僕が総務管理職(マネジャー・スペシャリスト)の立場にあったころ、会議で社長から一つの提案があった。それは、君づけをやめてさん付けで名前を呼ぼうと云うものである。

社長の提案の前から僕は既にそれを実行していた。
相手の立場によって君付けしたりさん付けしたりするのは、すごく煩雑で悩ましいものです。
社長の提案は全ての部署で実行されていくが、雲散霧消していくこととなる。何故なら、社長以下の役員各位に徹底できなかったからと記憶している。
僕は、いまもすべての人の名前をさん付けで呼んでいる。亡くなった方の名前もさん付けで呼んでいる。
大好きな高倉健さんが亡くなってもさん付けで呼ばせて頂いている。マスコミは有名人が亡くなると、踵を返すようにさん付けで呼ばなくなる。

死んで仕舞えばさん付けは要らないと思っているのだろうか。死んだ後に呼び捨てでは些かの敬意も感じられない。

日本の社会全体がそのような傾向であるが、僕は人の生き死にに関係なくさん付けで名前を呼んでいきたいと思う。
さん付けで名前を呼ぶ事が習慣になると実に楽ちんである。そして、どのような立場の人でも等しく親愛の情を持つことができる。

私の会社のこと、スペシャリストのこと、思いつくままに書いてみた

昭和50年、チェーンストアを志向する小さな会社の創業時に入社する。最初の2年間は賞与もなかった。
その会社は順調過ぎるくらいに店舗を面展開することができて、経常数値の高い素晴らしい会社に発展した。流通業では、入社すると売場担当者(店員)からスタートする。その後、教育計画の一環としてのジョブ・ローテーション(計画的な職務変更)に対応して実務経験を積む。

このような過程を経ずに管理職に登用することはあり得ない。
経験を重ねると共に、適性検査(職能適正検査・性格検査・知能検査等)を受けて、WorkerとSpecialistいずれかの職務分野で活躍することになる。Specialistは数値責任を負う立場の人である。Workerは上司であるマネジャーから作業を割り当てられて、それを正確に完全にやり遂げる人である。職務命令によって日々、時間ごとに職務の内容は変化する。
ワーカーは数値上の責任を負うことはない。

SpecialistにはManager SpecialistとTalent Specialistがある。マネジャー・スペシャリストは部下や資産、を思うままに動かして目的を達成する能力が求められる。
タレント・スペシャリストは部下を持たないで、自ら作業をすることによって数値責任を果たす能力が求められる。

但し、例えばバイヤー職の場合、担当商品分野のボリュームが大きい場合にはアシスタントを持つこともある。

タレント・スペシャリストを解りやすく表現すると、歌の文句のとおり「包丁一本さらしに巻いて」全国どこでも活躍できる板前さんである。


(注)マネジャーの語源のマネジ(Manage)について
部下や資産を思うままに動かして、目的(数値責任)を達成する能力。語源は手を意味するマヌスで、自分の手のように道具を使いこなす、野生の馬を御す、丸太を漕ぐことができるという意味だった。
したがって、マネジャーは部下の作業割り当てと変更修正する高い能力が求められる。また、時間外労働を認める場合には法令遵守が必須である。➡この部分が日本では一番問題になっているところです。
上記した内容は日本リテイリングセンターの「チェーンストアのための必須単語701」による。

日本で働いているフィリピンの女性が工場で働いていたとき、作業を終えたあと何の作業指示も無かったので、その上司に「私は首になったのですか ?」「そうでなければジョブを下さい」と聞きに行った笑い話のような逸話があった。


過労死問題を抱えている日本では、政府もマスコミも働き方改革と言っているのだが、本来はマネジャーの部下に対する働かせ方(作業割り当て)に問題があるので、「働かせ方改革」というのが正しい認識のあり方である。

 

政府もマスコミも、もっと労務問題について勉強しないと駄目でしょうね。少なくとも労務問題のエキスパートであった楠田丘先生の著作を読んで研鑽を重ねて頂きたい。

楠田丘先生の職能資格制度について批判的な立場のコンサルタントがいるが、そのような方は実際に企業の中で運用する立場にあったのだろうかと疑問を持ちます。

僕は、実際に運用に携わってきて、この制度運用させるための難しさと乗り越え方を経験してきたので、その事を以て制度が悪いとは思わないし、職能資格制度に批判する立場には与しない。