ヨヤキムの子コンヤに代わって、ヨシヤの子ゼデキヤが王位についた。バビロンの王ネブカドレツァルが、彼をユダの国の王としたのである。王も家来も国の民も、主が預言者エレミヤによって告げられた主の言葉に聴き従わなかった。

 ゼデキヤ王は、シェレムヤのユカルと祭司であるマアセヤの子ツェファンヤとを預言者エレミヤのもとに遣わして、「どうか、我々のために、我々の神、主に祈ってほしい」と頼んだ。エレミヤはまだ投獄されておらず、人々の間で出入りしていた。おりしも、ファラオの軍隊がエジプトから進撃して来た。エルサレムを包囲していたカルデア軍はこの知らせを聞いて、エルサレムから撤退した。

 このとき、主の言葉が預言者エレミヤに臨んだ。

「イスラエルの神なる主はこう言われる。わたしの言葉を求めて、お前たちを遣わしたユダの王にこう言うがよい。お前たちを救援しようと出動したファラオの軍隊は、自分の国エジプトへ帰って行く。カルデア軍が再び来て、この都を攻撃し、占領し火を放つ。主はこう言われる。カルデア軍は必ず我々のもとから立ち去ると言って、自分を欺いてはならない。カルデア軍は決して立ち去らない。たとえ、お前たちが戦いを交えているカルデアの全軍を打ち破り、負傷兵だけが残ったとしても、彼らはそれぞれの天幕から立ち上がって、この都に火を放つ。」

【新共同訳聖書 エレミヤ書37章1節~10節】

 

 ゼデキヤ王は使者を遣わして、預言者エレミヤを主の神殿の第三の入り口にいる自分のもとに連れて来させ、「あなたに尋ねたいことがある。何も隠さずに話してくれ」と言った。エレミヤはゼデキヤに答えた。

「もし、わたしが率直に申し上げれば、あなたはわたしを殺そうとされるのではないですか。仮に進言申し上げても、お聞きにはなりますまし。」ゼデキヤ王はエレミヤにひそかに誓って言った。「我々の命を造られた主にかけて誓う。わたしはあなたを決して殺さない。またあなたの命をねらている人々に引き渡したりはしない。」

 そこで、エレミヤはゼデキヤに言った。「イスラエルの神、万軍の神なる主はこう言われる。もし、あなたがバビロンの王の将軍たちに降伏するなら、命は助かり、都は火で焼かれずに済む。また、あなたは家族と共に生き残る。しかし、もしバビロンの王の将軍たちに降伏しないなら、都はカルデヤ軍の手に渡り、火で焼かれ、あなたは彼らの手から逃れることはできない。」

 ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「わたしが恐れているのは、既にカルデヤ軍のもとに脱走したユダの人々である。彼らに引き渡されると、わたしはなぶりものにされるかもしれない。」

 そこで、エレミヤは言った。「いいえ、彼らの引き渡されることはありません。どうか、わたしが申し上げる主の声に聞き従ってください。必ず、首尾よくいき、あなたは生き長らえることができます。もし降伏することを拒否するならこうなる、と主がわたしに示されました。ユダの王宮に残っている女たちは皆、バビロンの王の将軍たちのところへ連れて行かれ、こう言うでしょう。

 

 あなたの親しい友人たちは、

 あなたをいざない、説き伏せた。

 あなたの足が泥に取られると

 背を向け、逃げ去った。

 

王妃や、王子たちは皆、カルデア軍のもとに連れて行かれ、王御自身も彼らの手を逃れることができません。必ずバビロンの王の手に捕らえられ、都は火で焼き払われます。

 ゼデキヤ王はエレミヤに言った。「このことは、だれにも知られないようにしよう。そうすれば、あなたは殺されないで済む。役人たちは、わたしがあなたと話し合ったことを聞きつければ、きっと、あなたのもとに来て、『王に何を話したのか言え。隠さずに話せ。殺しはしないから。何を王がお前に話したかを言え。』と言うだろう。そのときは、こう答えるがよい。『わたしは王に憐れみを乞い、ヨナタンの家に送り返さないでください。あそこでは殺されてしまいます、と言いました』と。」

 役人たちは皆、エレミヤのもとに来て尋ねたが、エレミヤがすべて王の命じたとおりに答えたので、黙って去って行った。エレミヤが王に告げたことはついに知られなかった。エレミヤは、エルサレムが占領される日まで監視の庭に留めて置かれた。彼はエルサレムが占領されたときそこにいた。

【新共同訳聖書 エレミヤ書38章14節~28節】

 

 人生とは、自分がどうすべきなのかを選択せざるを得ない瞬間の積み重ねであり、それを乗り越えていくためには、何かを信じて答えを見つけなければなりません。この言葉は、国際政治学者であり、キリスト者でもあります姜 尚中(カン サンジュン)さんの著書『悩む力』の中の一文です。

私たちの人生は確かに、どう判断し、どう決断するのか、その分かれ道に絶えず直面すると言っても過言ではありません。大切なことは”何を信じるか”に懸かって来るということです。

 

この37章から44章までは、エレミヤと運命を共にしたバルクによって記録された預言者エレミヤの殉教です。37章の冒頭にはエルサレム陥落とユダ王国滅亡の最後の王であるゼデキヤの即位となぜ滅亡したのか、その根本問題を主が預言者エレミヤによって告げられた主の言葉に聴き従わなかったからだと端的に語られております。そして、続く3節から38章の終わりまでは、ファラオの軍隊がエジプトから進撃してきたエルサレムを包囲していたカルデア軍、すなわちバビロン軍がこの知らせを聞いてエルサレムから撤退したと5節に記されておりますように、バビロンの脅威が遠ざかった時期です。尤も、それは一時的なことであったことは言うまでもありません。

この時にゼデキヤ王は二人の高官をエレミヤのもとに遣わします。その一人マアセヤの子ツェファンヤという人物は、ネブカドレツァルの脅威が迫って来るという最初の緊迫した状況下において遣わされていた高官の一人でもあります。

 

 彼らはエレミヤに「どうか、我々のために、我々の神、主に祈ってほしい」と頼んでいます。最初の派遣の時にも「どうかわたしたちのために主に伺ってください。主はこれまでのように驚くべき御業をわたしたちにもしてくださるかもしれません。そうすればネブカドレツァルは引き上げるでしょう」と頼んでいたのです。

ここから伺い知ることができるのは、まず、ゼデキヤ王は先王ヨヤキムとは対照的にエレミヤに対して、預言者として少なからず敬意を抱いていたということであります。一国の王として、たとえバビロンのネブカドレツァルによって立てられた傀儡の王であったとしても、祖国を思うからこそどう判断すべきか、不安や迷いや恐れを覚えた時、ゼデキヤはエレミヤによる主の言葉を聞こうとしたのです。

 

しかし、最後は主の言葉に聴き従わなかったのです。なぜなのでしょうか。

派遣されました高官の言葉にそのことが現れているように思えます。ゼデキヤは神の言葉に自分を空しくして、謙虚に聞き従うというよりは、自分の思い、自分の願いが先行しているのです。自分の思い通りになる、自分の願い通りになる、ゼデキヤ王にはまず”自分”があるわけです。

二度目の派遣はカルデヤ軍がエルサレムから撤退した時期です。指導者たちを初め、民も皆バビロンから解放されるという期待を持ったのです。しかし、このことは大変重要なことを彼らは忘れています。つまり、何よりも神の前に悔い改める。この気持ちを一気に失ってしまったのです。

おそらく、ゼデキヤ王も、これまでの非常に危機的な状況からの急激な変化を、正に事態が好転したと思ったことでしょう。もしかしたら、その確信を得るために二人の高官をエレミヤのもとに遣わしたのではないかと思うわけです。と言いますのは、ゼデキヤの胸中には最初の派遣の時にエレミヤに告げられました、神の裁きへの警告が燻り続けていたでしょうし、その言葉を思い起こす度に言い知れない不安や恐怖を覚えざるを得なかったからではないかと思うのです。だからこそいっそう、確信を得たかったのではないでしょうか。

 

しかし、神の応えはまるでゼデキヤの思いを全て見透かしたように、大変厳しい裁きの現実をゼデキヤ王に結局は突きつけたのです。

 

 お前たちを救援しようと出動したファラオの軍隊は、自分の国エジプトへ帰って行く。カルデア軍が再び来て、この都を     

 攻撃し、占領し火を放つ。カルデア軍は必ず我々のもとから立ちアルト言って、自分を欺いてはならない。カルデア軍は 

 決して立ち去らない。

 

以来、エレミヤはゼデキヤ王の高官や役人たちの憎悪を買い、彼らはエレミヤに対する敵対心を露わにしていき、エレミヤ抹殺の機会を伺うようになっていきました。

実は、この11節からの出来事と言うのはその一つです。ここにはエレミヤがなぜ王宮の監視の庭に拘留されるに至ったか、その経緯が記されています。

エレミヤはエルサレムを出て、親族の間で郷里の所有地を相続するために、ベニヤミン族の地へ行こうとしていました。エレミヤがいとこハナムエルから故郷アナトトの畑を購入したのは、この王の監視の庭に拘留されていたときのことですから、アナトトへ向かう途中でカルデア軍に投降しようとしているという嫌疑を掛けられて拘束され、そのまま書記官ヨナタンの家の地下牢に監禁されてしまったのです。結局、エレミヤはアナトトへは行くことができなかったのです。

 

エレミヤが長期間監禁されました書記官ヨナタンの家の地下牢。丸天井のある地下牢ですが、古代の地下牢とはおよそ私たちの想像を絶するものです。そこは暗く暗黒の世界です。埃と臭気が漂う劣悪で陰湿な牢です。そこに長期間監禁されるということは、既に老齢に達しておりましたエレミヤの身にどれほど耐え難いことであったか、それは殆ど死を意味していたことでしょう。実際、ゼデキヤ王は神の真意を尋ねるために密かにエレミヤを地下牢から宮廷に呼び寄せた時に、「書記官ヨナタンの家に送り返さないでください。わたしがそこで殺されないように」とエレミヤは訴えています。

ゼデキヤ王はエレミヤの衰弱しきった様子から、おそらくそのことを十分察したものと思います。

彼を王宮の監視の庭に移し、しかも都にパンが無くなるまで毎日パンをひとつ届けさせたのです。ゼデキヤ王にとってエレミヤは、重要な支えであり、唯一自分の心情を吐露することのできる貴重な相手だったのではないでしょうか。そのことが38章の最後の会見にも表れているわけです。

ただゼデキヤには、バビロンへの対抗姿勢を強力に推し進めようとする、高官や役人たちを抑えるだけの王としての指導力も決断力も無かったのです。

38章で4人の役人たちがエレミヤを死刑にするよう要求した時のゼデキヤの対応に、それが如実に表れています。

「あの男、つまりエレミヤのことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから」

 

ゼデキヤの王としての権威はもはや失墜していたのでした。4人の役人たちがエレミヤに死刑を要求した理由は、兵士や民衆の士気を挫いて、平和ではなく災いを望んでいるからだというのです。

 

王宮の監視の庭に移され、そこで拘留されたエレミヤですが、その拘留はかなり緩やかだったことが伺われます。エレミヤには、全ての民に語る機会が許されていたのです。そのことは彼らにとっては当然我慢ならないことでした。しかし、ゼデキヤ王の”あの男のことはお前たちに任せる”というこのたった一言がエレミヤを抹殺する権限を彼らに与えてしまったのです。そのやり方は地下牢監禁と同様、残酷そのものでした。

彼らは、敵と見做した者は容赦しないのです。エレミヤに対して一方的に投降の嫌疑を掛けて拘束した守備隊長イルイヤ。エレミヤを撃ち叩いて長い間地下牢に監禁した役人たち。そして、水溜に投げ込んだ高官たち。彼らは抗議の声にも一切耳を貸さず、異論も反論も許さない独善的な態度で威圧したわけです。このようにして、民衆のバビロンへの敵愾心を煽り立てて、民衆もまたそうやって煽られるままにバビロンへの反感を強めて行ったと言えます。

 

バビロンに反旗を翻していった背景には、エジプトの援軍だけではなく、指導者たちや軍部のこのような横暴さがあったと言えます。

 

エレミヤが高官たちの策略によって、生死の危機に晒されていることを聞きましたクシュ人エベド・メレクは、そのことをゼデキヤ王に訴えます。それを聞いてゼデキヤ王の許しを得て、エレミヤは九死に一生を得るわけです。そして、いよいよゼデキヤ王との最後の会見に臨むのです。

この会見がなされたのは、おそらくエジプト軍が引き返したことで、エルサレムの陥落が次第に現実味を帯び始めた数か月間のバビロン軍の脅威が再び迫り来ると、非常に緊迫した状況下であったと思われます。

 

エレミヤはゼデキヤ王に、バビロンの王ネブカドレツァルに降伏するよう強く強く訴えます。そうすることで、王自身、家族、ひいては民の命をも救うことになるのであり、これこそが神の変わらない意志なのだと強調いたします。そのエレミヤにゼデキヤ王は自分が抱いているどうしようもない不安と恐れを正直に話します。

「わたしが恐れているのは、既にカルデア軍のもとに脱走したユダの人々である。彼らに引き渡されると、わたしはなぶりものにされるかもしれない。」

それに対してエレミヤは「彼らに引き渡されることはありません。主の声に聞き従ってください。必ずあなたは生き長らえることができます。」と断言するわけです。

 

エレミヤはここで、「あなたの不安も恐れもそのすべてをありのままに神に曝け出して、ただただ神を信じ、神に従いなさい」と懸命に呼びかけるのです。果たして、ゼデキヤ王の応答は、「このことは誰にも知られないようにしよう。そうすればあなたは殺されないで済む。」

 

エレミヤが王に告げたことはついに知られなかったのです。

ゼデキヤ王の胸中に何が去来していたのかはわかりません。そしてゼデキヤ王の最後の応答を聞いたエレミヤの胸中にもまた何が去来していたのか、計り知ることはできません。ただ、エレミヤは役人たちに王が命じた通りに答えたことから、ゼデキヤ王は神ではなく、人を恐れて、最後の最後まで神の言葉に自分を委ねていく信仰の決断ができなかったということです。

そしてこの一点に於いて、ユダ王国の滅亡とバビロン捕囚というイスラエルの歴史上未曽有の悲劇が齎せて行ったわけです。

 

主イエスは言われました。

「わたしに付いて来たい者は自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」