3月20日は、前谷地から柳津(やないづ)まで、気仙沼線のキハ110系(陸中型DC)のキハ110-103号車の単行による柳津行きに乗りました。

気仙沼線の前谷地~柳津間は、1968(昭和43)年10月24日に、国鉄柳津線として開業した区間であり、1977(昭和52)年12月11日に柳津~本吉間が開業した時に気仙沼線に編入されていました。

2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災の後、比較的被害の小さかった前谷地~柳津間が、同年の4月23日に復旧し、被害の大きかった柳津~気仙沼間が2012(平成24)年8月20日にBRTにより仮復旧していました。

こちらは同年12月22日にBRTの本格運用に切り替えられたので、事実上のバス転換区間となっています。

これによって、国鉄柳津線の時代に逆戻りしたような感じがしてきたし。

気仙沼線の路線(前谷地~柳津間)

(一部のみ小牛田まで直通運転)←前谷地~和渕~のの岳~陸前豊里~御岳堂~柳津…(BRT)…気仙沼

のの岳駅は、周辺にある箟岳山が由来であります。

キハ110-103号車は、1991(平成3)年2月に新潟トランシスの前身である新潟鐵工所で製造され、郡山総合車両センター(磐越東線)に配属されていました。

現在はキハ40系列の置き換え用として小牛田運輸区に回されて現在に至っているし。

キハ100系列がデビューした時に、急行陸中号(現、快速はまゆり号、盛岡~釜石線経由~釜石間)に使われていたので、陸中型とも呼んでいます。こちらは、陸中エリアでデビューしていたということもあるし。

快速はまゆり号の指定席車両(3号車)が、リクライニング機構付きの座席となっているのは、2002(平成14)年11月30日まで運転されていた急行陸中号の名残であります。

関東でキハ110系列を見ることの出来る路線は、八高線の高麗川~倉賀野~高崎間のみであるし。

今から10年前までの2007(平成19)年までは茨城県と福島県に跨がる水郡線(水戸~安積永盛~郡山間)でも見られていました。

気仙沼線の前谷地~柳津間は、鉄道(1日9往復)と前谷地~気仙沼間直通のBRT(前谷地~柳津間ノンストップ、1日10往復)に分かれているけど、今回は前谷地から柳津まで鉄道で、柳津から気仙沼までBRTで移動することが出来て良かったです。

前谷地~柳津間のBRTは、ノンストップで線路から離れた場所を走っているので、つまらなかったところだったし。

柳津駅のある登米市は、2005(平成17)年4月1日に、登米郡の迫町、登米町、南方町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町と、本吉郡津山町が合併して出来た市であり、陸前豊里、御岳堂の両駅は、旧豊里町、柳津駅は、BRTの陸前横山駅と同様に、旧、津山町に位置しています。

柳津駅の駅舎にある津山観光物産館ゆうキャビンは、津山町だったという証であり、津山と言えば、岡山県の津山市を思い出してしまいます。

柳津駅からは、登米市民バス津山線も出ているので、隣の南三陸町と同様に乗り合いバスとの連携が図られているところも、BRTの良いところであるし。

旧津山町は、スギの産地として有名であり、周辺にある道の駅津山もくもくランドでもアピールされています。

柳津は、日本三大虚空蔵尊である柳津虚空蔵尊があることで有名であるし。

登米市の郷土料理であるはっと鍋は、小麦粉で作られたはっとが入った鍋であり、登米市観光PRキャラクターである「はっとン」も、はっと鍋がイメージされています。

宮城県の超高級ブランド牛肉(肉質A5,B5ランク)である「仙台牛」は、約4割が登米市で生産されているので、登米産牛としても有名であります。

東北本線の梅ケ沢、新田(にった)、石越の各駅も登米市にある駅であり、梅ケ沢、新田の両駅は、旧、迫町、石越駅は、旧、石越町に位置しているし。

石越駅は、今から10年前の2007(平成19)年3月31日まで、くりはら田園鉄道(石越~細倉マインパーク前間)が出ていたことで有名であり、1995(平成7)年3月31日までは、栗原電鉄による電車の運転となっていました。

くりはら田園鉄道は、気動車(DC)による再スタートから丸12年で廃線となったけど、活躍していた車両(KD95形やKD10形(元名鉄キハ10形DC))の一部が動態保存されています。

名鉄と言えば、竹鼻線(笠松~江吉良間)にも柳津駅があり、こちらもやないづと読みます。

竹鼻線は、2001(平成13)年9月30日に江吉良~大須間が廃止されてからは、江吉良~新羽島間の羽島線と一体で扱われています。

新羽島駅は、東海道・山陽新幹線の岐阜羽島駅への乗換駅でもあるし。

名鉄から気動車が全廃となり、全て電車化されたのは、2004(平成16)年3月31日の三河線の西中金~猿投、碧南~吉良吉田間の廃止のことであり、2001年9月30日に廃止された八百津線(明智~八百津間)でもDCが活躍していました。

これにより、大手私鉄所有の気動車が乗り入れ用を含めて全廃されていたけど、東武鉄道では、会津鉄道から野岩鉄道会津鬼怒川線を経由して乗り入れてくる気動車(AIZUマウントエクスプレス、会津若松~鬼怒川温泉、東武日光間、会津鉄道のAT-600(650)形またはAT-700(750)形による片乗り入れ)があるので、気動車ゼロの状態ではないです。

東武鉄道では、1983(昭和58)年5月31日に廃止された熊谷線(熊谷~妻沼(めぬま)間)で、キハ2000形DCが活躍していたけど、熊谷線の廃止以来、気動車の復活はない状態であるけど、会津鉄道の車両でありながら、気動車の復活となっていたのであります。

2005年3月1日から2010(平成22)年5月30日までの間、元名鉄のキハ8500系DC(元北アルプス用)が、350系によって運転されていた急行南会津号に代わって、AIZUマウントエクスプレスとして鬼怒川温泉まで乗り入れていたこともあり、東武線を元名鉄の気動車が走っていたことになっていました。

今回乗った柳津行きの列車は、1日4往復ある小牛田始発であり、前谷地駅で、女川・石巻方面の列車から接続していました。

御岳堂~柳津間では、北上川を渡りました。

石巻~陸前稲井間では、旧北上川を渡っていたし。

このように、気仙沼線の前谷地から柳津まで、鉄道で移動することが出来て良かったです。

画像は、前谷地駅で撮影したものです。