Mizue Takada(Singer) - Treading The Shadow of Love - TEICHIKU RECORDS
高田みづえ(歌手) - かげふみ(オフィシャル) - テイチク・レコード


作詞・作曲 : 村下孝蔵


高田みづえ(1960年6月23日 - )さんは、元相撲部屋の女将で、元歌手・元タレント。鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市)出身。



夫は元大関の大相撲力士で元親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)。長男は元俳優の勝信。長女はタレントのアイリ。本名は日高みづえ(旧姓:高田)。
2017年2月20日、出生から中学卒業までを過ごした南九州市の観光大使に就任した。









Kozo Murashita(Singer-Songwriter, Guitar Player, Lyricist & Composer) - Treading The Shadow of Love
村下孝蔵(シンガーソングライター、ギター奏者、作曲家) - かげふみ


村下孝蔵(1953年2月28日 - 1999年6月24日)さんは、日本のシンガーソングライター。「初恋」「踊り子」「ゆうこ」「陽だまり」など、恋愛をテーマとした数々のヒット曲がある。熊本県水俣市出身。
水俣市立水俣第一小学校、水俣市立水俣第一中学校、鎮西高等学校、日本デザイナー学院広島校インテリアデザイン科卒業。

1981年1月にリリースされた2枚目のシングル「春雨」は、地道なプロモーションを重ねて、チャート最高位58位を記録、およそ3ヵ月半に渡ってチャートにランクイン。1982年発売の「ゆうこ(原題:ピアノを弾く女)」は、北海道札幌の有線で火がつき、全国ヒットになり、チャート最高位23位を記録、約7か月半にわたってチャートインした。1979年に日本画家・船田玉樹の娘と結婚、後にシンガーソングライターとなる娘をもうけている(1985年離婚、村下はこの後再婚)。同年10月、「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)に初出演した。

1983年、30歳にして発表した5枚目のシングル「初恋」は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなる。「初恋」は村下がバラードとして作ったものを編曲家の水谷公生がテンポを上げてポップ系に編曲し、村下がそれを受け入れたことで完成をみた楽曲であった。水谷はかねてから須藤晃に「もうフォークにこだわらなくてもいいんじゃないか」と進言していた。水谷は村下を「でっかい人だった。人にゆだねる強さがあった」と評している。

「初恋」発売の前後に全国キャンペーンなどのハードスケジュールが原因で肝炎を患い、多くのイベント、番組出演などをキャンセルし「初恋」がヒットしてもテレビ番組にはほとんど出演できなかった。それが原因で広島と東京の往復ができなくなり、1984年末に生活の拠点を東京に移した。同年秋から全国ツアーを開始したが翌1985年に再び体調が悪化し、入退院を繰り返した。この時期に、広島から定年退職したばかりの父親も東京で暮らし始めた。

1987年に全国ツアーを再開。この年に催した七夕コンサートは毎年の恒例行事となった。1988年、神奈川県川崎市のCLUB CITTAで行われたベンチャーズのライブにゲストとして出演。ベンチャーズと一緒に演奏するという夢を叶えた。
1989年、アルバム「野菊よ 僕は…」を発売。須藤晃によるとこの頃アルバムの売れ行きが大きく落ち込み、「初恋」の時期から指摘され続けてきたメロディ・ラインの古さが飽きられてきたことが理由であったが、これといった手を打ってこなかった村下にも須藤自身にも焦りが生じたという。

1992年発売のシングル「ロマンスカー」は「これが売れなきゃおかしい」という思いで制作し、完成時に村下が「やっと納得する作品が出来た!」と語った渾身の作品であったが売れず、須藤は「時代が違ってきたんだ」と感じたという。この時期の村下は試行錯誤の末、「自分には"初恋"を越える曲はできんかもしれん」「時代は追いかけるものではなく、巡りくるもの。向こうからやってくるのよ」という境地に至った。

1999年6月20日、駒込のスタジオでコンサートのリハーサル中に突然「気分が悪い」と体調不良を訴え、当初は救急車も呼ばずスタッフ付添のもと自力で病院を訪れていたが、診察でCTの装置に入った時点で意識不明の昏睡状態に陥った。診察の結果「高血圧性脳内出血」と判明。医師の所見では当初、1週間ほどで回復し日常に戻れると言われていたが、脳内出血が再発し僅か4日後の6月24日に死去。享年46歳。