M side


…なんだか、あっという間の時間だったように思える。


翔くんの卒業旅行。

冬を越えたら翔くんの卒業式。

春になったら翔くんの着任式。


あっ、すっかり忘れてたけど、卒業式と着任式の間には菊池の高校の卒業式がある。

無事に第一志望であった、学科は違うけれど翔くんと同じK大に合格した彼。


…未練があるとするならば、間違いなく俺だったであろう。


ーーー


「せんせ、、」


卒業証書片手に社会科準備室に来た彼の目が、話す前から潤っていたのはすぐに分かって。

いつも自信に満ち溢れた顔をしているのに、やっぱりそんな顔もするんだ。


「卒業おめでとう。」


「また会いに来てもいいっすか?」


「…そりゃいいけど…。」


俺には頑丈なボディーガードがいるよ、と付け足した。


「別れたら連絡してくださいね。すぐ俺が先生の隣に入るんで。」


「ふふ、ありがとう。でも、いい人ちゃんと見つけるんだよ。俺にばっかりついて回っちゃだめだからね。」


「先生のこと、ちゃんと気持ちの整理がついてからにします…。」


なんて鼻を啜りながら言った菊池のその言葉は、信憑性に欠けている。

未練たらたらの女々しい男だよ、きっと。


結局菊池は静かにすすり泣きながら、その後1時間以上はここに留まっていた。

ホントにホントに最後だから、早く帰れなんてことも言えなかった。


ーーー


さて、そして今年度に突入。

…有り難いことに、今年も俺はこの高校に勤めることが出来ている。

今年もいつも通り、だけども毎日楽しい生活が始まるんだろうなと思っているのだが、不安要素がひとつ。


「皆さんこんにちは。英語科を担当させて頂きます、櫻井翔です。実はここは母校でもあるので、、、」


ステージ上には晴れて教師となった翔くんが、悠々と全校生徒に挨拶をしている。


…どのようにしてここに、、俺と同じ学校に勤められるようになったのか、俺は知らない。

が、翔くんは育ちがよくて、ひろーーーい人脈も持っているのは確かだ。


…一体どんな手を使ったのか、それとも、ホントにたまたまここに勤められることになったのか、、、特に聞くつもりはないけど。

とんでもない新任教師が入ってきたことに、誰も気づいてはいないだろう。


体育館後方でその姿をぼんやりと眺めていると、一瞬だけ、目があったような気がした。


ーーー


「…じゅーん!!!」


「こら!学校では名前で呼ばないって約束したでしょ。」


「えー、いいじゃん。誰もいないんだし。」


着任式が終わり、生徒は帰宅。

明日の入学式を終えて、その翌日から本格的な授業が始まる。


俺はいつもの社会科準備室で、昨年度から引き継ぐ資料やらなんやらを整理していた。


そんなところに、バーンとドアを開け放って乱入してきた翔くん。

その顔は随分嬉しそうである。


「やべー、なんか感動しちゃうよ。生徒としてここの景色見て、教育実習生としてここの景色見て、今度は教師としてここの景色見れてる。」


翔くんが入り浸っていた時からなんら変わっていない社会科準備室をぐるりと見回した。


「おっ、ソファーも変わってないじゃん。よくここで寝てたよなぁ。」


感慨深そうに呟くと、あの時に戻るかのように、スーツ姿のままごろんとソファーに寝転がった。


「そんなことしてる暇ないでしょ。新任教師さん。覚えることいっぱいあって忙しいんじゃないの?」


「まぁ、初めてここに来た先生よりはマシだよ。教室の場所も全部覚えてるし、いつどんな行事があるのかも。」


「それはそうだけど…。でも、新入りがこんなところでグダグダするんじゃない。ほら、職員室戻りなよ。」


「えー…潤も行こうよー。」


「だから名前…。調子に乗ったらすーぐ痛い目にあうんだからね?」


「ちぇっ。連れねーなぁ。
なんかさ、こう、、、感慨深いとかないの?俺、1年間潤の生徒だったんだよ?潤が担任だったんだよ?1年間。自分の教え子と仕事出来るって凄くない?」


「…そんなこと言われても、、、ずっと一緒だったし…。毎日会ってる、てか、一緒に暮らしてるから特になにも…。」


「なんだ。残念。」


むすっと唇を尖らせると、ソファーから起き上がり、ようやく教室から出て行った。


ーーー