10月6日は、浅草橋から青砥まで、京浜急行電鉄(京急)新1000形の1057F(イエローハッピートレイン)による、青砥行き🚃💛に乗りました。

この時には、京急で行こう!秋の三浦半島のキャンペーンヘッドマークが付いていたので、撮影も行いました。

その車内は、三浦半島関連の広告で占められていたので、ムードが高まっていました。

今回乗った都営浅草線の浅草橋~押上(スカイツリー前)間と、京成押上線(押上(スカイツリー前)~青砥間)は、どちらもアウェイでありながら、一番最初に開業した区間であるという共通点があります。

押上駅が開業したのは、前身の京成電気軌道の時代の1912(大正元)年11月3日のことであり、押上~曲金(現、京成高砂)~伊予田(現、江戸川)間と、曲金~柴又間(現在の金町線の一部)も京成電気軌道の最初の区間として開業していました。

開業当時は、現在の八広~京成立石間が併用軌道であったので、開業当時の京王線に併用軌道があったことに準じていました。

1928(昭和3)年11月1日に今回の撮影の舞台となった青砥駅が開業し、1931(昭和6)年12月19日に日暮里~青砥間(通称上野線)が開業してからは、分岐駅としての役割を果たすようになっています。

押上駅🚃が現在のような2面4線の地下駅🚇となったのは、1960(昭和35)年12月1日のことであり、その3日後の12月4日に都営地下鉄1号線(現在の都営浅草線)🚇の押上~浅草橋間が開業し、京成線との相互直通運転が開始されてからは、京成押上線が、京成電鉄の発祥路線から、京成本線🚃と都営地下鉄🚇を繋ぐ路線へと成長していました。

このことは、阪神電気鉄道(阪神)の西大阪線(尼崎(阪神尼崎)~西九条間)🚃が、2009(平成21)年3月20日の西九条~大阪難波間の開業により、阪神なんば線に改称され、阪神本線🚃と近畿日本鉄道(近鉄線)🚃を繋ぐ路線へと成長していたことに似たような現象となっています。

京成押上線の荒川橋梁(八広(旧、荒川)~四ツ木間)は、阪神なんば線の淀川橋梁(福~伝法間)に似ているところがあるけど、前者は高架化によるかさ上げ工事が完成済であり、後者は将来的にかさ上げされる予定となっています。

近鉄と言えば、来年3月14日(土)に新型特急80000系ひのとり🚃🦜(名阪特急(近鉄名古屋~大阪難波間)用でアーバンライナーの後継車となる)の第一号編成(80101F)が、近畿車輌(近鉄の子会社で、JR西日本との共同出資でもある車両メーカー)から高安検車区まで陸送されたことで話題になっていました。

京成の八広駅は、1923(大正12)年7月11日に開業した当時は、荒川に面していたことに因んで 荒川駅と呼ばれていました。

荒川駅から八広駅となったのは、公津の杜駅の開業に伴うダイヤ改正が行われていた1994(平成6)年4月1日のことであり、当時は荒川橋梁のかさ上げ並びに荒川→八広、四ツ木の両駅の高架化工事の最中でもありました。

八広駅は、2001(平成13)年9月の高架化工事の完成により、待避可能な2面3線の駅となったので、このことを生かして、10月20日に新AE形(スカイライナーの車両)🚃✈️のAE7F(スカイライナー3500万人達成記念ラッピング電車)によって運転されたミステリーツアー列車で、押上線(八広~青砥間)に初入線していたことで話題になっていました。

この時のルートは、京成上野→高砂車両基地→八広→京成津田沼→千葉中央→京成上野だったので、6両編成までしか入れないはずの千葉線(千葉中央駅)にも入っていたというサプライズな出来事もあったのであります。

京成では、1992(平成4)年から1995(平成7)年まで、4年連続で4月1日にダイヤ改正が行われていたことがありました。

そのうちの1995年4月1日の改正は、北総線の印西牧の原、千葉急行線(現、京成千原線)のちはら台延長がメインとなっていたけど、京急の快特の品川~横浜間の120km/h運転が開始された時でもありました。

隣の四ツ木駅は、サッカーブームのきっかけとなった有名なサッカーアニメ📺⚽であるキャプテン翼⚽のラッピングが施されており、接近メロディー🎵がキャプテン翼⚽のテーマソングである「燃えてヒーロー」となっています。

メロディーとアナウンスは、到着バージョンと通過バージョン(全部で4通り)があり、キャプテン翼のキャラクターの声によるアナウンスとなっているので、流石だな❗と思いました。

こちらは、京成の車両のみならず、京急、都営、北総、千葉ニュータウン鉄道の列車も乗り入れるので、このことも話題にしました。

この日は、浅草橋のMANHOLE浅草橋で行われたれんてつ(連結鉄道株式会社)🚃👩のワンマンライブ(2019年度研修成果中間報告会)に行った後だったので、テンションが上がっていたけど、その後にれんてつかふぇ🚃🍻で行われたアフターパーティーに、経費削減により行かれなかったのが残念でありました。

それでも、昨年果たせなかったれんてつのワンマンライブに行くことが出来て良かったと思っています。

青砥駅からの折り返し行きは、普通三崎口行きであり、京急線では、快特となります。

1057Fがイエローハッピートレイン🚃💛になってから、5月1日で5年経ったけど、当時はドアの部分が銀色だったので、西武鉄道(西武線)の黄色い電車🚃💛に準じていました。

当初は、3年間の期間限定となるはずだったけど、大好評により継続され、2017(平成29)年4月の検査出場により、黄色いドアとなっています。

ブルースカイトレイン🚃💙も、2005(平成17)年の登場以来、好評により継続されているけど、2100形の車体更新により2157Fから2133Fにバトンタッチされ、600形606Fが車体更新を経て青色のまま維持されています。

1057Fは、2005年の東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)製であり、こちらからLED表示が本格的に採用されていました。

新1000形の制御装置や主電動機は、2002(平成14)年から2006(平成18)年までに導入されたアルミ車がドイツ🇩🇪のシーメンス(SIEMENS)社製となっていたけど、2007(平成19)年に登場した新1000形のステンレスバージョンである1073Fからは、国産の制御装置や主電動機に変更され、純国産の車両となっています。

新1000形のアルミ車では、車体更新や制御器交換が進められているので、初期型のドレミファインバータ編成が、1033Fだけとなってしまいました。

青砥駅では、その発車シーンの動画を撮影することが出来たので、YouTubeにも投稿してあります。

今日(10月25日)は、千葉県を中心に大雨☔となったけど、台風19号の二次災害が心配であります。

京成千葉駅では、水に浸かってしまう被害がありました。

台風19号の影響🌀により不通となっていた、北陸新幹線🚅の長野~上越妙高間が今日復旧し、東京~金沢間の直通運転が再開されたけど、長野新幹線車両センターが浸水し、E7系8編成、W7系2編成の計10編成(うち7編成は屋外留置されていた)が使用不能となったことにより、暫定ダイヤとして、通常の9割程度の間引き運転が行われています。

被災した編成は、E7系のF1,2,7,8,10,14,16,18編成と、W7系のW2,7編成であり、最悪の場合は、修理されずに廃車となってしまいます。

W2編成は、2015(平成27)年8月1日に大宮から富山まで乗った時に当たった編成でありました。

北陸新幹線🚅を営業運転で走ることの出来る編成は、E7系とW7系しかない為に、上越新幹線用として導入が進められているE7系(北陸新幹線でも走れる)のF20~24編成を北陸新幹線に回して対応させ、廃車予定のE4系Maxを延命させる措置が取られることが検討されています。

京成押上線と都営浅草線の押上(スカイツリー前)駅🚇(京成電鉄による管理)は、浅い場所にある地下駅🚇である為に、プラットホームの下に改札口やコンコースがあるけど、1960年12月の地下化当時は、地上の駅舎が継続して使われていました。

押上(スカイツリー前)の黄色い壁💛も、イエローハッピートレイン🚃💛との相性が良い状態であり、こちらでも撮影しました。

京急では、赤い1065Fによる京急🚃、日本航空(JAL)✈️、神奈川県による三浦半島のキャンペーンのラッピングが施されており、そのキャッチフレーズは、「JALで世界から 京急で三浦半島へ」となっています。

こちらは、11月3日(日・祝)まで運転される予定であり、京急のホームページでも調べることが出来ます。

このように、浅草橋から青砥まで、三浦半島キャンペーンヘッドマーク付きの京急イエローハッピートレイン🚃💛に乗ることや、それを撮影することが出来て良かったです。