こちらは、3月26日に、東武鉄道の南栗橋車両管区で行われた、東武SL撮影会イベント(SL+αの撮影会)で展示されていた日比谷線直通用の20050系の21852Fで、01T南栗橋行きの表示となっていました。

東武20050系は、20000系のマイナーチェンジ、VVVFバージョンであり、営団地下鉄→東京メトロの03系の一部と同様に1,2,7,8号車が5ドア車となっているのが特徴であります。

1992(平成4)年から1994(平成6)年までの間に8編成が残りの2000系(初代日比谷線直通専用車)の置き換え用及び増発用として東急車輛製造(現、総合車両製作所横浜事業所)とアルナ工機(現、アルナ車両)で製造されていたし。

21852Fは、21851Fと同様に1992年12月29日のデビュー当時からある編成であり、2編成共に東急車輛製造で製造されていたけど、21852Fが2000(平成12)年3月8日に、営団地下鉄(当時)の03系の03-102Fと共に中目黒駅での脱線事故に遭い、被害の大きかった23852+24852号車が翌年の2001(平成13)年に修理扱いで代替新造されていました。

20000系はオール3ドアのチョッパ車、方向幕で、1988(昭和63)年から1992年に掛けて13編成が製造されていたし。

1997(平成9)年3月25日の草加~越谷間の複々線化の時に20070系(20000系70番台)が3編成導入されたけど、
こちらは03系の後期型と同様にオール3ドアに戻されています。

6月中に70000系が営業運転入りする予定であるけど、いつ営業運転入りするのか気になります。

20000系列の車両の動向も気になるし。

20050系の隣に8000系の8111F(セイジクリーム塗装)が展示されていたのは、1961(昭和36)年7月13日から1993(平成5)年8月1日まで活躍していた2000系(初代日比谷線直通専用車で、最後のセイジクリーム塗装だった)がイメージされていたことが分かります。

東武線と日比谷線の直通運転が開始されたのは、今から55年前の1962(昭和37)年5月31日の北千住~南千住、仲御徒町~人形町間の開業の時からであり、当時は北越谷~人形町間で直通運転が行われていました。

2000系は、当初4両編成であり、日比谷線直通専用車になる前は、暫定的に東武線内の列車に使われていたし。

東京オリンピック1964が開催された1964(昭和39)年には6両化、1971(昭和46)年に8両化された時に中間車が増結されていました。

2000系は、初期に運用離脱された編成のうちの1971年製の中間車の12両が2080系に改造されて野田線(現在のアーバンパークライン)に転用されていたけど、冷房化出来ないことや3ドア18m車であることが仇となった為に1992年に8000系に置き換えられて廃車となっていました。

こちらは6両2編成12両が改造されてから4年しか使われなかった悲運の車両であったし。

2000系自体のほうは譲渡または保存されずに全て解体されたので見ることは出来ないです。

20000系列が転用されたとしても、2080系の二の舞にならないことを願っています。

このように、南栗橋でのイベントで、日比谷線直通の歴史を感じる画像を撮影することが出来て良かったです。