2月18日は、亀戸から曳舟まで、東武亀戸線の8000系の試験塗装車(緑亀塗装)の8568Fに乗りました。

この試験塗装(緑色に白帯の緑亀塗装)は、昭和30年代に7800系の4両に施されたものであり、2月16日に、亀戸線での団臨で初披露されていました。

これにより、亀戸線と東武大師線のレトロカラーが昨年3月23日にお披露目されたオレンジ色に黄帯の8577F(こちらも昭和30年代に7800系に施されていた塗装)に続いて2本目となり、亀戸線と大師線の8000系の5本のうちの2本がレトロカラーとなったのであります。

亀戸線では、2本共にレトロカラーで運転されることもあるし。

東武亀戸線の路線

亀戸~亀戸水神~東あずま~小村井~曳舟

亀戸駅は、JR中央・総武緩行線、曳舟駅は、東武スカイツリーライン(伊勢崎線、浅草、押上(地下鉄半蔵門線、東急田園都市線直通)、北千住、春日部、久喜、南栗橋方面)への乗換駅となっています。

亀戸線の亀戸駅は北側にある低いホーム(1,2番線)で、普段は、JR側にある1番線発着であります。

亀戸水神駅は、亀戸水神宮の最寄り駅であり、亀戸天神社(亀戸天神)に似ているところがあるけど、亀戸水神駅ではなく、亀戸駅(北口)が最寄り駅であるので注意が必要となります。

亀戸水神駅は、亀戸中央公園への最寄り駅でもあるし。

亀戸の由来は、昔江戸湾に浮かんでいた亀島であり、亀のような形であったから名付けられていました。

それが陸続きになったことから亀村となり、そこにあった亀ノ井という井戸があったことから、亀井戸がもじって亀戸と名付けられていたのであります。

亀戸は、亀戸餃子の本店があることでも有名であり、餃子1皿250円、2皿500円と安いのが魅力であるし。

亀戸駅の南側には、サンストリート亀戸があったけど、昨年3月31日をもって閉鎖されていました。

その跡地は再開発される予定となっているし。

その横には、都営新宿線の西大島駅付近(城東郵便局、ダイエー大島店)へと通じる遊歩道があり、途中には竪川人道橋もあります。

その遊歩道は、1972(昭和47)年11月11日まで都電が走っていた場所(専用軌道跡)であり、晩年は、都電の29系統(須田町~葛西橋間)と38系統(錦糸堀車庫~境川経由~門前仲町間)が通っていました。

城東エリアの都電は、都心部で最後まで残されていた都電であり、都電荒川線の前身である王子電気軌道によって開拓された27系統の王子駅前~赤羽間も一緒に廃止されていたし。

竪川の上には、首都高速7号小松川線(篠崎から京葉道路の有料区間に接続)が通っています。

亀戸駅前を含む京葉道路の無料区間は、両国一丁目~(小松川橋・新小松川橋)~篠崎町間であり、靖国通りに繋がっているし。

ダイエー大島店は、イオン(AEON)の系列となった後もダイエーのままとなっているけど、やがてイオンに鞍替えされていくことが予想されています。

ダイエーの碑文谷店(東急東横線の学芸大学駅付近)が、昨年12月にイオンスタイル碑文谷となっていたし。

こちらは、サークルKサンクスがファミリーマートに鞍替えされていくことと同様であります。

江東区から墨田区に入って最初の駅である東あずま駅は、東(ひがし)と東(あずま)と読む東々のような駅名であるけど、昔吾嬬町だったことやその東側にあることが由来となっています。

現在の地名は墨田区立花であり、周辺にある吾嬬神社、第一吾嬬小学校、東吾嬬小学校にその名残があるし。

小村井駅前には、明治通りに跨がる踏切があるけど、京成曳舟駅が高架化されてからはここだけとなっています。

小村井駅のほうも、東あずま駅と同様に昔の地名(小村井村)が由来となっているし。

曳舟駅は、東武スカイツリーラインへの乗換駅である高架駅で、1番線が浅草からの東武スカイツリーラインの下り列車、2番線が押上方面からの下り列車、3番線が押上方面への上り列車(地下鉄半蔵門線、東急田園都市線直通)、4番線がとうきょうスカイツリー、浅草方面への上り列車、5番線が亀戸線専用ホームであり、亀戸線の車両の入れ換えは、4番線で行われる為に、南栗橋車両管区春日部支所から回送されていた曳舟 6時25分発の亀戸行きの1本に限り、4番線からの発車となります。

曳舟の駅名の由来は、昔駅周辺に曳舟川が流れていたことであり、曳舟の駅名や駅周辺の曳舟川通り、葛飾区の曳舟川親水公園にその名残があります。

京成押上線の京成曳舟駅は、曳舟駅の東側にある駅であり、一昨年8月には全面高架化されていました。

東武亀戸線が開業したのは、1904(明治37)年4月5日のことで、当時は同時に開業した総武鉄道(国鉄→JR総武線の前身)の両国橋(現、両国)駅まで乗り入れていました。

こちらは1910(明治43)年3月に、吾妻橋(のちの初代浅草→業平橋→とうきょうスカイツリー駅)への乗り入れの再開により、両国橋への乗り入れが廃止され、亀戸線として独立していたのであります。

開業当時は、非電化で、蒸気機関車(SL)による牽引となっていたけど、1928(昭和3)年4月15日に電化されていました。

東武のSLと言えば、今年8月10日に大樹号として復活することで話題になっています。


亀戸線がワンマン化されたのは、2004(平成16)年10月19日のことであり、それ以前から8000系の2両編成が使われています。

8568Fは、今年1月3日に大師線で撮影していたので、ビフォーアフターの状態でありました。

ビフォーは、東武の標準塗装で、曳舟、大師前寄りの先頭車であるクハ8668号車に幌が残されていました。

その幌は、南栗橋工場での検査入場及び試験塗装への変更により撤去されていたし。

8568Fの一般での営業運転開始は、この日(2月18日)のことであり、2月20日には、大師線の運用に入っていました。

7800系に施されていた試験塗装は、8000系の8568Fにも似合っていると思います。

こちらは、緑亀塗装であることから亀戸線を走る列車に相応しい状態であるし。

この日はドラゴンボールスタンプラリーを仕上げる為に羽田空港から浜松町乗り継ぎで常磐線に向かう時に、8568Fに乗りたいということで、亀戸から曳舟乗り継ぎで北千住まで別途運賃を払った上で東武線に乗ったのであります。

このように、東武亀戸線の試験塗装車の8568Fに乗ることや、それを撮影することが出来て良かったです。

画像は、亀戸駅で撮影したものです。