岡崎が終わると岐阜が待っていた、、、
11/27に12/3のロビーコンサートに向けて中津川のお稽古がありました
中津川の方々は意気込みが凄くて、「先生私はこの曲弾けるでしょうか?」
と、尋ねられることが多いのですが、今全然弾けてなくても追い込みが凄くて、
「あんたたち凄すぎて予想がつかんわ」
としか言えない
やる気があって活気があるのはとても素晴らしい
結局この日は23時半すぎくらいまで絶え間なくお稽古していて、あくる日もまた岐阜に、、、、
そしてその晩からいろいろなところに寄って海老名サービスエリアに着いたのが午前3時半すぎ
寝るべきだ、、、と自分を諭して寝た
この2ヶ月、岡崎や岐阜に通ったりと、家から遠すぎる環境で、朝も早くて弱ってるせいか、捻挫の足も後1割治らず、さらに無理をして11月半ばに左腕の筋を痛めてずっと三味線は小指で弾いてた、、、
海老名サービスエリアを出たのが7時45分。
待ち合わせの11時にはずいぶんとあるのだが、東京の混み具合が予想できず、早めに移動した
こういう職業の人は「楽屋入り」という価値観が染みついており、早く行っていないと気が済まないのである
1時間も前に着いたのだが、なかなか待機の為に車を停めるところがない
ゆっくり周りを見渡すと、東京のひしめいている様が浮き彫りになった
建ぺい率と容積率はどうなっとるねん、、、というような建て方で、ひとたび火事にでもなれば江戸の風物詩である大火事になる仕組みがそこにあった
何だかんだと婀の会の主催のあやちゃんを拾って楽器を積んだのだが、これまた有り得ないほどのひしめき地帯に家が建っており、車を停めようとするには難所であった
ここの近所が売りに出てるけど、買わない?と言われたが私の車はそこそこデカくてハンドルが切れないから無理と断った。
そして婀の会の合わせ稽古に恵比寿の社教センターみたいなところに向かった
今回抜粋を30曲ほど弾いており、繋ぎやキッカケなどの段取りが難しい
車中泊等の生活なので、ゆっくり三味線を弾くということもできず、あるスキルと正確な段取りを頼りにやるしかない状態でした。
湿布しまくっているが、腕の筋は治らず