12月5日は、早稲田から大塚駅前まで、東京都交通局(都営交通)の東京さくらトラム(都電荒川線)の8500形8505号車による、荒川一中前停留場(電停)開業20周年記念のラッピング電車(三ノ輪橋行き)🚃に乗りました。

このラッピング電車🚃は、11月11日に荒川一中前停留場(電停)が開業してから20周年を迎えたことによって施されたものであり、前面のヘッドマークに加え、側面もラッピングされていることで、ムードが高まっています。

荒川一中前停留場(ジョイフル三ノ輪前)は、2000(平成12)年11月11日に、沿線住民の請願によって、荒川区役所前~三ノ輪橋間(三ノ輪橋停留場の手前)に開業した電停であり、その前には由来となった荒川区立第一中学校(荒川一中)🏫があります。

ジョイフル三ノ輪(三ノ輪銀座商店街)は、荒川一中前~三ノ輪橋の線路の北側にある商店街であり、これまでは三ノ輪橋停留場側しかアクセス出来なかったけど、荒川一中前停留場が出来てからは、そこに近い店舗へのアクセスが向上されていました。

周辺にある荒川総合スポーツセンターは、1984(昭和59)年に東京スタジアム(東京球場)の跡地に開設された、スポーツ施設であり、軟式野球専用の南千住野球場🏟️も併設されています。

こちらはリニューアル化によって、柔道場🥋が国際基準に適合した畳となり、エレベーターの増設、剣道場のスロープ、柔道場🥋のリフトの新設を含めて全般的にバリアフリー設備♿が強化されています。

大小2つのプール🏊も、スロープ等の新設によって綺麗で使いやすいバリアフリープール♿に生まれ変わっていたので、水泳選手として活躍していた、荒川区出身の北島康介氏がびっくりするほど素晴らしいプールとなっています。

2004(平成16)年には、アテネオリンピックで、北島康介選手(当時)が、男子平泳ぎの競技(100mと200m)🏊で金メダル🥇を獲得していたことが話題になり、この時にコメントしていた「チョー気持ちいい」が流行語となっていました。

弓道場🎯や体育館に床暖房が設置されたことにより、寒い冬でも快適なスポーツを楽しめるようになったことも嬉しい点であります。

トイレ🚻のほうも、当然のことながら全て洋式🚽となっており、もちろん車椅子対応の多目的トイレ(だれでもトイレ、オストメイトにも対応)🚻♿🚽も充実しています。

このように、荒川総合スポーツセンターが、老若男女を問わず快適なスポーツを楽しめる会場にリニューアルされたことで、素晴らしさを感じました。

東京スタジアム(東京球場)は、1962(昭和37)年5月31日から1972(昭和47)年までの10年間使われていた野球場であり、千葉ロッテマリーンズ⚾の前身である、毎日大映オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテオリオンズの本拠地として使われていました。

ロッテオリオンズは、1973(昭和48)年から1977(昭和52)年まで宮城県仙台市の宮城球場(現在の楽天生命パーク宮城)が本拠地となり、1978(昭和53)年に川崎球場(現、川崎富士見球技場)が本拠地となったことで再び関東のチームへ。

1992(平成4)年には、本拠地が千葉市美浜区にある千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)に移り、千葉ロッテマリーンズ⚾となったことによって現在に至っています。

1992年4月は、千葉マリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)🏟️のある千葉県千葉市が政令指定都市に移行された時でもあり、中央区、花見川区、稲毛区、若葉区、緑区、美浜区の6つの区が誕生した時でもありました。

翌年の1993(平成5)年には、横浜大洋ホエールズが、横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)⚾となっていたので、2年連続でプロ野球チームの革命が起きていました。

2005(平成17)年に、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併によって、オリックス・バファローズとなったことの穴埋めにより、東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天のプロ野球参入によって結成された球団)⚾が登場したことによって、東北(仙台)が本拠地のプロ野球チームが、ロッテの仙台時代以来28年ぶりに復活していました。

福岡ダイエーホークスが、福岡ソフトバンクホークスになったのも、2005年のことでありました。

福岡ソフトバンクホークス⚾は、4年連続日本一(V4)となったことで話題になっています。

自分(しゃもじ)🐰は、福岡ソフトバンクホークスのV4と同様に、あーにゃこと水湊あおひ氏😸の舞台参戦のV4を狙っています。

東京スタジアム(東京球場)が閉鎖された1972年は、奇しくも都電27系統(三ノ輪橋~赤羽間)のうちの王子駅前~赤羽間(全て併用軌道だった区間)が、最後まで残されていた城東エリアの路線と一緒に廃止された時でもありました。

こちらは閉鎖後も残されていたけど、1977年に取り壊され、その跡地の一部が荒川総合スポーツセンターとなったのであります。

東京都調布市(京王電鉄京王線の飛田給駅付近)にある味の素スタジアム🏟️の正式名称は、東京スタジアムとなっているので、それと区別する為に荒川区にあった東京スタジアムのことを東京球場と呼んでいます。

味の素スタジアム🏟️は、サッカーJリーグ⚽のFC東京と東京ヴェルディの本拠地であり、昨年はラグビーワールドカップ🏈の会場として賑わっていました。

荒川総合スポーツセンターへは、都電の荒川区役所前、荒川一中前両停留場、JR常磐緩行線、東京メトロ日比谷線、つくばエクスプレス線の南千住駅から徒歩🚶で行くことになるけど、南千住駅や町屋駅から荒川区コミュニティバス「さくら」🚐🌸でも行くことが出来ます。

1972年11月に廃止されていた城東エリアの路線は、秋葉原界隈にも乗り入れていた系統も含まれていたので、1972年まで秋葉原に都電が走っていたことが分かります。

2006(平成18)年5月14日まで、万世橋(秋葉原駅と神田駅付近)にあった交通博物館(さいたま市にある鉄道博物館の前身)は、鉄道、船舶、自動車、航空機を扱う博物館となっていました。

こちらは、懐かしい雰囲気が漂う博物館となっていたけど、エスカレーターや業務用を含めたエレベーターがないことで、バリアフリーに適合していなかったです。

その跡地が取り壊されたのは、2009(平成21)年のことだったので、東京スタジアム(東京球場)と同様に暫く残されていたのであります。

現在万世橋駅跡並びに交通博物館跡にあるマーチエキュート神田万世橋には、交通博物館の末期に特別公開されていた遺構(階段部分)が常設展示されています。

都電の8500形🚃は、1990(平成2)年から1993年に掛けて、8501~8505号車の5両が、7500形以来28年ぶりの完全新造車として、アルナ工機(現、アルナ車両)で製造された白地に緑帯塗装の電車🚃であり、1990年製の量産先行車である、8501号車が5月2日にデビュー30周年を迎えていました。

当時の8501号車は、前面が方向幕、側面が明朝体表示のLED式で、都電並びに都営交通の電車初となったVVVFインバータ装置が、GTO式で、都営浅草線の5300形(現在は5500形への置き換えが進められている)の初期に準じた音がしていました。

運転台のほうは、1軸2ハンドル式が試行されていたけど、併用区間を中心に操作しづらいという問題があった為に稼働率が低く、荒川車庫で寝ていることが多かったです。

1991(平成3)年までは7000形と7500形で、男声によるテープ放送が行われていたけど、8501号車に関しては、当初から女声による放送(自動放送)が行われています。

このことで、かつて東武鉄道の一部の列車で、男声による自動放送が行われていたことを思い出しました。

昨日の記事で紹介したJR東日本の新幹線などの特急列車の自動放送は、日本語が男声、英語が女声となっています。

1992年には、量産車である8502号車と8503号車が導入されて3両になっていました。

都電8500形の量産車は、前面のヘッドライトの形状や緑帯の変更、東京都交通局の紋章であるいちょうマークの新設、運転台の従来型への変更によって変化していたけど、8501号車のほうも、いちょうマークの新設、運転台の従来型への改造により量産化改造されていました。

座席は、8502号車が8501号車と同様の水色のロングシート(優先席部分のみクロスシート)、8503号車が、試行により優先席を含めた全席が1人掛けのクロスシート(濃い青色のバス型シート、東急電鉄世田谷線の300系🚃と同じタイプ)💺となっています。

1993年には、8504号車とこの8505号車の2両が導入されたことで5両が出揃っていました。

8504号車と8505号車の座席は、8503号車で試行されていた全席1人掛けのクロスシート(バス型シート)💺であり、8503号車を含めてロングシート化されずにオールクロスシートが守られています。

オールクロスシートは、ラッシュ時には不向きである為に、2007(平成19)年5月に導入された9000形の9001号車(赤色のレトロ調電車)🚃で、従来と同じロングシートで優先席のみクロスシートに戻されていました。

8500形の車椅子♿・ベビーカー🚼スペースには、デビュー当時に折り畳み式の補助席があったけど、現在は撤去されています。

これまで行われた改造は、パンタグラフのZ型からシングルアーム型への変更、前面の行先表示のLED化、インバータ装置の8800形と同じタイプへの更新が挙げられているけど、そのうちのインバータ装置の更新は、延命だけでなく、更なる省エネ化にも繋がっていました。

車両の省エネ化が段階的に進められている京王電鉄でも、8000系(京王線系統用)や1000系(井の頭線用)のVVVFインバータ装置の更新により、更なる省エネ化に結び付いている状態であります。

都電8500形🚃は、アルナ工機の時代に製造された車両であり、阪急電鉄や東武鉄道の電車と同じ、兵庫県尼崎市にあった尼崎工場で製造されていました。

2002(平成14)年に、アルナ工機の鉄道車両製造部門がアルナ車両(路面電車用車両専門)となり、2004(平成16)年4月に大阪市摂津市にある阪急電鉄の正雀工場内に新設された工場で製造されるようになっています。

その後に登場した都電9000形、8800形、8900形も、正雀工場内のアルナ車両の工場で製造されていました。

2010年に1編成のみ導入された阪神電気鉄道の5550系(普通列車専用の青胴車(ジェットカー)シリーズの車両)は、車体がアルナ車両で製造され、艤装が武庫川車両工業(かつて阪神電車の製造が行われていた会社)の後継会社(阪神電気鉄道の子会社)である阪神車両メンテナンスによって行われていたので、阪神車両メンテナンスとアルナ車両の2つの銘板のあるレア車となっています。

阪神の最新型のジェットカーシリーズの車両は、5700系(近畿車輛製で、阪急電鉄の1000系、1300系の要素が取り入れられている車両)であり、2016(平成28)年度のブルーリボン賞受賞車でもあります。

その前に大塚駅前から早稲田まで乗った都電9000形9002号車による、都電クリスマス号🚃🎄も、2008(平成20)年にアルナ車両(正雀工場)で製造された車両であります。

北島康介氏の実家は、西日暮里駅付近(荒川区西日暮里)にある、メンチカツで有名な肉のきたじまであり、金メダルフィーバー🥇の時に飛ぶように売れるほどの人気商品となったというエピソードがありました。

荒川区は、1932(昭和7)年10月1日に北豊島郡南千住町、三河島町、尾久町、日暮里町の東京市(東京都の前身)への編入、合併によって出来た区であり、郵便番号〒は、東京23区で唯一1つの番号(〒116)だけとなっています。

荒川二丁目、町屋駅前付近にある荒川自然公園🏞️は、1974(昭和49)年4月に、三河島水再生センターの施設の上の人工地盤に出来た公園であり、北側と南側に分かれています。

このような構造の公園は、新宿区上落合(西武新宿線の下落合駅付近)にある落合水再生センターの人工地盤の上にある落合中央公園🏞️も挙げられています。

面影橋~学習院下間にある神田川橋梁(明治通りの高戸橋に隣接)は、都電で唯一の河川に掛かる橋梁であり、春には桜🌸が咲き誇ることになります。

飛鳥山公園には、1993年9月まで、スカイラウンジという回転展望台があったけど、それをバックに都電を撮影することが出来ていました。

当時の面影が残る車両は、8500形の5両だけとなってしまったけど、塗装は当時のままであります。

都電7700形は、7000形のうちの8両の車体が流用された上で更新された車両であり、緑色、青色、赤色があります。

8500形が導入された当時は、6152号車を除いた都電の全車両を置き換える計画があったけど、都の財政難により5両導入されただけとなっていました。

この時に置き換えられた車両は、7000形の冷房改造の対象から外された7006,7009,7011,7012,7014,7028号車の6両であったけど、そのうちの7009号車と7028号車は、1992年の8502号車と8503号車の導入により、豊橋鉄道市内線(愛知県)に譲渡され、モ3500形の3501,3502号車として活躍中であります。

後に都電時代に冷房改造され、車体再修繕の対象から外されていた7017号車と7021号車も豊橋鉄道に譲渡されていました。

豊橋鉄道のモ3500形は、都電旧7000形譲りの吊り掛けモーター車のままとなっているので、都電7000形時代の面影があります。

王子駅前にある北とぴあの17階にある展望台からは、新幹線🚅や都電などの電車を眺めることが出来ます。

都電8505号車による荒川一中前停留場開業20周年記念ヘッドマーク付き電車は、12月13日(日)まで取り付けられる予定となっているので、賞味期限が切れないうちに投稿しました。

都内のあちこちで、コロナ感染防止徹底宣言の虹ステッカー🌈を見るようになったけど、都電の乗車口部分にもそれが付いています。

順番が前後してしまって申し訳ないけど、都電クリスマス号🚃🎄のほうは、12月25日のクリスマスまでの間に書く予定でいます。

その画像は、様子を見せる為に載せておきました。

このように、都電8505号車による荒川一中前停留場開業20周年記念ヘッドマーク付き電車を撮影することが出来て良かったです。