994年12月7日に有楽町新線の新線池袋(現、副都心線池袋)~小竹向原間(現在の副都心線の一部)の開業と共に練馬駅まで延長され、1998年3月26日に西武池袋線との直通運転が開始されてからは、西武池袋線と地下鉄有楽町線をつなぐ路線へと進化していました。

2008(平成20)年6月14日に副都心線の池袋~渋谷間の開業により渋谷まで延長され、2013(平成25)年3月16日に東急東横線、みなとみらい線との直通運転開始によりさらに進化していたのであります。

11月29日に池袋駅で撮影した、40000系のライナー仕様編成である40101Fによる準急飯能行きは、池袋16時02分発であり、小手指駅で、元町・中華街発小手指行きの快速急行(Fライナー、この日は6000系の6104Fが使われていた)から接続していました。

西武40000系は、ロングシート、クロスシート切り替え可能で4号車に車椅子対応幅広洋式トイレ(だれでむもトイレ)🚻♿🚽があるライナー仕様編成と、ロングシートで、トイレが省略された固定式ロングシート仕様に分かれているので、JR東日本のE231系以降の通勤型車両で、トイレなしオールロングシートの通勤バージョンと、トイレ🚻付きオールロングシート(一部セミクロスシート、グリーン車付き)の近郊バージョンに分けられていることと同様であります。

山手線🚃♻️でお馴染みのE235系に関しては、12月21日から横須賀・総武快速線用の近郊バージョンも加わることになります。

悲報。今日は、土曜出勤(休日EXE、アウェイ)🗻であるけど、また晴れてしまったので、心の中が土砂降りになったような気分となってしまいました。

このように、自分(しゃもじ)は、今日の土曜出勤(休日EXE、アウェイ)🗻の時に晴れてしまったことを、クレヨンしんちゃんに出てくるサトーココノカドー(イトーヨーカドーのパロディ)のコウモリマーク🦇に例えたくなります。

逆に自分(しゃもじ)の土曜休みの時に晴れた時をイトーヨーカドーの鳩マーク(青空の青と太陽の赤)に例えています。

本当に自分(しゃもじ)が土曜出勤(休日EXE、アウェイ)の時に晴れてばかりいる状態が続いているので、土曜出勤晴天お見舞い申し上げますということになってしまいます。

逆に自分(しゃもじ)が土曜休みの時に雨になってばかりであります。

今週は、土曜出勤の後、日曜日の公休日(単休)を挟んで週明け(シウアケ)の月曜日にまた仕事という絶望的なパターンとなってしまいます。

この時に自分(しゃもじ)🐰の土日のドルヲタ($ヲタ)活動が出来なくなることが多い状態であります。

Twitterでは、土曜出勤がよくトレンド入りするけど、お互い様だと思っています。

あーにゃこと水湊あおひ氏😸からは、しゃもじさん🐰土曜日忙しいと言われているけど、その通りになってしまいました。

おまけに今日は、高田馬場BSホールでぶどう党🍇との再会出来なかったし、れんてつのワンマンライブに行かれなかったです。

本当に年内にライブに行きたいです。

土日連続で晴れるのは、自分(しゃもじ)が土曜出勤(休日EXE、アウェイ)に当たった時に集中している生意気な状態が続いていりので嫌気が差してきました。

次回の自分(しゃもじ)の土曜休み(次回は未定)こそは晴れてもらいたいです。

本当に月曜日の頑張ろうと金曜日のお疲れ様は、自分(しゃもじ)にとってムカつく言葉なので、特に金土連勤、日曜単休という絶望の週末となった時に聴くのは嫌です❗

このことをTwitterのつぶやきで見せられるのは不愉快で仕方がないです❗

9月19日から10月31日まで土曜出勤が7週間連続となり、休日シフト表を見て全部土曜出勤となったという非常事態宣言があったけど、もうこうなって欲しくないです❗

7週間のうち全部晴れなかったのが救いでありました。

この日は、都営大江戸線の環状部分の全線開業記念日であり、20周年を迎えていました。

今回川越で楽しむカナヘイの小動物(ピスケ&うさぎ)のラッピング電車🚃🕊️🐰を話題にしたのは、自分(しゃもじ)🐰のライブ参戦の復活祈願もあります。

このように、小竹向原から要町まで、カナヘイの小動物のラッピング電車に乗ることや、撮影することが出来て良かったです。