蒲原有明さんの詩をひとつ


薔薇のおもへる

黄金の朝明けこそおもしろけれ、
さ霧に匂ひて、さらば咲きぬべきか。
嘆かじ、ひとり立てども、わが爲め、今、
おもふに光ぞ照らす。さにあらずや。

嘆かじ。秋に残りて立ちたれども、
小路を、( さなり、薔薇のこの通ひ路)
手を組みかわし、ささやく二人の影。
ああ、今、静かに、さらば咲きぬべきか。

少女は熱き涙に聲も顫へ、
をのこは遠きわかれを惜しみかこち、
あまりに痛きささやき霜はも似つ。

記念の、これよ、花かと摘まれむとき

音なく色に映るもわりなきかな。

二人は知らで過ぎゆく。將た嘆かじ。

注 : 6行目の薔薇は「そうび」と読む。薔薇の音読み。旧字体ですがIMEには無し。

      9行目の少女は「おとめ」と読む。顫へは震への旧字体です。

      12行目の記念は「かたみ」と読む。

      14行目の將たは「将」の旧字体です。読みは「はた」。

 

蒲原有明(かんばら ありあけ、1875年(明治8年)3月15日 - 1952年(昭和27年)2月3日)さんは、日本の詩人。本名は蒲原隼雄(かんばら はやお)。東京生まれ。
D・G・ロセッティに傾倒し、複雑な語彙やリズムを駆使した象徴派詩人として、「独絃哀歌」「春鳥集」「有明集」などを発表。薄田泣菫と併称され、北原白秋、三木露風らに影響を与えた。




参考までに蒲原有明さんの序文を掲載しておきます。
序文
鋭い剖析のメスを豫想しつつ 
「一作者の生涯にわたる詩を妙出してしかもその妙出によつて失ふところなきばかりか、更に適切で特色を具備した選集を編む、それは言ふは安くともさう楽な仕事ではない。その上その作品には謂はば特異な躰臭(執念)が歳月の経過にも拘はらず内から自然に發散する、かかる時ともすれば好悪の兩端に驅られがちな偏向を編者がどうして避くるかが問題であるからである。殊に後期・晩期に入りて一層に迷妄が募り且又寡作になつたわたくしの詩の如きは二者擇一によつて矛盾のまま一先切り抜けておくといふことは困難ではあるまいか。この選集はこれまでにわたくしが編集したものとは以上の點でわけがちがふ。作者自身の一方的希望はどこにも現はされてゐない、そこに作者は希望を繋いでゐる。作者は教へられるのでなく批判󠄁されるのである。しかも厳密に。」
読者の批評に対する作者の鋭くも沈思黙考の事理、謙虚な「絶筆」であると編者「矢野峰人」氏は後書に述べている。