続いては、1月5日に、伊豆箱根鉄道(いずっぱこ)駿豆線の三島駅で撮影した、1300系(元西武鉄道N101系)の1301Fによるいずっぱこイエローパラダイストレイン(新春ヘッドマーク付き)です。


この時に9番線に到着していたので、東海道線(JR東海)の1番線側から編成全体を撮影することも出来たので、西武線が三島にやってきたという感じがしてきました。


伊豆箱根鉄道の三島駅は、南側にある2面3線の駅であり、7番線は端にある臨時ホーム的存在で殆ど使用されておらず、8番線または9番線が主に使われることになります。


JR東海道線(JR東海)は2面4線で、1番線は、修善寺発着の特急踊り子号(修善寺行きまたは東京行き)専用となっているので、特急の発着以外は、9番線に到着した伊豆箱根鉄道駿豆線の列車(3両編成)を編成全体を入れて撮影することが出来ます。


2番線は、東海道線下り(沼津、静岡、浜松方面)、3番線は東海道線上り(熱海、横浜、東京方面)、4番線は東海道線の下りの三島始発がメインとなっているし。


三島駅の北側にある東海道新幹線のホームは、5,6番線で、新幹線の駅としては珍しく、外側に通過線のある島式ホームとなっています。


こちらはこだま号だけでなく、ひかり号の一部も停車するので、熱海駅と同様に静岡、中京、関西エリアから伊豆に行く時にも便利であるし。


現在の三島駅が出来たのは、1934(昭和9)年12月1日の熱海~沼津間の新線(丹那トンネルを含む)の開業の時であり、これまでの間は御殿場線の下土狩駅(駿東郡長泉村(現、長泉町))が三島駅と呼ばれていました。


伊豆箱根鉄道駿豆線の三島~三島広小路間も、東海道線の新三島駅へのシフトに合わせて移設されていたし。


御殿場線(国府津~御殿場経由~沼津間)は、かつての東海道線の一部であり、小田原、熱海経由のルートへのシフトに伴い、ローカル線に格下げされた路線で、1989(平成元)年4月末に廃止された国鉄→JR北海道の天北線(音威子府~浜頓別経由~南稚内~稚内間)が宗谷本線からローカル線(北見線→天北線)に格下げされたことと同様の関係でありました。


日本最北端を行く現在の宗谷本線の音威子府~稚内間は、後に出来た幌延経由のルートとなっているし。


東海道新幹線(東京~新大阪間)が開業した1964(昭和39)年10月1日当時は、三島駅がなく、新幹線飛ばしの問題があったけど、1969(昭和44)年4月25日に新幹線の駅が新設されたことによって解決されていました。


三島駅付近にある三島車両所での夜間停泊がある関係で、東京~三島間のこだま号も運転されているので、東北新幹線で東京~那須塩原間のなすの号が運転されていることと同様の関係となっています。


伊豆箱根鉄道駿豆線が開業したのは、1898(明治31)年5月20日の三島町(現、三島田町)~南条(現、伊豆長岡)間のことで、当時は前身の豆相鉄道の路線で蒸気運転が行われていました。


同年6月15日には、初代三島駅(現、下土狩駅)まで延長されて東海道線と接続されるようになり、その翌年の1899(明治32)年7月17日には大仁まで延長されていました。


1918(大正7)年8月10日に三島町~大場間、翌年の1919(大正8)年5月25日に初代三島~三島町間、大場~大仁間がそれぞれ600Vで電化され、1924(大正13)年8月1日に修善寺まで延長。


1934年12月1日に東海道線の2代目三島駅の開業と共に駿豆線の三島駅が移設されて現在に至っています。


豆相鉄道は、伊豆鉄道→駿豆電気鉄道→駿豆鉄道→駿豆鉄道箱根遊船→駿豆鉄道→伊豆箱根鉄道となり、現在の伊豆箱根鉄道となったのは、1957(昭和32)年6月1日のことでした。


1500Vに昇圧化されたのは、1959(昭和34)年9月7日のことであり、それまでの間は国鉄80系電車(乗り入れ準急)が性能を落とした上で運転されていたし。


1963(昭和38)年2月までの間は、駿豆電気鉄道によって開拓されていた伊豆箱根鉄道島津軌道線(三島町(三島田町)~沼津駅前間)が出ていたけど、こちらは駿河の国の沼津と伊豆の国の三島を結んでいたことにより駿豆の名の由来となっていました。


初代三島駅→下土狩駅のある長泉町は、駿河の国だった場所であるので、駿豆線の名は現在の下土狩駅に乗り入れていたことの名残であるし。


駿豆線の普通列車がワンマン化されたのは、2009(平成21)年4月1日のことで、車両にワンマンの表示が入るようになっていました。


大雄山線が前身の大雄山鉄道から駿豆鉄道(現、伊豆箱根鉄道)の路線となったのは、1941(昭和16)年3月20日のことでした。


沼津市(三津(みと)地区)にある伊豆・三津シーパラダイス(みとしー、伊豆長岡駅または沼津駅からバス)は、伊豆箱根鉄道管理による水族館であり、1930(昭和5)年に中之島水族館として開業した時からの歴史があります。


中之島と言っても大阪の中之島とは無関係であるし。


1941(昭和16)年3月20日に経営が駿豆鉄道→伊豆箱根鉄道に譲渡されて三津天然水族館となり、1977(昭和52)年5月3日に伊豆・三津シーパラダイスとなっています。


こちらは、昨年7月1日にリニューアルされているし。


西武グループの水族館(アクアリウム施設)は、横浜・八景島シーパラダイス(横浜市金沢区)、箱根園水族館(足柄下郡箱根町)、アクアパーク品川(旧エプソンアクアパーク品川、東京都港区)もあり、箱根園水族館の海水館では、伊豆・三津シーパラダイスで汲み上げられた海水がタンクローリーで輸送されてきています。


1300系(元西武101系)が製造された1979(昭和54)年は、プロ野球球団(パ・リーグ)である西武ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)が、クラウンライターライオンズ(西鉄時代と同様に福岡市にあった平和台野球場(福岡ヤフオク!ドームの前身)が本拠地となっていた)の買収により旗揚げされた年でもあり、伊豆箱根鉄道でも3000系の3001Fが導入されていました。


西武バスでライオンズのスポンサーだった日産ディーゼル(現、UDトラックス)車がメインで導入されていたけど、UDの日本国内のバス事業からの撤退により、三菱ふそう車やいすゞ車がメインとなっており、伊豆箱根バスや近江鉄道バスなどの西武グループのバス会社もこうなっています。


埼玉西武ライオンズの本拠地である西武ドームは、1979年に西武ライオンズ球場として開設されたものであり、ドーム化されたのは、20年後の1999(平成11)年のことでした。


現在はプリンスホテルによるネーミングライツで西武プリンスドームとなっているけど、3月1日からはメットライフドーム(メットライフ生命保険によるネーミングライツ)となる予定となっています。


伊豆箱根鉄道は、大雄山線でPASMOやSuicaなどのICカードが使えるのに対し、駿豆線ではJR東海のTOICAを含めてICカードが使えないことになっているので注意が必要であります。


伊豆箱根鉄道大雄山線で事業用車(大場工場への出入場車の牽引用)として使われているコデ165号車は、1996(平成8)年まで最後の旧型電車として活躍していたモハ151形の165Fのうちの1両から改造された車両であり、1976(昭和51)年に伊豆箱根鉄道入りする前は、相模鉄道(相鉄)2000系のモハ2024号車として活躍していました。


相鉄では、晩年事業用車として使われ、そのうちのモニ2005号車が、かしわ台車両センターで静態保存されています。


相鉄で活躍していたモハ2022号車は、銚子電鉄の犬吠駅前で、デハ501号車と共に保存され、電車レストラン「かふぇ・ど・えがお」として使われていたけど、残念なことに、2012(平成24)年7月にどちらも解体されていました。


伊豆箱根鉄道1300系の前面表示は、種別幕がワンマン、行先表示がLED表示となったけど、この日は新春仕様の表示となっていたし。


ワンマン表示は、1998(平成10)年に本家西武鉄道の多摩湖線の国分寺~萩山間がワンマン化された時からワンマン仕様のN101系の257,259,261Fがリニューアル化されるまでの間を彷彿とさせます。


このように、三島駅でも伊豆箱根鉄道の1301Fによるいずっぱこイエローパラダイストレインを撮影することが出来て良かったです。