続いては、2月18日に、曳舟駅で撮影した、東武亀戸線の8000系の試験塗装車(緑亀塗装)の8568Fです。

曳舟駅では、4番線側から撮影したけど、編成全体を入れて撮影することが出来ました。


曳舟駅の5番線(亀戸線専用ホーム)は、2両編成までしか入れないホームである為に編成全体を撮影出来るのであります。


このように夜間に撮影すれば、天候には関係なく逆光の心配もないし、場合によって綺麗に撮影出来ることもあるし。


5番線側では、ライトアップされた東京スカイツリーをバックに撮影出来るけど、4番線側での撮影今回それを忘れていたのが残念でありました。


曳舟駅の東側では、駅ビルが7階建てに改築されると共に、来年度中に伯鳳会白髭橋病院が、白髭橋の近くから移転されてくることになります。


これにより、東向島駅から徒歩10分掛かっていたことに対し、曳舟駅からすぐに行けるようになるし。


このことで、東急電鉄直営による東急病院が、東急大井町線と目黒線の大岡山駅の真上にあることを思い出します。


東急病院が駅の北側から駅の真上に移転されたのは、2007(平成19)年11月3日のことでありました。


改築される前の曳舟駅東口の駅ビルには、曳舟東武ボウル(ボーリング場)もあったけど、2011(平成23)年3月11日に発生した東日本大震災により損傷した為にそのまま閉鎖されていました。


駅の北側には、向島郵便局があり、こちらも駅に近い郵便局であります。


牛田駅と京成関屋駅前には足立郵便局があるし。


足立郵便局の近くには、屋内の釣り堀であるスーパーフィッシング足立があり、雨の日でも釣りを楽しむことが出来るほか、バッティングセンターやゲームコーナーも完備されています。


現在の白髭橋病院のある場所は、1928(昭和3)年4月7日から1936(昭和11)年2月28日まで運転されていた京成白髭線の終点である白髭駅があった場所であります。


京成白髭線は、当時の京成電気軌道により、京成押上線の向島駅(京成曳舟~荒川(現、八広)間にあった駅)から分岐し、白髭まで行っていた路線であり、その途中に、長浦、京成玉ノ井の各駅がありました。


当時は1372mmの600Vだった為に、白髭から隅田川を渡り、三ノ輪橋まで延長されて王子電気軌道(現在の都電荒川線)との直通運転が計画されていたけど、1933(昭和8)年12月10日に京成線が上野公園(現、京成上野)まで延長されたことでその必要がなくなっていました。


向島駅へは押上方面から入線可能で、成田方面からはスイッチバックさせなければならなかったのでそのはずであるし。


白髭線自体は、水戸街道との立体交差が困難であった為に、8年間という短命で廃止されてしまったことになったのであります。


向島駅は、1943(昭和18)年10月に休止、1947(昭和22)年に正式に廃止され、その跡地は、1960(昭和35)年から1968(昭和43)年11月15日に西馬込まで延長されるまでの間、都営地下鉄1号線(現、都営浅草線)の向島検修場(暫定的な車両基地)として使われていました。


こちらは高架化により遺構が失われています。


京成白髭線が開業した後の1928年9月26日には、東武鉄道側しか認められていなかった京成線の浅草乗り入れに対して、東武鉄道と揉めていたことにより京成電車疑獄事件(汚職事件)が発生していたので、京成の浅草乗り入れが断念され、京成電鉄に吸収合併されていた筑波高速度電気鉄道(上野と筑波を結ぶ路線計画)の免許線が生かされた上での上野乗り入れに変更されていたのであります。


幻となった京成電車の浅草乗り入れは、1960年12月4日の都営地下鉄1号線との直通運転によって実現していたし。


都心とつくばを結ぶ鉄道のほうも、2005(平成17)年8月24日のつくばエクスプレスの開業によって実現していました。


東武博物館のある東向島駅は、1902(明治35)年4月1日に開業した当時は、白髭駅(京成白髭線とは別)だったけど、1905(明治38)年7月に一旦休止され、1924(大正13)年10月1日に玉ノ井駅として復活していました。


1945(昭和20)年5月20日の東京大空襲で被災した為に再び休止となり、1949(昭和24)年10月1日に再開されていたし。


1987(昭和62)年12月21日に、現在の東向島駅となり、駅名標に旧玉ノ井と表示されるようになっていました。


1989(平成元)年5月20日に東向島駅前(高架下)に東武博物館が出来てからは知名度が上がっています。


玉ノ井は、昔井戸があったことではなく、戦前から1958(昭和33)年の売春防止法の施行までの間、東側に玉の井という私娼街(銘酒屋)があったことが由来となっているし。


曳舟駅の東側には、イトーヨーカドー曳舟店があり、買い物にも便利であります。


東武伊勢崎線→東武スカイツリーラインでの10両運転は、杉戸高野台、南栗橋の両駅が開業した1986(昭和61)年8月26日のことで、当時は朝ラッシュ時に東武動物公園→曳舟間の準急(現、区間急行)で行われていました。


1990(平成2)年9月25日には、業平橋(現、とうきょうスカイツリー)駅に10両対応の地上ホームが貨物駅跡に設置されたことにより、業平橋まで延長され、伊勢崎線での曳舟折り返しの列車が廃止されていたし。


2003(平成15)年3月19日には曳舟~押上間の連絡線の開業により地下鉄半蔵門線、東急田園都市線との直通運転が開始されてからは、業平橋駅の地平ホームが廃止され、その跡地は、東武橋付近にあった東武鉄道の旧本社と共に下町のランドマークである東京スカイツリータウンとして整備されていたのであります。


東京スカイツリータウンが出来てからは、早いもんで今年の5月22日に5周年を迎えることになるし。


三ノ輪橋から東向島、京成曳舟方面への連絡は、日暮里駅と亀戸駅を結ぶ都営バスの里22系統(南千住営業所所属)が受け皿となっているけど、三ノ輪橋へは、大関横丁バス停から行くことになります。


亀戸線では、東武大師線と共に、ワンマン化以前に8000系のほか、10000系の2両編成も使われていたこともありました。


このように、曳舟駅でも、東武亀戸線の8568Fを撮影することが出来て良かったです。