僕は5時間もの記者会見をすべて聞いた者ではないし、聞き続けるだけの意味もないと、ニュースを一部見ただけである。

 

先のタレント二人が覚悟を持って会見した後、雇われ弁護士と副社長を同席させた会見には、企業トップの覚悟が全く無い事は明白だったし、会見のストーリーが最初から組立てられているから、会見の意味はその時点において全く意義をなさないものと判断していた。

兎に角、雇われ弁護士を同席させたことは、社長の謝罪の言葉とは裏腹で「何の説得力」もなく卑怯そのものであるとの印象だけだった。

また喋っている内容は正鵠を得たものではなく、イエスかノーかが極めて曖昧で、こんな愚かな会見を聞いたのは人生初であった。

 

当該社長が僕がであったらと仮定した場合、当然に一人単独で会見に臨むでしょう。それが誠実の証だからです。それが出来るためには、会社トップとしての覚悟があるか否かです。

 

タレント2名の処分撤回と、会長・社長の1年間50%の減給の対応で、この問題を乗り切れると判断したのは、大変甘い考えではなかったでしょうか。ここに一つの判断ミスがある。

 

吉本興業の対応には以下三点の問題がある。

①経営学は「組織論に始まって組織論で終わる」とも云われる。組織管理について無知・無関心であれば、その組織はいずれ停滞消滅する時が来る。

年商2億から年商20億、年商20億から年商200億と、経営規模が大きくなるたびに、経営者は経営(運転)免許を更新し続けなければならないが、アップデートせずに経営者として居座って多額の報酬を得ている人が如何に多いことでしょう。

企業の成長は人材の成長までとも云われるが、その人材の中に経営者ご自身が含まれている事を忘れている。

吉本興業の経営陣は組織論について無知蒙昧であることが解った。

②労働者を雇い入れる場合は、法に基づき労働契約書の締結が必要である。芸能タレントの場合も、有名無名を問わず個々のタレントと契約して、会社傘下におく場合は、当然に契約書の交付をするべきだが、これが実行されていないとすると大問題である。

口頭契約では、問題が発生した場合に、解決しようにも双方の記憶の齟齬により、大きな問題に発展するし、何よりもタレントそれぞれの置かれた状況による身分が保障されず、どれだけ頑張っても生計の目途さえも立たなくなる。

日本人の一番不得手とするマネジメントが徹底して機能しておれば、今回の不祥事案も発生することは無かったと想う。マネジメントしなければならない事を、タレントの一部に曖昧にかつ丸投げしている。

これは、吉本興業に限らず、例えば電通の「高橋まつりさん」の「過労自死問題」にも共通する重大な問題です。高橋まつりさんの過労死問題は、直属上司のマネジメントが適正に行われておれば、命を絶つことはなかったのです。

マネジメント能力には適性があります。マネジャー適性のない人が管理職となるとマネジメントが出来ず、部下に仕事を丸投げしてパワハラを行ったりしてしまい最悪の事態になるのです。

注 : 適性については、YG性格検査. (矢田部ギルフォード性格検査)を行うと正確に診断出来る。昔は検査用紙一セット100円程度だったが、現在は270円程度のようです。

 

電通の「高橋まつりさん」の「過労自死問題」以降、総理大臣安倍晋三が「働き方改革」と云いだして、マネジメント不在の問題を「働いている人」の働き方に責任があるように云っている。そして情けないことに、マスコミも社会全体もこれに同調するような動きになったことに、僕は凄い違和感を持っている。

これは総理大臣の労務問題に対する無知から来たのか、それとも論点をすり替えようとしたためなのか僕には解らない。

唯、無知から来たものであれば、竹中平蔵が時間外労働費用を「税金から出している」と云っていたのものと共通している訳だから、極めて愚かで情けない限りです。

国会議員全員が「働き方改革」の視点に異議を唱えず、同じ土俵で議論している状況ではこの国は真理・真実さえも見誤っていると想うのです。

弱者の味方の共産党も、この視点に対して異議申さないのは如何なものかと、「共産党どうしたの?」と大喝である。

 

真理や真実は意外と見誤ったり見失ったりするものです。