7月23日は、夜の帳の下りた亀戸駅で、東武鉄道亀戸線の8000系の8575F(黄色に赤帯の試験塗装車)を撮影し、亀戸から曳舟までそれに乗って行きました。

今回は初めて夜の亀戸駅で、黄色に赤帯の8575Fを撮影したけど、夜空に映えて良い感じだと思いました。

亀戸駅には、同じ黄色の帯のJR中央・総武緩行線の電車(209系またはE231系)も乗り入れているけど、北側が快速線となっているので、並びを撮影することがと顔を合わせることもあります。

中央・総武緩行線では、一部を除いて山手線から転用されるE231系500番台に順次置き換えられる予定であり、最近になってからはE235系の導入によりトウ510編成が中央・総武緩行線への転用により東京総合車両センターに入場していたことを聞きました。

亀戸駅は東武線が地平、JR線が高架となっており、JR線も東武線と同様に1番線と2番線から成っているけど、区別する為に東武1番線と東武2番線と呼んでいます。

東武亀戸線の電車は、普段JR線寄りの東武1番線からの発車であり、平日 6時42分発、土休日7時33分発(亀戸駅停泊後のA運用の最初)だけは、東武2番線からの発車となります。

朝だけのC運用が亀戸に 9時31分(土休日は9時23分)に東武2番線に到着した後、留置され、その後に西新井駅まで回送されて午後の東武大師線の運用(D運用の後半)に入ることになるし。

この色は、かつて亀戸に乗り入れていた都電もどきの色はもちろんのこと、マルちゃんブランドの東洋水産から発売されている黒い豚カレーうどん(赤いきつねと緑のたぬきの姉妹商品)みたいな色と言われています。

黒い豚カレーうどんは、今年6月12日にリニューアルされていたし。

これにより、1972(昭和47)年11月11日に亀戸エリアの都電が廃止されて以来、亀戸に黄色に赤帯の電車が帰ってきたことになりました。

最後まで亀戸駅前に乗り入れていた都電の路線は、29系統(須田町~葛西橋間)と38系統(錦糸堀車庫~門前仲町間)であり、水神森~竪川通~大島一丁目間と、南砂町三丁目~南砂町二丁目間では専用軌道を通っていたし。

亀戸には、1968(昭和43)年9月28日までの間、トロリーバス(無軌条電車)も乗り入れていたこともあったけど、亀戸に乗り入れていたのは、101系統~104系統まであったうちの101系統(今井~亀戸駅前~上野公園間)と103系統(池袋駅前~三ノ輪町~亀戸駅前間)の2系統でありました。

トロリーバスは、通常の路面電車と同様にパンタグラフからの集電で走る電気式のバスであり、決められた場所でしか走ることが出来ず、交通渋滞のネックとなっていたことから通常の路線バス(ディーゼルバス)に切り替えられていました。

現在日本国内で運転されているトロリーバスは、立山黒部アルペンルートにある立山黒部貫光立山トンネルトロリーバス(富山県、室堂~大観峰間)と関西電力関電トンネルトロリーバス(富山県、長野県、黒部ダム~扇沢間)であり、どちらもトンネル内の専用道路を通ることからトロリーバスに適しています。

立山トンネルトロリーバスは、1995(平成7)年まで通常のディーゼルバスで運転されていたけど、排ガス対策により1996(平成8)年にトロリーバス化されていたし。

1999(平成11)年5月8日に友人と立山黒部アルペンルート(信濃大町駅から立山方面へと向かっていた)に行った時に両トロリーバスに乗ったけど、最初に乗った関電トンネルトロリーバスでは、長野県から富山県に入るルートであった為に生まれて初めて北陸(富山県)に入ったという喜びがあったことを覚えています。

その友人も北陸は初めてだったと言っていたし。

一緒に旅した友人は、現在でも鉄道イベントで出会うこともあります。

この日(7月23日)は、亀戸線のA運用に8577F、B運用に8575F、C運用→午後の大師線のD運用に8568Fが使われていたので、亀戸線は全てリバイバルカラーで運転されていたことが分かります。

この後に西新井(大師線)に移動し、緑亀塗装の8568Fを撮影することも考えていたけど、4月16日に大師線で撮影したことや、大師線での8575Fの撮影を優先させる為に見送りました。

東武亀戸線の亀戸駅は、東武鉄道の駅で最も南に位置する駅であるけど、隣の亀戸水神駅と同様に江東区にある東武の駅でもあります。

東武の電車が江東区に乗り入れることは、東京メトロ有楽町線の豊洲、辰巳、新木場駅、半蔵門線の清澄白河、住吉駅も挙げられているし。

東武亀戸線では、1989(平成元)年頃まで、東武大師線と同様に、10000系の2両編成も使われていたこともあったけど、2014(平成26)年4月に11204Fが試運転で再び亀戸線に入っていました。

2003(平成15)年3月19日に地下鉄半蔵門線との直通運転が開始されてからは、亀戸線の利用客が減少していたので、翌年の2004(平成16)年10月19日にワンマン運転化されていました。

大師線は、前年の2003年3月19日にワンマン化されているし。

ワンマン化されてからは、種別のワンマン表示が行われています。

都内で営業運転される東武8000系は、亀戸線と大師線の2両編成だけとなっていたけど、今年3月5日に81107Fによる越生観梅号(池袋→坂戸→越生間)で、東上線系統の8000系が再び営業運転で都内(池袋)に乗り入れたことで話題になっていました。

因みに81107Fは、自分(しゃもじ)の好きな富士重工業(現、SUBARU(スバル))製の東武の電車であります。

春日部支所所属の8000系ワンマン編成は、5本配置4本運用であるけど、車両が足りない場合には、館林出張所から同じ2両のワンマン編成による代走が行われることもあります。

現在8565Fと8570Fが従来塗装のままであり、そのうちの8565Fは富士重工業製であるし。

亀戸水神駅は、1928(昭和3)年4月15日の電化と共に開業した駅であり、1946(昭和21)年12月5日には北十間駅との統合により旧亀戸水神駅と北十間駅の間に移設されています。

東武亀戸線には、北十間駅のほか、天神駅(福岡県ではありません)、十間橋通、虎橋通駅もあったけど、昭和20~30年代に掛けて廃止されていました。

小村井~曳舟間には、天神、十間橋通、虎橋通駅が並んでいたこともあったことが分かります。

東あずま駅は、1928年4月15日に開業した時には、平井街道駅と呼ばれていたけど、1945(昭和20)年5月20日に一旦廃止され、その11年後の1956(昭和31)年5月20日に東あずま駅として復活していました。

東武20000系の21809Fと21813Fは、70000系の導入により残りの車両も廃車となり、北館林まで廃車回送されたという情報が入ってきました。

21809Fは1990(平成2)年の東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所製)、21813Fは1992(平成4)年のアルナ工機(現、アルナ車両)製)で、どちらも東武のステンレスカーとして初の廃車であり、21813Fに関しては、20050系より先に廃車となっていました。

21809Fのほうは、故障により2014年から休車となっていたので、該当車が廃車候補の21813Fの一部と組み合わされた上で廃車回送されていたことも頷ける状態であるし。

20000系列のうち、状態の良い編成は8000系や6050系の置き換え用としてローカル線に転用されると言われているけど、そうなった場合には、初代日比谷線直通の2000系の中間車から改造され、野田線(現在の東武アーバンパークライン)に転用されていた2080系の二の舞にならないことを願っています。

2080系は、2000系のうち、1971(昭和46)年の8連化の時に導入された中間車から2編成16両が改造されていたけど、全電動車で設計された2000系を無理矢理電装解除させたことで故障が頻発したこと、冷房化が不可能であり、3ドア18m車であったことが仇となった為に改造されてから4年で廃車となった不運の車両でもありました。 

黄色に赤帯は夜空にも映えるので、夜の亀戸駅で8575Fを撮影することが出来て良かったです。