前回の「宗教編」と繋がる部分になりますが、風花雪月の舞台設定についていろいろ考えてみます。

 

セイロス教について

前回「宗教編」で詳しく批判しましたが改めて。一神教、おそらくはキリスト教を意図的にモチーフにしている宗教です。

宗教編では触れませんでしたがそもそもの話「◯◯教」という“名称”が宗教についているのは現代的すぎるのでこれはよくなかった。宗教に名前がついているのは他宗教の存在を念頭に置いて相対的な捉え方をする時だけからです。現代は宗教を相対的に捉える価値観が広いのでそうなっていますが、人類の歴史全体で見ればそれはとても特殊なケースです。

現代でも宗教者が内部で発言するときは単に「教え」とか、「道」とか言ったり、あるいは「宗派」とか「教団」とか組織単位で話したりします。◯◯教なんて呼び名を設定しなくてもいくらでも言い換えは可能なので、あえてファンタジー舞台でこの呼び方を採用する理由は何もないはずです。

 

キャラクターの名前について

今作では今までのFEには無かったキャラクターのフルネーム(ファミリーネーム)というものが設定されています。今までも王族とか貴族とかそういう設定だったのによくも頑なにこの概念を出さずにやってきましたよね、と感心するぐらいですが。GBAシリーズの烈火の剣、ヘクトル編にだけ出てくる敵役パスカル・グレンツァウに謎に名字があることを発見して子どもの頃から盛り上がっていた記憶があります。

ところでこの事情は私も詳しくないのですが、名前と名前を「・」ではなく「=」で繋ぐのはあまり一般的な使い方ではないような気がします。そこに込められた意図がちょっと分からないです。

また、貴族階級のキャラクターにはミドルネームがあります。ミドルネームの付け方についても、帝国貴族は統一して「フォン」だけど王国貴族はそれぞれ固有のものである、という国ごとの文化差を意識した拘りを感じます。同盟貴族は混合ですが、そこから帝国と王国、どちらのルーツに近いのかという推測ができたりします。

じみーに私が注目しているのが、一番最初に士官学校を見学するシーンで生徒達へ話しかけた時の名乗り方です。なぜかファミリーネームを含んだフルネームを全員がもれなく名乗るのはヒルシュクラッセだけです。他学級にもフェルディナントなど全名乗りをするキャラもいるにはいますがまちまちで、ルーヴェンクラッセなんて礼儀正しいイングリットさえ名乗りません。なのにヒルシュクラッセはレオニーやラファエルでさえ名乗ります。同盟領の人間は、そのルーツに他の二国ほど歴史的な裏付けがないため、かえって個人のアイデンティティの中で家名が占める割合が高い文化なのでしょうか。

 

各国の政治体制や貴族の設定について

おそらく史実上のどこかしらの国が具体的にモデルにされているのだと思います。作中では必ずしもメインでないところまでよく作り込んであります。この辺のオタクの人が考察してみるときっと面白いんだろうなあ、と思いますが生憎私に学はありません。世界史の勉強なんてやったのは中学校が最後です。……高校でも必修のはずだ? まあ、表向きはね……。

貴族階級というものは、こういうファンタジーにはつきものの設定ですしFEシリーズも例外ではないのですが……、それに伴う人間の身分格差を描くことについては、子ども向けの現代の作品では塩梅が難しいところですね。FEシリーズは主人公が王族やそれに準ずる権力者の子息であるという設定が伝統なので、そこは変えなくていいと思うんですよ。しかしその伝統を踏む以上、もうちょっと身分格差を描け、と思います。別に暴力でなくてもいいから。ディミトリとアッシュの支援会話なんかにはちょっと出してくれてたかな。

身分格差を作中で描写しないなら身分制度の設定なんか公にはつけないほうがいいと思っています(あくまで“公に”は。暗黙の内に自然発生しているという状態はリアリティを考えるならあって然るべきです)。なんとなくの中世っぽさを出したいというだけの意図であれば、それよりも実際の歴史上で暴力を孕んでいる身分階級制度を無邪気に礼賛してしまう危険性を考慮するべきです。まあ私は自分の創作では思いっきり貴族制度出しますけどね! 私はそれ故の暴力を描きたいので!!


神話化された部分の歴史

フォドラの歴史の話です。史実を元にセイロス教が神話として粉飾してしまった部分を考えます。
はっきり言ってここのところは未だに謎ですので率直に疑問として書きましょう。教団がなぜどうして史実をあのような神話に書き直したのかが私にはわかりません。私が理解している事実を言うと、
・もともとレア達ナバテアという勢力と、アガルタは原初のフォドラの覇権をかけて争っていた?
・ネメシスはセイロスに敵対する立場で、アガルタの人達から支援を受けて戦った。
・それによってナバテアの一族は殺され、骨とか心臓を使ってアガルタの技術によって兵器にされた(=英雄の遺産)。
・現在のフォドラ貴族の始祖である十傑もネメシス側、セイロスに敵対していた。
・最終的にはセイロスがネメシス&十傑&アガルタ側に勝利している。
ということですが、そうするとレアにとってネメシス及び十傑は憎い仇のはずで、それを「英雄」に格付けするのは筋がおかしいのですよね。普通勝利した者がその歴史を書き換えることができるのなら、打ち負かした相手は邪悪に書くものです。
そのうえその憎き仇である十傑の血筋を貴族という肩書で権威付けている、それがレアを指導者とするセイロス教がやっているというのはやっぱりおかしくて、エーデルガルトの主張が余計に空回りするわけです。
レア曰くそれは「フォドラの平和のため」だそうで、それを鵜呑みにするならセイロスがネメシスに打ち勝ってもなお、十傑は実際的な権力者の座を降りなかったということでしょうか。セイロスは結局彼らと融和する道を辿ったのでしょうか。お前の復讐心はその程度のものだったのか? それが書き手が想定した設定だとしたらレアのキャラクターが著しく損なわれてしまう気がしてなりません。そこまでして十傑やネメシスを英雄であるという描写をした理由はやっぱり分かりません。

もしかしてここも何かしら現実世界のものがモチーフになっているのでしょうか? 一神教の神話については世界史よりは少しだけ知ってるつもりなのですが、ちょっと心当たりがありません。今から聖書開く気力もないですが。

 

ナバテアとアガルタはどっちが悪いのか問題

神話部分でも原初のところ、ナバテアとアガルタは争っていたわけですが、結局どっちが悪いのかという話ですが、ここの善悪はおそらくあえて作中ではぼかしてあります。書庫の神話と、アビスの裏書庫で読めるアガルタ側から書いた歴史は、それが指し示す事実自体は一致しています。先にアガルタがいて、後からナバテアがきた、という時系列です。違っているのはナバテア側からすれば「人々を導いてやった」という言い分で、アガルタ側からは「怪物に侵略された」となっているというところですね。

時系列で言えばナバテアの方が侵略者なのですが、それにしたってアガルタの復讐方法が明らかに倫理を犯しているので悪と描かれているのはこちらです。要はどっちもどっち的な描き方でぼかしてある、というところですね。

ナバテアもアガルタも、グーグル先生に聞くところ曰く元にしたものがあるようですね。彼らの細かい設定についても、どうやらメインストーリーでは語られない深部までやけに作り込んであります。私が知った限りでも「灰狼の学級」や「無双」でいろいろ出てきますが、ちょっと全部を考察するのは大変なので適当にかいつまみます。

 

で、結局紋章ってなんなん

私が理解している事実を言うと、

・英雄の遺産はナバテアという種族(竜的なもの)の骨で創った武器

・英雄の遺産を発動するには紋章石(彼らの心臓)と使い手の紋章(彼らの血に相当?)が必要

・だけど別に適合してない紋章でも使えるは使える(最大の力は引き出せない)

・というか別に紋章なくても使えるは使える

・でも適合紋章を持ってないと魔獣になってしまうことがある。必ずしもなるわけじゃないしタイミングも不明。

・紋章石を直で使うと必ず魔獣になる(どうやって使ってるんだろう……)

・紋章は遺伝する。大小の別があるけどようはその出方に程度の差がある。

これだけ書くとわりと分からないことが多いんですよね。竜の力が彼らの骨、心臓、血液を揃えて初めて発動するのはいいんですけど、なぜ血液が人間の体に宿っているのか、そこに論理の飛躍があります。

だいたいアガルタの主張でいえば今地上にいる人間は「獣の末裔」、つまりナバテアに連なるもの達であるはずです。なのに紋章は十傑、つまりナバテアの憎き仇の者達から引き継がれている。??? いよいよセイロスと十傑が単純な敵対関係ではなかったような気がしてきますね。

解釈をするなら、赤き谷でナバテアの一族が虐殺された時、十傑がその時に彼らの血を取り込んだのかもしれません。セイロスにとって彼らは家族の仇であると同時にその血を引き継いだ眷属でもあると。なかなか複雑ですね。

紋章が適合してなくても結局使えるんかい問題については、ゲームのプレイバランスの都合のような気がします。あんまり考えないことにします。

もうひとつここで疑問なのが、ゴーティエ家の騒乱の時に話題になった話です。紋章を持たない者が遺産持つと化け物になってしまうことを、レアは「内緒にしなさい」と言ってきて、それは「教団が事実を隠蔽した」と教団の闇の側面であるかのように仄めかされます。分からないのは

・化け物になるのが女神の罰だ、という理屈づけをするのであれば隠す必要がない。全然貴族の権威地に落ちない。

・むしろ紋章に権威をつけるなら積極的に宣伝するべき話ですらある。

・ていうかそんなに隠されてない。リンハルトとカトリーヌの支援会話参照。

・そもそも化け物になってしまうのは紋章石の元のあるじに体を乗っ取られるからであって、つまりその「化け物」はレアにとっては眷属であるはず。化け物呼ばわり酷くない?

てあたりですね。

これは歴史を書き換えたことについてもそうなんですが、作中で明らかにされていることからだけではその書き換えや隠蔽に筋が通っていなくて、それが一層教団の悪の一面として描かれた「歴史の改ざん・情報の隠蔽」を薄くしてしまっているように思えます。

教団が隠蔽した「技術」…アビスの禁書から
あくまでオマケ程度の要素だとは理解していますが、教団の情報隠蔽の話題のついでに。アビスの本棚を漁ると教団が禁止した技術の話が読めます。内容から察するに望遠鏡、化石燃料、印刷技術、外科医術が教団の圧力によって封じられていたそうです。これは現実でも中世のヨーロッパはキリスト教団の抑圧によって暗黒時代を迎えた、なんてまことしやかに言われたりしてるあの辺を意識してるのかなと思いました。
しかしまあ近年は反論も出ているみたいですし、そんな短絡的な宗教理解をそのまま落とし込まれるのはやっぱりあんまり面白くないですな……。
ですが自然科学についてはチョット分からないですけど、印刷技術が「教団内の対立を深める」という理由とともに挙がっているのは、史実キリスト教を改革した要素が「聖書の翻訳」という情報革命であったことを思うと、そこまで意識しているのは感心しますね。

セテスさんが言う「禁忌」って何?
第一部の終盤にセテスがレアを問い詰めている時に言っているあの禁忌です。セイロス教における宗教的な禁忌を列挙している資料はなく、作中でたったひとつ明らかになっているのが上記の禁書の中で出てきた「外科医術」です。ベレを生かすために心臓移植してるわけですから確かに禁忌を犯していますね。

しかしここで引っかかるのは……私もたまたまネット上で見ただけの解釈なのですが、セテスが禁忌だと言ったのはそんなことではなくてソティスという死者を生き返らせようとしたことだ、というものがあったからです。確かに死者を蘇らせるという行為の禁忌っぽさは、灰狼の学級ストーリーでも語られていた気がします。

ここで私は指摘しましょう。「死んだ命を蘇らせることに対する倫理的な抵抗感」が、キリスト教を想定した世界に相応しいのかどうかは疑問です。なぜならキリスト教の教義の根本にはまさに「死からの復活」が説かれており、神話上ではイエス・キリスト自身もわりと気軽に死者蘇生をしているのです。

どちらかといえば「死者は生き返らない」という道理を戒めとして説いているのは仏教を土台とする思想文化です。キリスト教と仏教、両思想の間にある生死観の違いは興味深いですが、現代日本人の世界観としてはそれが変に混同している節があります。ここでもそれが現れているのかなという気がしますね。

 

外国人の扱い

少し話を変えます。フォドラではない場所の人々の描き方について。ちょっとここは批判的に真面目なことを書きます。

結論から言えば「外国人」を現す記号として外見的特徴、つまり髪と肌の色を用いてしまっていることは本作のその他の設定と合わせると危うい結果を招いています。

フォドラの外の外国人として、キャラクターを伴って描かれるのは、パルミラ(ツィリル、ナデル、クロード)、ブリギット(ペトラ)、ダグザ(シャミア)、そしてダスカー(ドゥドゥー)です。それぞれフォドラに対して東、西、更に西、北西の位置している土地の人々です。

分かるでしょうか、肌の色の違いが気候の違いで現れると理解される現実世界とは違い、それらの国はフォドラに対して囲むようにバラバラの方角にあります。作中で語られる限りでは、南のアンヴァルの方が気候としては温かく、北のファーガスは寒い、つまり北半球の土地を想定していますね。ですが最も“肌が黒い”民族、ダスカーは北の土地の者です。

ここで考えられる解釈は、そもそも現在のフォドラ人はナバテアに連なるもの、人外の血を引くものであってそもそもフォドラの原住民ではない、ということです。つまりダスカーやパルミラ人のように黒い肌の者が、フォドラの気候に対応した本来の人種であって、後からやってきたナバテア達の肌の色の方が特殊だ、という解釈です。

いや待てよ、ナバテアに追いやられた原住民、その末裔がアガルタの民であるはずです。彼らは肌が黒いどころか青白いじゃないですか。1000年間地下に篭ってたせいでそうなったんですかね……? ではなぜフォドラ人は白いままなのか。フォドラ貴族の先祖として設定されている十傑は何? 考えるほど整合性はとれません。

土地と肌の色を結びつけて考えること自体が土台ファンタジーとしてナンセンスなのかもしれません。であれば! だからこそ、外国人として描かれる人々に「肌が黒い」という特徴を一律に付けたことが危ういわけです。それがそれぞれ違う国の者でもあるに関わらず一律に「外国人」を示す“記号”になってしまっているわけですから。

そもそもFEシリーズの伝統的なノリとして、今まで民族という概念はそこまで強く押し出されてきませんでした。例外として私が知るのはエレブ大陸の「サカの民」ですが、それはひとつの民族であって、風花雪月のように別々の民族であるはずの人達を「外国人」で括って揃えるようなものとは話が違います。

登場人物の髪や目は、真っ赤や真っ青といった現実の自然にはありえないファンタジーカラーをしています。そこの部分は風花雪月でも変えていないのにですよ。肌の色で民族の別を現すのであればフォドラ人だってもうちょっと見た目を統一するべきのはずです。

特にダスカー人の扱いは酷いですよね。海すら隔てていない地続きの土地ですよ。肌の色も文化もあんなにはっきりとフォドラと分かれているなんて不自然でしょう。それを「国王殺しの民族」というひとまとめの憎悪の対象として描くためにまるで文化の土台が違う異邦人のように描くわけです。ドゥドゥーという名前も、他のなんとなくヨーロッパを想定したネーミングから意識的にはずしていることが分かります。いわば「差別される者達」を象徴して黒い肌という記号が使われているわけです。現実の黒人差別の歴史的文脈からは当然切り離して。

肌の色ほどダイレクトではないですが、外国人の中でなぜかペトラだけカタコトだったり、シャミアだけはブリギッドより更に遠いダグザから来てるのにフォドラ人同様白かったりと、いろいろ飲み込めない引っ掛かりはあります。ファンタジーですから全てリアルに即した整合性をとる必要はないのですが、整合性をとるつもりがないのであれば、特に人種や民族を扱うような領域で雑な扱いはしてほしくありません。肌の色じゃなくても髪型とか装飾品とか入れ墨とか、文化の違いを表せる記号は他にいくらでもあるはずです。