Patti Page - The Tennessee Waltz (1950) & Changing Partners (1953)
パティ・ペイジ(ワルツ曲の女王) - テネシーワルツ & チェンジング・パートナーズ


パティ・ペイジさんのヒットした歌にはワルツ曲が多く有り「ワルツの女王」とも呼ばれていた。



パティ・ペイジ(1927年11月8日 - 2013年1月1日)さんは、アメリカ合衆国の歌手。オクラホマ州クレアモア出身(マスコギーとする資料もある)。



アメリカのスタンダード・ポップスを代表する女性歌手であり、1950年代に女性アーティストとして最も多くのレコード売り上げ枚数を記録した。ポピュラー音楽からカントリー・ミュージックへのクロスオーバーを果たした先駆者の1人でもあり、終生ステージに立ち続けた。



1947年、ペイジは「Confess」という、他の歌手による返答のパートを含む歌を録音した(この歌はほかにドリス・デイとバディ・クラークによるデュエットのバージョンによっても知られる)。彼らには別の歌手を起用するだけの予算がなかったため、リールはペイジにこのパートも自身で歌うよう進言した。おそらくは一つのレコードにおいて二つのパートを歌うという目新しさも相俟って、この歌はチャートの20位に入るヒットを記録した。



当時のマーキュリー・レコードではミッチ・ミラ(Mitch Miller、後にコロムビア・レコードで同社を1950年代のポピュラー音楽における支配的な地位にまで押し上げた手腕でも知られる)がA&Rを務めていた。「Confess」の録音後、ペイジ(若しくはリール、或いはその両方か)は一人での多重唱というアイディアがすっかり気に入り、一曲全てを四重唱として歌いたいと申し出た。ミラーはこれに懐疑的だったとされるが最終的には許可し、ペイジ一人の四重唱によって録音された「With My Eyes Wide Open I'm Dreaming」は大ヒットとなり、彼女にとって初のミリオン・セールスを記録した。



メアリー・フォード(Mary Ford)やジェイン・タージー(Jane Turzy)もこの手法を用いていたことが知られるようになったが、ペイジこそは一つの楽曲(「Confess」において)で多重録音の手法を用いた最初の歌手である。ウィキペディアより