Del Shannon - Runaway (1961) 4K
デル・シャノン - 悲しき街角






Del Shannon - Runaway(Released on: 1961-01-01)
デル・シャノン - 悲しき街角(1961年)



10代の頃、ラジオから流れて来た「悲しき街角」を初めて聴いてから、今もなお大好きな曲です。何回聴いても飽きないメロディ構成がいいですね。
オールディーズの中で私の好きな第一位に上げたい1曲です。



デル・シャノン(1934年12月30日 - 1990年2月8日)さんは、アメリカの歌手、シンガーソングライター。
デビューシングル「悲しき街角」がビルボード1位を獲得するなど自作の曲で1960年代前半に活躍。低迷期を抜けて1980年代に再評価の動きがあったものの、1990年にうつ病のため猟銃自殺を遂げた。



ミシガン州グランドラピッズに生まれ、クーパースヴィルで育った。本名は、チャールズ・ウィードン・ウェストオーバー。ハンク・ウィリアムズ、ハンク・スノー、レフティ・フリッツェルらカントリー・ミュージックの影響を受ける。14歳の時にギターを手にしたのきっかけにミュージシャンになる事を決意。高校時代にはバンドを結成、ナイトクラブにも出入りし活動を開始する。17歳の時に幼馴染と結婚する。



1954年、軍隊に入隊し駐屯先のシュトゥットガルトで「クール・フレイムズ」というバンドを結成する。1958年に除隊した後、バトルクリークでカーペットのセールスマンをする傍、ダグ・ディモットがリーダーを務めるカントリー・ロック・バンド「Midnight Ramblers」に加入し、「The HI-Lo Club」の専属バンドとして活動する。ディモットが解雇された後、新リーダーとなり芸名をチャーリー・ジョンソン、バンド名をビッグ・リトル・ショー・バンドに改める。



1959年、元「ホワイト・バックス」のメンバーでオルガニストのマックス・クルックが加入し、クルックの自作クラヴィオリン「ミュージトロン」を生かした演奏を行う。



クルックの友人でアナーバーのラジオDJオリー・マクラフリンがデモ・テープをデトロイトの音楽プロデューサーのハリー・ボークとアーヴィング・ミカニクに送った結果、1960年7月、クルックと共にビッグ・トップ・レコードと契約する。この時、芸名をデル・シャノンに改名する。芸名の由来はキャデラック・ドゥビルと、プロレスラーを兼業していた「HI-Lo Club」パフォーマーのリング・ネームだったマーク・シャノン。



HI-Lo Club時代のレパートリーだった「リトル・ランナウェイ」を改題し、1961年2月にソロデビュー曲「悲しき街角(原題 ランナウェイ)」を発売、4週連続全米1位を記録する。