Origami Crane - Hiroko Chiba(Singer)
折鶴(Oridzuru) - 千葉紘子(歌手) - 懐かしい歌謡ヒット曲


千葉紘子(ちば ひろこ、1944年11月19日 - )さんは、日本の女性歌手、教育関係者。東京都荒川区出身。1964年3月、山脇学園短期大学卒業。1970年2月に日本万国博覧会会場(現:万博記念公園)で行われた「第3回 全国カンツォーネ・コンクール」優勝を機に芸能界入り。
1971年に「恋する女に悔いはない」で歌手デビュー。



1972年に発売された第3弾シングル「折鶴」がオリコンチャートで最高第9位、100位以内に28週に渡ってランクインし同誌集計で27.7万枚を売り上げるロングヒットとなった。その後も「初めてのお酒」や、「宗谷岬」などヒット。
1980年からラジオ・パーソナリティーとして、FM東京「ステレオ歌謡バラエティ」、NHKラジオ第1放送「はつらつスタジオ505」等担当。また「ルックルックこんにちは」の名物コーナーだった「ドキュメント女ののど自慢」の審査員も務めた。



山脇学園短期大学卒業時に中学校教員免許を取得しており、歌手活動に加え、少年の育成にも携わっている。
1983年に法務省の篤志面接委員、1990年には保護司に就任し、全国各地の少年院などを慰問や院生のカウンセリングを行っている。
2002年には瀬戸山賞、その他法務大臣表彰を6回受けている。また、2003年には矯正協会副会長と東京家庭裁判所家事調停委員に就任している。





「折鶴」は、安井かずみ:作詞、浜圭介:作曲による楽曲。小柳ルミ子の1972年8月25日に発売した5枚目のオリジナル・アルバム「京のにわか雨 はるかなるこころのふるさと SOFTLY RUMIKO KOYANAGI」(ワーナー・パイオニア L-8012R)の8曲目に収録された。
同日に千葉紘子の3枚目のシングルとして発売された



作詞家の安井かずみは、「わたしの城下町」で作曲家の平尾昌晃とともに小柳ルミ子をスターダムへのし上げた。この2人が手がけたアルバム収録曲の「折鶴」はその完成度の高さからファンの間で当時から人気が高く、製作時は小柳の5枚目のシングル曲として提供される予定であったと言われる。
当時国民的歌手であった小柳の楽曲の売上は全て高成績であり、この頃無名であった千葉紘子盤がヒットしたことや当時の小柳の報知力を照らし合わせると、小柳がシングルで「折鶴」を発表していれば、本楽曲の知名度は「わたしの城下町」と同等の知名度を得ていたとも指摘され、当時人気絶頂期であったが、その後売上が低調となる小柳にとってはその後の歌手生活を大きく変える一曲となっていたものと見られる。小柳のファンの間での好評さから、その後有線において同事務所の千葉のシングルの人気に火がつきヒットした。